>>71
>>65に書いたことの繰り返しで>>8にも明記されてるが
スレタイの「植物だって生きてる」という言葉はそれ以前に「植物でない者は生きてる」という文言が先にあってのものであることは言葉の意味から明白
スレの趣旨に鑑みればそれは「動物は生きてる(ゆえに食べてはならない)」という主張であったことも明らか
先に動物を「生きてる」ことで植物と線引きした発言があり、これに対して「その線引きは合理でない」と指摘してるに過ぎない
んで、どこが詭弁なのか欺瞞なのか説明してくれないか?
それと
> 主観的な線引きを容認するなら同様にベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きも容認されるべきだ、って主張だよ
> 主観的な線引きを容認しながらベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きを批判することは筋が通らない

主観的な線引きを許容しないと言ってない
まず前提にある「動物は生きてる(ゆえに食べてはならない)」が成り立つなら「植物だって生きてる(ゆえに食べてはならない)」も成り立たなければならない
でなければ「生きてる」ことを「動物を食べてはならない」ことの客観的に(論理的に)十分な成立因に還元できないと指摘してる
そして、「生きてる」ことが「食べてはならない」の客観的に十分な成立因とならないとき、それに代わる客観的に十分な成立因を示せないならば、
つまり食べていいかどうかを主観で線引きしてるだけなら「動物は食べてはならない」という大元の発言に客観的な正当性は無い、と言ってる
「動物は食べてはならない」に客観的な正当性が無いなら、君が言う
> 主観的な線引きを容認するなら同様にベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きも容認されるべきだ、って主張だよ

と同様の論理で
大元に遡及して「動物を食べてはならない」と主観的な根拠からいう者は、他者が主観的な根拠で「動物を食べる」ことを容認しなければならない、と言ってる
どこが詭弁で欺瞞なのか教えてくれ

蛇足だが法的にあるいは文化的にはある種の肉を食うことは広く正当性を認められてることは言うまでもないよな