>>108
クオリアについても過去に議論されてたはず
ちょっと探したけど見付からなかったんだが要するに>>107に提示したレスに既に書かれてることなんだが

人間の場合は「苦痛」という記号を用いるというまさにその行為によって、各人がその能記に対する所記を有していることは明白で、
そして各人の所記が完全に一致しなくとも記号を用いてコミュニケーションが成立し得るということは各人の所記は能記において間-主観的に一定の誤差の範囲に収束しているということになる

とあるように「苦痛」のクオリアが同じだろうが違おうが、「苦痛」という語を使う人が何らかの「苦痛」という概念を持っていることは明らかで、この点で[何らかの「苦痛」の概念]を持っているかどうか不明な人間以外の生き物と区別できるってこと
そして「苦痛」という語がキャベツや冷蔵庫を指すのではないということは、それが一定の範囲の概念として共有されていると考えられるし、
このことは歴史的に膨大な量の言語コミュニケーションが成立してきという事実が検証している