[ナポレオン覇道進撃]長谷川哲也 56 [セキガハラ・笑う殺し屋]
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ナポレオン~獅子の時代~に続く皇帝への道
ナポレオン 覇道進撃
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規制回避 >>369
本営を反斜面陣地においてる上に、周辺に複数陣地を置く形態
さすがに要塞・砦とまではいかないかもしれないが
本営を大砲で攻撃するのは地形的に困難だった
当日の地面のぬかるみのせいで攻撃の困難は一層強化された 急斜面のせいで歩兵や騎兵が攻めあげるのも難しく、守備側の方は応戦しやすい
ウェリントンは、ブサコの戦いでも尾根という地形を利用して、ネイに勝っている そんなの関係ないだろう
攻めにくさで言えばロディなんか最悪だったのに15000で勝ってる 「天然の砦」という都合のいい言葉もあるし
実際天然か人工物かはそこまで重要ではない
トレス・ヴェドラス線だって天然のものも利用して作られた
>>373
そういうときは驚嘆すべきことだからこそ歴史に名を残している
ナポレオンでも少数で敵を撃破したことは多くなく
大抵は敵軍の方が少数にばらけたところを各個撃破して勝利している
攻める側の員数は守備側よりも重要 >>374
ロディは別に攻めるのが難しかったのに勝利したことから名を残してるわけではないだろう
軍旗を持って先頭に立った伝説が有名だから名が残ってるだけだと思う >>375
だったらここでは関係ないのかなw
籠城戦では外に援軍がいないといつかは陥落する
(フランス軍側にいつまでも包囲戦ができたかは知らないし
フランス軍の盲点の場所にも伏兵はいて、ウェリントンは撤退の備えもしていたけど)
ボロディノの戦いの方は援軍の可能性が敵軍側になかったが
ワーテルローは違う。プロイセン軍の存在を最初から知っていた
スルトとジェロームは進言していたのに、ナポレオンはグルーシーを呼び戻そうとしなかった >>376
じゃあ別にフランス軍の数が少なかったのが問題ではないわけだな >>375
ナポレオンが先頭を切ってロディの橋を渡ったのはあくまでも伝説にすぎないそうだけどね
セントヘレナで主治医のオマーラ医師に「陛下が先頭を切って渡られたのはロディ橋でしょうか、それともアルコレ橋でしょうか」と質問されてこう答えている
「アルコレ橋の方だね。ロディ橋ではそんなことはしていない。そんな余裕はなかったんだよ」と >>378
だから俺のレスでも伝説と言ってるんだけど
今更なんでそんなこと解説してるの? >>380
そんなもん20世紀までは誰も提唱してない >>374
バスク地方のオンダリビアを僅かな兵を率いて陥落させたラマルクの例があるから一概にもそうはいえないけど
孫子も説くように攻める側の員数は守備側よりも重要なのは確か >>366
進撃を続けるウェリントンを熟練兵士不足のスルトが敗北しつつもなんとか食い止めていってるイメージがある。スルトが劇的な大勝利を挙げた戦いはスペイン軍相手だけじゃなかった? 悲しいことに晩年のウェリントンはすっかり頑固な老害になっちゃったんだよな
ありとあらゆる軍制改革を反対し続けた結果、イギリス軍をクリミア戦争で多数の死傷者を出すまでに劣化させてしまった >>384-385
本作でオチとして触れてほしいところだ
プロイセンのブリッヒャーのことを老害呼ばわりしていることだし(史実でも) あの扱いにくそうでしかも老害化したウェリントンを政府中枢に置いてた英国(とヴィクトリア女王)の懐の深さは偉いと思うが、そのせいで現場の兵士が大量に無くなってるんだよね >>357
世界十大小説のひとつを書いてるのにw
しかし、大成功を収めるとその後老害化しやすいよなあ ナポレオンゆかりの品をかき集めてナポレオンマニアな老後だったらしいな
当時の栄光を生涯忘れられなかったんだろうなあ 丘の向こうに何があるか知ろうとすることだって発言はとてもよかった ナポレオンは全人生純粋に害しかなかったけどな
最初から最後まで
世に出た時から死ぬ時まで
ウェリントンなんか比較にならない そのナポレオン以上のカスがプーチン
ロシアを正義側として描く作品を許すな 仮にモローやベルナドットがフランスの第一統領になってたらどうなってただろうか それはメドベージェフがロシア大統領だったらと考えるようなものだよ >>393
ベルナドットなら適度に弱いし、各国王族やスウェーデン国民にすら愛された妙な人徳あるし、無難にフランスを列強のひとつで終わらせたのでは
ナポレオンは欧州を支配するには弱く、列強のひとつで終わりには強すぎた ナポレオン爆殺計画の首謀者であるカドゥーダルのモロー評が残っている
「モローは自分がトップになりたいから俺達王党派に協力してるのに過ぎないのさ」
「モローなんかがトップになるぐらいなら、ナポレオン・ボナパルトの方がよっぽどましだ」
ナポレオンの命を狙う者ですらナポレオンを認めているのが面白い >>388
あのアインシュタインですら老害化したからな ナポレオン憎しでロシア軍にまで入るようではな
敵対者を激しく弾圧してたならともかく、かなり広い層から人を取り入れたナポレオンが相手なだけに
暗殺失敗から亡命して敵軍入りは流石に国民に受け入れられんわな
>>397
学者には進歩的なイメージ強いけど老害ムーブも案外多いよな
アインシュタインは量子論反対か 量子論でも一般相対性理論でもよく分かんねえので
これが正しいんだされても正誤の判断は出来ないw プーチンも老人世代に突入したらこの有様だよ
やはりロシアを正義側として描くべきではない 若手の足を引っ張らなかったブリッヒャーは、本人に才能がないのを自覚していたのかな? >>402
ブリッヒャーは気性が荒く無教養だけど親分肌で部下の諫言に嫌がることなく耳を傾けていた
そして部下の提案を素直に受け入れてやらせてみる度量があった
だから老害にならなかった
残念ながらウェリントンにはそんな度量などなかったもんだから老害化してしまった 漫画ではタレーランすごいってなってたけど、英国もすごいんだよな
オランダからセイロン島と南アフリカを奪って世界の制海権を確保
オランダにインドネシアは返還して機嫌をとって、でも航路は英国が押えてるから人質みたいなもので、オランダを実質子分化。オランダが英国から離れるのはインドネシア独立後
アングロサクソン外交の傑作だと思う オランダは1860年頃まで日本の独占貿易権を得ていたのでこの頃まではアジア貿易の最高者であり他の追随を許してない でも元をたどるとオランダ側が英国をルイ14世側にしないために名誉革命起こしたから最初の因果は逆 ネイ元帥の立像…今もネイ元帥の悲劇的な最期を悼む人々による献花が絶えない
廃兵院にあるナポレオンの墓所…何故か元帥杖を紛失したジュールダン元帥が近くに眠っている。どうしてこうなった
グラスゴーにあるウェリントン公爵の騎馬像…今も騎馬像にカラーコーンを被せるイタズラが絶えない スヴォーロフの銅像なんか多くがウクライナにあったせいで
みんなウクライナの民族主義者にロシア的な施設だとみなされて破壊されたが トラファルガー広場のネルソンはイタズラ出来ねえわあれ ネイの立像が銃殺現場に立っているのは鎮魂する目的もあると聞いたことがある >>411
平将門や菅原道真みたいなものか
西郷隆盛はちょっと違いそう
軍人というより革命家っぽい >>410
ジョゼフィーヌの銅像はポリコレで破壊されてた >>413-414
大デュマの親父のトマ・アレクサンドル・デュマの銅像でも建てればいいさ
革命で一時廃止になってた奴隷制復活の引き金がジョゼフィーヌだからしゃあない >>416
Twitterで見た
>>417
ナポレオンケーキの名称だと、日本の消費者のウケが悪いんやろうか?
>>407
大陸軍時報見るに、ジュールダンは復古王政では厚遇されなかったくちで
裏切り具合が酷くなかったとかかな? >>404
最近ではEU離脱後の英国から、スコットランドが独立するか?なんて話題があるね
もともとは同君連合でしかなくスコットランド議会が廃止になったのは名誉革命より後だから
アイルランドが実際に独立しているのでジョークとは言い切れない
まあオランダと違ってスコットランドの人口は少ないけど
大英帝国に人材を提供することでスコットランド人の活躍の場を得ていた時代が終わった今
独立してEUに加盟しなおすもありっちゃある >>415
ジョゼフィーヌは奴隷制復活そこまで関与してないってのがここ最近の通説らしいぞ
むしろ奴隷制復活のさいに自分とこの黒人には白人との結婚を例外的に許すようにナポレオンに働きかけてる >>419
七月革命で革命側の闘士として名を馳せたところをみると、ジュールダンは復古王政と距離を置いていたのかもな
なお、セントヘレナのナポレオンはジュールダンの近況を知って嬉しそうにこう語っている
「私はジュールダンを冷遇してしまった。それにも関わらず、彼は恨むことなく節度ある態度をもって振る舞っていると聞いた。大変喜ばしいことだ」
「ジュールダンは精神の向上が人を際立たせ、その性格を称えさせるという実例を提供している。ジュールダンこそ真の愛国者といえよう」
これを契機にジュールダンのあだ名が「真の愛国者」になったのは言うまでもない >>419
昔はでもナポレオンパイって言われてた気がする
お菓子界って定期的に名前変えてイメチェン計ったりするからその一環じゃないかな
俺もナポレオンパイよりミルフィーユの方が美味しそうに感じるし セントヘレナでのナポレオン一行の1日あたりの食費(もちろんイギリスが払う)が色々ひどい
「肉50キロ、鶏6羽、卵30個、野菜10キロ、バター2・5キロ、ハム1キロ、ラード1キロ、砂糖5キロ、果物5キロ」
「食事のお供として大量のワイン、麦芽酒、ラム酒、コニャック」
「500グラムで1万円以上する最高級品種のコーヒー」
たまりかねたイギリス側は会計係のモントロンに食費を削減してほしいと泣きつくのだが…
浪費家のモントロンに新しい食材リストを渡されて頭を抱えるはめになったという そんなの何人分かもわからないとなにがひどいのか全くわからん 何人分か分からんけど要求したものの中身からして贅沢なのは察せられる
しかし約束した年金を払わなかったのがナポレオン脱出の原因になった事もあって無下には出来なかったのだろうな コーヒーはセントヘレナ自体の名産品だしそれ以外は一般的な品だとしか思えないけど リストはあくまでもロングウッド本館に住むおよそ20人分だから
離れに住むベルトラン一家は別に支給されていたと推測されている
セントヘレナは離島だからこれだけの食材を毎日運び入れるのは相当大変だぞ
当時は冷凍技術や空輸なんてないし、自宅に冷凍庫にまとめて保管も出来ないんだから
しかも、仮にも皇帝に提供される食材だから安物じゃ済まされなかった
ワインやコニャックもナポレオンが好みそうな一級品を大量に買っていたそう
イギリス側の記録では食費かかると嘆く記述が何ヵ所かある いや元から海上貿易拠点なんだから船便は定期的かつ大規模に来るだろ
金がかかるかはともかく別に大変じゃないと思う https://www.afpbb.com/articles/-/3061087?act=all
多分この辺りがネタ元だろうけど
食事全体における肉とパンと野菜の比率で豪華さが推し量れないのは流石に
まだハーバーボッシュ法が発見される前で肉自体が贅沢な時代 >>430
肉と野菜の比率じゃあ全くピンとこないけど? まあセントヘレナ島はイギリスの提案でもあったから、「物流の困難な地域を選んだお前らの責任だろ」ってあてつけもあったんだろうね 大体、会計係に堅実なベルトランや計算に強いグールゴーじゃなくて浪費家でギャンブル好きのモントロンを選ぶ時点でおかしいって >>433
嫌がらせだったりして
ナポレオンがモントロンに
「イギリスの国庫に打撃を与える任務を申し付ける」とか言ったんじゃないかと勝手に妄想して楽しくなってるわw >>434
さすがにこれぐらいで打撃を受けるイギリス国庫ではなかったろうけど
ナポレオンご一行は、ルイ14世時代の謎の虜囚、鉄仮面以上の厚遇を受けたんだ
ロウ総督のご一行からの一部追放やら、ナポレオンを将軍呼ばわりやら
一日二回の兵士のナポレオン所在の確認やら、不快な湿気の気候やら
大した冷遇ともいえんな
ウェリントンは、記者に対して、負傷兵などを見せては
「もっと十分な装備があれば」と涙ぐんで見せたというが
イギリス議会から戦費せしめるには、それくらいのパフォーマンスは必要だったのかも
「愛人とその子を困窮させないでくれ」という救国の英雄ネルソン提督の遺言を握り潰した
連中だからな
当時の貧民の食糧の中にチョークなど「本来人の食い物じゃないやろ」なものも混入していた時代 >>422
反面、ダヴ―には結構冷たい発言してるところみると
二回目の退位のときにナポレオンが根に持つことをしていたんだろうな
その後のパリ防衛戦やら指揮権移譲やら敗戦国フランスの立場を守ろうと悪戦苦闘した
と思うんだがな
晩年ルイ18世に許されたといっても地元市長を短期間務めた程度で厚遇なんかされてないというのに >>433
山師呼ばわりされたモントロンだが、ちゃんとナポレオンご一行の役に立っていたということだな
最晩年のナポレオンはいまだ人を見る目があったということか ワーテルローのあとに議会はカルノーやシェイエスを除いて反ナポレオン的になっていたのでクーデターで独裁権力を取り戻そうとしたが戦争大臣のダヴーが反対して成功しなかった
新政府のナポレオン追放宣言はダヴー自身がナポレオンに事務的に伝えて二人は握手もせず最後の別れをした やっぱナポレオンはワーテルローで華々しく戦死してた方が後世から伝説、英雄としてのウケが良かった気がする。 >>439
毀誉褒貶あってのナポレオンだと思う
名誉の戦死をした英雄などほかにいくらでもいるが、表面的な賞賛で終わりがち
コルシカ人のガキが士官学校でいじめられつつも卒業して
革命、戦争の果てに頂点に昇り詰めて欧州を支配したと思いきや
会った言う間に没落、アフリカに近い絶海の孤島で死んでいく
という栄枯盛衰の一代記あっての、歴史上の人物ということ >>438
獅子の時代での2人の出会いの描写から
2人の対面する最後の場面でダヴ―がナポレオンに
「女々しい!!」と叱咤するシーンが来ないかと予想している
ワーテルロー帰還後の皇帝としての最後の閣議での発言が
ダヴ―やカルノーにも見放されるようなものだったっぽい
まだ勝てそうと思えば、彼らがナポレオンを見放すとは思えないので 1年近いエルバ島でのそれなりに安楽な生活と
ろくな戦いもなく皇帝に復位出来てしまった事で変に気の緩みがあったのかな
どちらにしろ未来はなかったにせよ
気を張ってれば当時のナポレオンでもワーテルローくらいは勝てても良かったのでは >>442
気力と体力がある程度回復してればリニーでプロシア軍壊滅できてたかもしれん。百日天下が数年伸びるか、運良ければ完全復活かな。そしたらアレキサンダー大王を超えた男になってただろうね。 >>439
そっちの方が華々しくはあるが
島流しにあってから色々語ってくれているので歴史資料的には死んでなくてよかった 文豪シャトーブリアンの「ナポレオンは、生きている間に世界を征服することはできなかったが、その死によって世界を手中に収めた」評が全てだわ
ナポレオンは離島セントヘレナで死んだからこそ伝説になった 動員はもっとできた
内務大臣のカルノーが継戦可能だと判断してるんだから意思さえあればそれなりに続いたと思う ナポレオンは親衛猟騎兵連隊の軍服(緑色のやつ)を好んだらしいけど、肖像画では紺色の軍服もよく着てるよね。あれはなんなんだろ。 >>447
大陸軍時報によれば、ダヴ―とカルノーは革命的民衆(の義勇軍)に武器を渡すのに賛成
ナポレオンとフーシェは反対だったという
戦争継続には、革命的民衆と手を結ぶ方向転換が必要だったということ
勝敗は、フランス革命当初と同じやり方で、連合国軍に対抗できたか否かによる >>443
プロイセン軍の部隊は、リニーの戦い不参加組が相当数いたようだね
グナイゼナウの意図は、推測するに、軍全体の壊滅防止と、イギリス軍にも戦ってもらう
ということだったのだろうか?
その後、ブリッヒャーに一喝される前は、イギリス軍見捨てて東方のオーストリア軍に
合流しよとしていたという
リニーの戦いとその後のウェリントンからの伝令で、イギリス不信が強まっていたからとしか思えない 既に一度は負けたナポレオンが根本的に建て直すとか無理だろ
小手先で動員数増やしたり、連繋がうまくなかったとしても
倒せることを皆が知ってしまっているんだから
ナポレオンは大したことないと皆はわかっているんだから
夢見すぎ >>442-446
もって数年だったろうね
フランスに欧州全部を敵に回しつづける余力はない
大革命とナポレオン戦争で消耗しつくした
アレクサンドロス大王の真似事なら、既にエジプトとロシアで形を変えてやったが
両方とも失敗に終わっている
エジプトの方は制海権がないのとイギリスとトルコの妨害で
ロシアの方は地の利がなかったのと60万の兵をナポレオンが捌ききれなかったので 王道派、民主派
フランスさえ、ナポレオンでまとまらないし、諸外国は今さらナポレオンと組む奴なんかいない
頭に金を打たれているのに、勝てる、勝っていると言ってるようなもんだろ
寝言だ >>452
新兵器の発明でもあって軍事版産業革命が起きないと無理だろうね
大革命以降のやり方に連合国側が追い付いてしまったからこそのナポレオン一回目の退位 >>454
函館戦争での地元住民よろしくフランス南部の住民が、連合国軍に協力していたのかもね
そういう水面下の地道なスパイ活動が戦争には重要
ウェリントンがスペイン軍の大半にフランス進軍許さなかったのだって
せっかくの王党派寄りの住民たちを、スペイン軍の暴虐で敵側に回したくなかったからだし >>456
百日天下中に南仏で王党派による大規模な反乱が起きているけど、別動隊を率いたラマルクが完膚なきまでに撃破しているよ
ラマルクの大活躍はナポレオンにとって嬉しい誤算だったようで「将軍は私が想定してた以上の大功を立てた」と最大限の賛辞を送っている 白色テロでガチの指名手配犯になったのはデルロン伯ぐらい
デルロン伯に関しては発見次第銃殺せよとの通知と手配書が出回っていたとか
おかげでデルロン伯は正体を偽って外国を転々とするはめになってしまった
そして資金繰りに困ったデルロン伯が始めたのがなんと喫茶店だった
そしてデルロン伯が恩赦で帰国を許されたのはワーテルローから10年後のことだった エルバ島で大人しくしてれば、フランス国民は老害ルイ18世を追い出してナポレオン復位になってたと思う
後はタレーランが確定した国境の尊重宣言をすれば生き残れたかもしれん。
まあ漫画じゃ暗殺や、さらなる島流しを警戒してて、動くしか無かったという描写だけど ナポレオンが負けることを一度満天下に知らしめた後で何をしようがどう工夫しようが、長くつづくわけはなかった
ナポレオン復位は壮大な無駄
ワーテルローは茶番 百日天下は戦略的に負けてるわな
元帥達の士気や忠誠心がイマイチだったのも、それを理解してたためだろうし
でも戦争はそんなもんよ
戊辰戦争だって、勝敗が決した会津や函館で激戦が繰り広げられてるし、負けを認めるには時間もコストもかかる 今のプーチンと同じだな
ロシアを正義側として描くべきではない >>465
デルロン伯はブルボン王家に忠誠を誓ったもののオルレアン派のスパイ疑惑という訳分からない容疑をかけられて速攻で逮捕された
その後、デルロン伯は脱獄してエルバ島のナポレオンに馳せ参じて忠誠を誓った経緯がある
だからブルボン王家からしたらデルロン伯は脱獄犯でしかない >>466
完全にブルボンが悪い。やっぱギロチンかけなきゃダメだわ。 >>467
ド・グルーシーなんて「王家を支えるべき侯爵家の当主のくせにナポレオンに味方した裏切り者」という理由でクビにされたんだぞ
逆にラベトワイエールは妻のコネで復古王政に仕えたものの「私は皇帝陛下を裏切って汚れてしまった。このうえない恥辱だ」と嘆き暮らしていた
そして、エルバ島を脱出したナポレオン一行に部隊を率いて真っ先に馳せ参じた
この経緯からラベトワイエールは「ラベトワイエールだけは最優先で銃殺せよ」とデルロン伯以上に憎まれた
そして「国家に反逆した犯罪者」の汚名を着せられて銃殺されることになる >>466
この時期にオレルアン派で逮捕というのも意味不明だな
パレロワイヤルに堂々と拠点構えているブルボンの有力分家に近い人間というだけで
投獄か?
それでわざわざナポレオンに再度接近するように追い込んでいるんだから
ブルボン家周辺の思考回路はわけわからん
連合国がナポレオンをセントヘレナで飼い殺しにしたのも
ブルボン家に対するけん制の意味もあったかも
七月革命後タレーランの交渉でイギリスがオレルアン王朝になびくわけだわ
大デュマはオレルアン家の秘書団に入って作家としての基礎トレーニングをして
後、七月革命参加。作家として大ヒット
二月革命後、イギリスでのルイ・フィリップの葬儀に参列
(ルイ・フィリップに子爵にしてもらったユゴーは参列せず。なんなんだ、こいつ) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています