>>169
> それが線引き基準となる、という説明が全く為されていないので、その必要が無いね。

俺はそれを線引き基準としてないから線引き基準となる理由を説明する必要はないが、
君が「動物が抽象概念としての苦痛を記号化して表現していることについて再現性のある検証」を提示できないなら
つまり人間と人間以外についてその点で差違があることを君が否定できないなら
「人間に苦痛という概念があるとしても、人間以外の動物に同様の概念があるといえない」は覆らない
人間についてはこの方法で「苦痛という概念(苦痛という記号に対応する概念)」があることは言えるが、この方法では人間以外にそれがあることは言えないってこと
他の方法で「苦痛という概念」の存在を証明したければ好きにしたらいいけど、今のところそれも成功してないね

>苦痛の有無は、形而下では神経等の生体システムの有無で判断されるだけ、だよ。記号化して表現しなければそれが存在しない、というのはキミの願望であって

生体システムの有無と概念の有無の因果関係は証明されてないはずで、つまり類推に過ぎない
因果関係を証明したソースがあれば教えてくれよ

> 「そこで線引きされなければならない客観的な根拠」が存在しない。記号化・表現、が必須である理由、キミには説明できないでしょ?

だって「苦痛という概念」を線引き条件にしてるのは俺じゃないからね
俺が説明できるなら、俺はその線引き条件を採用してるかもしれないが、今のところ俺の立場とは関係ないもん
単に「苦痛という概念」が、その抽象概念を記号化している者には存在するといえても、そうでない者にはその限りでない、と言ってるだけ

> 「苦痛」ならば、形而下では、人間同様に有る、というのが科学的事実だよ。それは生体システムの共通性・同一性で判ってる。キミが認めたくないだけだよw

痛覚という命名の問題でなく、「苦痛という概念」が人間以外の動物に再現性のある形で検証された、という事実を知ってるなら詳細を教えてくれ

> 「苦痛の 概 念 」でなければならない、というのもそれが必須である根拠は一切示せてないよね。そしてそれは一部ヒトでは確認されようが無い。だから「社会的な理由」で救済する必要が有るんだよね?w

人間と動物の線引きに必須と言ってるのでなく、動物と植物の線引き条件にならない、と言ってる
動物にも植物にも「苦痛という概念」は共に未検証だ、ということ、つまり「苦痛という概念」は動物と植物を区別する条件にならない、と言ってる
人間の中に「苦痛という概念」が検証できない者がいようがいまいが、それは[苦痛という概念を持つ人/動物・植物]であるか[苦痛という概念を持つ人/持たない人・動物・植物]の違いでしかなく、
いずれにせよ動物と植物はラインの同じ側に来ることに変わりないだろ

> メタ倫理・非実在論が共に 形 而 上 の議題だと、キミが勉強してくれたら、考えてもいいけど?w

倫理を議論したいなら形而上の話になる
形而下の事柄についていえば動物と植物を区別するのに「生きてる」とか[「苦痛という概念」の有無]は役に立たない
そう言ってる

倫理は形而上のもので、だからこそ形而下の事柄から導けず、相対主義的には恣意的だと考えるしかないって話になるんだがね
無論、普遍主義的立場の人にはそうじゃないだろうが、今時普遍主義者ってのもハタから見れば相対主義的なバリエーションでしかないと見られてる