>>162
> ヒュームの規範論理は関係無い、と説明したはずだね
>自然主義的誤謬の話ではないが

それをヒュームの法則、というんだよ?キミが言ってるのはムーア。


> 価値観によっては重度障害者を食ってもよい、とするならば、当然それは「普遍的な正邪判断」の基準たる倫理ではないので尚更ヒュームは援用できない
>つまり倫理について非認知主義の立場を認めないという意味でいい?


「価値観によって変わるガバガバな基準」は非認知主義とは云いません。
キミが理解してないのは「倫理の意味」から、だけど、形而下での線引き基準を伸び縮みさせていい、とするのは倫理に限らずどんな話でも同じだよ。


> 「倫理」の意味を理解しないままのキミがこのハナシをする意味が無い
>誤謬の指摘をしないままレッテルを貼るのも勝手だし対話をやめたければ勝手にしたらいいが それではそっちが着いてこられないだけにしか見えないな


散々指摘してるけど、キミがそれを認識できないだけ、だね。

「普遍的な正邪判断基準」が、重度障害者の場合は社会的理由で適用されなかったり、都合によってヒトとの血縁によって苦痛概念共通 し て な い 理由を説明できないまま、

「ヒト以外は苦痛の概念が無い」と決め付ける、というのは誤謬が有るというレベルじゃなくって、単に破綻した論拠を提示して、その帳尻を合わせる能力も無い、という事だけどね。



> そうではない、という証明もまた不可能なので、キミはそれを否定する事も出来ない

>だから俺は「連続してない、不連続である」と主張してないよ 「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」と言ってる


ならば、「苦痛の概念」がキミの親に有って、キミには有る、という保証も無いワケです。親子でも「連続であるといえない、連続であるとするのは科学的に真でない」んだからねw

私が何故「血縁」と言ってるのか、その意味すら考えられないならば、中学生の愛護にバカにされ続けても、その理由すら分らないままだろうね。



> キミは「苦痛という概念はヒトにだけ有り、動物には無い」と言ってる

>そもそもこれを俺が持ち出したのは「苦痛という概念」の有無で動物と植物を分けることができるという>>76からの文脈であり、
>「苦痛という概念」の有無で線引きするなら科学的には動物と植物は同じ側に来るという指摘に過ぎないことは説明済み


「苦痛という概念」の連続性が「ヒトと動物の混血」によって証明されてしまってるから、動物がヒトと同じ側に来て、その生体システムが違う植物は線の向こうになる、という説明は済んでるよね?

キミがいつまで経ってもそれを理解できないのは私の責任ではないよ?

「動物には苦痛の概念が無い」という 科 学 的 な 証 明 、キミが示せたと言うのならば、そのレス番を示して御覧?単にキミがそう思い込んでるだけ、だからねw


> 今更それは時分の線引きでは無い、と言ってもハナシにならないね

>認めたくなかろうが文脈を追えば「苦痛という概念」の有無で動物と植物を線引きできないということの説明としての、[一般論として人間に「苦痛という概念」があるとして、動物にそれがあることは確認されてない]という提示であることは明らかだろ


動物にそれが無い、とキミが確認してないだけで、あとは「ヒトとの血縁」によってその連続性が担保されてる以上、ヒトと動物が苦痛概念を共有し、生体システムが違う植物とは共有していない、という事が明らかだね。

キミの文脈、というのは最初から破綻してる上に、線引き基準がコロコロ変わってガバガバなので、それが一般論となる事は有り得ないよ?