【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 205番槍【IPあり】
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-21巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
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※前スレ
【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 204番槍【IPあり】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1601639881/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 三成は上杉や佐竹、真田に島津と外様大名の取次をして出世していったので
権兵衛たち生え抜きは恩があるわけじゃないし
徳川につくよね 有名無実になった豊臣政権にしたがってたら、様々な問題や矛盾が噴出して
結局、大名達は馬鹿を見る
だったら誰かが主導権とって新政権打ち立てるしかない
その過程で起こった争いだろう>関ヶ原
そもそも、失脚した15万石クラスの佐吉では天下を差配できる実力がないので
何かの奇跡で西軍が勝っても、次に排除されるのは佐吉だろうなぁ 1592年、名護屋城に向かう道中の豊前国小倉での宿取りをきっかけに佐竹氏との間に遺恨が生まれ、これを解決するために佐竹義宣と直談判しようと少人数で宿所を訪れたところ、佐竹家臣衆に腕をつかまれ制止された上、地面に突き倒されるという狼藉を働かれた。
挙句の果てに馬印を踏みつけられ、原因となった家臣が斬られたため、這う這うの体で退いたという。
この時、仙石秀久や真田昌幸をはじめとした信濃国中の大名らが秀頼に同心して報復を加えようとしたというが、結局両陣営ともが自重したためにそれ以上の抗争には発展しなかった。
河内侍従のwikiより 確か名護屋では徳川家も水場を巡り前田家と揉めるからまた家康の胃に負担がかかる話としてやりそうだ >>334
佐吉に置き換えたら、作中ゴンベが家康より佐吉を選ぶ理由なんて全くなくなるけどな >>333
はなくその延長線上に乗るときが絶対に来る と読んでしまった >>332
とはいえ徳川方に与した中にこの後に徳川の盟主体制が来るなんて思ってなかったとかいうピュアな奴は流石におらんかったろうとは思う 先のこたわからんがとにかく三成を殺したい徳川はよくしてくれるから東軍みたいな奴ばかりだとするとゴンベが賢く見えるほどのイノシシ揃いだという結論になっちまわんか 戦国大名にとっては自分のお家と領土が安堵されることが最も重要というのが大前提にあるからな
作中ゴンとて秀吉個人への色々な思いはあるだろうけど、まずは仙石家と家臣団を守っていかないといけないからな
戸次川の失敗で一度お家を離散させていればこそ、関ヶ原ではそこを守るための行動を第一にするはずよ だって関ヶ原で西軍勝っちゃったら、また全国戦国時代に逆戻りやん
家康は負けてもうまく江戸に逃げるだろうし秀忠の徳川本隊はほぼ無事やし、徹底抗戦するやろ
毛利と三成レベルじゃあ各地の大名も誰も抑えられないし言うこと聞かんわ
とりあえず家康勝たせて落ち着かせんとね Twitterで宮下先生色々解説やらコメント出してるけど面白いな
ゴンは秀吉の暴走からの古渓和尚が死ぬあたりで話を聞きに行ってなんらかの決断するかもな 毛利秀頼の息子が大阪の陣で仙石忠政に討ち取られるんだよな
ここにも因縁が >>350
そもそも権兵衛の領地の位置を考えたら西軍に付いたら真っ先に潰されるから東軍に付く以外選択肢がない >>356
そう考えると真田昌幸と佐竹ってすげえな 麒麟に顕如はん出てこんね。その代わりあんま聞いたことがない坊さんが出て来たけど >>357
雪の峠だと東についても清和源氏の佐竹が徳川領と接してるから潰される、という判断になってたな >>307
裏切りか、どっちも豊臣だから裏切りじゃないかは別として、対徳川用に配置した東海道の家臣はみんな家康に付いたよな まあ自分が織田家にしたこと考えれば分かりそうなもんだけどねえ 麒麟のノブ様はだんだん人間不信になってきてるような ゲヒ殿の嫡男も大坂の陣で西軍に与して斬首されてるね。
亀はゴンベの娘だから赦免されてそうだな >>360
だって真っ先に徳川に攻撃される位置なんだからそれに見合うだけ厚遇されてるならともかくそういうわけでもないしむしろ領地の統治をやって行くには中央より近くの徳川と仲良くやらないといけないのでは
中央から支援があるならともかく対徳川用の軍備とか自前で用意しないといけないし ガムテープJKとかも首飛ぶのかなって考えてたけど読み返したら帝都高で婦警の首飛んでた 史実では何事もなくとなっていても漫画の流れは何事もなくでは済まなそうな空気なんだよなあ
博多から挨拶に来た斉藤さんが咎めてゴンが退く展開とかにならんかね
斉藤さんそういうところに鼻がきく人だから >>364
三成が最初の家康迎撃ラインを尾張に想定していたというのもそこから東の連中が既に当てにならなくなっていたという証明でもあるんだよな >>368
わざわざこの話をやるからには、真田が権兵衛に対してなんらかの感想を抱くという結果にはなるだろうから、権兵衛自身もそれなりに個性的な動きくらいはするんじゃないだろうか 関ケ原で東軍につくのは豊臣への裏切りではないでしょ
当時としては家康派と三成(奉行)派の戦いだから
家臣同士の戦いでしかない
その後の大阪の陣は知らん 権兵衛「別に争っても良いけど俺は秀吉のお気にだから処罰されるのお前だけだよ?」
佐竹「ぐぅぅ〜」
真田「権兵衛やるなぁ」
流石にないか 当時の一般的認識
鎌倉殿を北条が動かしていたように
豊臣家の実権を徳川が持つ
それでいいんじゃないの? 家康はまた勝手に官位、立場上げられて自分のやりたい様に出来ない、その繰り返しだしな
家康の生涯の大半は誰かの意思(今川、織田、豊臣)で都合よく動かされる操り人形
そりゃひたすら寿命伸ばすしか無かったはずさ >>371
建前上はそうなるだろうがそう考えて参戦した大名はほぼ皆無だろと思うわ
家臣同士の争いどころか豊臣への裏切りなんてのも飛び越えて、もう徳川体制信任するか否かの話だったんじゃないのと思ってる むしろ徳川体制の信任なんて思ってる大名が少なかったから加藤や福島や浅野が東軍に入ってた
徳川か豊臣の選択なんて思うのは勝手だけど当時は違ってた 定期的に東軍に着いた大名は裏切り者だって決めつけて暴れるボンクラこのスレに湧くよな 東軍にしろ西軍にしろ、敵方になったら豊臣に対する裏切りって認識だったんじゃよ 毛利河内守 死後、息子が関ヶ原で西軍について改易。さらに大阪の陣で仙石息子に討ち取られる
真田昌幸 知っての通り
石川数正 死後、息子が関ヶ原で東軍につき所領安堵されたものの大久保長安事件に連座し改易
仙石家以外はろくなことになっていないな信濃衆 >>380
真田は跡継ぎが10万石大名になったから良いだろう 力こそ正義、勝てば官軍負ければ賊軍だからなぁ
しかし、佐竹の仕打ちはいくらなんでもやりすぎでは。相手は河内侍従やぞ
ガチ名門の佐竹からすると、他の連中なんて有象無象かもしれんが
んなこといったら、頭下げてる秀吉自身が底辺からの成り上がりなわけだし… >>378
それが根本的に勘違いの思い込みだからねえ
関ヶ原:豊臣家内の権力闘争で両陣営とも秀頼には忠
大坂の陣:朝廷から武家の統率者として認められた徳川家に秀頼が叛いたわけで秀頼に就くとか武家として日本人としてありえないわけで
一度仕えたら叛乱者になっても地獄までついていかないと裏切りとか道理を逸脱してるよって
講談レベルの歴史認識と判官贔屓で同じネタ何度でも蒸し返すのってねえ… >>376
俺はその面々もその後の流れを百も承知で与したと思ってる
彼等も独立大名だし、豊臣の存続と天下の主の移り変わりは切り分けて考えてたんじゃないかと 俺らは結果が分かってるけど
当時生きてた奴等はそんな事まで読める程余裕ないだろw
ただでさえ殿下こえ〜、奉行衆こえ〜なのに ちゃんと切り分けて考えられなかったのが古田織部だったんだろうな
家康にも結構気に入られてたのに豊臣家に殉死してしまった。 大坂の陣に集まってきた浪人衆を見ると
関ヶ原で負けて身分のなくなった食い詰め者が大半だけど
結構、大坂の陣の直前に主家に暇乞いしたり出奔して駆けつけた武士も多かったんだよね
関ヶ原の時は家康が正しいか三成が正しいか判断がつかず何となく徳川についたけど
大坂の陣で初めて家康(自分たちも)が裏切り者だと気づいた粗忽者たち >>383
>関ヶ原:豊臣家内の権力闘争で両陣営とも秀頼には忠
これはそうだが
>大坂の陣:朝廷から武家の統率者として認められた徳川家
征夷大将軍=東国を討伐する者であって、武家の統率者ではない。
武家の統率者であるとし、頼朝・尊氏・家康とその政権を同一視するのは江戸後期の史観。
関ヶ原の戦後処理では西国は羽柴系、東国は徳川系の大名で固まっており、家康も自身の
長寿や今後の展開が読めなかった段階では、東西で住み分ける二重公儀体制で行こうと考
えていた様だし、事実当分はそれが機能している。
一番時代が下ると1612年になっても九州の寺沢や松浦は秀頼の豊臣姓下賜の対象。 >>388
自己レス。1615年時点ではもう武家の統率者と看做されていたからこそ羽柴宗家VS徳川と諸侯
という関係になったとは思うけど、それは朝廷から認められたことが契機ではない。
頼朝は奥州征伐後に「大将軍」を朝廷に望んだが、実際に許されたのは征夷大将軍。
夷は東方の蛮族であり、日本では陸奥に住む蝦夷を指した。
頼朝存命中の鎌倉幕府は東国政権であり、西国への影響力は承久の乱後に強まる。
尊氏が征夷大将軍を望んだのは中先代の乱の時(征東将軍でお茶を濁された)。
朝廷の予想通り、尊氏はそのまま鎌倉に腰を据えて東国に政権を築こうとした。
結果的に京都制圧後に征夷大将軍になったけど。
元々東国征伐の軍事指揮官であり、全国の武家の棟梁という公式な意味はない。 センゴク@sengoku_YM
10時間
【初めての200回記念】只今194話。恐らく(未定)新春掲載の200回記念のカラーイラスト(色稿は掲載時に)です。
https://pbs.twimg.com/media/EncjEckUYAATUs2.jpg ビートたけしのフライデー襲撃の時に、内心行くのが嫌でしょうがなくて
最後にエレベーターに乗ったら降りる時に先頭になっちゃって
「東、先陣切る」みたいな扱いにされたっていう、そのまんま東の話を思い出した 関ヶ原はなあなあで東西軍についた奴ら多いから何もいえん
大坂の陣は最早徳川の世だから状況が違うからなあ
浪人共も一発逆転狙いの奴らばかりやろ 徳川の天下になるくらいは分かっても、まさか豊臣を滅ぼすところまで行き着くとは思わなかったんじゃないか? >>394
喜連川みたいに天下を狙わず独自のポジションを確保する方向なら家康も手を出さなかったし
むしろそういうつもりだったのに、急にやる気出して幕府に張り合おうとするからああいう結末になった >>392
なあなあで西軍に付かされた挙げ句、自爆プレイで改易される長宗我部… 情勢上、西軍につかないと袋叩きにあう立場の大名でも
その事情を家康に伝えて、水面下でつながっておけば生き延びられたわけだから… なあなあに流されず頑張った京極をもっと加増しても良かったような >>390
上の真ん中は信長?
てか孫っち居ない(T . T) >>400
言うて孫はレンタル移籍みたいなもんで他家やないけ 諸大名達は豊臣家にだけに特段恩義がある訳でも無いのに豊臣絡みだけ病的に恩義を強調して主張する人いるのはなんでなんかね? >>394
譲歩してへりくだるの待ってたのにいつになっても反抗してるだけやったもんなあ豊臣家
淀姫がわるいよー 加藤清正と浅野幸長が生きてる間は家康は秀頼を殺す気など1ミリも無かったと思うよ
万一、大坂の陣が始まり加藤たちが豊臣方につくかつかないまでも中立を宣言してしまえば
全国の大名も右へ倣えした可能性があるし。実際、幕末時に長州征伐に中立した藩が続々と出て
全く収集がつかなくなって滅ぼされたわけだし。二人が病死した時点で秀頼の処刑は確定した。
家康の性格的に秀頼が飛び土下座して母親を人質に出して寺に籠っても必ず惨殺した。 今のゴンベ家で2番目に偉いの誰なんだろ
1番目はお藤として
みんなの序列を細かく知りたい 茶々って浅井滅ぼされ織田滅ぼされ柴田討伐されても
力の理屈分からないお嬢様なのに摂政気取りで政治参加って救いようが無いレベルのガイジだわ >>406
大阪城にこもって多数の浪人集めたら討たれるに決まってるだろう
家康の性格とかそういう問題じゃない
正直大阪城出て豊臣政権下の信雄と同じ立場になったら生き残れたと思うよ
結局大阪城を有してても他の大名は一切靡かないくらい豊臣は見限られてたし信雄と同じ立場なら浪人を維持することもできない >>407
森村どん>鷲見藤兵衛>伊佐地>孫>佃田・草川 家康は、秀吉みたいにかつての主家を蔑ろにした、という汚名を蒙りたくなかったのかもね
官位も領土も優遇しまくり。特に官位は後継者秀忠の昇任より秀頼を上にしてる
が、それが逆に淀殿やら秀頼側近やらを勘違いさせ増長させた可能性もある
うまくいかないもんだね 茶々が対徳川強硬派論もも割とカビの生えた認識だけどな
茶々本人は秀頼が無事なのが一番派だったって言われてるし、羽柴家崩壊とか読むと強硬派として押し切るどころか豊臣内部の派閥が茶々と秀頼の言うこと全く聞かねぇんだもん 三成や淀君の現在のイメージは江戸時代に形作られたものと言われてるしね
淀君は悪女の代表として現在よりも遥かに酷い言われ方だったらしい
もちろん家康が相対的に自分は少しも悪くないと正当化するために
そういう世評を広めたんだろう 逆張りの三成は忠臣って風潮も違和感有るんだけどね
西軍首脳連中も結局豊臣の為という建前で自分の理の為に戦ってるだけでそこに忠義もクソも無いよな この漫画の三成も別に豊臣家には忠義なさそうだよな
秀頼を前途有望な少年にするんだろうか 物語だとみんな会話できてるが、当時の信州の人と九州人会話できるのかな
お互い方言きつそう >>412
淀の腰が砕けたのは全然味方が集まらなかった以降じゃないかな 方言は江戸期に入ると地域色が強くなるって聞いたことあるんだけど、もしかしたらこの頃は通じやすかったのかも
秀吉や信長は方言の統一までは考えなかったのかな。この二人の基準なら尾張訛りが標準語になりそうだけど 仙石家も美濃、淡路、讃岐ほかあちこちからの人材が混ざって苦労しながらコミュニケーションを取っていたのかな 貨幣の統一すら考えなかったのだから考えてなかっただろうね
信長は朝廷や家臣に褒美を与える時は銅銭を与えたけど農民には布を与えてるし
秀吉は特別な褒美の時は天正大判を与えてるけど基本的には家臣にも百姓にも米を褒美として与え
基本的には米を貨幣の代わりとした。
徳川幕府もそれは引継ぎ年貢は米で獲り、家臣にも米を給与として与えた。
当然かさばるので商人は東日本では金、西日本では銀、また送金の場合は手形(小切手)を
金として使った。相場では札(株券)を金代わりにしたしこれが世界最古の株式市場とも言われてるしね 鎌倉時代初期に日本語は大きく改革された事は分かってるんだよね。
現在の漢字の二字熟語のほとんどが鎌倉時代初期に生まれた
それまでは京のたおやかで雅なやまとことばが正しい共通語と考えられてたが
鎌倉武士はわざとそれに対抗して漢籍に載ってる二時熟語や故事成語や仏教用語を
日常用語として使うようになり東と西で言葉が分かれた でも日本は割と言葉が統一されてるほうだよ。
インドは主要言語だけで13あり、全く言葉がお互いに通じない言語だけでも数百あると言うし
中国も似たようなものだ。また欧米列強の旧植民地は元々そこにあった土着の言語と
ヨーロッパ言語の混じったピジン語が使われるのが普通だし当然国内でも上層階級と下層階級は
言語自体が全く違うので意思の疎通ができない。日本なんて総理だろうが百姓だろうがニートだろうが
言葉が通じるのだからこれはある意味奇跡に近い。 昨日深夜のタイムスクープハンターは奈良時代の日本語会話がメインだったが、もはや多国籍の言語かとオモタ
似たようなんだと古琉球語かな? >>411
家安が死ねば天下は豊臣に帰ってくるの根拠ってことか 史実のゴンさんならノリノリで佐竹さんとこに殴り込みにいきそう。 負けたままだとメンツが立たないってのはわからんでもないけど
信濃衆に負けちゃった報告して、力添えをお願いするのもそれはそれで地元の信濃でのメンツが立たないんじゃないかな 葛ばっか目立つけどそろそろ息子たち3人にスポットライト当てなきゃいけない時期か? >>420
実際生き残れたというのって美濃時代から居た馬回り的な人ばかりと思う。だから但馬藩は美濃出身と信濃出身と現地登用が多い。
以前誰かが上げてくれた資料でも美濃出身でも戸次川の生き残りと当主が死んだその後継とか多かった気がする。
阿波出身の森(仙石)さんくらいじゃね?
あとは信濃の有力家臣で荒木、谷何とかとか、今回仲間になった浪人ズとか。 大野兄弟って特に武功あるわけでもないのに強硬派 よくわからん 昔のタッチの絵の方がよかったな
5巻までは最高に面白かったのに >>431
目立った武功がなくて立場が不安定だからこそ強硬派になるんだよ
戦場往来の古強者なら、会議の場でもふんぞり返って睨みをきかしてればそれでいい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています