ベジ批判者 「植物だって生きてる」 ← [無断転載禁止]©2ch.net
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アスペなの?
動物と植物本当に同じだとおもってるんかいw >>187
>読み直してみよう 俺は自然主義的誤謬の話はしてないよ
キミの書き方が解り難くて私が逆に捉えた可能性は有るね。加えて云えば、キミは当為と事実の関連性を誤用してるようだ。
>いずれであれ非認知主義を知っていれば倫理上の判断というものが択一的に真偽を帰属させられなければならないと一義的にいえないことがわかるはずだから
形而下では真偽は一義的に集約できる、というのが種差別議論を知れば判るよ。Pシンガー等の言う事は、キミのガバガバに比べて遥かに筋は通ってるから。
> それがキミの基準でないとすれば、私はキミの基準を知りませんよ?
>何度目になるか知らないけど、無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準>だと言ってる
それは「基準」ではないよね。種差別主張に関して云えば「苦痛(『の概念』は含まないw)の実在」だけで恣意性は排除される。形而下で苦痛や功利主義を否定するならば、ヒト含めた他者の痛みは一切気にする必要が無い、という立場の表明だなw
>「苦痛の概念」があるフリをしてると疑うことができるかどうかと、「苦痛」という記号を再現的に用いる者がその記号に対応する抽象概念を持っていることが明らかなことは別の話
それを疑った時点で独我論の領域に入ります。記号表現が無ければ、苦痛概念が無い、というのはキミの憶測でしかなく、誰も証明してないし、「苦痛」だけでなくそれが必須である理由も誰も説明してない。
こう言うと「俺の基準じゃないから説明義務が無い」と言ってキミは逃げるだけ。ハナシにならんねw
>だから、自分の子に苦痛概念が共有されてるかどうかは不確かだ、しかし記号を用いるならそのことからそこに記号に対応する抽象概念があるはずだと判断できる、と言ってる
それはキミが恣意的選好的に選んでる判断基準でしかない、それが普遍基準たり得る、必須足りうる説明義務から逃げるな、と言ってます。
キミは自分が自己都合で選んでるだけの基準を絶対としてるから、馬鹿なんだよw
>法律にしろ社則にしろそれを規範とする枠組みに恣意的なもので、その枠組みを超えて普遍的な規範とはいえないだろ
一々断らないが、これは種差別議論に於ける普遍倫理基準のハナシ、であって 撤 廃 の意味が分ればそれらとは違うと判るのでは? >>189
> 説明済みだが、形而下では動物と植物を同じ側だとして考ええるのは、初等教育に失敗した人だけ、だよw
そういうレッテルは要らないよ
> 動物の生体システム上、動物である人間と同じ側に動物が居て、植物界はその向こう側。小学校時代の担任の先生に確認して御覧?
生体システムを線引きの条件にするならば、という条件をつければね
線引きの仕方は無数にある
> ならないよ、馬鹿w
これについては>>191で補足済み
言葉足らずだったのは申し訳ない
> 現実のルール形成に、現実の条件に即して考えて形作る倫理を、形而下以外の事柄から導く、というのは何処の狂人のうわごとだよ?w
ヒュームのギロチン >>190
> ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw
無意味って?なんで?>>192あるいは>>195で回答になってるかな
> それが形而下事実ならば、動物の生体システム上ヒトと同一である動物には苦痛が有り、ヒトとの混血による連続性から動物にも苦痛概念がある事も形而下の事実だね。
そうだね
でも>>197に書いたように生体システムが人間と同一であるだけで人間同様の扱いをすべき理由が無いね
> 生体システムの同一性を否定出来ないならば、片方だけを形而下として他方を形而上の論拠で説明する、というキミだけの誤謬だよ。
>>197に書いたけど生体システムの同一性を認めないのではなく、生体システムだけの同一性で同様の扱いをすべき理由がないと言ってる
> それ以外の論拠が恣意での基準決定しか無いので、キミの話は形而上の領域も混同しなければならない。
俺が恣意的という語を用いてる意味については既に説明済み
> これが意味が無い、と言ってます。そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
意味って?
>>195で回答になってるかな
> 昨日キミがクオリアと独我論を混同した事等のハナシです。シンガーの論拠すら未だに意味を解ってない。苦痛を根拠とする現実にメタ倫理は意味が無い。
別に混同してないが
メタ倫が関係なければ形而下事実から規範は導出できない
単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。 >>190
> ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw
無意味って?なんで?>>192あるいは>>195で回答になってるかな
> それが形而下事実ならば、動物の生体システム上ヒトと同一である動物には苦痛が有り、ヒトとの混血による連続性から動物にも苦痛概念がある事も形而下の事実だね。
そうだね
でも>>197に書いたように生体システムが人間と同一であるだけで人間同様の扱いをすべき理由が無いね
> 生体システムの同一性を否定出来ないならば、片方だけを形而下として他方を形而上の論拠で説明する、というキミだけの誤謬だよ。
>>197に書いたけど生体システムの同一性を認めないのではなく、生体システムだけの同一性で同様の扱いをすべき理由がないと言ってる
> それ以外の論拠が恣意での基準決定しか無いので、キミの話は形而上の領域も混同しなければならない。
俺が恣意的という語を用いてる意味については既に説明済み
> これが意味が無い、と言ってます。そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
意味って?
>>195で回答になってるかな
> 昨日キミがクオリアと独我論を混同した事等のハナシです。シンガーの論拠すら未だに意味を解ってない。苦痛を根拠とする現実にメタ倫理は意味が無い。
別に混同してないが
メタ倫が関係なければ形而下事実から規範は導出できない
> 単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。
レッテルは貼らなくていいよ >>193
> 紐付け、は必要無いよ。形而下の条件がそのまま可否判断の論拠となるだけだから。
ヒュームのギロチン
> キミは逃げ口上の為にムリな迂回をさせたいだけだねw
レッテル貼りは不要
> それが形而下で確認できるならば、生体システムとヒトとの血縁まで含めた連続性によって動物にも苦痛と苦痛概念が有る、とするのがアタリマエ。
人間同様の生体システム上での現象が人間以外においても必ず人間同様の概念を生じさせることの研究成果はまだ提示してくれないのか?
なぜだ?
> 形而上ならば、それがヒトであっても確証には至らない。未だこの意味が解らないかな?
形而上ならそれは認識論的に問題にならないと言ってる
> 種差別撤廃が法となる時、それは普遍基準によって正邪が判断されてる時だよ。恣意では決まり得ないし、ローカルルールでは 「 撤 廃 」 ではない。これもキミには難しいかな?w
法というのは枠組みを超えた普遍性を持たないよ
> 昨夜から今朝まで何度もしてるが、キミが時間稼ぎに無視してるだけw
君が俺の言ってることと言ってないことを混同してるだけにしか見えないんだが
> 基本となる条件を収縮させてハナシをしてるキミと、形而下の条件だけに限定してる私は違うよ。
基本となる条件を収縮?
基本となる条件って「苦痛という概念」の有無のこと?
なら俺はそれを線引き条件にしてないけど
> 記号化表現でなければ確認出来ない、とはそうでないと不都合なキミ一人が勝手に決めた事。形而下では生体システムと連続性で確認済み。
レッテルは不要
だから生体システムが人間と同じなら人間以外においても人間同様の概念が生じることの研究成果はまだか?
> それを否定するなら形而上の独我論によってヒトのそれも否定されて終わり。キミは馬鹿だな・・・
形而上の話では認識論的にそれは全く問題にならないと言ってる
> 何度も言ってるが、それは形而下での倫理として意味が無いし、形而下でのルール制定に及ぶ種差別主張・倫理基準に恣意性が含まれると意味がアリマセン。
意味ってのが何を指してるのか分からないんだが>>195で回答になってる?
> 早く読めばそれだけキミの盲が早く啓けます。恣意性云々なんて馬鹿な基準は有り得ないからw
もうすぐ出掛けるから帰ったら読むわ
> 生化学によって。キミの妄言「記号表現」だけが苦痛の概念の実在を証明する、という研究成果は何処に有る?一部の馬鹿が唱える念仏か?w
記号表現だけと言ってないけどな
他に概念が生じていることを確認する手段(連想する手段ではなく)があるならそれでもいい
生化学がそれを検証したというなら不毛なレッテルより先にその研究成果を貼ってくれ
> その条件を否定するならば、苦痛の概念有無はそもキミが援用する意味が無い。最初から恣意だけだと云えば済む。嘘を吐くなよw
「苦痛の有無」を線引きにすることの虚偽を示すためにそれを用いて生じる事態を提示してる
一つの手段としてこれを採用したに過ぎないんだがね
嘘だというなら嘘であることを論証してくれよ >>192
>意味がないってのは誰にとっての何の意味?
「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体、にとってだよw
>種差別撤廃を主張する者が「種差別を撤廃すべき」と主張するとき、ヒュームのギロチン(自然主義的誤謬の概念ではなく)にいわれるようにその主張は事実から必然的に導かれたものではなく形而上の理由で導かれてるんだからメタ倫理学の話に当然かかわってくる
先ずは、Pシンガー等がなんと言ってるのか?をキミが知らないと意味が無いハナシだね。キミがそこで「事実」として扱ってる「苦痛/苦痛の概念有無」とは違う「事実」が規範の線引き根拠とされてるんだから。
功利主義の議論でその配慮の対象と出来る者の区分は形而下での判別でなければ収拾がつきません。
> 独我論のハナシになったら、キミにはいよいよ逃げ場がなくなる、という事は理解出来てるかな?
>独我論を回避したいという希望で事実を無視したり歪めたりするのは科学的じゃない 独我論を回避したいというのが動機になるのは構わないがどう事実と向き合ってそれを回避するかを考えなきゃ
事実と向き合えないのはキミだよ馬鹿w
キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。
私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw
>形而下の話だけをしたいなら倫理を話すことはできない
出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w
> それならば「人間も同じ」で、そこを疑い出すなら独我論のハナシになります。
>独我論を回避したいからこれは疑えない、というのは科学的ではない
形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw
>形而下の事柄について、科学が「推論」の「真偽」を判断する手段は何か、答えてみてくれ
答えは同じ。この場合、単に「生体システムの同一性」。そしてそれを推論と呼ぶならば「人間も同じ」。キミの命綱・「痛がってるフリじゃない/記号表現」は、壮大なロボット集団によるペテンかもよ?w
キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。
>言い逃れであると主張するならそのことを論理立てて説明してくれよ
何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。
>だから、俺の立場は、倫理規範は無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準だと言ってる
それは形而下では規範とは呼べませんw
最後の段落は意味不明。形而上のハナシをすれば独我論に収束。形而下ならばキミが認めたくないだけの「生体システムの同一性とヒトとの連続性」という科学的事実に収束。 > キミの書き方が解り難くて私が逆に捉えた可能性は有るね。加えて云えば、キミは当為と事実の関連性を誤用してるようだ。
俺のせいにするのか…
まあ逆にとらえたのが君であって俺が逆に用いてたのでないと分かればいいよ
> 形而下では真偽は一義的に集約できる、というのが種差別議論を知れば判るよ。Pシンガー等の言う事は、キミのガバガバに比べて遥かに筋は通ってるから。
大雑把にいって形而下の倫理判断が一義的に定まらない、というのが非認知主義なわけですが
> それは「基準」ではないよね。種差別主張に関して云えば「苦痛(『の概念』は含まないw)の実在」だけで恣意性は排除される。形而下で苦痛や功利主義を否定するならば、ヒト含めた他者の痛みは一切気にする必要が無い、という立場の表明だなw
それは結局「人間である」を基準にしたり「生きてる」を基準にしたって恣意性を排除できる、と言ってるのと同じで
ある枠組みのなかでその規範が採用されたとしても枠組みを超えて普遍的なわけじゃないじゃん
> それを疑った時点で独我論の領域に入ります。記号表現が無ければ、苦痛概念が無い、というのはキミの憶測でしかなく、誰も証明してないし、「苦痛」だけでなくそれが必須である理由も誰も説明してない。
「記号表現が無ければ、苦痛概念が無い」と言ってないけどな
「記号表現があれば、苦痛概念がある」と言ってて、これは俺だけでなく記号論を学べばわかるはず
そして「記号表現が無ければ、苦痛概念があるといえない」とき科学的には未検証のものは無いと扱うべきだから
科学によれば「記号表現が無ければ、苦痛概念が無いと扱うべき」となる
> それはキミが恣意的選好的に選んでる判断基準でしかない、それが普遍基準たり得る、必須足りうる説明義務から逃げるな、と言ってます。
俺が「苦痛の概念」を線引き条件に選んでるわけではないんだぜ
それが線引きの普遍的な基準になるとも言ってない
俺は枠組みごとの恣意性で決まると言ってる
> キミは自分が自己都合で選んでるだけの基準を絶対としてるから、馬鹿なんだよw
という誤読(か曲解)から離れられない君
> 一々断らないが、これは種差別議論に於ける普遍倫理基準のハナシ、であって 撤 廃 の意味が分ればそれらとは違うと判るのでは?
その基準を用いることに種差別撤廃論者の枠組みを超えた普遍性は無いよね >>195
>種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
キミが知らないだけ、だよ馬鹿w
少なくとも、私が否定する或る事実を除けば、それが一貫してて人類普遍なのは事実だよ。流石に世界的に著名な学者だからか、キミみたいなガバガバとは違いますw
>彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
私は別スレに貼ったリンクでその証明を済ませてます。でも、キミはそれより遥か前の段階で種差別倫理を錯誤してるので、意味がアリマセン。
>生体システムの同一性と抽象概念の同一性に因果関係は未検証 未検証のものを「あると信じたい」というのは科学的ではない
ならば、同一生体システムを持つ他者ヒトにもそれが未検証、でオシマイw
キミが縋ってる「記号の表現」は「唯一それを実証する根拠」とならない。キミがそれを唯一としたいだけだよ馬鹿。
>抽象概念を記号化していることは形而下で再現性のある検証がされています 科学の手法は帰納だから未検証のものを「信じたい」という話とは全く違うよ
キミが「それが唯一だ」と信じてるだけだし、それが実証になるとは形而上では言い得ないよね。キミはそれが自身の選好基準でしかない、という事を分かってないだけの馬鹿だよw
>むしろ未検証のものを「信じたい」という君の態度の方が形而下についての科学的判断である「である論」と形而上的な「べき論」をブレンドしてるんじゃないか?
ヒト以外の生体システムでも苦痛反応や苦痛概念は観察されてます(哺乳類鳥類が主)から、未検証だと云いたいのはキミだけ、だね。
>「苦痛」という記号を用いる者が記号に対応する概念を持っているということは、それが芝居であるかどうかと関係なく明らかだよね
その段落の能書きは全て独我論で即座に否定可能。動物の場合も「苦痛回避」や「恐怖反応」で確認可能。キミはそれを選好的に否定してるだけw
>動物に苦痛が存在する、というときその生体システム上での物理的な現象が存在するとなぜ人間同様の扱いをすべきという倫理判断が導出されるのか不明だからだな
成る程、功利主義からしてまるで分ってない、という事だね。Pシンガーの主張を読んでからにしな?
>いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから「同様の扱いが為される」ことは導出できない
形而上ではそこの「動物」を「他者ヒト」に置き換えるだけで、或いは形而下でも過去の歴史上「女性」「黒人」に置き換ええるだけで、それは退けられるよね。
功利主義の基本をも知らないならば、このハナシをする資格は無いよ。 >>197
> 説明済みだが、形而下では動物と植物を同じ側だとして考ええるのは、初等教育に失敗した人だけ、だよw
>そういうレッテルは要らないよ
レッテルではなく、正確な品質表示だよねw
> 動物の生体システム上、動物である人間と同じ側に動物が居て、植物界はその向こう側。小学校時代の担任の先生に確認して御覧?
>生体システムを線引きの条件にするならば、という条件をつければね
>線引きの仕方は無数にある
その他の線引き基準の多くは恣意によるモノで、功利主義的には無意味。私は「枠組みを越えた」基準を示せるけどねw
> 現実のルール形成に、現実の条件に即して考えて形作る倫理を、形而下以外の事柄から導く、というのは何処の狂人のうわごとだよ?w
>ヒュームのギロチン
現実社会のルール形成を形而下の事柄から導いてない、と云うのならば、単にキミの誤解だろうねw >>201
> 「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体、にとってだよw
じゃあ>>195で書いたけど意味なくないね
> 先ずは、Pシンガー等がなんと言ってるのか?をキミが知らないと意味が無いハナシだね。キミがそこで「事実」として扱ってる「苦痛/苦痛の概念有無」とは違う「事実」が規範の線引き根拠とされてるんだから。
> 功利主義の議論でその配慮の対象と出来る者の区分は形而下での判別でなければ収拾がつきません。
まあ君が貼ったやつ読んでみるわ
そこに「動物の生体システムが人間同様であれば、人間同様の概念が生じる」ことの検証があるとは思えないけど
そんでどっちにしろそこで提示された「事実」とやらが枠組みを超えた普遍的な基準となることが論証されてるかどうか検討してみるわ
> キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。
形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからどうでもいい話だが
> 私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw
形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
> 出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w
何度もいうが、ルールというものは枠組みを超えて普遍的にはならない
> 形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw
形而上では回避の必要は特にない
> 答えは同じ。この場合、単に「生体システムの同一性」。そしてそれを推論と呼ぶならば「人間も同じ」。キミの命綱・「痛がってるフリじゃない/記号表現」は、壮大なロボット集団によるペテンかもよ?w
質問の意図が伝わってないな「反証主義は知っているか?」と聞き変えよう
あと君のいうロボットの話だが
形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからやはりどうでもいい話だが
> キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。
形而下事実について科学が因果関係の真偽を判断する場合に再現性は必須だよ
> 何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。
記号を抽象概念の表現に用いるというのは形而下事実
> それは形而下では規範とは呼べませんw
法律にしろ社則にしろ家訓にしろ、形而下の規範は枠組みの恣意性で決まると言ってる
「枠組みの恣意性で決まるということ」が形而下の規範だと言ってるのではないが、分かってるか?
> 最後の段落は意味不明。形而上のハナシをすれば独我論に収束。形而下ならばキミが認めたくないだけの「生体システムの同一性とヒトとの連続性」という科学的事実に収束。
形而上の話なら独我論になろうが問題にならない
形而下ならば「生体システムの同一性とヒトとの連続性」があったとしても「ゆえに、人間と動物が同一であり、同様に扱われるべき」と言えない
>>195に書いたが
動物に苦痛が存在する、というとき
その生体システム上での物理的な現象が存在するとなぜ人間同様の扱いをすべきという倫理判断が導出されるのか不明だ
「同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても、これは「同一でなければその限りではない」を否定していない
つまり「動物が人間と同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても「動物が人間と同一でなければその限りではない」のだから
いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから
「同様の扱いが為される」ことは導出できない >>198
> ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw
>無意味って?なんで?>>192あるいは>>195で回答になってるかな
なってないよw
形而上にもつれ込めば、独我論によって自己以外の他者存在に関るすべては疑義対象なので、それに配慮すべき「倫理的な」理由はなくなる。
> それが形而下事実ならば、動物の生体システム上ヒトと同一である動物には苦痛が有り、ヒトとの混血による連続性から動物にも苦痛概念がある事も形而下の事実だね。
>そうだね でも>>197に書いたように生体システムが人間と同一であるだけで人間同様の扱いをすべき理由が無いね
ならばそれが形而下であっても「苦痛記号の表現」を以って他者ヒトを自分同様に扱いをすべき理由が無い、という事になるね。
同一システム同一反応が、自己と他者を同様である証拠と出来ないのは同じ。これを否定する根拠はキミの選好以外に無いからw
> 生体システムの同一性を否定出来ないならば、片方だけを形而下として他方を形而上の論拠で説明する、というキミだけの誤謬だよ。
>>>197に書いたけど生体システムの同一性を認めないのではなく、生体システムだけの同一性で同様の扱いをすべき理由がないと言ってる
ならば「そこに『苦痛記号の表現』が加わっても、同様の扱いをすべき理由が無い、と云われたらオシマイだねw
キミは自身の基準がキミの選好でしかない、という事がいつまっでたっても理解できないんだねえ・・・
> それ以外の論拠が恣意での基準決定しか無いので、キミの話は形而上の領域も混同しなければならない。
>俺が恣意的という語を用いてる意味については既に説明済み
それは知らない。未だみてないよ?
> これが意味が無い、と言ってます。そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
>意味って?>>195で回答になってるかな
ナリマセンw
恣意は何処までいっても恣意。現実に 撤 廃 を言ってる者達の論拠が人獣共通の現実に即してるから、彼等は普遍たり得る(筋が通せる)と考えてるから、キミの恣意では覆せません。
> 昨日キミがクオリアと独我論を混同した事等のハナシです。シンガーの論拠すら未だに意味を解ってない。苦痛を根拠とする現実にメタ倫理は意味が無い。
>別に混同してないが メタ倫が関係なければ形而下事実から規範は導出できない
彼等が相手にするのは形而下事実だけ、だよ。形而上に入ればキミもろとも自滅するだけ、なので 撤 廃 を目指す彼らがキミを嗤って終わりにするのは当然だろう。
>単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。
・・・は?
これは私の文のコピペ?w あぁ198は途中送信かな?
>>199
> 単純に、キミは何を問題として種差別議論が有るのか?から逃げ回ってるだけだよ。
>レッテルは貼らなくていいよ
キミが種差別議論やその基となってる功利主義を知らないのは事実だよね。 >>200
> 紐付け、は必要無いよ。形而下の条件がそのまま可否判断の論拠となるだけだから。
>ヒュームのギロチン
キミの誤謬だと説明済み>>206
> キミは逃げ口上の為にムリな迂回をさせたいだけだねw
>レッテル貼りは不要
これも単に事実の指摘。
> それが形而下で確認できるならば、生体システムとヒトとの血縁まで含めた連続性によって動物にも苦痛と苦痛概念が有る、とするのがアタリマエ。
>人間同様の生体システム上での現象が人間以外においても必ず人間同様の概念を生じさせることの研究成果はまだ提示してくれないのか?なぜだ?
キミが「苦痛記号の表現」が唯一の判断基準である、という証拠証明を示せないのと同様、観測された事実をキミが選好するだけなんだから、研究成果があっても無意味だよね?
先にも書いたが、それが形而下であっても他者ヒトに同様の苦痛概念があるかどうかの確認は不可能。生体システムの同一性等を否定するならば、キミが選好で縋ってる論拠も確証にいたる証拠とはならない。アタリマエだよ馬鹿w
> 形而上ならば、それがヒトであっても確証には至らない。未だこの意味が解らないかな?
>形而上ならそれは認識論的に問題にならないと言ってる
独我論ならば他者存在は全て疑義の対象となるだけだよね。キミはそれも分ってないのか?
> 種差別撤廃が法となる時、それは普遍基準によって正邪が判断されてる時だよ。恣意では決まり得ないし、ローカルルールでは 「 撤 廃 」 ではない。これもキミには難しいかな?w
>法というのは枠組みを超えた普遍性を持たないよ
撤 廃 の意味を調べてからにしなよw
> 昨夜から今朝まで何度もしてるが、キミが時間稼ぎに無視してるだけw
>君が俺の言ってることと言ってないことを混同してるだけにしか見えないんだが
単に私のレスをちゃんと読んでないだけだね。
>基本となる条件って「苦痛という概念」の有無のこと?なら俺はそれを線引き条件にしてないけど
これも飽きたな。それを「ヒトにあって動物には無い」という否定の為の線引き条件に使ってるなら同じ事だよ。
>だから生体システムが人間と同じなら人間以外においても人間同様の概念が生じることの研究成果はまだか?
キミが「苦痛記号の表現」だけが唯一の判断基準と成り得る、という論理的な証明が出来たら、それを引っこめてあげるよ?
キミはそれがキミ自身の選好基準でしかない、という意味が全くわかってないから、馬鹿だって言ってるんだよ?w
> それを否定するなら形而上の独我論によってヒトのそれも否定されて終わり。キミは馬鹿だな・・・
>形而上の話では認識論的にそれは全く問題にならないと言ってる
何処でそれを証明した?独我論の意味もわかってないのでは? >>200
>意味ってのが何を指してるのか分からないんだが>>195で回答になってる?
ナリマセンw
形而下では普遍的正邪判断でしかないので、恣意で分かれるなら「倫理として意味が無い」。キミは猿か?w
>他に概念が生じていることを確認する手段(連想する手段ではなく)があるならそれでもいい
なんであれ、それはキミの選好基準としかならない、と言ってる意味が未だわからないの?
>生化学がそれを検証したというなら不毛なレッテルより先にその研究成果を貼ってくれ
単にシステムの同一性と種の連続性。それを基準と出来ない、と自身の線引き基準を絶対だと言い張ってるだけで、その根拠も示せないキミが言ってるだけ。
>嘘だというなら嘘であることを論証してくれよ
先にも書いたが「否定の為の線引き基準として使っても同じ事」だよ。それが要らないなら「恣意で決まる」と云うだけで済む。よってキミは嘘吐きだねw >>203
> 形而下では真偽は一義的に集約できる、というのが種差別議論を知れば判るよ。Pシンガー等の言う事は、キミのガバガバに比べて遥かに筋は通ってるから。
>大雑把にいって形而下の倫理判断が一義的に定まらない、というのが非認知主義なわけですが
ならばその主義が間違ってるんだろうねw
誰にでも把握可能で否定不可能な現実に即した功利主義が、その大枠で誰にも普遍的善で無いとは云い得ない、という部分までは、或る事実関係の錯誤以外は正しい。キミは種差別議論を知らないだけだよ。
> それは「基準」ではないよね。種差別主張に関して云えば「苦痛(『の概念』は含まないw)の実在」だけで恣意性は排除される。形而下で苦痛や功利主義を否定するならば、ヒト含めた他者の痛みは一切気にする必要が無い、という立場の表明だなw
>それは結局「人間である」を基準にしたり「生きてる」を基準にしたって恣意性を排除できる、と言ってるのと同じで ある枠組みのなかでその規範が採用されたとしても枠組みを超えて普遍的なわけじゃないじゃん
キミは意味が分ってないままムリに反論しようとするから毎回ガバガバになるんだよ。私が此処で功利主義反種差別に関して仔細な解説は出来ないから、先に読んでこいよ。
>そして「記号表現が無ければ、苦痛概念があるといえない」とき科学的には未検証のものは無いと扱うべきだから 科学によれば「記号表現が無ければ、苦痛概念が無いと扱うべき」となる
どんな反応を苦痛記号とするのか?までを含めてキミとその研究支持者の恣意でしかない、というハナシだよ。それが唯一基準と成り得る、という根拠説明も出来ないまま繰り返すんだから、原理主義と同じだねw
>俺は枠組みごとの恣意性で決まると言ってる
それは 撤 廃 を目指す者の前では意味が無い、と説明済み。それが倫理外の基準であると言うなら、それで構わないが、キミは形而下の倫理がそうである、と言ってる。馬鹿だなw
>という誤読(か曲解)から離れられない君
否定論拠に援用してる時点で同じ、と何度も言ってます。それを誤魔化したいだけだねw
>その基準を用いることに種差別撤廃論者の枠組みを超えた普遍性は無いよね
或る事実を無視すれば、完全に普遍的だよ?キミが知ろうとしないだけ。 >>207
じゃあ>>195で書いたけど意味なくないね
195のどの部分に書いてある?
>まあ君が貼ったやつ読んでみるわ そこに「動物の生体システムが人間同様であれば、人間同様の概念が生じる」ことの検証があるとは思えないけど
私はそんな事は書いてないからw
それこそキミの言う「枠組み」によって否定される、というハナシだけど、それは倫理 外 のハナシだから。
> キミの生体システム・現実の科学事実を無視した疑義は、そのまま他者ヒト全ての苦痛実在までが疑義対象となる独我論に流れこまざるを得ない、という事なんだから。
>形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからどうでもいい話だが
もしも科学的事実としてある「生体システムの同一性や種の連続性」を基にした苦痛か苦痛の概念を否定するならば、キミの言う科学的な真偽の判断も形而下であっても否定され得る、と言ってます。
> 私は構わないよ?形而上では独我論を支持するのに抵抗は感じないのでw
>形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし
どうでもいいんじゃなくて、キミには出来ない、という事だね。論拠が全て白紙になるだけなんだからw
> 出来るし、現実の普遍ルール制定に関る種差別議論ならばそうしなければならない。独我論によって他者ヒトを含むルールが決められるかな?w
>何度もいうが、ルールというものは枠組みを超えて普遍的にはならない
人類普遍のルールが有る、という説明も連ツイに解説済み。それは或る制限事由によって「そうしなければならない」と決められる。先に言うが「ルール違反の実在はルールの非存在を意味しない」。キミはこれすら分ってなっさそうだからw
> 形而上では独我論は回避不可なので、キミの首が絞まるだけw
>形而上では回避の必要は特にない
ではやってみる?すぐに終わるよ?
>形而上の話をしたいなら認識論的にそれはどうでもいい話だし形而下の話をするなら科学的な真偽の判断の対象として反証可能性の無い命題は考慮するに値しないからやはりどうでもいい話だが
形而上ならば「全てがどうでもいい」の間違いだね。そして形而下ならばキミの云う事は自身の選好で「苦痛記号の表現」を基準としてるだけ、なので意味が無い。いつになったらそれがキミの恣意でしかない基準だと分る?
> キミが縋ってる「再現性」は確認の手段とはならない(形而上の疑義なので独我論で否定されるだけ)。
>形而下事実について科学が因果関係の真偽を判断する場合に再現性は必須だよ
その「再現」は「生体システムと種の連続性」否定との整合性が無いから選好でしかない、と言ってます。それを唯一の「苦痛の概念」の判定基準とする理由はいつ示せるの?
> 何度もしてる様に、恣意以外でキミが縋ってるのが形而下と形而上の条件をゴチャマゼにした「苦痛の概念有無」だから、だと言ってます。
>記号を抽象概念の表現に用いるというのは形而下事実
それが唯一の判断基準と成る、という根拠説明が無いから選好でしかない、と言ってます。根拠がないモノを絶対視するのは唯の宗教だなw
> それは形而下では規範とは呼べませんw
>法律にしろ社則にしろ家訓にしろ、形而下の規範は枠組みの恣意性で決まると言ってる「枠組みの恣意性で決まるということ」が形而下の規範だと言ってるのではないが、分かってるか?
私は種差別議論は形而下の規範でしか有り得ない、と言ってるよ?形而上のハナシに逃げたいのはキミの都合。そして枠組みに捉われないルールは有り得るが、キミが知らないだけだよ?そして規範とルールは勿論別だよ馬鹿w >>207
>形而上の話なら独我論になろうが問題にならない
どの論拠も白紙になるだけ、だからね。
>形而下ならば「生体システムの同一性とヒトとの連続性」があったとしても「ゆえに、人間と動物が同一であり、同様に扱われるべき」と言えない
それを否定すれば、ヒトに於ける「再現性」も同様。故に「自己と他者ヒトが同様に扱われるべき」とも言えなくなる。無論形而下でもね?未だ分らないのかw
最後の段落にも同上。「枠組み」の場所が立場によって変わるだけ。キミは本当にアタマが悪いよねw ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、観測上の「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。)
もうちょっと書こうと思ってた事が有ったと思うが、忘れたのでとりあえず此処までw >>209
> なってないよw
「ならば独在論だね。キミの論拠はすべて無意味になるw 」に対して
形而上の話なら独我論になろうがなるまいが無意味にならないし
形而下の話なら反証可能性の無い説は検討するに値しないから独我論は何も妨げないため無意味にならない
と言ってる
> 形而上にもつれ込めば、独我論によって自己以外の他者存在に関るすべては疑義対象なので、それに配慮すべき「倫理的な」理由はなくなる。
倫理が他者に配慮するという形でなければならない理由がない
そもそも倫理をどういうものとして考えるかというメタ倫理学を勉強してないから、倫理に対する立場が実在論しかないと思ってるんじゃないか?
だから確認のために反実在論と非認知主義の違いを説明してみせてくれと問うているんだが回答はまだか?
> ならばそれが形而下であっても「苦痛記号の表現」を以って他者ヒトを自分同様に扱いをすべき理由が無い、という事になるね。
そうだね
俺はそう言ってるよ
個々の枠組みが何を線引き条件にしてどのような線を引くかは、あくまで個々の枠組みの恣意性によると言ってるんだから
「生体システムの同一性」も「記号の使用によって確認される抽象概念の有無」も、そういった恣意性で選択される個々の枠組みのローカルなもので
枠組みを超えて普遍性を持たないと言ってるじゃん
> 同一システム同一反応が、自己と他者を同様である証拠と出来ないのは同じ。これを否定する根拠はキミの選好以外に無いからw
「俺の選好」でなく「個々の枠組みの選好」、な
俺が何を線引き条件として選好してるかについて、俺は何も言ってないはずだよ
俺の主張してるのはそこではなく単に線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まるということで、その説明に俺の選好する条件の表明は不要だからね
> ならば「そこに『苦痛記号の表現』が加わっても、同様の扱いをすべき理由が無い、と云われたらオシマイだねw
オシマイじゃなくそこがむしろスタートだな
ゴールは、線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まるというところ
> キミは自身の基準がキミの選好でしかない、という事がいつまっでたっても理解できないんだねえ・・・
だから俺の選好ではないが
いつになったら混同をやめるんだ?
> それは知らない。未だみてないよ?
「分析すれば個々の枠組みの価値観は無数の色々な要因に条件付けられているゆえに恣意的でなく必然的だと言うこともできるが、
全体論的にいえばそれは結局個々の枠組みの個別性を際立たせることになるのだから恣意的と表現して構わないだろう 」(>>146)
「その恣意性は、個々の枠組みに作用する無数の要因で決定されてると考えることはできるが、全体論的にいえば分析的に因果関係を決定できないから恣意性という語を使ってる」(>>157)
「無数の要因に決定されるがゆえに枠組みごとに固有の、つまり枠組みを超える普遍性がないという意味で恣意的」(>>179) >>209
> ナリマセンw
「 これが意味が無い、と言ってます。」に対して>>195で
種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
前者は後者の前提ではあるが後者の議論を妨げないよね
と、別に議論を妨げないのだから「形而下で倫理のハナシをする場合、最初から議論を放棄してると同様」(>>188)」ということになっていない、と答えているが
>そして私の貼ってる連ツイを読めば、普遍的線引きが可能だと解るよ。
ざっくり読んだけど枠組みを超えて恒に「選好」される必然性が示されてない
いいとこ、その枠組みの人たちはその線引きが枠組みを超えて普遍的であると信じてる、という程度のことでしかなく、要するに信仰でありドグマに過ぎないだろ
> 恣意は何処までいっても恣意。現実に 撤 廃 を言ってる者達の論拠が人獣共通の現実に即してるから、彼等は普遍たり得る(筋が通せる)と考えてるから、キミの恣意では覆せません。
彼らが普遍たり得ると信じているかどうかと、実際にそれが普遍的であるかどうかは別の話
ムスリムがコーランを普遍的と考えたりクリスちゃんが聖書を普遍的と考えたりするとしても、それらが彼らのそれぞれの枠組みを超えて普遍的であることにならないのと同様
> 彼等が相手にするのは形而下事実だけ、だよ。形而上に入ればキミもろとも自滅するだけ、なので 撤 廃 を目指す彼らがキミを嗤って終わりにするのは当然だろう。
形而下事実だけから倫理は導出できないよ >>210
> キミが種差別議論やその基となってる功利主義を知らないのは事実だよね。
概要的な把握はしてたつもりだが詳細については知らなかったな
いずれにせよ君が貼ってくれたのを見る限り概ね間違ってなかったみたいだよ >>211
>キミの誤謬だと説明済み>>206
「 現実のルール形成に、現実の条件に即して考えて形作る倫理を、形而下以外の事柄から導く、というのは何処の狂人のうわごとだよ?w 」
についてだが、倫理は形而下の事柄に基づくとしてもそれだけで導出できるものではない、といってる
ヒュームのギロチンは自然主義的誤謬と別の話だと分かってるか?
> これも単に事実の指摘。
であるなら、まず逃げ口上であることの論証をしよう
> キミが「苦痛記号の表現」が唯一の判断基準である、という証拠証明を示せないのと同様、観測された事実をキミが選好するだけなんだから、研究成果があっても無意味だよね?
俺は「苦痛記号の表現」も恣意的な線引き条件の一つとしか考えてないし、それが唯一の判断基準であると主張してないから証明の必要がない
他方で君は、動物の人間との生体システムの同一性が動物を人間同様に扱うべき普遍的な根拠となると主張してるんだから
そのことを論証する必要があるし、
>>195で書いたように
「同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても、これは「同一でなければその限りではない」を否定していない
つまり「動物が人間と同一であれば扱いを区別できない、ゆえに同様の扱いが為される」が正しいとしても「動物が人間と同一でなければその限りではない」のだから
いま「人間と動物について生体システムは同一であっても概念の有無において同一でない」のであるなら畢竟「人間と動物は同一でない」のだから
「同様の扱いが為される」ことは導出できない
のだから、君の論証に伴って
人間同様の生体システム上での現象が人間以外においても必ず人間同様の概念を生じさせることの研究成果はまだ提示する必要が生じるだろ
> 先にも書いたが、それが形而下であっても他者ヒトに同様の苦痛概念があるかどうかの確認は不可能。生体システムの同一性等を否定するならば、キミが選好で縋ってる論拠も確証にいたる証拠とはならない。アタリマエだよ馬鹿w
「苦痛」という記号を用いる場合、記号論的にいってそこに記号に対応する抽象概念が(クオリアに差違があろうがあるまいが)存在することは明らかで、
それもまた個々の枠組みの恣意性によって「生体システム」と同様に線引き条件として採用(君のいう「選好」)の対象となり得る、といってる
「生体システム」だけの同一性から人間と動物を必ずしも同一視できない(普遍的に同一視できるのではない)ことは、例えば抽象概念の存在が動物において未検証であることから科学的に区別し得るということから明らかだし、
必ずしも同一視できない(普遍的に同一視できるのではない)両者を単に生体システムの同一性のみで同一視するとしたら、それは要するに普遍的でない線引き条件として「生体システム」を「選好」しているに過ぎないだろ >>211
> 独我論ならば他者存在は全て疑義の対象となるだけだよね。キミはそれも分ってないのか?
形而上でそうなったとしてそのことに何も不整合は生じないといってる
> 撤 廃 の意味を調べてからにしなよw
てっ‐ぱい【撤廃】
撤去して廃止すること。とりのぞきやめること。「赤字路線の―」「統制を―する」
> 単に私のレスをちゃんと読んでないだけだね。
まず俺の言ってることと言ってないことを区別してくれよ
そこからして君は出来ていないじゃん
俺の主張してないことについて攻撃しても藁人形論証にしかならない
> これも飽きたな。それを「ヒトにあって動物には無い」という否定の為の線引き条件に使ってるなら同じ事だよ。
ある人(や集団)が恣意的理由から「苦痛概念の有無」を線引き条件にすることも可能だ、と言ってるのであって
それが「生体システム」に代わって枠組みを超えた普遍的な線引き条件となる、と言ってるのではないよ
換言すれば「生体システム」も「苦痛概念の有無」も等しく枠組みに恣意的に生じる線引き条件の一つに過ぎない、と言ってる
> キミが「苦痛記号の表現」だけが唯一の判断基準と成り得る、という論理的な証明が出来たら、それを引っこめてあげるよ?
俺はそもそも全て線引き条件は枠組みの恣意性で決まると言ってるんだから、「苦痛記号の表現」が普遍的な線引き条件になるなどと主張していないんだよなあ
「生体システム」も「苦痛概念の有無」も等しく枠組みに恣意的に生じる線引き条件の一つに過ぎない、と言ってるのであって
君の求める論証は俺の主張と真っ向対立するものなんだが、なぜその論証のせきにを俺が負うのか説明してくれ
> キミはそれがキミ自身の選好基準でしかない、という意味が全くわかってないから、馬鹿だって言ってるんだよ?w
「苦痛記号の表現」も「生体システム」も枠組みの恣意性で決まるだけだと分かってるからこそ上記のように言ってる
君が俺の言ってることと言ってないことを混同してるだけ
俺が[「苦痛記号の表現」は枠組みの恣意性を超えた普遍性のある線引き条件だ]と主張してる箇所があるならレス番号と該当部分を抜き出してみてくれよ
> 何処でそれを証明した?独我論の意味もわかってないのでは?
独我論は認識論だがそれ自体が矛盾なく成立できるから独我論に何の不都合も生じない、といってる >>212
> ナリマセンw
じゃあそこで言ってる「意味」について説明してくれ
> 形而下では普遍的正邪判断でしかないので、恣意で分かれるなら「倫理として意味が無い」。キミは猿か?w
それは君がメタ倫理学における実在論の立場しか知らないと言ってるのと同義だよ
だからメタ倫を少し勉強したらいい
ウィキに書いてあること程度でもいい
> なんであれ、それはキミの選好基準としかならない、と言ってる意味が未だわからないの?
俺の、ではなく「生体システム」同様に線引き条件として選好され得るものの一つ、な
> 単にシステムの同一性と種の連続性。それを基準と出来ない、と自身の線引き基準を絶対だと言い張ってるだけで、その根拠も示せないキミが言ってるだけ。
自身の線引き基準を絶対だと言い張ってるってのはどこのこと?レス番号と該当部分を抽出してくれ
俺はそもそも枠組みを超えた普遍性のある線引き条件など無いという立場なんだが
> 先にも書いたが「否定の為の線引き基準として使っても同じ事」だよ。それが要らないなら「恣意で決まる」と云うだけで済む。よってキミは嘘吐きだねw
恣意的に決まるとはずっと言ってるし、そのことと、
「生体システム」も「記号による抽象概念の表現」も同様に線引き条件として恣意的に選好され得る候補の一つに過ぎない、ということが矛盾するのか?
矛盾しないなら両方を言うことに不都合はないはずだぞ? >>213
> ならばその主義が間違ってるんだろうねw
ともかくまずメタ倫理学を少しでいいからかじってきてくれ
実在論の立場しか知らないという前提で話されても埒が空かない
> 誰にでも把握可能で否定不可能な現実に即した功利主義が、その大枠で誰にも普遍的善で無いとは云い得ない、という部分までは、或る事実関係の錯誤以外は正しい。キミは種差別議論を知らないだけだよ。
功利主義が誰にでも把握可能で否定不可能な現実に即してることや、大枠で誰にも普遍的善で無いとは云い得ないことの説明をもう少し噛み砕いてやってみて
> キミは意味が分ってないままムリに反論しようとするから毎回ガバガバになるんだよ。私が此処で功利主義反種差別に関して仔細な解説は出来ないから、先に読んでこいよ。
ざっくり見たけど功利主義に功利主義を採用する枠組みを超えた普遍性があるとは思えないな
君もざっくりでいいからメタ倫理学を少しかじってきてくれよ
> どんな反応を苦痛記号とするのか?までを含めてキミとその研究支持者の恣意でしかない、というハナシだよ。それが唯一基準と成り得る、という根拠説明も出来ないまま繰り返すんだから、原理主義と同じだねw
俺は何かが「唯一基準と成り得る」と主張してないし、何がどう原理主義と同じなのか説明してくれ
レッテル貼りなら不毛だからそろそろやめた方がいい
「『苦痛』という記号そのもの」ないしはそれと通訳可能である記号だね
> それは 撤 廃 を目指す者の前では意味が無い、と説明済み。それが倫理外の基準であると言うなら、それで構わないが、キミは形而下の倫理がそうである、と言ってる。馬鹿だなw
撤廃を目指す者の前で意味がないというのは、教義を信ずる者の前では異論には意味がないと言うのと同義だね
効力を持たないという意味では確かに意味がないが、
だからといって彼らの信念が普遍といえないという事実を記述するという意味が失われるわけじゃない
俺は親切な先生じゃないから彼らの目を醒まさせようとしてるわけじゃなく前者の「意味」の有無には関心が無い
彼らの信念が普遍といえないという事実を記述するという「意味」があれば十分だが
> 否定論拠に援用してる時点で同じ、と何度も言ってます。それを誤魔化したいだけだねw
何が何と同じなのかな
[「生体システム」も「記号による抽象概念の表現」も線引き条件の候補の一つに過ぎない]と言うことと
[「記号による抽象概念の表現」が「生体システム」に優越する普遍的線引き条件だ]と言うことは全く異なる
俺は前者を言ってるだけなのに後者について論証が必要である理由は?
> 或る事実を無視すれば、完全に普遍的だよ?キミが知ろうとしないだけ。
ははは
「 或る事実を無視すれば」と限定してる時点で、完全に普遍的でないね >>214
> 195のどの部分に書いてある?
種差別撤廃論者の主張も特に普遍的なものでなく恣意的なものであるということと
彼らと別の特定の枠組みでそれが受け入れられるかどうか、受け入れられるとすればその余地はどのように見出だせるか、あるいは受け入れられないとしたらその阻害要因はどのようなものであるかは別の議論で
前者は後者の前提ではあるが後者の議論を妨げないよね
の部分
「種差別 撤 廃 」の可否判断に関るすべての主体のうち、そのような議論をしたい主体にとって特に無意味にならないよね
> 私はそんな事は書いてないからw
なら話は早いね
「同一であれば区別できない、ゆえに同様の扱いとなる」が仮に正しいとして、「同一でないならば、その限りではない」という考え方が成り立つ
いま「生体システム」に同一性があろうが他に差違がある二者があるとき、両者は「同一でないから、同様の扱いとなるとは限らない」だろ
> それこそキミの言う「枠組み」によって否定される、というハナシだけど、それは倫理 外 のハナシだから。
枠組みの恣意性で否定されたりされなかったりするなら何を線引き条件にするかは枠組みの恣意性で決まるんじゃん
> もしも科学的事実としてある「生体システムの同一性や種の連続性」を基にした苦痛か苦痛の概念を否定するならば、キミの言う科学的な真偽の判断も形而下であっても否定され得る、と言ってます。
は?
だからさ、「生体システムの同一性や種の連続性」と「苦痛の概念」に因果関係があるという検証について学術的な研究成果を出してくれと再三言ってるんだが、まだかな?
それが無ければ「生体システムの同一性や種の連続性」があることと「苦痛の概念」があるかどうかは科学的に不確かなんだが
…あのさ、これについて証拠があるならそれを出せば済む話だぜ?んで出せるような証拠が無いならば未検証、つまり「無い」と扱うのが科学の手法だが
もしかして非科学的な信仰のようなものを主張してるのか?
> どうでもいいんじゃなくて、キミには出来ない、という事だね。論拠が全て白紙になるだけなんだからw
そういうレッテル貼りをいつまで繰り返すのかな
形而上の話なら独我論の成立に問題は生じない、という話だが >>214
> 人類普遍のルールが有る、という説明も連ツイに解説済み。それは或る制限事由によって「そうしなければならない」と決められる。先に言うが「ルール違反の実在はルールの非存在を意味しない」。キミはこれすら分ってなっさそうだからw
そのルールは、聖書やコーランと同じで「それを信仰する者にとって普遍的」であるに過ぎないよ
後半についても同じ「神の法を犯す者がいても教典が普遍的なルールでないことにはならない」だろ?
> ではやってみる?すぐに終わるよ?
やってもいいが、回避の必要が無いから無駄だね
> 形而上ならば「全てがどうでもいい」の間違いだね。そして形而下ならばキミの云う事は自身の選好で「苦痛記号の表現」を基準としてるだけ、なので意味が無い。いつになったらそれがキミの恣意でしかない基準だと分る?
俺の選好ではないけどな
枠組みの恣意性が決める選好によって、線引き条件として採用されるものが「生体システム」であったり「苦痛記号の表現」であったりするだけで
どちらにも枠組みを超えた普遍性は無いよね、と言ってる
> その「再現」は「生体システムと種の連続性」否定との整合性が無いから選好でしかない、と言ってます。それを唯一の「苦痛の概念」の判定基準とする理由はいつ示せるの?
俺は[唯一の「苦痛の概念」の判定基準]など無いと言ってるし、「苦痛記号の表現」がそれに当たるなどとも言ってない
その俺が何について唯一の「苦痛の概念」の判定基準とする理由を説明する責任を負うのかな?
いつまで藁人形やるの?
> それが唯一の判断基準と成る、という根拠説明が無いから選好でしかない、と言ってます。根拠がないモノを絶対視するのは唯の宗教だなw
「 それが唯一の判断基準と成る」と俺がどこで主張したのか、藁人形でないならレス番号と該当部分の抽出で示してみよう
> 私は種差別議論は形而下の規範でしか有り得ない、と言ってるよ?形而上のハナシに逃げたいのはキミの都合。そして枠組みに捉われないルールは有り得るが、キミが知らないだけだよ?そして規範とルールは勿論別だよ馬鹿w
その形而下の規範には枠組みを超えた普遍性は無いよ、と言ってるよ
枠組みを超えた普遍的なルールがあるというけど、具体的には?
一応いっておくと「複数の枠組みにまたがるルール」と「例外なく全ての枠組みに当てはまるルール」の意味は違うよ >>215
> それを否定すれば、ヒトに於ける「再現性」も同様。
違うよ「PならばQ」という仮説についての再現実験と
「PならばQだから、RもQであろう」と連想することは別
[人間が「苦痛概念」を持つから、動物も「苦痛概念」を持つであろう]は後者
[人間は「苦痛概念」を持つ]ということを繰り返し歴史上で検証するのは前者
メタ倫だけじゃなく科学の勉強もしたらいい
>故に「自己と他者ヒトが同様に扱われるべき」とも言えなくなる。無論形而下でもね?未だ分らないのかw
で?っていう
枠組みの恣意的によってそういう線引き条件が決まることはあり得るだろうね
> 最後の段落にも同上。「枠組み」の場所が立場によって変わるだけ。キミは本当にアタマが悪いよねw
同上なら何も問題ないということになるが >>217-224
キミは言い逃れだけ続ければ何とかなると思ってるようだから、
今後は>>216に書いた内容に関してだけ、キミが答えられるまで同じ事を訊く事にするよ。
ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、観測上の「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>216
> 「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
記号論は知ってるか?
記号を抽象概念の表現手段として用いるということは、そこに抽象概念が存在していることは文の意味の上から恒真
> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
「動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターン」と君が言っているものが真に「苦痛概念の記号表現」であることをどうやって知るのかという問題がクリアされていない
> こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
> 一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
それらの現象が単なる機械的反応でなく抽象概念の記号表現であることがどう確認されてるのか学術的な研究成果を教えてくれ
> 「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それらの物質の放出が人間以外において抽象概念を生起させることの検証があるなら、それについての学術的な研究成果を示してくれ
単に同じ物質の放出があるというだけでは人間同様に何らかの抽象概念を生じていることの証拠にならない
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
> 事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、観測上の「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
どちらも等しく馬鹿馬鹿しいよ
なぜなら倫理は枠組みの恣意性で決まるのだから「生体システム」を線引き条件に選好するのも「記号による抽象概念の表現」を線引き条件に選好するのも、どちらも各々の枠組みを超えた普遍性があるとは言えないから
> 加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
> 将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
危うい、とは?何がどう危ういの?
で、それで言うなら将来的に生体システムを精密に再現したロボットとが現れたとして、それとヒトなり動物のなりをどう区別するのかな?
「生体システムの同一性」という線引き条件は、その時になってから条件によってそのロボットを除外するための別の基準を用いなければならない様なガバガバの線引き条件ってことになるのかな?
> (これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。)
で、形而上でそのことに何か問題が生じるかな? >>217-228
いつまで経っても同じ逃げ口上しか無い様なので、キミが別スレに貼った私の連ツイを読んだ後、
それに具体反論できたら、相手をしてあげるよ?
それまでは>>229を何度も読み直して、キミのアタマがどれだけ劣ってるか?という事をしっか認識しておいてください。 >>217-228
・・・さて、「苦痛概念」クンのダラダラ言い訳レスにざっと目を通したんだけど、
相変わらず「苦痛」だけではなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
唯単に「苦痛概念の表現が有るから、人間には苦痛が有る!動物にはそれが確認されない!だから、種差別して良い!!」らしいです。
現実には、ヒトと同一の生体システムに加え、苦痛を受けた時に放出されるストレスホルモン等の反応までが同一である事から
「苦痛が有る事」を科学的に否定出来る、と考える馬鹿は居ません・・・此処の概念クンだけw
それと、私の連ツイに関して「読んだ」と言ってる様だけど、コーランだのイスラムだの宗教価値観がどうのと言ってる時点で、まるで意味が分ってない。
「してはいけない理由」「そうしなければならない理由」に制限される事が人類共通なので、普遍的なルールと出来る、というハナシと宗教含めた「価値観」を混同してる時点で・・・
彼のアタマじゃナニかと不安だったけど、未だ、ちゃんと読んでないだけ、だと前向きに判断してあげよう。
ガバガバの言い訳を記号で装飾する暇が有るんだったら、私の言ってる内容をキチンと把握した上で、もうちょっと身の入った反論をオネガイします。 >>232
> いつまで経っても同じ逃げ口上しか無い様なので、キミが別スレに貼った私の連ツイを読んだ後、
逃げ口上だと主張するなら逃げ口上であることの論証をしよう
それが無ければ不毛なレッテル貼りにしかならない、と何度も言ってる
藁人形とレッテルばかりに見えるが、そうでないなら既に要求している通りレス番号と該当部分の抽出をしてくれ
>それに具体反論できたら、相手をしてあげるよ?
要求したレス番号と該当部分の抽出ができないなら、君は藁人形論証とレッテル貼りをしていることになるわけだが、それでは議論にならないから反論の必要があるのかどうか不明だな…
逃げるのでなければ先にそれらを示してくれよ
>>233
> 相変わらず「苦痛」だけではなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
相変わらずの藁人形だな
[「生体システム」を線引き条件にするのも「抽象概念の有無」を線引き条件にするのも、どちらも同様に枠組みを超えて普遍的な線引き条件とはならない]と言ってる
> 唯単に「苦痛概念の表現が有るから、人間には苦痛が有る!動物にはそれが確認されない!だから、種差別して良い!!」らしいです。
これも藁人形
[俺が「抽象概念」の有無を線引き条件に採用している]などとも言っていない
> 現実には、ヒトと同一の生体システムに加え、苦痛を受けた時に放出されるストレスホルモン等の反応までが同一である事から
> 「苦痛が有る事」を科学的に否定出来る、と考える馬鹿は居ません・・・此処の概念クンだけw
「苦痛の概念があろうが無かろうが生体システム上で苦痛と名付けた現象がありさえすれば、同様に扱うべき」というのは、個々の枠組みにとって恣意的に選ばれる線引き条件の一つの候補ではあるかもしれないが
枠組みを超えた普遍性はない、と言ってる
「苦痛の概念があろうが無かろうが生体システム上で苦痛と名付けた現象がある」ことと「同様に扱うべき」に因果関係は無いからだ(ヒュームのギロチン)
> それと、私の連ツイに関して「読んだ」と言ってる様だけど、コーランだのイスラムだの宗教価値観がどうのと言ってる時点で、まるで意味が分ってない。
同じことだよ
コーランも聖書も同じようなものだろと言われたムスリムは「違う!お前はまるで分かってない」と言うだろうね
> 「してはいけない理由」「そうしなければならない理由」に制限される事が人類共通なので、普遍的なルールと出来る、というハナシと宗教含めた「価値観」を混同してる時点で・・・
それを普遍的なルールとできるというドグマだろう あ、それから
>>225
私がそこで「私はそんなこと書いてないから」と言ってるのは、連ツイの中で、という事です。
読めばそれが倫理や功利主義、苦痛等のハナシじゃない、人類全体に共通する「枠組み」のハナシって事位は、キミのアタマでも判別できるのでは・・・? >>234
キミが「苦痛概念の表現有無」が絶対唯一の「動物には確認できないが、ヒトにだけは苦痛を感じてる証拠が有る」と出来る証拠、
それを事実と証明された研究結果(馬鹿かwこれも一観点からの憶測でしか有り得ない)?を出せれば、それで収めてあげるよ?
キミの惨めな食い下がりにこのまま付き合うより、私の連ツイ内容が具体的に覆される論拠が見てみたいんだが、キミのそのうろたえた態度から、期待できそうもないねぇ・・・ >>236
>>231のこれ↓なw
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w 動物と植物が全く同じだなんて思わないけど、どっちも命があるという点では同じなのに
「植物は食べてもいい」って線引きするおこがましさ?がいやだ。
たとえば「妊娠初期の胎児はまだ痛みを感じないので、中絶しても何ら構わないんだ」
という考えに賛同できないのと同じような気持ち。 「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を意味無く否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>236
> キミが「苦痛概念の表現有無」が絶対唯一の「動物には確認できないが、ヒトにだけは苦痛を感じてる証拠が有る」と出来る証拠、
俺はそんなこと主張してないけどまた藁人形かな?
「苦痛概念の表現有無」にしろ「生体システムの同一性」にせよ共に扱いをどうするべきかの線引き条件を個々の枠組みが恣意的に決める際の候補の一つに過ぎない、と言ってる
>>237
それがなぜ俺の主張が[「苦痛概念の記号化表現の有無」が枠組みを超えて普遍的な線引き条件である]ことの根拠になるんだ?
飛躍してるぞ?
> 何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
だからなぜ、「俺は生体システムの同一性同様に、普遍的でない線引き条件の例として抽象概念(の記号化表現)の有無を挙げてる」のに「抽象概念が普遍的な線引き条件になることの証明責任を負う」となるのか説明してくれよ
俺は自分の主張に無いことをなぜ証明しなければならないのか、答えてみ? >>239
> 動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
だから、生体システム上での現象だけでなく抽象概念を記号化して表現していることがどう学術的に検証されたか研究成果を提示してくれ、と言ってるんだがまだか?
他方で言語が抽象概念の記号化表現であることは記号論の分野で論理的に説明されている
> そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
状況証拠に過ぎないとしたら、言語は抽象概念の表現記号であるのではなく単なる意味を持たない音ないし模様に過ぎないということになるが、それでは再現的に言語コミュニケーションが成立することを説明できない
> 動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
これらは別に抽象概念を記号化しているかどうか不確かだね
恐怖反応というのも痛覚とかと同じく命名の問題でしかなく、
その反応が恐怖という抽象概念の記号化表現であるかどうか不確かじゃん
> それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を意味無く否定するのならば、
人間いがいにおいてもそれらの物理現象が抽象概念を伴うことが示されてないじゃん
> ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
既に言ったはずだが、能記が虚偽か真実かというのは関係ない
ここで問題にしているのは記号表現であるなら所記が存在するということと、記号といえないならば所記が存在するといえないということには差違がある、ということ
> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
「動物に抽象概念があることをいうために、動物のそれらの物理的振る舞いが抽象概念の記号化表現であることの説明をせよ」、と問うているのに対して
「それらの物理的振る舞いは記号化表現であるから、抽象概念もある」というのは循環論証でしかなく説明として機能していないぞ
論理的に頼む
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだから省くね >>239
> 動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
だから、生体システム上での現象だけでなく抽象概念を記号化して表現していることがどう学術的に検証されたか研究成果を提示してくれ、と言ってるんだがまだか?
他方で言語が抽象概念の記号化表現であることは記号論の分野で論理的に説明されている
> そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
状況証拠に過ぎないとしたら、言語は抽象概念の表現記号であるのではなく単なる意味を持たない音ないし模様に過ぎないということになるが、それでは再現的に言語コミュニケーションが成立することを説明できない
> 動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
これらは別に抽象概念を記号化しているかどうか不確かだね
恐怖反応というのも痛覚とかと同じく命名の問題でしかなく、
その反応が恐怖という抽象概念の記号化表現であるかどうか不確かじゃん
> それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を意味無く否定するのならば、
人間いがいにおいてもそれらの物理現象が抽象概念を伴うことが示されてないじゃん
> ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
既に言ったはずだが、能記が虚偽か真実かというのは関係ない
ここで問題にしているのは記号表現であるなら所記が存在するということと、記号といえないならば所記が存在するといえないということには差違がある、ということ
> それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
> という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
「動物に抽象概念があることをいうために、動物のそれらの物理的振る舞いが抽象概念の記号化表現であることの説明をせよ」、と問うているのに対して
「それらの物理的振る舞いは記号化表現であるから、抽象概念もある」というのは循環論証でしかなく説明として機能していないぞ
論理的に頼む
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだから省くね >>240
キミが毎度の如くハナシを逸らしたいのは知ってるんで、求められた疑義に対する返答、をしましょう♪
>>236 のハナシは
>>231のこれ↓なw
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w >>241
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる「苦痛概念の表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明をしたのか?」
また、単に「苦痛」の実在だけでなくそれがヒトとの扱いを別ける根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>242に関しても、>>244と同じく。
キミが、その「動物とヒトとの扱いを変えて良い根拠」として拠り所としてる「苦痛概念の表現」が
一 体 何 故 、それを別けられる根拠となれるのか?に関する客観的な論理根拠はいつになったら示せるのかな?
或いは、それが「別ける根拠」として唯一である、との 研 究 結 果 と そ の 証 明 は、何処に有るの?
キミは「倫理は其々個別の枠組みによって恣意的に決まる」と言ってるが、その実「キミ自身の都合によって、その都度好都合な枠組みを利用する」というだけなのを
他人様に見破られてないとでも思ってるの・・・?
単に自分がそうしてるって事すら分ってないだけなのかもしれないけどねw
そして、私が連ツイで云ってる事の意味は理解できたかな?
キミみたいな度のキツイ馬鹿にすら、それが全人類に共通する「してはいけない/しなければならない」という制限事由によって、
それを真としなければならない、という普遍的な枠組みの論理的根拠説明だよ。
無論、キミみたいに毎度都合によって選び直せる枠組みなどとは違って 「 動 か せ な い 」 枠組み、なんだけど、
は ん ろ ん し て も 、 い い ん だ よ ぅ ・・・?w
. ちなみに例のツイッターのやつをざっくり見た上で当然反論はあるんだけど、
まずここでやり取りしてる議論を決着させてくれ
1・「特定の刺激を伝達する生体システムに人間との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えて動物と植物の間に線を引くべき普遍的な理由となる」ことを説明してくれよ
2・ある枠組みが恣意的にそれを線引き条件として採用し、動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得ることは否定しないが、普遍的でないなら同時に他の枠組みが他の線引き条件を採用して違う所に線を引き得ることを否定できない
3・例えば「記号化表現を用いることで確認されるような抽象概念の存在」を線引き条件とし、それがある生物と無い生物との間に扱いを区別する線を引く、という線引きであってはならない普遍的な理由はどこにある?
こう俺は聞いてるんだが
で、3について、この線引き条件を採用した場合、「記号化表現を用いることで確認されるような抽象概念の存在」が再現的に検証できる者と、それ以外の間に線引きがされるわけだが、
この場合に動物と植物は今のところ科学的に共に後者に分類されてしまうのだから、この線引き条件を採用する枠組みであれば動物と植物の扱いを区別すべき理由はないことになる、と言ってる >>243
> ↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
レッテルを貼らなくていいから、なぜ俺が自分の主張に無いことの説明責任を負うのか説明してくれ
> キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
> 何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
だから「生体システム」も「抽象概念の記号化表現の有無」も共に絶対とならない、と言ってるんだが
いつまでこの藁人形続けるの?
> 単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w
俺は線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まると言ってるんだから
個々の線引き条件のどれもが普遍的にならない、と言ってるよ
どれかが普遍的になると言ってないのに君がすり替えてるだけ
なぜそのうちのどれか(例えば「抽象概念の記号化表現の有無」)が普遍的となることを他の線引き条件を採用するひとに説明する責任が生じるんだ?
それと「他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w 」についてだが、
同様のことを実在論しか認めない君に言いたいところだね
実在論以外の立場を認める者へ、実在論が普遍的であることの説明をしてくれよ >>246
1
キ ミ が 、 「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」ことを説明してくれたら、そうしてあげるよ?w
2
単に「生体システムの同一性」とヒトとの種の連続性。植物はヒト含めた動物とは違う生体システムを持っているから。動物と違う生体システムを植物が持ち、ヒトが動物と同じ生体システムを持ってる事は、
キミ以外の義務教育修了者ならば全員が知ってる事です。
故にそれに由来する「ヒト同様の苦痛を感じる能力が有る事」を以って「動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得る」事を、否定する事は 不 可 能 ですね。
3
キミがいつまで経ってもそれを証明出来ない事から明らかな様に「記号表現」が言語やノンバーバルによってのみ「それが在る事」の証明が可能、という根拠説明が存在し得ない>>244から、です。
3の線引きはキミが勝手に「動物は含まれない」と決めてるだけなので、その証明「動物によるノンバーバル反応や行動」が そ こ に 含 ま れ て は い け な い 理 由 を論理的に証明出来ない以上、相手にするまでも無い愚論ですが、
それ以前に 苦 痛 を 感 じ て る 、という物証(>>244に説明) だ け で は 、ヒ ト 同 様 の 配 慮 を し な く て よ く な る 理 由 が何処にも無いので、
単に自己都合によって好きな線引き基準を選んでるだけのキミのハナクソ持論には意味が無い、とゆってます♪ >>247
キミが毎度の如くハナシを逸らしたいのは知ってるんで、求められた疑義に対する返答、をしましょう♪
>>236 のハナシは
>>231のこれ↓なw
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w >>244
> キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる「苦痛概念の表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明をしたのか?」
記号論を勉強したらいい
> また、単に「苦痛」の実在だけでなくそれがヒトとの扱いを別ける根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
これについては、俺はそれが普遍的な根拠となると主張してないからね
俺は個々の枠組みの恣意性でどの線引き条件が採用されるかが決まると言ってるんだから、普遍的であるなどと言ってないしその説明責任も負うべき理由がない
君が勝手に俺に対して「お前はそれを普遍的な線引き条件としてる」とすり替えてるだけ
> 答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
永遠に藁人形繰り返すのかな?
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだから省くね >>245
> 一 体 何 故 、それを別けられる根拠となれるのか?に関する客観的な論理根拠はいつになったら示せるのかな?
線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まると言ってる
その理由は無数の要因から成立しており分析主義的還元はできない、ゆえに恣意性で決まると言い換えられる
と説明済み
> 或いは、それが「別ける根拠」として唯一である、との 研 究 結 果 と そ の 証 明 は、何処に有るの?
俺はそれが唯一であると主張してないから証明を負うべき理由がない
> キミは「倫理は其々個別の枠組みによって恣意的に決まる」と言ってるが、その実「キミ自身の都合によって、その都度好都合な枠組みを利用する」というだけなのを
恣意的という語をどういう意味で用いているかは説明済み
それを「キミ自身の都合」にすり替えてる藁人形
> は ん ろ ん し て も 、 い い ん だ よ ぅ ・・・?w
いまやってるこのスレの議論が終わったらやってもいいよ
もっとも既にヒントは大分前のレスで出してるけどね . >>247
因みに生体システムと共に ス ト レ ス ホ ル モ ン 分 泌 等 の 反 応 は、
それが 物 理 的 な 現 象 であるが故に、 「 物 証 」 なのですが、
これを「苦痛を感じてる証拠では無い」と否定できるのならば、同じくヒトにも有るそれ等の生理反応も苦痛が有る証拠とはなりませんし、
それ以前に、所詮「状況証拠」でしかない「苦痛概念の記号表現」などが 証 拠 と 成 り 得 な い の は ア タ リ マ エ ですね。
つまり、その場合動物同様に 他 者 ヒ ト も 、その苦痛に配慮する必要性は 一 切 無 く な る 、というワケです。
り か い で き ま し た か ?w
. >>250-251
どこの記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる「苦痛概念の表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明をしたのか?」
また、単に「苦痛」の実在だけでなくそれがヒトとの扱いを別ける根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>251
それが唯一の基準ではないのならば、「苦痛概念の記号表現」は単に
「 選 好 的 に 選 ば れ て る だ け の 基 準 」
でしかないので、生体システムの同一性とストレスホルモン分泌等反応の同一性という
物 証 によって、動物をヒトと同じ側に置き、植物をその外側に置く、という線引き基準を 普 遍 的 な 基 準 とする事が出来ます。
それから「このスレの議論」というのは終わらないよ?
今やってるのは議論ではなく、単にキミが自己都合によって枠組みをコロコロ変えてるだけ、という有様を嗤ってるだけ、だからw
そんなキミの惨めなアタマで、私の連ツイへの反論が不可能なのは判ってる事だけど、今のこの議題から逃れて息継ぎしたいのならば、
そこにどんな穴が有るのか?を論理的且つ具体的に指摘して見せて? >>250-251
どこの記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる<「苦痛概念の表現」を、いつ誰が「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的証拠と出来る、という証明」をしたのか?>という証拠は?
また、単に「苦痛」の実在だけでなく、それでなければヒトとの扱いを別けない根拠となるのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る」様に見えているだけで「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>248
> キ ミ が 、 「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」ことを説明してくれたら、そうしてあげるよ?w
また俺が主張してないことの説明を求めるのか…いつまで藁人形続けるの?
俺は線引き条件は個々の枠組みの恣意性で決まる、といっているのであって
「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」と主張してないけど?
枠組みを超える普遍的な線引き条件は「存在しない」と言ってるのに、なぜ「普遍的な線引き条件が存在し、普遍的な理由となること」を説明しなきゃいけないのか、説明してくれよ
> 単に「生体システムの同一性」とヒトとの種の連続性。植物はヒト含めた動物とは違う生体システムを持っているから。動物と違う生体システムを植物が持ち、ヒトが動物と同じ生体システムを持ってる事は、
「(人間との)生体システムの同一性の有無」が動物と植物の間にあることを否定していないよ
「生体システムの同一性があれば、なぜそれを普遍的に線引き条件としなければならないのか」について説明してくれ、と言ってる
> 故にそれに由来する「ヒト同様の苦痛を感じる能力が有る事」を以って「動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得る」事を、否定する事は 不 可 能 ですね。
区別する線を恣意的に引き得ることは、既に「ある枠組みが恣意的にそれを線引き条件として採用し、動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得ることは否定しないが、」と書いてる
問題は「それが普遍的な線引き条件とでなる理由」だよ
> キミがいつまで経ってもそれを証明出来ない事から明らかな様に「記号表現」が言語やノンバーバルによってのみ「それが在る事」の証明が可能、という根拠説明が存在し得ない>>244から、です。
記号論を勉強し、記号というものがどういうものであるかを知れば記号を用いるということはそこに所記があるということは明白
他方で人間以外が記号表現を用いていることが不確かならば、そこに所記があることも当然に不確かということも明白
>3の線引きはキミが勝手に「動物は含まれない」と決めてるだけなので、その証明「動物によるノンバーバル反応や行動」が そ こ に 含 ま れ て は い け な い 理 由 を論理的に証明出来ない以上、相手にするまでも無い愚論ですが、
人間が記号を用いることには再現可能な膨大な検証がある
他方で「動物によるノンバーバル反応や行動」が記号化された表現であることは不確かなはずだがね
無論これは反証可能性のある話で、[「動物によるノンバーバル反応や行動」が抽象概念の記号化表現である]という学術的な研究成果があるなら反証として出してくれ、と言ってるのに
それを出さない、ゆえに反証を成立させられないのは君だよね
> それ以前に 苦 痛 を 感 じ て る 、という物証(>>244に説明) だ け で は 、ヒ ト 同 様 の 配 慮 を し な く て よ く な る 理 由 が何処にも無いので、
無くて当然だよ
「しなくていいかどうか」は「しなければならないかどうか」と同義であり、そこに普遍性は無い、個々の枠組みの恣意性で決まる、というのが俺の主張だからね
こちらが主張していないことの説明が無いのは当然だろ?
> 単に自己都合によって好きな線引き基準を選んでるだけのキミのハナクソ持論には意味が無い、とゆってます♪
こういう不毛な言葉を並べて優位に立てると思ってるのか知らないけどあまり感心はしないな >>256
>>246 への返答は ↓ なので、具体的な論理根拠を以って再反論してみてね♪
1
キ ミ が 、 「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」ことを説明してくれたら、そうしてあげるよ?w
2
単に「生体システムの同一性」とヒトとの種の連続性。植物はヒト含めた動物とは違う生体システムを持っているから。動物と違う生体システムを植物が持ち、ヒトが動物と同じ生体システムを持ってる事は、
キミ以外の義務教育修了者ならば全員が知ってる事です。
故にそれに由来する「ヒト同様の苦痛を感じる能力が有る事」を以って「動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得る」事を、否定する事は 不 可 能 ですね。
3
キミがいつまで経ってもそれを証明出来ない事から明らかな様に「記号表現」が言語やノンバーバルによってのみ「それが在る事」の証明が可能、という根拠説明が存在し得ない>>244から、です。
3の線引きはキミが勝手に「動物は含まれない」と決めてるだけなので、その証明「動物によるノンバーバル反応や行動」が そ こ に 含 ま れ て は い け な い 理 由 を論理的に証明出来ない以上、相手にするまでも無い愚論ですが、
それ以前に 苦 痛 を 感 じ て る 、という物証(>>244に説明) だ け で は 、ヒ ト 同 様 の 配 慮 を し な く て よ く な る 理 由 が何処にも無いので、
単に自己都合によって好きな線引き基準を選んでるだけのキミのハナクソ持論には意味が無い、とゆってます♪ >>249
既に回答済みのコピペのようだからレスは省くね
>>252
> これを「苦痛を感じてる証拠では無い」と否定できるのならば、同じくヒトにも有るそれ等の生理反応も苦痛が有る証拠とはなりませんし、
俺はいま生理反応が苦痛概念がある証拠となる、と主張してないからね
> それ以前に、所詮「状況証拠」でしかない「苦痛概念の記号表現」などが 証 拠 と 成 り 得 な い の は ア タ リ マ エ ですね。
記号論を勉強したら、ある記号表現が存在するときとこに所記が存在することは明白です
君の勉強不足でしょう
>>253
> どこの記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
> を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
記号論を勉強したら、記号表現には所記が存在するが、記号表現でない現象についてはそうでないと分かるよ
そして科学的には未検証の事実は真と扱わないので、君の挙げた動物における現象が記号化表現であることが科学的に未検証ならば、動物における君の挙げた現象が所記を伴うことは真と扱えない
真と扱いたいならば、動物が抽象概念を記号化表現するという学術的な研究成果を出してくれと言ってるのはこのため
そして、そういった科学的な成果が提示できないならば、所記であるところの抽象概念の有無で線引きをした場合は、現代の科学では動物と植物のは線の同じ側にいくことになる、と言ってる
無論、将来的に動物や植物に抽象概念が検証されれば、この線引き条件によって人間と動物と植物は線の同じ側に来るだろうね
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだからレスは省くね .
ついでに、>>256で懲りずに繰り出してる記号論の不毛さに関しては、↓ねw
>>247
因みに生体システムと共に ス ト レ ス ホ ル モ ン 分 泌 等 の 反 応 は、
それが 物 理 的 な 現 象 であるが故に、 「 物 証 」 なのですが、
これを「苦痛を感じてる証拠では無い」と否定できるのならば、同じくヒトにも有るそれ等の生理反応も苦痛が有る証拠とはなりませんし、
それ以前に、所詮「状況証拠」でしかない「苦痛概念の記号表現」などが 証 拠 と 成 り 得 な い の は ア タ リ マ エ ですね。
つまり、その場合動物同様に 他 者 ヒ ト も 、その苦痛に配慮する必要性は 一 切 無 く な る 、というワケです。
り か い で き ま し た か ?w
・・・「言葉という記号を使って表現し、再現し得る事」を「ヒトと、言語を操れない動物の扱い方を別ける理由」の条件とするのは、それこそ幼稚園児にすら出来るハナクソ論理だけど、
いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w >>258
>>249には言い逃れしか返ってきてないようなので、繰り返すね?
>>247
キミが毎度の如くハナシを逸らしたいのは知ってるんで、求められた疑義に対する返答、をしましょう♪
>>236 のハナシは
>>231のこれ↓なw
> それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
それを言うなら同様に「苦痛という記号に対応する概念に同一性があるといえないのに、単に生体システムの同一性のみがあれば人間同様に扱うべき」とする謎の論理根拠が未だ提示されていないわけだが
↑はキミが自己に不都合な事の返答をかわす、典型的なやり口だよねw
キミが「自分の線引き基準では無い」と毎度言い訳しながらも、それを「動物の苦痛があるとは言えない」の根拠として縋ってる事由が、
何故絶対であるのか?何故それを判別基準と出来るのか?という具体根拠は示せないまま・・・
単に自身の選好、自己都合に合う事由を絶対基準として強弁してるだけで、他の立場をとる者への説明証明と成り得ない、という事位はそろそろ分るべきでは?w >>254
> それが唯一の基準ではないのならば、「苦痛概念の記号表現」は単に
> 「 選 好 的 に 選 ば れ て る だ け の 基 準 」
そう言ってるよ
「これは普遍的な線引き条件とならない」とね
> でしかないので、生体システムの同一性とストレスホルモン分泌等反応の同一性という
> 物 証 によって、動物をヒトと同じ側に置き、植物をその外側に置く、という線引き基準を 普 遍 的 な 基 準 とする事が出来ます。
いや、だから「抽象概念の記号化表現の有無」が「普遍的な線引き条件とならない」のと同様に、その線引き条件も「普遍的な線引き条件とならない」と言っています
> 今やってるのは議論ではなく、単にキミが自己都合によって枠組みをコロコロ変えてるだけ、という有様を嗤ってるだけ、だからw
俺は一貫して「線引き条件は枠組みの恣意性で決まる、枠組みを超えた普遍的な線引き条件はない」と言ってますよ
なにがどうコロコロ変わってるのか、藁人形やレッテル貼りでないならレス番号と該当部分を抽出してしめしてくれよ
> そこにどんな穴が有るのか?を論理的且つ具体的に指摘して見せて?
既にヒントは出してるけどね
まずは藁人形疑惑に回答してくれよ
>>255
既に回答済みのコピペのようだからレスは省くね >>258 残りの部分も、いつまで経っても自身が出すべき証拠を出さない為の言い逃れと、自身の論拠が正しい、という根拠の無い強弁のみなので、繰り替えすね?w
ねぇ、いったい何処の記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる<「苦痛概念の記号表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明となる」と示せたのか?
また、単に「苦痛」の実在だけでなく、それでなければヒトとの扱いを別けない根拠とならないのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る様に見えているだけ」で「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>261
>>254の内容は ↓ なので、キミの云ってる事は単にキミの都合で選好的に選ばれてる言い訳でしかない、という事になります。具体論拠や証拠証明はいつになったら出せるの?w
>>251
それが唯一の基準ではないのならば、「苦痛概念の記号表現」は単に
「 選 好 的 に 選 ば れ て る だ け の 基 準 」
でしかないので、生体システムの同一性とストレスホルモン分泌等反応の同一性という 物 証 によって、動物をヒトと同じ側に置き、
植物をその外側に置く、という線引き基準を 普 遍 的 な 基 準 とする事が出来ます。
それから「このスレの議論」というのは終わらないよ?
今やってるのは議論ではなく、単にキミが自己都合によって枠組みをコロコロ変えてるだけ、という有様を嗤ってるだけ、だからw
そんなキミの惨めなアタマで、私の連ツイへの反論が不可能なのは判ってる事だけど、今のこの議題から逃れて息継ぎしたいのならば、
そこにどんな穴が有るのか?を論理的且つ具体的に指摘して見せて?
キミみたいな度のキツイ馬鹿に、私の連ツイの穴の指摘など不可能なので、どうせ自身の価値観のみによってコロコロ枠組みを変えた難癖しか出せないんだろうから、もったいぶった所で、キミの赤っ恥が先延ばしになるだけ、だよ?w >>257
既に回答済みのコピペのようだからレスは省くね
>>259
前半は既に回答済みのコピペのようだからレスは省くね
> いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w
こういうレッテルは不要ですよ
>>260
既に回答済みのコピペのようだからレスは省くね
>>262
> 残りの部分も、いつまで経っても自身が出すべき証拠を出さない為の言い逃れと、自身の論拠が正しい、という根拠の無い強弁のみなので、繰り替えすね?w
俺が主張してないことについて俺が説明責任を負うべき理由の説明は?
君が、俺が自分の主張してないことの説明をしないことを言い逃れとレッテル貼りし、ゆえに俺の主張が誤りであると強弁するためには上記の説明が必要なはずだが
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだからレスは省くね .
「概念」クンの言い逃れ「俺の線引き基準じゃない」によって「藁人形」扱いされてる私の指摘が正しいのは、彼がその線引き基準によって
「動物には苦痛概念が有るとは云えない」と断定してる事から明確なんだけど、彼はそれで誤魔化せると本気で考えてるのかな・・・?ww
まぁ、>>262で書いてる事と、>>259の ↓ で、彼の頭蓋骨に猿の大便が詰まってるって事実が判るかと思われます・・・
・・・「言葉という記号を使って表現し、再現し得る事」を「ヒトと、言語を操れない動物の扱い方を別ける理由」の条件とするのは、それこそ幼稚園児にすら出来るハナクソ論理だけど、
いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w
単に「動物は言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが配慮しなくて良い」と省略可能な論拠は、それが「苦痛を感じてる者には、感じさせない様にする方が善い」
に対して何の釈明にもなってない、という事すらも分らない様な馬鹿が中学生動物愛護に雑食者全員が嗤い者にされる理由になってるんだと思います。
それと、毎回毎回「それは自分の基準じゃない」と嘘を吐いて藁人形扱いしたり、「普遍たり得る根拠が有る」という説明をしてあげても、ガバガバな自説同様に「それも枠組みで決まる」んだと強弁したりするだけで延々逃げられると思ってるのならば、
私の連ツイを読めば、全人類に普遍な線引き基準は有り得る事、それがキミ程度のアタマでは到底覆せない事、が分る筈なので、ダラダラ時間稼ぎするぐらいなら、さっさとその話題に移り、首を落とされて楽になったらどうだろうか・・・?w >>264
言い逃れ以外の反応が無かったようなので、繰り返すね?
>>246 への返答は ↓ なので、具体的な論理根拠を以って再反論してみてね♪
1
キ ミ が 、 「他者ヒトにもキミ自身との同一性があるかどうかという線引き条件が枠組みを超えて普遍的に存在し、ゆえに枠組みを超えてキミ自身と他者ヒトとの間に線を引いてはいけない普遍的な理由となる」ことを説明してくれたら、そうしてあげるよ?w
2
単に「生体システムの同一性」とヒトとの種の連続性。植物はヒト含めた動物とは違う生体システムを持っているから。動物と違う生体システムを植物が持ち、ヒトが動物と同じ生体システムを持ってる事は、
キミ以外の義務教育修了者ならば全員が知ってる事です。
故にそれに由来する「ヒト同様の苦痛を感じる能力が有る事」を以って「動物と植物の間に扱いを区別すべき線を引き得る」事を、否定する事は 不 可 能 ですね。
3
キミがいつまで経ってもそれを証明出来ない事から明らかな様に「記号表現」が言語やノンバーバルによってのみ「それが在る事」の証明が可能、という根拠説明が存在し得ない>>244から、です。
3の線引きはキミが勝手に「動物は含まれない」と決めてるだけなので、その証明「動物によるノンバーバル反応や行動」が そ こ に 含 ま れ て は い け な い 理 由 を論理的に証明出来ない以上、相手にするまでも無い愚論ですが、
それ以前に 苦 痛 を 感 じ て る 、という物証(>>244に説明) だ け で は 、ヒ ト 同 様 の 配 慮 を し な く て よ く な る 理 由 が何処にも無いので、
単に自己都合によって好きな線引き基準を選んでるだけのキミのハナクソ持論には意味が無い、とゆってます♪ .
「概念」クンの言い逃れ「俺の線引き基準じゃない」によって「藁人形」扱いされてる私の指摘が正しいのは、彼がその線引き基準によって
「動物には苦痛概念が有るとは云えない」と断定してる事から明確なんだけど、彼はそれで誤魔化せると本気で考えてるのかな・・・?ww
まぁ、>>262で書いてる事と、>>259の ↓ で、彼の頭蓋骨に猿の大便が詰まってるって事実が判るかと思われます・・・
・・・「言葉という記号を使って表現し、再現し得る事」を「ヒトと、言語を操れない動物の扱い方を別ける条件」とするのは、それこそ幼稚園児にすら出来るハナクソ論理だけど、
いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w
単に「動物は言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが配慮しなくて良い」と省略可能な論拠は、それが「苦痛を感じてる者には、感じさせない様にする方が善い」
に対して何の釈明にもなってない、という事すらも分らない様な馬鹿が居る所為で、中学生動物愛護にすら雑食者全員が嗤い者にされる理由になってるんだと思います。
それと、毎回毎回「それは自分の基準じゃない」と嘘を吐いて藁人形扱いしたり、「普遍たり得る根拠が有る」という説明をしてあげても、ガバガバな自説同様に「それも枠組みで決まる」んだと強弁したりするだけで延々逃げられると思ってるのならば、
私の連ツイを読めば、全人類に普遍な線引き基準は有り得る事、それがキミ程度のアタマでは到底覆せない事、が分る筈なので、ダラダラ時間稼ぎするぐらいなら、さっさとその話題に移り、首を落とされて楽になったらどうだろうか・・・?w ほらきた
コピペとレッテル貼り
アスペだから1つの事にこだわりだし、自分が不利になると思考停止しコピペとレッテル貼りで精神勝利めざすトリパン
渡辺雅と同じタイプw .
・・・それとも、彼は「物証が在る事」の意味が分ってないのかな?
「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性
= 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、
その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、
その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw
此処に「言葉での苦痛概念記号表現とその再現性」を以って「ヒトだけは違う」と強弁し続けた所で、>>262で説明済みの様に動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習によって
「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。
唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、
それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能なウンスジ付けた幼稚園児の謎理論・或る種神秘的なハナクソに還元されてしまいます・・・
いずれにせよ、成人とは考え難い程の浅ましい言い逃れを装飾して何度も塗り重ねる手間があったら、論理的一貫性の有る思考法を身に付けましょう・・・元がそれじゃあ、ムリだろうけどw
因みに、私が言う「或る事実を無視すれば、功利主義による種差別撤廃主張は普遍倫理基準と成り得る」というのは、その「或る事実(二つ有る)」が、一方は長々「無い事」とされ続けてきた所為で、
他方は「恐らくは、そうでない事を事実だと認識されてる=錯誤」か、意図的に流布されてる嘘、によって普遍足りえない、という理由から{或る事実を無視すれば}という但し書きが付いてるだけ、ですので
お猿の「概念」クンはその事に充分留意して、私の連ツイにある「全人類普遍の線引き根拠・ルールと出来る、或る理由」の説明を、なんとか覆すべく頑張ってみましょう♪
.
. >>265
> 「概念」クンの言い逃れ「俺の線引き基準じゃない」によって「藁人形」扱いされてる私の指摘が正しいのは、彼がその線引き基準によって
> 「動物には苦痛概念が有るとは云えない」と断定してる事から明確なんだけど、彼はそれで誤魔化せると本気で考えてるのかな・・・?ww
俺は「その線引き条件によって、動物には苦痛概念が有るとは云えない」と言ってるのではないので藁人形ですね
俺が言ってるのは「動物に苦痛概念が有るとは云えないので、苦痛概念の有無を線引き条件として採用する枠組みにおいては、引かれた線の同じ側に動物と植物が位置付けられる」です
> 単に「動物は言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが配慮しなくて良い」と省略可能な論拠は、
倫理は個々の枠組みごとに恣意的に決まるのであって、仮に「言葉を喋ることができない者には配慮しなくてよい」という倫理を採用する枠組みがあるという前提で思考実験することも可能
>それが「苦痛を感じてる者には、感じさせない様にする方が善い」
> に対して何の釈明にもなってない、という事すらも分らない様な馬鹿が中学生動物愛護に雑食者全員が嗤い者にされる理由になってるんだと思います。
そもそも倫理は個々の枠組みの恣意性で決まるのであり枠組みを超えた普遍性によるのではないから、釈明の必要が生じない
> それと、毎回毎回「それは自分の基準じゃない」と嘘を吐いて藁人形扱いしたり、
俺の嘘であり君の藁人形でないなら、俺がそのように主張している箇所をレス番号と該当部分の抽出で示してくれと再三いってるのだが、君はそれをできないでいるよね
なぜできないのかな?藁人形だからでしょ?
>「普遍たり得る根拠が有る」という説明をしてあげても、ガバガバな自説同様に「それも枠組みで決まる」んだと強弁したりするだけで延々逃げられると思ってるのならば、
コーランは普遍!と言ってるのと変わらず、普遍たり得る根拠になってないから普遍と認められないと言ってる
> 私の連ツイを読めば、全人類に普遍な線引き基準は有り得る事、それがキミ程度のアタマでは到底覆せない事、が分る筈なので、ダラダラ時間稼ぎするぐらいなら、さっさとその話題に移り、首を落とされて楽になったらどうだろうか・・・?w
読んだ上で言ってるけど、読む前からの予想の範囲を出るものじゃなかったね
反論は持ってるし、ヒントは既に示してると書いたが、なぜ俺が「自然主義的誤謬」の方でなく「ヒュームのギロチン」を持ち出したかを、俺が言ってきたことと併せて少し考えてみたらいい
その際、君の作った藁人形の発言でなく、俺の主張と併せて考えないと俺の反論に思い当たらないかもしれない
まあいずれにせよ君が藁人形に向き合って俺の主張と向き合わないままでは話は進まないのだから、話題を移したいならその前に今やってる話を終わらせようね
差し当たり藁人形疑惑に回答してくれよ
>>265-267
既に回答済みのコピペのようだからレスは省くね >>269
苦痛の概念なんて個人の感情でしかないんだから、苦痛あるからなんては種差別の論拠にならない >>270
キミが連ツイを読んでない、或いは読んでも意味が分ってないのは、その明後日向いた反応から明らかですし、私が藁人形に釘を打ってないのも、キミのうろたえた言い繕いから公衆に明らかと知られるところですね♪
>>271
そして未だに功利主義のさわりにすらも触れていない、と。
では、キミが藁人形扱いしたくとも出来ない論拠、を楽しく読んでね♪↓
・・・やはり彼は「物証が在る事」の意味が分ってないのかな?
「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性
= 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、
その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、
その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw
此処に「言葉での苦痛概念記号表現とその再現性」を以って「ヒトだけは違う」と強弁し続けた所で、>>262で説明済みの様に動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習によって
「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。
唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、
それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能なウンスジ付けた幼稚園児の謎理論・或る種神秘的なハナクソに還元されてしまいます・・・
いずれにせよ、成人とは考え難い程の浅ましい言い逃れを装飾して何度も塗り重ねる手間があったら、論理的一貫性の有る思考法を身に付けましょう・・・元がそれじゃあ、ムリだろうけどw
因みに、私が言う「或る事実を無視すれば、功利主義による種差別撤廃主張は普遍倫理基準と成り得る」というのは、その「或る事実(二つ有る)」が、一方は長々「無い事」とされ続けてきた所為で、
他方は「恐らくは、そうでない事を事実だと認識されてる=錯誤」か、意図的に流布されてる嘘、によって普遍足りえない、という理由から{或る事実を無視すれば}という但し書きが付いてるだけ、ですので
お猿の「概念」クンはその事に充分留意して、私の連ツイにある「全人類普遍の線引き根拠・ルールと出来る、或る理由」の説明を、なんとか覆すべく頑張ってみましょう♪
. 書き忘れたが、>>270
つーか、私の連ツイの内容には、ヒュームのギロチンなんてまったく関係し様が無いですからw
読んでたら、ヒト健常者の成人がそんな馬鹿な返しするなんて有り得ないよねw
そして、>>265は書き損じがあったので、正しくは此方♪↓
「概念」クンの言い逃れ「俺の線引き基準じゃない」によって「藁人形」扱いされてる私の指摘が正しいのは、彼がその線引き基準によって
「動物には苦痛概念が有るとは云えない」と断定してる事から明確なんだけど、彼はそれで誤魔化せると本気で考えてるのかな・・・?ww
まぁ、>>262で書いてる事と、>>259の ↓ で、彼の頭蓋骨に猿の大便が詰まってるって事実が判るかと思われます・・・
・・・「言葉という記号を使って表現し、再現し得る事」を「ヒトと、言語を操れない動物の扱い方を別ける条件」とするのは、それこそ幼稚園児にすら出来るハナクソ論理だけど、
いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w
単に「動物は言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが配慮しなくて良い」と省略可能な論拠は、それが「苦痛を感じてる者には、感じさせない様にする方が善い」
に対して何の釈明にもなってない、という事すらも分らない様な馬鹿が居る所為で、中学生動物愛護にすら雑食者全員が嗤い者にされる理由になってるんだと思います。
それと、毎回毎回「それは自分の基準じゃない」と嘘を吐いて藁人形扱いしたり、「普遍たり得る根拠が有る」という説明をしてあげても、ガバガバな自説同様に「それも枠組みで決まる」んだと強弁したりするだけで延々逃げられると思ってるのならば、
私の連ツイを読めば、全人類に普遍な線引き基準は有り得る事、それがキミ程度のアタマでは到底覆せない事、が分る筈なので、ダラダラ時間稼ぎするぐらいなら、さっさとその話題に移り、首を落とされて楽になったらどうだろうか・・・?w >>269
> ・・・それとも、彼は「物証が在る事」の意味が分ってないのかな?
> 「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性
記号コミュニケーションが成立し、記号が記号として存在することを形而下事実と認めるならば、記号というものの性質からそこに所記が存在することは自明だが?
そして記号の存在についての物証は、ある音や形が記号として用いられている無数の記述や音源がそれにあたるわけだが?
それとも記号というものは存在せず、単に「無意味な音や形が記号に見えてるだけ」なのかな?
だとすると記号コミュニケーションもまた無意味な音や形の無意味な連続に過ぎず「成立してるように見えてるだけ」なのかな?
膨大な物証や検証があり再現的に実験がリアルタイムで進行してるのに?
単に「帰納推論は恒に普遍的な真理を表現できない」と言ってるだけなら、それは確かに帰納推論の性質ではあるが、
そのことから帰納推論を否定するならそもそも自然科学は成立しないし、それゆえに反証主義が採用されるのが科学なわけだが、
これを「そう見えてるだけかもしれない、認めない」というなら「生体システムの同一性についての物的証拠」すら「そう見えてるだけかもしれない」と言うことができるはずだが?
> = 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、
個々の枠組みの恣意性により、枠組みによっては「生体システム」を線引き条件に採用し、「ヒトと動物を別けられない」ような線の引きかたをすることができることを否定していないよ
ただしその線引き条件は枠組みを超えた普遍性でもってあらゆる枠組みで採用されるべきとする理由がない、と言ってる
その意味で「抽象概念の記号化表現の有無」と同じく、それを線引き条件として採用するというのは一つのローカルルールに過ぎない、と言ってる
> その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、
> その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw
いや、「生体システム」によって動物と植物の間に線を引くこともできるが、
「抽象概念の記号化表現の有無」で動物と植物を同じ側に置くような線の引きかたもできる、といってる
どちらか(あるいは他の無数の線引き条件を含めたうちのどれか)が普遍的で他の線引き条件の成立を妨げるのではなく、
単に枠組みの恣意性でどちらが(どの線引き条件が)採用されるかの問題に過ぎない、と言ってる
そして言い換えれば、「生体システム」にしろ「抽象概念の記号化表現の有無」にしろ、あるいは他の線引き条件にしろ、
たまたまある条件を線引き条件に採用した枠組みにおいては、それを採用したがゆえにそのような線の引きかたがなされるというだけであり、
その条件が当該の枠組みを超えて普遍的に採用されるべき理由はない、と言ってる
> 「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。
それが「抽象概念の記号化表現」であるという学術的な検証がないというのが現在の事実では?
学術的な検証があるというなら提示してくれと再三要求しているが、どうなの?
で、そういった検証が存在しないならば、今のところその線引き条件を採用する場合には動物は植物と同じ側に置かれるよね
> 唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、
別に俺は「抽象概念の記号化表現」だったり「言語」だったり、あるいは「生体システム」だったりというのは個々の枠組みで恣意的に決まる線引き条件の一つでしかないと言ってるだけで
「枠組みにかかわらず記号化表現あるいは言語が線引き条件として普遍的に採用さればならない」と言ってないけど?
> それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能な
過失か故意かは知らないが、ちょっと違うな
「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、ヒトの言葉を喋るかどうかを線引き条件とするなら、動物は植物と同じ側に置かれる」だな >>269
> 因みに、私が言う「或る事実を無視すれば、功利主義による種差別撤廃主張は普遍倫理基準と成り得る」というのは、その「或る事実(二つ有る)」が、一方は長々「無い事」とされ続けてきた所為で、
> 他方は「恐らくは、そうでない事を事実だと認識されてる=錯誤」か、意図的に流布されてる嘘、によって普遍足りえない、という理由から{或る事実を無視すれば}という但し書きが付いてるだけ、ですので
> お猿の「概念」クンはその事に充分留意して、私の連ツイにある「全人類普遍の線引き根拠・ルールと出来る、或る理由」の説明を、なんとか覆すべく頑張ってみましょう♪
その話に移るのは先にしている方の話が片付いてからだね
既にしている話から論点をずらすために別の話を始めるような相手と新しい論点で話をしたところで
新しい論点の方でもまた都合により論点をずらしていくというようなことが繰り返されるのであれば不毛だからね
君がそういう論者でないことを示してくれよ >>277
植物は良くて、
動物はダメ。って何で? >>272
> キミが連ツイを読んでない、或いは読んでも意味が分ってないのは、その明後日向いた反応から明らかですし、私が藁人形に釘を打ってないのも、キミのうろたえた言い繕いから公衆に明らかと知られるところですね♪
そういう不毛なレッテルは不要だから早く俺が要求しているレス番号と該当部分の抽出をして藁人形でないことを示してくれよ
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだからレスは省くね
>>273
> つーか、私の連ツイの内容には、ヒュームのギロチンなんてまったく関係し様が無いですからw
ヒュームのギロチンを理解してないんですね
> 「概念」クンの言い逃れ「俺の線引き基準じゃない」によって「藁人形」扱いされてる私の指摘が正しいのは、彼がその線引き基準によって
> 「動物には苦痛概念が有るとは云えない」と断定してる事から明確なんだけど、彼はそれで誤魔化せると本気で考えてるのかな・・・?ww
俺は「その線引き条件によって、動物には苦痛概念が有るとは云えない」と言ってるのではないので藁人形ですね
俺が言ってるのは「動物に苦痛概念が有るとは云えないので、苦痛概念の有無を線引き条件として採用する枠組みにおいては、引かれた線の同じ側に動物と植物が位置付けられる」です
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだからレスは省くね >>274
そう唱える人たちの枠組みでは恣意性でそういう線引きをするような条件の採用が決まっているから
つまりたまたまそういうローカルルールだというだけだね >>279
植物は良くて、
動物はダメ。って何で? >>276
それで、動物に於ける苦痛概念の表現だけがその根拠の外側に置かれる根拠説明は何処に?
動物に於けるそれだけを証拠と採らない根拠説明が出来ないのであれば、所詮が状況証拠でしかありえないそれよりも 物 的 証 拠 である生体システム等の同一性によって動物とヒトの扱いは別けられないまま、だよねw
よって、ナニひとつ具体反論とはなってないので、もう一度♪↓
・・・やはり彼は「物証が在る事」の意味が分ってないのかな?
「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性
= 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、
その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、
その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw
此処に「言葉での苦痛概念記号表現とその再現性」を以って「ヒトだけは違う」と強弁し続けた所で、>>262で説明済みの様に動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習によって
「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。
唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、
それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能なウンスジ付けた幼稚園児の謎理論・或る種神秘的なハナクソに還元されてしまいます・・・
いずれにせよ、成人とは考え難い程の浅ましい言い逃れを装飾して何度も塗り重ねる手間があったら、論理的一貫性の有る思考法を身に付けましょう・・・元がそれじゃあ、ムリだろうけどw
因みに、私が言う「或る事実を無視すれば、功利主義による種差別撤廃主張は普遍倫理基準と成り得る」というのは、その「或る事実(二つ有る)」が、一方は長々「無い事」とされ続けてきた所為で、
他方は「恐らくは、そうでない事を事実だと認識されてる=錯誤」か、意図的に流布されてる嘘、によって普遍足りえない、という理由から{或る事実を無視すれば}という但し書きが付いてるだけ、ですので
お猿の「概念」クンはその事に充分留意して、私の連ツイにある「全人類普遍の線引き根拠・ルールと出来る、或る理由」の説明を、なんとか覆すべく頑張ってみましょう♪
. >>277
私が既に完全にキミの言い逃れを塞いでしまってるのは周知であるので、キミが不毛な事を続けたいのは、私の連ツイには一切反論不可能である事を知ってるか、或いは未だに読んでないだけ、という証拠だねw
>>279
私の連ツイを読んでないからこそ、或いは理解して無いからこそ、ヒュームのギロチンが関係有るんだと思い込んでるだけ、だよw
さて、私のいう事が藁人形では無い、というのは一目瞭然なので、それを否定したければ、もう一度頑張って?w↓
私の連ツイの内容には、ヒュームのギロチンなんてまったく関係し様が無いですからw
読んでたら、ヒト健常者の成人がそんな馬鹿な返しするなんて有り得ないよねw
そして、>>265は書き損じがあったので、正しくは此方♪↓
「概念」クンの言い逃れ「俺の線引き基準じゃない」によって「藁人形」扱いされてる私の指摘が正しいのは、彼がその線引き基準によって
「動物には苦痛概念が有るとは云えない」と断定してる事から明確なんだけど、彼はそれで誤魔化せると本気で考えてるのかな・・・?ww
まぁ、>>262で書いてる事と、>>259の ↓ で、彼の頭蓋骨に猿の大便が詰まってるって事実が判るかと思われます・・・
・・・「言葉という記号を使って表現し、再現し得る事」を「ヒトと、言語を操れない動物の扱い方を別ける条件」とするのは、それこそ幼稚園児にすら出来るハナクソ論理だけど、
いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w
単に「動物は言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが配慮しなくて良い」と省略可能な論拠は、それが「苦痛を感じてる者には、感じさせない様にする方が善い」
に対して何の釈明にもなってない、という事すらも分らない様な馬鹿が居る所為で、中学生動物愛護にすら雑食者全員が嗤い者にされる理由になってるんだと思います。
それと、毎回毎回「それは自分の基準じゃない」と嘘を吐いて藁人形扱いしたり、「普遍たり得る根拠が有る」という説明をしてあげても、ガバガバな自説同様に「それも枠組みで決まる」んだと強弁したりするだけで延々逃げられると思ってるのならば、
私の連ツイを読めば、全人類に普遍な線引き基準は有り得る事、それがキミ程度のアタマでは到底覆せない事、が分る筈なので、ダラダラ時間稼ぎするぐらいなら、さっさとその話題に移り、首を落とされて楽になったらどうだろうか・・・?w .
・・・因みに「概念」クン、「人権」が、それが 何 故 生まれたのか?はキミに説明できるかな?
これは人類普遍の線引き根拠・基準・ルールが、どんな枠組みによっても否定されずに決められ得る根拠、なんだけど、
仮にキミがそうじゃない、と言うのならば、キミなりの 人 権 の 成 因 を当然説明できるよね?
まぁ、必死にハナシを逸らして誤魔化すんだろうけどね♪
. >>282
> それで、動物に於ける苦痛概念の表現だけがその根拠の外側に置かれる根拠説明は何処に?
その前に動物の振る舞いが「苦痛概念の表現」であることの検証がない(、あるなら学術的な研究成果を出してくれ)と言ってる
その検証が無いのだから、
「動物に於ける苦痛概念の表現」というものが存在することを前提するのは科学的でないね
前提に据える前にまずそれが存在することを説明してくれよ
勝手に前提して勝手にそれが存在すると言い張っても論点先取にしかならないぞ
> 動物に於けるそれだけを証拠と採らない根拠説明が出来ないのであれば、所詮が状況証拠でしかありえないそれよりも 物 的 証 拠 である生体システム等の同一性によって動物とヒトの扱いは別けられないまま、だよねw
動物に於けるそれだけを証拠と採らないのではなく、それ以前に「動物に於けるそれ」が存在するという検証が無いから前提できないだけだね
>>256に書いたが、
人間が記号を用いることには再現可能な膨大な検証がある
他方で「動物によるノンバーバル反応や行動」が記号化された表現であることは不確かなはずだがね
無論これは反証可能性のある話で、[「動物によるノンバーバル反応や行動」が抽象概念の記号化表現である]という学術的な研究成果があるなら反証として出してくれ、と言ってるのに
それを出さない、ゆえに反証を成立させられないのは君だよね
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだからレスは省くね >>283
> 私が既に完全にキミの言い逃れを塞いでしまってるのは周知であるので、キミが不毛な事を続けたいのは、私の連ツイには一切反論不可能である事を知ってるか、或いは未だに読んでないだけ、という証拠だねw
君が藁人形であることに反証を示せていないし、
こちらが求める「動物に於ける苦痛概念の表現」の存在を検証した研究成果を出せていないし
記号には所記が存在しそのことで単なる音声や形と区別されるという記号論を知らないから、
生体システムにおける物理現象と抽象概念の記号表現を区別できないし、
物的に記号表現がなされた記述や音源を抽象概念の存在の物的証拠と理解できないし、
能記の真偽と記号表現に所記が伴うことの区別ができないだけだし、
ヒュームのギロチンを理解していないし、
倫理についての立場を実在論しか知らないからその他の立場をひたすら認めないだけだし、
あと色々な点で穴だらけなんだけどどこを塞いだつもりなの? >>284
> <br> ・・・因みに「概念」クン、「人権」が、それが 何 故 生まれたのか?はキミに説明できるかな?
もちろん反論は持ってるよ
その話は今の話が終わってからだね 動物実験に用いられる苦痛分類というものはデタラメなんだな ベジの何がいけないのか
そこまでして食肉を押し付けようとするのは何故? 藁人形とレッテル貼りで逃げた癖にツイッターで謎の勝利宣言
春日部 幸一
@kasugabe1111
4 時間
某所で、未だに「動物が苦痛を感じてるとは言えない」と記号論を援用して給うバカとオハナシ中…
こんなのが居るからveganがハナシを打ち切ってしまうんだろうと考えつつ、それでも功利主義を倫理としてではなく、仕組として使えば上記の様なバカですら黙らざるを得なくなる、という事が判った
春日部 幸一
@kasugabe1111
4 時間
返信先 @kasugabe1111
…が、それは最低限一貫した論理を貫こうとする矜持を持つ者に限られちゃうので、逃げ道にメタ倫理援用すればなんとかなる、ってタイプのバカには、やはり無効^^
「苦痛を感じる者には、それを感じさせない方が、より善い」までを否定出来るならば、動物の苦痛事実を否定する必要は無んだけどねぇ?
春日部 幸一
@kasugabe1111
4 時間
返信先 @kasugabe1111
種差別撤廃主張の不可能性を言う立場の私が「動物は苦痛を感じてるとは言えない、だから植物と同じ側として扱える」というバカを前にして、
Pシンガー等の言を援用してそのバカを諌める、という不条理なこの2〜3日… 「人は言語で意思疎通出来るから特別」という浅い論理を支えてるのはそいつ等か… >>285 キ ミ の 論 拠 ・ 学 術 的 な 根 拠 もまた、一度も提示されてないので、条件は同じだね♪ いつまで経っても自身が出すべき証拠を出さない為の言い逃れと、自身の論拠が正しい、という根拠の無い強弁のみなので、繰り替えすね?w
ねぇ、いったい何処の記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる<「苦痛概念の記号表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明となる」と示せたのか?
また、単に「苦痛」の実在だけでなく、それでなければヒトとの扱いを別けない根拠とならないのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
答えられるまでは同じ事↑を繰り返し聞く事にするね?↓
「概念」クンが、>>228にも馬鹿な事を書いてるから、もうひとつw
ヒトの「苦痛の概念」が歴史の中で検証され確認されてきたから、という理由で真となれるのならば
動物の「苦痛の概念」もまた実験や自然観察の中で繰り返し検証され確認されてきたから、という理由で真となれる。
そこでの違いは言語やノンバーバルによる「証言」の有無のみだが、これはあくまで「状況証拠」でしかない。
動物によるノンバーバルな苦痛回避行動や学習による行動パターン変化、恐怖反応という「状況証拠」や、
それに伴う 物 理 的 な ストレスホルモン分泌、という 「 物 的 証 拠 」 を 論 理 的 根 拠 も 無 く 否定するのならば、
ヒトによる言語やノンバーバルでの「証言」の歴史もまた、「虚偽証言の積み重ねでしかない、という可能性を排除できない」と退けられるだけ。
キミはトコトン馬鹿なんだなw
ついでに、ひとつ分りやすい話をば・・・
「苦痛概念の表現」とは言語やノンバーバルによる経験や体感の共有、等を指すのだろうが、それは観察者によって
「在る様に見えているだけ」で「物証」ではない。謂わば「状況証拠」でしかない。
それで「苦痛概念が在る証拠」と出来るのならば、動物が苦痛を恐れたり、苦痛を齎す行動パターンを学習によって避けたりする、
という(実験でも自然状態観察でも)観測上の事実だけで「苦痛概念が在る証拠」と出来る。
こういった苦痛回避や学習は最も原始的な哺乳類に属するマウスは勿論、哺乳類鳥類より下等と目される両生類爬虫類魚類に加え、
一部の昆虫でも確認されてた(現在ソース未確認)ので、事実上此処の馬鹿が言う「ヒトと同様に扱われるべき条件」は揃ってるねw
「物証」で云えば、脳脊髄痛覚神経等の生体システムは勿論、アドレナリン・ノルアドレナリン等ストレス関連物質の放出でも客観科学的な事実として「苦痛」の証拠と出来る。
それ等「苦痛」だけの客観的証拠が有りさえすれば「苦痛の実存在」は証明されてるが、それだけでなく「苦痛の 概 念 」が必要、という謎の論理根拠は未だ提示されてないまま・・・w
事実存在する否定不可能な 「 物 証 」 を差し置いて、「虚偽証言」の可能性を排除できない「状況証拠」を優先するのは馬鹿としか云えないよねw
加えて云えば、形而下に於いてすら「他者ヒトの苦痛概念の表現」は、それが「自分以外のヒト状物体が全てヒトを内臓部まで精密に再現したロボットである」という
将来起こり得ないとは限らないSF的な状況から「そう見えているだけ」である可能性を否定出来ないので、現状ですらそれをヒトの特別扱いをする根拠とするのは危うい、と言えますw
(これが形而上であれば独我論として映画マトリックスの電脳空間状の世界に「主体存在は完全に自分ひとり」の状況で放り出されている様な状況となる。他に居るのは全てエージェントスミス同様のプログラム人格だけ。) >>285
「 人 間 に 於 け る そ れ 」 が 存 在 す る 、という検証・学術的な研究成果も ま っ た く 出 て な い ま ま 、なので、
言 語 以 外 の 動物によるノンバーバルでの苦痛概念の記号表現によって、ヒトとは扱いを別けられない、という事にしかなりません♪↓
>>276
それで、動物に於ける苦痛概念の表現だけがその根拠の外側に置かれる根拠説明は何処に?
動物に於けるそれだけを証拠と採らない根拠説明が出来ないのであれば、所詮が状況証拠でしかありえないそれよりも 物 的 証 拠 である生体システム等の同一性によって動物とヒトの扱いは別けられないまま、だよねw
よって、ナニひとつ具体反論とはなってないので、もう一度♪↓
・・・やはり彼は「物証が在る事」の意味が分ってないのかな?
「そう見えてるだけ」かもしれない「苦痛概念の記号表現」=状況証拠とは違う、生体システムとストレスホルモン放出という物理現象を伴う同一性
= 「 物 的 証 拠 」 が 在 る 事 、を「ヒトと動物を別けられない根拠」として扱えないのならば、彼の縋る「状況証拠」は尚の事根拠と出来ないし、
その物的証拠を以ってしても「ヒトと同様の苦痛が動物にも在る事」の証明と出来ないとすれば、同じ生体システム等を共に持つ「自己以外の他者ヒト」にも、
その者に「自己と同様の苦痛が他者ヒトにも在る事」の証明としては使えない事となる。アタリマエですねw
此処に「言葉での苦痛概念記号表現とその再現性」を以って「ヒトだけは違う」と強弁し続けた所で、>>262で説明済みの様に動物によるノンバーバル/苦痛回避行動や学習によって
「動物にも苦痛概念が有り、それは『過去加害ヒトへの威嚇や恐怖・逃避行動』によって記号として再現される事実」として、ヒトだけを特別扱いすべき根拠が消え失せてしまいます。
唯一残るは「言語を介してそれを行う事」のみですが、それが言語によって為されるのでなければ、「それのみ」でなければならない理由、というモノが存在せず、
それは即ち「動物はヒトの言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが感じまいが、ヒトと同様には苦痛を感じない」と省略可能なウンスジ付けた幼稚園児の謎理論・或る種神秘的なハナクソに還元されてしまいます・・・
いずれにせよ、成人とは考え難い程の浅ましい言い逃れを装飾して何度も塗り重ねる手間があったら、論理的一貫性の有る思考法を身に付けましょう・・・元がそれじゃあ、ムリだろうけどw
因みに、私が言う「或る事実を無視すれば、功利主義による種差別撤廃主張は普遍倫理基準と成り得る」というのは、その「或る事実(二つ有る)」が、一方は長々「無い事」とされ続けてきた所為で、
他方は「恐らくは、そうでない事を事実だと認識されてる=錯誤」か、意図的に流布されてる嘘、によって普遍足りえない、という理由から{或る事実を無視すれば}という但し書きが付いてるだけ、ですので
お猿の「概念」クンはその事に充分留意して、私の連ツイにある「全人類普遍の線引き根拠・ルールと出来る、或る理由」の説明を、なんとか覆すべく頑張ってみましょう♪
. >>286
何度も言うけど、キミが証拠も出せないままの「苦痛概念の記号表現」を「動物には苦痛が在ると言えない」という線引きの論拠に縋ってるのは 事 実 ですし、それを裏付ける証拠も、
動 物 に も 在 る 言 語 以 外 の そ れ を採用できない、という論理的な根拠も、キミは一度も示せてないので、キミがハナシを逸らしたいだけ、というのは知ってます♪
>>277
私が既に完全にキミの言い逃れを塞いでしまってるのは周知であるので、キミが不毛な事を続けたいのは、私の連ツイには一切反論不可能である事を知ってるか、或いは未だに読んでないだけ、という証拠だねw
>>279
私の連ツイを読んでないからこそ、或いは理解して無いからこそ、ヒュームのギロチンが関係有るんだと思い込んでるだけ、だよw
さて、私のいう事が藁人形では無い、というのは一目瞭然なので、それを否定したければ、もう一度頑張って?w↓
私の連ツイの内容には、ヒュームのギロチンなんてまったく関係し様が無いですからw
読んでたら、ヒト健常者の成人がそんな馬鹿な返しするなんて有り得ないよねw
そして、>>265は書き損じがあったので、正しくは此方♪↓
「概念」クンの言い逃れ「俺の線引き基準じゃない」によって「藁人形」扱いされてる私の指摘が正しいのは、彼がその線引き基準によって
「動物には苦痛概念が有るとは云えない」と断定してる事から明確なんだけど、彼はそれで誤魔化せると本気で考えてるのかな・・・?ww
まぁ、>>262で書いてる事と、>>259の ↓ で、彼の頭蓋骨に猿の大便が詰まってるって事実が判るかと思われます・・・
・・・「言葉という記号を使って表現し、再現し得る事」を「ヒトと、言語を操れない動物の扱い方を別ける条件」とするのは、それこそ幼稚園児にすら出来るハナクソ論理だけど、
いい大人が真顔でそれをするってのは、卑怯者と呼ぶべきか、或いは特殊学級なタイプと呼ぶべきなのか・・・?w
単に「動物は言葉を喋れないんだから、苦痛を感じようが配慮しなくて良い」と省略可能な論拠は、それが「苦痛を感じてる者には、感じさせない様にする方が善い」
に対して何の釈明にもなってない、という事すらも分らない様な馬鹿が居る所為で、中学生動物愛護にすら雑食者全員が嗤い者にされる理由になってるんだと思います。
それと、毎回毎回「それは自分の基準じゃない」と嘘を吐いて藁人形扱いしたり、「普遍たり得る根拠が有る」という説明をしてあげても、ガバガバな自説同様に「それも枠組みで決まる」んだと強弁したりするだけで延々逃げられると思ってるのならば、
私の連ツイを読めば、全人類に普遍な線引き基準は有り得る事、それがキミ程度のアタマでは到底覆せない事、が分る筈なので、ダラダラ時間稼ぎするぐらいなら、さっさとその話題に移り、首を落とされて楽になったらどうだろうか・・・?w >>292
> >>285 キ ミ の 論 拠 ・ 学 術 的 な 根 拠 もまた、一度も提示されてないので、条件は同じだね♪ いつまで経っても自身が出すべき証拠を出さない為の言い逃れと、自身の論拠が正しい、という根拠の無い強弁のみなので、繰り替えすね?w
君が理解していないだけで記号論を知れば記号表現には所記が存することは明らか
> ねぇ、いったい何処の記号論を勉強したら、「動物による危険回避行動や学習による行動パターン変化、過去加害ヒトに対する威嚇/逃避行動をとる事」
> を「苦痛概念が有る証拠」として採用しなくて良い、と書いてあるのか?を教えてください♪
> キミが、自分だけは提示しなくてよい、と勝手に決め付けてる<「苦痛概念の記号表現」が、いつ誰によって「それがヒトに苦痛概念が存在する客観的な証明となる」と示せたのか?
1・記号論を知れば記号表現と単なる音声や形相といった事象と記号表現の差違は所記を有するかどうかだとわかる
2・いま動物の振る舞いが抽象概念の記号表現であるということは科学的には未検証
3・ゆえに科学的にはS1「動物のある種の振る舞いが抽象概念の記号表現である」という命題は科学的には偽とされる
4・ちなみにS2「動物のある種の振る舞いが抽象概念の記号表現ではない」も未検証だが、そもそもS2の命題は悪魔の証明を要求するので、S1の未検証がS2を真とする条件となり、結果的に両方の命題がS1に収斂する
5・動物についてS1が偽であるが、人間については言葉の使用に代表されるように「人間のある種の振る舞いが抽象概念の記号表現である」という命題に、記述や音源といった物証を含む膨大な検証がある
> また、単に「苦痛」の実在だけでなく、それでなければヒトとの扱いを別けない根拠とならないのか?更に「言語による再現でなければならい理由」に関しても、全く答えられてないので、
「苦痛と命名された物理現象の実在」も「記号表現の使用から確認される苦痛という抽象概念の存在」も、ともに個々の枠組みの恣意性で決まる線引き条件の一つでしかない、といってる
前者ではなく後者を枠組みを越えて普遍的に線引き条件として採用しなければならないなどと主張していないので藁人形
以下は全て以前に回答済みのコピペのようだからレスは省くね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています