センゴク 宮下英樹 197番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-19巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと
※前スレ
センゴク 宮下英樹 196番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1591781105/
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当時の寿命考えたら関ヶ原当時にあと15年も五体満足で長生きするなんて家康も周りの人間も思ってないでしょ
だから徳川家での将軍世襲を急いだ訳だし そのあたりの流れは「葵三代」の大河ドラマが分かりやすかった
関ヶ原から始まって家康から家忠に実権が移ってく過程がかかれてる
武家諸法度、公家諸法度を交付して完全に実権を抑えるまでは家康さんバリバリ現役 >>152
まだまだ人が人を治める時代だったってことじゃない?
前の領主の人望は次の領主の統治の障害になるという寸法 >>152
前田利家はかなり加賀で苛烈(森忠政的な逆らう奴は皆殺すマン)な統治してたから、そういう不満を逸らすとかあったかもしれん。もちろん一向衆の反勢力叩かにゃならん事情はあったろうが。
ちなみに佐々の悪評とか加賀の話かどうかしらんけど。
しかし戦国末期の統治って何でゴンベだけごちゃごちゃ言われるんだろな?
正直、そんな楽な統治してた奴いるの?と思うこともしばしば。
まぁここはセンゴクスレだからゴンベが言われるのは当たり前と言えば当たり前か。 >>151
関ヶ原当時は家康57歳、当時の戦は必ず大将は戦場に行くから
体力的にもあと3年くらいが勝負と思うのが普通じゃないの?
冷暖房完備、ボタンポチればの時代じゃないよ >>151
そうなんだよね
あそこから豊臣滅ぼすまで15年もかけてる
関ケ原はどう考えても不測の事態としか思えんわ
関ケ原以後の真綿で首を絞めるような嫌らしいやり口を考えれば
いくらでも安全確実に天下簒奪出来たんじゃないかと
関ケ原って冷静に考えると無謀なんだよ
西軍は機内抑えてるんだから
第一次、二次の信長包囲網と比べても遥かに分が悪い
相手が野戦に来なかったら、例え尾張まで抑えてもその後どうするつもりだったのかと
そこから西は秀吉が作り上げた城塞群がひしめいててどうにもならない
小田原の城塞群とは下手したら桁が一つ違うんだよ
100万の軍勢があっても攻略は怪しい 人生50年言われてる時代で、悠長に待てないでしょ。
むしろ散々待って秀吉が死ぬのを待ってた。
これ以上待てば、より若い連中が有利なだけ。
家康自身なら天下を二分する戦いに勝つ自信はあるが、秀忠にそんな大戦をさせても、勝つ可能性はぐっと下がる。 権力を簒奪しようというのがイレギュラーだったのかも >>159
かけたじゃなくてかかったが正解でしょ?豊臣は莫大な資産
持ってたしシンパも少なくなかった、淀君じゃなく秀頼に
ちゃんとした参謀がついてりゃおそらく徳川幕府は無かったか
まだ遅れてたと思うけどね たびたび出てくる本物の家康は関ヶ原で討たれてた説
ちなみに秀忠はヒ素で毒殺され、家光は柳生十兵衛によってマミられてる 輝元秀家三成が本当に、狡猾な戦略家なら持久戦に出るかも知れないが、彼らはイニシャティブも曖昧な低脳と若輩と官僚でしかない。
大軍が向かってくるならより大軍で迎え撃てば良いくらいのアイデアしかない。陣立てだけなら実際西軍のが優位だったし。 そもそも関ヶ原の前に会津征伐があるでしょ
アレでビビった毛利と復権目指す三成が結託したと考えるのが自然で豊臣家うんぬんは1600年時点では全く関係ない >>157
毛利元就「57歳ならバリバリの現役だろう」 心理的に普通の人間は平均寿命まで後何年だから
それまでに人生でやらなきゃならんことを全部片付けようなんて思わん
隠居してるような人間ならともかく国のトップクラスで働いてる人間よ 長寿過ぎて実は同名が2人いるんじゃないかと疑われる人もいるな >>156
なんというかそれで「オチがつく」からじゃない?>佐久逃散
ダメなひとはやっぱりここでもダメでした、みたいな
戸次川の失敗を人間的な資質に求める人にはほらやっぱりと納得しやすいんじゃなかろか 池田大作だって死んでるか生きてるかわからないしな
創価学会の。
昔はもっとありそう 秀忠...
秀吉死後に五大老筆頭になった家康さんやる事がいっぱいある
・朝鮮戦役の論功行賞含めた戦後処理
・諸外国(特にスペイン)への外交対応
・秀次失脚後空位となっている関白職を五接家へ返還
ここまでは言わば秀吉氏後の残務処理
本来秀頼がやるべきだけど年齢の問題もあって家康の責務となってる
1605年に将軍職を世襲してからがようやく大御所として落ち着いた感じ 朝鮮出兵の論功行賞って秀頼が成人した後でってことになってなかったっけ? それなら少し余裕がある >>182
手痛いダメージ受けて留守組と不穏な空気になってる外征組に数年から下手したら10年近く待てと? 確かそんな話だったと思ったよ。それを秀吉の死後に家康が勝手に話を進めたと 俺はそれ映画の関ヶ原で知った
史実かどうかは知らんが 家康って大名としてはともかく、幽玄おじさんになってからキャラとして魅力なくなったよね 五奉行っていつ頃から大名になったのだろう
奉行と大名って役職違うよね >>143
なんで関ヶ原に担ぎ出されたんやろか
佐和山でじっとしてれば… >>187
そういやあ徳川幕府では奉行は旗本ランクだよね
寺社奉行を除いて >>187
五大老五奉行が出来たのは秀次を誰かが殺してから急にだから
秀吉秀次の時は
五大老はいなかったからね
奉行が中枢だった >>187
そもそも「大名」は役職ではない
大名主、大名席からきた形容詞
沢山部下を抱えてる武家の主位の意味だな
現代語でもあの人はお大名様だから
みたいな言い回しがあるけど、アレと用法は変わらんw
よく一万石以上だと大名とか言うけど、それも江戸時代以降の大雑把のくくり なる。大名って役職ではなかったのか
しかし殿、って言葉があるけど、例えば佐吉は奉行だが
家臣や領民からは「殿」と呼ばれ、要は大名と言うか領主的な人だよな。
江戸時代の奉行も領地がある人は「殿」と呼ばれてたらしく?、、、
あ、、、何だか自分で何言ってるか分からなくなってきたw 豊臣政権では幕僚のひとりだけど
自分の領地に戻ればお殿様ってことじゃね >>192
室町時代の場合、役職は基本的には「守護」だわな
江戸時代には石高一万石以上の「藩主」を指すね
センゴクの時代に出てくる大名は、戦国大名だけと
これは歴史学的な用語だね
室町幕府とは関係なしにある程度の領域を独自に統一した人の事
最初の戦国大名は北条早雲と言われる(最後の戦国大名も北条家) >>184
いやいや、勝手にとか言ってるけど、論功行賞急いでやらないと豊臣政権自体が先に崩れるだろ。
海外出張命じられて、人的被害も戦費も持ち出し余儀なくされて会社から「その分の支払いは何年先になるかわからないからw」とか誰も従わなくなるから 「殿」は字からわかるとおり偉い人が住む館のこと
日本では古来から館の呼び名を貴人の尊称としてよく使う
「御所」とか「屋形」とか
戦国時代だと「主君」に対して使う言葉だな
大名クラスだと「お屋形様」って呼ばれるケースのほうが多かったんじゃないかねえ
主君の官位や立場や風習で色々あったろうけど
ただし武家の場合、「鎌倉殿」「室町殿」って特別な呼び名があるのでそれは別格
ちなみに大名や旗本に使う言葉として一般化したのは江戸時代 流れぶった斬って悪いが桃山時代の政治とかを書いた新書や歴史小説でオススメない?
これからのセンゴクを楽しむ上でも予備知識はつけておきたい >>196
なお。足利尊氏さん、義詮さん、義満さん、義教さん
京都にいるのに「鎌倉殿」言われてた模様 司馬の国盗り物語・新史太閤記・家康三部作の三傑主人公の長編はは鉄板だが今読んでも面白いから通しで読むといい 俺は司馬遼太郎の段々腹黒い駆け引き覚えても鳥居に最後に会った後に一人泣いたり
晩年になり戦場すら知らない若い連中の使えなさに嘆いたりする人間臭さを捨て切れない家康がやっぱり好きだわ 御屋形様、御館様
守護大名の呼称。信玄とか義元とか
殿
下克上組。信長とか
大殿
殿が家督を譲って大殿。信長のイメージ
上様
将軍の呼び名。義昭とか秀忠とか
大御所
隠居した将軍。家康
殿下
皇族とか。日輪の子秀吉 >>35
つーか、実際問題関ヶ原って3時間くらいでささっと終わったんでしょ?
徳川氏が自分らの功績をでかくしたいがために
6〜7時間くらいかけたと
宰相のからべんとうもなかった説
「賤ヶ岳七本槍」の一角の脇坂が裏切った辺りでカタが、ついた、と
采配値
三成 30
家康 95
じゃ勝負にならないからね
仕方ないね やかた(屋形、館)の呼称って勝手に言っていいんじゃなくて免許制だったんだねー
知らんかった >>156
黒百合伝説でググレ
因みに完全な創作で伝説にあるようなイベントは全くなかったらしい
でもこのせいで苛烈で血も涙も無い領主として語り継がれることになった
そして前田家の書物には佐々に祟られるという記述が何度も出てくるという
因みに前田家の加賀での苛烈な統治の話だけど、特に能登地方が酷くて取れ高の7割を税として徴収されていたらしい
3割を超えると継続的に農民は生活できなくなるとされているのに7割。能登は日本で一番酷い統治を受けていたようだ いっぽう甲州土民は信玄公以来の税制以外は受け入れなかった >>207
官位を自称するのが横行するくらいなので割と適当
今年の大河でも斎藤道三は殿、御館様は土岐で区別はしてた気がする 昔は大河ドラマとかで「おやかたさヴぁー」とか言ってるの聞いて親方?相撲かよとか思ってた
沖縄は実際にそんなカンジの尊称みたいだけど 沖縄は御主加那志前
武将みたいなのは親方(うえーかた)
ソースは花の慶次 真面目な戦国時代の本読めば色々身につくぞとマジレス
平山なんたらの国衆の本読んでるけど取次と指南と奏者が同じって
これで知った >>27
運以外のあらゆることを塗り潰すのは定石だ。そうして隙間を埋めていって、運だけが純粋に残った時最高の賭になるのさ。 昔の小説より最近の研究者本読んだほうがためになるな
そりゃ小説は面白いが事実でないことを事実とインプットしちゃうから いつもサジは、ゴンを「殿(との)!」と呼んでるけど、
実は当時はそんな言葉はなくて(日常生活で使うって意味で)
江戸時代も書類上?のみ、なんと一般化したのは昭和になって小説とかからみたいだしね。
面白いすなあ、歴史の言葉って。 すわ叛乱って言っても今更あるかなあ
お藤さんも寿命近いなあ >>222
1596年没
あと6年だから作中ではまだまだかもしれないが 後妻も気になるがゴンベって側室とかはいなかったの? 国人衆じゃなくて甲斐の牢人か
竹村新兵衛っていうらしいが調べても出てこないな 誰かの娘が秀吉や家康の養子になったあとゴンさんの所に来なかったんだろうか >>218
呉座さんの本が難しすぎる俺には小説でいいや
てかなんであれ売れてんだよ 実際の仙石秀久が漫画のゴンさんと同じ性格だったら、「古くからの縁だし憎めないし有能」とか「大恩がある」「こいつやべえ...」とかで養女を貰ったかもねぇ そういやこの時徳川四天王どうなってんやっけ
酒井とかまだいきてるのか >>237
信康が生きてたらこんな苦労はしなくて良かったのにって
関ヶ原の時に酒井忠治にぐちってる記録が残ってたような
酒井も居心地悪かったろうな >>237
酒井が亡くなるのは関東移封後だからまだ生きてるでしょ。
息子の領地が他の四天王の面々より少なくて文句言いに行ったって逸話(後の創作っぽい)が残ってるくらいだから。 >>237
酒井忠次自身は関ヶ原までの間に隠居、入道とあって
京都で大往生
徳川四天王も関ヶ原で3人、大坂の陣では0人だもんね、
家康も自身の後継者選びと並んで手足となる譜代の
代替わりに神経すり減らしてたと思う 四天王全員家康より先にいってもうたんか
ある意味本望かもしれんが 史実のヤッスは三河者が死ぬたびに赤飯炊いてそうなイメージ 三河衆ってもともとは松平と同格の土豪連合だからな
関東移封で主従関係の再確認したことで支配権強化したんだったよな
本当に転んでもただでは起きない男だよ >>243
そういうのはありそうやな
土豪連合から戦国大名へ脱皮したんやな
上杉謙信でも無理やったのになあ >>230
ゴン娘は高虎の異母弟に嫁ぐんだけど、後に高虎の直系に男子がいなくなっちゃって
ゴン娘と異母弟の血統が津藩主を継いで行くっていう、この作品の高虎はやや苦虫をかみつぶしていそうな顛末っていうw 豊臣家は奉行衆でなく、武断派が生き残り
徳川家では武断派が冷遇というか端に追いやられ奉行衆が台頭してるのが皮肉やね
まあ三河武士の脳筋共に政治なんかできんやろうけどw 豊臣で武断派を冷遇したから家康に付いたんだろうな
徳川も反抗勢力が出てきたら冷遇された武断派はそちらについたかもしれん
徳川も外様に250年ぶりの下克上をされてるわけだし
冷遇する時は徹底的に力を削がないといずれ足元を掬われる感じ 実戦経験してない坊ちゃん嬢ちゃんにはやっぱり武闘派は
怖いよねえ、結局表向きはソフトな奴らを重用、そいつらから
すりゃ脳筋は煙たいから遠ざけるという洋の東西問わず繰り返
される歴史ではあるがな 武断派いわれてる中で奉行仕事してないのって
細川ちゃんくらいだろ
しかも福島は佐吉とペアでいつも取次やら検地の仕事してたし
仲良しとはいわない 捕らえられ門の前に縛り置かれる江守徹にガハハと下衆な笑いを浮かべながら近づく蟹江敬三
もう半分これが史実だよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています