センゴク 宮下英樹 197番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-19巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
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※前スレ
センゴク 宮下英樹 196番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1591781105/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>182
手痛いダメージ受けて留守組と不穏な空気になってる外征組に数年から下手したら10年近く待てと? 確かそんな話だったと思ったよ。それを秀吉の死後に家康が勝手に話を進めたと 俺はそれ映画の関ヶ原で知った
史実かどうかは知らんが 家康って大名としてはともかく、幽玄おじさんになってからキャラとして魅力なくなったよね 五奉行っていつ頃から大名になったのだろう
奉行と大名って役職違うよね >>143
なんで関ヶ原に担ぎ出されたんやろか
佐和山でじっとしてれば… >>187
そういやあ徳川幕府では奉行は旗本ランクだよね
寺社奉行を除いて >>187
五大老五奉行が出来たのは秀次を誰かが殺してから急にだから
秀吉秀次の時は
五大老はいなかったからね
奉行が中枢だった >>187
そもそも「大名」は役職ではない
大名主、大名席からきた形容詞
沢山部下を抱えてる武家の主位の意味だな
現代語でもあの人はお大名様だから
みたいな言い回しがあるけど、アレと用法は変わらんw
よく一万石以上だと大名とか言うけど、それも江戸時代以降の大雑把のくくり なる。大名って役職ではなかったのか
しかし殿、って言葉があるけど、例えば佐吉は奉行だが
家臣や領民からは「殿」と呼ばれ、要は大名と言うか領主的な人だよな。
江戸時代の奉行も領地がある人は「殿」と呼ばれてたらしく?、、、
あ、、、何だか自分で何言ってるか分からなくなってきたw 豊臣政権では幕僚のひとりだけど
自分の領地に戻ればお殿様ってことじゃね >>192
室町時代の場合、役職は基本的には「守護」だわな
江戸時代には石高一万石以上の「藩主」を指すね
センゴクの時代に出てくる大名は、戦国大名だけと
これは歴史学的な用語だね
室町幕府とは関係なしにある程度の領域を独自に統一した人の事
最初の戦国大名は北条早雲と言われる(最後の戦国大名も北条家) >>184
いやいや、勝手にとか言ってるけど、論功行賞急いでやらないと豊臣政権自体が先に崩れるだろ。
海外出張命じられて、人的被害も戦費も持ち出し余儀なくされて会社から「その分の支払いは何年先になるかわからないからw」とか誰も従わなくなるから 「殿」は字からわかるとおり偉い人が住む館のこと
日本では古来から館の呼び名を貴人の尊称としてよく使う
「御所」とか「屋形」とか
戦国時代だと「主君」に対して使う言葉だな
大名クラスだと「お屋形様」って呼ばれるケースのほうが多かったんじゃないかねえ
主君の官位や立場や風習で色々あったろうけど
ただし武家の場合、「鎌倉殿」「室町殿」って特別な呼び名があるのでそれは別格
ちなみに大名や旗本に使う言葉として一般化したのは江戸時代 流れぶった斬って悪いが桃山時代の政治とかを書いた新書や歴史小説でオススメない?
これからのセンゴクを楽しむ上でも予備知識はつけておきたい >>196
なお。足利尊氏さん、義詮さん、義満さん、義教さん
京都にいるのに「鎌倉殿」言われてた模様 司馬の国盗り物語・新史太閤記・家康三部作の三傑主人公の長編はは鉄板だが今読んでも面白いから通しで読むといい 俺は司馬遼太郎の段々腹黒い駆け引き覚えても鳥居に最後に会った後に一人泣いたり
晩年になり戦場すら知らない若い連中の使えなさに嘆いたりする人間臭さを捨て切れない家康がやっぱり好きだわ 御屋形様、御館様
守護大名の呼称。信玄とか義元とか
殿
下克上組。信長とか
大殿
殿が家督を譲って大殿。信長のイメージ
上様
将軍の呼び名。義昭とか秀忠とか
大御所
隠居した将軍。家康
殿下
皇族とか。日輪の子秀吉 >>35
つーか、実際問題関ヶ原って3時間くらいでささっと終わったんでしょ?
