ゆうきまさみ総合28【新九郎 奔る!】
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■前スレ
ゆうきまさみ総合27【新九郎 奔る!】
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■前々スレ
ゆうきまさみ総合26【新九郎 奔る!】
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■作者公式サイト「ゆうきまさみのにげちゃだめかな?」
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■次スレは>>980がたてること
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>806
西幕府管領だった斯波義廉は文明7年2月に遠江守護代甲斐敏光が東軍に降伏したために秋には尾張に下向して最後は消息不明
この状況で遠江侵攻をやめなかった今川義忠は文明8年2月に返り討ちにあって横死した
西軍の軍事力を支えていた大内政弘は文明8年9月に足利義政から「世上無為」の御内書をもらって事実上和睦
12月には足利義視が義政に恭順を誓い、義政もこれを受けたことでこちらも和睦が進んでいる
ただ一人和睦しなかった畠山義就は文明9年9月に河内に下向し、11月には大内軍が帰国を始めてその他西軍方も次々と京から離れ、義視も息子とともに美濃に下向したことで終結となった
つまり現時点ではまだ終わってはいないけどほぼ勝負はついている 4歳の童に将軍の前で腹を切る度量なんかあるはずもない。
小鹿はちょっと無茶ぶりをしているのでは。 >>784
妙齢美女の素っ裸立ち膝姿。すごい構図だよね・・・・はぁはぁはぁ
次回は大鹿さんの和睦条件が明らかになるのと道灌と新九郎との「再会」がメインかな?楽しみ。 >>813にあるように新九郎が駿河で道灌や小鹿と交渉してる間に京ではバタバタと情勢が動いて、年末くらいに戻ってきた頃には応仁の乱はほぼ終結という状況になってそうだな >>814
後の新九郎は敵将として元服前の茶々丸を討ち取っちゃうのに >>817
何らかの理由で元服しなかった、あるいは元服してもそれが認められず幼名でしか呼ばれなかったなどの理由で諱が残らなかったケースも多い >>814
無茶ぶりと言うか、
4歳の子供に必要とあらば切腹せねばならない当主とか無茶だよ
と主張しているわけなのですな じゃあ腹切れる年になったら譲れよって話になるわけだ
そしてなぜか譲らなかった大鹿さん >>801-803
なるほど。
だとすると新右衛門さんみたいな行政官タイプの家臣は、これから出てくるのかもしれんね。
あるいは知恵袋タイプ。関東で見つけるのか、御由緒の多米さん辺りがそういうキャラなのか。 >>812
鳥羽伏見は京都に被害がないから、それを言うなら禁門の変だろ >>822
適材が居るぞ
子孫が裏切り者で有名な松田さん 反乱軍を組織して異母弟とその母親を殺して当主の座を奪った後も元服してないのが、なんとも不思議なんだよな。茶々丸 しなかったというか出来なかったって説もあるね
関東公方の元服ともなればそれなりの家格の人でなければ烏帽子親は務まらないけど
どう見てもヤバイ茶々丸の烏帽子親なんてやったらどんな後難が降りかかるかわからん
それでも伊豆を完全制圧して既成事実として権力を確立できてれば周りも靡いてきたかもしれないけど
その前に新九郎に攻め込まれて茶々丸の堀越公方は瓦解しちゃったわけで 元服したけど短期間だったので諱が残ってない説
身分に見合った烏帽子親が見つからなかった説 漫画だったら新九郎が烏帽子親になって諱を授けた後で首を討つ >>831
一国の守護と公方では流石に家格が釣り合わないんではないか
この当時の守護って家格はそこまで高くないよね
新九郎の姉ちゃんと結婚するくらいだし この時期の武田氏は若狭や安芸の方が主流で甲斐武田氏がそんな有力守護でもないからなー 昭和の中頃まで甲斐国では謎の風土病があって、それを他地域の奴らに隠してたんだろ
そんな所に嫁ぐとか怖過ぎ 諱←なんて読むの?なんて意味?
このスレは難しい漢字や文面が多くて大変 諱 いみな
今川彦五郎義元でいうと義元
伊勢新九郎盛時でいうと盛時 >>836
「いみな」
「家康」とか「信長」とか公式に使う名前のこと
たとえば伊勢新九郎の「新九郎」は仮名(けみょう)or輩行名と言って日常生活ではこちらを使う
諱は「盛時」だがこれは正式の書状や禁制のような公式の文書にしか使わず、目下や同輩が相手を諱で直接呼ぶことは無礼としてはばかられた
さらに官位(なんとかの守)を持っている場合はそれで呼ぶのが礼儀とされていた
この官位名も朝廷から与えられた正式なものではなく主君からもらったり本人が勝手に名乗っているものもある(荏原の大人たちが名乗ってるのはこれ)
これらの官名(受領名や官途名)は正式なものではないので幕府への書状など公式な文書には使わない
このように室町時代の人(特に男性)は元服前の幼名、元服して名乗る本名である諱と通常使う仮名、官位名(公式と非公式がある)、隠居出家後に名乗る法名などいくつもの名前を持っていて、立場や状況に応じて使い分けていた
作中でもセリフ中の仮名や官位名にふりがなで諱をつけるなどして使い分けやその人が歴史上では誰かを示している 伊勢千代丸(幼名)→伊勢新九郎盛時(元服後の仮名と諱)→早雲軒宗瑞(出家後の庵号と法名)と新九郎も生涯に何度か改名している
ただ新九郎の幼名は伝わっておらず、息子の氏綱の幼名「伊豆千代丸」からの類推だろうけど
諱も主従関係がなくなって主君からもらった字(偏諱)を変えたり、心機一転で改名する場合もある
「盛時」という諱も定説になったのはわりと最近で、伊豆討ち入り前に宗瑞を名乗るようになったため以前は長氏などいくつか伝承があってはっきりしなかった 足利家は分家含めて嫡子以外は出家するのがセオリーでしょ。
茶々丸はこのあたりどうなってるんだろう 八集の表紙すごいな
wikiの記述が微に入り細に入り細に入り状態だけど読む気になる人いるだろうか >>835
日本住吸血虫(ジストマ)の根絶宣言が出されたのは平成になってから >>793 >>842
あそこまで義忠メインだとは思わなかった。
てっきり「新九郎&鬼姫」くらいだと。 >>846
新刊の表紙、
「新九郎、奔る!」っていうタイトル・ロゴじゃなく、
「彦五郎、笑う!」のほうがぴったりだよね。 >>833
今川家と伊都姉ちゃんを敵に回すとは命要らずな >>823
もともとそのジョークは
先の大戦=応仁の乱
ではなかったか >>819
>>827
天智天皇の息子大友皇子なんかも、天智死後短期間で敗死したために即位してないとされていたもんな。
Wikipediaだと明治3年になって弘文天皇と諡号されている >>833
守護のなかでも格式が高く、足利一門として格別な扱いをうけてた斯波家の義敏の妻が伊勢貞親の娘なんだから、
斯波より格式の低い今川の嫁が伊勢氏分家でも全然おかしくない
つか、伊勢氏の格式を低く見すぎてる アニメ化は逃げ上手の若君の方が先かな
まあ新九郎は連載終わってから大河アニメになってほしいけど
作者がこれだけNHKに好意的なんだから考えてほしいわ >>851
天武朝を正統化する日本書紀が即位を否定したため 新九郎一行が小川湊で宿所としている林叟院は
新九郎たちが宿泊する少し前の文明3年(1471年)に
長谷川次郎左衛門により小川の屋敷のそばに建立され、
それは作中で立地が描かれている通り。
でも現在実在するこの寺は海のそばではなく
焼津市坂本という岡部に近い山の中なんだよな。
それは「お告げ」のようなものがあり
寺を小川から坂本に移した翌年、
一帯は明応地震の津波に襲われたが寺は難を逃れたらしい。
ゆうき先生、林叟院と本物の寺の名前使ってるし
そんなところまで調べて描いてるんだな。。 >>858
2018年に歴史ヒストリアの北条早雲の回で
北条早雲の漫画を描いてる人ってことで
ゆうき氏インタビュー受けてたな。
漫画は1巻から数カット紹介くらいな感じだったかと。
もちろんNHKのことなので
番組のストーリーと漫画のストーリーは関連なし。 南朝正統論の一番問題なのはあくまで合体までの限定なのかその子孫にまで正統が続くかというのが曖昧な点 そもそも血統論でいうなら後醍醐は弟系の弟系なだけに近世以降の兄系絶対の秩序においてはむしろ都合が悪い
だから後醍醐自身の正統について究極的には現職優先の論理で押し巻くるしかない >>866
そうなると天皇家の血を引いて神器を所持してるなら誰でも良い事にまでなる
確実なのは南朝の正統化において血統的論理は使い難いという点 >>866
後醍醐帝が持ち去った神器は偽物説の方が濃厚
本物は正平一統のときまで京都にあったと思われる >>867
>>868
事実はどうあれ明治天皇の南朝正統認定は後醍醐の神器が本物という公式見解なんじゃないかと思う >>863
大正天皇も自分の考えやろうとして政府にとって都合悪いから実は毒でも盛られて病死させられた説もあるしな
幕末の孝明天皇も徳川慶喜を評価してて薩長にとって都合悪かったがサクッと病死であやしい 「知天の意思に背いて」云々が大事なだけで(天皇本人が約束破るのはギリ許す)
要は逆賊許ざん゛ってだけでは?
あとは全て後付けかこじつけ ○○天皇って全部死後の贈り名なのに、
後醍醐天皇だけ生きてる時からの自称なんだっけ 結局君臨すれども統治せずなんていう
いいからあんたは政治に口出しするなってな言葉が天皇の美徳とされ
毛利のそうせい公みたいにそれをやり通した明治天皇が殺されることもなく長生きできたわけよな
昭和天皇もそういうことがわかってたから軍部などに強く言うこともできなかったんだろ
実記だかなんだかで昭和天皇自身が下克上が起きるからどうにもならなかったとかなんとか回想してたしな >>872
生きてるときからの自称ではなくて
自分の諡号はこれねって予約してたんじゃなかったかな >>867
昭和天皇は、南朝正閏論だと自分の立場が微妙であることについて「神器ノアル所正統トセザルベカラズ」と内々で発言してるな >>873
明治天皇も昭和天皇も、大正天皇でさえ元気だったときは活発に政治介入してるぜ。
大正天皇が皇太子だった頃に近習の不手際を厳しく叱責したことがあって、それを聞いた明治天皇が「側の者の働きが悪ければあるならまず侍従長や大夫に言って注意させ、それでも直らなければ異動させるように。人前で直接叱るのはいけない」と叱ったとか。
「天皇は政治に口出ししない」「天皇は公平無私」というのもこれと同じことで、口出しした事実を残さないための神話だよ。口出しして後で失敗だったり不人気だった場合責任逃れができるように。 >>869
あれは政府の要求を天皇がのんだだけ
倒幕運動の中核に南朝正統論があった関係上、新政府内は大多数が南朝正統論者だったからな >>872
遺言で明示したのは後醍醐天皇だけのはずだけど、生前からこの名前にしてほしいと希望を出しててその通りに採用された事例は少なくない
だから、本人の希望による諡号は他にも複数あるんだよね >>869
それでも問題は神器が北朝に戻った以上は渡した後の後南朝は無視して構わない屑のカスか否かって点 >>870
孝明天皇は怪しいよねー実に怪しい
攘夷思想も倒幕派にとっては結局邪魔だったしね
お陰で会津も朝敵にされちゃって気の毒過ぎる >>876
天皇の政治介入ってったって
「人前で部下を叱らない」なんてのはマネジメントの基本であって
単に帝王学を授けただけだよ。
天皇になる人物は立派な人格者でないといけないのでね。
天皇の政治介入とは関係無いし、口出しした事実を残さないためでも無いよ。 分家の分家が嫡流名乗ろうとごねたのが南北朝争乱の始まりだから
北朝を正統とするのが当然だろうけど
wikiでは南朝を正統としてるね
後醍醐帝の施策も時代に逆流するものではなかったと長々と説明してる
あれを鵜呑みにするのはどうなんだろ
日本版のwikiは書き換えできないから困るわ
南北朝の研究しようとしてよってたかって羽交い絞めされたのは
今上だっけ?やれば面白いことになったろうになー(無責任)
>>859
ほんとにそういうとこ隙がないよね
第1集で千代丸がもらってたお菓子といい
嘉吉の乱の鴨の親子といい(ちょっと違う) >>880
会津は勝ち目のない戦に無理やり引きずり込まれた悲劇のイメージだけど
最初はむしろやる気満々だったんだよな
北海道担保にプロイセンから援軍送ってもらおうとまで画策してた >>883
>日本版のwikiは書き換えできない
え?普通にできるじゃん
つかそもそもウィキペディアなんてのは誰でもテキトー書けちゃうし
恣意的だったりまるっきりの嘘を書いたとしても誰かが訂正しなきゃそのままになってるような書かれてる情報の信用性低いサイト
だから大学の論文課題などではウィキペディア情報は参照しないように指導されたりしてる
ま、数ある情報説の一つとして軽く参考にする程度ならいいが全面的に信じられるようなもんじゃないよウィキは >>886
ウィキの使い方は下の方に書かれてる
参照図書を調べる為にある
は大学時代の友人の勿論だが
広く浅く簡単に知るには便利ではある >>883
いや、後醍醐帝の政策に関しては、むしろ最近の研究を反映してんじゃないか
建武政権の政策に反発したのは、武士ではなく貴族だろ
武士は、戦乱の影響で所領を失ったり減らされたりした奴らが実力行使してたのが反乱に拡大しただけのような気がする、政策への不満ではなくて。
実際、建武の頃の新制度の相当数が、室町幕府になってから義満ごろまでの時期に採用、再施行されてるわけだしね そもそも、後北条氏の成功の原因は、京都で行われていた最新の統治法を東国に持ち込んだからだ、なんて説もあるぐらいで、幕府の話がスレの話題に欠かせないのは仕方がない 応仁の乱なくして新九郎は語れないし、南北朝なくして応仁の乱は語れないから仕方ないということでひとつ >>880
会津は新撰組使って京都の商人から押し借り(軍資金の強引な借用)やってるからギルティ >>888
大塔宮「○○に褒美としてAの土地を与える」
後醍醐「△△に褒美としてAの土地を与える」
尊氏「□□に褒美としてAの土地を与える」
鎌倉幕府打倒後、これで大混乱 >>896
そら会津は攻められたとき
民草が率先して官軍に味方する位
搾取しまくってたからなあ...
逆に長州は幕府ぶち壊せで上も下も
デモクラシー通り越して全体主義始めてたけど >>883
駿河国小川湊の林叟院は、1497年に「お告げ」で
小川会下之島(焼津市本町)から坂本(焼津市坂本)に移転し
翌年の明応地震の津波から逃れた話だが、
こういうのって本当はお告げじゃなくて
偶然移転したことに対する後付けの理由な気がする。
寺を移転させるくらいだから、正体不明の流れ者修験者の言葉に対し
莫大な金を掛けて本当に移転するとは思えないんだよな。
あるとすれば権力者が発した行政上の理由による強制移転とか?
権力者とすると1497年ならばそれは建立者の長谷川次郎左衛門か、
守護で国主の今川氏親か、はたまた氏親の御一門で
当時駿河国守護代の地位になった伊勢宗瑞か?
なんて可能性もある訳で。
ところで第1集で出てきた京菓子とは
第2話で千代丸が貞親の継室とその姉の斯波義敏の妾から
巾着のような形の菓子を貰い伊都と食べるシーンがあるが
これは千年の歴史を誇る実在の京菓子で
現在は祇園の亀屋清永が作る「清浄歓喜団」ってやつだよね。
千年だから応仁の乱前後にも当然あったはずで
そんなことまで調べて描いてあるのスゲエってやつだね。
関心あるやついたら食べてみて? >>901
口の中が寺ってレポを読んだことがある
清浄歓喜団 ツイッターで「たぶん漫画コミックス初の今川義忠表紙!」にゆうき先生が反応してたけど、
そもそも今川義忠が出てくるマンガってこれまでにあったんだろうか。
歴史学習漫画にも名前くらいしか出てきてなさそう。 >>903
そのツイート赤井孝美さんだよね
よくよく考えたら樋口紀美子さんのご主人だ
OUTつながりだ >>883
兄系の求心力の強さは後花園の即位による崇光流の最終勝利にも見られるよな
その意味でも弟系として始まった大覚寺統は後醍醐に限らず更なる弟系の分派に歯止めが掛からなかった >>906
もちろん途絶しなければの話だが
中国の宋だって南宋になって大祖系が復活してるし >>903
石ノ森プロが描いた静岡の戦国時代を紹介する漫画では結構がっつりでてきた >>906
そーいや奈良時代も天武系がどうにか死守してたもんなあ
なお、今の皇族も直系の危機 >>906
崇徳は、兄ではないというデマがあったし
叔父というか、大叔父か
実の父から叔父(父親の弟)呼ばわりされてるので、傍系扱いされてた可能性
嫡流は近衛天皇としていて、近衛没後はその猶子を正統扱いしてたわけだ
崇徳の皇子と後白河の皇子(いずれも近衛天皇の甥)が次期天皇と目されたのだが、
実父を差し置いて子供が即位するのって変じゃねとの横やりで後白河に皇位が流れ込んだ
つまり、後白河本人は崇徳同様に傍流 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。