ベジ批判者 「植物だって生きてる」 ← [無断転載禁止]©2ch.net
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アスペなの?
動物と植物本当に同じだとおもってるんかいw この反論に関してはベジ批判者の欺瞞だしベジタリアンのほうが自分の感覚に正直だよな
全ての命が平等だとは誰も思ってないし扱ってもいない あ、俺は植物は生きてると思うけどね
1とは生きているの解釈が違うんだろな >>1
俺はビーガンだけど、植物の命だって大切だってことは認めてるよ
動物と比較して命に差をつけるから、ベジタリアンはすぐ論破されるんだよ 差をつけてんのはベジタリアンに限ってないが?大爆笑 アスペには難しいかもしれんが「植物にも命がある」というのはね、
「動物を食べるな!動物の命がー」と言うやつがいるから
「命なら植物にもあるけど、動物は食べちゃダメで植物は食べて良い理由は?」という意味で「植物にも命はある」と言ってるんだよ
これについて単に主観で「動物はダメ、植物は良い」とルールを敷いてるだけなら客観的な正当性はないってことになる アスペには難しいかもしれないが、
「動物を食べるな!動物の命がー」と言ってないやつに対して「植物の命がー」なんてアホな詭弁は言えないんだよ 俺が欺瞞に感じるのは>>8みたいな意見についてだな
その論理でいくと「人間は食べちゃダメだけど動物は良い」というルールだって客観的な正当性はないってことになる
主観的な線引きはベジ批判者だってしてるのにあたかもベジだけが命を不平等に扱っていることにしているよ 人間は駄目なんだよ
これは主観じゃなくて客観的な根拠が有る >>10
法律的に違犯だが、愛護はよく家畜と人間を混同させる欺瞞なんだが >>11
その根拠って何?
もしそれがプリオン病だとかの話ならそれは公衆衛生とかの問題になると思うけど
>>12
法律で禁止されてるからって反論はナンセンスじゃないか >>15
そうなんだ
別に12のレスが邪魔だとは思わないけど、根拠がそっちのスレで聞けるのなら移動するよ >>13
法律の縛りがない、人間は動物の括りにするど別に何でもありじゃないのか
人間は本能が壊れた動物なんだろ
規律規範に縛られた生き方だから法律が必要
愛護は動物の本能を否定して人間的な権利を摘要させようとしているだけ
動物が好きなは訳でなく、動物が好きな自分が好きな自己愛からきている >>14
ぼくちゃんの意見を徹したいだけ
向こうでは全く相手にされてなくてスルーていたからなw >>17
法律の話にまでなるとテーマからぶれていってると思うんだ
そもそも>>10は植物と動物を命という観点から一つの括りにしている>>8に対する反論だよ
その観点からすれば人間と動物も一つの括りになるでしょ?っていう。
殺人罪をWikipediaでみると概説のところに
>他人を殺害することは近代の社会においておおむね普遍的に「好ましくないこと」とされ
>ている。そのため、殺人は多くの国で犯罪として規定されており、殺人をした場合には
>殺人罪に問われる。近代社会では人命は高い価値を持つとされているため、殺人罪はほ
>ぼ例外なく重い犯罪として規定されている。
みたいに書いてあるんだけど、これは>>8が言わんとする客観的な根拠にはあてはまらないでしょ それと17の書き方じゃ本能的なことについて肯定的なのか否定的なのかよくわからない
俺は苦痛を感じるように見える動物殺して食べることがかわいそうだと感じるのは人間の本質だと考えているよ
その点ベジのほうが自分の感覚に正直であると思うんだ
かわいそうだと感じるからこそ宗教なんかでその罪悪感を合理化したり正当化してるんじゃないかな?
キリスト教の旧約しかり、アイヌのイヨマンテしかり、日本人のいただきますしかり >>20
つまり法律的な話になると反論できない
動物の本能で考えると
苦痛を感じるのは本能でなく学習だろ
人間は人間になる前の原人から雑食であり、動物を食って生きてきた
集団で生活するから本能が壊れ規律規律で生きるようになったんだが
本能だったら肉食動物のように動物殺すのは躊躇しないよ
動物には罪悪感は存在しないそれは本能じゃなく規律規範だから
キリスト教は肉食否定しないし、原始仏教も肉食は否定していない後付けの理由で罪悪感を想像
アイヌは自然崇拝ベジタリアンじゃない
ただ自分を正当化したいだけ、動物好きな自分の自己愛 >>20
法律は否定するが、自分の信じる宗教は肯定する矛盾かな
宗教は本能じゃない >>23
>宗教は本能じゃない
本能についての解釈にズレがあるのはしょうがないとして(ちなみに苦痛を感じるのは学習ではないと思うが)
>つまり法律的な話になると反論できない
ってのは>>20をちゃんと読んで理解してくれればそんな感想は出てこない
>アイヌは自然崇拝ベジタリアンじゃない
肉食の罪悪感に対する合理化・正当化の例として
アイヌ(動物は神がこちらの世界に来る際の仮の姿でありもてなす見返りとしてその肉を食べても良いという考え)
やキリスト教(動物は人間が食べるために神が創造した)を挙げた
まあ、これは俺の仮説だから間違っているかもしれないね
>人間は人間になる前の原人から雑食であり、動物を食って生きてきた
さらにその前はほぼフルータリアン(一部、木の芽や昆虫食)のような食性だった
ついでに言うなら現生人類が雑食であるから雑食であるべきだと考えるならそれは自然主義誤謬である
○○である、から○○べきは導けない >>24
本能的な弱肉強食を否定するのかw
本能にズレがあるw
仮説とかズレすぎでただの個人的なであったらいいなとの思い込みなだけ
人間はフルータリアンとか根拠がない、個人的な思い込みでしょ
結局、自分の理想的な空想を述べるだけで根拠がないし
自己愛しかないんじゃね さすがにベジアンチの読解力なさすぎでしょw
法律の話が的外れだってわかりやすく指摘されてるのに
どうして法律を否定してるなんて極論になってんだ?
>>20に対する反論に全然なってねーじゃん
他のレスもどんどんとんでも解釈で話がずれていってるw 本能法律もべつに否定してるように見えないよ
お前こそ17とか本能否定派か肯定派かわけわからんぞ >>25
人間の祖先が木の上で生活してた時の主食は木の実だぞw
錐体細胞が3種類あるのは熟した木の実を見分けるのに適している
読解力も生物学的な知識も無いなら無理してレスしなくていいよw どこからが人間か、という区分が問題となるね
アフリカの大規模熱帯雨林後退でチンパンジーとの共通祖先と枝分かれして乾燥地帯で生き延びたのがわれわれの直接祖先だよ 木の実や果実が手に入りにくい乾燥地帯でご先祖様が生き延びる為に必要だったのは? >>29
それは興味深い議題だけどその議論をしだすとまた本題から離れて行ってしまうよ
もちろん生物学的な分類からすればホモサピエンスは肉食と地上生活を始めてからずっとあとになるだろうけど
おれが>>24で言いたかったのは本来の食性がこうであるからこうあるべきだ、という理屈は成り立たないということ
人間のオスが浮気をしたくなるのは本能であるから浮気をするべきだ、って理屈が成り立たないのと同様に >>28
本来人間の食性wオマエは猿に先祖帰りしたいのかな
チンパンジーは共食いや他の猿を狩りしてますな
フルーツなんて一部であり木の皮や若芽が主食で昆虫を食う
木の実や果実は年中食えないぞ
で自然に生きる人間は
文明の影響を受けずに今も生きている原住民にベジタリアンなんぞ居ません
まして罪悪感なんて存在しませんが
狩猟民族しかいませんな >>31
>>28を受けての>>29、だから
本来食性がなんであるかは大事だよ
本来食性とは違う食性に適応したのが例外なのかどうか?の判断はそこからしか出来ない >>33
本来の食性を変えて適応した例でダイナミックなのは雑食よりの肉食から草食になったパンダくらいしかすぐには思いつかないな
ビタミンCを合成する能力を哺乳類で持たないのは猿とネズミぐらいしかいない
ネズミについては知らんが猿の場合新鮮な果実からビタミンCをとる環境が豊富だったためその能力が不要になったんだろう
肉食、雑食、草食とはまた少しそれてしまうかもしれんが
動物と植物が単細胞生物だったころまで遡るなら従属栄養生物、独立栄養生物とという分類をするよ
今の動物や植物の祖先は従属栄養生物だった、原始の地球では海中に有機物が豊富だったから
従属生物のなかで藻類かなんかの仲間を取り込んだかしたものが独立栄養生物となり現生植物すべての祖先となった
なので俺たち動物の先祖の誕生初期においての食性は非生物由来の有機物食
資源を奪い合わなければいけない環境になってから肉食や草食になったといえる、と俺は思う ウィンナーはアホだからな大爆笑
人間は本能的に共食いできる食性を持ち、そうしてたんだからお前も食えばいいよだはははは大爆笑 >>37
バカベジは相変わらずカニバリズムのサイコパス
人間を食えというのはオマエだけw
法律を知らないバカ >>32
>>>28
>本来人間の食性wオマエは猿に先祖帰りしたいのかな
>チンパンジーは共食いや他の猿を狩りしてますな
>フルーツなんて一部であり木の皮や若芽が主食で昆虫を食う
>木の実や果実は年中食えないぞ
>で自然に生きる人間は
>文明の影響を受けずに今も生きている原住民にベジタリアンなんぞ居ません
>まして罪悪感なんて存在しませんが
>狩猟民族しかいませんな
↑
だはははは大爆笑
共食いマンセーキチガイここにも居ます大爆笑 >>39
オマエはチンパンジーなんだ
道理で知能が低い だはははは大爆笑
ウィンナーの理解能力猿以下大爆笑 >>38
>>>37
>バカベジは相変わらずカニバリズムのサイコパス
>人間を食えというのはオマエだけw
>
>法律を知らないバカ
↑
だはははは大爆笑 法律→屠殺法、動物愛護法など
だはははは大爆笑
あれ?植物への屠殺法、愛護法は?大爆笑
「植物だって生きてるをだ!!」←勝手な自己愛かな?だはははは大爆笑 >結局、自分の理想的な空想を述べるだけで根拠がないし
>自己愛しかないんじゃね
↑
だはははは大爆笑 >で自然に生きる人間は
>文明の影響を受けずに今も生きている原住民にベジタリアンなんぞ居ません
>まして罪悪感なんて存在しませんが
↑
だよねー大爆笑
だからカニバリズム当たり前なんだもんなーだはははは大爆笑 ウィンナー理論
原住民じゃない=ベジタリアン
だはははは大爆笑
サンキューウィンナーだはははは >>36
人間ほど多様な環境に適応した高等動物種がいない事を考えれば、他種の例を引き合いにする意味はあまり無い。
問題は生存の為にその環境に適応するためにはどんな事が必要だったか、どうやって対応してきたか?の説明が付けられるかどうかだよ。
人間の場合、それが進化の契機となった最初期段階にどんな環境に置かれ、生存の為に何が出来たのかを考えると、
植物食性では在り得ず、動物食性に適応して少なくとも数百万年単位を過ごしてる。 >>49
>人間の場合、それが進化の契機となった最初期段階にどんな環境に置かれ、生存の為に何が出来たのかを考えると、
>植物食性では在り得ず、動物食性に適応して少なくとも数百万年単位を過ごしてる。
この部分についてはまったく事実なのでもちろん同意している
しかし、そこから人間は本来雑食性なので植物食性をとるべきではない、肉も食べるべきだ、
という結論を導くことについては賛成できないね
先に述べた通り俺はこういった解釈は自然主義的誤謬だと考えているから
ただ、ベジ批判者の率直な意見のひとつとして尊重はできる
俺がこのスレで問題にしてるのは>>3で述べたことなんだよ
言葉尻をとらえるようですまないが
>人間ほど多様な環境に適応した高等動物種がいない事を考えれば、
と言っているが生物学では高等や下等のような表現は使われない
それは主観的な価値判断を含むのでアカデミックではないからだ
つまり君は人間とそれ以外の動物に対して高等や下等といった主観的な価値判断を下していることになる
別に俺はそのことについても何も問題にしていない
全ての命が平等だとは誰も思ってないし扱ってもいないのは当然だから
俺が欺瞞だと批判しているのは>>8みたいな意見についてだよ
ベジ批判者だって全ての命を平等に扱うべきだなんて内心では思っていないはずなのに
ベジを批判する時にだけ、命を平等に扱うべきだと主張しているよね
そうじゃない人もこのスレにはいるようだけど俺は苦痛を感じる動物を殺すことより
植物の命を奪うことのほうが抵抗を感じない
だからこの点に関しては、動物を殺すのはかわいそうだから食べないというベジの意見のほうが正直だと感じる >>51
前半は自然主義底誤謬を言ってるんだろうが、私は「ヒトの食性が体質によって分かれてる」という事実に基づいて
それが本来食性からしてどちらが例外になるのか?という話をしてる。
後半は「高等生物」が菌や汎凄の小形動物を除く、という意味は分ってるだろうから、無駄な話だね。
そして勿論人間が別である、というのは「高等だから」ではない。
人間には人間を他生物とは別けて特別扱いしなければならない理由がある、と既に言ってるよね。
私を他のアンチベジと同列に並べて話をされても困る。 因みに、何故本来食性に関して言わなければならないのかというと、自然主義的誤謬としてベジ側から撒かれてる事を信じる馬鹿が多いから、だよ。↓
https://twitter.com/kasugabe1111/status/868016240542875648
(scのリンクが貼れないが、↑で開いて読めば分る)
↑への反証として後は↓で充分だと思うので、ダラダラ続ける意味は無いよ。
https://twitter.com/kasugabe1111/status/700204194167259136 >>51
>植物の命を奪うことのほうが抵抗を感じない
さすがにこれは言っちゃまずいだろ
植物の命も大切に思っているベジタリアンもたくさんいる
あんたみたいなベジタリアンは批判されても仕方ないよ >>52
「ヒトの食性が体質によって分かれてる」ということは日本人のほうが腸が長いといったたぐいのことかな?
本来の食性についての話をしてるつもりじゃなかった
俺がこのスレで言いたかったことは8みたいなベジ批判は筋が通らないってことで
君が8みたいなベジ批判者だとは思ってないよ
人間には人間を他生物とは別けて特別扱いしなければならない理由というのは誘導スレのやつだよね
その話はこのスレのテーマからそれてる気もするけどそういう意見もあるんだな、と勉強になった
ただ、その功利的な理由ってのが客観的な根拠にはなっていないと感じる
功利主義ってのは道徳的・倫理的な価値観に正当性を与えるための指標のひとつみたいな認識だよ
ただ、この点に関して全然詳しくないので俺の勉強不足かもしれない
理解を深めたいとは思ったが今のレスでちょっと萎えた >>54
そうかな?
>植物の命を奪うことのほうが抵抗を感じない
って人のほうが大多数じゃないの?
あと俺はベジタリアンじゃないよ >>55
誘導先に貼ってるリンクは読んでないようだね。
私がそこで言ってるのは「功利主義だろうがなんだろうが、種差別撤廃できない理由がある」という話だから。
読めば誰にだってすぐに判るよ。 http://twitter.com/kasugabe1111/status/868016240542875648
http://twitter.com/kasugabe1111/status/700204194167259136
とりあえず、ヒトの本来食性と「それゆえ完全菜食不適応者が居る事」の説明は↑。
先ずは菜食盛んな米独でも2,5/5%しか居ないveganを根拠に、現実に不適応者が居る事実も無視して
「誰にでも可能」という出鱈目なお墨付きを出してるアメリカ栄養士学会の嘘を晒す事が一番大事だろうね。 >>58
コピペバカ
オマエはオキアミと深海イカ食っていろよ >>56
ベジタリアンじゃないwww
言ってることが矛盾だらけだと思ったらどうりで >>9
アスペには難しいかもしれないが、
「植物だって生きてる」の「だって」というのは「植物でない何者かが生きている」という主張に対して「生きている」という言葉が用いられたことを示している
「動物を食べるな!動物の命がー」と言ってないやつに対して「植物の命がー」と言っているなんてアホな詭弁は通用しないんだよwww >>10
なにが詭弁なんだ?人間を食べることを正当とする文化を持つ集団も存在したわけで
「人間は食べちゃダメだけど動物は良い」というルールだって客観的・普遍的な正当性なんか存在しないだろ
無知にもほどがある >>51
>俺が欺瞞だと批判しているのは>>8みたいな意見についてだよ
ベジ批判者だって全ての命を平等に扱うべきだなんて内心では思っていないはずなのに
>ベジを批判する時にだけ、命を平等に扱うべきだと主張しているよね
>>65-66読んでまだその曲解に基づく戯言が言えるか? 一点補足8のレスの客観的正当性とは科学的な事実に基づく根拠というニュアンスで使われてると思ったので
以後自分のレスでもその意味で使っている
科学は客観性を重視する学問だからね
>>58
君は哲学の知識が豊富で俺は少ないのでついていけない部分があることは許してくれ
現代哲学は科学的事実とも整合性がとれていて合理的で説得力があるものだと思う
ただ科学的事実そのものにはならないでしょ
科学的知識が少なかった昔の人にとっては宗教や神話だって食物起源や食のタブーについて合理性のある説明だった
無神論者が敬虔なクリスチャンに神の不在を説いて棄教をせまるのが不毛なのと同じように
君の思想を万人に受け入れさせるのは無理だと思うよ
あと食性が多様化することに生存戦略的メリットがあることについてまったく同意見だ
だからこそなぜ君が自分の思想こそ正しいという態度になるのかが理解できない
それとTwitterだから読みづらいんだ >>69
>>58のリンク先に書いてるのは、寧ろ逆で「現代哲学の一部である動物倫理が科学を無視したオカルトになってる」というハナシだよ。
大きく勘違いしてる様だけど、私が言ってるのは「思想」ではなくて「種差別撤廃という倫理哲学の一角を占める分野が、真偽不明な論拠に基づいてるオカルトだ」という説明だよ。
ヒトに対する報復能力の有無で扱いを変えざるを得ない、というのも、それ以外に人権とそれをルールとして守らせる義務、それを裁く刑法、の源泉が有り得ない事を考えればすぐに判ることだよ。 >>68
>>65-66については>>20も読んでね
>なにが詭弁なんだ?人間を食べることを正当とする文化を持つ集団も存在したわけで
>「人間は食べちゃダメだけど動物は良い」というルールだって客観的・普遍的な正当性なんか存在しないだろ
そんなものが存在するという主張はしてないよ
主観的な線引きを容認するなら同様にベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きも容認されるべきだ、って主張だよ
主観的な線引きを容認しながらベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きを批判することは筋が通らない 私が言ってる事は唯「完全菜食不可能体質者実在」とヒトの権利と義務・刑法に関する事実関係の説明なんで、
それを理屈で覆せないまま受け入れたくない馬鹿が居ようが居まいが、そいつ等の信心が私の言う客観的な事実を覆せるわけではないので、どうでも良いことです。
多数が支持するか否かと、それが事実であるか否かは別の問題だと、先ずはそれを理解した上でないとモノを考える意味は無いです。 >>69
忘れてたが、此処↓は酷いな・・・
>あと食性が多様化することに生存戦略的メリットがあることについてまったく同意見だ
>だからこそなぜ君が自分の思想こそ正しいという態度になるのかが理解できない
読み難かろうがなんだろうが、連ツイを読むぐらいの手間を掛けられない事は無いし、読めばすぐに判るが
多様性確保にメリットが有るのを理解できるならば、veganと種差別撤廃主張者がその多様性確保を否定し、
vegan不可能体質者実在によって種差別撤廃が不可能である、と言ってる(この程度は単に事実の指摘なんで思想でもなんでもない)
私が正しいのは、アタリマエのハナシだよね。
いつまで経っても「ヒトだけは特別」の中身に関してハナシが出来ないのは、キミがいつまで経ってもリンク先を読まないからだよ。
ヒトへの報復能力の有無が「ヒトを(現状の)動物扱いしてはいけない理由」を決定付ける最大根拠なのは誰絵にも否定不可能なんで、
種差別撤廃可否を左右する条件として残るのは「動物を、普遍的にヒト扱い(選挙権等ではなく、ヒトに利用されない権利)出来るかどうか?」となる。
ここまでのハナシ程度が飲み込めないんだったら、種差別がどうの、なんて考ええるだけ時間の無駄だよ。 >>73
ニューオキアミ理論w
相変わらずグダグダと中身のない話w
オマエの根本は捕鯨を否定するベジタリアンに文句いいたいだけ >>71
>>65に書いたことの繰り返しで>>8にも明記されてるが
スレタイの「植物だって生きてる」という言葉はそれ以前に「植物でない者は生きてる」という文言が先にあってのものであることは言葉の意味から明白
スレの趣旨に鑑みればそれは「動物は生きてる(ゆえに食べてはならない)」という主張であったことも明らか
先に動物を「生きてる」ことで植物と線引きした発言があり、これに対して「その線引きは合理でない」と指摘してるに過ぎない
んで、どこが詭弁なのか欺瞞なのか説明してくれないか?
それと
> 主観的な線引きを容認するなら同様にベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きも容認されるべきだ、って主張だよ
> 主観的な線引きを容認しながらベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きを批判することは筋が通らない
主観的な線引きを許容しないと言ってない
まず前提にある「動物は生きてる(ゆえに食べてはならない)」が成り立つなら「植物だって生きてる(ゆえに食べてはならない)」も成り立たなければならない
でなければ「生きてる」ことを「動物を食べてはならない」ことの客観的に(論理的に)十分な成立因に還元できないと指摘してる
そして、「生きてる」ことが「食べてはならない」の客観的に十分な成立因とならないとき、それに代わる客観的に十分な成立因を示せないならば、
つまり食べていいかどうかを主観で線引きしてるだけなら「動物は食べてはならない」という大元の発言に客観的な正当性は無い、と言ってる
「動物は食べてはならない」に客観的な正当性が無いなら、君が言う
> 主観的な線引きを容認するなら同様にベジの「動物は食べちゃダメだけど植物は良い」という線引きも容認されるべきだ、って主張だよ
と同様の論理で
大元に遡及して「動物を食べてはならない」と主観的な根拠からいう者は、他者が主観的な根拠で「動物を食べる」ことを容認しなければならない、と言ってる
どこが詭弁で欺瞞なのか教えてくれ
蛇足だが法的にあるいは文化的にはある種の肉を食うことは広く正当性を認められてることは言うまでもないよな 「生きてる事」ではなく「苦痛を感じるかどうか?」で動植物の扱いを変えるべきだと言ってるのがveganなんだけど、
とりあえず動物の神経系が苦痛の存在を確実に保障してるから、植物の苦痛有無は一先ず置いて動物利用を止めよう、と。
どっちにせよ誰しもが最低限植物は食う以上、本題はその先にしか無いんだけど、此処じゃいつまで経っても種差別に関するハナシにならないねぇ・・・ おそらく>>1の生きているの解釈が「苦痛を感じるかどうか?」なんだろう
一般的な感覚とはズレすぎw >>71
既に>>75を読めば明らかだと思うが
>>10の
>その論理でいくと「人間は食べちゃダメだけど動物は良い」というルールだって客観的な正当性はないってことになる
>主観的な線引きはベジ批判者だってしてるのにあたかもベジだけが命を不平等に扱っていることにしているよ
についてもう一度いうと、
そもそもこちらは主観的な線引きを容認する立場だ
その立場から「動物は生きてる(ゆえに食べてはならない)」について検討してる
1・まず「生きてる」という条件を「食べてはならない」ことの理由とした場合、動物と植物を区別できないので、
これは「動物は食べてはならないが植物はよい」ことの客観的根拠とならない
2・そしてこれが客観的根拠とならず、かつ、他に客観的根拠が無いならば
雑食者の主観に草食者の主観が客観的に優越する理由がないのだから、そもそも「動物は食べてはならない」が客観的な規範として成立せず、主観的な線引きで動物を食うことは容認されるはずだろう、と言ってる
3・加えて、>>10で君が[「人間は食べちゃダメだけど動物は良い」というルール]を引き合いに出したことに対して
君がわざわざ「その論理でいくと」と断っているのは「その論理でいかない場合」を念頭に置いているからじゃないのか?
それはつまり[「人間は食べちゃダメだけど動物は良い」というルールが客観的(普遍的)である場合]のことじゃないのか?
だからこれについても普遍的なものではない、と>>66で指摘したんだが>>71で
>そんなものが存在するという主張はしてないよ
というならなぜ>>10にそのように書いたのか説明してくれないか? 伊勢田哲也もシンガーも、筋は通ってないと思うけど、veganやアニマルライツ、種差別議論の前提までは共有してないとハナシにならない。
https://ask.fm/tiseda/answers/109144016958?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1777ba470a0705a8ff6b3177e04ccfb6) 誰がいつ動物は生きてるゆえに食べてはならないなんて言ったんだ?大爆笑
脳みそスパークし過ぎだな大爆笑 植物も食べられそうになると危険を察知するっていうけど
園芸で多肉植物とかみたいに、株分けのために切る時はどんな想いなんだろう?
本能的には出来るだけ自身を遠くに行かせたいと思ってるはずだろうし… >>82
「植物だって」という日本語の意味が分からないのかwww >>83
残念ながら国産の調査捕鯨ものの鯨肉はあまり質が良くないんだよなあ
どうしてかなあ >>86
南氷洋はクロミンク、イワシクジラ
北西太平洋でミンククジラ、イワシクジラ
国内は和田、太地でツチクジラやゴンドウクジラ
鮎川と網走でミンククジラ
輸入アイスランドでナガスクジラ、ミンククジラ
ツチやゴンドウはハクジラで不味い
国内のミンククジラは産地で販売、南氷洋、北西太平洋調査捕鯨は特定業者だけの入札だからな >>87
同じミンクでも近海で定置網に混入したとされる無冷凍ものはともかく
日本の調査捕鯨のミンクよりアイスランドの輸入ミンクの方が美味いんだよね
なぜかは知らんけど
部位としては鹿の子が一番好き >>85
だからお前が勝手に言ってんじゃないならいつ誰が「生物は食べてはいけません」て言ったか言えよ大爆笑
植物だって生きてる←当たり前ですけど?はあ?大爆笑
動物をえこひいきしてるだけの話だろがよ大爆笑
しかもえこひいきしてるのはベジタリアンに限ってない大爆笑 >>89
誰って?www
言葉の意味と板の性質から、スレタイの「植物だって」という以前に「動物は生きてる(ゆえに食べてはならない)」という趣旨の主張があったことは明らかだがwww >>87
たまに東北あたりで網にかかったミンクが冷凍されずに出荷されることがあるけどあれは美味い
調査捕鯨のは冷凍の仕方が悪いのかな?魚みたいに締め方が違ってアイスランドの方が美味いんだろうか >>91
冷凍の技術が進んでも、細胞内の水分が凍り膨張して細胞が壊れる原理は変わらないから
冷凍は解凍時に水分がでて水分の多い部位はスカスカになる
脂肪の多い部位はそれほど劣化はない >>90
だからいつ誰が動物を食べては「いけない」なんて言ったんだよ大爆笑
妄想スパークし過ぎてんだよ大爆笑 >>92
なるほど
鹿の子が美味い理由は劣化しにくいからか
でも例えばミンクの尾肉同士を比べても日本の調査捕鯨とアイスランドの輸入だと同じ部位なのに味(食感もふくめて)が違うんだよね
個体差というにはあまりに違うから不思議
もっとも鯨はでかいから何度も買って食ってるようで実はそれは日本なら日本のアイスランドならアイスランドの同じ一頭をそれぞれ分割したものかもしれないから一般化できないかもしれないけど >>93
誰って?そういう主張をした誰かだろwww
どうであれそういう主張が存在したことは日本語の意味から明らかで
それがわからないなら日本語を理解できないと言ってるのと同義 >>95
アスペには難しいのか、
動物は生きてるから「私は食べません」と好きに生きてるベジタリアンに対してのベジ批判がスレタイとも言えるんだけど?大爆笑
何勝手にベジタリアンが「いけない」と言ったみたいに話をすり替えてんだよ大爆笑 >>97
アスペはお前だwww
「生きてるから」という条件は動物と植物を区別する理由にならないと言ってる
「生きてるから、食べない」ならば「植物を食べていいのは生きていないからだ」となる
それに対して「植物だって生きてる」というのは十分に合理だろ
阿呆かな 「生きている」のが動物でも植物でも同じ、という揚げ足取りの余地を残したスレタイがアホ過ぎる、と。
それを理解したら、もうちょっと身の有る話に進まないもんかね? >>96
まず人間以外の生き物に「想い」というものがあるかどうか不明だし、その「想い」という語の意味も漠然としてる
例えば辞書によると
おもい【思い・念い・想い】オモヒ
[1]思う心の働き・内容・状態。
とあり、「心」とは
こころ【心】
([1]人間の精神作用のもとになるもの。また、その作用。
とあって「人間の」と限定されてるからこの意味では人間以外の生き物に「心」があるとは言えない
それと
>本能的には出来るだけ自身を遠くに行かせたいと思ってるはずだろうし…
についても「思ってるはず」の客観的な根拠が示されてないからな
単によく分からない語句の使い方をして、よく分からない根拠で何かを言ってるだけではまともにレスが付かなくても仕方ないだろう >>99
>>97のように
>動物は生きてるから「私は食べません」
と平気で言ってしまうような阿呆がいる以上は
「生きてる」というのが動物と植物を区別する条件にはならないという指摘は揚げ足とりでも何でもなく
正当な誤謬の指摘なわけだが >>76
これも既に他のスレでおなじ議論があるから敢えてスルーしたけど
動物に痛覚があるというのは単に動物の持つある種の刺激の感受・伝達についてそう名付けたという以上の意味はなく
そこに人間同様の苦痛という概念が生じているとする検証は無いはず
このことは(命名の問題を除けば)植物についてもある種の刺激の感受・伝達が存在することは検証されており、かつ人間同様の苦痛という概念が生じていないことと同じだ
無論、感受や伝達のメカニズムは両者ではことなるが、そのメカニズムの差違がメカニズムの差違である以上に、例えば人間同様の苦痛の発生の有無と因果関係があると検証されなければ、単にメカニズムの差違という以上の意味はないということになる >>101
確かにその指摘そのものは正当だけど、一度指摘すれば判る事を繰りかえしやると、いつまで経っても同じところを往復するだけだね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています