「植物は苦痛を感じないから食べていい」←えっ? [無断転載禁止]©2ch.net
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【植物は苦痛を感じない】←苦痛とは何か定まっていない。
【植物には痛覚が無い】←それは命名の問題に過ぎない。
・「苦痛」が痛覚刺激のことを指し、痛覚刺激が痛点に感受する刺激のことであるなら、それは単に命名の問題でしかない。
この意味では「痛覚刺激を苦痛と呼ぶ」というのは特定の感覚器に対する刺激に「苦痛」という名前を与えただけであり、「苦痛を受ける」というのは単に「特定の刺激を感受する」という以上の意味にはならない。
この場合、「苦痛」とは単なる感覚刺激の名前であり心的作用などの意味での苦痛と混同するのは誤りである。
植物においても刺激の感受は検証されており、単に「刺激を感受する」という意味では痛覚刺激とこれを区別することはできない。従って、痛覚刺激をこれと区別するためにはその差違を説明しなければならない。
【痛覚刺激に対して動物は防御反応・敵対的反応を示す】←植物も特定の刺激に対して防御反応・敵対的反応を示す。
・外的刺激や損傷によって捕食者に対する有害物質や捕食者の天敵に対する誘引物質を放出したり、生体内に捕食者に対する有害成分を生成したり、他の個体に情報伝達したりする例が検証されている。
【植物には脳が無い】←同様の機能を植物が有しないことにはならない。
・脳は神経系の情報伝達の中枢として情報処理をするが、植物の個体においても情報の伝達が行われていることが検証されており、
日光の照度で葉を開閉したり、外的刺激により化学物質を生成するなど情報の入力と出力に相関が検証されているため情報処理の機能を有していると考えられる。
【植物には心がない】←心とは何か定まっていない。
・痛覚刺激による心的作用を「苦痛」と呼ぶ場合、人間以外の動物に人間のこの心的作用と同様の心的作用があることは検証されていない。
他方で、植物における感覚刺激が植物において人間同様の心的作用をもたらすことも検証されていないが、その意味では動物と植物を区別する理由は無い。 まあたしかにそうだな
ベジタリアンは自分の罪を誤魔化すために、物事を都合よく解釈する傾向があるからな いつもの荒らしベジも>>1には反論できないみたいだ 要するに
植物は苦痛を感じないから食べていい
というような人間の都合で生み出された理由全てが間違っている
真理でなくては食べる理由にならないということだな
つまり動物を食べるにしても
家畜(食べために育てた動物)だから食べていいということも人間の都合から生まれた理由であるからこれも間違いになるな >>8
苦痛を感じるか感じないかを理由に食べていいか悪いかを決めることに無理があるというだけのこと。 植物は苦痛を感じないから食べていい
ベジタリアンはそのルールに従っているだけ
苦痛を感じる動物を食べるやつは鬼か悪魔だ >>9
どういった人間の都合いい理由ならば無理がないのか? 動物福祉に配慮した畜産さえも認めない
ゼロしか認めない馬鹿ビーガン
100しか認めない馬鹿アンチ
ってけっこういるんですね ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 >>13
そもそも世の中に客観的・普遍的な善悪の尺度があるとは言えないのだから、当然、善悪とは何らかの特定の個別的な尺度においてしか述べることはできない。
すなわち、日本の法においては、とか、イスラムの法においては、とか、そういったことにしか還元できない。
スレ的に言うなら苦痛の有無には還元できない、というそれだけのこと。 >>17
ある集団、社会による基準を理由にすれば善悪が成り立つのであれば
ベジタリアンという集団が苦痛を理由にそう行動することは全く問題ないのではないか? >>18
その特定の集団内部においてはね。
特定の集団内部の規範を、それが共有されていない外部集団にまで適用しようとすれば軋轢が生じるのは自明。
その場合、その特定の集団が外部集団から見れば反社会的集団という意味を持つとしても仕方がない。 >>19
つまり
「植物は苦痛を感じないから食べていい」
この言葉は反社会的集団が発する言葉ということか? ベジタリアンを今度は反社会集団呼ばわりかよ。ひどいね。テロリスト呼ばわりするのもいるが
中にはそういう集団いるが、一部の者だろ。どんな思想社会宗教集団にも一部にそういうのいるだろ。 >>21
それが共有されていない社会に対して規範として押し付けようとするならね。 反社会集団・・暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求等の行為を行っているかどうか(行為要件)
何処かの集団と一緒にしないで。
押し付け?2ちゃんねるで書いてるくらいで反社会集団呼ばわり止めろよ >>22
一部のやつらがひどすぎるからな
同じベジタリアンとは思いたくないようなやつがゴロゴロいる >>22
> ベジタリアンを今度は反社会集団呼ばわりかよ。
よく読んでから食い付いてきてね。
>>19は
>特定の集団内部の規範を、それが共有されていない外部集団にまで適用しようとすれば軋轢が生じるのは自明。
>その場合、その特定の集団が外部集団から見れば反社会的集団という意味を持つとしても仕方がない。
と、「その場合」という話をしている。ベジタリアンを無条件にそう呼ばわっているのではない。あくまで「自分達の独善を押し付けようとする場合」の話。
>>23
> 社会に迷惑かけてないベジタリアンの悪口言うなよ
迷惑にならない場合の話はしていないよ。あくまで「自分達の独善を押し付けようとする場合」の話。
>>25
> 反社会集団・・暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求等の行為を行っているかどうか(行為要件)
肉を食うのは悪だ、畜産はやめるべき、などという客観的な根拠の無い中傷をばら蒔く輩がいる。
> 何処かの集団と一緒にしないで。
該当しない者ことは言っていない。あくまで「独善を押し付けようとする場合」の話。
> 押し付け?2ちゃんねるで書いてるくらいで反社会集団呼ばわり止めろよ
ネットで客観的な根拠の無い中傷をばら蒔く行為は反社会的行為に該当する可能性があると思うけれど。 迷惑かけてないなら文句言いようがないもんね
一部の悪質なベジタリアンが他人に絡むのをやめてくれたらイメージが改善されるかもしれない >>24
「植物は苦痛を感じないから食べていい」
これが
初めからベジタリアンの押し付けという定での命題となっているということか?
よくわからんな >>30
全てのベジタリアンの主張とは限らないにせよ、動物は苦痛を感じるから食べてはいけないが植物は食べていいという主張をするベジタリアンが少なからずいるというのは事実。
それがどのような根拠に基づくのかは不明。
そのような根拠の不明瞭な主張で社会的に容認されているはずの他者の食事や職業を非難・中傷し、独善的な倫理観を押し付けようとするベジタリアンが少なからず存在するというのもまた事実だが、
「その場合は」反社会的行為と目されても仕方ないだろう、という話。 >31
なら、訴えてみな。思想の自由表現の自由を否定するあなたが反社会的なこと言っています
まずヘイトスピーチしてる連中を訴えなよ
それが成功してからベジタリアンを訴えてみな >>31
>押し付ける
だから誰が押し付けたんですか?
反社会集団と言うからには
暴力的行為違法行為による押し付けってことだよね?そんなのsシェパードくらいでしょ
差別発言ってこと?これはベジタリアンよりもネトウヨのほうがずっと酷い
差別発言暴力的行為違法行為を行っているベジタリアンが沢山いるかのような言い方やめてください(一部にいたとしても) >>32
> なら、訴えてみな。
くだらないなあ
だったらそもそも雑食やめろ畜産やめろと司法の場で言えよって話になる。
だいたい違法行為だけが反社会的行為ではないだろう。
>>33
> 反社会集団と言うからには
> 暴力的行為違法行為による押し付けってことだよね?
え?
暴力的行為違法行為でなければ押し付けにあたらないんですか? >>33
何だこいつ?ついにネトウヨとか言い出したぞ? マイナンバー通知カードを返還することで、マイナンバー制度を廃止させることができます
マイナンバー通知カードを受け取ってしまっても、市町村に送り返そうhttps://www.youtube.com/watch?v=_f3I2RTC17s
311東日本大震災は人口地震テロ さゆふらっとまうんど(平塚正幸)https://m.youtube.com/watch?v=XiK9DeIMt14 >>31
>独善的な倫理観を押し付けようとするベジタリアンが少なからず存在する事実
その事実の根拠は?
仮にいたとしても独善的な倫理観でベジタリアンを批判する非ベジタリアンもいるのでお互い様でしょう。 >>33
ネトウヨとかいう言葉を使ってる時点でお前がどんなやつかわかるわ
お前みたいなのがいるからベジタリアン全体がどんどん嫌われてしまう
本当にやめて欲しい >>37
> >独善的な倫理観を押し付けようとするベジタリアンが少なからず存在する事実
> その事実の根拠は?
こちらが摘示しなくても探せば無数に出てくるし、この板だけでも結構あるとおもいますよ?必要ならば摘示しますけどね。必要ですか?
> 仮にいたとしても独善的な倫理観でベジタリアンを批判する非ベジタリアンもいるのでお互い様でしょう。
ん?
社会において独善的というのは、社会一般と解離した独り善がりで特殊な価値観に基づく性質を指すと思いますが
「独善的な倫理観でベジタリアンを批判する非ベジタリアン」というのは例えばどのような主張ですか? はいブーメランレッテル貼り
ブーメランレッテル貼り
を繰り返す低次元国会答弁
安倍晋三 >>31
つまり>>1は全てこういう思想を押し付けるベジタリアンがいるという定への反論ということだな >>41
「>>1は全てこういう思想を押し付けるベジタリアンがいるという定」という日本語がよくわからないんだが
「全て」はどこにかかりますか?「定」とは「定立」の意味で合ってますか? >>42
全てとは、>>1の【】内の文言
定(てい)とは、さだめ >>43
>つまり>>1は全てこういう思想を押し付けるベジタリアンがいるという定への反論ということだな
>全てとは、>>1の【】内の文言
>定(てい)とは、さだめ
では違うな。
>>1は押し付けるベジタリアンがいるという風に定めていない。
>>1の【】内のことを主張するベジタリアンがいるというのは事実で、彼らが押し付けるかどうかによらず>>1はその【】内の主張への反論であり、根拠が不明瞭であることの指摘だ。
その上で、>>31では、そのような根拠の不明瞭な主張で社会的に容認されているはずの他者の食事や職業を非難・中傷し、独善的な倫理観を押し付けようとするベジタリアンが少なからず存在するというのもまた事実だが、
「その場合は」反社会的行為と目されても仕方ないだろう、という話をしている。 ベジタリアンの自分からしても>>1に書いてあることは概ね正しいよ
いちいち因縁つけてる人がおかしい >>37
>独善的な倫理観でベジタリアンを批判する非ベジタリアンもいる
その事実の根拠は?
仮にいたとしても独善的な倫理観を押し付けようとするベジタリアンもいるのでお互い様でしょう。 >>44
押し付けていないのであればそういう思想があっても何ら問題ないだろ
日本人でも当たり前に魚類にほ痛覚がないという思想からそれを利用した料理があるくらいだ
お前がそれを否定するのであればそれは逆思想の押し付けととられる行為だと思うがな >>47
> 押し付けていないのであればそういう思想があっても何ら問題ないだろ
>>44で書いたことの繰返しだが、>>1はそういう思想の根拠が不明瞭だと指摘しているだけで、そういう根拠の不明瞭な思想があること自体をどうこう言っていない。
その上で、>>31では、そのような根拠の不明瞭な主張で社会的に容認されているはずの他者の食事や職業を非難・中傷し、独善的な倫理観を押し付けようとするベジタリアンが少なからず存在するというのもまた事実だが、
「その場合は」反社会的行為と目されても仕方ないだろう、という話をしている。 >>48
いや
お前のそれは
思想を否定する思想でしかない
ということだ
>>31からの話
「それを押し付けるベジタリアンがいる」→「否定できる」
これは別論点だ >>49
> お前のそれは
> 思想を否定する思想でしかない
> ということだ
否定?
「スレタイの『植物は苦痛を感じないから食べていい』という主張の根拠が不明瞭だ」という指摘をしただけで、「根拠が不明瞭な主張の是非」を>>1は述べていないが?
否定については>>31で初めて
「そのような根拠の不明瞭な主張で社会的に容認されているはずの他者の食事や職業を非難・中傷し、独善的な倫理観を押し付けようとする場合は、反社会的行為と目されても仕方ないだろう」と言ったのだが、
しかしこれはあなたが
> 「それを押し付けるベジタリアンがいる」→「否定できる」
これは別論点だ
というように論点が違う。
繰り返すが、>>1の時点では「『植物は苦痛を感じないから食べていい』という主張の根拠が不明瞭だ」と指摘しているだけで、その是非は論じていないよ。 >>50
1は「〜ではない」というそれを否定したものになっている
「〜そうとはいえない」というものだとしてもそれは「〜そうではないとはいえない」を同時に提示するものでありなんの意味ももたない
そんなものは思想と思想を並べているだかけの人間の暇潰しのようなものだ
否定できないのであれば「植物は苦痛を感じないから食べていい」も認めることにしかならい >>51
> 1は「〜ではない」というそれを否定したものになっている
>>1はスレタイ「植物は苦痛を感じないから食べていい」という主張の根拠として時々あげられるものを【】で示し、それが真に根拠として不足なく成立しているかどうかを考察したものだ。
【】が疑義の余地なく成立しているのであれば「植物は苦痛を感じないから食べていい」について「植物は苦痛を感じない」が真であるから、あとは「苦痛を感じないならばたべていい」が真であることを導けば全体が真に定まる。
もしも【】が明確に成立するのでなければその時点で「植物は苦痛を感じないから食べていい」は真とはいえない。
で、>>1は【】の根拠が不明瞭だから、「植物は苦痛を感じないから食べていい」も不確かな言説だ、と言っている。
「ある事柄が不確かならば、『それが真である』は、偽である」。この意味では「植物は苦痛を感じないから食べていい(は真である)」に対する否定だ。
しかし、「不確かな言説を信じてはならない」という意味での否定はしていないということだ。
「非科学的なものを信じる」とか「非論理的な主張を信じる」のは当人の勝手で是非も無い。この意味では少なくとも>>1では否定をしていない。
> 「〜そうとはいえない」というものだとしてもそれは「〜そうではないとはいえない」を同時に提示するものでありなんの意味ももたない
そんなことはない。
どのような観点からは「そうといえない」が、どのような観点からであれば「そうではないとはいえない」のかを明確にすることにはそれなりに意味がある。
例えば「科学的あるいは論理的には、そうとはいえない」しかし「非科学的あるいは非論理的には、(例えば何らかの信仰や恣意性などにおいては、)そうではないとはいえない」という場合、
これは当該の言説についてのある性質を明確に表している。
そして例えば「科学という観点からは考慮に値しないが、特定の宗教上ではこの言説には意味がある」という場合、その言説そのものが属する社会でどのように扱われる類いのものであるかを考察する役に立つ。
> そんなものは思想と思想を並べているだかけの人間の暇潰しのようなものだ
物事の観点(価値観といってもいい)というのは様々に並立し得るが、それが暇潰し以上の意味はないということには飛躍がある。
物事のある観点からの解釈が属する社会でどのように位置付けられるかを考察することは、人が社会で生きる上では重要な意味を持つ。
これが適切に考察されなければ、例えば>>31の例のように社会と軋轢を生じ、社会に対する害悪となる場合がある。
従って、これを避けることが有意義であるなら、価値観が並立するとき、その価値観同士の比較や相関や社会的位置付けの考察には十分な意味がある。
> 否定できないのであれば「植物は苦痛を感じないから食べていい」も認めることにしかならい
>>1では
少なくとも「植物は苦痛を感じない」の部分が不明瞭なので、この主張の真偽は不明だ。「ある事柄が不確かならば、『それが真である』は、偽である」。この意味では否定になる。
だが、不明なことを信じるのは勝手にしたらいい。この意味では否定していない。
しかし>>31や上記で述べたように、
この真偽不明の主張に十分な考察が為されないまま不用意にそれを他者に押し付けるなら、社会に軋轢を生じその社会から害悪とされても仕方がなく、
従って、この主張そのものが立脚する価値観とその他の様々な価値観や社会一般の価値観との比較や相関や位置付けを考察することには社会的な意義がある、と言っている。
余談だが、
こういった社会的意義を「暇潰し以上の意味がない」と切り捨てて、独善を押し付けようとするベジタリアンがあまりに多勢であれば、
ベジタリアンと呼ばれる人が一般論・傾向論としてそのような性質を持つものと認識されたとしても無理はなかろう、とも思う。 苦痛を感じない生き物はいくら殺してもいい
byベジタリアン >>52についてもう少し簡潔に書いてみる。
スレタイ「植物は苦痛を感じないから食べていい」という言説について、特に>>1では
「『植物は苦痛を感じない』という前提について、これが不成立ならば後件『食べていい』の真偽をそこに還元することはできない、ゆえに『植物は苦痛を感じないから食べていい』とは言えない」という点に着目しているわけだ。
「植物は苦痛を感じない」という前提については、>>1に【】を用いて提示したようなことがしばしば根拠として挙げられるが、>>1に反論・指摘したように、【】内に述べられていることには疑義が生じる。
その場合、ただちに「植物は苦痛を感じない」と言えないのだから、何らかの補足的な説明があって初めて「植物は苦痛を感じない」といえることになる。
その補足的な説明無しには「食べていいかどうか」をはかるのに「植物における苦痛の有無」に還元しても判断することはできない。つまり「食べていいかどうかの判断を、植物の苦痛の有無に還元できない」となる。
従ってスレタイの言説は成立できない。こういうことだ。
であるなら、何がスレタイの言説を成立させる補足的な説明となるのだろうか。
この「補足的な説明」が社会において共有されるものであればスレタイの主張は例え非科学的・非論理的なものだったとしても、社会に許容される。
ところがそれが例えばカルト信仰のようなものや個人の恣意的な感覚といった、社会的に極めて偏った価値観によるものだったとしたら、それが社会に許容されるという保証は無い。
むしろ、そうであるならば反社会的・害悪的に認識されたとしても無理はない。
(ただし>>1はこのような反社会的カルトのような価値観を否定していない。あくまで【】内に疑義が生じるため、ただちに「植物は苦痛を感じない」といえない、という指摘に留まる。)
従って、社会性という観点から見るならば、「植物は苦痛を感じないから食べていい」という不確かな言説が何によって補足され主張されているのかを考察することには意義がある、ということ。 人間に対しては平気で苦痛を与えるベジタリアンもいる >>54
結局お前は「そうとはいえないんじゃない?」と言っているだけで反論ではないってことだな >>56
「そうだ」という言説に対しては「そうと言えない」は十分な反論だが? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています