センゴク 宮下英樹 197番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-19巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと
※前スレ
センゴク 宮下英樹 196番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1591781105/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 仙石の失敗ぐらいで改易に値しないというなら、尾藤なんかもっとそうじゃね >>705
敗戦してもラインを下げて耐えるべきだろう
なんで自国に供廻りだけで逃げ帰るんだよ 尾藤も表向きとは別の理由で改易されたのでは?
そのあとの扱いを見ると秀吉に逆心有りと疑われて機会を見て処分したとしか >>707
自領じゃないのにどこに下げる?
今で言うとPKO部隊が現地の武装勢力と衝突して大損害出して敗退したら
防御ラインを下げて立て直したりする?
一旦撤収でしょ普通 秀吉の気分次第というを忘れているだろ改易とその後の堪忍料に関係なんてない子供が生まれて機嫌が良かっただけだ >>710
子供産まれて機嫌が良かったはずなのに謀反だと言われて焼き討ち食らった尾藤 焼き討ちしろといった際の機嫌が悪かったんじゃないの常に機嫌いいわけでもないだろうし
ゴンの様子をいいタイミングで伝えた利休に感謝だな >>709
自領じゃなけりゃ防衛ラインを維持できないとかおかしいだろw
撤退するなら全軍の撤退を指揮しろよ
なんで自分だけスタコラと逃げるんだよ
自身がトップの信長とは違うんだぞ 拠点としていた豊後の府内は島津家久に侵攻され大友軍は逃げ出す
長宗我部元親の軍勢は早々に伊予まで逃走
仙石秀久のみ北九州まで引き上げる
四国勢といっても壊滅してるので退却したんだろうな
毛利、小早川と合流して秀吉を待つという選択肢もあったとは思うけど 四国統一した長宗我部元親が
一本化された指揮系統で全軍あげて島津攻めしたら
信親死なすようないくさはしてないだろうなあ
かなしいなあ >>679
ちょっと調べたけどこの人すげえ出世してるんだなぁ
大名までなってるんだ >>715
そういう自信で島津と戦ったんだろうと思うぞ龍造寺ベアも全盛期大友も >>715
でもその原因は対羽柴路線の間違いがあった訳で
山崎の時から親羽柴路線なら毛利みたいにおいしい感じで動けただろうしな
一戦もせずでは頭を下げられないんだろうけど 具体的にどこを防衛線としてレスしてんだ?
それすら想定できないなら空想がすぎてるだろう 浮足立ってボロボロの豊後に踏み止まって大友に代わって島津を食い止めろ、と言いたいじゃない?
肝心な大友すら制御不能なのに 防衛は無理
クロカンとこに陣借りして参加さしてもらうがギリギリの選択だったと思う >>722
なんでやねん
命令違反で軍を指揮して攻め込んでるんだから
敗走しても全軍指揮の責任はあるだろ 軍監はあくまで目付役であって総大将じゃないよ
秀吉の指令を諸侯が実行しているか観察して報告するのが主な責務 その軍監が命令違反で攻撃を主導したんだから収拾の責任もあると言ってる >>724
バラバラに敗走したら指揮もなんもないし、仙石は総大将じゃなく軍監
>>723の言う通りクロカンと合流するのがギリギリだったが
敗残兵を纏めて北上してクロカンに合流できるかというと難しいだろう
途中襲われて全滅するのがオチ >>728
>>727
軍監とかいうあいまいな役職は関係ない 残存勢力まとめて勝手に防衛ライン決めて防衛戦始めたらそれこそ命令違反の戦闘行為の追加だし、
長宗我部にしても総大将でもない仙石のそんな命令に従う義務はない
大友に至っては同盟国なのでそもそも仙石があれこれ指示できる立場ですらない
つまり仙石が残存勢力まとめて防衛戦をやるなんて不可能だよ >>731
いやいや
命令違反で勝手に攻め込んで勝手に負けて
事態の収拾すら放棄して逃げ出すとか無茶苦茶だろ
だから改易されたわけで
切腹免れただけラッキーなぐらい まあ外野からみてアレな結果も当人視点でみれぱ割と理解できる事象の積み重ね、ということはないでもない 守れと言われてるのに攻め込んでる時点でそれはないだろう >>734
仙石の責任はその一点のみだろう
秀吉の命令を守らず、成果挙げるところか全軍の崩壊を招いて戦線後退させたこと
軍監じゃない人間に指揮の責任は問えない ただの目付(ゴンベ)が徹底抗戦主張しても元親(総大将)も秀吉(直属の上司)も戦うなって言ってるんだし
なんかおかしいよな >>736
全軍を指揮して攻め込んでおいて
指揮の責任がないとは論理破綻してるw 戸次川まで来ている事自体は大友の救援だから秀吉の命令違反では無いよ
島津家久も城攻めの囲いを解いて一旦対岸の先に本陣を置いてるので救援自体は成功してる
ここから渡河して戦闘して敗北しちゃったのが主な叱責理由
仙石隊が真っ先に奇襲されて敗走しちゃったので、残った十河、長宗我部信親が戦死しちゃったのは運が悪かった
ちなみに仙石が全軍の指揮なんてしてない
あくまで渡河して交戦するという方針を示してそこから先は各々バラバラ
仙石が全軍の指揮をしているなら後方に布陣してるはずで真っ先に敗走する訳が無い 全軍指揮権が曖昧であったにせよ
攻撃を主張して主導したのはゴンベやん
そして負けたのもゴンベ
軍監任務も放棄
言い訳できんなぁ
書状でどう叱責されたか記録残ってないのかね 後続の増援が到着するまで持久戦で持ちこたえろという秀吉の指令に対して、攻勢に出て敗北して敗走したのが結果だから目付役の仙石が叱責されるのは当たり前
攻勢を主張して主導したなら敗戦の責任を取れと言うのはおかしい
(軍監・目付役だとしても)
攻勢にでるか専守防衛につとめるかはあくまで作戦立案の話
言い出しっぺが責任者ねなんてやってたら誰も作戦を主張できなくなる 秀吉は攻めるなって言ってる権兵衛だけが攻め主張しました
けど結局四国勢は揃って進軍してる、そして一番後方に陣取っていたのは元親
この捻じれは一体なんなんだっていうのはあるね
どういう情報があってどういう協議があったのか
あと持久戦するにも維持しなきゃいけないラインがないと・・・って判断だったんだなろうとは思うが >>742
では敗戦は誰の責任なんだ?
誰の責任でもないとか
参加した全員が等しく責任を負うとか
ありえんだろが >>743
軍議では三好が仙石に賛同して四国勢が出撃する結論になったけど
乗り気じゃない長宗我部が後方に控えて言い出しっぺの仙石がリスクを取って前に出る
そんなにおかしくないと思うが 戸次川を挟んで対峙してるところまでは敦賀城(大友)の救援なので命令通り
持久戦するならその状態を維持して戦線を硬直させるか、家久を撤退させるしかない
現場の判断で後者を選択したんだと思う
ちなみに渡河して攻勢に出るのは権兵衛の独断ではないよ
仙石・十河が交戦主張
長宗我部親子が反対
敗戦の責任は仙石、十河、長宗我部親子、そして総大将である秀吉
目付役として命令違反の責任を取るのは仙石
十河、長宗我部信親は戦死
結果として権兵衛が改易となった 権兵衛に決定権がないのなら長宗我部隊は渡河せずに見てるだけで良かったのにね
弁当でも食ってればよかったんだよ >>744
責任をとってどうこうする必要はないけど誰の責任かと言ったらそりゃ秀吉でしょ
現場が指示無視したと言ったところでなんでそんなやつ任命した?って話になる >>748
突然秀吉に責任をふるかw
まあ劇中でも猪武者に待てと言うのは酷だったと秀吉自身も反省して堪忍の理由にはしてるが
ゴンベに責任がないなんてあり得んわ 史実を見れば責任取ってるのは権兵衛なんだから
400年前に決着ついてる問題を議論するなよw >>747
最悪そういう選択もあったと思うが(結果的に長宗我部元親はそうなった)
敦賀城の救援しないというのは明確に秀吉の命令違反になるので難しいところ
全軍の足並みを乱すのはそれはそれで問題行動でしょう >>751
権兵衛が敗戦の責任を取って全軍まとめて防衛戦すべきだ
っていうのは総大将でもない権兵衛にそんなの無理だったでしょって話かと >>752
センゴクの作中ではいちおう
長宗我部の戦線離脱も選択肢に入れるみたいな描写あるけどね >>745>>746
つまり仙石が指揮官の如く意のままに十河や長宗我部を使ってそのくせ放棄して逃げてではなく
やっぱりあくまで共同部隊での失敗と崩壊だったって事よねって事で
そこでの判断と決定プロセスが裏目ったのと四国勢を維持出来なくなった責任は目付役が取るのは仕方のない事 >>744
豊臣軍VS島津軍
敗戦の責任者を明確にしろって言ったら秀吉だと思う >>751
敗戦か命令無視か無断撤収のどの責任かは別物だし秀吉が当時責任追求される地位じゃないだけで現代目線で今話をする場合の責任は別問題じゃね? まあ今ここにいる誰もゴンベに責なしとは思ってないであろ
無理に攻めを提言して敗北した責任は重大、
その後四国まで逃げたのはヒドイ話だが当人の状況考えたらまあ無理からぬこと、
という話で >>758
あとでわかった島津の兵力を考えると秀吉の救援命令自体無茶だったから堪忍料が出たんだろう
6000そこそこの四国勢が2万近くの島津勢相手にどう足掻いても無理な話
現地に居ない秀吉が情勢を読み違えたから招いた敗戦とも言える ゴンベは茶々からの印象も悪くないんだろ?
おね様も昔から知ってる人だしなろう系主人公じゃん >>747
「おっと空弁当はうちの専売特許だから」 >>740
真っ先に潰れたのは先陣の信親、田宮でしょ。戸次川で出てきた資料色々あったけど、ゴンベなんてほぼ島津とぶつかってないんじゃない?
布陣:先陣は信親、仙石は川沿い後陣
フロイス:土佐の鉄砲隊があっちゅうまに壊滅した。
作中資料:両上使も心は猛ども云々。
先陣が壊滅して体勢が決した後に仙石・元親も多少はぶつかったけど、もうどにもならなかった。って流れがどう考えても自然。
仙石が真っ先に潰れてたらゴンベは退却出来てないと思うよ。
前半、家久に冷や汗かかせたのは信親。超頑張った。でも包囲食らって瞬殺。川沿い後方の両上使は先陣・側面の信親・田宮・十河が壊滅して殺到した島津に追われて退却でしょ。
仙石・元親は後方故に渡河地点に何とかたどり着けただけ。 徳川の臣従が終わってなかったからね
西に専念したら家康がどう動くかわからんし、徳川の臣従を待ってたら大友が滅ぼされて九州が統一されたかもだからね
権兵衛の役目は上方からの慰撫や島津への牽制だったんだろうけど半分も果たせなかったなという印象 命令違反にこだわるのがいるけど、状況が変化して報告と今後の対応について伺いをたてるための早馬(船)出してそれが戻ってくるのに何日かかると思ってんの?
一旦遠征責任者決めたら、現場での決定は委任しちゃうのが当然。秀吉だって織田家時代に勝手に和平交渉やらやってひっくり返されてるけど、命令違反の処罰対象にならない。
最終的には、そんな失敗しちゃうような奴を任命してさらに大友支援に必要な兵数を見誤った人間の責任が一番大きい。 現場における独断はその理由により肯定される面はある
と、同時に独断の責任もまた生じることになる
独断しながら責任はない、などという都合のよい解釈はありえない 総大将は居ないから仙石の責任はあくまでも軍監としてのものだし
島津に攻撃を仕掛けることは軍議で決めたもので仙石の一存ではない
独断で指揮を取った責任なんてそもそも存在しない >>759
そのへんちょっと無処分だった三成の忍城攻めなんかにも通じる印象はするね
まあお気に入り度合い次第と言うのもあるのかもしれないが
豊前には黒官毛利両川寄越した結果、島津が豊後絶対に落とすマンにシフトしちゃったのも含めて
冷静に考えると結構な激辛ミッションのような気がっていう >>767
俺は(仮に独断だったとして)独断しながら責任はないとは全く言ってない。
責任が一番重いのは配置して、不利な状況を作り出した人間と言ってるだけ。 実際鶴賀が抜かれたら守りに適さない府内で防衛線張ってもジリ貧だったことは事実
動くべきだったか否かは別として城主死んだタイミングで動いたのは最悪だったんだろうな >>770
秀吉の任命責任もある
が
命に反して独自に動いてる時点で責任割合は大きく変化してる
ゴンべの責任は重い 国東半島の反対側まで毛利クロカン勢が進出してるから兵力的には問題ない
4、5日ゴンベが府内で粘れば島津を挟撃出来た
秀吉本隊の到着前に良いところを見せようとして、しくじっただけでしょ 兵力差から逆に家久側から攻め込まれても結果は同じだったと思う あくまで軍監ではあるけど、秀吉の信任厚い権兵衛の言うことに新参の長曽我部が逆らえるのかな 軍監という役職を改めてググっても
軍を監督する立場であり強い権限を有していたという解釈なんだな それは近代の軍隊の定義
ググるならちゃんと時代背景も見ないと
豊臣政権下の軍監は一貫して目付役だよ 島津は鬼だから逃げるのも仕方ないよヤンマガ読者なら鬼の強さわかるよ もし軍監の仙石が総大将のような指揮権を有してたと言うなら、失脚後に後を継いだ尾藤は軍監として黒田官兵衛や小早川隆景を指揮してたことになる
そんなわけないでしょ >>772
だからその命令を待ってぼーっとしてられるような状況じゃないって言ってんだけど、読解力ないの?電話やメールで相談しろとでも言いたいの? >>783
根白坂でも尾藤は軍監だったよな
軍監は独断で指揮できるなら宮部は孤立無援のまま戦死してた 瀬戸内に鏡使った光通信網を整備すべきだったな
モールス信号的な何かを三成が考案すればいい
またたく間に伝達される秀吉の軍令
大坂城に居ながらにしてリモートで島津を征伐できる >>784
なんでそこまで切迫した事態って解釈なの?
長曽我部は援軍到着を待とうと言ってるのに >>787
待ってる間に落城したら命令に従わなかった軍監の責任になるじゃん そういや、伝書鳩ってなんで日本にはなかったのかね。震旦じゃ唐代あたりから使ってた記述があるけど >>789
鶴ヶ城は失陥してはならない大友の要衝か?
島津に対する全面攻撃ではなく牽制して援軍到着を待てなかったのか? 島津の株が上がるほど
相対的に株が上がる甲斐宗運というマイナー爺さん 結果と、後から分かった詳細な情勢を見て、したり顔でよかった悪かったとケチつける上司ほど無能な奴はいないな。
当時は味方がいつどれくらいの援軍送ってくるかもわからない。待ってたらさらに敵の数が膨れ上がって不利になる可能性だってある。そんな不確定要素が多い中で、今なら相手の主力を叩けると思って決断してる訳で。
負け戦だったんだからやらない方が良かった、というのはまさに結果論の典型 秀吉が行くまで固く守れという戦略無視していいなら、現場判断で島津と同盟組んで勝手に朝鮮攻めしてもいいことになる
いいのか? それは全くの詭弁で島津を降伏させるという主目的と全く繋がってない >>791
要衝だろ。臼杵も目鼻の先、府内も河渡ったら平地ですんなりっぽいが。 でも、戦った理由が
生きるという事は戦うということじゃ
は未だに納得行かない
そこはもうちょっとなんとかして欲しかった 当時の命令はどのくらいかかるのだろうかねぇ。
九州から大坂まで一週間
戻りに一週間とかかな >>786
三成が全部悪いで結論出たな仙石殿も太閤殿下も無罪やわ
よっしゃ!今から三成んとこに殴り込みに行くわ徳川様もきっと賛同してくれるやろ >>791
府内まで攻め込まれたら防衛できないってのは仙石権兵衛劇中でも言及されてなかったっけ?
既に河を挟んで対峙してるのに隣国にいるクロカン達の増援が来るか不明
大友軍は当てにならない
本軍はいつ来るか分からない
「とりあえず一撃食らわせれば後続を恐れて退却してくれるかも」
この判断自体は完全に間違ってるとはいえないかな
島津にしてみたら四国勢破っても中国勢後ろにいるし、本軍まで想定したら普通は慎重になる 土佐物語では
「信親、明日は討死と定めたり。今日の軍評定で軍監・仙石秀久の一存によって、明日、川を越えて戦うと決まりたり。地形の利を考えるに、この方より川を渡る事、罠に臨む狐のごとし。全くの自滅と同じ」
と残されてるようだからゴンベの一存とまではいかなくても強権を発動してたようじゃん
少なくとも長宗我部陣営からは ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています