>>201
> 「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体、にとってだよw

じゃあ>>195で書いたけど意味なくないね

> 先ずは、Pシンガー等がなんと言ってるのか?をキミが知らないと意味が無いハナシだね。キミがそこで「事実」として扱ってる「苦痛/苦痛の概念有無」とは違う「事実」が規範の線引き根拠とされてるんだから。
> 功利主義の議論でその配慮の対象と出来る者の区分は形而下での判別でなければ収拾がつきません。

まあ君が貼ったやつ読んでみるわ
そこに「動物の生体システムが人間同様であれば、人間同様の概念が生じる」ことの検証があるとは思えないけど
そんでどっちにしろそこで提示された「事実」とやらが枠組みを超えた普遍的な基準となることが論証されてるかどうか検討してみるわ

> キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。

形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからどうでもいい話だが

> 私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw

形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし

> 出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w

何度もいうが、ルールというものは枠組みを超えて普遍的にはならない

> 形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw

形而上では回避の必要は特にない

> 答えは同じ。この場合、単に「生体システムの同一性」。そしてそれを推論と呼ぶならば「人間も同じ」。キミの命綱・「痛がってるフリじゃない/記号表現」は、壮大なロボット集団によるペテンかもよ?w

質問の意図が伝わってないな「反証主義は知っているか?」と聞き変えよう
あと君のいうロボットの話だが
形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからやはりどうでもいい話だが

> キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。

形而下事実について科学が因果関係の真偽を判断する場合に再現性は必須だよ

> 何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。

記号を抽象概念の表現に用いるというのは形而下事実

> それは形而下では規範とは呼べませんw

法律にしろ社則にしろ家訓にしろ、形而下の規範は枠組みの恣意性で決まると言ってる
「枠組みの恣意性で決まるということ」が形而下の規範だと言ってるのではないが、分かってるか?

> 最後の段落は意味不明。形而上のハナシをすれば独我論に収束。形而下ならばキミが認めたくないだけの「生体システムの同一性とヒトとの連続性」という科学的事実に収束。

形而上の話なら独我論になろうが問題にならない
形而下ならば「生体システムの同一性とヒトとの連続性」があったとしても「ゆえに、人間と動物が同一であり、同様に扱われるべき」と言えない
>>195に書いたが
動物に苦痛が存在する、というとき
その生体システム上での物理的な現象が存在するとなぜ人間同様の扱いをすべきという倫理判断が導出されるのか不明だ
「同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても、これは「同一でなければその限りではない」を否定していない
つまり「動物が人間と同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても「動物が人間と同一でなければその限りではない」のだから
いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから
「同様の扱いが為される」ことは導出できない