ゆうきまさみ総合56【新九郎 奔る!】
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>>896
ヒストリエは主人公の少年時代に時間かけすぎたんだよ >>896
やりすぎて、話しが変な方向に進む幸村ってのもいるけどな。 >>879
876だけど、あなたと同じ主旨で876の書き込みしてるよ? >>863
学生の頃に弓道やってたが、流派は小笠原流だというのは教えて貰った
他にも流派があるのかは知らん 信長の野望には弓術書が何冊か出てくるよ。
日置流弓術書(へきりゅうきゅうじゅつしょ)
日置流弓術の極意を記した書。開祖・日置正次は、諸国遍歴の中で射法秘術を会得し、革新的な射術を編み出したという。日本弓術の中興の祖とも称される。
吉田流弓術書(よしだりゅうきゅうじゅつしょ)
吉田流弓術の極意を記した書。開祖・吉田重賢は、日置正次から奥義を伝授された唯一の人物といわれる。後にその射術は息子・重政へと受け継がれた。
礼記射義(らいきしゃぎ)
古代中国の経書・礼記の一篇。礼記とは儒教の礼について記された書物であり、この射儀篇では、弓術における礼儀作法や精神のあり方などが述べられている。
射学正宗(しゃがくせいしゅう)
中国・明の武経。弓の名手・高頴叔が記したといわれる。射法を五つに分類し、分析・解説を行っている。江戸時代の日本の弓道に大きな影響を与えたという。
射法訓(しゃほうくん)
弓道における射術を解説した書。紀州竹林流弓術の中興の祖・吉見順正が記したといわれる。弓の引き方や心構えなどが真言宗の教えとともに述べられている。
ちなみにそっちだと小笠原流は馬術扱い。
小笠原流庭乗(おがさわらりゅうにわのり)
小笠原流馬術の極意を記した書。小笠原流は源頼朝が小笠原長清に命じ、武術や武家の儀式を制定させたことが始まり。以来、同家は「弓馬の家」と呼ばれた。 伊勢流礼法は小笠原流ほどメジャーじゃないだけで今でも残ってる 伊勢流礼法といえば伊勢貞丈かなやっぱ
いや伊勢家の人は大抵故実書残してるけどね 今の時代だと作法とかめんどくせえってなるけど当時はわけわからんことで殺傷沙汰になったりしするから
公式レギュレーションとかあったほうが良かったんだろうな 現代でも華道や舞踊で刃傷沙汰になったりするヨウニ、
秘伝家伝は握ってるだけで権益になるカラネ。
貞宗ドノも子供時代の新九郎に懸念も含めてちょっと言ってたヨネ。 政清の息子の尚清が若くして亡くなった時に、小笠原流が絶えたら困るというので
政清・尚清の教えを受けていた細川高国が尚清の遺児を弟子にして教え込んだ、
というエピソードがあるくらい大事だったのよ小笠原流礼法は >>911
あんたは古い礼法を作り変えちゃった側じゃないの >>892
束脩って言い方もするらしい
礼儀作法の指導料が主な収入だったんだから
それをケチる若造には嫌味の一言も言いたくなるわな
しかも自分の親より年上の老いぼれすら仕留められず
理由を聞かれても答えられず紙に書かせても
わけわからんことしか書けなかったってんだから情け無い >>905
根岸の馬の博物館の展示でも
小笠原流の分派が二つだったかな
指南書みたいなのが展示されてたよ 山本勘介は最初、今川や北条に仕官しようとしたが連敗続き
今川「うち雪斎いるんで」
北条「うち幻庵いるんで」
という感じで軍師は間に合ってますって感じだったのかな?
その後、信玄にスカウトされると 実在の諸葛孔明が軍事下手の能吏・官僚だったように、
現実の山本勘助も築城奉行が主な仕事の手駒 >>857
「逃げ上手の若君」の貞宗さんの弟の子孫なんだよ縫ちゃんは
>>880
そのあたりの戦法の大転換は楠木正儀さんから
>>883
幕府からの「お手当」少なすぎて「授業料」貰わないことにはやってられない悲しさ 明日は新暦で新五郎の命日とされてるんだな
旧暦では…あああああ まあコネも名声もない浪人にいきなり要職を任せるはずないよな
>>918
演義みたいに奇策を打つタイプではなかっただけで軍事ベタではないだろ 母の世代はお茶お花踊りの免状もらっとくのは当たり前みたいなこといってたな
ああいうのが昔の日本人らしさのようなものだったんだろか >>919
逃げ若時空と繋げると登場人物の大半が変態の子孫にだな…… >>922
馬良にも劣る軍事下手って自覚はあったみたいだぞ 兵は詭道なり、要は騙し合いが上手い奴って言うのは人格破綻者だから
諸葛亮は頭が良いので戦えはするけど人格者なので騙し合いに強い訳では無いのだw 近い時代の歴史家が「諸葛亮さんはいろいろ頑張ってたけど
軍事は苦手で自分で指揮するとやることなす事しくじってたね」
と書いてたのは三国志ファンの間では有名なんだと思ってた
まあ私も高島俊男で知っただけだけど 演義と正史は全然違うからな
馬良だって死ぬところ違うし むしろ難しいとされる撤退戦で逆に追撃してきた敵将討ち取ったりしてる 寡兵を率いているのに衆兵を率いてるかのように戦う事しかしなかった
そりゃ勝てない >>928
馬良は演義だと孔明が南蛮征伐行ってる最中に成都で病死したが史実では夷陵の戦いで戦死したんだよな リスクとリターンを秤にかけて考えるときにリスクに大きな注意を払う人とリターンを重視する人といるからねー 孔明が偉大な軍師でなく優秀な政治家ってのは安能務で読んだな
2000年近く前のことであーだこーだ言える資料残ってる中国ってすごいな >>933
ジリ貧で追いつめられて出陣してるのに安定とるような奴は使えないわ
そういうのは大国になってからやれと 2000年前は光武帝の頃やぞ
2年後が後漢建国2000年記念 三英傑で怒られたから今度は三国志の話をしてます、の図 やってる事自体が疎まれてるのに、話題を変えればいいんだろと思っちゃうのが歴史オタクの悪いところだよな
いいところも特にないんだけどな 中途半端な知識で賢しげに語るおバカさんがフルボッコにされるの図 ぬい殿はいつ頃駿河に越してくるのか、そして親バカ政清さんはその寂しさに耐えられるのか 信じて(娘を)送り出した青年が、まさか遠く伊豆や相模で凶徒と呼ばれる極悪人だったなんて まず新九郎の駿河定住が決まらなくては
妻子を呼び寄せる話にはならない
近江出陣中の室町殿が生きてるうちは
呼び戻される前提でしか動けない 山本勘助は書状がいくつか見つかって現時点では武田家臣団のなかでは資料が多いほうになった ローマ初代皇帝アウグストゥスも政治的権謀術数だけで肉体が出来てるようなヤツだけど
軍事になると途端に連戦連敗のダメダメヤロウだったのダ。 薄っぺらい歴史知識を披露したいからってスレタイ無視は良くない そういや勘助って今川義元に見た目悪いからと仕官断られた逸話あったな
そんな説はとっくに過去の物と研究も大分進んだんだろうな 北条幻庵
太原雪斎
山本勘助
朝倉宗滴
竹中半兵衛
黒田官兵衛
直江兼続
戦国時代の名軍師としてはこんなところかな? 三英傑三国志ときたらあとはサンバルカンくらいしか・・・ 三管四職なんて言われるくらいで管領と侍所はメジャーなのに、なんでか伊勢お家芸の政所はどうも今ひとつ地味よね 氏綱の頃でも「他国の逆徒」呼ばわりされてるくらいにはよそ者やしな
足利一門の古河公方や関東管領の上杉を圧倒しようと思ったら、執権として関東ひいては日本全国を支配した北条を名乗って正統性を主張するしかないわよね 氏綱の頃でも「他国の逆徒」呼ばわりされてるくらいにはよそ者やしな
足利一門の古河公方や関東管領の上杉を圧倒しようと思ったら、執権として関東ひいては日本全国を支配した「北条」を名乗って正統性を主張するしかないわよね 作中だと今誰が管領やってたっけ? と調べてみたら1487年は細川政元が長享への改元後の儀式のために1日だけ就任した以外は不在だった
というか改元は作中で完全スルーだったな >>950
映画『クレオパトラ』でも戦場でヘロヘロになってる
シーンをわざわざ描かれていてワラタ
それを補った人間が『アグリッパ』とマンガの主役に
なっちゃったりするからな
(読んだ人はいきなり「アグリッパ」は死んじゃって延々と
カエサルとベルチンジェトリックスの戦いが続く展開に
驚くんだけどw)
https://i.imgur.com/3y1uPAL.jpg
https://i.imgur.com/4kk3SLE.jpg
https://i.imgur.com/RzIQS7B.jpg 北条高時 自害
足利義昭 天寿を全う
徳川慶喜 天寿を全う 山内・扇谷両上杉が争っていなければ北条もあそこまで勢力拡大はできなかったろうな
そもそも幕府による堀越御所の設置がとんでもない化け物を関東に呼び寄せることになってしまった… >>962
そこは
守邦親王 幕府滅亡後に出家、3か月後に薨去
では? 執権に焦点を当てても
滅亡時は2代後の赤橋守時だし 高時は貞時の分の悪名を上乗せさせられて可哀想ではある 畠山政長はもう管領降りてたのか
まあもともと嫌々だったし適当な口実あれば不思議はないか 今日金沢文庫行ってきた
称名寺って氏親や氏政が安堵したんだけど
謙信に荒らされたんだよな許せん 昔はなんで新潟の上杉謙信が何度も関東まで出張って来るのよ、って思ってたけど
こうして長尾も上杉も関東に根を張ってたのを見ると何もおかしくは無いんだな 謙信が管領になるのは身分的にワンランク以上上がる感じ?
今川は氏親の代で官位が凄い上がってる
従四位上って細川家より上だわ
公家出身者と縁組したからだろうけど >>961
今週号の時点ではまだ生きてる
むめさんがどうなるかも心配だな >>972
まあ長尾氏は関東管領の家宰の家柄だから、伊勢氏で言うならしんえもんさんが伊勢本家の養子になって政所執事になるようなもん いとねーちゃん縫ちゃん連合軍にタジタジになる新九郎の苦労回はよ 謙信の親父は越後守護代だったから守護飛び越えて関東八か国のトップ(名目上)である管領になったから2ランク以上上がったんでは 守護と管領は別系統だから管領が守護の上位者というわけではないよ 三管四職は足利一門で、政所は清和源氏以外ってイメージがある。 >>975
越後長尾家は分家だから新右衛門のさらに縁者だろ 物語の新九郎は、今の人柄では側室を取るイメージが湧かないから、ぬいさんは… >>972
信虎さん羨ましかったんやな
それだけ太郎さんに期待賭けてたのに。。。 >>973
むめに付いて人質になりに来た竹若(新五郎範満の甥。孫五郎=徳寿の弟)は史実でその後氏親の側近として今川家で重用されるので(龍王とカブトムシの話で盛り上がってたしな)、竹若が面倒見るんじゃね?竹若の父(範満の弟)は義忠が戦死した直後の今川家内紛で殺され母も未亡人で世話しないとならんだろうから何人も大変なんだろうけどな
>>983
新九郎はその後葛山氏の娘、狩野氏の娘をそれぞれ側室に迎えることになるが、どっちかが備中荏原の弦そっくりで新九郎がガーンとなってしまうとか?笑 >>983
たしかに南陽院殿は下向してない可能性あるけども
それでもあの新九郎が現地妻囲うのよりは
縫さんが半ば政略妾への采配を振るうほうがいいなあ >>980
政所は事務方だし鎌倉幕府から続いてる組織を室町幕府が取り込んだからな
二階堂から伊勢に交代したのは何故だろう 奉行が各省庁の公務員官僚で
奉公が首相秘書官ズだよナ。 鈎の陣の時、義政派の貞宗は義尚から干されて二階堂政行が側近として実権を握る状態で
義尚の急死が無ければ伊勢氏に代わって再び二階堂氏が政所執事に復帰する事もあったのだろうか?
息子の二階堂尚行は義澄元服時に1日だけ政所執事になったが >>987
むめさんは実家も間も無く取り潰し状態になるから竹若の母がわりに引き取られるのが無難だろうね 12巻で義政の側近?として登場する上杉政憲の実兄の「政熙」
政憲とどこまでつながってるのか(作中で)も不明だが
「御部屋衆」の「一色政熙」だな
説明無さすぎ >>991
二階堂は建武の新政では雑訴決断所にも入ってたし、観応の擾乱でも直義党だしで、完全には信用してなかったんじゃない?
伊勢氏なら足利の根本被官だから もう歴史オタと本編の子孫の話(というテイの三英傑ほか諸々)は正式に荒らし扱いでもいいんじゃないかな
>>1000までに異論がなければその旨入れて立てる 残り2レスで異論云々はセコいというしか無いので俺が反対する
次スレはそのまま立ててそこで議論すべき ソレ何回も言ってるけど、ぶっちゃけチミしか文句言ってる子イナイから
いつもの発作ぐらいにしかミンナに思われてナイデショw レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。