ゆうきまさみ総合36【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合35【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合34【新九郎 奔る!】
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■>>1の本文一行目に「!extend:on:vvvvv:1000:512」
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 調教が完全に施されてる現代の馬でも
日本の馬は「この馬は暴れて後ろを蹴ります」の警告印である赤い布を尻尾に付けてる馬が多い
海外の馬は日本に比べたら相当少ないらしく、武豊が不思議がってた 弩は、普通に弓矢を練習した方が威力も強く射程も長いので廃れた
和弓は長弓と比べても遜色ないか勝ってるくらい最強の弓なので仕方ない
他の国みたいな弓しかなかったら流行ってたかもしれない 「いしゆみ」って訓読みがあるわけで、相当古い時代に入ってきたことが察せられる >>304
Wikipediaで見ると弥生時代の遺跡で発掘例があるらしいし、古代はそれなりに使われてたらしいね。武士が和弓を使い始めてから廃れていったとか何とか。 銃があっという間に普及したことから考えても
弩が普及しなかったのは武士の誇りだの矜持だのの問題ではなく
メンテだとか威力だとか実用的な話だと思うね 元々中国で使用していたので字があることに不思議はない >>307
実際長弓部隊であるイングランドのロングボウ部隊が
凸凹地形活かしてクレシーの戦いで
ジェノヴァのクロスボウ部隊ボコボコにしてるな
高低差のある地域では使いづらいのかもね 人間様の去勢も清朝ですら7割前後だからガチャとしてはキッツい >>309
弩って矢をつがえるのに手間と時間がかかるんじゃなかったっけ?速射性能に劣るから日清戦争時の黄海海戦での清海軍みたいに一方的にボコられたのでは。 >>308
もとになった中国語にたいして対応する倭語がないものは音読みオンリー、対応する倭語があるのは漢字の定着以前に使われてたことがある言葉ってことだろ
弩は、倭語いしゆみ がある、使われてた時代があるってこと 弩のメリットって初速が早いので
近くで撃てばフルプレートアーマーでも簡単に貫通するくらいだよな
威力は鉄砲に劣り、射程距離や速射性は弓矢に劣り、コスパは投石に劣る 実写化予定の某金塊争奪マンガにアイヌの罠猟に弩を使用した物が有るから
大和朝廷の蝦夷討伐軍から鹵獲した物が伝わったと想像したなあ。
大軍を組織したい時には弓より弩の方が短期間で実戦投入できるメリットが有る。
源平時代で廃れたのは日本武器史の謎だ。 >>314 補足
弓兵より弩兵が短期間で訓練出来ると言う意味ね。 源平の頃なら訓練期間は問題にならないし
鉄砲は足軽がいたから別問題 火縄銃が日本に来た時に同時にクロスボウも来てるんだぞ
当然定着しなかったけど 弩の弱点って、デカくて重いから持ち運びしにくいことでは
日本の道って車をつかいやすい設計ではなかったし 弩って大陸みたく交通インフラ(道路や大運河など)が整ってなおかつ大量動員するのが前提だと思うわ
日本ではメンテの難しさもあるけど大量動員する戦争がないってのも大きい 弓兵育てるの大変らしいから
作中でも暇ありゃ練習してるもんな 漫画の三国志で後半に孔明が使ってた連弩とかを想像してそうw
弩って普通に劣化版クロスボウだぞ >>320
ゲームやアニメでは何故か女子供の武器とされてるけど
リアルでは洋の東西を問わず、腕力自慢の男の中の男の武器だからな
武家の事を弓矢の家と呼ぶくらい >>322
そもそも、元々の武士のメイン兵装が弓で、騎馬弓兵なんだよな
刀はサブでメインは弓
んで、日常的に訓練してるわけだ 軍防令に書かれている通り、弓は兵士が自弁する(つまり各家に一つある)ものに対し
弩は軍団に配置するものだぞ。軍団が廃止されれば弓しか残らないのは当然だが だからこそ、女子供が重装騎士を簡単に屠れる銃が脅威。
フス戦争とか。 「真似をしてはいけない」
ゆうき先生が作中で使うに清浄歓喜団を1個 >>327
ぎゅうぎゅうの口の感の狂った短気のデブがけつようぴに遊びに出んとアフリカのスーダンにこられペットにヒナをもらった >>326
簡単にって?
まだ銃として完成してないじゃん
引き金もなけりゃ螺旋ネジ細工もない
銃モドキの棒だし
たまに当たって戦果が多少あっただけ
戦いは旧教徒の圧勝 乙女戦争って漫画で見た>銃もどきの棒
作中では「笛」と呼ばれてたっけ
もののけ姫で唐傘衆が使ってた石火矢はあれがモデルかな こういう話題が続いても文句言わないのに
競馬の話がちょっと出ると親の仇みたいに激昂する奴って
シカトが一番いいのかな 単純に書いてる内容がつまらんからじゃね。知らんけど スレ違いの話題注意するのはわかる
今だってそうなってるというのもわかる
ならこの辺にしておけというのならまだしも
だったら別ジャンルのスレ違い今後は堂々としてやろうというのはどうかと思うぞ >>264
氏綱が元服したら仮名は譲ることになるんじゃないか 「これはツッコまれなかったからOK、だから今後は俺に文句言うなよ」
ド平日の話題をひとつまみしてこの言い草
まかり通ると思ってんのか 暇じゃないのだとしたらこんなとこ見てる場合じゃねえだろ こんなニュースがあったけど、宗全入道のご子孫っていらっしゃるのかしら・・
>世界遺産で臨済宗妙心寺派の龍安(りょうあん)寺(京都市右京区)で、新たなふすま絵が公開されている。
>作者は元首相の細川護熙さん(84)。名だたる画家が描いてきた水墨による雲龍図に挑み、32面を奉納した。
>細川さんは政界龍安寺は室町時代の守護大名細川勝元(1430〜73)が創建し、細川さんにもゆかりがある。
>本堂のふすま絵は1950年代に皐月(さつき)鶴翁が描いたものだが傷んでいたため、勝元の550年忌に合わせて細川さんが奉納することになったという。 肥後細川は別に勝元さんの子孫じゃないし
というか聡明ちゃんの性癖のせいで勝元さんの子孫って誰も残っていないのでは? >>346
南北朝時代の細川頼春から枝分かれして、
頼之の系統が、京兆家、
頼有の系統が、細川忠興や元総理の家みたいね。 ウィキぐぐって初めて知ったんだが、勝元には娘(聡明丸の姉ちゃん)がいたんだな。
「鬼瓦」の異名をとる不美人で、赤松家に後妻に入って実権を握り、
女戦国大名として家中を支配したとか何とか。 >>346
弥次郎に叱られるぞ
別に無関係というわけでもないんだし先祖と言ってるわけでもないんだから野暮なこと言うな 京兆家は阿波守護家から政元の養子になった澄元の系統が江戸時代に陸奥三春藩の家老になって維新まで続いてる
ウィキペディアの記事だと明治期の当主は教師や警官してたそうだけど、今でも続いているのかどうか
肥後細川家は細川幽斎の出自がごちゃごちゃしていて細川氏と繋がってないという説もあったりする
昭和の政治評論家細川隆元は「元」の字が付いてるけど、幽斎~細川忠興の肥後細川家系統で京兆家とは関係ないみたい >>348
吉川の嫁、秀吉の妹と並ぶ
三大好みが分かれるお顔の御方だぞ >>350
>「黒漆塗海有水干鞍( 銘 伊勢駿河守貞雅作)」(室町時代前期)
ぐぐったら出てきた。 細川隆元の甥が東京電機大学を卒業して
協栄産業株式会社に入社してSEになり
畠山の子孫の子と結婚したのは平成初期の話
国会のプールで泳いでいたとか嫌味な先輩だった
当時部下だったので披露宴招かれたが
上流階級って凄いなという感想 >>353
伊勢貞宗の孫(貞陸の子)に「貞雅」がいるけど、そちらは室町~戦国時代の人物なのその鞍の作者の「貞雅」とは別人みたいだな
「貞」がついてるけどから京都伊勢氏なんだろうけど分家が多いから全体像がよくわからん >>353
うわほんとだ
これ重要文化財になってるんだな 今川後継についての道灌との交渉の際に上杉政憲が他人顔でいるのが気になる >>346
いや性癖じゃないよ修験道のせい
他の宗教もそうだが修験道も女人禁制・女犯したら霊的パワーが落ちる!って感じだったからね
男とHすること自体は信玄や謙信や信長や政宗などもやってて当時の武将にとって珍しくもなかったが
彼らのうち政元のように女犯NGの宗教的縛りも厳守したのは謙信だけで
他の武将たちは男とも女ともヤッてた
政元(や謙信)は修験道にガチで女犯NGを厳守してたから
当時は硬派だという評判だったようだが
いくら硬派でも子供できないというのは欠点よね
そこは同じく宗教的理由で女犯NGだったのに破ってた寺社の坊さんみたいに融通きかさないとね >>354
武家の血筋の時点で上流階級っぽさはゼロだな
なんなんだろう、なんか公家より格が数段落ちる感じ 見てもいないのにゼロとか言い切っちゃう
いい大人が 我の(アナルの)機嫌を取れ
後々いい目を見させてやるぞ
と言ってるようにしか見えない >>352
あと有名なブスは松陰の妹か
孔明の奥さんも 孔明のヨメは変わり者みたいな描き方だったな。
どっかに「外国人の血を引いていて肌とか髪の色が違ってた」みたいなのもあった気が。 三国志は真っ赤な顔のヒゲモジャや
紫の髭の皇帝もいるくらいカラフルだから >>366
史書のキャラ付けやから
特に地味な奴はキャラが盛られる傾向
腕が長い(劉備や司馬炎や符堅や宇文泰)とか
声が豺狼(キングダムの政くんこと始皇帝)
太ももに黒子が72(漢の不良皇帝劉邦)
首か360度回る(しばちゅうさん)
デコが盛り上がってる(光武帝)
頭に角が生えて手に「王」と書かれてる(隋の文帝楊堅) フィクションの創作世界では美男子に描かれがちな義経が
実は出っ歯なブ男ってのは史実なんだっけ
鎌倉殿の義経はなんだか卑怯な性格とかなかなかイメージ合ってるように思えるが >>367
盛るというより貴相ってやつだね。劉備には腕の長さに加えて耳たぶにも特徴があったんだっけ。
>>368
とーちゃんが渋いイケメンでかーちゃんが絶世の美女だから息子も当然・・・・と言いたいところだけど実は・・・だっけ。でも浮名は流しまくっていたわけだからモテてはいたんだろうね。
イケメンとーちゃんきれいなかーちゃんといえば龍王丸はこれからどうなるのか・・・・ >>365
孔明のヨメも面白いけど、しばちゅうさんのヨメの方が好き。 >>371
しばちゅうさんは秀逸なギャグマンガだったな
曹操がチビを気にして1mくらいの冠被ったり曹丕がフルーツ大好きだったりと
ラストを嫁にいじめられてる司馬衷で締めたのもよかった 第十集の「とまーれー」のコマなんか
墨塗されてるか切り取られて捨てられたりして
競馬は親の仇だもんね >>360
元をたどれば清和源氏だから血統なら公家より上だぞ 源氏は、初代二代ぐらいまでは貴族だけど、それ以後も貴族を続けてるのはごく一部の例外だけだろ
大多数の源氏は貴族崩れ アバウトすぎんだろ
武家ではない公家の源氏だっている
そこは清和源氏の系統は、とか言っとけ 室町期に源姓の公家っているのかな
その頃だとさすがに苗字名乗ってそうな気がするが 姓と苗字は別だから
源姓の公家はいるだろ
パッと出てくるのはやっぱり北畠だが、それだと事実上武家じゃんと言われてもしかたないので
室町時点では分家してないけど岩倉具視の岩倉家あたりも源氏
本家は久我家 >>378
久我御前と言えば義経記での義経の北の方。 >>358
立場的に中立だけど個人としては小鹿寄りだからね 家紋が笹竜胆の我が家も公家源氏なのかしら(無い無い >>363
月刊少年マガジンでやってる「龍狼伝」の孔明嫁はインド系の無茶苦茶美人のだが・・・ >>362
10巻の聡明丸と対面したシーンで山名政豊(宗全の後継者)が登場してたが、
父親に似た髭面武骨武者っぽかったが、ウィキに義政の男色相手ってある……
>8代将軍足利義政の男色相手で信任は厚く、元服時に偏諱(「政」の字)を授かったほか、
>茶器「九十九髪茄子」を義政から譲り受けている。 >>387
それは異人で美人の基準が違うって解釈を採用してるヤツだな 近世中国人「足が小さければ美人」
現代一般人「足なんて見ねぇよ、顔胸ケツ」 >>381
昔の知識で小鹿範満って上杉政憲の孫じゃねと思ってたけど否定説が出てるのか 政憲の父上杉教朝が1408-1461だから
20で政憲できて20で娘できて15で嫁いですぐ新五郎さん産んだとしても63年か
もう少し詰めても義忠討ち死にの時に20前後にしかならんから確かに孫とするのはキツいね 間違ってはいないけど前(さき)の北条家か。いやうん間違ってはいないがなんか深みというかぬかるみにはまっていそうだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています