センゴク 宮下英樹 167番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-14巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと。
※前スレ
センゴク 宮下英樹 166番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1553248275/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 宗麟「意外って言われるくらいに忠臣に恵まれてるのは実はホワイトだからなのです。」 >>899
諏訪四郎の息子が嫌がるのも無理はないな
山県と馬場が死に際にお前が屋形だ!って言ってたけどちょっとイラッとしたわ 織田家は頑張ったら国持大名になれるんだからブラックじゃないぞ >>896
赤木、
お前とバスケやるの息苦しいよ・・・ 本能寺の変が無くて信長が存命してる時に権兵衛が戸次川やらかしてたらどうなってたんだろう… ゴンベのとこに集まってるので実際名前残ってるのって何人いるんだ ゴンベエが独立した指揮官として動くようになったのは、信長が死んでから
それまでは秀吉の与力、指揮下にはあるけど同時に監視役でもあったり
ゴンベは、秀吉が天下取りのために柴田勝家や徳川家康と戦っている間、充分とはいえない戦力でその背後を守った
負け戦込みでも、十万石に取り立てられたのは不思議じゃない
(漫画だと奉行衆が文句いってたが、史実だとそんなことはなかった気がする)
ただ、それだけに戸次川のやらかしが…敗戦だけなら兵家の常ってやつだが
職場放棄で九州からすら逃亡
秀吉に首切り(物理)されなかったのが、ホント不思議 実際山崎から賤ヶ岳まで後背を守った功績は
多大だよな >>879
作中は知らんが進めば極楽、退けば地獄と信者を煽ってるのはまるで現代のアレじゃないか >>904
島津さん信長には臣従の方向だったからまあ詮無い夢想
ただまあ、信長って敗けて逃げ帰ってきても案外それで即首ってないから挽回の機会もらえたんじゃね?
手取川の権六さんだって、あそこまで惨敗しておめおめと帰って、それでどんな罰があったかというと、勝つまで帰ってくるなと一番きっつい罰w
流石に敗軍おっぽって自分だけ帰ってきたらブチ切れるかもしれんけどw >>860
家康の抑えってあってないようなもんじゃん
あるとしたら、北では会津白河の上杉 西は織田秀信 石田三成 中仙道では真田昌幸
くらいか? 他はほとんど東軍で家康方だし >>915
位置的に、その面子に囲まれた時点で詰んでる上に初期東軍の全指揮系統が家康に統合された訳ではない件
…こんなんで生き残る家康は確かにすんごいな 上杉景勝が会津に移されたのは、秀吉の晩年だしな
…上杉家は、越後から追い出されることに凄い不満だったが
秀吉にそれをいったら、織田信雄の二の舞になるため
後に入ってくる堀家に嫌がらせしまくったんだよなぁ…w 信長の野望のどれだったか忘れたが
本能寺直後のシナリオだとゴンは羽柴家所属ではなく織田家所属になってる ヤンマガのハゲはカリスマな上に良くも悪くもは強すぎる 仙石秀久 統率44 武勇84 知略60 内政31 外政28
この漫画が終わってしまったらもっと下がるんだろうな 前田慶次がいまだに割とおかしなステ維持してるしセンゴク終わっても下方修正はないんじゃね 田中吉政、小一郎秀長、加藤清正、福島正則は百姓のガキだろ
明智光秀と荒木村重は浪人だし、石田三成は茶坊主、小西行長は薬屋のせがれ
黒田官兵衛は目薬屋のこせがれでしょ。 セニョーレスさんの愛妾を強奪した、志賀親度とかもいたな
大友に風紀なし! 堀尾吉晴 浜松12万石
中村一氏 駿府14万石
山内一豊 掛川5万1000石 >>922
統率と知略逆じゃね?
イメージとしては
まぁでもこうやってレッテル張られちゃうのも大変だね
ゲームの設定上、数値に差をつけなきゃならんのは仕方ないけどさ 石高制と貫高制の両方あるからちと面倒だよね
センゴクの時代は本来なら貫高制なんだけど便宜上石高制 湯川さんのステも気になる
信長の野望だと酷いステしてるし 柿崎景家の政治力が革新あたりから60超えてて
最新作では謙信や景勝の知略が80未満なのに景家は80超えてるんだな >>932
元首相との対談きっかけで開示された文書で
明智を手伝った細川の与力として手柄を立てた論功行賞があったから、本能寺以前の領地はもうちょいあったっぽい 信長は貫高制だけど秀吉は石高制だろ
より現実に即した柔軟な対応だと思うけど。 センゴク謙信はあれステータスとかで計れるのか怪しいわ 貫高制の基本単位は永楽通宝だったと思うけど織豊時代に
経済規模が急拡大したせいで銭の絶対量が丸っきり足りなくなったんだよね。
後の世に徳川家康が寛永通宝を鋳造し問題は解決されたんだけど
秀吉は弥縫策としてとりま米を銭の代わりにカウントする石高制に移行し
当座をしのいだ。 明を征服したら莫大な明銭を持ち帰る予定で
十分な銭が国内に流通したら再度貫高制に戻したかもね。 ウィキったらこうだとさ
1560年代に明が本格的な倭寇取り締まりなどを行うと
中国からの銭の流入が途絶えたことにより銭不足に陥り、
畿内では1560年代に貨幣経済から米経済、
1570年代に米経済から銀経済への急激な転換が起こった 西国と東国では全然異なってたんだね
関東ではなぜか石高制にならず明銭による貨幣経済が軸になってた。
倭寇取り締まりで西日本から銭が消えたのに関東で残ったのは謎とされており
おそらくは秩父とか足尾から銅を産出して私鋳銭(明銭に似せて作った)を流通
させたものだろうと考えられる。
家康は石高制をそのまま残し西国では銀経済、東国では金経済とし
徴税の仕方も各地方の習慣を割とそのまま残した。 ちなみに織田信長と仙石秀久の旗印は永楽通宝となっており
秀久が信長から拝領した家紋と伝えられてるんだってさ。
なので現在も信州上田城の鬼瓦には永楽通宝紋が入っている 実はその永楽通宝6個並べられてない?いや冗談だけど
上田はずっと真田推しみたいだけどさすがにお城の飾り変えるようなことはしないんだな たまにこのスレで話題になる西股氏の本を読んでたら、
築城名人とかいうのはあまり意味がない。要するに戦が上手い武将は築城も上手いというだけ、なんてぶっちゃけてたが
秀吉大坂城は官兵衛が縄張りしたらしいな
ゴンベが縄張りまでやった城というと… >>944
足利義満以来の室町幕府の大陸政策を批判してきた関東武者が明銭取り引きを続けて
畿内武士たちが銀から米と決済方式を変えていたとか皮肉すぐる 西股「戦が上手い武将は築城も上手いだけ」
伊藤盛景「せやな」 藤堂高虎「指失くなったり、太股刺されたり、関ヶ原と大阪で重臣死にまくってるんですがそれは…」 >>915
真田は実は豊臣政権臣従後は徳川の寄騎大名
なのに息子うっちゃらかして西軍についちゃうんだからあのおっさんマジキチw 九鬼も親子で別れたし、どちらが勝ってもお家存続できるように別れたんでしょ 真田は豊臣が続いてたら兄弟で普通に分家してた感じだしw
弟のほうが中央のコネがあるから出世したかもしれない >>956
戦が上手いと無傷でいられると思ってるタイプ? >>960
それって、江戸時代の講談師が考えた浅はかな戦国の知恵だろ
普通に愚策
結果が分かってるならなんとでも言えるけどね どうして真田を徳川につけたんだろ
獅子身中の虫?
さっそく兄ちゃん縁戚にされて譜代に準じる扱いになってるし
譜代といえば縁戚とか関係なく譜代扱いされたゴンベ >>964
そらま地理的に見て順当でなんの不思議もなかろ
逆にあのへんの小名傘下に付けないなら、おめぇ疑ってんのか猿コラってなるわ
不思議なのは、息子も渡世の義理も放り投げて博打に血道を上げる表裏比興の人の人間性でw 蒲生ニキ「防御に強い城だけ考えて設計する戦バカは名人じゃない。日常の居住性や使い勝手と両立できる縄張りできる知性がないとね」 豊臣政権は、有力な大大名の支援がないと成立しない政権だったんだろう
政権を支えるべき秀吉の親族の家は、秀吉自身が潰してるし
武功派と吏僚派のめんどくさい対立もうまれていた
朝鮮出兵の頃、それまで毛利輝元らの下におかれていた前田利家が、石高では同等に加増され、官位で飛び越えるようになったのは
まだ、尾張からの馴染みの前田家なら頼みになるかも、と考えたからじゃなかろうか >>969
中華なら簒奪待ったなしのコースやから……
豊臣政権って秀吉個人の権力は異様に強いのにそれを支える藩屏は異様に弱いって言う政権。
中華で言うと曹魏(外戚と宦官の政治任用禁止縛り)みたいな感じ 秀長の家潰したのはもったいなかったかな
でも後年の耄碌ぶり考えると誰が後継いでも因縁つけられたかも
大坂の隣に百万石だもんね >>971
耄碌って言っても、あの多忙なスケジュールをこなす超人な訳だが…
正直、俺たちが束になっても耄碌しても秀吉には勝てまいよ 麒麟も老いては駑馬にも劣る、という
引き際を悟れなかった英雄達のあるある 有能が耄碌したら悲惨だよな
普段から政治なんていいから蹴鞠しようぜってタイプなら耄碌しても大丈夫なのに 宮崎市定先生の説に従うなら「独裁君主の寿命はせいぜい20年。それ以降は名宰相や名臣に支えられるだけ」なので若い頃から働き詰めのトーキチにガタがくるのは必然と言うか むしろ能力の衰えの方はそこまでじゃないのが悲惨なんだよなあ
昔は任せてた部分まで疑心暗鬼になって他人に頼れなくなる悪循環 >>973
引きたくても息子ショタじゃん(´;ω;`)ブワッ >>969
身内全部潰していって気がついたら外様だらけで焦ったんだと思う
前田利家自体は創作物にあるような親友とはいかなくても
清須時代からの付き合いがあるのは事実で相対的には信頼も置いていただろうし豊臣政権内で織田閥の長の利家に伯付して秀長的立ち位置に据えたんだろうけど
そもそも利家自体が病気による体調不良で隠居してたのを五大老五奉行制度の制定とともに無理矢理引っ張り出してきたあたり
晩年の秀吉は何かもう色々焦ってたと思う >>975
概ね同意だが、その理屈だと初めからボケぎみだった万暦帝はどないなるんや? >>980
名宰相の補佐を受けていた幼少期は、凄まじく良かった
親政をはじめたらアレ、というタイプだからなぁ
なお、その万暦帝の数少ない功績に、医学書(本草綱目)を認めて大々的に出版させた、というものがある
これが後に家康の手に渡り、日本の本草学に大きな影響を与えるんだから
縁ってのはホントわからんもんだな >>981
まあ信長や秀吉みたいな夷狄来てくれたら、人民に必要されるかもと思いきや、開戦早々後宮に幽閉しといて愚帝扱いとかキレてよいな >>964
脇坂 仙石 真田 などなど 勝手に譜代になったとことかあるよな
小笠原もなんとなく 願譜代(ねがいふだい)は、江戸時代に外様大名のうちで願い出て譜代大名の扱いとなった者をいう。
主に譜代大名の血筋の者が外様大名の家を継ぎ、幕閣において長年の功績を立てるなどした場合、
もしくは外様大名が幕政に参画しようとして譜代への格上げを望んだ時[1]にこの扱いとなった。
願い譜代とも記され、譜代格、御譜代に準ずる大名という場合もある。
後世には準(准)譜代大名の呼称も使用されるが[2]、歴史学的な用語である
こういうの ぼけてるのに身体は元気で、自分はまだまだ大丈夫と思ってる高齢者が一番たち悪いよな。池袋爆走も車のせいにしてるし。秀吉もそろそろ失禁する頃か >>989
臭水なる燃ゆる水がはいっておりもうす→ウィスキーでも飲んでんのか?と思ってたら
あのシーンガソリン飲んでたのかなwそれとも越後ジョークなのか >>991
臭水で思い出したが
本願寺軍随一の嫌われもの七里頼周のド腐れはどないなったんだ >>994
こうしてでかい画像で見てると、無印1巻のころからそんなに絵上達してるわけじゃないんだなw 確かに>>997様は癇癪であられた
しかし御自ら泥まみれでスレ立てし、誘導が的確であった故にスレ民は乙したのです レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。