ゆうきまさみ総合25【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合24【新九郎 奔る!】
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■>>1の本文一行目に「!extend:on:vvvvv:1000:512」
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 要はフィクションと史学の区別がついてない痛いヤツだよな
なのになぜか自分は歴史好きだから耐えられないみたいな言動するからなおさら痛い >>529
北条義時は、ゆうき先生がはてしない話で
興味深い、漫画化したい人物として一本扱ったことがあって
北条を漫画化?義時が30年越しで来るか!
と思ったらそっちの北条かよって腰が砕けた覚えがw
個人的には日本史上の立ち位置としては
信長、秀吉、家康とかより遥かに影響が大きい人物だと思う
義時、泰時親子は 武家が朝廷と戦って、天皇や上皇追放して支配してもいいんだ!って
機構の中でトップに立った清盛や
うまく権益引き出して独立国築いた頼朝や
逆賊として追討された義仲や宗盛とは違う結果を得たものな
清盛も治天の幽閉まではやっても現役の天皇退位させて流刑にしたりはしなかった
その結果があってこそ両統迭立も成り立ったし、後々の後醍醐や尊氏の出番もできてくる 後鳥羽を義時が追放して何年後かの当時の公家だか貴族だかは
日記にもうこの王朝は終わった、領地も武家に奪われたとか書いてたというしな
まだ体面上は朝廷傘下の幕府という形ではあったが
平安時代から鎌倉時代というのは当時の公家貴族にとっては昔の中国での王朝交代のような感覚だったんだろう ちなみにそのさらに前に源義仲が上洛して都で兵達が乱暴して荒れたときには
公家か僧侶が日記に三国志の董卓の洛陽入りのようだと書いてるね 北崎拓のますらおでも義時はすごい大物っぽい雰囲気だった
ほぼ出番ないが 日本の歴史の漫画でも承久の乱で武士を纏めたのは義時ではなく政子と描かれてたからな
サッカーで言えば政子が代表監督、義時が戦術コーチみたいなもん 絶賛いないと叩かれるのかここ
痛い信者ばかりが残る流れになってきてるな ふわふわした理由だから異論も出る
それだけの話
俺は文句言うけど俺への文句は許さないとか
俺と違う考えの奴がいても書き込みするなとか
そんなスタンスの方がよっぽどヤヴァいだろ 「痛い信者」という使い古された凡庸な煽り文句を今だに使う人 >でもここで愚痴られてもウザいだけだから変えて欲しけりゃ
>作者本人に要望を込めたファンレターでも出すんだね
これつまりココに書くなって言ってるよな? >>537
フィクションなら何しても良いって訳じゃないんだけど
ここで言われる「痛い信者」さんには解らんか >>548
僅かな批判も許さないからね
この手の連中って 大内義隆のおじいさんがゆうきまさみのむかつく系キャラの顔してやがるな
まさか大友宗麟の弟が後継いで家が滅びるとは思うまい >>538
それは吾妻鏡史観だから、ちょびっと差っ引いといた方がいいよw
吾妻鏡の主張は「頼家・実朝は将軍失格、泰時こそが頼朝の真の後継者」
なので、最近は頼家・実朝の再評価が進んでる
まあ、後鳥羽院が「幕府の実権を握ってる義時とかいう奴、ちっとも言う事聞かないからチェンジして」と院宣を出したら、
「倒幕の院宣が出た! 御家人は幕府を守るために朝廷と戦うべし!」ってことにされちゃったってのは、
首謀者が義時か政子かは分からんけど、確かに日本の歴史を変えたけどな >>549
フィクションなら何しても良いんだよ?
読者には選ぶ権利があるんだから
俺も気に入らないフィクションは読むのを止めるし、
新九郎は気に入ってる、それだけ >>551
でもあの人と息子の頃の大内は日本で最大の勢力を持ってたって言ってよくて
息子に至っては都に登ってた時は「天下人」だよ
毛利だの北条だの、さらにその後に織田なんてわけのわからん
新興大名が起こる前の話 >>552
物理的に首がチェンジされちゃった伊賀光季さんが気の毒 読者100人の称賛よりも1人のモンスタークレーマーの言うこと聞くかもしれないから
とりあえず編集部に不快だって投稿してみたら? フィクション描かなきゃ主役のことを描くことが全くと言っていいほどないぞ 室町幕府は朝廷&公家を丸抱えして、朝廷と武家の調整役として振る舞うことで
将軍の権威を維持していた
信長や秀吉が朝廷と直接コンタクトを取って政治を行うようになると
将軍家の役割がなくなってしまい、あれだけしぶとかった足利将軍家も完全に力を失う。 身分や立場から歴史的事件に
参加してるわけがなかったり、
発言できる立場でなかったりする主人公が
出しゃばってしまう駄目大河とかとは
違うと思うけどなあ。
東軍の細川家が親山名の担ぐ聡明丸と
反山名の担ぐ勝之に割れかけて、
西軍が和平に肯定的な山名宗全・政豊と
否定的な畠山・大内に割れそうになっているのは史実。
この漫画の新九郎は東西の政所の執事の近しい縁者で
聡明丸とその母親とも親しく宗全と面識がある。
しかも無位無冠で人質としての価値は無い。
和平の観測気球として敵地に送るのに最適だろ。 >>558
そもそも最後の将軍の義昭がその仕事をしなかったから モーニングでまた新しい連載が始まったな。
「ワールド・イズ・ダンシング」。
今度は世阿弥が主人公だって。
時代的に義満の時代になるのかな? ↑ゆうき先生の新しい連載かと思ったら違うのか。
これはこれで面白そうだけど紛らわしい。 大内氏見てたついでに陶氏調べたら応仁以降の当主が悉く戦死か謀殺されるかだな
まともに亡くなったのは晴賢の父の興房くらいしかいない >>559
この時点で新九郎は公式には申次衆になってないが、申次のような役目かもな。のちに公式に申次衆になる前振り。 >>549
誰かが既に言ってるが、フィクションなんだから何したっていいんだよ
気に入らなきゃ文句を言う資格は読者にはあるが、フィクション捕まえて「史実と全然違うからダメ」「こんな創作ありえない」なんてのは的外れもいいところ
批判する自由は、その発言に対する批判もまた自由なんだよ
なぜか批評家気取る人には「俺の批判に文句言うな」と言う人が多いが、所詮他人に「なるほどな」って思わせられない程度の不満の表明を作品への論理的な批判と勘違いしてるだけ 司馬遼信者アンチだが司馬遼を馬鹿にされると俺もキレる。あと漫画読まずに論文読んでなよ >>567
司馬遼の一番大胆だったのは判官贔屓の義経を政治音痴と斬って捨てたところ 曽祖父が乃木神社の関係者だったんで、お手柔らかに…… 当時の日本には苦戦を認め赦してやるだけの余裕がどこにもなかったからな
いわばスケープゴード 義経はあそこ踏み込んじゃうんだ的とこあるよね
率先して馬を殺したり水夫を殺したり
そりゃ危なくって野放しにできんわな
まあ一番の危険人物は頼朝なんだけど 少なくとも結果論的には、頼朝は武士にとっても朝廷にとっても恩人だと思うよ
当時の朝廷は完全に手詰まりになってたからな
その後のことは、頼家絡みのゴタゴタから承久の乱まで、頼朝の遺産の管理権限を誰が握るかの争い 危険人物というが誰から見て、というのはある
正直頼朝と鎌倉武士団、朝廷、奥州藤原氏、平家の残党どこから見ても危険人物でしかなかった義経と、
頼朝では比べ物にならない
頼朝は危険度も認識されてただろうが、利用価値の方が高かったわけだから 鎌倉幕府初期の関連本だと坂井孝一氏の承久の乱と源氏将軍断絶が面白かったな >>542
義時で一番肝心なのは北条一族本来の本家はどこなのかなんだよな
最強が得宗家なのは言うまでもないが血統原理としてはどうなのかって まず時政が、たぶん本宗じゃなく分家筋だったんじゃないかと疑う余地がある
時政は政範を跡継ぎにするつもりで、義時は江間義時として分家を立てていた
義時はたぶん朝時を跡継ぎにするつもりだったんじゃないか──政子が泰時で押し切ったみたいだけど
結局、人為的に得宗家に権威を集中させて後付で血統原理をこしらえたのは、
そうしないとまとまりようがなかったんだろう
実際、最後は一族全滅に近い終わり方になるほどまとまったわけだが 本来の北条跡継ぎは宗時のはずだったからな
宗時が戦死しなければ義時は北条嫡流ではなく分家の江間義時として生涯を終えるはずだったわけだし
父時宗も宗時のことをあきらめきれなかったらしくなかなか義時を認めなかったらしいし
義時自身も自分は兄の代役に過ぎないからと控えめであまり俺が俺がと表に出ようとはしなかったらしいし 後北条氏の祖の漫画なのに何故か鎌倉幕府北条氏化するスレ 執権北条氏は伊豆の土豪の出とされるが、時政以前の親族が伊豆に見つからないこと、一方で時政は無位無冠ながら一族が政治的な振舞いに優れ京の都慣れしていること、時の字を通字とすることなどから、平時忠や清盛継室の平時子などの堂上平氏かそれに近い血統の出で時政の代に都から流されたか飛ばされたとかで伊豆に下向したんじゃないかと思ってる。 まぁどこが本家かって時政の後を継いだ義時が本家としか言いようがないな
実質的にそこからが始まりだ
岩津松平が本家だから安祥松平の家康は本家か?と言ってるようなもんだ >>582
吾妻鏡によれば、だが、
時政には、時兼・時定親子という親族がいたっぽい
しかも、時政は無位無官だが、
時兼は伊豆介、時定は左衛門尉と地方武士クラスの官位を持ってたっぽい
時政の継室で政範の生母である牧の方が、
池禅尼(清盛の継母、頼朝の命を助けた人)の姪じゃないかとかって話はあったりするので、
時政も意外と釣り合う出自の可能性はゼロではないかもだが >>583
むしろ面倒なのは義時の後継と言えるのは泰時なのか朝時なのかって点 結果的に得宗家が一族の中核となった最大の要因は大きく年長で実績も大きい泰時が長期に渡って執権を務めていたのが大きいという印象
この段階では一族の中核足りうるには執権職が不可欠だった感じだが内菅領職がこの時期に設けられているなど得宗家としての巨大化と整備も進んでいった模様 あと嫡庶関係の錯綜を現している第三の要素が政村
確かに朝時は正室の子だが比企氏出身の母が変事後に離別されていた事が不利になっていたとも言える
その意味では最後の正室の子である政村が最終的な正嫡と言えない事もない
(それこそ叔父の政範みたいに)
その母による伊賀氏の乱については泰時贔屓の伯母にして一族のゴッドマザーである政子の謀略だという説もある
だがそれは同時にそこまでしなければならないくらいに政村の正統性が強かったとも言えそう >>589
短文ですら語らない輩だけには言われたくない >>580
牧の方は本来は宗時に嫁ぐはずだったのではないかという推察もあった でも、“北条早雲”を語るうえで鎌倉北条氏について触れないのは片手落ちというものですよ? 分家ついでに
後北条氏は伊勢氏の分家と言えるのかな?
名字の変更は松平→徳川に近いものがあるけど、徳川は松平を捨て去ってはいないけど、北条は伊勢を捨て去ったのかな?
氏綱も近衛家から後妻を貰ってるから京都と完全に縁が無いわけではないんだろうけど >>598
改姓を何と理由付けしたかによるんじゃないかな。
氏綱が横井氏からの嫁に婿養子入りした形を取った説があるがその場合分家とは言わない気が?婿入りは婿入りだろ。
単に伊豆国北条に移住し北条を名乗ることにしたならば伊勢家の分家で良いのだろう。堀越御所のある場所を伊豆国北条と言うこともあるみたいだし。
氏綱本人のみならず弟とかも改姓してるから後者の気がする。 理由付けはともかく、目的は関東で上杉に対抗できる看板を掲げることだろうからなぁ
明確な政治的理由あっての改姓って点では、家康の徳川改姓以上と言っていいんじゃないか 家康の改姓は勅許までもらってる相当に政治的な意図を含んだものだが… 北条方を抑えるために設立した鎌倉公方、関東管領と対抗するために奉公衆申次衆の血筋が北条になるとはな 改姓が地名に起因するなら古くは足利や新田、三浦や千葉もそうでこれらは勅許なんか得ていないし得られないだろう(平安時代は受領から地方豪族になった軍事貴族に勅許なんか出さなかっただろうし)。
戦国時代の徳川は三河松平郷の土豪の出のはずが実は我々は清和源氏新田氏族得川の末裔でしたと言い出した話なので、内心がやましいほど勅許とかで嘘の理論武装をしたくなったんじゃない?戦国時代の没落朝廷も金が欲しかっただろうし。平安時代ならあり得ない訳だけど。
後北条氏の場合は、伊豆国北条に起因するなら勅許は必要無い趣旨だろうし、横井氏への養子入りプラス横井からの改姓なら横井はもともと北条と言うことなのでこれも勅許は要らないんじゃない? 細かいようだけど地名による変更では姓は変えてないでしょ
変えるのは名字、氏で同じ一族内の区別みたいなもん ゆうき先生がツイッターで言及してる「時の娘」
森川久美が漫画化してもいるけど
シェイクスピアの『リチャード三世』は『平家物語』なんかと同じようなもんかな
『吾妻鏡』は鎌倉幕府の記録みたいなもんだけど ところで横井氏は北条時行の直系の子孫を名乗っているとのことだが、時行が中先代の乱で敗れ地下に潜伏したあとは常に尊氏の命を狙い続け、南朝に参加し何度戦に敗れても逃亡を繰り返し、室町幕府からは第一級のテロリストで指名手配だったはずだし、妻や子がいれば身柄を確保され拷問で時行の潜伏先を問われたはず。
そんな家族までが捜索対象だったであろうテロリストのたかだか100年くらい後の子孫、横井掃部助時任とか時利が尾張国蟹江湊の権益を有しその地域に田畑の所領を持ち京に屋敷まで持つ(裕福だったということ)国衆に成りあがったとは信じ難い。横井は北条時行の直系の子孫じゃなくて、北条の子孫であっても時行よりもっと前に分かれた別の系統なんじゃないかな?元弘の乱の時点ですでに横井を名乗り尾張国に所領を持っていたくらいならばあり得る気がするが。 >>604
後ろめたさなんて当時の世の中であるわけない
あんたの言う理論武装、後ろ盾のために決まってる
今川、織田、武田あたりに何も言われない、私称ではない正式な三河守を名乗るために必要だった
そういう意味で関東で北条を名乗った伊勢氏と目的は似たようなものだったろう
なんなら参考にしたかもしれんな
駿府時代に友人だったらしいし >>606
吾妻鏡は正確に言えば北条得宗家の覇権を正当化するための歴史書だからな
逆を言えばそういう理論武装をわざわざやらねばならない弱味と引け目があるって証拠でもある >>610
そりゃまあそうだ
頼朝と政子の派手な夫婦喧嘩も記録されてるけどね >>607
蟹江の横井氏の系統というと、七本槍の平野さんもそうだな。
まあ、あの頃はもう家系なんてあやふやになってるんだろうけど。
愛知出身のきんさん・ぎんさん、ぎんさんは蟹江氏だったけどあそこら辺には多いんだろうか。 >>607
でも北畠氏も室町幕府で守護におさまってるぜ。南北朝時代はあっちこっち寝返った武家は多いし(尊氏直義も含めて)、そこまでうるさいこと言わなかったんじゃないの?
この時代は、負けて滅ぼされた側も遺児や庶流に跡を継がせて完全滅亡や族滅はしないことが多いし 北畠もけっこう特殊な家だよね。
「新九郎奔る!」でも今出川殿や八郎兄ちゃんが伊勢に身を寄せていたけど、
なんか独立性が強いイメージ。 後に北条を名乗る氏綱の母親が小笠原氏というのもある意味因縁めいているな >>613
北畠は守護というより国司だな
守護も途中から兼ねてるけど戦国時代も国司で通してる めんどくさいことに国司は名乗っても伊勢守は名乗ってないんだよな >>613
いわば勢力均衡的なんだよな
山名や大内や赤松への扱いなんかもそうだし >>613
確かに寝返って降伏を申し入れてきても1/3とか半分領地を取り上げる程度で滅ぼさない時代ではあるけどな。
だからといって北条時行が1353年に北朝側の手により捕縛され斬首されたあと、その遺児が独力で尾張国に勢力を築いたとはとても思えないんだよな。やはりもともと尾張国に北条氏の家人で後の横井氏につながる勢力基盤があり、それが時行の遺児を匿い婿養子入りさせたとか、そんなところならば妥当と思ったりするが。なお蟹江湊の権益はのちに尾張守護代だった織田氏に取られてしまうようだね。
また北畠氏は南北朝の戦乱の際に紀伊山地を介して吉野の裏山になる伊勢国の南部の多気あたりを中心に、南朝支持の伊勢神宮神官の豪族、度会(わたらい)家行などの協力を得て勢力を拡大したらしく、やはりゼロから伊勢国に入り勢力基盤を築いたわけではないみたいね。 >>606
シェークスピアは当時としてはありがちな人気戯曲ってだけの話なんだが
あまりにも人気が出た結果、その後の小説やらへの影響が絶大なのよ
そしてそれは世界中の散文形式の文章の母体となってる
世界の主流の原点ってのが大きい
平家物語は今に直接繋がってはいないから
クラシックにおけるバッハみたいなもんだな
これも現代音楽の直系の始祖なのが大きい 盛頼がいい兄ちゃん化してる。西の権益のことは本当だろうけど。 決壊した堤も人力で修理補強せにゃならんとか絶望しかないわ
来年食べる米がないのに 政元の重臣になる安富元家が登場し、宗全と勝元は次回で退場という雰囲気になり、駒若に毛が生え、貞親が死にと、最後のコマで新九郎の顔が少し大人になりと着々と次世代への交代が始まってる回だったな 今回も名前が出てきた伊勢氏被官の平井氏だけど、この後も荏原荘に残って現在まで続いていて、ここの古文書は中世の荏原荘を知る上で重要な史料になっているとのこと
平井氏は盛定盛時親子の供養塔を地元に立てたり、江戸時代中期に早雲(盛時)没後200年回忌記念の刻文を崖に刻んだりしているので、この地で荏原が早雲の故郷であるという記憶がずっと受け継がれていたということだそうだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています