>>182
> 私 が そう言ってるんだよ?キミが逆に書いてたからw

読み直してみよう
俺は自然主義的誤謬の話はしてないよ

> キミ自身が理解してない形而上のハナシを、キミの時間稼ぎの為に私が説明しなければならない理由は?

そういうレッテル貼りは逃げでしかない
君が反実在論と非認知主義を混同してなければ非認知主義を君が知らないのかもしれないが、
いずれであれ非認知主義を知っていれば倫理上の判断というものが択一的に真偽を帰属させられなければならないと一義的にいえないことがわかるはずだから
おそらくそれをよく理解できていないのだろうと考え、確認のために質問したんだよ
で、あらためて聞くけど反実在論と非認知主義についてそれぞれ説明してみてくれ

> それがキミの基準でないとすれば、私はキミの基準を知りませんよ?

何度目になるか知らないけど、無数の要因に決定されるゆえに分析主義的に還元することができず結果的にそれは個々の枠組みの恣意性として現れるような基準だと言ってる

> キミが知らないだけで、生体システムを共有する動物のそれを否定出来るならば、他者ヒトの苦痛も「苦痛の概念が有るフリをしてるだけ」だと疑える独我論の領域になる、っと昨日から言ってます。

独我論になってしまうから然々と考えたい、というのは科学的ではない
「苦痛の概念」があるフリをしてると疑うことができるかどうかと、「苦痛」という記号を再現的に用いる者がその記号に対応する抽象概念を持っていることが明らかなことは別の話
前者に引っ張られて後者を認められないのは単なる問題の混同

> キミの子にキミ同様の苦痛概念が共有されてるのならば、キミがそこで「基準としていない」筈なのに語ってる「記号表現」は要りません。つか、マジで意味が分らないの?w

だから、自分の子に苦痛概念が共有されてるかどうかは不確かだ、しかし記号を用いるならそのことからそこに記号に対応する抽象概念があるはずだと判断できる、と言ってる
俺の言ってることと言ってないことを区別してくれ

> 「個別の枠組みの恣意性」で法律・ルールと成り得る倫理基準は決定出来ません。単にキミが自身の恣意で決めさせて欲しい、と言ってるだけ、だね。

法律にしろ社則にしろそれを規範とする枠組みに恣意的なもので、その枠組みを超えて普遍的な規範とはいえないだろ