>>169
> それは単に「キミの選好基準」でしかない。いつになったら辞書を引いて「倫理」の意味を調べるんだね?

倫理について実在論者の立場だけしか認めないということかな?

> 昼間も言ったが、形而上のハナシになれば、自分以外のヒトにすら苦痛が有るかどうかは確認出来ない。
> そしてキミはその事すら理解してないので、形而上学的なハナシに着いて来れないのも判ってる。

ははは
形而上の話をしてもいいが、形而上の話をしたくなければそれでもいい、と言ってる
形而上の話をしたくないことについてそれ以上のレッテル貼りは別に要らないよ

> そして「形而下」の意味が判ってれば、ヒト同様の生体システムを持つ動物に苦痛が有る事は想像ではなく 「 事 実 」 として扱わざるを得ず、

違うね
「あり得る」ではあるが「ある」ではない
ゆえに

> 更に、そこに「他方で、人間の苦痛も同じだが」と繋いでるって事は、キミは形而下と形而上の違いと意味すら理解してない、という事まで明らかになったワケですw

これは誤り
形而下の事柄について、ある「推論」を「事実」であるとする根拠を何に求めるか聞いてみよう

> 「言語コミュニケーション」の段階で重度知的障害者や痴呆者・植物状態ヒトを切り捨ててるので、ド派手に一貫性が破綻してるよねw

破綻してないよ?
[「苦痛という概念」を線引きの条件にするならば、それらの人は線引きのあっち側に行く]となってしまうことは、別にその線引き条件を主張してるのでない俺の主張の一貫性と何らの関係もない
それは[「苦痛という概念」の有無を線引きの条件にする人]に教えてあげたらいい話で俺には直接の関係はない

> 動物が痛がってる様に見えるのを苦痛ではないとすれば、痛がるそぶりすら不明な上記一部ヒトは食用に殺して構わない筈だが、キミはその矛盾を「社会的な理由」でアジャストしようとするからガバガバでハナシにならない、と言ってます。

俺は「苦痛という概念」を基準にしてないかガバガバというのは藁人形だね
俺は恣意性で決まるという立場だからね

> 説明したとおり、それは差異ではない。単にキミの自己都合に合わせた言い訳です。

ん?指摘した差違が存在しないというなら、こちらの差違の提示についての主張の誤謬を指摘してくれよ
「認めない」では説明にならない