センゴク 宮下英樹 197番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-19巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと
※前スレ
センゴク 宮下英樹 196番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1591781105/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>68
日本史上最強最大の権力と兵力と竿力を持ってたのにね、後鳥羽さん >>68
上皇が親征してきたら武器を捨てて降伏しろと幕府側が御家人達にそう言ってたな 実際、承久の乱に際して後鳥羽院が打った手は事前準備も含めて当時では必勝だったとか。
北条義時以下は満足な反攻の準備も気構えも出来ていなくて、当初は鎌倉を北条氏だけで固めて御家人達は所領に戻して準備させる気だったとも。
それをやっていたら、北条氏は族滅確定。北条政子と大江広元が軍勢が調っていなくても、即座に鎌倉から軍を発して御家人達が正確に現状認識する前に、北条氏の追討から幕府と御家人の問題に論点をすり替えて、雪だるまが転がるように勢いで押し切らないとツミだった。
実際、東海道を下る軍勢は兵糧の支度も満足になく、街道筋の民衆も逃げ散ってしまい、増水する宇治川で大量の溺死者を出しながら官軍の倉庫を占領するまで飢えに悩まされたとか。
北条義時自身も、館の落雷で下人が死んだ事で「天罰だ」と寝具かぶって震えて大江広元に励まされていたし。 >>69
なお神器なしで即位したのを最後までネタにされた模様 政子「頼朝さまのご恩は山より高く海より深い、今そのご恩に報いる時です」
鎌倉武士「うおおおお」
ここを外さなきゃあとはなんでもいいや >>75
バンデットの鎌倉武士は良かったんだよなー
太平記をもっと忠実にあのノリでやって欲しかったな
あの宇都宮公綱みたいなのが十八騎で駆け出したかと思うと
恐ろしくなる ここまで怒りと野心を抑えまくってきたのに、馬鹿センゴクの一言で全て無に帰りかけたんじゃあキレるのは分かるw 俺も遊泳禁止の場所で遊んでるDQNに向かって
危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱〜」
とか言って聞き入れなかったわ 承久の乱は
西国の守護はほぼ後鳥羽に従ったけど
在地の武士はほぼ従わなかったからな >>76
バンデッドは主人公オリキャラにしないで素直に正成か高師直あたりにしてれば打ち切り食らわなかったかも。 >>82
オリキャラは狂言回しとしてあくまで一足軽、一悪党の立場でやって描いていけばねー
無理にトップの足利と絡めようとしなくても >>82
編集部イチオシの長編歴史物始まる予定だったからどっちにしても無理。かわぐち御大のまで切られたろ。 >>80
そんな素敵DQNなら好きなだけ泳がせてやるわwジコセキニンデ。 義経チンギスハンそんなに推すほどかなーと思いつつかわぐちカイジのややマンネリ感のある源平よりはいいのか。
太平記ものはまたぜひあの蛮族感バリバリでやり直して欲しいな 土岐兄さんと光厳院の狩りごっこは蛮族通り越して
フレンズやから >>72
孝明天皇もそうだったっけ?後醍醐から偽物貰ったとかなんとかで >>76
早川口の虎口なら公綱1体で陥落しそうだな 後醍醐・後白河・後鳥羽・後村上
この辺り昔っから本当にごっちゃになるわ >>92
わかりやすい覚え方が
後醍醐→電波
後村上→電波の息子
後白河→ラッパー
後鳥羽→刀鍛冶 >>90
鎮西八郎くらいじゃないと流石に単機では無理じゃね? >>47
不戦の約定とかになるんでね?
解かれもうしてー 信雄が勝手に志摩国を分割して伊勢と紀伊で山分けしたのとかちょっとロシアっぽい >>94
為朝があと十人いたらアメリカは太平洋戦争で負けていたと言われてるからな んじゃふるが豊臣家内の政争だけではなく
惣無事=いきなり殴り合わずにまずお上にお裁き頼めという時代への移り変わりの面を掘り下げるのかは気にはなる
もっとも鎌倉や室町の挨拶代わりに殺す修羅どもからその感覚が根付くに至るまでは戦国どころか江戸中期くらいまでかかるけど 狂言というより今様じゃない?ベストアルバムをリリースしたからな 大河ドラマ観て後白河のイメージは松田翔太で固定された >>84
鎌倉ジパングとバンデッドと池田勇人打ち切って
ハーン始めるモーニングの見る目のなさよ 疾風の勇人は昭和の妖怪出した途端に露骨に打ち切られたな。今ならじゃんじゃん描かせただろうに。今度は秋田書店でほぼ同時代の角栄やってる ハーンも悪くはなかったけど
前作のショート黒松のほうが面白かった 作画の問題か演出の問題かハーンは盛り上がりに欠けてたな
義経関係は雷にビビらない以外生かされてないし ジンギスカンにしなければ無限の可能性あったのにね
義経が大陸で大暴れしましたみたいなのでよかったのでは?
鎌倉武士といえば赤マフラー あの世で尾藤神子田と再会した半兵衛は何を話すのだろうか なんで半兵衛はあんなプライド高いだけのやつら気に入ってたんやろ 梁塵秘抄口伝集とか言うリミックスアルバム
アーティスト名が行真aka雅仁 尾藤は引きこもり仲間では?引きこもって碁を打ってたところとか
頭の中で戦場を構築できる半兵衛の廉価版っぽさがある 尾藤はこの漫画では秀吉に口上叩き込まれて池田勝入を口説き落とす役割与えられるくらいには有能だしな 史実知ってるから考えなかったけど三成ってもしかして今頃処断されるかもってビクついてる? >>124
じっさい失敗=切腹もありえるわけだからいかに重臣といえども
生きた心地はせんだろうよ、しかしなんでこいつが西軍仕切ったんか
ねえ?ふつうに加藤清正あたりなら絶対にあんな負け方はないわな
関ヶ原は上田城の攻防にはどんだけページ割けるかな、家康・秀忠・ゴンベの
重要シーンだけど本戦も捨てがまり等面白そうだから超楽しみ センゴク三成は叱られる処罰されるより「できないことは無理するな」と労られる方がグサリとくる若さを残してるタイプじゃないかしら >>125
捨てがまりは島津勢が何言ってんのか全くわからない筆文字を叫びながら
万歳チェスト仕掛けてくる描写が楽しみでしょうがないわ >>125
センゴクでは三成佞臣論より不器用なタイプとして書かれてきているので西軍は史実通り
総大将 毛利輝元
副将 宇喜多秀家
としてくれたらいいな
石田、小西、安国寺恵瓊は濡れ衣着せられて処刑されたと伝聞えられて嘆く権兵衛とかの方がらしい 秀吉死後は後ろ盾なくなって誰も言うこときかなくなって
「何一つうまくいかない!」て頭ガリガリしまくってハゲ姿で関ヶ原してほしい 島津の退き口は、一説にあるように義弘は諦めて死を覚悟してたけど
そこを諫めて励ましブチ切れた豊久のDNAが目覚めスサノヲ化
紙降り300名の狂乱の波に乗せられ導かれるかのように義弘だけは無事離脱的な流れだと熱い 謙信が成田長泰をひっぱたいたんだっけ?
ガクトはその嫁を奪おうとしてたな 九州編の島津は家久が神降りしだしてからなんか
おかしくなっちゃったからなあ、龍造寺戦は
面白かったのに、次はクレイジー鬼島津の本領発揮
といきたいね 凄い変わりようだな三成
弱そうな刑部に小西どんに恵瓊、キラキラ宇喜多も化けるんだろうか 三成は絶対勝頼みたいになるよね
死ぬ寸前に秀吉が出てきて謝る展開にもなるだろうし 三成の豊臣家への忠臣イメージって
小説やらの影響が大きすぎて
本当に史実でもそうなの?
って疑問なんで、それこそ
「だがこの通説には疑問が残る」して欲しいわ
センゴクの三成って不合理には怒りそうだけど
理不尽には反応しないよね
家康が豊臣家乗っ取り始めたら、普通に従っちゃいそうだよ そんな事はないと思うが
東軍と西軍を無理に分けるとすれば
明らかに西軍は主流派で東軍は反主流派(家康除く)程度
しかしトップが反主流派を抱き込み始めるとか胡散臭い話に
よく福島やら加藤やら黒田は乗ったよなあ
しかも暴走するだけ暴走して事態の急展開に返って危なくなる始末
家康からすれば政権トップなんだからあそこまで危ない橋を渡る理由なんか全く無いのに
猪の暴走に巻き込まれて.一か八かで天下分け目の大戦
ってのが今週のセンゴクを見ての感想
家康さん全然学べてねえw センゴクの2大坊っちゃんズ秀忠秀家なら普通に仲良くなれそう >>145
>明らかに西軍は主流派で東軍は反主流派(家康除く)程度
思いっきり逆だけど 家康も結構年いってたし悠長に豊臣方の力削いでく
時間はなかったでしょ?やっぱりこういうのって機
というものがあって危険はあってもそこをモノにしないと
ほんとのTOPはとれないんじゃないかな >>148
関ヶ原から大坂の陣まで15年もあるんだけど... このスレのせいで暫く佐々成正のこと調べてたけど、没落に評判落とすデマが何度も広められてるんやな
前田家が佐々の祟りを恐れていたとかいう話を見ると噂流してたのは前田家かね?佐々がとっくに死んだ後になんで評判下げる必要あったんやろ? >>151
当時の寿命考えたら関ヶ原当時にあと15年も五体満足で長生きするなんて家康も周りの人間も思ってないでしょ
だから徳川家での将軍世襲を急いだ訳だし そのあたりの流れは「葵三代」の大河ドラマが分かりやすかった
関ヶ原から始まって家康から家忠に実権が移ってく過程がかかれてる
武家諸法度、公家諸法度を交付して完全に実権を抑えるまでは家康さんバリバリ現役 >>152
まだまだ人が人を治める時代だったってことじゃない?
前の領主の人望は次の領主の統治の障害になるという寸法 >>152
前田利家はかなり加賀で苛烈(森忠政的な逆らう奴は皆殺すマン)な統治してたから、そういう不満を逸らすとかあったかもしれん。もちろん一向衆の反勢力叩かにゃならん事情はあったろうが。
ちなみに佐々の悪評とか加賀の話かどうかしらんけど。
しかし戦国末期の統治って何でゴンベだけごちゃごちゃ言われるんだろな?
正直、そんな楽な統治してた奴いるの?と思うこともしばしば。
まぁここはセンゴクスレだからゴンベが言われるのは当たり前と言えば当たり前か。 >>151
関ヶ原当時は家康57歳、当時の戦は必ず大将は戦場に行くから
体力的にもあと3年くらいが勝負と思うのが普通じゃないの?
冷暖房完備、ボタンポチればの時代じゃないよ >>151
そうなんだよね
あそこから豊臣滅ぼすまで15年もかけてる
関ケ原はどう考えても不測の事態としか思えんわ
関ケ原以後の真綿で首を絞めるような嫌らしいやり口を考えれば
いくらでも安全確実に天下簒奪出来たんじゃないかと
関ケ原って冷静に考えると無謀なんだよ
西軍は機内抑えてるんだから
第一次、二次の信長包囲網と比べても遥かに分が悪い
相手が野戦に来なかったら、例え尾張まで抑えてもその後どうするつもりだったのかと
そこから西は秀吉が作り上げた城塞群がひしめいててどうにもならない
小田原の城塞群とは下手したら桁が一つ違うんだよ
100万の軍勢があっても攻略は怪しい 人生50年言われてる時代で、悠長に待てないでしょ。
むしろ散々待って秀吉が死ぬのを待ってた。
これ以上待てば、より若い連中が有利なだけ。
家康自身なら天下を二分する戦いに勝つ自信はあるが、秀忠にそんな大戦をさせても、勝つ可能性はぐっと下がる。 権力を簒奪しようというのがイレギュラーだったのかも >>159
かけたじゃなくてかかったが正解でしょ?豊臣は莫大な資産
持ってたしシンパも少なくなかった、淀君じゃなく秀頼に
ちゃんとした参謀がついてりゃおそらく徳川幕府は無かったか
まだ遅れてたと思うけどね たびたび出てくる本物の家康は関ヶ原で討たれてた説
ちなみに秀忠はヒ素で毒殺され、家光は柳生十兵衛によってマミられてる 輝元秀家三成が本当に、狡猾な戦略家なら持久戦に出るかも知れないが、彼らはイニシャティブも曖昧な低脳と若輩と官僚でしかない。
大軍が向かってくるならより大軍で迎え撃てば良いくらいのアイデアしかない。陣立てだけなら実際西軍のが優位だったし。 そもそも関ヶ原の前に会津征伐があるでしょ
アレでビビった毛利と復権目指す三成が結託したと考えるのが自然で豊臣家うんぬんは1600年時点では全く関係ない >>157
毛利元就「57歳ならバリバリの現役だろう」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています