ゆうきまさみ総合58【新九郎 奔る!】
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太平洋側は海流のせいなのか難所多かったらしいね
江戸時代までは日本海の方が海運盛んだったって聞くし 単行本14巻、1月中旬か。思ったより早く出る印象。 秋田じゃなく山形だけど太平洋側に物資運ぶなら阿武隈川の水運使った方が手っ取り早かったとか 津軽海峡は泳いで渡れるレベルなんだからそんなに大変でもなかろう >>209
現状スピリッツ掲載から単行本になるまでの期間が空きすぎてるからもっと間隔詰めて欲しい
14巻発売時点のスピリッツ最新号掲載分が15巻に入らない なんで奈良なんて山奥が古代の都だったの?
なんで大陸や半島からの防衛として屋島なんかに城築いたの?
なんで明治のころは新潟県が人口最大だっの?
あたりの俺が持ってた疑問のいくつかは船(海路)で説明が付いた。 聖武天皇は都変えすぎと思うんだが。
結局平城京戻ってたし。 日本海はある意味、内海だからなあ。
太平洋は下手すりゃアメリカまで行きかねないし、実際、例もある。 >>212
海峡なんてのは狭くなればなるほど逆に海流は速く複雑になって船にとっては難所になるもんでな >>208
難所もそうだろうけど特産品がない遅れた地域ばかりってのが致命的かと >>214
奈良は「土地をならす」って使う現代語からも分かる通り平らな土地という意味
当時近畿で平らな広い土地はあそこくらいしかなかった
京都は昔はまあまあ水害がある地域だったし >>218
逆なんじゃないかと思うけどな
交通の便が悪くて発展しないから特産品が育たないんじゃないかと 瀬戸内は難所はあっても海流で流されることはないから全然マシだよね 幅数mの海峡がどこかにあったなあ
昔ココリコ田中がバラエティの企画で綱渡りしてた >>224
ああ、あそこ川と見せかけて実は海峡なんだよね
数mしか離れてないけど小豆島は実は2つの島に別れてるんだっけ そもそも江戸時代と今では米どころがかなり違う
東北や越後のお米はそんなに人気は無かったんじゃないかな?
https://i.imgur.com/5hGwOWv.jpeg 江戸市中に流通した米の大半は仙台藩の米と言われてたぞ
いつ頃までその繁栄続いたかまでは知らんけど
>>224
現地の写真見たらそこだった。ありがとう 当時は今みたいな強靭な耐寒品種なんてなかったからなー 北国で美味しい米が作れるようになったのって
1931年に並河成資たちが水稲農林1号を作ってからだからな
ちなみによくナミカワと間違えて呼ばれてるけど、ナビカさんだからな
間違えるなよ >>205
あまり知られていないが日本の経済衰退の最大の原因の一つに港湾設備がある
1980年代以降のコンテナ革命に対応しなかった。
東北や北海道でコンビニ弁当を作っても、東南アジアのタイとかで作ったモノにコストで叶わないのは
別に人件費だけの問題ではなく、輸送費が後者が圧倒的に安いから。東北から東京にコンテナ船を使う設備がない 日本が衰退して台湾や韓国に一人当たりGDP抜かれたのも色々理由があるんだね… 今じゃハブ港はアジアじゃ釜山がダントツなんよな
コロナ&ロシアウクライナ戦争で日本の港が見直されつつあるって言うとはいえ30年で無茶苦茶差をつけられた >>226
広島米前頭まじか?!
広島平野は上流で砂鉄採るために山を崩して
その土砂が下流で滞留してできたからな
そのせいで水害でお城崩れて大減封くらった福島正則さん 島津家久上京日記を見ると瀬戸内航路は風待ちで陸路を行ったり
海上で通行料取られまくったり商業航路としては中々に難しいのでは 近畿に天井川が多いのは飛鳥天平の昔から伐採しまくってきたツケだとか・・・ >>238
港湾労働者が反社の傘下なんて別に日本に限った話ちゃうやろ >>239
世界中そうだな、世界中マフィアと戦って何とかしたのに日本では出来なかった
神戸なんかは有名だろう、30年前までは東洋で最大の港だった
阪神大震災で被害を受けた後に復興できずに失墜したわけだ、中韓に持っていかれた
山口組が云々・・なヤバい話でね 新九郎では大内の軍勢は海路で上京していたけど史実でもそうなのだろうか 大内が率いたのは水軍2000艘って資料がどっかにあった
まあ大内といえば日本屈指の海洋大名だし >>236
中世と近世では事情が違う
それに商業としては全部価格に転嫁するだけw
通行料払えば縄張りの中安全を保障してガイドまでしてくれるし
陸路をえっちらおっちら運んでいくよりはマシだし >>243
伊豆諸島もおさえた頃には変わっているだろうよ 戦国時代に東北から京都・大阪に物を運ぶ時は
敦賀とかで陸揚げしてそこから陸路が普通
大阪まで直接船で運ぶのは江戸時代以降 新九郎の時代、東北にはもう、シャクシャインとかのエミシはいなかったのかな? 9月発売の次が冬って言われて
12〜2月の間だとどうして思えないのか 下北や津軽には江戸時代半ばまでアイヌが残存していたんだってさ
北海道のアイヌとの通訳に駆り出されたりしたそうだから、実際にアイヌ語話者だったんだろうな >>250
坂上田村麻呂にやられて北方に追いやられたはず >>252
和人でも道南と北東北の往き来は盛ん。
お互いに親戚だったりする。結婚相手を送りあうのだ。 田村麻呂が戦ってた相手のエミシってアイヌじゃなくない?
稲作して古墳作ってたけどヤマト王権には服従してなかっただけで、ぶっちゃけ日本人(という概念はまだなかったけど)
https://i.imgur.com/Zhwjqa5.jpg
https://i.imgur.com/cPH6mlj.jpg https://dot.asahi.com/articles/-/209315 大河で応仁の乱をやるなら、義忠が討死して新九郎が世に出てくる場面をエンディングにすれば、皆が知っている戦国時代の幕開けとしてわかりやすいと思う。 大河ドラマはゴミだしクソつまらないからいらない
それより民法で昔やってた年末ぶっ通しの歴史ドラマをやってほしいわ 漫画のエピソードを全部しっかりやるとしたら1年モノでも尺が足りないかと
どこをスキップするかといえば荏原辺りになると思うけど、
それにしても体当たりで田舎の領地経営に心をくだく姿を見せるからこそ伊豆の領地経営に成功する絵図への布石だと思うとカット出来ないし 日テレの年末ドラマは面白かったな
白虎隊、奇兵隊、五稜郭など名作揃い >>255
隼人族とか出雲族とかと同じでヤマト政権に侵略されるまでは独自の言語や習慣を持っていた人と思われる。 >>260
マイネルグロス強かったなーさすが1.8倍 >>263
現在日本各地で行われている風習の一部は過去に滅ぼされた民族のものを引き継いでいるものがあるという説がある。 滅んだんじゃなくて
著しく希釈化されたと見るべきかも >>260
やらんで良かった阪神カップ、さあいよいよ有馬や、タスティエーラやで >>265
意図的に消去を図られたものは色々あるね >>268
マジレスすると富士山より筑波山が貴いとする文化圏もあった >>270
そりゃまあ常陸国風土記じゃあなw
思いっきり地元じゃんw 筑波山は渡来人の一派と言われる蒲族の本拠地だったからな >>258
ゆうき先生とマブダチになった三谷さんに脚本書いてもらえたら夢のような作品になるよね
全部新九郎目線じゃなくて
第一部 新九郎少年編+無位無官無職の三冠王編
第二部 道灌主役編(新九郎はどちらかというと案内役的な立場
第三部 駿河家督争い編(以降乞うご期待
とかそんな感じで
民放で1年以上腰据えてやり込んだらNHKの大河は潰れるぜマジで 今どきそんなのできる体力あるのはネットドラマぐらいでは 民放はもう無理やね
このままじわじわ衰退して、そのうちMXとかTVKみたいに通販番組が占拠するようになったタイミングで
今まで惰性で見てきた年よりもほとんど離れて終わる もし新九郎奔るが最初からテレビドラマだったら「北川殿を目立たせ過ぎ」と叩かれてたのではなかろうか 司馬遼太郎作でのヒロインが北川殿だから問題ないだろう >>276
案件番組をやり過ぎて終わるか、
チューナーレステレビが普及して誰も地上波見なくなって終わるかの二択 >>277
テレビドラマだったら北川殿が自ら馬に乗って東奔西走するから >>280
馬乗るまでもなくワープしまくるので無問題という奴だな
何故か後世になって信長や秀吉家康の夢にまで出てきちゃうとか朝飯前だし 明けて月曜12/25発売の2024年4、5合併号に載る話で第16集に含まれる7話分が揃うな
(1/12発売の第15集じゃなくてその次の第16集)
だからキリが良い(駿河館襲撃の決着まで描く)ところまで含むか、
それとも第16集は戦闘シーンの途中で終わり第17集まで続く描き方になるのかな? 最近フランスの軍人の一代記を中南米出身のアメリカ人が演じる映画あったし
この作品もハリウッドが何とかしてくれるかもしれない ナポレオンのことならコルシカ出身だったから
純正フランス人(!?)からはイタリア人呼ばわりもされていた >>256
ゆうき先生は悲観的だな
Twitterでは >>285
コルシカでも余所者扱いされてなかった?
それで結局、一家をあげて逃げ出すんだよな。 まあコルシカ人はどっちかというとイタリア人だろうしな
ナプリオーネ・ブオナパルテだもんな ナポレオン(ナポリのライオンの意)だからイタリア人だわな イタリア人に言わせるとナポリはアフリカらしいで
石鹸で手や身体を洗わないから犬まで逃げていくとか揶揄されとる ナポレオン当時はイタリア統一されてないからイタリア人というカテゴリ自体どうだろうか 応仁の乱をメインにするなら両畠山が適任かな
明応の政変で政長が死んで終わり イタリアはガリヴァルディらが活躍するまではそれぞれ別の言葉を使う別々の国だったから仕方がない ガリヴァルディの出身地ニースはイタリア統一から弾き出されたが
あの一帯の住民も「イタリア人もどき」らしい イタリアの言語も地域によって差が大きい。津軽弁と薩摩弁みたいなものか。
新九郎らと今川近辺の人らはリアルでは言語が通用していたのかどうか。 日本の方言は地域差というより時間差みたいなものだからな
年寄りを介したら普通に話せそう 義忠はイタリアンって感じだったな
ダンディが英国紳士? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています