センゴク 宮下英樹 198番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-19巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
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※前スレ
センゴク 宮下英樹 196番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1591781105/
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センゴク 宮下英樹 197番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1592484440/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 陣地作って戦うのにめちゃくちゃ強かった古代ローマだと個人持ちの弩も有効な気がするけどあまり使わなかったのかな。でかいバリスタとかは有名だと思うけど。 >>707
銃騎兵って、それこそ秋山好古がやってなかったっけ?
騎兵で後ろに回り込んで、馬を降りてから物影から銃撃やけど >>707
現代の連発銃でも無意味な気がする
アクション映画でバイク乗ってってのも
当たんない割に相手に身を晒すし運転も危なくなるし
せいぜいマフィアや麻薬カルテルが市街地でテロ
やる為に使うイメージ 流鏑馬で射程はせいぜい数mで放ってるので馬上筒で馬上射撃するとしたら同様に目標に肉薄して槍衾に触らない距離で撃ったんじゃなかろうか スペイン映画のアラトリステは、スペイン版宮本武蔵みたいな剣豪小説の映画化だけど
最後のロクロワの戦い(1643)でフランス騎兵が
馬上短筒もって攻撃かけてる
日本だと島原の乱の少し後か
テルシオの槍衾の届かないくらい近づいて撃つってのはそうなのかもしれん一発撃ったら次はどうすんだろ。 >>707
弓なら逃げながら撃つパルティアンショットがあるが
銃ではできんしなぁ ゴンベエのハイパーモードver2で真田との戦いの時、白目で騎馬銃撃とかすりゃいいのにw
介者剣法ザンッとかもやったんだからやればいいのに 遊牧民の弓騎兵とかチート過ぎるな
日本も世界的に珍しい重装騎兵だったけど戦国期には廃れてるよね >>716
重騎兵は日本以外の東アジアでも北宋あたりまでだったし弓の威力が上がって鎧貫通出来るようになると良い的。 ピストル騎兵といえば、馬賊の使ってたモーゼルC96
射程200mで連射が出来るうえに片手で撃てる
中国製のコピー商品が出回ってたとか >>720
満州の馬賊ご愛用品だね
紐付けて落とさないようにしてたね モンゴルの弓騎兵って、短弓やから剣とか槍とは相性が良さそうだけど
モーゼルとか出てきたら流石にあかんやろなあ あいつら馬ごと草原に伏せて見通しの効くはずの平原で伏兵奇襲とかやるやん
そういうとこもチート 遊牧民の場合本拠地捨てて逃げる手もあるし
センゴクで言うと武田とか上杉が本拠地捨ててそこらへんで略奪しまくって都合が悪くなると逃亡してるようなもん。
これは金と食料と文物差し出すしかないですわ
(なお裕福になりすぎると柔弱化する模様) もう秀吉が死ぬまで、仙石と秀吉絡む事もなくなるんだろうか
絡むとしても「(築城)セイッ」とか命令だけで >>727
ゴンベが空気なのは今に始まった事ではないし 大名復帰後は秀吉が手元に置いて小諸にはしばらく帰ってなかったそうだから幾らでも話は作れるんじゃね 史実がどうあれ漫画のゴンベは秀吉と昔のように腹割って話ができるキャラ付けだから
黙って命令だけ受けることはないでしょ 嫁の死は手紙で知る感じなのかな(´;ω;`)ブワッ >>672
21世紀に入ってからだと中東で何度も敢行されてるぞ
意味のあるもんじゃなくて実質鍋のシメうどんみたいなもんだけどな
銃剣突撃で戦闘締めくくると勲章がもらえるから、現地指揮官が味しめて繰り返してるようなところもある >>697
弩が長射程ってのがまず誤解
そりゃ短弓よりは飛ぶが、大質量を放物軌道で飛ばす長弓には遠く及ばない
長弓と同じこと弩でやろうとしたらそれこそ個人じゃ運用できないほど巨大になって、だったらカタパルトのほうがいいわなっていう
>>698
そんないくつにも注力できるほどどこも余裕あるわけないのよ
銃の登場後は弩は中途半端であえて運用する意味はない
弓なら相互補完できるからかなり生き残るけど 日本軍は、日露戦争ぐらいまで白兵戦がくっそ弱かったので
それを補うために銃剣突撃と攻撃精神を重点において訓練してたな
まぁ、それがいきすぎて後の世で… >>525
それ江戸時代に作られたフィクション
秀吉は将軍職を断っている
義昭は秀吉と供に参内して将軍職を辞している 右近衛大将のほうが、武家社会的には大きかったんじゃね? とかいわれてるな
鎌倉幕府成立は、頼朝が右近衛大将に任官された(させた)時が正しい、とか
信様も右近衛大将に任官したことで、天下人である「上様」と認めさせたとかなんとか >>738
そもそも征夷大将軍ってのは、本来は臨時の役職だしなあ 本来言い出したら関白なんか本来そんな職ないんだけどな >>737
室町末期や織豊政権時代の将軍は権威が失墜した存在だったから
秀吉が箔付けに欲しいとは思えないよな 朝廷と対立した(せざるをえなかった)形で政権を樹立運営しなきゃならなかった連中と違って
秀吉と朝廷は、お互いを最大限利用しあう関係だったからな >>742
令外官は、臨時の役職やから、公卿の役職を奪わないから貰いやすいとかなんとか
律令で定められた宮廷の官職は、定員が決まってたから取りにくいのと
それを取ったら朝廷に対して野心があるとか介入するとか思われるとやっかいなのと
令外官だと朝廷に出る義務が無いからお互いに都合が良かったんじゃないの?
将軍は幕府(裁判権)としての実が欲しかっただけだし
公卿の人らも、朝廷の内に入ってほしくないからこそ
令外官として将軍を与えたんだろうし 室町以前の将軍は、あくまで武家の統率者(室町将軍は京の町の施政権も持っていたが)。
秀吉は、さらに公家や寺社の上にも立とうとしたから、諸大名を公家の官職に付けたうえで、
自分は関白になることで、公家・武家双方の統率者になろうと考えたんじゃないかな? >>744
まあ
律令の官位もクラウド以外は完全に形骸化したからな
鎌倉末期には >>745
義満ちゃんが検非違使の持ってた京の徴税権を朝廷からぶんどってたな、そーいや >>748
蔵人さんよ
特に弁官と六位の皆さんが朝廷の要だから
そこを義満さんが家令に取り込んだ時点でほぼほぼ朝廷や摂関は統治能力失う >>740
漢書霍光伝の「諸事皆先関白光」から引っ張った用語やし >>750
伊勢家あたりからどんどん仕事を持ってかれて
朝廷が季節の行事くらいしか無くなっていったんやろなえ
確かに室町の大臣とか、持ってても家職なだけで実権無さそう >>751
霍去病の弟で本人は無茶苦茶有能なあの人か 霍光が皇帝の座につけた前漢中興の名君、宣帝。この人物の経歴は波乱万丈 >>755
貴種なのに生まれも育ちも牢獄
そしめ
嫁が宦官の娘という謎の展開 >>733
使いこなせば長弓の方が有利なのは事実
あくまでも低錬度の農兵や市民兵に飛び道具を持たせるとしたケースを想定したら、弩のメリットあるんじゃね?って話 >>757
射程が弓>弩みたいだし、
低練度の足軽なんか弩兵にしたてあげようとしても、射程範囲前に対峙の恐怖やら弓の射程内攻撃やらで逃散して役に立たなそう 日本だとよそで弩を持たせるポジションは山の中で木陰に隠れて石つぶて投げてそうなイメージだわ
山ばかりの日本だと何やかやでかさばる弩は使いづらかったのかもよ >>758
それは銃で農民や市民を武装しても同じじゃん
敵も同等の武器で撃ってくるんだし
とりあえず逃散云々はおいといて
低錬度でも威力は体力関係無く保証され、ある程度の命中率が期待でき、天候に左右されにくい飛び道具
だろ? 弩は生産やメンテに難があるからなぁ
欧州では、残虐すぎる武器だから使っちゃだめ(ただしキリスト教徒同士の戦いに限る制限)ってのが法王から出されてたっけ >>753
なお息子とヨメは宣帝のヘイト(宣帝の民間時代の嫁毒殺)を買って族滅された模様 鉄砲の威力がずっと上だからな
弩や鉄砲に対抗するために防具も発展したが
弩の威力が頭打ちで、厚い防具を貫けなくなっていったけど
鉄砲のほうは、よほど頑丈で分厚い防具以外は楽々撃ちぬけたからな >>764
本人は無茶苦茶有能で良い人なんだけどね・・・ とりあえずここであれこれ言う前に「弩 日本 使われない」とかでそれっぽいサイト見てきたほうがいいんじゃないのかなとは思う
運用方法とか特性とかなんで日本ではやらなかったのかとかいろいろ解説されてるし >>765
兵器としての特性の違いがあるから
曲射は銃では出来ないだろ
弓隊は訓練に時間かかる
怖いから遮蔽物に完全に隠れて曲射で攻撃する
農民兵向きじゃね なお、秀吉は関白位を「次は天皇の皇子に譲るよ!」といっていたにもかかわらず
豊臣家で独占する気満満になり、五摂家全部が死に絶えても別にいいじゃん? と公言していた模様 もう弩の話はいいでしょ
これ以上やりたきゃ自分で頑張って調べなよ >>769
しつこいアホの子だねえ…
思い違い指摘しとくと、弩って曲射兵器じゃないからw
あくまでも狙って撃つ直射兵器
そりゃ角度つけて撃てば曲射もできるけど、そんなんじゃ当たらないし発射速度が低いから制圧もできない
矢が短く軽いから、距離で威力の減衰も大きい
矢の重い長弓は、条件によっては落下加速度で長距離のほうが威力あるぐらいなんだけどね
単純な弓に比べて極端に高価だから数を揃え難いのも面制圧には適さない理由
運用は銃と比べても難易度高いし、農民や市民兵に運用できるもでもないんだわ なんでセンゴクスレで弩にそこまで固執するんだろうか
この弩フェチ野郎が! どっかの歴史系スレで言い負けてここに流れたんじゃないの?>弩フェチ
いい加減しつこい >>775
ふむ
曲射には不向きとして
150ポンドのクロスボウで50mで鹿を殺れるそうなので素人兵でもそれなりに効果は期待できるだろ
鎧への貫通力は弩の方が有利とのことだし
直射兵器としてもそう鉄砲には劣らないだろ これから朝鮮出兵あるから
朝鮮、明軍は弩を使わなかったのかな? 単純な武器の性能や特性だけじゃなくて社会制度や時代背景なんかもあってすたれたとかに考えが回らないのはなぁ
今みたいにお金さえあればポチポチして大概のものはすぐ手に入ったりスマホで検索すれば詳しい知識がすぐ手に入る時代じゃないってのに >>783
榴弾や榴散弾のなかった時代
対歩兵に大砲はどれだけ有効だったのかね
機動力もないし >>779
そんなもん現代の技術ならどうということなくても、中世じゃありえないレベルの超兵器だよw
弓も弦も引き金機構も、中世の素材や加工技術じゃそう簡単にまともに作れない
それに、梃子や滑車のちからかりても、自分の体重並みの弓引くとか並大抵のことじゃないことぐらいわかるだろ
いやもう直接比較するのが馬鹿らしいぐらい銃に対して劣ってるんだわ ノリノリで荒らしの相手する馬鹿って荒らし以上に鬱陶しい
やはり自演なのかな? >>785
紀元前には既に張力150~300kgの弩があった
機関部は青銅製だから発掘されて出てきてるんだよね
150ポンドってのは68kgだから背筋や体重かけて引けるやつね
そんな無茶苦茶な話はしてないよ どっちもワッチョイの下2つが54なんだよな
この番号ってブラウザ変えたり回線変えても変わんないんだよな… 正厳は作中では表向き死罪となって寺に入ったと描かれていたが
開山年が1533年と記されているらしいな 休載挟むと前回の話忘れちゃうな
コニドンと旧交を温めて終わったのか
ここからは秀吉ダークサイド編 >>659
アーさん、よくまあここまで続けたよなあ。
空いた所に特効兵戻しといてよw 勿体ない。 >>779
弩の使い方は世界的にみても少数の機動戦で使われる
軽さとある程度の射程を活かした戦法だな
ただこれは練度が必要な戦法だから農兵には向かん
農兵に持たせたら誤射だらけになるだろう
農兵に鉄砲を持たせた場合でも長射程のメクラ打ちになったそうだからそれより有効射程の低い弩では押して図るべし >>795
防衛戦で城壁からの撃ち降ろしや城壁をまたいだ曲射じゃねーの?
連弩とか高低差を利用して低威力で連射性を高めてるんだし 普通に戦場で主力武器になってた時期があったから弩弓部隊が長弓部隊に一方的に壊滅させられた戦争が欧州戦争史のトピックとして扱われるんでしょう
センゴクでも三方ヶ原戦で描写されてたけど、この時代の日本も戦場の矢は「降ってくる」ものですな >>797
連弩は移動出来るようなものじゃない固定兵器
弩とは運用がまるで別
あと弩は曲射は無理
矢の重さが足りないから威力が出ない >>797
あと打ち下ろしも不向き
矢尻を抑えられる弓以外は下方向に射角が取れない 荒らしに構うやつもまた荒らし
ということで
今って天正19年だよね
ということは、千利休切腹イベントくるよね
センゴクでは竹に「猿すべり」の花を添えて贈ったりしてるし
激怒フラグは立ってるよな 利休が弩の矢先を自分の口にくわえて
足の指で引き金弾いて自害だったら弩厨大勝利だな
センセイならやってくれるはず >>804
その通りだが?
センゴクにあった隠し銃座はその為のものよ?
ただし火縄銃は射程が長いため接近される前の射角が浅い段階から狙撃ができる 神功皇后から刀伊の入寇までは使ってたみたいだし
戦闘員が全員弓の熟練者ならいらんって判断なんでしょ
足軽使いだした太田道灌から種子島まで50年くらいだし復権の時間もなかった この後のセンゴクは
・秀康への改名
・京に滞在
・伏見城で石川五右衛門捕縛
・盛長への改名
・小諸城改修
京での滞在で1巻作れそうだな
というかどういう経緯で五右衛門捕縛に至ったのやら
偶然居合わせただけなのか、それとも自分から首突っ込んでいったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています