センゴク 宮下英樹 133番槍 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦国史上最も失敗し、挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久 週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-7巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
前スレ
センゴク 宮下英樹 132番槍 [無断転載禁止]©2ch.net
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/comic/1504939734/ >>890
家久「薩摩兵児でありながらくびにこだわるとは、親の顔が見てみたいもんでごわす」 毛利40000
黒田4000
龍造寺30000
大友(筑前の立花、筑後の問註所も含めて)1万数千
仙石6000
豊臣派勢力は総動員の島津50000、秋月10000を上回っている
だが仙石軍が何故か孤立し島津とやり合うことになる
大友と連携できず、現地情報もろくに得られず、防御陣地も作れずという酷い様 秀吉「まあまあそう落ち込むでない、負け戦の1つや2つ誰だってあるわいなwww」
ゴン「前代未聞の大敗、すべて自分の責任です」
秀吉「将が討ち死に?なあに恩賞として与える土地が増えてかえって幸いというものよw」
ゴン「彼らの反対を押し切って渡河したのは自分です。しまいには婿にも命に背かれてしまい」
秀吉「…ええと、四国まで逃げた?そりゃ誰だって敵のことは恐ろしいわな」
ゴン「ただ命惜しさに逃げ出してしまいました…御役目も放棄して」
秀吉「いや、でもホラ、なあ他にもその(空気読めって)」
ゴン「本当に…本当に申し訳ありませんでしたぁー!!」
秀吉「はぁー…(なんでコイツこんな時だけ殊勝なんだよ)……致し方なし、高野山に蟄居を申し渡す」 秀吉の前でも強い奴と戦いたかったとか正直に説明してしまうんだろうか・・・ ネタのつもりかも知らんけど
センゴクの秀吉は人格どんどん変わってったし
>秀吉「まあまあそう落ち込むでない、負け戦の1つや2つ誰だってあるわいなwww」
>秀吉「将が討ち死に?なあに恩賞として与える土地が増えてかえって幸いというものよw」
へらへら笑いながらこんなこと言うタイプじゃないだろ 会えるのかねえ?
会ったら殺すしかないから、会わずに
高野山送りとかありそう
そしたら、小田原で陣羽織着せてもらう時に再会で
良い終わり方できるやろ 確かに会ってくれない可能性すらありそうだな・・・
若き日のゴンがお蝶助けるために比叡山で脱退した時は会いもせず、秀長が解雇伝えに来たもんな。
今回は佐吉かね・・・ 秀吉は、権力の魔というものに魅入られつつある
いや、天下人たるものは、身の内に魔を飼わねばなれぬものだ
まだ途上だから、ゴンは切腹とか処刑はなしで済んだんだろうが
普通なら、改易の上に武士としては不名誉な斬首でもおかしくない失態だからのう >>902
まず島津が豊後へ侵攻する前に、筑前で孤立している秋月を毛利と龍造寺が挟撃している形が出来ていた
常識的に考えるなら島津は秋月の後詰めにとりあえず動く筈で、毛利龍造寺が島津秋月と筑後あたりで後詰決戦をする筈だった
大友や四国勢の動き(筑後へのちょっかい等)もそれを踏まえたもの
しかし蓋を開けてみたら島津は秋月を捨て置いて豊後の大友攻撃に全勢力を注ぎ込んできた
なので大友や四国勢は大慌てで防戦の態勢に入ったけど間に合わずに今の漫画の状況になった >>902
>毛利40000
戸次川の時点では毛利軍は一部しか九州についてなかったと史家の話、確か秀吉から
早期出陣の催促の書状があったはず
元春の出陣拒否もあるが、対秀吉軍の時も問題となった半農の兵士と地域土豪への軍制の不徹底で展開が遅い弱点。 毛利軍の九州上陸と前後して、立花宗茂や筑紫広門が大暴れしてたからな
さっさと見切りをつけて、豊後討ち入りに入った島津軍の動きは早い 岩屋城攻防戦での島津の筑前方面軍ダメージデカくてそれ以上の攻勢無理と判断して豊後方面に転進な面もあるのでは 十河、最終回にまた登場するかもな。
鯨退治、あの世でしようぜ、感じで。
もう少しで戦国時代が終わるかと思うと、
なんか寂しいな。 >>915
似たようなキャラが大坂の陣で登場する可能性も笑 >>869
だから家久だけ肌の色褐色なのか?<母親違う
>>880
家康の返事を聞いた鬼美濃の『では戦るか』がカッコいいというか
ゾクッとするな・・・ >>912
それまでにもう大軍で豊前の城落としまくってるぞ
で一段落したら来年豊臣本軍が到着するまで待機してろとの秀吉からの指示 秋月種実「オレ、がんばったよ。でも、秀吉には勝てなかったよ…」 >>913
つか権ちゃんが豊前や筑後に遠征して豊後が手薄になってたから進攻されただけ。
つまり完全な権ちゃんの落ち度 戦後に、秀吉がゴンベの行方を探す手紙を方々に出したのは、責任取らせるためだよね。
やっぱり。。 >>923
人の行動の理由を一つの考え一つの感情だけで考えるのは短絡し過ぎだろう
身内だから心配だし権兵衛が戦ってみてどう観たのかも知りたいし責任の所在も明らかにしないといけない
藤吉郎さんの顔、羽柴さまの顔、関白の顔それぞれの思いがあろう
最終的には関白の顔が許せる範囲の温情采配しかできないが >>922
九州遠征の軍監はクロカンの方が立場上では?、それとも権兵衛もクロカンと同格の軍監だったのか、
筑前方面がクロカンで豊前豊後が権兵衛みたいな >>921
秀吉「名物茶器と娘差し出すなら許すわ」 >>751
イケメンは死ね
とかネット掲示板に必死で書き込んでそうなオッさんが、お前は生き残れと激励するのは涙無しには読めなかった。 >>929
立場が大きくなり過ぎてそれを支える側近が居なくてパンクした面もあろう >>921>>926
どうしてもへうげものの印象が強すぎて笑ってしまう ゴンベエが戦線離脱行方不明になって秀吉が各所に手紙出して探し回っていたとすると
戸次川戦の報告は誰がしたんだ
大友親子のどちらかか? >>921
???「だから一族で死んでまで抗議したのに」
>>925
クロカンよりも権ちゃんのほうが地位上だぞ。そんな印象ないけどさw >>913
宗茂はまあ立場が一貫してるからしゃあないだろうが広門マジキチ(本気鬼畜)w
そりゃ島津にしては温厚なイメージの義久さんもぶちギレっすわ >>929
>>930
実は半島の指揮、兵站の管理、全国大名の統制に指示、慶長震災の復興と船場の町割り、花見イベントの為の造園、
などの政務全部完璧にこなして趣味の能と茶までやって夜は女といちゃいちゃしているのが秀吉なんだよなあw
わりと過労死だと思う。 全然完璧じゃなかったから死んだあとにああなったわけで… 三郎オトコ、ゴンベと同じノリで常識人枠といういいキャラだったのにもったいないなあ >>921
苦労して手に入れた茶器も持ってかれるし災難よなあ >>938
死んだ後は後継者の問題だろう、秀頼と家康などの大老連中の責任
秀吉の生前は完璧な統治が行われていたからね。 >>941
完璧な統治って何だよwww?
まぁ秀吉が超人クラスの人物なのは異論ないけど。
なんて言うか、現代みたいに任期ありの世襲じゃない世界でトップを努めてたら日本史上最高の政治家の一人って感じか。 過労死寸前まで働いてストレスMAXなのを
貴種の姫狩り&パンパンパンッしまくって発散してたんだろうなあ
とにもかくにもバイタリティが超人だったのだけは間違いなさそう >>933
大まかな報告が豊後筋(大友宗麟)からまず届いて
その後具体的なのが伊予日振島筋(長宗我部元親)から届いた 秀吉は豊臣家を存続させるシステムを構築できなかった
家康は徳川幕府三百年の基礎を築いた
馬鹿でも治められる組織を作らないと人治主義はすぐ限界が来る そういう体制は発展しない、何も新しい事に挑戦しないので衰退していくだけ >>947
天才は自分に出来ることが他人に出来ないのは理解不能だからな 結局、関白にならずに将軍になって幕府を開けば良かったのでは >>950
野球なら長嶋茂雄と高橋由伸みたいな感じか 結局、主君である秀頼の官位が家来よりも下なのがてんでダメ
ありえない 秀吉「ゴンべよ。ズバッと九州に渡ってビュッと守るだけだ。簡単だろ?」 まあ秀吉の場合梁武帝や唐玄宗とかと同じで「名君も加齢で劣化して暗君化」って典型な気が >>954
秀吉「島津がバッと来ても俺がグッと行くからお前はビシッとしてろな」
ゴンベ「ビシッと制圧していいとこ見せるお(*゜Q゜*)」 >>947
そのシステムを作ったのは実質秀忠だけどな >>950
俺と同じは求めないがまあこれくらいはいけんだろってラインが常人には無茶案件だったりするからなあ
>>954
そんな長嶋秀吉じゃ前線から引いた時点で混乱自滅するわw >>955
暗君は言い過ぎじゃないか
老齢になる前は自分に容易く出来ても他人には難しいラインを考慮できたのが
老齢になって今でも老害にありがちな俺に出来たんだからお前らにもやれるはずなのをやれないのは甘えや怠惰だと扱うようになってある意味狭量になったぐらいで
あとはまあ疑心暗鬼もね >>959
>俺と同じは求めないがまあこれくらいはいけんだろってラインが常人には無茶案件だったりするからなあ
センゴク的には小牧長久手の戦いでの堀久兵衛の立ち回りに対してがそうだね
一般的には圧倒的不利な戦況で見事な撤退→
秀吉「あそこで勝機見つけて乾坤一擲の戦いうって勝てよ、久兵衛も役不足だな」(´・ω・`) 「役不足」が誤用ぞ
堀Qの実力に比して孫七郎の軍監という立場じゃ役不足
というなら正しい 高野山にて
センゴク「いつかここから汚名挽回しちゃるぞ〜 秀吉がゴンベの状況だと
上月城の戦い的な感じで鶴ケ城見捨てるか、高松城の時みたいな神軍略で島津不利な戦況に持ち込み、大友+四国勢の大軍パワーを見せつけるか
半兵衛、クロカン、堀級、ステルス宮部さんみたいな優秀な手駒をフル活用するか
まあゴンベもさ、クロカンやらの意見を重用した秀吉を見習って、長曾我部あたりの意見を聞いて神軍略練るべきだったな >>947
淀と秀頼が権力への色気を出していなければ、摂関家豊臣家として存続出来てただろうけどね あんだけ慕ってたんだから、ハンベーさんも一瞬でも
降りてきてくれれば良かったのにな >>966
あれって秀頼たちに空気入れて調子に乗らせたやつがいそう。毛利とか。 >>961
あれは「そこまで自分のために動いてくれることを期待できない」ということかと思った。 >>950
本当の天才なら理解できるぞ
天才の方面にもよるけどな 申し訳ないが本当の天才とかいう人や分野によって定義の違う言葉はNG >>969
あの場面はアレが正解
名人は家康本陣に突っ込まなかったが
秀吉としては身内の撤退を助けるより一か八かで家康と勝負して欲しかったと >>972
後からの結果論になるけど
堀が秀次逃して池田勢と合流して家康軍と一戦、または単独で小競り合いしていれば、家康軍ワンサイドゲームにはならなかった、
足止めしているうちに秀吉本隊が空の長久手を占拠できた、と天才は考え巡らせたのかな 敗報を聞いて出動した秀吉の大軍は、本多忠勝の命がけのパフォーマンスによって阻まれました そういう考えもあるけど
中入り軍を迎え撃つために家康が小牧を発ったのに
力攻めしなかった自ら(秀吉)の落ち度は考えないらしい
数の上では絶対優勢なんだからその間に総攻撃を仕掛ければ家康はそのまま三河に帰るしかなくなるし、あわよくば討ち取れた 酒井忠次とかが、残留してて
逆に秀吉陣地に攻撃をかけたりしてなかったっけ >>972
結局、歴史はあそこが家康を討つ最後のチャンスだからなあ >>964
ゴンべならいいそう
ただそれにツッコミいれる人が誰もいなそう 島津歳久「病気なので、失礼があったらいけないと思って秀吉の所にいかなかったら、反逆扱いされたでござる」 >>977
一切触れてないけど天正地震あったしなぁ
作中じゃ石川の出奔で家康と通じてることになってるけど
実際のところは、公言した徳川征伐が地震でお流れになって時機を逸した 徳川秀康「家康の親父に嫌われ、秀吉の義父にはなんか遠ざけられ、結局は名家とはいえ小大名に過ぎない結城家の養子にされた俺って…」 >>942
街道や城下町の整備を整え、関所や海賊なども禁止することで物流コストを抑え、
戦争特需で好景気、反乱もなく国内を安定化させ、
武士を農村から引きはがす事で、一揆の原因なども排除する事した。
これを完璧な統治といわずなんというんだよ。
>>947
馬鹿でも治められる組織というのは、実際は何もしない組織にすぎんよ。
江戸時代は250年前の武器を使うような愚かな体制のままだった。
だから長州一藩に大敗してしまった、あれが外国だったら植民地だ。 >>982
朝鮮出兵(失敗)、江戸時代もびっくりの重税、意味不明の贅沢
これらをしなければねぇ… >>983
秀吉末期の重税や朝鮮の役での動員で農民層がかなり困窮していたのはメディア取り上げんね、
小牧長久手で徳川方が和睦に応じだのも大規模動員による領民疲弊化が背景にあるし、(過去スレで餓死で集落全滅した記録あったと) >>982
>江戸時代は250年前の武器を使うような愚かな体制のままだった。
>だから長州一藩に大敗してしまった、あれが外国だったら植民地だ。
スレ違いだが由井正雪の反乱が計画通り三都市同時蜂起していたら意外と長引く反乱になったかもな むしろ、一度叩いた長州藩に情けをかけたのが江戸幕府の失敗じゃなかったか >>982
つまり何もせずに400年近くも続いた平安時代が秀吉政権より際強いってことでええんか? 秀吉が重税とは初耳だが江戸時代の一般水準(大体4,5割)より酷いんか? >>988
江戸時代のざっと倍
あと、町人や寺社にも強制的に金銭穀物を貸付けて、高利を取るってことまでしてた
それらの成果(?)が、秀吉死後の大坂城に残された莫大な金銀よ 天下惣無事で近隣と境争いして余計な金を使わなくて良くなったからその分もらっていいだろう
という、国内での戦が停止した直後なら当然の考え
ついでに京大阪に金を配るという慈悲深いお方
5割増しで徴収したけど >>982
まあ少なくとも関ヶ原前に美濃ですら一揆起きてるから完璧な統治と違うね つうか自分が跡継ぎに指名した秀次を謀反の疑いという濡れ衣で一族郎党を皆殺しする統治ってw >>990
そもそも豊臣政権の税金は安いぞ。江戸時代よりもな。
奈良貸しは金貸しや大商人など金をため込んで使わない連中にやったこと、
これで金を死蔵する事はなくなり、彼らは金を貯蓄ではなくて運用するようになった。
これで景気が回るんだよ、そういう経済センスが江戸時代にはなかった。 >>983
朝鮮征伐は失敗していないよ、秀吉が生きている間はね。
秀吉が死んだ程度でやめた結果、ヌルハチにとられて失敗してしまった。
やめた連中の問題。
秀吉時代の税金は安いよ、それまであった税金の多くを統廃合してなくして、
農民に多重の税金をかけていたのも一本化してなくしたからね。
その結果中間搾取していた土豪などや寺などは全部やっていけなくなったがね。
江戸時代になって寺などは大量にふえて、庶民を苦しめるようになった。
贅沢は当然。金持ってる奴が金を使うから経済が回る。
金もってるのに貯蔵していたアホな奴は多いが、そんなことすれば金は回らなくなる。 >>993
乙です。
自分が何もしなくていいときは誰かが変わりに動いてくれているもの。
世の中何も起きないとすればそれは誰も何もしないからでなく、何かしようとすれば
それを未然に潰す力がずっと働いてるからだな。 >>997
その恩恵が農民層になかった訳で、
検地もおおよその農民には所有を保証先が変わっただけで検地分増税になり中間搾取なくなったメリットなかった レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。