ゆうきまさみ総合28【新九郎 奔る!】
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■前スレ
ゆうきまさみ総合27【新九郎 奔る!】
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■前々スレ
ゆうきまさみ総合26【新九郎 奔る!】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1619694619/
■作者公式サイト「ゆうきまさみのにげちゃだめかな?」
http://www.yuukimasami.com/
■ゆうきまさみtwitterアカウント
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■次スレは>>980がたてること
■>>1の本文一行目に「!extend:on:vvvvv:1000:512」
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>819
>>827
天智天皇の息子大友皇子なんかも、天智死後短期間で敗死したために即位してないとされていたもんな。
Wikipediaだと明治3年になって弘文天皇と諡号されている >>833
守護のなかでも格式が高く、足利一門として格別な扱いをうけてた斯波家の義敏の妻が伊勢貞親の娘なんだから、
斯波より格式の低い今川の嫁が伊勢氏分家でも全然おかしくない
つか、伊勢氏の格式を低く見すぎてる アニメ化は逃げ上手の若君の方が先かな
まあ新九郎は連載終わってから大河アニメになってほしいけど
作者がこれだけNHKに好意的なんだから考えてほしいわ >>851
天武朝を正統化する日本書紀が即位を否定したため 新九郎一行が小川湊で宿所としている林叟院は
新九郎たちが宿泊する少し前の文明3年(1471年)に
長谷川次郎左衛門により小川の屋敷のそばに建立され、
それは作中で立地が描かれている通り。
でも現在実在するこの寺は海のそばではなく
焼津市坂本という岡部に近い山の中なんだよな。
それは「お告げ」のようなものがあり
寺を小川から坂本に移した翌年、
一帯は明応地震の津波に襲われたが寺は難を逃れたらしい。
ゆうき先生、林叟院と本物の寺の名前使ってるし
そんなところまで調べて描いてるんだな。。 >>858
2018年に歴史ヒストリアの北条早雲の回で
北条早雲の漫画を描いてる人ってことで
ゆうき氏インタビュー受けてたな。
漫画は1巻から数カット紹介くらいな感じだったかと。
もちろんNHKのことなので
番組のストーリーと漫画のストーリーは関連なし。 南朝正統論の一番問題なのはあくまで合体までの限定なのかその子孫にまで正統が続くかというのが曖昧な点 そもそも血統論でいうなら後醍醐は弟系の弟系なだけに近世以降の兄系絶対の秩序においてはむしろ都合が悪い
だから後醍醐自身の正統について究極的には現職優先の論理で押し巻くるしかない >>866
そうなると天皇家の血を引いて神器を所持してるなら誰でも良い事にまでなる
確実なのは南朝の正統化において血統的論理は使い難いという点 >>866
後醍醐帝が持ち去った神器は偽物説の方が濃厚
本物は正平一統のときまで京都にあったと思われる >>867
>>868
事実はどうあれ明治天皇の南朝正統認定は後醍醐の神器が本物という公式見解なんじゃないかと思う >>863
大正天皇も自分の考えやろうとして政府にとって都合悪いから実は毒でも盛られて病死させられた説もあるしな
幕末の孝明天皇も徳川慶喜を評価してて薩長にとって都合悪かったがサクッと病死であやしい 「知天の意思に背いて」云々が大事なだけで(天皇本人が約束破るのはギリ許す)
要は逆賊許ざん゛ってだけでは?
あとは全て後付けかこじつけ ○○天皇って全部死後の贈り名なのに、
後醍醐天皇だけ生きてる時からの自称なんだっけ 結局君臨すれども統治せずなんていう
いいからあんたは政治に口出しするなってな言葉が天皇の美徳とされ
毛利のそうせい公みたいにそれをやり通した明治天皇が殺されることもなく長生きできたわけよな
昭和天皇もそういうことがわかってたから軍部などに強く言うこともできなかったんだろ
実記だかなんだかで昭和天皇自身が下克上が起きるからどうにもならなかったとかなんとか回想してたしな >>872
生きてるときからの自称ではなくて
自分の諡号はこれねって予約してたんじゃなかったかな >>867
昭和天皇は、南朝正閏論だと自分の立場が微妙であることについて「神器ノアル所正統トセザルベカラズ」と内々で発言してるな >>873
明治天皇も昭和天皇も、大正天皇でさえ元気だったときは活発に政治介入してるぜ。
大正天皇が皇太子だった頃に近習の不手際を厳しく叱責したことがあって、それを聞いた明治天皇が「側の者の働きが悪ければあるならまず侍従長や大夫に言って注意させ、それでも直らなければ異動させるように。人前で直接叱るのはいけない」と叱ったとか。
「天皇は政治に口出ししない」「天皇は公平無私」というのもこれと同じことで、口出しした事実を残さないための神話だよ。口出しして後で失敗だったり不人気だった場合責任逃れができるように。 >>869
あれは政府の要求を天皇がのんだだけ
倒幕運動の中核に南朝正統論があった関係上、新政府内は大多数が南朝正統論者だったからな >>872
遺言で明示したのは後醍醐天皇だけのはずだけど、生前からこの名前にしてほしいと希望を出しててその通りに採用された事例は少なくない
だから、本人の希望による諡号は他にも複数あるんだよね >>869
それでも問題は神器が北朝に戻った以上は渡した後の後南朝は無視して構わない屑のカスか否かって点 >>870
孝明天皇は怪しいよねー実に怪しい
攘夷思想も倒幕派にとっては結局邪魔だったしね
お陰で会津も朝敵にされちゃって気の毒過ぎる >>876
天皇の政治介入ってったって
「人前で部下を叱らない」なんてのはマネジメントの基本であって
単に帝王学を授けただけだよ。
天皇になる人物は立派な人格者でないといけないのでね。
天皇の政治介入とは関係無いし、口出しした事実を残さないためでも無いよ。 分家の分家が嫡流名乗ろうとごねたのが南北朝争乱の始まりだから
北朝を正統とするのが当然だろうけど
wikiでは南朝を正統としてるね
後醍醐帝の施策も時代に逆流するものではなかったと長々と説明してる
あれを鵜呑みにするのはどうなんだろ
日本版のwikiは書き換えできないから困るわ
南北朝の研究しようとしてよってたかって羽交い絞めされたのは
今上だっけ?やれば面白いことになったろうになー(無責任)
>>859
ほんとにそういうとこ隙がないよね
第1集で千代丸がもらってたお菓子といい
嘉吉の乱の鴨の親子といい(ちょっと違う) >>880
会津は勝ち目のない戦に無理やり引きずり込まれた悲劇のイメージだけど
最初はむしろやる気満々だったんだよな
北海道担保にプロイセンから援軍送ってもらおうとまで画策してた >>883
>日本版のwikiは書き換えできない
え?普通にできるじゃん
つかそもそもウィキペディアなんてのは誰でもテキトー書けちゃうし
恣意的だったりまるっきりの嘘を書いたとしても誰かが訂正しなきゃそのままになってるような書かれてる情報の信用性低いサイト
だから大学の論文課題などではウィキペディア情報は参照しないように指導されたりしてる
ま、数ある情報説の一つとして軽く参考にする程度ならいいが全面的に信じられるようなもんじゃないよウィキは >>886
ウィキの使い方は下の方に書かれてる
参照図書を調べる為にある
は大学時代の友人の勿論だが
広く浅く簡単に知るには便利ではある >>883
いや、後醍醐帝の政策に関しては、むしろ最近の研究を反映してんじゃないか
建武政権の政策に反発したのは、武士ではなく貴族だろ
武士は、戦乱の影響で所領を失ったり減らされたりした奴らが実力行使してたのが反乱に拡大しただけのような気がする、政策への不満ではなくて。
実際、建武の頃の新制度の相当数が、室町幕府になってから義満ごろまでの時期に採用、再施行されてるわけだしね そもそも、後北条氏の成功の原因は、京都で行われていた最新の統治法を東国に持ち込んだからだ、なんて説もあるぐらいで、幕府の話がスレの話題に欠かせないのは仕方がない 応仁の乱なくして新九郎は語れないし、南北朝なくして応仁の乱は語れないから仕方ないということでひとつ >>880
会津は新撰組使って京都の商人から押し借り(軍資金の強引な借用)やってるからギルティ >>888
大塔宮「○○に褒美としてAの土地を与える」
後醍醐「△△に褒美としてAの土地を与える」
尊氏「□□に褒美としてAの土地を与える」
鎌倉幕府打倒後、これで大混乱 >>896
そら会津は攻められたとき
民草が率先して官軍に味方する位
搾取しまくってたからなあ...
逆に長州は幕府ぶち壊せで上も下も
デモクラシー通り越して全体主義始めてたけど >>883
駿河国小川湊の林叟院は、1497年に「お告げ」で
小川会下之島(焼津市本町)から坂本(焼津市坂本)に移転し
翌年の明応地震の津波から逃れた話だが、
こういうのって本当はお告げじゃなくて
偶然移転したことに対する後付けの理由な気がする。
寺を移転させるくらいだから、正体不明の流れ者修験者の言葉に対し
莫大な金を掛けて本当に移転するとは思えないんだよな。
あるとすれば権力者が発した行政上の理由による強制移転とか?
権力者とすると1497年ならばそれは建立者の長谷川次郎左衛門か、
守護で国主の今川氏親か、はたまた氏親の御一門で
当時駿河国守護代の地位になった伊勢宗瑞か?
なんて可能性もある訳で。
ところで第1集で出てきた京菓子とは
第2話で千代丸が貞親の継室とその姉の斯波義敏の妾から
巾着のような形の菓子を貰い伊都と食べるシーンがあるが
これは千年の歴史を誇る実在の京菓子で
現在は祇園の亀屋清永が作る「清浄歓喜団」ってやつだよね。
千年だから応仁の乱前後にも当然あったはずで
そんなことまで調べて描いてあるのスゲエってやつだね。
関心あるやついたら食べてみて? >>901
口の中が寺ってレポを読んだことがある
清浄歓喜団 ツイッターで「たぶん漫画コミックス初の今川義忠表紙!」にゆうき先生が反応してたけど、
そもそも今川義忠が出てくるマンガってこれまでにあったんだろうか。
歴史学習漫画にも名前くらいしか出てきてなさそう。 >>903
そのツイート赤井孝美さんだよね
よくよく考えたら樋口紀美子さんのご主人だ
OUTつながりだ >>883
兄系の求心力の強さは後花園の即位による崇光流の最終勝利にも見られるよな
その意味でも弟系として始まった大覚寺統は後醍醐に限らず更なる弟系の分派に歯止めが掛からなかった >>906
もちろん途絶しなければの話だが
中国の宋だって南宋になって大祖系が復活してるし >>903
石ノ森プロが描いた静岡の戦国時代を紹介する漫画では結構がっつりでてきた >>906
そーいや奈良時代も天武系がどうにか死守してたもんなあ
なお、今の皇族も直系の危機 >>906
崇徳は、兄ではないというデマがあったし
叔父というか、大叔父か
実の父から叔父(父親の弟)呼ばわりされてるので、傍系扱いされてた可能性
嫡流は近衛天皇としていて、近衛没後はその猶子を正統扱いしてたわけだ
崇徳の皇子と後白河の皇子(いずれも近衛天皇の甥)が次期天皇と目されたのだが、
実父を差し置いて子供が即位するのって変じゃねとの横やりで後白河に皇位が流れ込んだ
つまり、後白河本人は崇徳同様に傍流 >>908
なにそれ、読みたい
タイトル教えてもらえませんか? >>912
そして最終的に他の血統が衰退した事で後鳥羽擁立の時点で天皇家家長としての立場をようやく確立
しかしその時には既に鎌倉幕府が誕生していたわけで >>910-911
そこは中日新聞杯(G3)だろう、と本気でツッコミかけた(恥) おいおい、後鳥羽天皇の即位って、安徳天皇の都落ちのときだぞ
まだ幕府はできてない、関東の一部を束ねてるだけの地方勢力だ
木曽義仲が都で暴れてた頃の話 >>913
マンガ静岡県史ってヤツ
欲しいなら静岡県立図書館に連絡すれば今でも買えるかも
義忠の応仁の乱参陣から始まって徳川家康の死で終わるからかなり駆け足だけど ありがとう
ググったところ、アマゾンマケプレとか古本屋での扱いなら少なくなさそう 毎日新聞買っちゃったーい
なんと「新九郎」の書評の下は「綿の国星」について
「ペリリュー」の記事ヤマザキマリさんの相談コーナーもあった!すげー >>916
義仲が以仁の息子を推したのを撥ね付けたんだよな
後白河が自分の意思だけで皇位を定めたのはあれが最初で最後に 今川家当主の正室で御方様である伊都には
今川家臣の各家から出仕する女中が大勢仕えていたはずだが
彼女らも武家の女なんで、実家が小鹿方になっても
「私は死んでも御方様にお仕えします」なんて何人もいたんだろうな。
決して伊都がひとりで具足を着て虚勢を張っていたわけではあるまい。
(大河ドラマなんかでも、大阪城で鎧を着た淀君に仕える
薙刀を持った女中達なんて描写もあったような?)
新九郎が駿府館を訪ねても、伊都と幼い龍王丸(氏親)のまわりに
そういう女中がずらりみたいな構図とか。 伊都、小鹿どちらが勝とうと実家のためにせっせと今川館の内情を送ってんじゃね
伊都個人にそれだけ忠誠誓うのは伊都が連れてきたであろう伊勢家の女中では? まあ個人的に傾倒する人間もいたかもだが
そういう人間こそがむしろ多慶丸みたいに事態をややこしくするんだよな >>922
家臣の各家それぞれからひとりずつでは無く偏りはあっただろうし
朝比奈みたいに割れてる家もあるだろうけど
遠江出兵に積極的に加担した家からは家も女中も龍王丸派じゃないかな?
あと新九郎の兄の八郎のように、実家の意向に反し主人に忠誠というのもいたかも知れない。
応仁の乱の際、細川京兆家では
細川勝元は亜々子に付いてきた山名家からの女中を帰しちゃったんだっけね。
それで亜々子がへそを曲げて、勝元が千代丸(新九郎)に「奥の相手をしてくれ」
って言うところがある。 幕末の前田利嗣が何かやらかしたっけ?
と暫く考えてしまった
ラテンさん付きの小姓か >>911
新聞の書評欄にマンガって珍しいですね。 >>926
毎日は取ってないからわからないけど
新九郎の下は綿の国星だったし
数ページ後でペリリューの特集もやってたし
ヤマザキマリさんの相談コーナーもあったしで
土曜日はコミックを多く取り上げてるのかもね 世の中を面白い視点で見てる人だなあと思うけど、友人漫画家の辻本清美が首相やったらいい、ってツイートに
いいね付けてる所とかやっぱ年代的に左寄りなんだなと感じる 年代関係ないと思うがね。
あの世代で右化した人間は数え切れないよ。 というか友人のツイートにいいねつけたからって必ずしも同意共感してるとは限らんのでは その可能性はあるけど、ゆうきまさみの政治的発言や発信をみるかぎりでは、辻元清美には好意的だろうと思う
>>929
「俺は若い頃は日教組やマスゴミに騙されてた」とか言ってウヨ化する中高年元左翼はいっぱいいるしねえ
個人の問題だろうね。 スレタイ見ろ!w
日本史板とかに新九郎奔るスレ立てて住み分けでもすれば良いんじゃねえの(適当)って思うけど
新九郎以外ネタがない現状だとこっちが確実に過疎化するんだよな ゆうきまさみの一番最初の政治的表現って
ポルノやロボットアニメの頒布を取り締まる『良識的』保護者の漫画やろ
あとパトレイバーの民族派環境保護団体とかあったね
まああれは総会屋の類を表現したのかもしれないけど >>933
スレ的にゆうきまさみか、新九郎関連だろう。
結城秀康を含む歴史一般は全く関係ないので他のスレだな(ゆうき、で出したんだろうが) そういや
この時期の結城氏って何してたんだ?
主筋は結城合戦で徹底的に弱体化して
戦国末に多少復権したイメージだけど >>935
ポルノはまだしも、
ロボットアニメを戦争賛美と解釈し糾弾するような絶対的戦争反対派は左派だという考え方は、
80年代初頭にはすでに一般的になっていたので、
少なくともゆうきまさみにとって、揶揄するネタはその行為の善悪であって、
左派右派の違いは、大して関係ないんだろうよ。 >>924
山名が敵になればそこから来た女中や家来はスパイになりかねないからなー
奥さん孤立させても追い出すしかないだろうね
戦国時代になれば他家への輿入れはスパイとして潜入するようなもんだから
優秀な女性しか輿入れさせない
無能な女性は家来に押し付ける
伊都姉ちゃんの場合は単なる縁づくりだろうけど
駿河館入る前に信用できない女中や家来は切り捨ててそう >>942
大河の毛利元就では外交官と説明してたな 家臣、客将から本家が衰退した訳でもないのに独立大名になった代表は後北条と津軽かな
津軽と南部は犬猿の仲だけど、今川は北条の独立にどんな立場だったんだろう?
恩人の叔父でも簡単に独立出来るものでも無いと思うんだけど >946
大河の「武田信玄」だとなんかちょっとこじれてて、そこで武田が仲裁ついでに同盟を組んだ。 小早川の独立って秀吉がよくやってた大名とその重臣の離間策じゃないの?
上杉の直江兼続や伊達の片倉景綱みたく断られるケースも多かったみたいだけど 戦国あるある
安国寺恵瓊も大名になったのにこういう時忘れられがち レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。