徳川氏が自分らの功績をでかくしたいがために
6〜7時間くらいかけたと
宰相のからべんとうもなかった説
「賤ヶ岳七本槍」の一角の脇坂が裏切った辺りでカタが、ついた、と
采配値
三成 30
家康 95
じゃ勝負にならないからね
仕方ないね やかた(屋形、館)の呼称って勝手に言っていいんじゃなくて免許制だったんだねー
知らんかった >>156
黒百合伝説でググレ
因みに完全な創作で伝説にあるようなイベントは全くなかったらしい
でもこのせいで苛烈で血も涙も無い領主として語り継がれることになった
そして前田家の書物には佐々に祟られるという記述が何度も出てくるという
因みに前田家の加賀での苛烈な統治の話だけど、特に能登地方が酷くて取れ高の7割を税として徴収されていたらしい
3割を超えると継続的に農民は生活できなくなるとされているのに7割。能登は日本で一番酷い統治を受けていたようだ いっぽう甲州土民は信玄公以来の税制以外は受け入れなかった >>207
官位を自称するのが横行するくらいなので割と適当
今年の大河でも斎藤道三は殿、御館様は土岐で区別はしてた気がする 昔は大河ドラマとかで「おやかたさヴぁー」とか言ってるの聞いて親方?相撲かよとか思ってた
沖縄は実際にそんなカンジの尊称みたいだけど 沖縄は御主加那志前
武将みたいなのは親方(うえーかた)
ソースは花の慶次 真面目な戦国時代の本読めば色々身につくぞとマジレス
平山なんたらの国衆の本読んでるけど取次と指南と奏者が同じって
これで知った >>27
運以外のあらゆることを塗り潰すのは定石だ。そうして隙間を埋めていって、運だけが純粋に残った時最高の賭になるのさ。 昔の小説より最近の研究者本読んだほうがためになるな
そりゃ小説は面白いが事実でないことを事実とインプットしちゃうから いつもサジは、ゴンを「殿(との)!」と呼んでるけど、
実は当時はそんな言葉はなくて(日常生活で使うって意味で)
江戸時代も書類上?のみ、なんと一般化したのは昭和になって小説とかからみたいだしね。
面白いすなあ、歴史の言葉って。 すわ叛乱って言っても今更あるかなあ
お藤さんも寿命近いなあ >>222
1596年没
あと6年だから作中ではまだまだかもしれないが 後妻も気になるがゴンベって側室とかはいなかったの? 国人衆じゃなくて甲斐の牢人か
竹村新兵衛っていうらしいが調べても出てこないな 誰かの娘が秀吉や家康の養子になったあとゴンさんの所に来なかったんだろうか >>218
呉座さんの本が難しすぎる俺には小説でいいや
てかなんであれ売れてんだよ 実際の仙石秀久が漫画のゴンさんと同じ性格だったら、「古くからの縁だし憎めないし有能」とか「大恩がある」「こいつやべえ...」とかで養女を貰ったかもねぇ そういやこの時徳川四天王どうなってんやっけ
酒井とかまだいきてるのか >>237
信康が生きてたらこんな苦労はしなくて良かったのにって
関ヶ原の時に酒井忠治にぐちってる記録が残ってたような
酒井も居心地悪かったろうな >>237
酒井が亡くなるのは関東移封後だからまだ生きてるでしょ。
息子の領地が他の四天王の面々より少なくて文句言いに行ったって逸話(後の創作っぽい)が残ってるくらいだから。 >>237
酒井忠次自身は関ヶ原までの間に隠居、入道とあって
京都で大往生
徳川四天王も関ヶ原で3人、大坂の陣では0人だもんね、
家康も自身の後継者選びと並んで手足となる譜代の
代替わりに神経すり減らしてたと思う 四天王全員家康より先にいってもうたんか
ある意味本望かもしれんが 史実のヤッスは三河者が死ぬたびに赤飯炊いてそうなイメージ 三河衆ってもともとは松平と同格の土豪連合だからな
関東移封で主従関係の再確認したことで支配権強化したんだったよな
本当に転んでもただでは起きない男だよ >>243
そういうのはありそうやな
土豪連合から戦国大名へ脱皮したんやな
上杉謙信でも無理やったのになあ >>230
ゴン娘は高虎の異母弟に嫁ぐんだけど、後に高虎の直系に男子がいなくなっちゃって
ゴン娘と異母弟の血統が津藩主を継いで行くっていう、この作品の高虎はやや苦虫をかみつぶしていそうな顛末っていうw 豊臣家は奉行衆でなく、武断派が生き残り
徳川家では武断派が冷遇というか端に追いやられ奉行衆が台頭してるのが皮肉やね
まあ三河武士の脳筋共に政治なんかできんやろうけどw 豊臣で武断派を冷遇したから家康に付いたんだろうな
徳川も反抗勢力が出てきたら冷遇された武断派はそちらについたかもしれん
徳川も外様に250年ぶりの下克上をされてるわけだし
冷遇する時は徹底的に力を削がないといずれ足元を掬われる感じ 実戦経験してない坊ちゃん嬢ちゃんにはやっぱり武闘派は
怖いよねえ、結局表向きはソフトな奴らを重用、そいつらから
すりゃ脳筋は煙たいから遠ざけるという洋の東西問わず繰り返
される歴史ではあるがな 武断派いわれてる中で奉行仕事してないのって
細川ちゃんくらいだろ
しかも福島は佐吉とペアでいつも取次やら検地の仕事してたし
仲良しとはいわない 捕らえられ門の前に縛り置かれる江守徹にガハハと下衆な笑いを浮かべながら近づく蟹江敬三
もう半分これが史実だよ >>251
そりゃ桶屋で修行中に、イラついたって理由で大人を殴り殺すようなガキ大将と文官じゃあ話があうはずがない >>227
一瞬甲斐の牢人竹村新兵衛がゴンベエの側室になるのかと思ってびびった 秀吉が衆道やらない変な奴だって記録に残るくらいだからやってたんじゃね >>257
戦国ヤンデレ大名細川忠興も衆道が大嫌いで家臣にまで禁止にしてた
セレブな坊っちゃんだから主の寵が必要って感覚がなかったんだろうな 娯楽も少なくいつ死ぬかわかんねえんだし
気持ちよけりゃいいじゃんて感じなんかな?
ただヤリ過ぎると戦闘力が落ちそうなんだけどな 衆道なんて江戸時代だって普通にあったろ
今だって・・・ BL・・・ いやVIPの嗜み
やってないと記録に残るとか
そんな一般的じゃねーだろw >>259
神聖隊「あ?文句あるならかかってこいや!」 w >>263
ヒストリエでは完全にスルーされてたなw >>264
森蘭丸さんのお尻が汚いとかありえないわ 伊達政宗 衆道は渋めのおっさんが良い
若い小姓は味わいが足りない
唯野作十郎とか年上でもやれるのが凄いな 衆道については平安の頃から皇室、公家、僧侶、庶民と各階層の生々しい記録が残ってるわな 坊主のお稚児さんのお作法指南とかすごいもんなー
坊主は今も昔もろくなもんじゃない wwwww
【韓国】「軍服を着て同性と性行為」写真がTwitterに…軍事警察が捜査[06/21] [Ttongsulian★]
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1592713601/ >>242
四男の松平忠吉が死んだ時、鷹狩りに出かける支度中に駿府に訃報が届いて、周囲が流石に中止だろうと思ったのに。
「あ、そう。……お前ら、何を突っ立っている? 鷹狩りに行くから、さっさと鶴の吸い物を持って来い!」
と言って、周囲を唖然とさせたと言う記録が。
当時なら、息子が死んだと聞けば即座に狩猟とか殺生は停止(ちょうじ)して、喪に服して贅沢な肉食とか断つのが常識だったので。その場にいた天海が
「御子が先立たれてさぞかしお嘆きかと案じておりましたが、元気に鷹狩りにお出かけと伺い安堵しました」
と厭味じみた諫言をしたそうです。
「あの病状(一説に梅毒。死去の直前、忠吉は最期の暇乞いに家康を尋ねたが、面会不要と追い返された。尚、秀忠は面会して泣いて別れを惜しんだ)なら助かる訳がない、早く死んだ方が楽になるのは明らかだろう」
と悪びれなかったそうですが。 >>272
逆に考えるんだ
脳筋のイメージにしたかったから蟹江敬三になったんだ 信長から勝家への手紙に衆道も鷹狩りもするなってやつがあるね
信長に足を向けるなとかめちゃくちゃなこと書いてあるw 歴史ドラマで福島正則が目立ったり大物俳優が当てられた事が蟹江敬三意外ないから、福島正則=蟹江敬三だわ
多分最もイメージ俳優が固定されてる戦国武将だと思う >>273
ガチのサイコパスだからなあ
他にも嫡男が刃物で死んだ?武士恥ずかしいなとか言って気にせず狩りに行ったアレな奴もいたし、武士はマジいかれてるは 最近の大河だけ見てる人には今夜の国盗り特番は見てもらいたい
高橋英樹の信長、近藤正臣の光秀、宍戸錠の勝家
今回はあまり取り上げられないが
火野正平の秀吉、米倉斉加年の半兵衛、江守徹の官兵衛、寺尾聰の家康、
伊丹十三の義昭、杉良太郎の長政、伊吹吾郎の藤孝
いずれもその役が大河歴代最高クラス
特番気に入ったら総集編も是非見てほしい >>279
このクラスが普通に見れた昭和は良い時代だったんだな‥ >>279
謀反人は
惟任日向守!
って言わないと締まらないなあ
明智光秀!
だとなんかな >>276
大河じゃないが丹波哲郎の福島正則という超大物キャスティングもあった
北政所の握り飯を美味そうに頬ばったり
関ヶ原の後晒し者になってる三成に「カーッペッ!」したりする強烈キャラだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています