ベジ批判者 「植物だって生きてる」 ← [無断転載禁止]©2ch.net
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アスペなの?
動物と植物本当に同じだとおもってるんかいw >>154
> 種差別撤廃主張とは、キミがどう思おうが「そうしなければならない」という絶対善の基準を決めてる者が居る、という事だよ?
>「それ以前の問題として」科学的に誤った主張が前提されていると言ってるだけ
>俺はそんな否定をしようとしてるんじゃなくて、前件「苦痛を感じるならば」が後件「食べてはならない」を導出する条件として虚偽であろう、と指摘してる
誤ってると言ってるのはキミ一人だよ
少なくとも形而下では、動物にはヒトと同様の苦痛が有る事は事実であって、それを植物のそれと線引きできないと云うのならば、キミ以外の人間の苦痛も事実有るとは云い得ない
形而上のハナシは勿論する意味が無いし、それについて来る事も出来ないだろう
>俺は俺以外の枠組みの倫理規範を否定するつもりはないが、虚偽が織り込まれていることについて指摘してる
「植物も生きている」以外の事ならば、キミが虚偽だと信じ込んでるだけだね
最後の段落はキミ自身何を書いてるか意味が分ってないよね
規範、というのは「倫理」の別名であって、何度も言うけど「普遍的正邪の判断基準」なので、恣意の入り込む余地は無い
苦痛を基準とするのに反対ならば、社会による選好選択などという誤魔化しでなく、重度障害者も含めて一括で説明できる基準を示さなければ無意味
キミの話は何処まで言っても否定の為の否定、食い下がりの為の言い訳だけだな >>156
>どんな倫理規範を採用するかは恣意性の問題だから否定しないが
>提示された規範の真偽について述べることはそれと別の話な
これも同じ
「規範」「倫理」を辞書で調べて御覧?
キミが規範の真偽を問いたいならば、苦痛という基準を否定出来なければならないが、或る時は「ヒトの苦痛の枠組みと動物のそれは違う」と云い、
別の時には「苦痛は基準としない」と云い、重度障害者の食用には「社会によって変わる」と云う・・・一貫性がなさ過ぎて話す意味が無い
>拘ってるというか[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件とするとどうなるかって話をしただけだな
>>>153-154に書いたように
>[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件とするとどうなるかって話をしただけで、俺がそれを線引きの条件としてるという話ではないが、やはり誤解があったみたいだね
嘘を吐くな
ならば何故「ヒトにだけ有る、苦痛の概念」を延々もち出すのか?その説明は?
拘ってないのならば、何故動物にはそれが無い、連続性が無い か も し れ な い と食い下がったのか?説明して御覧な? >>157
風呂に入るが、その間↓に答えてもらいたい
> 後半、意味が不明な文章だな
>意味不明なのは俺が[「苦痛という概念」の有無を線引きの条件とする人]であると誤解してるからじゃないか?
それが私の勘違いならば、そう云ってる別の人のIDとレス番を示せるかな?
今日はキミ一人を相手に話してる積りなんだけど・・・? >>158
> ヒュームの規範論理は関係無い、と説明したはずだね
自然主義的誤謬の話ではないが
> 価値観によっては重度障害者を食ってもよい、とするならば、当然それは「普遍的な正邪判断」の基準たる倫理ではないので尚更ヒュームは援用できない
つまり倫理について非認知主義の立場を認めないという意味でいい?
> 「倫理」の意味を理解しないままのキミがこのハナシをする意味が無い
誤謬の指摘をしないままレッテルを貼るのも勝手だし対話をやめたければ勝手にしたらいいが
それではそっちが着いてこられないだけにしか見えないな
> そうではない、という証明もまた不可能なので、キミはそれを否定する事も出来ない
だから俺は「連続してない、不連続である」と主張してないよ
「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」と言ってる
> キミは「苦痛という概念はヒトにだけ有り、動物には無い」と言ってる
そもそもこれを俺が持ち出したのは「苦痛という概念」の有無で動物と植物を分けることができるという>>76からの文脈であり、
「苦痛という概念」の有無で線引きするなら科学的には動物と植物は同じ側に来るという指摘に過ぎないことは説明済み
これに対して人にもそれが有ると言えないという反論があり、俺は(クオリアにかかわらず)「苦痛」という記号に対応する抽象概念が存在することは明らかだ、といったわけだ
これは全て「苦痛という概念」の有無で動物と植物を線引きできないことの説明のために用いられているのは明白だろ?
で、その説明に対して「人について再現性のある形で抽象概念を記号表現することは歴史的に膨大な検証があるが、動物については植物同様そうでない」と一般論を提示したのについて、
「人についても一部には例外がある」という稀有な反例の提示は無意味だろう
> 今更それは時分の線引きでは無い、と言ってもハナシにならないね
認めたくなかろうが文脈を追えば「苦痛という概念」の有無で動物と植物を線引きできないということの説明としての、[一般論として人間に「苦痛という概念」があるとして、動物にそれがあることは確認されてない]という提示であることは明らかだろ
> 「倫理」のハナシなので、キミ自身が食うかどうかの基準に関しては一切関係が無い
「 同時にこれは俺に限ったことではないと思うけどね 」と書いてるように、倫理というのはそういうものだ、と言ってる >>159
> 少なくとも形而下では、動物にはヒトと同様の苦痛が有る事は事実であって、それを植物のそれと線引きできないと云うのならば、キミ以外の人間の苦痛も事実有るとは云い得ない
> 形而上のハナシは勿論する意味が無いし、それについて来る事も出来ないだろう
形而上の話をしてもいいが、したくないならしなくてもいい
形而下では動物にヒトと同様の苦痛が有る事は想像の範囲でしかなく、他方で人間の苦痛も同じだが
決定的に違うのは
・「苦痛という記号を用いる人間は苦痛という記号に対応する概念を持っている」
かつ
・「その概念がある程度の差違の範囲に収まる程度には収斂していることが言語コミュニケーションの成立という歴史的に膨大な再現性のある検証から明らか」
という2点
この差違があるので、人間が苦痛という概念を持っているからといって動物が同様のものを有しているとはいえない
なぜなら、人間が苦痛という概念(苦痛という記号に対応する概念)を持っていることは、その抽象概念を対応させる記号表現をする再現性のある検証から確認しているが、
動物に同様の検証がされているという研究成果が無いからだ
動物が抽象概念としての苦痛を記号化して表現していることについて再現性のある検証がされた研究成果があるというならそれを教えてくれ
それがあればこの件については俺の主張を潔く引っ込めるよ
> 「植物も生きている」以外の事ならば、キミが虚偽だと信じ込んでるだけだね
「動物に人間同様に苦痛という概念が存在する」というのは科学的には未検証なんだから(上記の研究成果があるならその限りではないけど)、未検証なものを「ある」と主張するのは疑似科学、信仰の類いであって、科学的には虚偽だね
> 規範、というのは「倫理」の別名であって、何度も言うけど「普遍的正邪の判断基準」なので、恣意の入り込む余地は無い
メタ倫理学について勉強した方がいい
倫理について述べる立場は実在論者のものだけではない
> 苦痛を基準とするのに反対ならば、社会による選好選択などという誤魔化しでなく、重度障害者も含めて一括で説明できる基準を示さなければ無意味
これを誤魔化しというのは実在論者としてはそういうことになるのかもしれんが、倫理について議論するなら実在論だけが倫理について述べる立場ではないことは知っておいた方がいいと思うよ
> キミの話は何処まで言っても否定の為の否定、食い下がりの為の言い訳だけだな
これについても同じ >>162
春日部幸一、通名トリパンはレッテル貼りしてきたら終わりの合図だよ
あとはコピペ貼るだけで逃げるだけだから
駅弁大出身だから屁理屈は渡辺雅より上だが中身は渡辺雅と一緒
自己主張自慰行為 トリパン氏とは功利的な理由で人間とその他を区別するのが客観的な根拠になりうるか?
という点で意見が異なるってことが理解できるので主張としての筋は通ってると思う
もう一人の人は言ってる意味がわからない
> キミの話は何処まで言っても否定の為の否定、食い下がりの為の言い訳だけだな
俺もこんな感想 >>161への返答が無い以上、私は話し相手をカンチガイしてない、という前提でハナシを続けるよ
>>157
> キミが客観的な基準を示していない、というハナシをしてるんだよ?
>倫理規範は枠組みの恣意性で決まるといってるように客観的な基準で決まらないと考えてるからな 俺は倫理について実在論者じゃないといえばいいか?
>倫理規範は客観的な(枠組みを超えた)基準で定まるものでなく、個々の枠組みの恣意性で線引きされてるといってる
単にキミが「倫理」の意味を間違えてるだけ、だね。客観基準が無いなら、それ等は全て「独善」と呼ぶんだよ
恣意で倫理基準を決めて良いならば、それを守らないのも恣意で決めて良い事になる。ならばそれを規範としてハナシをする意味が無い。
>説明せよという根拠って何の根拠のこと?
>>152に書いてある「合理か不合理か?そこに重度障害者も纏めて線引きできる客観的な基準は何処に有る?」だよ。時間稼ぎに付き合せるな。
そしてキミの>>146は>>149で否定済み。枠組みがどうの、というのはキミ自身が意味を分らないまま使ってるので、私が納得するはずが無いよね。
そしてキミ自身が「苦痛の概念」を基準としてる以上、ヒトとの血縁が可能な動物存在によって、その概念共有連続性も否定不可能。
つまり自身が設定した線引き基準が動物を含めてしまうのを知って、慌てて枠組みなどと言い出したワケだね。ガバガバすぎる。
>君のいう(ヒトとそれ以外を線引きする条件についての)「徹底的なもの」を聞いてみてもいいがそれが恣意的でない、つまり枠組みを超えて普遍的であると言えることには期待はしてない
約束できるが、恣意まみれのキミとは違って一切の恣意性は無いよ?そこには「苦痛」も「生きてる」も無関係。
別スレに貼ってるから、読んで反論出来るなら試して御覧?キミには無理だけど。
今日云ったとおり、形而下のハナシならば、キミが言うキミ自身が理解してない枠組みには「神経等ヒトと共通システムを持った苦痛」を基準に動物/植物とするか、
「苦痛の概念」を基準として健常ヒト/重度障害者と動植物全て、という別け方しか出来ない。
キミがその有り様で言い逃れが出来てると本気で考えてはないだろうけど、単に自己都合に悪くなった主張をとり下げて誤魔化してるだけなのは知ってるよ。 >>162
> ヒュームの規範論理は関係無い、と説明したはずだね
>自然主義的誤謬の話ではないが
それをヒュームの法則、というんだよ?キミが言ってるのはムーア。
> 価値観によっては重度障害者を食ってもよい、とするならば、当然それは「普遍的な正邪判断」の基準たる倫理ではないので尚更ヒュームは援用できない
>つまり倫理について非認知主義の立場を認めないという意味でいい?
「価値観によって変わるガバガバな基準」は非認知主義とは云いません。
キミが理解してないのは「倫理の意味」から、だけど、形而下での線引き基準を伸び縮みさせていい、とするのは倫理に限らずどんな話でも同じだよ。
> 「倫理」の意味を理解しないままのキミがこのハナシをする意味が無い
>誤謬の指摘をしないままレッテルを貼るのも勝手だし対話をやめたければ勝手にしたらいいが それではそっちが着いてこられないだけにしか見えないな
散々指摘してるけど、キミがそれを認識できないだけ、だね。
「普遍的な正邪判断基準」が、重度障害者の場合は社会的理由で適用されなかったり、都合によってヒトとの血縁によって苦痛概念共通 し て な い 理由を説明できないまま、
「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、というのは誤謬が有るというレベルじゃなくって、単に破綻した論拠を提示して、その帳尻を合わせる能力も無い、という事だけどね。
> そうではない、という証明もまた不可能なので、キミはそれを否定する事も出来ない
>だから俺は「連続してない、不連続である」と主張してないよ 「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」と言ってる
ならば、「苦痛の概念」がキミの親に有って、キミには有る、という保証も無いワケです。親子でも「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」んだからねw
私が何故「血縁」と言ってるのか、その意味すら考えられないならば、中学生の愛護にバカにされ続けても、その理由すら分らないままだろうね。
> キミは「苦痛という概念はヒトにだけ有り、動物には無い」と言ってる
>そもそもこれを俺が持ち出したのは「苦痛という概念」の有無で動物と植物を分けることができるという>>76からの文脈であり、
>「苦痛という概念」の有無で線引きするなら科学的には動物と植物は同じ側に来るという指摘に過ぎないことは説明済み
「苦痛という概念」の連続性が「ヒトと動物の混血」によって証明されてしまってるから、動物がヒトと同じ側に来て、その生体システムが違う植物は線の向こうになる、という説明は済んでるよね?
キミがいつまで経ってもそれを理解できないのは私の責任ではないよ?
「動物には苦痛の概念が無い」という 科 学 的 な 証 明 、キミが示せたと言うのならば、そのレス番を示して御覧?単にキミがそう思い込んでるだけ、だからねw
> 今更それは時分の線引きでは無い、と言ってもハナシにならないね
>認めたくなかろうが文脈を追えば「苦痛という概念」の有無で動物と植物を線引きできないということの説明としての、[一般論として人間に「苦痛という概念」があるとして、動物にそれがあることは確認されてない]という提示であることは明らかだろ
動物にそれが無い、とキミが確認してないだけで、あとは「ヒトとの血縁」によってその連続性が担保されてる以上、ヒトと動物が苦痛概念を共有し、生体システムが違う植物とは共有していない、という事が明らかだね。
キミの文脈、というのは最初から破綻してる上に、線引き基準がコロコロ変わってガバガバなので、それが一般論となる事は有り得ないよ? >>162
> 「倫理」のハナシなので、キミ自身が食うかどうかの基準に関しては一切関係が無い
>「 同時にこれは俺に限ったことではないと思うけどね 」と書いてるように、倫理というのはそういうものだ、と言ってる
誰に 「 限 っ て も 」 私が言ってる通り、だよ?その者が食うかどうか?の基準は「倫理」とは云わない。
それは単に「キミの選好基準」でしかない。いつになったら辞書を引いて「倫理」の意味を調べるんだね?
>形而上の話をしてもいいが、したくないならしなくてもいい 形而下では動物にヒトと同様の苦痛が有る事は想像の範囲でしかなく、他方で人間の苦痛も同じだが
昼間も言ったが、形而上のハナシになれば、自分以外のヒトにすら苦痛が有るかどうかは確認出来ない。
そしてキミはその事すら理解してないので、形而上学的なハナシに着いて来れないのも判ってる。
そして「形而下」の意味が判ってれば、ヒト同様の生体システムを持つ動物に苦痛が有る事は想像ではなく 「 事 実 」 として扱わざるを得ず、
更に、そこに「他方で、人間の苦痛も同じだが」と繋いでるって事は、キミは形而下と形而上の違いと意味すら理解してない、という事まで明らかになったワケですw
>決定的に違うのは・「苦痛という記号を用いる人間は苦痛という記号に対応する概念を持っている」
違わない、と説明済み(形而下では、ねw)
>・「その概念がある程度の差違の範囲に収まる程度には収斂していることが言語コミュニケーションの成立という歴史的に膨大な再現性のある検証から明らか」という2点
ある程度、範囲、程度、膨大な…すべてキミの匙加減一つで伸び縮みする条件設定だよね。
「言語コミュニケーション」の段階で重度知的障害者や痴呆者・植物状態ヒトを切り捨ててるので、ド派手に一貫性が破綻してるよねw
動物が痛がってる様に見えるのを苦痛ではないとすれば、痛がるそぶりすら不明な上記一部ヒトは食用に殺して構わない筈だが、キミはその矛盾を「社会的な理由」でアジャストしようとするからガバガバでハナシにならない、と言ってます。
>この差違があるので、人間が苦痛という概念を持っているからといって動物が同様のものを有しているとはいえない
説明したとおり、それは差異ではない。単にキミの自己都合に合わせた言い訳です。
>動物が抽象概念としての苦痛を記号化して表現していることについて再現性のある検証がされた研究成果があるというならそれを教えてくれ それがあればこの件については俺の主張を潔く引っ込めるよ
それが線引き基準となる、という説明が全く為されていないので、その必要が無いね。
苦痛の有無は、形而下では神経等の生体システムの有無で判断されるだけ、だよ。記号化して表現しなければそれが存在しない、というのはキミの願望であって
「そこで線引きされなければならない客観的な根拠」が存在しない。記号化・表現、が必須である理由、キミには説明できないでしょ?
>「動物に人間同様に苦痛という概念が存在する」というのは科学的には未検証なんだから(上記の研究成果があるならその限りではないけど)、未検証なものを「ある」と主張するのは疑似科学、信仰の類いであって、科学的には虚偽だね
「苦痛」ならば、形而下では、人間同様に有る、というのが科学的事実だよ。それは生体システムの共通性・同一性で判ってる。キミが認めたくないだけだよw
「苦痛の 概 念 」でなければならない、というのもそれが必須である根拠は一切示せてないよね。そしてそれは一部ヒトでは確認されようが無い。だから「社会的な理由」で救済する必要が有るんだよね?w
> 規範、というのは「倫理」の別名であって、何度も言うけど「普遍的正邪の判断基準」なので、恣意の入り込む余地は無い
>メタ倫理学について勉強した方がいい 倫理について述べる立場は実在論者のものだけではない
メタ倫理・非実在論が共に 形 而 上 の議題だと、キミが勉強してくれたら、考えてもいいけど?w
倫理が伸び縮みする、というのはキミの都合でしかないし、キミが規範に関して何も知らないのを私は知ってるよ。 >>162
> 苦痛を基準とするのに反対ならば、社会による選好選択などという誤魔化しでなく、重度障害者も含めて一括で説明できる基準を示さなければ無意味
>これを誤魔化しというのは実在論者としてはそういうことになるのかもしれんが、倫理について議論するなら実在論だけが倫理について述べる立場ではないことは知っておいた方がいいと思うよ
形而下でのハナシしか出来ないキミが、その意味も分らないまま「伸び縮みする線引き基準」の言い訳に非実在論を援用する意味が不明なんだよね。
「苦痛の概念」は形而下の条件なので、そこに形而上的条件を加えられない、という事も分らないのだろうね。
それは言ってみれば、フィクション・ドキュメンタリーに実在しないスーパーヒーローを 実 在 し な い 者 の ま ま 、実在出演者と競演させる、という事だよ?意味解るかな?
> キミの話は何処まで言っても否定の為の否定、食い下がりの為の言い訳だけだな
>これについても同じ
私も、これについても同じw
形而下/形而上の事も含め、複数の次元の違う条件をごちゃ混ぜにしてしまう、その一貫性が無い事、は単にキミがモノを考える能力が無い事の表れなんだけど、
キミが種差別撤廃主張者の立場でその様な言い訳をされた場合を考えてご覧な?
「苦痛の概念」での線引きなら一部ヒトを切り捨てるか、動物も殺せなくなるか、のどちらかしか選べない。
ところがそれが不都合なキミは「苦痛の概念」を捨てないまま、社会による選好、や都合よく使える形而上の根拠を援用する、とw
第一、シンガーの種差別議論も、クオリア領域と独我論の違いすらも知らなかったキミが、メタ倫理の議論なんか解るワケないじゃない?
そんなんで延々自分を守ったところで、キミ自身が持論に納得いかないんだから、意味なんか無いじゃんw 書き間違えてたw
フィクション、ではなく「ノンフィクション」↓
それは言ってみれば、 ノ ン フィクション・ドキュメンタリーに実在しないスーパーヒーローを 実 在 し な い 者 の ま ま 、実在出演者と競演させる、という事だよ?意味解るかな?
明日もガバガバの言い逃れを続けたいなら、なんぼでも構ってあげられるよ?
「形而上学的な枠組み」を、独我論すら知らない馬鹿がどう表現するのか見てみたいからw
別スレに貼ってる「種差別しなければ成らない理由」にも反論出来ると思うならやってご覧な?
形 而 上 でもムリだと思うけど^^ >>116
オカルトな考えになっちゃうけど植物の中でも特にサボテンには神秘的なイメージもってるよ
南米のシャーマニズムの儀式で幻覚性のサボテンを食べるんだけど
心身が不浄なままだとサボテンの精霊に嫌われて悪い飛び方をする
心身をちゃんと清めて(断食とか)精霊に気に入られると神秘的な体験をすることができるそうだ
ひょっとしたら君のサボテンにも精霊がいるかもよ? >>167
>それが私の勘違いならば、そう云ってる別の人のIDとレス番を示せるかな?
別の人じゃなく藁人形じゃないか、と言ってるんだよ
> 単にキミが「倫理」の意味を間違えてるだけ、だね。客観基準が無いなら、それ等は全て「独善」と呼ぶんだよ
メタ倫を勉強したことはあるか?
> 恣意で倫理基準を決めて良いならば、それを守らないのも恣意で決めて良い事になる。ならばそれを規範としてハナシをする意味が無い。
同上
> >>152に書いてある「合理か不合理か?そこに重度障害者も纏めて線引きできる客観的な基準は何処に有る?」だよ。時間稼ぎに付き合せるな。
倫理は恣意的に決まるから必ずしも客観的な基準を必要としない、と言ってる
枠組み相対主義は理解できてるか?
実在論以外の立場から倫理を学んだことはあるか?
> そしてキミの>>146は>>149で否定済み。枠組みがどうの、というのはキミ自身が意味を分らないまま使ってるので、私が納得するはずが無いよね。
>>149で何も否定できてないことは既に言っている
君が納得しないのは君の問題じゃないか?
> そしてキミ自身が「苦痛の概念」を基準としてる以上、ヒトとの血縁が可能な動物存在によって、その概念共有連続性も否定不可能。
「苦痛の概念」の連続性と血縁の連続性因果関係は?
> つまり自身が設定した線引き基準が動物を含めてしまうのを知って、慌てて枠組みなどと言い出したワケだね。ガバガバすぎる。
あらためていうけど、[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件にする、というのは俺のアイデアじゃない
俺はそれを条件として採用するとした場合にどうなるかを示しただけで、俺自身がそれを採用してる訳でもない
事実根拠を離れて勝手な憶測をするのは中身のないレッテルを貼ってるだけだと知った方がいい
> 約束できるが、恣意まみれのキミとは違って一切の恣意性は無いよ?そこには「苦痛」も「生きてる」も無関係。
その約束がアテにならないという話だよ
まあ自信あるならだしてみれば?って程度
> 今日云ったとおり、形而下のハナシならば、キミが言うキミ自身が理解してない枠組みには「神経等ヒトと共通システムを持った苦痛」を基準に動物/植物とするか、
> 「苦痛の概念」を基準として健常ヒト/重度障害者と動植物全て、という別け方しか出来ない。
前者については「神経等の共通のシステムを持つから共通の(人間同様の範囲に収斂するんだような)「苦痛の概念」を持つ」といえなければ不成立で、
後者についてはその通りで、「苦痛の概念」を基準にある種の非健常者と動物をこの観点から区別することは不成立、といってる
つまり〈[「苦痛の概念」の有無]という条件で線引きをしてるとすると不整合だ〉と俺が言ってるのは明白だと思うが?
> キミがその有り様で言い逃れが出来てると本気で考えてはないだろうけど、単に自己都合に悪くなった主張をとり下げて誤魔化してるだけなのは知ってるよ。
こういうレッテルを貼らなければ噛み付き損になってしまう、というような下らない理由で藁人形をこさえてるなら話にならない
どうであれ、こちらの説明した発言意図と実際の発言に不整合があるなら指摘をしてくれれば済む話だし、
それがないならこちらの意図を曲解した藁人形遊びでしかない >>168
> それをヒュームの法則、というんだよ?キミが言ってるのはムーア。
逆だね
自然主義的誤謬というのはムーアの概念
俺が言ってるのはヒュームのギロチン
混同されやすいが別のお話
> 「価値観によって変わるガバガバな基準」は非認知主義とは云いません。
「価値観によって変わるガバガバな基準」の意味がわからないが、ひょっとして認知主義反実在論と非認知主義を混同してないか?それぞれどういうものと理解してるのか確認のために聞いてみるわ
説明してみてくれ
> 散々指摘してるけど、キミがそれを認識できないだけ、だね。
上記の質問に答えてみてくれ
> 「普遍的な正邪判断基準」が、重度障害者の場合は社会的理由で適用されなかったり、都合によってヒトとの血縁によって苦痛概念共通 し て な い 理由を説明できないまま、
そうなってしまうのは[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件にした場合の話だろ?
それを俺の主張かのように扱われても藁人形ですわ
> 「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、というのは誤謬が有るというレベルじゃなくって、単に破綻した論拠を提示して、その帳尻を合わせる能力も無い、という事だけどね。
「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、ではなくて 「ヒト以外は苦痛の概念があるという検証がない」といってる
科学は苦手か?
> ならば、「苦痛の概念」がキミの親に有って、キミには有る、という保証も無いワケです。親子でも「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」んだからねw
そうだよ?
「苦痛の概念」を血縁に紐付けてるのは俺ではないじゃん
俺は「苦痛の概念」はそれを意味する記号表現を用いること(さらに、それが偶然でなく再現性あること)で確認できると考えるし、
線引きの話はそれとはさらに別の話で、線引きは[「苦痛の概念」の有無]によって為されるのでもなく、個別の枠組みの恣意性で決まると言ってる >>168
> 私が何故「血縁」と言ってるのか、その意味すら考えられないならば、中学生の愛護にバカにされ続けても、その理由すら分らないままだろうね。
だからこういうレッテルはいいから「血縁があるならば同様の概念が必然的に存在する」ことの説明をしてくれよ
> 「苦痛という概念」の連続性が「ヒトと動物の混血」によって証明されてしまってるから、動物がヒトと同じ側に来て、その生体システムが違う植物は線の向こうになる、という説明は済んでるよね?
「苦痛という概念」の連続性が「ヒトと動物の混血」によって証明されてるってのを教えてくれよ
類推でなく証明な?
> 「動物には苦痛の概念が無い」という 科 学 的 な 証 明 、キミが示せたと言うのならば、そのレス番を示して御覧?単にキミがそう思い込んでるだけ、だからねw
藁人形だな
こっちは「動物には苦痛の概念が無い」と言っていない
「動物には苦痛の概念が"あるといえない"」と言ってる
幼稚なすり替えはやめよう
> 動物にそれが無い、とキミが確認してないだけで、
だから動物に人間同様に苦痛という抽象概念があることの研究成果があるなら教えてくれ、と言ってる
あると想像されるのではなく、例えば人間においては「苦痛」という記号を用いるというような事実根拠が人間以外の動物にも再現性をもって確認されるとか、そういう研究成果があるなら教えてくれ
> キミの文脈、というのは最初から破綻してる上に、線引き基準がコロコロ変わってガバガバなので、それが一般論となる事は有り得ないよ?
俺は線引きの条件は恣意性で決まると一貫してるよ
「生きてる」も「苦痛という概念」も動物と植物を線引きする条件にはなってない、といってるだけで
「生きてる」「苦痛という概念」を俺が線引きの条件にしてるというのは完全な誤読 >>169
> それは単に「キミの選好基準」でしかない。いつになったら辞書を引いて「倫理」の意味を調べるんだね?
倫理について実在論者の立場だけしか認めないということかな?
> 昼間も言ったが、形而上のハナシになれば、自分以外のヒトにすら苦痛が有るかどうかは確認出来ない。
> そしてキミはその事すら理解してないので、形而上学的なハナシに着いて来れないのも判ってる。
ははは
形而上の話をしてもいいが、形而上の話をしたくなければそれでもいい、と言ってる
形而上の話をしたくないことについてそれ以上のレッテル貼りは別に要らないよ
> そして「形而下」の意味が判ってれば、ヒト同様の生体システムを持つ動物に苦痛が有る事は想像ではなく 「 事 実 」 として扱わざるを得ず、
違うね
「あり得る」ではあるが「ある」ではない
ゆえに
> 更に、そこに「他方で、人間の苦痛も同じだが」と繋いでるって事は、キミは形而下と形而上の違いと意味すら理解してない、という事まで明らかになったワケですw
これは誤り
形而下の事柄について、ある「推論」を「事実」であるとする根拠を何に求めるか聞いてみよう
> 「言語コミュニケーション」の段階で重度知的障害者や痴呆者・植物状態ヒトを切り捨ててるので、ド派手に一貫性が破綻してるよねw
破綻してないよ?
[「苦痛という概念」を線引きの条件にするならば、それらの人は線引きのあっち側に行く]となってしまうことは、別にその線引き条件を主張してるのでない俺の主張の一貫性と何らの関係もない
それは[「苦痛という概念」の有無を線引きの条件にする人]に教えてあげたらいい話で俺には直接の関係はない
> 動物が痛がってる様に見えるのを苦痛ではないとすれば、痛がるそぶりすら不明な上記一部ヒトは食用に殺して構わない筈だが、キミはその矛盾を「社会的な理由」でアジャストしようとするからガバガバでハナシにならない、と言ってます。
俺は「苦痛という概念」を基準にしてないかガバガバというのは藁人形だね
俺は恣意性で決まるという立場だからね
> 説明したとおり、それは差異ではない。単にキミの自己都合に合わせた言い訳です。
ん?指摘した差違が存在しないというなら、こちらの差違の提示についての主張の誤謬を指摘してくれよ
「認めない」では説明にならない >>169
> それが線引き基準となる、という説明が全く為されていないので、その必要が無いね。
俺はそれを線引き基準としてないから線引き基準となる理由を説明する必要はないが、
君が「動物が抽象概念としての苦痛を記号化して表現していることについて再現性のある検証」を提示できないなら
つまり人間と人間以外についてその点で差違があることを君が否定できないなら
「人間に苦痛という概念があるとしても、人間以外の動物に同様の概念があるといえない」は覆らない
人間についてはこの方法で「苦痛という概念(苦痛という記号に対応する概念)」があることは言えるが、この方法では人間以外にそれがあることは言えないってこと
他の方法で「苦痛という概念」の存在を証明したければ好きにしたらいいけど、今のところそれも成功してないね
>苦痛の有無は、形而下では神経等の生体システムの有無で判断されるだけ、だよ。記号化して表現しなければそれが存在しない、というのはキミの願望であって
生体システムの有無と概念の有無の因果関係は証明されてないはずで、つまり類推に過ぎない
因果関係を証明したソースがあれば教えてくれよ
> 「そこで線引きされなければならない客観的な根拠」が存在しない。記号化・表現、が必須である理由、キミには説明できないでしょ?
だって「苦痛という概念」を線引き条件にしてるのは俺じゃないからね
俺が説明できるなら、俺はその線引き条件を採用してるかもしれないが、今のところ俺の立場とは関係ないもん
単に「苦痛という概念」が、その抽象概念を記号化している者には存在するといえても、そうでない者にはその限りでない、と言ってるだけ
> 「苦痛」ならば、形而下では、人間同様に有る、というのが科学的事実だよ。それは生体システムの共通性・同一性で判ってる。キミが認めたくないだけだよw
痛覚という命名の問題でなく、「苦痛という概念」が人間以外の動物に再現性のある形で検証された、という事実を知ってるなら詳細を教えてくれ
> 「苦痛の 概 念 」でなければならない、というのもそれが必須である根拠は一切示せてないよね。そしてそれは一部ヒトでは確認されようが無い。だから「社会的な理由」で救済する必要が有るんだよね?w
人間と動物の線引きに必須と言ってるのでなく、動物と植物の線引き条件にならない、と言ってる
動物にも植物にも「苦痛という概念」は共に未検証だ、ということ、つまり「苦痛という概念」は動物と植物を区別する条件にならない、と言ってる
人間の中に「苦痛という概念」が検証できない者がいようがいまいが、それは[苦痛という概念を持つ人/動物・植物]であるか[苦痛という概念を持つ人/持たない人・動物・植物]の違いでしかなく、
いずれにせよ動物と植物はラインの同じ側に来ることに変わりないだろ
> メタ倫理・非実在論が共に 形 而 上 の議題だと、キミが勉強してくれたら、考えてもいいけど?w
倫理を議論したいなら形而上の話になる
形而下の事柄についていえば動物と植物を区別するのに「生きてる」とか[「苦痛という概念」の有無]は役に立たない
そう言ってる
倫理は形而上のもので、だからこそ形而下の事柄から導けず、相対主義的には恣意的だと考えるしかないって話になるんだがね
無論、普遍主義的立場の人にはそうじゃないだろうが、今時普遍主義者ってのもハタから見れば相対主義的なバリエーションでしかないと見られてる >>170
> 形而下でのハナシしか出来ないキミが、その意味も分らないまま「伸び縮みする線引き基準」の言い訳に非実在論を援用する意味が不明なんだよね。
形而上の話をしてもいいけどね
あと非実在論と非認知主義を混同してないか?
> 「苦痛の概念」は形而下の条件なので、そこに形而上的条件を加えられない、という事も分らないのだろうね。
形而下で「苦痛の概念」があるかどうか確認する手法として「苦痛という概念」に対応する記号を用いるかどうかという形而下事実を用いている
別に形而上の話をしてないが
> 形而下/形而上の事も含め、複数の次元の違う条件をごちゃ混ぜにしてしまう、その一貫性が無い事、は単にキミがモノを考える能力が無い事の表れなんだけど、
これ全く君のことでは?
勝手に混同して勝手に見失ってる君の思考能力の問題だよね
> 「苦痛の概念」での線引きなら一部ヒトを切り捨てるか、動物も殺せなくなるか、のどちらかしか選べない。
そうだね
だから俺は「苦痛という概念」を線引き条件にすることに懐疑的な立場だと言ってる
「苦痛という概念」を条件にしてしまうと動物もある種の非健常者も植物もみんなラインのアッチ側に行っちゃうからね
事実と符合していない
だから俺は「苦痛という概念」を条件にしてるというのは虚偽だろうと指摘してる
> ところがそれが不都合なキミは「苦痛の概念」を捨てないまま、社会による選好、や都合よく使える形而上の根拠を援用する、とw
これは既に再三言ってるが誤読か曲解だね
俺はそもそも「苦痛という概念」を線引き条件にしてない
無数の要因に決定されるがゆえに枠組みごとに固有の、つまり枠組みを超える普遍性がないという意味で恣意的な価値観によって線引き条件が定まる、と言ってる
> 第一、シンガーの種差別議論も、クオリア領域と独我論の違いすらも知らなかったキミが、メタ倫理の議論なんか解るワケないじゃない?
何いってんだ?クオリアの話は記号表現の有無や抽象概念の有無と別の話だし
メタ倫もまた別の話だし
いろいろ錯綜しちゃってるっぽいけど大丈夫か? >>173
冒頭
メタ倫理勉強してたら、形而下の条件とごちゃ混ぜにして良いって書いてあった?
種差別議論を知れば、それが形而下でしか扱えない事が解るけど、キミはいつまで知らない振りして続けるの?
形而下での規範は「普遍的な正邪判断の基準」として一つにしか決められない。それが法律になる場合も有るのに、キミみたいに「恣意で決めて良い」という馬鹿は居ません。
>倫理は恣意的に決まるから必ずしも客観的な基準を必要としない、と言ってる
同上
>>>149で何も否定できてないことは既に言っている
私は否定出来てる、と言ってます。キミのダラダラ言い訳は知りませんが
>「苦痛の概念」の連続性と血縁の連続性因果関係は?
キミの親や子に、キミ同様の苦痛概念が生まれない、とキミ信じれるのならば、早めにそう言ってね?
>あらためていうけど、[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件にする、というのは俺のアイデアじゃない
改めて訊くけど、キミの線引き基準は?自身の基準を提示してないのなら、延々言ってるそれ以外の基準とは考えられないよね。
>まあ自信あるならだしてみれば?って程度
別スレに貼ってるから、読んでみれば?知↓因みに、キミのガバガバ理論で付ける難癖、は反論にはならないからね?w
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/wild/1495038701
>前者については「神経等の共通のシステムを持つから共通の(人間同様の範囲に収斂するんだような)「苦痛の概念」を持つ」といえなければ不成立で、
キミの任意で収縮する「範囲」を除けば、とっくに成立してるって事だねw
>つまり〈[「苦痛の概念」の有無]という条件で線引きをしてるとすると不整合だ〉と俺が言ってるのは明白だと思うが?
キミはその不整合を「社会的な理由」でアジャストしてるんじゃないのかな?
>どうであれ、こちらの説明した発言意図と実際の発言に不整合があるなら指摘をしてくれれば済む話だし、
毎レスで指摘してるが、毎回不整合が増え続けてるようですw >>169
>>177の補足訂正
倫理を議論したいなら形而上の話になる
↓
倫理を何に紐付けるかなど、倫理の根拠を議論したいなら形而上の話になる >>174
>自然主義的誤謬というのはムーアの概念 俺が言ってるのはヒュームのギロチン
私 が そう言ってるんだよ?キミが逆に書いてたからw
キミ、多分多くの部分を逆の意味にとってるんじゃないの?
>「価値観によって変わるガバガバな基準」の意味がわからないが、ひょっとして認知主義反実在論と非認知主義を混同してないか?それぞれどういうものと理解してるのか確認のために聞いてみるわ
説明してみてくれ
私は形而下での「普遍的な正邪判断」=倫理の基準は個々の価値観で収縮(=ガバガバな)しない、と言ってます。
キミ自身が理解してない形而上のハナシを、キミの時間稼ぎの為に私が説明しなければならない理由は?
>そうなってしまうのは[「苦痛という概念」の有無]を線引きの条件にした場合の話だろ?
それがキミの基準でないとすれば、私はキミの基準を知りませんよ?
> 「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、というのは誤謬が有るというレベルじゃなくって、単に破綻した論拠を提示して、その帳尻を合わせる能力も無い、という事だけどね。
>「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、ではなくて 「ヒト以外は苦痛の概念があるという検証がない」といってる 科学は苦手か?
キミが知らないだけで、生体システムを共有する動物のそれを否定出来るならば、他者ヒトの苦痛も「苦痛の概念が有るフリをしてるだけ」だと疑える独我論の領域になる、っと昨日から言ってます。
科学も形而上学も、キミよりは解ってると思いますw
> ならば、「苦痛の概念」がキミの親に有って、キミには有る、という保証も無いワケです。親子でも「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」んだからねw
>そうだよ?「苦痛の概念」を血縁に紐付けてるのは俺ではないじゃん
>俺は「苦痛の概念」はそれを意味する記号表現を用いること(さらに、それが偶然でなく再現性あること)で確認できると考えるし、
>線引きの話はそれとはさらに別の話で、線引きは[「苦痛の概念」の有無]によって為されるのでもなく、個別の枠組みの恣意性で決まると言ってる
キミの子にキミ同様の苦痛概念が共有されてるのならば、キミがそこで「基準としていない」筈なのに語ってる「記号表現」は要りません。つか、マジで意味が分らないの?w
「個別の枠組みの恣意性」で法律・ルールと成り得る倫理基準は決定出来ません。単にキミが自身の恣意で決めさせて欲しい、と言ってるだけ、だね。 >>175
> 私が何故「血縁」と言ってるのか、その意味すら考えられないならば、中学生の愛護にバカにされ続けても、その理由すら分らないままだろうね。
>だからこういうレッテルはいいから「血縁があるならば同様の概念が必然的に存在する」ことの説明をしてくれよ
レッテルじゃなくて、唯キミの実情を書いてるだけ、だよw
キミの子に、キミ同様の苦痛の概念が生まれる、という必然が信じられないのならば、キミは子を持てないだろうね、怖くてw
>「苦痛という概念」の連続性が「ヒトと動物の混血」によって証明されてるってのを教えてくれよ 類推でなく証明な?
同上。本気で意味が解らないのならば、私はもうお手上げだよw
因みにキミの縋ってる他のヒトの「記号表現」も、それが「キミに対しそう見せかけてるだけのロボットの振る舞い」ではない、という類推に頼ってるだけで、誰にも証明されてないよ?
だから、形而下のハナシと形而上のハナシを混ぜるな、とゆってるの。意味解るかな?w
>こっちは「動物には苦痛の概念が無い」と言っていない 「動物には苦痛の概念が"あるといえない"」と言ってる
じゃあ、形而下では生体システムの同一性から、ヒト以外の動物にも苦痛と、彼等の中で共有される「苦痛の概念」(爬虫類哺乳類ならば、群れの中や、自身が認識するだけでも)がある、という事で終了だね。唯キミが認めないだけw
>だから動物に人間同様に苦痛という抽象概念があることの研究成果があるなら教えてくれ、と言ってる
抽象概念必須である、という説明を誰もしてない上に、人間の苦痛概念の実在も形而上では証明されてないよね。
キミが縋ってる「記号表現」も所詮形而下での類推の積み重ねでしかなく、それが「ロボットの痛がるフリ」でないと証明できない形而上では、ヒトも動物も同じ。
いつになったらこの単純な因果関係が理解できるの?w
>俺は線引きの条件は恣意性で決まると一貫してるよ
それが一貫して馬鹿である、と言ってます。
キミは形而上でしか自由裁量が無い自身の「選好基準」が、形而下でも「倫理」として扱われるんだ、とカンチガイしてるだけ。
形而下での「倫理」はルール制定基準ともなるので、恣意で決められないのはアタリマエだよ馬鹿w
残りも馬鹿馬鹿しい言い逃れだったね。 >>180
> メタ倫理勉強してたら、形而下の条件とごちゃ混ぜにして良いって書いてあった?
形而下の条件と倫理をどう紐付けるかというのは形而上の話
形而下の事実だけで話したいならまずそこを切り離そう
ごちゃ混ぜにしてるのは俺じゃない
んで形而下事実だけで話すなら「苦痛という概念」が事実として存在するかどうかを考えるとき、
それを記号表現の使用があるという形而下事実でそこに「苦痛という概念」があると確めることができる(使用が無ければそれが無いとはいえないが、科学的には未検証ならば無いとするのが妥当)と言ってる
他方で、神経などのメカニズムの類似に伴って「苦痛という概念」が必然的に存在する、ということは連想でしかなく、科学的にそのような形而下事実は検証されてないはず
されてるというなら学術的な研究成果を提示してくれ
> 形而下での規範は「普遍的な正邪判断の基準」として一つにしか決められない。それが法律になる場合も有るのに、キミみたいに「恣意で決めて良い」という馬鹿は居ません。
法律の決まりかたは枠組みによって恣意的だよ普遍的ではない
法律という規範がある特定の枠組みのなかで普遍的な基準として用いられることと、枠組みを超えて普遍的であるかどうかは別の話
形而下の問題としてはどこそこに然々の法律があるかどうか、という話にしかならない
その法律の正当性については形而上の話になるし、同様に倫理を何に紐付けるかというのは形而上の話
> 私は否定出来てる、と言ってます。キミのダラダラ言い訳は知りませんが
否定できてる、と言うだけでは話にならない
誤謬の指摘はどこにある?それが無いまま幾ら余計なレッテルを付け足しても否定できたことにならないよ
> キミの親や子に、キミ同様の苦痛概念が生まれない、とキミ信じれるのならば、早めにそう言ってね?
「苦痛概念が生まれない」は藁人形
「必ずしも生まれるといえない」と言ってる
そして生まれていることは記号化した表現を用いることで確認できるが、記号表現を用いない場合にそれが生まれていると考えるのは単なる希望か連想でしかない、といってる
> 改めて訊くけど、キミの線引き基準は?自身の基準を提示してないのなら、延々言ってるそれ以外の基準とは考えられないよね。
何度も言ってるが、無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準だと言ってる
> http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/wild/1495038701
一応後で読んどくわ
> キミの任意で収縮する「範囲」を除けば、とっくに成立してるって事だねw
成立してるという科学的な研究成果はいつ出してくれるんだ?
> キミはその不整合を「社会的な理由」でアジャストしてるんじゃないのかな?
違うね
そもそも俺は[「苦痛の概念」の有無]という条件で線引きをしてないもん
むしろその条件で線引きしてるというのは虚偽だろうと指摘するために、その条件で線引きするとどうなるかって話をしてるだけでさ
> 毎レスで指摘してるが、毎回不整合が増え続けてるようですw
何度か指摘してるが、それは俺の主張と俺のものでない主張を(故意か過失か知らないけど)混同してるからだろうね >>176
> それは単に「キミの選好基準」でしかない。いつになったら辞書を引いて「倫理」の意味を調べるんだね?
>倫理について実在論者の立場だけしか認めないということかな?
菜食や動物利用可否に関し、非実在論でモノを考える意味は無いし、キミの様に都合に合わせて形而下と形而上のそれを混ぜる事を許容する社会もアリマセン。
メタ倫理も勿論この場合、キミの言い逃れの道具として以上の意味は無いです。相手が実存世界でルールを変えようとしてる種差別撤廃主張者なので、アタリマエ。
>形而上の話をしてもいいが、形而上の話をしたくなければそれでもいい、と言ってる
>形而上の話をしたくないことについてそれ以上のレッテル貼りは別に要らないよ
独我論のハナシになったら、キミにはいよいよ逃げ場がなくなる、という事は理解出来てるかな?
そして形而上のハナシは無駄にしかならない、と言ってます。キミの言い逃れの道具になってるだけw
> そして「形而下」の意味が判ってれば、ヒト同様の生体システムを持つ動物に苦痛が有る事は想像ではなく 「 事 実 」 として扱わざるを得ず
>違うね 「あり得る」ではあるが「ある」ではない
それならば「人間も同じ」で、そこを疑い出すなら独我論のハナシになります。
>形而下の事柄について、ある「推論」を「事実」であるとする根拠を何に求めるか聞いてみよう
この場合、単に「生体システムの同一性」。そしてそれを推論と呼ぶならば「人間も同じ」。キミの命綱・「痛がってるフリじゃない/記号表現」は、壮大なロボット集団によるペテンかもよ?w
>[「苦痛という概念」を線引きの条件にするならば、それらの人は線引きのあっち側に行く]となってしまうことは、別にその線引き条件を主張してるのでない俺の主張の一貫性と何らの関係もない
>俺は「苦痛という概念」を基準にしてないかガバガバというのは藁人形だね
この言い逃れは聞き飽きたわ・・・
それに頼ってるだけのキミが、それっを自身のモノではないと言うなら、キミの主張はそもそも存在しないよねw
>ん?指摘した差違が存在しないというなら、こちらの差違の提示についての主張の誤謬を指摘してくれよ
何度も、ツイこのレスでも数行上に。
人間のそれも、単にキミが信じ込みたい「ロボットのペテン」でない根拠は、形而上には存在しないからねw >>182
> 私 が そう言ってるんだよ?キミが逆に書いてたからw
読み直してみよう
俺は自然主義的誤謬の話はしてないよ
> キミ自身が理解してない形而上のハナシを、キミの時間稼ぎの為に私が説明しなければならない理由は?
そういうレッテル貼りは逃げでしかない
君が反実在論と非認知主義を混同してなければ非認知主義を君が知らないのかもしれないが、
いずれであれ非認知主義を知っていれば倫理上の判断というものが択一的に真偽を帰属させられなければならないと一義的にいえないことがわかるはずだから
おそらくそれをよく理解できていないのだろうと考え、確認のために質問したんだよ
で、あらためて聞くけど反実在論と非認知主義についてそれぞれ説明してみてくれ
> それがキミの基準でないとすれば、私はキミの基準を知りませんよ?
何度目になるか知らないけど、無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準だと言ってる
> キミが知らないだけで、生体システムを共有する動物のそれを否定出来るならば、他者ヒトの苦痛も「苦痛の概念が有るフリをしてるだけ」だと疑える独我論の領域になる、っと昨日から言ってます。
独我論になってしまうから然々と考えたい、というのは科学的ではない
「苦痛の概念」があるフリをしてると疑うことができるかどうかと、「苦痛」という記号を再現的に用いる者がその記号に対応する抽象概念を持っていることが明らかなことは別の話
前者に引っ張られて後者を認められないのは単なる問題の混同
> キミの子にキミ同様の苦痛概念が共有されてるのならば、キミがそこで「基準としていない」筈なのに語ってる「記号表現」は要りません。つか、マジで意味が分らないの?w
だから、自分の子に苦痛概念が共有されてるかどうかは不確かだ、しかし記号を用いるならそのことからそこに記号に対応する抽象概念があるはずだと判断できる、と言ってる
俺の言ってることと言ってないことを区別してくれ
> 「個別の枠組みの恣意性」で法律・ルールと成り得る倫理基準は決定出来ません。単にキミが自身の恣意で決めさせて欲しい、と言ってるだけ、だね。
法律にしろ社則にしろそれを規範とする枠組みに恣意的なもので、その枠組みを超えて普遍的な規範とはいえないだろ >>177
>俺はそれを線引き基準としてないから線引き基準となる理由を説明する必要はないが、
それ以外の基準として出してるのは「恣意で決まる」なので、これは形而下で倫理のハナシをする場合、最初から議論を放棄してると同様だから、意味が無いよね。
キミは何のハナシをしてるのかすら、理解して無いってワケだ。
>君が「動物が抽象概念としての苦痛を記号化して表現していることについて再現性のある検証」を提示できないなら つまり人間と人間以外についてその点で差違があることを君が否定できないなら
形而下での生体システム同一性を根拠に出来ず、動物の苦痛を認めないと言い張るならば、人間に関しても、それが事実であるとの証明は、形而上では不可能なので、意味がアリマセン。
>人間についてはこの方法で「苦痛という概念(苦痛という記号に対応する概念)」があることは言えるが、
動物での形而下証拠を否定するならば、当然キミの縋る↑も 言 え な い 。
キミは自分の都合に合わせて形而下と形而上のハナシをブレンドしてるんだけど、それすら分らないままなんだなw
>生体システムの有無と概念の有無の因果関係は証明されてないはずで、つまり類推に過ぎない
ならば 「 人 間 も 同 じ 」 。「記号表現」が事実苦痛を基に為されてるのか、キミを騙す為の芝居なのか、どうやって判別するのか?説明してみて?w
> 「そこで線引きされなければならない客観的な根拠」が存在しない。記号化・表現、が必須である理由、キミには説明できないでしょ?
>だって「苦痛という概念」を線引き条件にしてるのは俺じゃないからね 俺が説明できるなら、俺はその線引き条件を採用してるかもしれないが、今のところ俺の立場とは関係ないもん
先に書いたのと同じ返事。浅ましい逃げ口上だねえぇ・・・w
>単に「苦痛という概念」が、その抽象概念を記号化している者には存在するといえても、そうでない者にはその限りでない、と言ってるだけ
>痛覚という命名の問題でなく、「苦痛という概念」が人間以外の動物に再現性のある形で検証された、という事実を知ってるなら詳細を教えてくれ
これも同上。言い逃れのミルフィーユw
>人間と動物の線引きに必須と言ってるのでなく、動物と植物の線引き条件にならない、と言ってる
話が逸れてる。私がそこで訊いたのは「概念」が「必須となる理由」だ。私は「苦痛だけいい筈」と考えてるが、 概 念 が必須である理由はなんだ? >>177
>いずれにせよ動物と植物はラインの同じ側に来ることに変わりないだろ
説明済みだが、形而下では動物と植物を同じ側だとして考ええるのは、初等教育に失敗した人だけ、だよw
動物の生体システム上、動物である人間と同じ側に動物が居て、植物界はその向こう側。小学校時代の担任の先生に確認して御覧?
>倫理を議論したいなら形而上の話になる
ならないよ、馬鹿w
>倫理は形而上のもので、だからこそ形而下の事柄から導けず、相対主義的には恣意的だと考えるしかないって話になるんだがね
現実のルール形成に、現実の条件に即して考えて形作る倫理を、形而下以外の事柄から導く、というのは何処の狂人のうわごとだよ?w
キミは何にも意味が分ってないな・・・ >>179
>形而上の話をしてもいいけどね
ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw
>形而下で「苦痛の概念」があるかどうか確認する手法として「苦痛という概念」に対応する記号を用いるかどうかという形而下事実を用いている
それが形而下事実ならば、動物の生体システム上ヒトと同一である動物には苦痛が有り、ヒトとの混血による連続性から動物にも苦痛概念がある事も形而下の事実だね。
> 形而下/形而上の事も含め、複数の次元の違う条件をごちゃ混ぜにしてしまう、その一貫性が無い事、は単にキミがモノを考える能力が無い事の表れなんだけど、
>これ全く君のことでは?勝手に混同して勝手に見失ってる君の思考能力の問題だよね
生体システムの同一性を否定出来ないならば、片方だけを形而下として他方を形而上の論拠で説明する、というキミだけの誤謬だよ。
>だから俺は「苦痛という概念」を線引き条件にすることに懐疑的な立場だと言ってる
>俺はそもそも「苦痛という概念」を線引き条件にしてない
それ以外の論拠が恣意での基準決定しか無いので、キミの話は形而上の領域も混同しなければならない。
>無数の要因に決定されるがゆえに枠組みごとに固有の、つまり枠組みを超える普遍性がないという意味で恣意的な価値観によって線引き条件が定まる、と言ってる
これが意味が無い、と言ってます。そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
> 第一、シンガーの種差別議論も、クオリア領域と独我論の違いすらも知らなかったキミが、メタ倫理の議論なんか解るワケないじゃない?
>何いってんだ?クオリアの話は記号表現の有無や抽象概念の有無と別の話だし
昨日キミがクオリアと独我論を混同した事等のハナシです。シンガーの論拠すら未だに意味を解ってない。苦痛を根拠とする現実にメタ倫理は意味が無い。
単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。 >>181
>>177の補足訂正
倫理を議論したいなら形而上の話になる
↓
倫理を何に紐付けるかなど、倫理の根拠を議論したいなら形而上の話になる
ならない。
独我論まで含めるならば、現実のルール制定の為の主張である種差別議論からの逃避にすら使えず、嗤われるだけw
全て形而下で観察される科学等の根拠を基にして可否判断が下されるだけ。
キミのハナシは逃げ道として斬新なのは認めるよw >>185
> 菜食や動物利用可否に関し、非実在論でモノを考える意味は無いし、キミの様に都合に合わせて形而下と形而上のそれを混ぜる事を許容する社会もアリマセン。
意味がないってのは誰にとっての何の意味?
> メタ倫理も勿論この場合、キミの言い逃れの道具として以上の意味は無いです。相手が実存世界でルールを変えようとしてる種差別撤廃主張者なので、アタリマエ。
実存世界という語がよく分からんが形而下の世界というような意味でいいのか?
種差別撤廃を主張する者が「種差別を撤廃すべき」と主張するとき、ヒュームのギロチン(自然主義的誤謬の概念ではなく)にいわれるようにその主張は事実から必然的に導かれたものではなく
形而上の理由で導かれてるんだからメタ倫理学の話に当然かかわってくる
言い逃れの道具だとレッテル貼りで思考停止せずに意味を考えてみよう
思考停止は逃げか誤魔化しにしかならない
> 独我論のハナシになったら、キミにはいよいよ逃げ場がなくなる、という事は理解出来てるかな?
独我論を回避したいという希望で事実を無視したり歪めたりするのは科学的じゃない
独我論を回避したいというのが動機になるのは構わないがどう事実と向き合ってそれを回避するかを考えなきゃ
> そして形而上のハナシは無駄にしかならない、と言ってます。キミの言い逃れの道具になってるだけw
形而下の話だけをしたいなら倫理を話すことはできない
淡々と事実を並べるだけで規範は導出され得ない
事実と規範を紐付けるのは形而上の話
> それならば「人間も同じ」で、そこを疑い出すなら独我論のハナシになります。
独我論を回避したいからこれは疑えない、というのは科学的ではない
> この場合、単に「生体システムの同一性」。そしてそれを推論と呼ぶならば「人間も同じ」。キミの命綱・「痛がってるフリじゃない/記号表現」は、壮大なロボット集団によるペテンかもよ?w
質問の意図が伝わってないみたいだから書き直す
形而下の事柄について、科学が「推論」の「真偽」を判断する手段は何か、答えてみてくれ
あるいは反証主義を知っているか?という質問でもいい
> この言い逃れは聞き飽きたわ・・・
言い逃れというレッテル貼りは聞き飽きたぞ
言い逃れであると主張するならそのことを論理立てて説明してくれよ
> それに頼ってるだけのキミが、それっを自身のモノではないと言うなら、キミの主張はそもそも存在しないよねw
だから、俺の立場は、倫理規範は無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準だと言ってる
> 何度も、ツイこのレスでも数行上に。
> 人間のそれも、単にキミが信じ込みたい「ロボットのペテン」でない根拠は、形而上には存在しないからねw
それがどうしたというの?
形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからやはりどうでもいい話だが >>184
>形而下の条件と倫理をどう紐付けるかというのは形而上の話 形而下の事実だけで話したいならまずそこを切り離そう
紐付け、は必要無いよ。形而下の条件がそのまま可否判断の論拠となるだけだから。
キミは逃げ口上の為にムリな迂回をさせたいだけだねw
>それを記号表現の使用があるという形而下事実でそこに「苦痛という概念」があると確めることができる(使用が無ければそれが無いとはいえないが、科学的には未検証ならば無いとするのが妥当)と言ってる
それが形而下で確認できるならば、生体システムとヒトとの血縁まで含めた連続性によって動物にも苦痛と苦痛概念が有る、とするのがアタリマエ。
形而上ならば、それがヒトであっても確証には至らない。未だこの意味が解らないかな?
>法律の決まりかたは枠組みによって恣意的だよ普遍的ではない
種差別撤廃が法となる時、それは普遍基準によって正邪が判断されてる時だよ。恣意では決まり得ないし、ローカルルールでは 「 撤 廃 」 ではない。これもキミには難しいかな?w
> 私は否定出来てる、と言ってます。キミのダラダラ言い訳は知りませんが
>否定できてる、と言うだけでは話にならない 誤謬の指摘はどこにある?それが無いまま幾ら余計なレッテルを付け足しても否定できたことにならないよ
昨夜から今朝まで何度もしてるが、キミが時間稼ぎに無視してるだけw
基本となる条件を収縮させてハナシをしてるキミと、形而下の条件だけに限定してる私は違うよ。
>そして生まれていることは記号化した表現を用いることで確認できるが、記号表現を用いない場合にそれが生まれていると考えるのは単なる希望か連想でしかない、といってる
記号化表現でなければ確認出来ない、とはそうでないと不都合なキミ一人が勝手に決めた事。形而下では生体システムと連続性で確認済み。
それを否定するなら形而上の独我論によってヒトのそれも否定されて終わり。キミは馬鹿だな・・・
>何度も言ってるが、無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準だと言ってる
何度も言ってるが、それは形而下での倫理として意味が無いし、形而下でのルール制定に及ぶ種差別主張・倫理基準に恣意性が含まれると意味がアリマセン。
キミの倫理=「キミの選好」がキミ以外に適用され得ない、と云えば解る?
> http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/wild/1495038701
>一応後で読んどくわ
早く読めばそれだけキミの盲が早く啓けます。恣意性云々なんて馬鹿な基準は有り得ないからw
> キミの任意で収縮する「範囲」を除けば、とっくに成立してるって事だねw
>成立してるという科学的な研究成果はいつ出してくれるんだ?
生化学によって。キミの妄言「記号表現」だけが苦痛の概念の実在を証明する、という研究成果は何処に有る?一部の馬鹿が唱える念仏か?w
>むしろその条件で線引きしてるというのは虚偽だろうと指摘するために、その条件で線引きするとどうなるかって話をしてるだけでさ
>何度か指摘してるが、それは俺の主張と俺のものでない主張を(故意か過失か知らないけど)混同してるからだろうね
その条件を否定するならば、苦痛の概念有無はそもキミが援用する意味が無い。最初から恣意だけだと云えば済む。嘘を吐くなよw >>188
> それ以外の基準として出してるのは「恣意で決まる」なので、これは形而下で倫理のハナシをする場合、最初から議論を放棄してると同様だから、意味が無いよね。
え?なんで?
種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
前者は後者の前提ではあるが後者の議論を妨げないよね
> 形而下での生体システム同一性を根拠に出来ず、動物の苦痛を認めないと言い張るならば、人間に関しても、それが事実であるとの証明は、形而上では不可能なので、意味がアリマセン。
生体システムの同一性と抽象概念の同一性に因果関係は未検証
未検証のものを「あると信じたい」というのは科学的ではない
> 動物での形而下証拠を否定するならば、当然キミの縋る↑も 言 え な い 。
抽象概念を記号化していることは形而下で再現性のある検証がされています
科学の手法は帰納だから未検証のものを「信じたい」という話とは全く違うよ
> キミは自分の都合に合わせて形而下と形而上のハナシをブレンドしてるんだけど、それすら分らないままなんだなw
ブレンドしてないが
むしろ未検証のものを「信じたい」という君の態度の方が形而下についての科学的判断である「である論」と形而上的な「べき論」をブレンドしてるんじゃないか?
> ならば 「 人 間 も 同 じ 」 。「記号表現」が事実苦痛を基に為されてるのか、キミを騙す為の芝居なのか、どうやって判別するのか?説明してみて?w
「苦痛」という記号が表す範囲がキャベツやコタツを含まないということは、その記号の抽象概念が一定の範囲に収束しているということ
そのことは言語コミュニケーションの成立という歴史上の膨大な検証から帰納的に確認される
「苦痛」という記号が再現性をもって有効に一定の範囲の抽象概念を表すように用いられている事実が検証されているとき、
当然そこにその記号に対応する抽象概念がある
「苦痛」という記号を用いる者が記号に対応する概念を持っているということは、それが芝居であるかどうかと関係なく明らかだよね
逆にいえば芝居であるかどうかは、別に「苦痛」という記号を用いる者がそれに対応する抽象概念を持ってることを妨げるものじゃない
> 先に書いたのと同じ返事。浅ましい逃げ口上だねえぇ・・・w
そういうレッテル貼りに何か意味があると思ってるのか?
逃げ口上だと主張するなら逃げ口上であることを論証してくれよ
> これも同上。言い逃れのミルフィーユw
同上
そんなことより
痛覚という命名の問題でなく、「苦痛という概念」が人間以外の動物に再現性のある形で検証された、という事実を知ってるなら詳細を教えてくれ
> 話が逸れてる。私がそこで訊いたのは「概念」が「必須となる理由」だ。私は「苦痛だけいい筈」と考えてるが、 概 念 が必須である理由はなんだ?
動物に苦痛が存在する、というとき
その生体システム上での物理的な現象が存在するとなぜ人間同様の扱いをすべきという倫理判断が導出されるのか不明だからだな
「同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても、これは「同一でなければその限りではない」を否定していない
つまり「動物が人間と同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても「動物が人間と同一でなければその限りではない」のだから
いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから
「同様の扱いが為される」ことは導出できない >>187
>読み直してみよう 俺は自然主義的誤謬の話はしてないよ
キミの書き方が解り難くて私が逆に捉えた可能性は有るね。加えて云えば、キミは当為と事実の関連性を誤用してるようだ。
>いずれであれ非認知主義を知っていれば倫理上の判断というものが択一的に真偽を帰属させられなければならないと一義的にいえないことがわかるはずだから
形而下では真偽は一義的に集約できる、というのが種差別議論を知れば判るよ。Pシンガー等の言う事は、キミのガバガバに比べて遥かに筋は通ってるから。
> それがキミの基準でないとすれば、私はキミの基準を知りませんよ?
>何度目になるか知らないけど、無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準>だと言ってる
それは「基準」ではないよね。種差別主張に関して云えば「苦痛(『の概念』は含まないw)の実在」だけで恣意性は排除される。形而下で苦痛や功利主義を否定するならば、ヒト含めた他者の痛みは一切気にする必要が無い、という立場の表明だなw
>「苦痛の概念」があるフリをしてると疑うことができるかどうかと、「苦痛」という記号を再現的に用いる者がその記号に対応する抽象概念を持っていることが明らかなことは別の話
それを疑った時点で独我論の領域に入ります。記号表現が無ければ、苦痛概念が無い、というのはキミの憶測でしかなく、誰も証明してないし、「苦痛」だけでなくそれが必須である理由も誰も説明してない。
こう言うと「俺の基準じゃないから説明義務が無い」と言ってキミは逃げるだけ。ハナシにならんねw
>だから、自分の子に苦痛概念が共有されてるかどうかは不確かだ、しかし記号を用いるならそのことからそこに記号に対応する抽象概念があるはずだと判断できる、と言ってる
それはキミが恣意的選好的に選んでる判断基準でしかない、それが普遍基準たり得る、必須足りうる説明義務から逃げるな、と言ってます。
キミは自分が自己都合で選んでるだけの基準を絶対としてるから、馬鹿なんだよw
>法律にしろ社則にしろそれを規範とする枠組みに恣意的なもので、その枠組みを超えて普遍的な規範とはいえないだろ
一々断らないが、これは種差別議論に於ける普遍倫理基準のハナシ、であって 撤 廃 の意味が分ればそれらとは違うと判るのでは? >>189
> 説明済みだが、形而下では動物と植物を同じ側だとして考ええるのは、初等教育に失敗した人だけ、だよw
そういうレッテルは要らないよ
> 動物の生体システム上、動物である人間と同じ側に動物が居て、植物界はその向こう側。小学校時代の担任の先生に確認して御覧?
生体システムを線引きの条件にするならば、という条件をつければね
線引きの仕方は無数にある
> ならないよ、馬鹿w
これについては>>191で補足済み
言葉足らずだったのは申し訳ない
> 現実のルール形成に、現実の条件に即して考えて形作る倫理を、形而下以外の事柄から導く、というのは何処の狂人のうわごとだよ?w
ヒュームのギロチン >>190
> ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw
無意味って?なんで?>>192あるいは>>195で回答になってるかな
> それが形而下事実ならば、動物の生体システム上ヒトと同一である動物には苦痛が有り、ヒトとの混血による連続性から動物にも苦痛概念がある事も形而下の事実だね。
そうだね
でも>>197に書いたように生体システムが人間と同一であるだけで人間同様の扱いをすべき理由が無いね
> 生体システムの同一性を否定出来ないならば、片方だけを形而下として他方を形而上の論拠で説明する、というキミだけの誤謬だよ。
>>197に書いたけど生体システムの同一性を認めないのではなく、生体システムだけの同一性で同様の扱いをすべき理由がないと言ってる
> それ以外の論拠が恣意での基準決定しか無いので、キミの話は形而上の領域も混同しなければならない。
俺が恣意的という語を用いてる意味については既に説明済み
> これが意味が無い、と言ってます。そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
意味って?
>>195で回答になってるかな
> 昨日キミがクオリアと独我論を混同した事等のハナシです。シンガーの論拠すら未だに意味を解ってない。苦痛を根拠とする現実にメタ倫理は意味が無い。
別に混同してないが
メタ倫が関係なければ形而下事実から規範は導出できない
単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。 >>190
> ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw
無意味って?なんで?>>192あるいは>>195で回答になってるかな
> それが形而下事実ならば、動物の生体システム上ヒトと同一である動物には苦痛が有り、ヒトとの混血による連続性から動物にも苦痛概念がある事も形而下の事実だね。
そうだね
でも>>197に書いたように生体システムが人間と同一であるだけで人間同様の扱いをすべき理由が無いね
> 生体システムの同一性を否定出来ないならば、片方だけを形而下として他方を形而上の論拠で説明する、というキミだけの誤謬だよ。
>>197に書いたけど生体システムの同一性を認めないのではなく、生体システムだけの同一性で同様の扱いをすべき理由がないと言ってる
> それ以外の論拠が恣意での基準決定しか無いので、キミの話は形而上の領域も混同しなければならない。
俺が恣意的という語を用いてる意味については既に説明済み
> これが意味が無い、と言ってます。そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
意味って?
>>195で回答になってるかな
> 昨日キミがクオリアと独我論を混同した事等のハナシです。シンガーの論拠すら未だに意味を解ってない。苦痛を根拠とする現実にメタ倫理は意味が無い。
別に混同してないが
メタ倫が関係なければ形而下事実から規範は導出できない
> 単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。
レッテルは貼らなくていいよ >>193
> 紐付け、は必要無いよ。形而下の条件がそのまま可否判断の論拠となるだけだから。
ヒュームのギロチン
> キミは逃げ口上の為にムリな迂回をさせたいだけだねw
レッテル貼りは不要
> それが形而下で確認できるならば、生体システムとヒトとの血縁まで含めた連続性によって動物にも苦痛と苦痛概念が有る、とするのがアタリマエ。
人間同様の生体システム上での現象が人間以外においても必ず人間同様の概念を生じさせることの研究成果はまだ提示してくれないのか?
なぜだ?
> 形而上ならば、それがヒトであっても確証には至らない。未だこの意味が解らないかな?
形而上ならそれは認識論的に問題にならないと言ってる
> 種差別撤廃が法となる時、それは普遍基準によって正邪が判断されてる時だよ。恣意では決まり得ないし、ローカルルールでは 「 撤 廃 」 ではない。これもキミには難しいかな?w
法というのは枠組みを超えた普遍性を持たないよ
> 昨夜から今朝まで何度もしてるが、キミが時間稼ぎに無視してるだけw
君が俺の言ってることと言ってないことを混同してるだけにしか見えないんだが
> 基本となる条件を収縮させてハナシをしてるキミと、形而下の条件だけに限定してる私は違うよ。
基本となる条件を収縮?
基本となる条件って「苦痛という概念」の有無のこと?
なら俺はそれを線引き条件にしてないけど
> 記号化表現でなければ確認出来ない、とはそうでないと不都合なキミ一人が勝手に決めた事。形而下では生体システムと連続性で確認済み。
レッテルは不要
だから生体システムが人間と同じなら人間以外においても人間同様の概念が生じることの研究成果はまだか?
> それを否定するなら形而上の独我論によってヒトのそれも否定されて終わり。キミは馬鹿だな・・・
形而上の話では認識論的にそれは全く問題にならないと言ってる
> 何度も言ってるが、それは形而下での倫理として意味が無いし、形而下でのルール制定に及ぶ種差別主張・倫理基準に恣意性が含まれると意味がアリマセン。
意味ってのが何を指してるのか分からないんだが>>195で回答になってる?
> 早く読めばそれだけキミの盲が早く啓けます。恣意性云々なんて馬鹿な基準は有り得ないからw
もうすぐ出掛けるから帰ったら読むわ
> 生化学によって。キミの妄言「記号表現」だけが苦痛の概念の実在を証明する、という研究成果は何処に有る?一部の馬鹿が唱える念仏か?w
記号表現だけと言ってないけどな
他に概念が生じていることを確認する手段(連想する手段ではなく)があるならそれでもいい
生化学がそれを検証したというなら不毛なレッテルより先にその研究成果を貼ってくれ
> その条件を否定するならば、苦痛の概念有無はそもキミが援用する意味が無い。最初から恣意だけだと云えば済む。嘘を吐くなよw
「苦痛の有無」を線引きにすることの虚偽を示すためにそれを用いて生じる事態を提示してる
一つの手段としてこれを採用したに過ぎないんだがね
嘘だというなら嘘であることを論証してくれよ >>192
>意味がないってのは誰にとっての何の意味?
「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体、にとってだよw
>種差別撤廃を主張する者が「種差別を撤廃すべき」と主張するとき、ヒュームのギロチン(自然主義的誤謬の概念ではなく)にいわれるようにその主張は事実から必然的に導かれたものではなく形而上の理由で導かれてるんだからメタ倫理学の話に当然かかわってくる
先ずは、Pシンガー等がなんと言ってるのか?をキミが知らないと意味が無いハナシだね。キミがそこで「事実」として扱ってる「苦痛/苦痛の概念有無」とは違う「事実」が規範の線引き根拠とされてるんだから。
功利主義の議論でその配慮の対象と出来る者の区分は形而下での判別でなければ収拾がつきません。
> 独我論のハナシになったら、キミにはいよいよ逃げ場がなくなる、という事は理解出来てるかな?
>独我論を回避したいという希望で事実を無視したり歪めたりするのは科学的じゃない 独我論を回避したいというのが動機になるのは構わないがどう事実と向き合ってそれを回避するかを考えなきゃ
事実と向き合えないのはキミだよ馬鹿w
キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。
私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw
>形而下の話だけをしたいなら倫理を話すことはできない
出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w
> それならば「人間も同じ」で、そこを疑い出すなら独我論のハナシになります。
>独我論を回避したいからこれは疑えない、というのは科学的ではない
形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw
>形而下の事柄について、科学が「推論」の「真偽」を判断する手段は何か、答えてみてくれ
答えは同じ。この場合、単に「生体システムの同一性」。そしてそれを推論と呼ぶならば「人間も同じ」。キミの命綱・「痛がってるフリじゃない/記号表現」は、壮大なロボット集団によるペテンかもよ?w
キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。
>言い逃れであると主張するならそのことを論理立てて説明してくれよ
何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。
>だから、俺の立場は、倫理規範は無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準だと言ってる
それは形而下では規範とは呼べませんw
最後の段落は意味不明。形而上のハナシをすれば独我論に収束。形而下ならばキミが認めたくないだけの「生体システムの同一性とヒトとの連続性」という科学的事実に収束。 > キミの書き方が解り難くて私が逆に捉えた可能性は有るね。加えて云えば、キミは当為と事実の関連性を誤用してるようだ。
俺のせいにするのか…
まあ逆にとらえたのが君であって俺が逆に用いてたのでないと分かればいいよ
> 形而下では真偽は一義的に集約できる、というのが種差別議論を知れば判るよ。Pシンガー等の言う事は、キミのガバガバに比べて遥かに筋は通ってるから。
大雑把にいって形而下の倫理判断が一義的に定まらない、というのが非認知主義なわけですが
> それは「基準」ではないよね。種差別主張に関して云えば「苦痛(『の概念』は含まないw)の実在」だけで恣意性は排除される。形而下で苦痛や功利主義を否定するならば、ヒト含めた他者の痛みは一切気にする必要が無い、という立場の表明だなw
それは結局「人間である」を基準にしたり「生きてる」を基準にしたって恣意性を排除できる、と言ってるのと同じで
ある枠組みのなかでその規範が採用されたとしても枠組みを超えて普遍的なわけじゃないじゃん
> それを疑った時点で独我論の領域に入ります。記号表現が無ければ、苦痛概念が無い、というのはキミの憶測でしかなく、誰も証明してないし、「苦痛」だけでなくそれが必須である理由も誰も説明してない。
「記号表現が無ければ、苦痛概念が無い」と言ってないけどな
「記号表現があれば、苦痛概念がある」と言ってて、これは俺だけでなく記号論を学べばわかるはず
そして「記号表現が無ければ、苦痛概念があるといえない」とき科学的には未検証のものは無いと扱うべきだから
科学によれば「記号表現が無ければ、苦痛概念が無いと扱うべき」となる
> それはキミが恣意的選好的に選んでる判断基準でしかない、それが普遍基準たり得る、必須足りうる説明義務から逃げるな、と言ってます。
俺が「苦痛の概念」を線引き条件に選んでるわけではないんだぜ
それが線引きの普遍的な基準になるとも言ってない
俺は枠組みごとの恣意性で決まると言ってる
> キミは自分が自己都合で選んでるだけの基準を絶対としてるから、馬鹿なんだよw
という誤読(か曲解)から離れられない君
> 一々断らないが、これは種差別議論に於ける普遍倫理基準のハナシ、であって 撤 廃 の意味が分ればそれらとは違うと判るのでは?
その基準を用いることに種差別撤廃論者の枠組みを超えた普遍性は無いよね >>195
>種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
キミが知らないだけ、だよ馬鹿w
少なくとも、私が否定する或る事実を除けば、それが一貫してて人類普遍なのは事実だよ。流石に世界的に著名な学者だからか、キミみたいなガバガバとは違いますw
>彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
私は別スレに貼ったリンクでその証明を済ませてます。でも、キミはそれより遥か前の段階で種差別倫理を錯誤してるので、意味がアリマセン。
>生体システムの同一性と抽象概念の同一性に因果関係は未検証 未検証のものを「あると信じたい」というのは科学的ではない
ならば、同一生体システムを持つ他者ヒトにもそれが未検証、でオシマイw
キミが縋ってる「記号の表現」は「唯一それを実証する根拠」とならない。キミがそれを唯一としたいだけだよ馬鹿。
>抽象概念を記号化していることは形而下で再現性のある検証がされています 科学の手法は帰納だから未検証のものを「信じたい」という話とは全く違うよ
キミが「それが唯一だ」と信じてるだけだし、それが実証になるとは形而上では言い得ないよね。キミはそれが自身の選好基準でしかない、という事を分かってないだけの馬鹿だよw
>むしろ未検証のものを「信じたい」という君の態度の方が形而下についての科学的判断である「である論」と形而上的な「べき論」をブレンドしてるんじゃないか?
ヒト以外の生体システムでも苦痛反応や苦痛概念は観察されてます(哺乳類鳥類が主)から、未検証だと云いたいのはキミだけ、だね。
>「苦痛」という記号を用いる者が記号に対応する概念を持っているということは、それが芝居であるかどうかと関係なく明らかだよね
その段落の能書きは全て独我論で即座に否定可能。動物の場合も「苦痛回避」や「恐怖反応」で確認可能。キミはそれを選好的に否定してるだけw
>動物に苦痛が存在する、というときその生体システム上での物理的な現象が存在するとなぜ人間同様の扱いをすべきという倫理判断が導出されるのか不明だからだな
成る程、功利主義からしてまるで分ってない、という事だね。Pシンガーの主張を読んでからにしな?
>いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから「同様の扱いが為される」ことは導出できない
形而上ではそこの「動物」を「他者ヒト」に置き換えるだけで、或いは形而下でも過去の歴史上「女性」「黒人」に置き換ええるだけで、それは退けられるよね。
功利主義の基本をも知らないならば、このハナシをする資格は無いよ。 >>197
> 説明済みだが、形而下では動物と植物を同じ側だとして考ええるのは、初等教育に失敗した人だけ、だよw
>そういうレッテルは要らないよ
レッテルではなく、正確な品質表示だよねw
> 動物の生体システム上、動物である人間と同じ側に動物が居て、植物界はその向こう側。小学校時代の担任の先生に確認して御覧?
>生体システムを線引きの条件にするならば、という条件をつければね
>線引きの仕方は無数にある
その他の線引き基準の多くは恣意によるモノで、功利主義的には無意味。私は「枠組みを越えた」基準を示せるけどねw
> 現実のルール形成に、現実の条件に即して考えて形作る倫理を、形而下以外の事柄から導く、というのは何処の狂人のうわごとだよ?w
>ヒュームのギロチン
現実社会のルール形成を形而下の事柄から導いてない、と云うのならば、単にキミの誤解だろうねw >>201
> 「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体、にとってだよw
じゃあ>>195で書いたけど意味なくないね
> 先ずは、Pシンガー等がなんと言ってるのか?をキミが知らないと意味が無いハナシだね。キミがそこで「事実」として扱ってる「苦痛/苦痛の概念有無」とは違う「事実」が規範の線引き根拠とされてるんだから。
> 功利主義の議論でその配慮の対象と出来る者の区分は形而下での判別でなければ収拾がつきません。
まあ君が貼ったやつ読んでみるわ
そこに「動物の生体システムが人間同様であれば、人間同様の概念が生じる」ことの検証があるとは思えないけど
そんでどっちにしろそこで提示された「事実」とやらが枠組みを超えた普遍的な基準となることが論証されてるかどうか検討してみるわ
> キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。
形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからどうでもいい話だが
> 私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw
形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
> 出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w
何度もいうが、ルールというものは枠組みを超えて普遍的にはならない
> 形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw
形而上では回避の必要は特にない
> 答えは同じ。この場合、単に「生体システムの同一性」。そしてそれを推論と呼ぶならば「人間も同じ」。キミの命綱・「痛がってるフリじゃない/記号表現」は、壮大なロボット集団によるペテンかもよ?w
質問の意図が伝わってないな「反証主義は知っているか?」と聞き変えよう
あと君のいうロボットの話だが
形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからやはりどうでもいい話だが
> キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。
形而下事実について科学が因果関係の真偽を判断する場合に再現性は必須だよ
> 何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。
記号を抽象概念の表現に用いるというのは形而下事実
> それは形而下では規範とは呼べませんw
法律にしろ社則にしろ家訓にしろ、形而下の規範は枠組みの恣意性で決まると言ってる
「枠組みの恣意性で決まるということ」が形而下の規範だと言ってるのではないが、分かってるか?
> 最後の段落は意味不明。形而上のハナシをすれば独我論に収束。形而下ならばキミが認めたくないだけの「生体システムの同一性とヒトとの連続性」という科学的事実に収束。
形而上の話なら独我論になろうが問題にならない
形而下ならば「生体システムの同一性とヒトとの連続性」があったとしても「ゆえに、人間と動物が同一であり、同様に扱われるべき」と言えない
>>195に書いたが
動物に苦痛が存在する、というとき
その生体システム上での物理的な現象が存在するとなぜ人間同様の扱いをすべきという倫理判断が導出されるのか不明だ
「同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても、これは「同一でなければその限りではない」を否定していない
つまり「動物が人間と同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても「動物が人間と同一でなければその限りではない」のだから
いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから
「同様の扱いが為される」ことは導出できない >>198
> ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw
>無意味って?なんで?>>192あるいは>>195で回答になってるかな
なってないよw
形而上にもつれ込めば、独我論によって自己以外の他者存在に関るすべては疑義対象なので、それに配慮すべき「倫理的な」理由はなくなる。
> それが形而下事実ならば、動物の生体システム上ヒトと同一である動物には苦痛が有り、ヒトとの混血による連続性から動物にも苦痛概念がある事も形而下の事実だね。
>そうだね でも>>197に書いたように生体システムが人間と同一であるだけで人間同様の扱いをすべき理由が無いね
ならばそれが形而下であっても「苦痛記号の表現」を以って他者ヒトを自分同様に扱いをすべき理由が無い、という事になるね。
同一システム同一反応が、自己と他者を同様である証拠と出来ないのは同じ。これを否定する根拠はキミの選好以外に無いからw
> 生体システムの同一性を否定出来ないならば、片方だけを形而下として他方を形而上の論拠で説明する、というキミだけの誤謬だよ。
>>>197に書いたけど生体システムの同一性を認めないのではなく、生体システムだけの同一性で同様の扱いをすべき理由がないと言ってる
ならば「そこに『苦痛記号の表現』が加わっても、同様の扱いをすべき理由が無い、と云われたらオシマイだねw
キミは自身の基準がキミの選好でしかない、という事がいつまっでたっても理解できないんだねえ・・・
> それ以外の論拠が恣意での基準決定しか無いので、キミの話は形而上の領域も混同しなければならない。
>俺が恣意的という語を用いてる意味については既に説明済み
それは知らない。未だみてないよ?
> これが意味が無い、と言ってます。そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
>意味って?>>195で回答になってるかな
ナリマセンw
恣意は何処までいっても恣意。現実に 撤 廃 を言ってる者達の論拠が人獣共通の現実に即してるから、彼等は普遍たり得る(筋が通せる)と考えてるから、キミの恣意では覆せません。
> 昨日キミがクオリアと独我論を混同した事等のハナシです。シンガーの論拠すら未だに意味を解ってない。苦痛を根拠とする現実にメタ倫理は意味が無い。
>別に混同してないが メタ倫が関係なければ形而下事実から規範は導出できない
彼等が相手にするのは形而下事実だけ、だよ。形而上に入ればキミもろとも自滅するだけ、なので 撤 廃 を目指す彼らがキミを嗤って終わりにするのは当然だろう。
>単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。
・・・は?
これは私の文のコピペ?w あぁ198は途中送信かな?
>>199
> 単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。
>レッテルは貼らなくていいよ
キミが種差別議論やその基となってる功利主義を知らないのは事実だよね。 >>200
> 紐付け、は必要無いよ。形而下の条件がそのまま可否判断の論拠となるだけだから。
>ヒュームのギロチン
キミの誤謬だと説明済み>>206
> キミは逃げ口上の為にムリな迂回をさせたいだけだねw
>レッテル貼りは不要
これも単に事実の指摘。
> それが形而下で確認できるならば、生体システムとヒトとの血縁まで含めた連続性によって動物にも苦痛と苦痛概念が有る、とするのがアタリマエ。
>人間同様の生体システム上での現象が人間以外においても必ず人間同様の概念を生じさせることの研究成果はまだ提示してくれないのか?なぜだ?
キミが「苦痛記号の表現」が唯一の判断基準である、という証拠証明を示せないのと同様、観測された事実をキミが選好するだけなんだから、研究成果があっても無意味だよね?
先にも書いたが、それが形而下であっても他者ヒトに同様の苦痛概念があるかどうかの確認は不可能。生体システムの同一性等を否定するならば、キミが選好で縋ってる論拠も確証にいたる証拠とはならない。アタリマエだよ馬鹿w
> 形而上ならば、それがヒトであっても確証には至らない。未だこの意味が解らないかな?
>形而上ならそれは認識論的に問題にならないと言ってる
独我論ならば他者存在は全て疑義の対象となるだけだよね。キミはそれも分ってないのか?
> 種差別撤廃が法となる時、それは普遍基準によって正邪が判断されてる時だよ。恣意では決まり得ないし、ローカルルールでは 「 撤 廃 」 ではない。これもキミには難しいかな?w
>法というのは枠組みを超えた普遍性を持たないよ
撤 廃 の意味を調べてからにしなよw
> 昨夜から今朝まで何度もしてるが、キミが時間稼ぎに無視してるだけw
>君が俺の言ってることと言ってないことを混同してるだけにしか見えないんだが
単に私のレスをちゃんと読んでないだけだね。
>基本となる条件って「苦痛という概念」の有無のこと?なら俺はそれを線引き条件にしてないけど
これも飽きたな。それを「ヒトにあって動物には無い」という否定の為の線引き条件に使ってるなら同じ事だよ。
>だから生体システムが人間と同じなら人間以外においても人間同様の概念が生じることの研究成果はまだか?
キミが「苦痛記号の表現」だけが唯一の判断基準と成り得る、という論理的な証明が出来たら、それを引っこめてあげるよ?
キミはそれがキミ自身の選好基準でしかない、という意味が全くわかってないから、馬鹿だって言ってるんだよ?w
> それを否定するなら形而上の独我論によってヒトのそれも否定されて終わり。キミは馬鹿だな・・・
>形而上の話では認識論的にそれは全く問題にならないと言ってる
何処でそれを証明した?独我論の意味もわかってないのでは? >>200
>意味ってのが何を指してるのか分からないんだが>>195で回答になってる?
ナリマセンw
形而下では普遍的正邪判断でしかないので、恣意で分かれるなら「倫理として意味が無い」。キミは猿か?w
>他に概念が生じていることを確認する手段(連想する手段ではなく)があるならそれでもいい
なんであれ、それはキミの選好基準としかならない、と言ってる意味が未だわからないの?
>生化学がそれを検証したというなら不毛なレッテルより先にその研究成果を貼ってくれ
単にシステムの同一性と種の連続性。それを基準と出来ない、と自身の線引き基準を絶対だと言い張ってるだけで、その根拠も示せないキミが言ってるだけ。
>嘘だというなら嘘であることを論証してくれよ
先にも書いたが「否定の為の線引き基準として使っても同じ事」だよ。それが要らないなら「恣意で決まる」と云うだけで済む。よってキミは嘘吐きだねw >>203
> 形而下では真偽は一義的に集約できる、というのが種差別議論を知れば判るよ。Pシンガー等の言う事は、キミのガバガバに比べて遥かに筋は通ってるから。
>大雑把にいって形而下の倫理判断が一義的に定まらない、というのが非認知主義なわけですが
ならばその主義が間違ってるんだろうねw
誰にでも把握可能で否定不可能な現実に即した功利主義が、その大枠で誰にも普遍的善で無いとは云い得ない、という部分までは、或る事実関係の錯誤以外は正しい。キミは種差別議論を知らないだけだよ。
> それは「基準」ではないよね。種差別主張に関して云えば「苦痛(『の概念』は含まないw)の実在」だけで恣意性は排除される。形而下で苦痛や功利主義を否定するならば、ヒト含めた他者の痛みは一切気にする必要が無い、という立場の表明だなw
>それは結局「人間である」を基準にしたり「生きてる」を基準にしたって恣意性を排除できる、と言ってるのと同じで ある枠組みのなかでその規範が採用されたとしても枠組みを超えて普遍的なわけじゃないじゃん
キミは意味が分ってないままムリに反論しようとするから毎回ガバガバになるんだよ。私が此処で功利主義反種差別に関して仔細な解説は出来ないから、先に読んでこいよ。
>そして「記号表現が無ければ、苦痛概念があるといえない」とき科学的には未検証のものは無いと扱うべきだから 科学によれば「記号表現が無ければ、苦痛概念が無いと扱うべき」となる
どんな反応を苦痛記号とするのか?までを含めてキミとその研究支持者の恣意でしかない、というハナシだよ。それが唯一基準と成り得る、という根拠説明も出来ないまま繰り返すんだから、原理主義と同じだねw
>俺は枠組みごとの恣意性で決まると言ってる
それは 撤 廃 を目指す者の前では意味が無い、と説明済み。それが倫理外の基準であると言うなら、それで構わないが、キミは形而下の倫理がそうである、と言ってる。馬鹿だなw
>という誤読(か曲解)から離れられない君
否定論拠に援用してる時点で同じ、と何度も言ってます。それを誤魔化したいだけだねw
>その基準を用いることに種差別撤廃論者の枠組みを超えた普遍性は無いよね
或る事実を無視すれば、完全に普遍的だよ?キミが知ろうとしないだけ。 >>207
じゃあ>>195で書いたけど意味なくないね
195のどの部分に書いてある?
>まあ君が貼ったやつ読んでみるわ そこに「動物の生体システムが人間同様であれば、人間同様の概念が生じる」ことの検証があるとは思えないけど
私はそんな事は書いてないからw
それこそキミの言う「枠組み」によって否定される、というハナシだけど、それは倫理 外 のハナシだから。
> キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。
>形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからどうでもいい話だが
もしも科学的事実としてある「生体システムの同一性や種の連続性」を基にした苦痛か苦痛の概念を否定するならば、キミの言う科学的な真偽の判断も形而下であっても否定され得る、と言ってます。
> 私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw
>形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
どうでもいいんじゃなくて、キミには出来ない、という事だね。論拠が全て白紙になるだけなんだからw
> 出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w
>何度もいうが、ルールというものは枠組みを超えて普遍的にはならない
人類普遍のルールが有る、という説明も連ツイに解説済み。それは或る制限事由によって「そうしなければならない」と決められる。先に言うが「ルール違反の実在はルールの非存在を意味しない」。キミはこれすら分ってなっさそうだからw
> 形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw
>形而上では回避の必要は特にない
ではやってみる?すぐに終わるよ?
>形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからやはりどうでもいい話だが
形而上ならば「全てがどうでもいい」の間違いだね。そして形而下ならばキミの云う事は自身の選好で「苦痛記号の表現」を基準としてるだけ、なので意味が無い。いつになったらそれがキミの恣意でしかない基準だと分る?
> キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。
>形而下事実について科学が因果関係の真偽を判断する場合に再現性は必須だよ
その「再現」は「生体システムと種の連続性」否定との整合性が無いから選好でしかない、と言ってます。それを唯一の「苦痛の概念」の判定基準とする理由はいつ示せるの?
> 何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。
>記号を抽象概念の表現に用いるというのは形而下事実
それが唯一の判断基準と成る、という根拠説明が無いから選好でしかない、と言ってます。根拠がないモノを絶対視するのは唯の宗教だなw
> それは形而下では規範とは呼べませんw
>法律にしろ社則にしろ家訓にしろ、形而下の規範は枠組みの恣意性で決まると言ってる「枠組みの恣意性で決まるということ」が形而下の規範だと言ってるのではないが、分かってるか?
私は種差別議論は形而下の規範でしか有り得ない、と言ってるよ?形而上のハナシに逃げたいのはキミの都合。そして枠組みに捉われないルールは有り得るが、キミが知らないだけだよ?そして規範とルールは勿論別だよ馬鹿w >>207
>形而上の話なら独我論になろうが問題にならない
どの論拠も白紙になるだけ、だからね。
>形而下ならば「生体システムの同一性とヒトとの連続性」があったとしても「ゆえに、人間と動物が同一であり、同様に扱われるべき」と言えない
それを否定すれば、ヒトに於ける「再現性」も同様。故に「自己と他者ヒトが同様に扱われるべき」とも言えなくなる。無論形而下でもね?未だ分らないのかw
最後の段落にも同上。「枠組み」の場所が立場によって変わるだけ。キミは本当にアタマが悪いよねw ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、観測上の「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。)
もうちょっと書こうと思ってた事が有ったと思うが、忘れたのでとりあえず此処までw >>209
> なってないよw
「ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw 」に対して
形而上の話なら独我論になろうがなるまいが無意味にならないし
形而下の話なら反証可能性の無い説は検討するに値しないから独我論は何も妨げないため無意味にならない
と言ってる
> 形而上にもつれ込めば、独我論によって自己以外の他者存在に関るすべては疑義対象なので、それに配慮すべき「倫理的な」理由はなくなる。
倫理が他者に配慮するという形でなければならない理由がない
そもそも倫理をどういうものとして考えるかというメタ倫理学を勉強してないから、倫理に対する立場が実在論しかないと思ってるんじゃないか?
だから確認のために反実在論と非認知主義の違いを説明してみせてくれと問うているんだが回答はまだか?
> ならばそれが形而下であっても「苦痛記号の表現」を以って他者ヒトを自分同様に扱いをすべき理由が無い、という事になるね。
そうだね
俺はそう言ってるよ
個々の枠組みが何を線引き条件にしてどのような線を引くかは、あくまで個々の枠組みの恣意性によると言ってるんだから
「生体システムの同一性」も「記号の使用によって確認される抽象概念の有無」も、そういった恣意性で選択される個々の枠組みのローカルなもので
枠組みを超えて普遍性を持たないと言ってるじゃん
> 同一システム同一反応が、自己と他者を同様である証拠と出来ないのは同じ。これを否定する根拠はキミの選好以外に無いからw
「俺の選好」でなく「個々の枠組みの選好」、な
俺が何を線引き条件として選好してるかについて、俺は何も言ってないはずだよ
俺の主張してるのはそこではなく単に線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まるということで、その説明に俺の選好する条件の表明は不要だからね
> ならば「そこに『苦痛記号の表現』が加わっても、同様の扱いをすべき理由が無い、と云われたらオシマイだねw
オシマイじゃなくそこがむしろスタートだな
ゴールは、線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まるというところ
> キミは自身の基準がキミの選好でしかない、という事がいつまっでたっても理解できないんだねえ・・・
だから俺の選好ではないが
いつになったら混同をやめるんだ?
> それは知らない。未だみてないよ?
「分析すれば個々の枠組みの価値観は無数の色々な要因に条件付けられているゆえに恣意的でなく必然的だと言うこともできるが、
全体論的にいえばそれは結局個々の枠組みの個別性を際立たせることになるのだから恣意的と表現して構わないだろう 」(>>146)
「その恣意性は、個々の枠組みに作用する無数の要因で決定されてると考えることはできるが、全体論的にいえば分析的に因果関係を決定できないから恣意性という語を使ってる」(>>157)
「無数の要因に決定されるがゆえに枠組みごとに固有の、つまり枠組みを超える普遍性がないという意味で恣意的」(>>179) >>209
> ナリマセンw
「 これが意味が無い、と言ってます。」に対して>>195で
種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
前者は後者の前提ではあるが後者の議論を妨げないよね
と、別に議論を妨げないのだから「形而下で倫理のハナシをする場合、最初から議論を放棄してると同様」(>>188)」ということになっていない、と答えているが
>そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
ざっくり読んだけど枠組みを超えて恒に「選好」される必然性が示されてない
いいとこ、その枠組みの人たちはその線引きが枠組みを超えて普遍的であると信じてる、という程度のことでしかなく、要するに信仰でありドグマに過ぎないだろ
> 恣意は何処までいっても恣意。現実に 撤 廃 を言ってる者達の論拠が人獣共通の現実に即してるから、彼等は普遍たり得る(筋が通せる)と考えてるから、キミの恣意では覆せません。
彼らが普遍たり得ると信じているかどうかと、実際にそれが普遍的であるかどうかは別の話
ムスリムがコーランを普遍的と考えたりクリスちゃんが聖書を普遍的と考えたりするとしても、それらが彼らのそれぞれの枠組みを超えて普遍的であることにならないのと同様
> 彼等が相手にするのは形而下事実だけ、だよ。形而上に入ればキミもろとも自滅するだけ、なので 撤 廃 を目指す彼らがキミを嗤って終わりにするのは当然だろう。
形而下事実だけから倫理は導出できないよ >>210
> キミが種差別議論やその基となってる功利主義を知らないのは事実だよね。
概要的な把握はしてたつもりだが詳細については知らなかったな
いずれにせよ君が貼ってくれたのを見る限り概ね間違ってなかったみたいだよ >>211
>キミの誤謬だと説明済み>>206
「 現実のルール形成に、現実の条件に即して考えて形作る倫理を、形而下以外の事柄から導く、というのは何処の狂人のうわごとだよ?w 」
についてだが、倫理は形而下の事柄に基づくとしてもそれだけで導出できるものではない、といってる
ヒュームのギロチンは自然主義的誤謬と別の話だと分かってるか?
> これも単に事実の指摘。
であるなら、まず逃げ口上であることの論証をしよう
> キミが「苦痛記号の表現」が唯一の判断基準である、という証拠証明を示せないのと同様、観測された事実をキミが選好するだけなんだから、研究成果があっても無意味だよね?
俺は「苦痛記号の表現」も恣意的な線引き条件の一つとしか考えてないし、それが唯一の判断基準であると主張してないから証明の必要がない
他方で君は、動物の人間との生体システムの同一性が動物を人間同様に扱うべき普遍的な根拠となると主張してるんだから
そのことを論証する必要があるし、
>>195で書いたように
「同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても、これは「同一でなければその限りではない」を否定していない
つまり「動物が人間と同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても「動物が人間と同一でなければその限りではない」のだから
いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから
「同様の扱いが為される」ことは導出できない
のだから、君の論証に伴って
人間同様の生体システム上での現象が人間以外においても必ず人間同様の概念を生じさせることの研究成果はまだ提示する必要が生じるだろ
> 先にも書いたが、それが形而下であっても他者ヒトに同様の苦痛概念があるかどうかの確認は不可能。生体システムの同一性等を否定するならば、キミが選好で縋ってる論拠も確証にいたる証拠とはならない。アタリマエだよ馬鹿w
「苦痛」という記号を用いる場合、記号論的にいってそこに記号に対応する抽象概念が(クオリアに差違があろうがあるまいが)存在することは明らかで、
それもまた個々の枠組みの恣意性によって「生体システム」と同様に線引き条件として採用(君のいう「選好」)の対象となり得る、といってる
「生体システム」だけの同一性から人間と動物を必ずしも同一視できない(普遍的に同一視できるのではない)ことは、例えば抽象概念の存在が動物において未検証であることから科学的に区別し得るということから明らかだし、
必ずしも同一視できない(普遍的に同一視できるのではない)両者を単に生体システムの同一性のみで同一視するとしたら、それは要するに普遍的でない線引き条件として「生体システム」を「選好」しているに過ぎないだろ >>211
> 独我論ならば他者存在は全て疑義の対象となるだけだよね。キミはそれも分ってないのか?
形而上でそうなったとしてそのことに何も不整合は生じないといってる
> 撤 廃 の意味を調べてからにしなよw
てっ‐ぱい【撤廃】
撤去して廃止すること。とりのぞきやめること。「赤字路線の―」「統制を―する」
> 単に私のレスをちゃんと読んでないだけだね。
まず俺の言ってることと言ってないことを区別してくれよ
そこからして君は出来ていないじゃん
俺の主張してないことについて攻撃しても藁人形論証にしかならない
> これも飽きたな。それを「ヒトにあって動物には無い」という否定の為の線引き条件に使ってるなら同じ事だよ。
ある人(や集団)が恣意的理由から「苦痛概念の有無」を線引き条件にすることも可能だ、と言ってるのであって
それが「生体システム」に代わって枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる、と言ってるのではないよ
換言すれば「生体システム」も「苦痛概念の有無」も等しく枠組みに恣意的に生じる線引き条件の一つに過ぎない、と言ってる
> キミが「苦痛記号の表現」だけが唯一の判断基準と成り得る、という論理的な証明が出来たら、それを引っこめてあげるよ?
俺はそもそも全て線引き条件は枠組みの恣意性で決まると言ってるんだから、「苦痛記号の表現」が普遍的な線引き条件になるなどと主張していないんだよなあ
「生体システム」も「苦痛概念の有無」も等しく枠組みに恣意的に生じる線引き条件の一つに過ぎない、と言ってるのであって
君の求める論証は俺の主張と真っ向対立するものなんだが、なぜその論証のせきにを俺が負うのか説明してくれ
> キミはそれがキミ自身の選好基準でしかない、という意味が全くわかってないから、馬鹿だって言ってるんだよ?w
「苦痛記号の表現」も「生体システム」も枠組みの恣意性で決まるだけだと分かってるからこそ上記のように言ってる
君が俺の言ってることと言ってないことを混同してるだけ
俺が[「苦痛記号の表現」は枠組みの恣意性を超えた普遍性のある線引き条件だ]と主張してる箇所があるならレス番号と該当部分を抜き出してみてくれよ
> 何処でそれを証明した?独我論の意味もわかってないのでは?
独我論は認識論だがそれ自体が矛盾なく成立できるから独我論に何の不都合も生じない、といってる >>212
> ナリマセンw
じゃあそこで言ってる「意味」について説明してくれ
> 形而下では普遍的正邪判断でしかないので、恣意で分かれるなら「倫理として意味が無い」。キミは猿か?w
それは君がメタ倫理学における実在論の立場しか知らないと言ってるのと同義だよ
だからメタ倫を少し勉強したらいい
ウィキに書いてあること程度でもいい
> なんであれ、それはキミの選好基準としかならない、と言ってる意味が未だわからないの?
俺の、ではなく「生体システム」同様に線引き条件として選好され得るものの一つ、な
> 単にシステムの同一性と種の連続性。それを基準と出来ない、と自身の線引き基準を絶対だと言い張ってるだけで、その根拠も示せないキミが言ってるだけ。
自身の線引き基準を絶対だと言い張ってるってのはどこのこと?レス番号と該当部分を抽出してくれ
俺はそもそも枠組みを超えた普遍性のある線引き条件など無いという立場なんだが
> 先にも書いたが「否定の為の線引き基準として使っても同じ事」だよ。それが要らないなら「恣意で決まる」と云うだけで済む。よってキミは嘘吐きだねw
恣意的に決まるとはずっと言ってるし、そのことと、
「生体システム」も「記号による抽象概念の表現」も同様に線引き条件として恣意的に選好され得る候補の一つに過ぎない、ということが矛盾するのか?
矛盾しないなら両方を言うことに不都合はないはずだぞ? >>213
> ならばその主義が間違ってるんだろうねw
ともかくまずメタ倫理学を少しでいいからかじってきてくれ
実在論の立場しか知らないという前提で話されても埒が空かない
> 誰にでも把握可能で否定不可能な現実に即した功利主義が、その大枠で誰にも普遍的善で無いとは云い得ない、という部分までは、或る事実関係の錯誤以外は正しい。キミは種差別議論を知らないだけだよ。
功利主義が誰にでも把握可能で否定不可能な現実に即してることや、大枠で誰にも普遍的善で無いとは云い得ないことの説明をもう少し噛み砕いてやってみて
> キミは意味が分ってないままムリに反論しようとするから毎回ガバガバになるんだよ。私が此処で功利主義反種差別に関して仔細な解説は出来ないから、先に読んでこいよ。
ざっくり見たけど功利主義に功利主義を採用する枠組みを超えた普遍性があるとは思えないな
君もざっくりでいいからメタ倫理学を少しかじってきてくれよ
> どんな反応を苦痛記号とするのか?までを含めてキミとその研究支持者の恣意でしかない、というハナシだよ。それが唯一基準と成り得る、という根拠説明も出来ないまま繰り返すんだから、原理主義と同じだねw
俺は何かが「唯一基準と成り得る」と主張してないし、何がどう原理主義と同じなのか説明してくれ
レッテル貼りなら不毛だからそろそろやめた方がいい
「『苦痛』という記号そのもの」ないしはそれと通訳可能である記号だね
> それは 撤 廃 を目指す者の前では意味が無い、と説明済み。それが倫理外の基準であると言うなら、それで構わないが、キミは形而下の倫理がそうである、と言ってる。馬鹿だなw
撤廃を目指す者の前で意味がないというのは、教義を信ずる者の前では異論には意味がないと言うのと同義だね
効力を持たないという意味では確かに意味がないが、
だからといって彼らの信念が普遍といえないという事実を記述するという意味が失われるわけじゃない
俺は親切な先生じゃないから彼らの目を醒まさせようとしてるわけじゃなく前者の「意味」の有無には関心が無い
彼らの信念が普遍といえないという事実を記述するという「意味」があれば十分だが
> 否定論拠に援用してる時点で同じ、と何度も言ってます。それを誤魔化したいだけだねw
何が何と同じなのかな
[「生体システム」も「記号による抽象概念の表現」も線引き条件の候補の一つに過ぎない]と言うことと
[「記号による抽象概念の表現」が「生体システム」に優越する普遍的線引き条件だ]と言うことは全く異なる
俺は前者を言ってるだけなのに後者について論証が必要である理由は?
> 或る事実を無視すれば、完全に普遍的だよ?キミが知ろうとしないだけ。
ははは
「 或る事実を無視すれば」と限定してる時点で、完全に普遍的でないね >>214
> 195のどの部分に書いてある?
種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
前者は後者の前提ではあるが後者の議論を妨げないよね
の部分
「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体のうち、そのような議論をしたい主体にとって特に無意味にならないよね
> 私はそんな事は書いてないからw
なら話は早いね
「同一であれば区別できない、ゆえに同様の扱いとなる」が仮に正しいとして、「同一でないならば、その限りではない」という考え方が成り立つ
いま「生体システム」に同一性があろうが他に差違がある二者があるとき、両者は「同一でないから、同様の扱いとなるとは限らない」だろ
> それこそキミの言う「枠組み」によって否定される、というハナシだけど、それは倫理 外 のハナシだから。
枠組みの恣意性で否定されたりされなかったりするなら何を線引き条件にするかは枠組みの恣意性で決まるんじゃん
> もしも科学的事実としてある「生体システムの同一性や種の連続性」を基にした苦痛か苦痛の概念を否定するならば、キミの言う科学的な真偽の判断も形而下であっても否定され得る、と言ってます。
は?
だからさ、「生体システムの同一性や種の連続性」と「苦痛の概念」に因果関係があるという検証について学術的な研究成果を出してくれと再三言ってるんだが、まだかな?
それが無ければ「生体システムの同一性や種の連続性」があることと「苦痛の概念」があるかどうかは科学的に不確かなんだが
…あのさ、これについて証拠があるならそれを出せば済む話だぜ?んで出せるような証拠が無いならば未検証、つまり「無い」と扱うのが科学の手法だが
もしかして非科学的な信仰のようなものを主張してるのか?
> どうでもいいんじゃなくて、キミには出来ない、という事だね。論拠が全て白紙になるだけなんだからw
そういうレッテル貼りをいつまで繰り返すのかな
形而上の話なら独我論の成立に問題は生じない、という話だが >>214
> 人類普遍のルールが有る、という説明も連ツイに解説済み。それは或る制限事由によって「そうしなければならない」と決められる。先に言うが「ルール違反の実在はルールの非存在を意味しない」。キミはこれすら分ってなっさそうだからw
そのルールは、聖書やコーランと同じで「それを信仰する者にとって普遍的」であるに過ぎないよ
後半についても同じ「神の法を犯す者がいても教典が普遍的なルールでないことにはならない」だろ?
> ではやってみる?すぐに終わるよ?
やってもいいが、回避の必要が無いから無駄だね
> 形而上ならば「全てがどうでもいい」の間違いだね。そして形而下ならばキミの云う事は自身の選好で「苦痛記号の表現」を基準としてるだけ、なので意味が無い。いつになったらそれがキミの恣意でしかない基準だと分る?
俺の選好ではないけどな
枠組みの恣意性が決める選好によって、線引き条件として採用されるものが「生体システム」であったり「苦痛記号の表現」であったりするだけで
どちらにも枠組みを超えた普遍性は無いよね、と言ってる
> その「再現」は「生体システムと種の連続性」否定との整合性が無いから選好でしかない、と言ってます。それを唯一の「苦痛の概念」の判定基準とする理由はいつ示せるの?
俺は[唯一の「苦痛の概念」の判定基準]など無いと言ってるし、「苦痛記号の表現」がそれに当たるなどとも言ってない
その俺が何について唯一の「苦痛の概念」の判定基準とする理由を説明する責任を負うのかな?
いつまで藁人形やるの?
> それが唯一の判断基準と成る、という根拠説明が無いから選好でしかない、と言ってます。根拠がないモノを絶対視するのは唯の宗教だなw
「 それが唯一の判断基準と成る」と俺がどこで主張したのか、藁人形でないならレス番号と該当部分の抽出で示してみよう
> 私は種差別議論は形而下の規範でしか有り得ない、と言ってるよ?形而上のハナシに逃げたいのはキミの都合。そして枠組みに捉われないルールは有り得るが、キミが知らないだけだよ?そして規範とルールは勿論別だよ馬鹿w
その形而下の規範には枠組みを超えた普遍性は無いよ、と言ってるよ
枠組みを超えた普遍的なルールがあるというけど、具体的には?
一応いっておくと「複数の枠組みにまたがるルール」と「例外なく全ての枠組みに当てはまるルール」の意味は違うよ >>215
> それを否定すれば、ヒトに於ける「再現性」も同様。
違うよ「PならばQ」という仮説についての再現実験と
「PならばQだから、RもQであろう」と連想することは別
[人間が「苦痛概念」を持つから、動物も「苦痛概念」を持つであろう]は後者
[人間は「苦痛概念」を持つ]ということを繰り返し歴史上で検証するのは前者
メタ倫だけじゃなく科学の勉強もしたらいい
>故に「自己と他者ヒトが同様に扱われるべき」とも言えなくなる。無論形而下でもね?未だ分らないのかw
で?っていう
枠組みの恣意的によってそういう線引き条件が決まることはあり得るだろうね
> 最後の段落にも同上。「枠組み」の場所が立場によって変わるだけ。キミは本当にアタマが悪いよねw
同上なら何も問題ないということになるが >>217-224
キミは言い逃れだけ続ければ何とかなると思ってるようだから、
今後は>>216に書いた内容に関してだけ、キミが答えられるまで同じ事を訊く事にするよ。
ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、観測上の「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>216
> 「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
記号論は知ってるか?
記号を抽象概念の表現手段として用いるということは、そこに抽象概念が存在していることは文の意味の上から恒真
> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
「動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターン」と君が言っているものが真に「苦痛概念の記号表現」であることをどうやって知るのかという問題がクリアされていない
> こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
> 一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
それらの現象が単なる機械的反応でなく抽象概念の記号表現であることがどう確認されてるのか学術的な研究成果を教えてくれ
> 「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それらの物質の放出が人間以外において抽象概念を生起させることの検証があるなら、それについての学術的な研究成果を示してくれ
単に同じ物質の放出があるというだけでは人間同様に何らかの抽象概念を生じていることの証拠にならない
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
> 事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、観測上の「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
どちらも等しく馬鹿馬鹿しいよ
なぜなら倫理は枠組みの恣意性で決まるのだから「生体システム」を線引き条件に選好するのも「記号による抽象概念の表現」を線引き条件に選好するのも、どちらも各々の枠組みを超えた普遍性があるとは言えないから
> 加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
> 将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
危うい、とは?何がどう危ういの?
で、それで言うなら将来的に生体システムを精密に再現したロボットとが現れたとして、それとヒトなり動物のなりをどう区別するのかな?
「生体システムの同一性」という線引き条件は、その時になってから条件によってそのロボットを除外するための別の基準を用いなければならない様なガバガバの線引き条件ってことになるのかな?
> (これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。)
で、形而上でそのことに何か問題が生じるかな? >>217-228
いつまで経っても同じ逃げ口上しか無い様なので、キミが別スレに貼った私の連ツイを読んだ後、
それに具体反論できたら、相手をしてあげるよ?
それまでは>>229を何度も読み直して、キミのアタマがどれだけ劣ってるか?という事をしっか認識しておいてください。 >>217-228
・・・さて、「苦痛概念」クンのダラダラ言い訳レスにざっと目を通したんだけど、
相変わらず「苦痛」だけではなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
唯単に「苦痛概念の表現が有るから、人間には苦痛が有る!動物にはそれが確認されない!だから、種差別して良い!!」らしいです。
現実には、ヒトと同一の生体システムに加え、苦痛を受けた時に放出されるストレスホルモン等の反応までが同一である事から
「苦痛が有る事」を科学的に否定出来る、と考える馬鹿は居ません・・・此処の概念クンだけw
それと、私の連ツイに関して「読んだ」と言ってる様だけど、コーランだのイスラムだの宗教価値観がどうのと言ってる時点で、まるで意味が分ってない。
「してはいけない理由」「そうしなければならない理由」に制限される事が人類共通なので、普遍的なルールと出来る、というハナシと宗教含めた「価値観」を混同してる時点で・・・
彼のアタマじゃナニかと不安だったけど、未だ、ちゃんと読んでないだけ、だと前向きに判断してあげよう。
ガバガバの言い訳を記号で装飾する暇が有るんだったら、私の言ってる内容をキチンと把握した上で、もうちょっと身の入った反論をオネガイします。 >>232
> いつまで経っても同じ逃げ口上しか無い様なので、キミが別スレに貼った私の連ツイを読んだ後、
逃げ口上だと主張するなら逃げ口上であることの論証をしよう
それが無ければ不毛なレッテル貼りにしかならない、と何度も言ってる
藁人形とレッテルばかりに見えるが、そうでないなら既に要求している通りレス番号と該当部分の抽出をしてくれ
>それに具体反論できたら、相手をしてあげるよ?
要求したレス番号と該当部分の抽出ができないなら、君は藁人形論証とレッテル貼りをしていることになるわけだが、それでは議論にならないから反論の必要があるのかどうか不明だな…
逃げるのでなければ先にそれらを示してくれよ
>>233
> 相変わらず「苦痛」だけではなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
相変わらずの藁人形だな
[「生体システム」を線引き条件にするのも「抽象概念の有無」を線引き条件にするのも、どちらも同様に枠組みを超えて普遍的な線引き条件とはならない]と言ってる
> 唯単に「苦痛概念の表現が有るから、人間には苦痛が有る!動物にはそれが確認されない!だから、種差別して良い!!」らしいです。
これも藁人形
[俺が「抽象概念」の有無を線引き条件に採用している]などとも言っていない
> 現実には、ヒトと同一の生体システムに加え、苦痛を受けた時に放出されるストレスホルモン等の反応までが同一である事から
> 「苦痛が有る事」を科学的に否定出来る、と考える馬鹿は居ません・・・此処の概念クンだけw
「苦痛の概念があろうが無かろうが生体システム上で苦痛と名付けた現象がありさえすれば、同様に扱うべき」というのは、個々の枠組みにとって恣意的に選ばれる線引き条件の一つの候補ではあるかもしれないが
枠組みを超えた普遍性はない、と言ってる
「苦痛の概念があろうが無かろうが生体システム上で苦痛と名付けた現象がある」ことと「同様に扱うべき」に因果関係は無いからだ(ヒュームのギロチン)
> それと、私の連ツイに関して「読んだ」と言ってる様だけど、コーランだのイスラムだの宗教価値観がどうのと言ってる時点で、まるで意味が分ってない。
同じことだよ
コーランも聖書も同じようなものだろと言われたムスリムは「違う!お前はまるで分かってない」と言うだろうね
> 「してはいけない理由」「そうしなければならない理由」に制限される事が人類共通なので、普遍的なルールと出来る、というハナシと宗教含めた「価値観」を混同してる時点で・・・
それを普遍的なルールとできるというドグマだろう あ、それから
>>225
私がそこで「私はそんなこと書いてないから」と言ってるのは、連ツイの中で、という事です。
読めばそれが倫理や功利主義、苦痛等のハナシじゃない、人類全体に共通する「枠組み」のハナシって事位は、キミのアタマでも判別できるのでは・・・? >>234
キミが「苦痛概念の表現有無」が絶対唯一の「動物には確認できないが、ヒトにだけは苦痛を感じてる証拠が有る」と出来る証拠、
それを事実と証明された研究結果(馬鹿かwこれも一観点からの憶測でしか有り得ない)?を出せれば、それで収めてあげるよ?
キミの惨めな食い下がりにこのまま付き合うより、私の連ツイ内容が具体的に覆される論拠が見てみたいんだが、キミのそのうろたえた態度から、期待できそうもないねぇ・・・ >>236
>>231のこれ↓なw
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w 動物と植物が全く同じだなんて思わないけど、どっちも命があるという点では同じなのに
「植物は食べてもいい」って線引きするおこがましさ?がいやだ。
たとえば「妊娠初期の胎児はまだ痛みを感じないので、中絶しても何ら構わないんだ」
という考えに賛同できないのと同じような気持ち。 「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を意味無く否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>236
> キミが「苦痛概念の表現有無」が絶対唯一の「動物には確認できないが、ヒトにだけは苦痛を感じてる証拠が有る」と出来る証拠、
俺はそんなこと主張してないけどまた藁人形かな?
「苦痛概念の表現有無」にしろ「生体システムの同一性」にせよ共に扱いをどうするべきかの線引き条件を個々の枠組みが恣意的に決める際の候補の一つに過ぎない、と言ってる
>>237
それがなぜ俺の主張が[「苦痛概念の記号化表現の有無」が枠組みを超えて普遍的な線引き条件である]ことの根拠になるんだ?
飛躍してるぞ?
> 何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
だからなぜ、「俺は生体システムの同一性同様に、普遍的でない線引き条件の例として抽象概念(の記号化表現)の有無を挙げてる」のに「抽象概念が普遍的な線引き条件になることの証明責任を負う」となるのか説明してくれよ
俺は自分の主張に無いことをなぜ証明しなければならないのか、答えてみ? >>239
> 動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
だから、生体システム上での現象だけでなく抽象概念を記号化して表現していることがどう学術的に検証されたか研究成果を提示してくれ、と言ってるんだがまだか?
他方で言語が抽象概念の記号化表現であることは記号論の分野で論理的に説明されている
> そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
状況証拠に過ぎないとしたら、言語は抽象概念の表現記号であるのではなく単なる意味を持たない音ないし模様に過ぎないということになるが、それでは再現的に言語コミュニケーションが成立することを説明できない
> 動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
これらは別に抽象概念を記号化しているかどうか不確かだね
恐怖反応というのも痛覚とかと同じく命名の問題でしかなく、
その反応が恐怖という抽象概念の記号化表現であるかどうか不確かじゃん
> それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を意味無く否定するのならば、
人間いがいにおいてもそれらの物理現象が抽象概念を伴うことが示されてないじゃん
> ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
既に言ったはずだが、能記が虚偽か真実かというのは関係ない
ここで問題にしているのは記号表現であるなら所記が存在するということと、記号といえないならば所記が存在するといえないということには差違がある、ということ
> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
「動物に抽象概念があることをいうために、動物のそれらの物理的振る舞いが抽象概念の記号化表現であることの説明をせよ」、と問うているのに対して
「それらの物理的振る舞いは記号化表現であるから、抽象概念もある」というのは循環論証でしかなく説明として機能していないぞ
論理的に頼む
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだから省くね >>239
> 動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
だから、生体システム上での現象だけでなく抽象概念を記号化して表現していることがどう学術的に検証されたか研究成果を提示してくれ、と言ってるんだがまだか?
他方で言語が抽象概念の記号化表現であることは記号論の分野で論理的に説明されている
> そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
状況証拠に過ぎないとしたら、言語は抽象概念の表現記号であるのではなく単なる意味を持たない音ないし模様に過ぎないということになるが、それでは再現的に言語コミュニケーションが成立することを説明できない
> 動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
これらは別に抽象概念を記号化しているかどうか不確かだね
恐怖反応というのも痛覚とかと同じく命名の問題でしかなく、
その反応が恐怖という抽象概念の記号化表現であるかどうか不確かじゃん
> それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を意味無く否定するのならば、
人間いがいにおいてもそれらの物理現象が抽象概念を伴うことが示されてないじゃん
> ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
既に言ったはずだが、能記が虚偽か真実かというのは関係ない
ここで問題にしているのは記号表現であるなら所記が存在するということと、記号といえないならば所記が存在するといえないということには差違がある、ということ
> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
「動物に抽象概念があることをいうために、動物のそれらの物理的振る舞いが抽象概念の記号化表現であることの説明をせよ」、と問うているのに対して
「それらの物理的振る舞いは記号化表現であるから、抽象概念もある」というのは循環論証でしかなく説明として機能していないぞ
論理的に頼む
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだから省くね >>240
キミが毎度の如くハナシを逸らしたいのは知ってるんで、求められた疑義に対する返答、をしましょう♪
>>236 のハナシは
>>231のこれ↓なw
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w >>241
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる「苦痛概念の表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明をしたのか?」
また、単に「苦痛」の実在だけでなくそれがヒトとの扱いを別ける根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>242に関しても、>>244と同じく。
キミが、その「動物とヒトとの扱いを変えて良い根拠」として拠り所としてる「苦痛概念の表現」が
一 体 何 故 、それを別けられる根拠となれるのか?に関する客観的な論理根拠はいつになったら示せるのかな?
或いは、それが「別ける根拠」として唯一である、との 研 究 結 果 と そ の 証 明 は、何処に有るの?
キミは「倫理は其々個別の枠組みによって恣意的に決まる」と言ってるが、その実「キミ自身の都合によって、その都度好都合な枠組みを利用する」というだけなのを
他人様に見破られてないとでも思ってるの・・・?
単に自分がそうしてるって事すら分ってないだけなのかもしれないけどねw
そして、私が連ツイで云ってる事の意味は理解できたかな?
キミみたいな度のキツイ馬鹿にすら、それが全人類に共通する「してはいけない/しなければならない」という制限事由によって、
それを真としなければならない、という普遍的な枠組みの論理的根拠説明だよ。
無論、キミみたいに毎度都合によって選び直せる枠組みなどとは違って 「 動 か せ な い 」 枠組み、なんだけど、
は ん ろ ん し て も 、 い い ん だ よ ぅ ・・・?w
. ちなみに例のツイッターのやつをざっくり見た上で当然反論はあるんだけど、
まずここでやり取りしてる議論を決着させてくれ
1・「特定の刺激を伝達する生体システムに人間との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えて動物と植物の間に線を引くべき普遍的な理由となる」ことを説明してくれよ
2・ある枠組みが恣意的にそれを線引き条件として採用し、動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得ることは否定しないが、普遍的でないなら同時に他の枠組みが他の線引き条件を採用して違う所に線を引き得ることを否定できない
3・例えば「記号化表現を用いることで確認されるような抽象概念の存在」を線引き条件とし、それがある生物と無い生物との間に扱いを区別する線を引く、という線引きであってはならない普遍的な理由はどこにある?
こう俺は聞いてるんだが
で、3について、この線引き条件を採用した場合、「記号化表現を用いることで確認されるような抽象概念の存在」が再現的に検証できる者と、それ以外の間に線引きがされるわけだが、
この場合に動物と植物は今のところ科学的に共に後者に分類されてしまうのだから、この線引き条件を採用する枠組みであれば動物と植物の扱いを区別すべき理由はないことになる、と言ってる >>243
> ↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
レッテルを貼らなくていいから、なぜ俺が自分の主張に無いことの説明責任を負うのか説明してくれ
> キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
> 何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
だから「生体システム」も「抽象概念の記号化表現の有無」も共に絶対とならない、と言ってるんだが
いつまでこの藁人形続けるの?
> 単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w
俺は線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まると言ってるんだから
個々の線引き条件のどれもが普遍的にならない、と言ってるよ
どれかが普遍的になると言ってないのに君がすり替えてるだけ
なぜそのうちのどれか(例えば「抽象概念の記号化表現の有無」)が普遍的となることを他の線引き条件を採用するひとに説明する責任が生じるんだ?
それと「他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w 」についてだが、
同様のことを実在論しか認めない君に言いたいところだね
実在論以外の立場を認める者へ、実在論が普遍的であることの説明をしてくれよ >>246
1
キ ミ が 、 「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」ことを説明してくれたら、そうしてあげるよ?w
2
単に「生体システムの同一性」とヒトとの種の連続性。植物はヒト含めた動物とは違う生体システムを持っているから。動物と違う生体システムを植物が持ち、ヒトが動物と同じ生体システムを持ってる事は、
キミ以外の義務教育修了者ならば全員が知ってる事です。
故にそれに由来する「ヒト同様の苦痛を感じる能力が有る事」を以って「動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得る」事を、否定する事は 不 可 能 ですね。
3
キミがいつまで経ってもそれを証明出来ない事から明らかな様に「記号表現」が言語やノンバーバルによってのみ「それが在る事」の証明が可能、という根拠説明が存在し得ない>>244から、です。
3の線引きはキミが勝手に「動物は含まれない」と決めてるだけなので、その証明「動物によるノンバーバル反応や行動」が そ こ に 含 ま れ て は い け な い 理 由 を論理的に証明出来ない以上、相手にするまでも無い愚論ですが、
それ以前に 苦 痛 を 感 じ て る 、という物証(>>244に説明) だ け で は 、ヒ ト 同 様 の 配 慮 を し な く て よ く な る 理 由 が何処にも無いので、
単に自己都合によって好きな線引き基準を選んでるだけのキミのハナクソ持論には意味が無い、とゆってます♪ >>247
キミが毎度の如くハナシを逸らしたいのは知ってるんで、求められた疑義に対する返答、をしましょう♪
>>236 のハナシは
>>231のこれ↓なw
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w >>244
> キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる「苦痛概念の表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明をしたのか?」
記号論を勉強したらいい
> また、単に「苦痛」の実在だけでなくそれがヒトとの扱いを別ける根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
これについては、俺はそれが普遍的な根拠となると主張してないからね
俺は個々の枠組みの恣意性でどの線引き条件が採用されるかが決まると言ってるんだから、普遍的であるなどと言ってないしその説明責任も負うべき理由がない
君が勝手に俺に対して「お前はそれを普遍的な線引き条件としてる」とすり替えてるだけ
> 答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
永遠に藁人形繰り返すのかな?
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだから省くね >>245
> 一 体 何 故 、それを別けられる根拠となれるのか?に関する客観的な論理根拠はいつになったら示せるのかな?
線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まると言ってる
その理由は無数の要因から成立しており分析主義的還元はできない、ゆえに恣意性で決まると言い換えられる
と説明済み
> 或いは、それが「別ける根拠」として唯一である、との 研 究 結 果 と そ の 証 明 は、何処に有るの?
俺はそれが唯一であると主張してないから証明を負うべき理由がない
> キミは「倫理は其々個別の枠組みによって恣意的に決まる」と言ってるが、その実「キミ自身の都合によって、その都度好都合な枠組みを利用する」というだけなのを
恣意的という語をどういう意味で用いているかは説明済み
それを「キミ自身の都合」にすり替えてる藁人形
> は ん ろ ん し て も 、 い い ん だ よ ぅ ・・・?w
いまやってるこのスレの議論が終わったらやってもいいよ
もっとも既にヒントは大分前のレスで出してるけどね . >>247
因みに生体システムと共に ス ト レ ス ホ ル モ ン 分 泌 等 の 反 応 は、
それが 物 理 的 な 現 象 であるが故に、 「 物 証 」 なのですが、
これを「苦痛を感じてる証拠では無い」と否定できるのならば、同じくヒトにも有るそれ等の生理反応も苦痛が有る証拠とはなりませんし、
それ以前に、所詮「状況証拠」でしかない「苦痛概念の記号表現」などが 証 拠 と 成 り 得 な い の は ア タ リ マ エ ですね。
つまり、その場合動物同様に 他 者 ヒ ト も 、その苦痛に配慮する必要性は 一 切 無 く な る 、というワケです。
り か い で き ま し た か ?w
. >>250-251
どこの記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる「苦痛概念の表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明をしたのか?」
また、単に「苦痛」の実在だけでなくそれがヒトとの扱いを別ける根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>251
それが唯一の基準ではないのならば、「苦痛概念の記号表現」は単に
「 選 好 的 に 選 ば れ て る だ け の 基 準 」
でしかないので、生体システムの同一性とストレスホルモン分泌等反応の同一性という
物 証 によって、動物をヒトと同じ側に置き、植物をその外側に置く、という線引き基準を 普 遍 的 な 基 準 とする事が出来ます。
それから「このスレの議論」というのは終わらないよ?
今やってるのは議論ではなく、単にキミが自己都合によって枠組みをコロコロ変えてるだけ、という有様を嗤ってるだけ、だからw
そんなキミの惨めなアタマで、私の連ツイへの反論が不可能なのは判ってる事だけど、今のこの議題から逃れて息継ぎしたいのならば、
そこにどんな穴が有るのか?を論理的且つ具体的に指摘して見せて? >>250-251
どこの記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる<「苦痛概念の表現」を、いつ誰が「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的証拠と出来る、という証明」をしたのか?>という証拠は?
また、単に「苦痛」の実在だけでなく、それでなければヒトとの扱いを別けない根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>248
> キ ミ が 、 「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」ことを説明してくれたら、そうしてあげるよ?w
また俺が主張してないことの説明を求めるのか…いつまで藁人形続けるの?
俺は線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まる、といっているのであって
「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」と主張してないけど?
枠組みを超える普遍的な線引き条件は「存在しない」と言ってるのに、なぜ「普遍的な線引き条件が存在し、普遍的な理由となること」を説明しなきゃいけないのか、説明してくれよ
> 単に「生体システムの同一性」とヒトとの種の連続性。植物はヒト含めた動物とは違う生体システムを持っているから。動物と違う生体システムを植物が持ち、ヒトが動物と同じ生体システムを持ってる事は、
「(人間との)生体システムの同一性の有無」が動物と植物の間にあることを否定していないよ
「生体システムの同一性があれば、なぜそれを普遍的に線引き条件としなければならないのか」について説明してくれ、と言ってる
> 故にそれに由来する「ヒト同様の苦痛を感じる能力が有る事」を以って「動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得る」事を、否定する事は 不 可 能 ですね。
区別する線を恣意的に引き得ることは、既に「ある枠組みが恣意的にそれを線引き条件として採用し、動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得ることは否定しないが、」と書いてる
問題は「それが普遍的な線引き条件とでなる理由」だよ
> キミがいつまで経ってもそれを証明出来ない事から明らかな様に「記号表現」が言語やノンバーバルによってのみ「それが在る事」の証明が可能、という根拠説明が存在し得ない>>244から、です。
記号論を勉強し、記号というものがどういうものであるかを知れば記号を用いるということはそこに所記があるということは明白
他方で人間以外が記号表現を用いていることが不確かならば、そこに所記があることも当然に不確かということも明白
>3の線引きはキミが勝手に「動物は含まれない」と決めてるだけなので、その証明「動物によるノンバーバル反応や行動」が そ こ に 含 ま れ て は い け な い 理 由 を論理的に証明出来ない以上、相手にするまでも無い愚論ですが、
人間が記号を用いることには再現可能な膨大な検証がある
他方で「動物によるノンバーバル反応や行動」が記号化された表現であることは不確かなはずだがね
無論これは反証可能性のある話で、[「動物によるノンバーバル反応や行動」が抽象概念の記号化表現である]という学術的な研究成果があるなら反証として出してくれ、と言ってるのに
それを出さない、ゆえに反証を成立させられないのは君だよね
> それ以前に 苦 痛 を 感 じ て る 、という物証(>>244に説明) だ け で は 、ヒ ト 同 様 の 配 慮 を し な く て よ く な る 理 由 が何処にも無いので、
無くて当然だよ
「しなくていいかどうか」は「しなければならないかどうか」と同義であり、そこに普遍性は無い、個々の枠組みの恣意性で決まる、というのが俺の主張だからね
こちらが主張していないことの説明が無いのは当然だろ?
> 単に自己都合によって好きな線引き基準を選んでるだけのキミのハナクソ持論には意味が無い、とゆってます♪
こういう不毛な言葉を並べて優位に立てると思ってるのか知らないけどあまり感心はしないな >>256
>>246 への返答は ↓ なので、具体的な論理根拠を以って再反論してみてね♪
1
キ ミ が 、 「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」ことを説明してくれたら、そうしてあげるよ?w
2
単に「生体システムの同一性」とヒトとの種の連続性。植物はヒト含めた動物とは違う生体システムを持っているから。動物と違う生体システムを植物が持ち、ヒトが動物と同じ生体システムを持ってる事は、
キミ以外の義務教育修了者ならば全員が知ってる事です。
故にそれに由来する「ヒト同様の苦痛を感じる能力が有る事」を以って「動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得る」事を、否定する事は 不 可 能 ですね。
3
キミがいつまで経ってもそれを証明出来ない事から明らかな様に「記号表現」が言語やノンバーバルによってのみ「それが在る事」の証明が可能、という根拠説明が存在し得ない>>244から、です。
3の線引きはキミが勝手に「動物は含まれない」と決めてるだけなので、その証明「動物によるノンバーバル反応や行動」が そ こ に 含 ま れ て は い け な い 理 由 を論理的に証明出来ない以上、相手にするまでも無い愚論ですが、
それ以前に 苦 痛 を 感 じ て る 、という物証(>>244に説明) だ け で は 、ヒ ト 同 様 の 配 慮 を し な く て よ く な る 理 由 が何処にも無いので、
単に自己都合によって好きな線引き基準を選んでるだけのキミのハナクソ持論には意味が無い、とゆってます♪ >>249
既に回答済みのコピペのようだからレスは省くね
>>252
> これを「苦痛を感じてる証拠では無い」と否定できるのならば、同じくヒトにも有るそれ等の生理反応も苦痛が有る証拠とはなりませんし、
俺はいま生理反応が苦痛概念がある証拠となる、と主張してないからね
> それ以前に、所詮「状況証拠」でしかない「苦痛概念の記号表現」などが 証 拠 と 成 り 得 な い の は ア タ リ マ エ ですね。
記号論を勉強したら、ある記号表現が存在するときとこに所記が存在することは明白です
君の勉強不足でしょう
>>253
> どこの記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
> を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
記号論を勉強したら、記号表現には所記が存在するが、記号表現でない現象についてはそうでないと分かるよ
そして科学的には未検証の事実は真と扱わないので、君の挙げた動物における現象が記号化表現であることが科学的に未検証ならば、動物における君の挙げた現象が所記を伴うことは真と扱えない
真と扱いたいならば、動物が抽象概念を記号化表現するという学術的な研究成果を出してくれと言ってるのはこのため
そして、そういった科学的な成果が提示できないならば、所記であるところの抽象概念の有無で線引きをした場合は、現代の科学では動物と植物のは線の同じ側にいくことになる、と言ってる
無論、将来的に動物や植物に抽象概念が検証されれば、この線引き条件によって人間と動物と植物は線の同じ側に来るだろうね
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだからレスは省くね .
ついでに、>>256で懲りずに繰り出してる記号論の不毛さに関しては、↓ねw
>>247
因みに生体システムと共に ス ト レ ス ホ ル モ ン 分 泌 等 の 反 応 は、
それが 物 理 的 な 現 象 であるが故に、 「 物 証 」 なのですが、
これを「苦痛を感じてる証拠では無い」と否定できるのならば、同じくヒトにも有るそれ等の生理反応も苦痛が有る証拠とはなりませんし、
それ以前に、所詮「状況証拠」でしかない「苦痛概念の記号表現」などが 証 拠 と 成 り 得 な い の は ア タ リ マ エ ですね。
つまり、その場合動物同様に 他 者 ヒ ト も 、その苦痛に配慮する必要性は 一 切 無 く な る 、というワケです。
り か い で き ま し た か ?w
・・・「言葉という記号を使って表現し、再現し得る事」を「ヒトと、言語を操れない動物の扱い方を別ける理由」の条件とするのは、それこそ幼稚園児にすら出来るハナクソ論理だけど、
いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています