>>214
> 195のどの部分に書いてある?

種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
前者は後者の前提ではあるが後者の議論を妨げないよね

の部分
「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体のうち、そのような議論をしたい主体にとって特に無意味にならないよね

> 私はそんな事は書いてないからw

なら話は早いね
「同一であれば区別できない、ゆえに同様の扱いとなる」が仮に正しいとして、「同一でないならば、その限りではない」という考え方が成り立つ
いま「生体システム」に同一性があろうが他に差違がある二者があるとき、両者は「同一でないから、同様の扱いとなるとは限らない」だろ

> それこそキミの言う「枠組み」によって否定される、というハナシだけど、それは倫理 外 のハナシだから。

枠組みの恣意性で否定されたりされなかったりするなら何を線引き条件にするかは枠組みの恣意性で決まるんじゃん

> もしも科学的事実としてある「生体システムの同一性や種の連続性」を基にした苦痛か苦痛の概念を否定するならば、キミの言う科学的な真偽の判断も形而下であっても否定され得る、と言ってます。

は?
だからさ、「生体システムの同一性や種の連続性」と「苦痛の概念」に因果関係があるという検証について学術的な研究成果を出してくれと再三言ってるんだが、まだかな?
それが無ければ「生体システムの同一性や種の連続性」があることと「苦痛の概念」があるかどうかは科学的に不確かなんだが
…あのさ、これについて証拠があるならそれを出せば済む話だぜ?んで出せるような証拠が無いならば未検証、つまり「無い」と扱うのが科学の手法だが
もしかして非科学的な信仰のようなものを主張してるのか?

> どうでもいいんじゃなくて、キミには出来ない、という事だね。論拠が全て白紙になるだけなんだからw

そういうレッテル貼りをいつまで繰り返すのかな
形而上の話なら独我論の成立に問題は生じない、という話だが