森友問題で明らかになった財務省の公文書改竄「官僚の存立基盤崩す」と専門家

財務省による公文書の改竄や口裏合わせなどが次々と発覚した森友学園問題。公文書管理の歴史に詳しい瀬畑源さんは、改竄について「官僚というものの存立基盤を崩すこと」だと指摘する。

 2011年に公文書管理法が施行されるまで、政府には公文書の取り扱いを具体的に定めた法的な統一ルールはなく、各省庁に任されていました。自分たちに必要なものは残す、そうでないものは残さないというのが当たり前だった。終戦時に大量の文書が焼却されたのも、その発想から来ています。公務員の立場が戦後「全体の奉仕者」に変わったのに、その意識は変わりませんでした。

 政権交代がある国なら相互チェックが働き、政権交代後に情報が公開される可能性があるので日頃から情報の出し方を考えますが、日本では自民党の「一党支配」が続いており、国民の側も自民党に任せておけばいいという意識。そうなると自民党と官僚の間で情報を独占する仕組みになってしまいます。情報は権力の源ですから、権力を持っている側は情報を出したくないというインセンティブがどうしても働くのです。01年の情報公開法施行後は、不開示の規定が適用されるもの以外は、請求されたら原則的に出さなければいけなくなりました。そうすると、あるものは出さなければならないので「出したくないものは作らない」ということになっていった。作っても「私的メモであって、組織としては使っていません」と言う。つまり、小手先の制度を変えてどうにかなるものではなく、制度はあるのに運用がおかしいということが問題です。国民の側も「公文書は自分たちのもの」という意識を持つことが大切です。

日本では政策決定プロセスが見えない状況が当たり前になっているという問題が根本にあります。行政のプロセスが公開され、それに基づいて議論するのが民主主義ですが、プロセスが明示されないことで不当な政治介入を許すことにつながる。公文書管理法では、公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」とされています。そして公文書を適切に保存・利用することで「行政が適正かつ効率的に運用されるようにする」とともに「現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにする」とされています。公務員が公文書を作るのは国民への説明責任のためですが、自分たちの仕事を証明するためのものでもあります。それを改竄するのは、官僚というものの存立基盤を崩すことです。

 歴史学研究の立場から見ると、公文書に都合の悪いことが書いていないことはたくさんありますが、その省庁、その官僚にとっての事実は書いてあるものです。すべて鵜呑みにするのではなく他の資料と突き合わせながら、どういう意図があったのかを考える。公文書は、政府がどのように行政を進めていったのかという基礎資料なわけです。

 公開したくないから作らないという方向に行きがちですが、公開と作成は別。いまできないなら何十年後かに公開ということでいいので、とにかく公文書は作っておいてほしい。戦前の著名な外交官・石井菊次郎は「外交文書をきちんと作成・管理しておくことが外交交渉において非常に重要である」と言っています。つまり公文書をきちんと残さないと、国益を損ねることにもなりうるのです。

AERA 2018年4月30日−5月7日合併号より抜粋
https://dot.asahi.com/aera/2018042500021.html?page=1


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