ゆうきまさみ総合22【新九郎 奔る!】
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■前スレ
ゆうきまさみ総合21【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合20【新九郎 奔る!】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1569755018/
■作者公式サイト「ゆうきまさみのにげちゃだめかな?」
http://www.yuukimasami.com/
■ゆうきまさみtwitterアカウント
http://twitter.com/masyuuki/
■次スレは>>980がたてること
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>242
この漫画はあなたの知識を再確認するだけの備忘録じゃない
今後どんどん気に入らない展開になるから、そういうもんだと思って読むか諦めてブコフに売るかしてくれ
ここで文句を書き散らすために読むのはやめてね 台詞回しを逆のアプローチでギャグにしているのが衛府の七忍ってことだな 盛定スクリーン面白いじゃないか。
山名宗全にサインもらったか聞くのだって面白いし
備後に出陣したのがビンゴだって
荏原の状況を選挙の候補者に見立てた説明が難しすぎるなんてセリフも面白い。
大体誰も今の展開が気に食わないなんて言ってないだろ。
それにこんな掲示板誰が気ままに書いたって構わないし
それをやめろとかいうのは自治厨だけどな。 実際のところ駿河編に突入したら誰がメインの解説役やるかは気になる
宗長さんかしらん 盛定の方が分かりやすかったとか言われちゃうのだろうか 大河の「毛利元就」で妻が夫に、「殿、チャンスですぞ!」と言ったとかいう都市伝説。
解説シーンでは、「葵」の水戸光圀(中村梅雀)が、「ポエムがない」と言っていた。
こういうの好き。
三谷幸喜が「新選組!」で、沖田総司の一人称を「僕」にしたり「(将来の)夢がある」
というセリフを書いたら、考証の先生から「幕末にそういう用法はまだありません」
と訂正が入ったとか。
創作側もいろいろ大変だけど、「新九郎」はバランスとれてていいと思うけどな。 現代風な解説で一番面白かったのは荏原での西に比べれば東の新九郎は落下傘候補みたいな物だという奴 >>252
一人称の「僕」、幕末だと使ってるのは長州くらいでないかい。 >>254
ああ、長州にはあったんですか。
考証的には沖田は多摩育ちだから「僕」は不自然だということだったのかな?
(結局三谷氏は「わたし」を沖田の自称にした)
むかし月スピに三谷氏とゆうき先生の対談が載ったみたいだけど、よんでみたかったな。 >>255
吉田松陰の「松下村塾」が発祥って説はある。「僕」
一君万民論で、君子の下に士農工商とかなく皆が平等に「下僕」だから「僕」。 くだけた現代語はいいんだが出来れば漢字にもうちょいルビ振って欲しいんだが
ルビ打つ基準がいまいちわからん誰でも読めそうな一般的な漢字にルビ振ってるわりに歴史的な漢字使いに振ってなくて調べたりしてるわ 肝心なシーンで横文字使わなきゃいいんだよ、兄貴が死ぬところで横文字使ってはいかんだろうし、そんなことはしていない >>254
古代中国の君主の一人称に「僕」が使われてたはずだが、日本には輸入されてない事を考えるとその後使われなくなったんだろうか? >>260
それは知らんので、中国のどのあたりか教えてもらえるか、URL書いてもらえればありがたい。
松下村塾も何もないところから「僕」を使い出したわけでもないだろうから、ルーツはそっちで、日本で普及しだすのは松下村塾から…でいいかもしれん。 僕はしもべだし大元の人は元々臣なんだけど君主が僕なんて使ったの? スピリッツ最新号の聡明丸(細川政元)が割り込んでくる場面では、ゆうき氏のアシスタントの方?が聡明丸を描いたから画風が違うのかな?本スレでも何人か書いてるけど眼が少女マンガみたいw 会話で伊勢家が礼法の家柄であることが語られてるけど、その礼法の家の新九郎が室町時代の制度を否定する戦国大名になるのだから不思議。 思えば北條氏って、伊勢氏の主家の足利の敵だった家なんだよな
名乗った時、問題にならなかったのかな これか
源平交代思想(げんぺいこうたいしそう)または源平交代説は、日本史上の武家政権は平氏(桓武平氏)と源氏(清和源氏)が革命(易姓革命)的に交代するという俗説のこと。室町時代ごろから一部で信じられていたと言われている。 へ〜ダブスタなんだって。相当違うけどな。
以前から本作のおふざけを含めて好きだから書き込んでるんだよ。
一般ウケするか微妙な歴史的な表現も頑張って作り込んでるので
今の雰囲気を崩してウケ狙いだけに移行して欲しくないと思ってるだけだ。
言われてダブスタになったと思うのは読解力無い勝手な誤解と妄想なんだが。
ここはみんなの掲示板なんだから空気カリカリさせること書いて荒らすなよ。 >>265
足利氏は北条氏の身内みたいなもんだったので、敵視してたというより新田義貞の蜂起がどんどん勢力大きくなっていくのを見て生き残るために一方的に裏切ったという感じ 自分の考えに賛同者が現れず逆に何人かから叩かれてる時点で、普通は察して黙るもんだけどな 叩かれると逆に燃えるんだよきっと
おもしろいから言わせとこ
徳川も源氏名乗ってたっけか
室町から徳川までどう変遷したか複雑でもうわからんね 足利氏で鎌倉政権の真の重鎮だったのは頼朝期の門葉No.1だった義兼とその息子・義氏。
義兼の嫁が北条政子の妹で、義氏は若くして父母ともに亡くしたのち叔母・政子にお預け。
義兼は頼朝ありきで北条と付き合ってたと思うけど、義氏は北条の成り上がりに完全に協力した側。
義氏の次代の出来がイマイチだったせいか政権内でパッとしなくなっちゃって、
得宗家からは嫁もらえなくなっていったけど、それでも北条一門から嫁もらう者が多かった。
最後に裏切ったのは、得宗家の家宰ごときに押さえつけられるようになってキレたから。 家康が自分の名前を「源朝臣」で書いてる文書とか普通に残ってるよ
氏姓と名字の使い分けの感覚はなかなかわかりづらいよね 大阪在住バイオテロリストチワワことアウアウカーくんのレス↓ >>167
頑張って話の輪に入ろうとしてもたいしたレスができなくて嫌われてるアウアウカーくんらしいレスだと思うよ >>263
成人後の政元もかなりの変人だっただけにむしろあのくらいが将来を暗示させるという感じ ゆうき作品としてはスタンダードな作風だと思うけど。 >>282
【( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ】 新ちゃん「侍の本懐とは舐められたら○す」の本場関東にいったら衝撃受けるんだろうな >>281
ウィキペディア見たらわかるけど、すごい残念な人、才能あふれていたのに 勝元が死ぬときに聡明丸がいれば細川は安心だとかなんとか言ったらしいが
それって何の資料に書かれてんの?
それともそんな話自体無い? 勝元も若くして死んだしちゃんと嫡男が生まれていれば「安心だ」くらいは言いそうだがね まもなく勝元も宗全も逝く、宗全に至っては晩年はかなりおかしくなっていたのが悲しい 何度見てもどこが面白いのか全く理解できない
途中から入ってきたので登場人物の相関関係も分からない
彼らが何をどうしようとしているのかも不明で要は置き去り
あと、説明が冗長で見る際に苦痛を生じる うーん、何か思っただけで頭が痛くなってくる…。
メモ帳とペンがないと話についていけなさそうで…。 ショタっ子しんくろうきゅんが酷い目に合うところを萌え転がってりゃいいのよ
初期のハイライトは「寝所に呼ぶかもしれませんぞ」
あボクこの人に犯すされちゃうんだドキドキ >>293
>>294
ありがとうね
読むのかと思うと気が重くて辛くなっていたところだったから
助かった >>296
そうする
というかもう見たくない
頭痛と軽い吐き気がしてくるし
お邪魔しました >>298
恐ろしいことに
こいつ常駐してるんやで
もうかなり長いことに >>261
これ見ると漢字としての「僕」は中国でも日本でも一人称として古くからずっと使われてきてるみたいだが、読みは「ぼく」ではなかったみたいだな。
https://kotobank.jp/word/%E5%83%95-629357 やつがれは元々は違う語源で、後から漢字として僕を当てはめただけらしい >>286
その、らしい、はどこで見た聞いたんだよ >>275
細川京兆家ってやはり北条得宗家をも意識した呼び方かな 京兆も武衛も中国風官名で当時としてはかっこいい感じだったので通称として使ってた
社長をCEOと呼び替えるようなもん でも唐名最強は東宮ではないか?なんせ現役役職もある 武士って厨二だよな
基本的にアイデンティティ確立のためだけの理論武装 なんじゃこりゃw
Gのコウガブ
https://booth.pm/ja/items/1629902
田中圭一とゆうきまさみ 混ぜるな 細川京兆家は、伊勢家の宗家当主が伊勢守を歴任したのと同様に、当主が右京大夫を歴任し、右京大夫の唐名が京兆だったから。斯波武衛家は、当主が左兵衛督を歴任し、兵衛の唐名が武衛だったから。北条得宗家は執権職を継ぐ宗家のような意味なのでこれらとはちょっと意味が違うかな 宗家のような意味というか、北条泰時が得宗という名前だったから
その泰時の直系である北条家嫡流のことを北条得宗家って言ってるんじゃないの
北条早雲家とか武田信玄家とか言ってるようなもん(これらの呼び名はされてないけど)
もし泰時が得宗じゃなくて雲湖という名前にしてたら北条得宗家じゃなくて北条雲湖家になってたというw
まあ官職の中国語名である京兆や武衛と先祖の別名である得宗は成り立ちは違いますわな >>285
いよいよ新九郎が寝所に召されるのだろうかgkbr
「日出づる処の天子」のファンだからやりかねない… 名越が執権になってたら得宗の代わりに名越という言葉になってたかもね
泰時以下は得宗流として一族に > 社長をCEOと呼び替えるようなもん
そう言われると中世日本の唐名かぶれに納得いった 官職としては北条得宗家は代々相模守だったかと。これには唐名はないよねw 相模守だったら「相州」だろうね
遠江守だった小堀政一は小堀遠州で知られてるし 伊豆は豆州で伊勢は勢州なんだよな
伊はつけない風習? >>317
で、結局、新九郎は勝元の寝所に呼ばれたの?
今の新九郎はともかく、元服前ならアリ……かな? 賀州だったらなんか目出たいイメージが過ぎるな
貧しい盆地なのに 預けられた新九郎が有職故実や弓馬と共に仕込んだのなら罪深過ぎるな
性癖が魔法使い聡明丸ちゃんを作り上げて一国を揺るがす >>327
畿内だからと言うのもあるんじゃないかな 聡明丸くんは神童が本当に神童だったパターンだけど色々と臨界点突破した大人になっちゃったから人間は難しいね 神か大人になっても神童だったんだよ
神懸かってたし童っぽかった >>321
新九郎御当地の備前や備中・備後って、そういう呼び方が無いな、そういえば。
越前や越中、越後もそうか。 >>334
前中後に分かれる前の地域を総称して備州と越州という呼び名はある 神童は青年のうちに燃え尽きた方が後世の評価高くなるんだろうなぁ
少し前の時代の北畠顕家も40代まで生きていたらどうなってたか・・・ >>335
あ、しらなかった。ありがとう。
いまの備前の一住人としては、備後は「別のエリア」っていう感覚があるけど、
これは現在の岡山県・広島県の区分が影響してるんだろうな。
ちなみにうちの御先祖(伝)である国衆も、備前守を自称していましたw 上野は上州、下野は野州、上総下総には適応されず
近江は江州、遠江は遠州 ふと思ったんだけど、備前介とかそれ以下の官位の人っていないはずないよね?
全然聞いた気がしない。 越前から加賀を分割したことによって越の国は越前と越中越後が分断されてしまったように感じる
今ならネット大荒れしそうな命名だな >>318
名越家との微妙な関係もあって得宗家という呼び方自体には「本来の嫡流家ではない」というニュアンスも感じるんですよね
最強なのは間違いないが正統かは微妙だって
そういえば先日に中公新書で「北朝の天皇」が出ましたが語り口がこちらのファンにもお勧めですね
あと当時の天皇と将軍の酒宴政治についても触れてますし >>337
備後の人間は文化的には岡山、でもアイデンティティは安芸寄りというか広島県人という意識があって複雑らしいぞ。
方言で言うと安芸「いびせぇ」備後「きょうてぇ」とかな。 >>338
上総下総はどっちも(あるいはまとめて)総州だよ
安房は房州 >>334
もとは遡れば吉備国やから
>>339
君が知らんだけや
まあ備前は親王任国じゃないから、律令が機能していた時代はともかく形骸化すれば介とか掾とかの中途半端な受領名わざわざ名乗るやつはそういない
てか守の戦国大名が配下の国人に介の受領名許したら、それある意味下剋上認可みたいなもんやw
ただ刀工とかでは備前介時々いるぞ
備前は長船とかあるしな 親王任国の常陸、上総、上野は介が実質トップで守は名乗れない
だから織田上総介や吉良上野介で有名になる
(信長は無知な時に上総守なんて名乗っちゃったけど変えたw)
他は守で名乗るから介の人なんて有名にならん
小国や中国では介や掾が無い場合あるけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています