>>216
> 「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。

記号論は知ってるか?
記号を抽象概念の表現手段として用いるということは、そこに抽象概念が存在していることは文の意味の上から恒真

> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。

「動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターン」と君が言っているものが真に「苦痛概念の記号表現」であることをどうやって知るのかという問題がクリアされていない

> こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
> 一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw

それらの現象が単なる機械的反応でなく抽象概念の記号表現であることがどう確認されてるのか学術的な研究成果を教えてくれ

> 「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。

それらの物質の放出が人間以外において抽象概念を生起させることの検証があるなら、それについての学術的な研究成果を示してくれ
単に同じ物質の放出があるというだけでは人間同様に何らかの抽象概念を生じていることの証拠にならない

> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w

それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが

> 事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、観測上の「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw

どちらも等しく馬鹿馬鹿しいよ
なぜなら倫理は枠組みの恣意性で決まるのだから「生体システム」を線引き条件に選好するのも「記号による抽象概念の表現」を線引き条件に選好するのも、どちらも各々の枠組みを超えた普遍性があるとは言えないから

> 加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
> 将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw

危うい、とは?何がどう危ういの?
で、それで言うなら将来的に生体システムを精密に再現したロボットとが現れたとして、それとヒトなり動物のなりをどう区別するのかな?
「生体システムの同一性」という線引き条件は、その時になってから条件によってそのロボットを除外するための別の基準を用いなければならない様なガバガバの線引き条件ってことになるのかな?

> (これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。)

で、形而上でそのことに何か問題が生じるかな?