>>149
> 同じ人間であっても、それが知的障害者だったりすると「苦痛という概念」ではなく「社会的理由」を適用しなければならない、というのは

さっき書いたけど、それは[「苦痛という概念」の有無を線引きの条件とする人]に言う筋の話だね

> 単に議論の放棄であって、キミは自身の恣意的な選好でヒトと動物の間で線引きをしてるだけ、という事にしかならない

俺が食うか食わないかの線引きをする条件は極めて恣意的だよ
同時にこれは俺に限ったことではないと思うけどね

> 種差別撤廃主張とは、キミがどう思おうが「そうしなければならない」という絶対善の基準を決めてる者が居る、という事だよ?

そういう人たちが存在することは分かってるよ
彼らの主張は科学的事実に還元できるものでないという倫理観については当たり前のヒュームのアレを持ち出すまでもなく、
「それ以前の問題として」科学的に誤った主張が前提されていると言ってるだけ

> 先にも書いたが、倫理とは普遍的な正邪の基準なので、その基準を「苦痛を感じる事」と言われ否定できなければ、キミが否定しようが「すべき善」として決定されてしまう

「苦痛を感じるならば、食べてはならない」という倫理規範は相対的なものだから他者が否定することはできない
なぜならこれは個々の枠組みの恣意性の違いでしかないからね
俺はそんな否定をしようとしてるんじゃなくて、前件「苦痛を感じるならば」が後件「食べてはならない」を導出する条件として虚偽であろう、と指摘してる

> それがキミにとってどうでもいい事ならば、こんなに長々此処で頑張る意味必要性は無い

俺は俺以外の枠組みの倫理規範を否定するつもりはないが、虚偽が織り込まれていることについて指摘してる
それは単純にそのような虚偽が尤もらしく広まることが不愉快だし、場合によってそういった虚偽がプロパガンダ的に用いられるケースがあれば実害が及ばないとも限らないということを動機としてる

> 個々の枠組みだとか社会によって恣意的に決まる、で済むなら、誰もこんなハナシに興味持つ理由が無いね

どんな規範を採用するのは枠組みの恣意性による、ということと
掲示された規範が真であるか偽であるかは別の話だろう