ゆうきまさみ総合22【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合21【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合20【新九郎 奔る!】
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■作者公式サイト「ゆうきまさみのにげちゃだめかな?」
http://www.yuukimasami.com/
■ゆうきまさみtwitterアカウント
http://twitter.com/masyuuki/
■次スレは>>980がたてること
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ゆうき作品としてはスタンダードな作風だと思うけど。 >>282
【( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ】 新ちゃん「侍の本懐とは舐められたら○す」の本場関東にいったら衝撃受けるんだろうな >>281
ウィキペディア見たらわかるけど、すごい残念な人、才能あふれていたのに 勝元が死ぬときに聡明丸がいれば細川は安心だとかなんとか言ったらしいが
それって何の資料に書かれてんの?
それともそんな話自体無い? 勝元も若くして死んだしちゃんと嫡男が生まれていれば「安心だ」くらいは言いそうだがね まもなく勝元も宗全も逝く、宗全に至っては晩年はかなりおかしくなっていたのが悲しい 何度見てもどこが面白いのか全く理解できない
途中から入ってきたので登場人物の相関関係も分からない
彼らが何をどうしようとしているのかも不明で要は置き去り
あと、説明が冗長で見る際に苦痛を生じる うーん、何か思っただけで頭が痛くなってくる…。
メモ帳とペンがないと話についていけなさそうで…。 ショタっ子しんくろうきゅんが酷い目に合うところを萌え転がってりゃいいのよ
初期のハイライトは「寝所に呼ぶかもしれませんぞ」
あボクこの人に犯すされちゃうんだドキドキ >>293
>>294
ありがとうね
読むのかと思うと気が重くて辛くなっていたところだったから
助かった >>296
そうする
というかもう見たくない
頭痛と軽い吐き気がしてくるし
お邪魔しました >>298
恐ろしいことに
こいつ常駐してるんやで
もうかなり長いことに >>261
これ見ると漢字としての「僕」は中国でも日本でも一人称として古くからずっと使われてきてるみたいだが、読みは「ぼく」ではなかったみたいだな。
https://kotobank.jp/word/%E5%83%95-629357 やつがれは元々は違う語源で、後から漢字として僕を当てはめただけらしい >>286
その、らしい、はどこで見た聞いたんだよ >>275
細川京兆家ってやはり北条得宗家をも意識した呼び方かな 京兆も武衛も中国風官名で当時としてはかっこいい感じだったので通称として使ってた
社長をCEOと呼び替えるようなもん でも唐名最強は東宮ではないか?なんせ現役役職もある 武士って厨二だよな
基本的にアイデンティティ確立のためだけの理論武装 なんじゃこりゃw
Gのコウガブ
https://booth.pm/ja/items/1629902
田中圭一とゆうきまさみ 混ぜるな 細川京兆家は、伊勢家の宗家当主が伊勢守を歴任したのと同様に、当主が右京大夫を歴任し、右京大夫の唐名が京兆だったから。斯波武衛家は、当主が左兵衛督を歴任し、兵衛の唐名が武衛だったから。北条得宗家は執権職を継ぐ宗家のような意味なのでこれらとはちょっと意味が違うかな 宗家のような意味というか、北条泰時が得宗という名前だったから
その泰時の直系である北条家嫡流のことを北条得宗家って言ってるんじゃないの
北条早雲家とか武田信玄家とか言ってるようなもん(これらの呼び名はされてないけど)
もし泰時が得宗じゃなくて雲湖という名前にしてたら北条得宗家じゃなくて北条雲湖家になってたというw
まあ官職の中国語名である京兆や武衛と先祖の別名である得宗は成り立ちは違いますわな >>285
いよいよ新九郎が寝所に召されるのだろうかgkbr
「日出づる処の天子」のファンだからやりかねない… 名越が執権になってたら得宗の代わりに名越という言葉になってたかもね
泰時以下は得宗流として一族に > 社長をCEOと呼び替えるようなもん
そう言われると中世日本の唐名かぶれに納得いった 官職としては北条得宗家は代々相模守だったかと。これには唐名はないよねw 相模守だったら「相州」だろうね
遠江守だった小堀政一は小堀遠州で知られてるし 伊豆は豆州で伊勢は勢州なんだよな
伊はつけない風習? >>317
で、結局、新九郎は勝元の寝所に呼ばれたの?
今の新九郎はともかく、元服前ならアリ……かな? 賀州だったらなんか目出たいイメージが過ぎるな
貧しい盆地なのに 預けられた新九郎が有職故実や弓馬と共に仕込んだのなら罪深過ぎるな
性癖が魔法使い聡明丸ちゃんを作り上げて一国を揺るがす >>327
畿内だからと言うのもあるんじゃないかな 聡明丸くんは神童が本当に神童だったパターンだけど色々と臨界点突破した大人になっちゃったから人間は難しいね 神か大人になっても神童だったんだよ
神懸かってたし童っぽかった >>321
新九郎御当地の備前や備中・備後って、そういう呼び方が無いな、そういえば。
越前や越中、越後もそうか。 >>334
前中後に分かれる前の地域を総称して備州と越州という呼び名はある 神童は青年のうちに燃え尽きた方が後世の評価高くなるんだろうなぁ
少し前の時代の北畠顕家も40代まで生きていたらどうなってたか・・・ >>335
あ、しらなかった。ありがとう。
いまの備前の一住人としては、備後は「別のエリア」っていう感覚があるけど、
これは現在の岡山県・広島県の区分が影響してるんだろうな。
ちなみにうちの御先祖(伝)である国衆も、備前守を自称していましたw 上野は上州、下野は野州、上総下総には適応されず
近江は江州、遠江は遠州 ふと思ったんだけど、備前介とかそれ以下の官位の人っていないはずないよね?
全然聞いた気がしない。 越前から加賀を分割したことによって越の国は越前と越中越後が分断されてしまったように感じる
今ならネット大荒れしそうな命名だな >>318
名越家との微妙な関係もあって得宗家という呼び方自体には「本来の嫡流家ではない」というニュアンスも感じるんですよね
最強なのは間違いないが正統かは微妙だって
そういえば先日に中公新書で「北朝の天皇」が出ましたが語り口がこちらのファンにもお勧めですね
あと当時の天皇と将軍の酒宴政治についても触れてますし >>337
備後の人間は文化的には岡山、でもアイデンティティは安芸寄りというか広島県人という意識があって複雑らしいぞ。
方言で言うと安芸「いびせぇ」備後「きょうてぇ」とかな。 >>338
上総下総はどっちも(あるいはまとめて)総州だよ
安房は房州 >>334
もとは遡れば吉備国やから
>>339
君が知らんだけや
まあ備前は親王任国じゃないから、律令が機能していた時代はともかく形骸化すれば介とか掾とかの中途半端な受領名わざわざ名乗るやつはそういない
てか守の戦国大名が配下の国人に介の受領名許したら、それある意味下剋上認可みたいなもんやw
ただ刀工とかでは備前介時々いるぞ
備前は長船とかあるしな 親王任国の常陸、上総、上野は介が実質トップで守は名乗れない
だから織田上総介や吉良上野介で有名になる
(信長は無知な時に上総守なんて名乗っちゃったけど変えたw)
他は守で名乗るから介の人なんて有名にならん
小国や中国では介や掾が無い場合あるけど 応仁の乱では今出川殿足利義視は当初東軍の総大将だったのに
途中で西軍に鞍替えした理由を個人的に理解できていなかったのだが、
「新九郎、奔る!」を読んで初めて腹落ちしたな。
例えばYouTubeに置いてある「英雄たちの選択 応仁の乱」なんかでも
とにかく義視が「よく分からない判断をする人」という描き方がされており
(監修の学者先生達は各学説を知ってると思うけど番組ストーリーの簡略化のため?)
「よく分からない人」だと人間の行動として全然腹落ちもしないのだよね。
「新九郎、奔る!」では伊勢貞親は自分が養育した
春王(義尚)の将軍継嗣の立場を確立させ義視廃嫡のため義政に誣告したのだが、
逆に義視や諸大名の抗議で貞親が失脚し切腹命令が出る前に遁走出奔(文正の政変)、
でも貞親は1年せずに許され戻ってきてしまい
貞親が戻ったのを見た義視は今度は自分が身の危険を感じ西軍へ出奔、
とまあ自分の命が危ないと感じたのであればこれくらいせざるを得ないだろうと
納得させる描き方で良いですね。
史実は斯波家のお家事情への義政や貞親の介入など他の要素もあるようだが
新九郎の伊勢家の利害視点で描いているところが創作としても良いところかな。
(斯波家のお家事情も、貞親の若い後妻とか義敏からみで描かれてるけどね) >344
ああ、ボウシュウさんね。(燕返し)
ついでに言うと伊豆は豆州。(真田丸どうでしょう)
>345,348
やっぱり、創作物の見えるとこに映らないだけでいることはいるのね。
ほかの官位は内蔵助とか左衛門尉とか治部少輔とかあるのにな、って スケどのというと
源頼朝と真田幸村が思い浮かぶが
頼朝は右兵衛佐で真田は左衛門佐だなあ >>317
呼ばれるとしたら弟くんの方ではなかろうか 戦国時代に大名が勝手に出すようになると介レベル以下の受領名は国人領主クラスがほとんどになるから知名度がないだけで地域史とか調べると時々見るぞ >>349
その辺りは今でいう中央省庁の局長課長と県庁の部長との違いになるかもね
田舎の役職を自称で名乗ってもカッコ良くない 親王任国以外でも●●介はたまに見るけど、さすがに●●大掾や●●掾って武将では見ないな。
もう、職人や芸人に与える程度のものだって広く知れてたのかな。
氏族名に取り込んでいた大掾氏は、戦国期だとちょっと気恥ずかしさあったりしたろうか。 兵衛尉とか弾正大忠、検非違使少尉とか聞くからな
まあ武士に似合いの…というのもあるんだろうが四等官だとカッコ悪いなんて発想はなかっただろう
むしろ無知だからこそ国司や一等官ばかり名乗ってたんだろうし 平安くらいまでは在庁官人が貰ってるから中央にはいない
承久以降は国衙領が地頭支配に吸収されたので中級武士化
また官途名受領名の私称が始まって当然名前がインフレする 戦国時代の真田昌幸の「安房守」も自称なんだろうけど、
地理的にも格式的にも実に中途半端な気がするな。
ライバルである北条との関係だとは思うけど。 安房守というと勝海舟だな
実名の読みまであわせちゃった
榎本武揚はあの時代に私称してそのままもらっちゃった 織田上総守は今川上総介に対抗した私称説がある
天台座主沙門に対抗した第六天魔と発想がおんなじ
完全にヤンキー
北条常陸守はよくわからん
反抗期だったのかしら? 伊勢さん所の新九郎の周辺だと、
伯父「伊勢守」、叔父「備中守」、実父「備前守」
出身とゆかりのある受領名だけど。
中枢にいる貞親伯父さんは官途名(?)のほうが、権威もアップするんじゃなかろうか。
伊勢宗家の伝統かもしらんけど。 伊勢新九郎盛時が存命中に北条早雲と北条姓を名乗ることは無かったそうだが
関東公方、関東管領などの関東の既存の権威に反して関東の支配を正当化するため
その子の氏綱の代に関東で馴染みの少ない伊勢姓から鎌倉幕府の執権北条氏の
北条姓を名乗るようになったとされており、そのため伊豆に住む北条氏の子孫
(北条義時の兄弟、宗時?政範?の子孫とも)の養子になり
北条を名乗るようになったという説がありますな。
でも「新九郎、奔る!」の人間関係では
盛時の母浅茅は尾張の国人の横井掃部助時任の娘だけど、
横井氏は南北朝時代に中先代の乱を起こした北条時行の子孫説があるらしく
ならば盛時や氏綱はわざわざ伊豆の北条の子孫の養子になんかならなくても
北条に復姓する理屈付けは出来るのかもね? 母系が傍流だからってその姓名乗るのを「復姓」とは言わんだろ 佐竹家家臣・徳川氏「俺は本流だよね」
森本氏「苗字変えたっすわ」 養子にも入らずに母系の姓名乗るのは復姓じゃないだろ?
徳阿弥にしたって世良田とか新田だとか得川ってのは父系ということにしてある縁の姓だろうに 伊勢→北条
長井→斎藤
長尾→上杉
松平→徳川
長岡→細川
森 →毛利
ある程度勢力を築いてからの看板掛け替えの甲斐はだいたいあったといえるかな? 立花道雪でWikiったらベッキアキツラとかいうページにとんでなんじゃこりゃ?
そんな経験 悲しい瞳で被官攻めないで、何も言わ伊豆に行かせて欲しい。 斎藤、上杉は上位者の許可を得て名跡を譲られているので看板の掛替とはちょっと違うような。 北条を名乗ったのはあと京都の伊勢家と悶着でもあったのかなあ?
そこらへんの事情に詳しい人の解説求む
早雲は京都で将軍位の争奪戦があったときのゴタゴタに乗じて伊豆相模の支配を既成事実に
しちゃった感じが強いね。 今週も面白い。史実と符合してるか気になるが。
次回も楽しみだ。 https://epub-tw.com/viewer/44319/
によると記録では
・文明三年六月二日、盛時が荏原で法泉寺に禁制、家督相続は不明
・文明六年、既に盛定出家して正鎮
で、貞親が文明三年四月失脚・五年死去だから、漫画では貞親失脚・盛定出家・盛時家督相続のタイミングを合わせたのか。流石。 >>372
京都の伊勢氏との関係でいうと貞藤の孫の貞辰とその子・貞就が幕府から北条氏綱への使者を務めて、そのまま後北条氏の家臣になってるよ。
貞辰のもうひとりの子・貞孝が伊勢宗家の家督を継いでいて、貞就が両家の連絡役を務めていたようなので関係は良好だったんじゃないだろうか?
伊勢宗家のほうはその貞孝の代で足利義輝、三好長慶と対立して没落するけども。 ゆうき氏は歴史学者黒田直樹氏の見解や著作も参考にしてるようだけど
黒田氏は1476年の今川義忠敗死による今川家中の相続お家騒動の時に
新九郎盛時の駿河下向は無かった見解のようだね。
(前出のURLだけど、こちらに記載あり https://epub-tw.com/viewer/44319/ )
この時の下向が無いと、この際今川家に関東から軍を率い介入してきた扇谷上杉家
家宰で切れ者の太田道灌と会談し新九郎が和睦を纏めた伝説は無いことになる。
でもゆうき氏は講演で、新九郎奔る!では新九郎は太田道灌に会います!と
宣言したらしく( http://5houjou.blog.jp/archives/19691981.html )
本作では新九郎の1476年の駿河下向があるということになるね。
今連載では1471年か72年頃をやっているので、荏原の場面が一段落したら
次の場面は1476年の今川お家騒動になるのではないか?
気になるのは父盛定が出家隠居してしまったので
従来の説にあった、貞宗、盛定の指示を受け新九郎盛時が駿河に下向、
のニュアンスが変わってくる可能性があること。
創作とは言え新九郎の活躍を見たいので父と一緒の駿河下向は勘弁してほしいなぁ。 だからやっぱり貞宗の駒にされると思ってるよ
ヨゴレ仕事だから公式にはいない人扱いとして 漫画としてきっちり面白くしてるのが流石ゆうきさんだなと 法泉寺の平盛時禁制は寺域での狼藉や殺生を禁じたもののようだから境界争いに対応したものと解釈したのか
新九郎の幕臣としての官名が記録にほぼ残ってない点といい巧く辻褄合わせているな そろそろ新九郎が前世の記憶に目覚めて
現代知識で無双するころだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています