【悟り】マインドフルネス瞑想法 【霊覚】
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マインドフルネスとは、歩行や呼吸、動作など、今行っていることに対して
意識を向けるという、簡単な手法です。
これは単なる健康法にとどまらず、悟りや、
霊性の向上にもつながります。 お世話になってる易者さんが言ってたけど、神仏縁のある人は顔に出るって言ってた
のっぺりした仏像みたいな顔って >>257
水を差すようで恐縮なんだけど
いわゆる悟りと呼ばれる「自分も世界も一つで、隔たりの無い状態」とか「自我が無い状態」
って瞑想して昏睡に近い状態になったから、
すなわち脳の障害なんじゃないかという疑念が消えないんだけど、そのあたりについてはどう思う? >>260
ごめん、自分は仏教とか全く詳しくないんだよね。
釈迦も 途中で切れてしまった。
釈迦は般若心経で「すべてに実体はない。」とか「すべてはエネルギーだ」とか「諸行無常の流れの中で、我々の脳が勝手に実体があるように勘違いしている」というようなことを述べているのは知ってる。
そして、それはまぁ確かにそうだなぁ。とは思ってる。
ただ、それは理性でも納得出来ることだよね。
それと悟りとは脳の障害なんじゃないか?っていう疑問とは直接結びつかないように思う。 >>259
瞑想者とか沖縄のシャーマンとかの脳は調べたら脳波がちょっと違うみたいなのは、ドキュメンタリーなんかでもやってるよね。
それと同じように、障害というかどうかはわからないんだけど、松果体が大きくなってるとか、ある部分の脳神経が弱くなってるとか、そういうのはあるような気はするなー。 >>259
もし脳に変化があるとしたら、それは脳の障害じゃなくて、脳の進化なんじゃないかなぁ。
意識が覚醒するにつれて、脳の使われてなかった場所が使われ始め、
霊能力や超能力が出てきたり、
その先にはさらに脳が進化して自分と外界の壁を感じなくなる悟りみたいふうになるんじゃないかな。
よくわからないけど。
自分が悟り体験した経験でいうと、脳が変化したとは感じなかったけど。
思考や考え方は前とまったく同じだから。もちろん知能も変化無いと思う。
よくわからないなぁ。 >>264
なるほどねー、脳の進化か。
確かに263が言うように松果体が発達た人はテレパシーが出来るようになるとか、霊が見えるとか、そういう話良く聞くよね。
あとは脳はメモリーじゃなくてチューナーとしての役割の方が大きいとかね。
ただ、マスターが良く言うように一気に我が落ちるとか、簡単なことに気付けていなかっただけで気付けば一瞬とか、一気にガラガラ変わるメカニズムについては脳の発達だと説明がしづらい気がするんだけど……脳の回路が一気に生成されるってのはなんだかよく分からない。
まぁ、もう少し勉強しますわ。 スピリチュアルと脳科学を比較すると、スピリチュアルが先端で脳科学は後追いで遅れているから、脳のメカニズムで理解するのは難しいだろうね
これは優劣の比較ではないよ 興味深いなぁ
自分も脳が見せる幻覚なのかと
悶々と考えてたりしてたから 金縛りや離脱も体験したからわかるけど。本当は瞑想で集中力上げたいだけ、なんだよなー。
最近、瞑想初めてトリハダや寒気を感じる事が多くなってきた。
この状態を続けるようにすれば良いのかな? そうそう、これが言いたかった。
悟りってさ、そんなスペシャルなことじゃなくてさ、そうなってる人結構いるよ、と言いたい。
瞑想段階なら教えていけるよね、って誰かが書いてたのはそうだなと思う。だけど、悟り自体は、ほんとは特別じゃないと思うんだ。特別じゃないってことに気付ければ、いいだけってかさ。
瞑想からの神秘体験とかその後の気持ちの変化とか、そうだな〜…わかるわー…とか思うし、面白いな〜と思うんだけど、
スピリチュアル系の本から作られた文字で構成されてる文章だからそうなりがちなのかもしれないけど、時折挟まれる若干の「選民意識感」はちょっと違うんじゃないかな〜と思うよ。
君が思ってるより、ちまたで覚者になってる人は多いんだよ。ラジニーシ?だとかそういう人を挙げなくても、意外といるから。特別じゃない。 精神世界では自我消滅しても神の国に入れない人ばかり。 選民意識は悟り体験の前はあった。誰よりもあった気がする。
とくに霊視能力が出てきはじめたときや、自分が数秘術のマスタナンバー33てことに気づいたとき。
自分はスピリチュアル的に特別な人間なんじゃないか?と思ってた。
でも悟り開いてからは、自分が特別という感覚が一切消えてしまった。
たぶん、自分が特別と思うのも自我による自意識のせいだと思う。
自我がなくなったので、選民意識も消えてしまったんだろう。
今では、自分なんかまったく価値のない存在という感じがする。
なんて言ったらいいのか。価値がないっていうか、
ありのままの状態の自分がここにただ存在している、ただそれだけがある、という感覚。
その自分を誇り高く感じたり特別感感じたりしないけど、卑下したりコンプレックス感じたりもしない。
ただここにこういう物が存在してるという感覚。
自分という存在自体を重要視しなくなったというか。なのでとても謙虚で静かだとおもう。
人を見ても自分のほうが優れてるとは感じない。
悟る前は、自分と比べて無意識に優劣つけてたように思うけど、
今は、人々がそこにいて、自分はただそれらを観察してる意識体みたいな感覚。
人はちゃんと性格や自我があって個性あるように見えるけど、
自分については透明な存在のように思えるので、人と対面すると比較できない。
透明な意識体が彼らの存在を認識してる状態というふうな感覚になる。
この認識の違いは悟る前と後で変わったかも。 悟る前はたしか、自分のことを考える場合、
自分の過去から今まで経験してきた生活で、自分はどのような性格で、
どのような長所と短所があって、どのような趣味趣向で、
好きなタイプ嫌いなタイプの人がちゃんとわかってて、
というふうな自己分析がちゃんとできてたと思う。
その自分が誰かと対面すると、お互いの性格のズレや価値観のズレみたいな違和感を
ちゃんと感じられてたように思う。
悟りを開いてから1年経った今、自分のことを考えてみると、
それら全てがわからない状態になってる事に、今気づいた。
自分がどのような性格で、どのような長所短所があるのか、
実のところわからない。なぜなら存在しないから。性格とかいうものがないから。
なので好きなタイプ苦手なタイプもなくなった。誰にも同じような感覚になる。
趣味趣向もなくなった。
今ちょっと冷静に考えてみると、これヤバいな。
もう人間じゃないなこれw
でもほんとそんな感覚なんだよ。
じゃあ自分というものを考えた場合、どのように感じるかというと、
透明な意識体、世界を認識する意識、
安らかで穏やかで静かな気分の存在、
その程度の自己像しか感じない。
だからやっぱりもうすでに自我が消滅してしまってるんだわ。
だからそんな自己像しか思い描けないんだわ。 >>272
で、そういう人があなた以外にも、ちまたに、本とかで語ってなくても、結構いるんだよ、ってこと。
そういう人たちが今どうやって活動してるのかとか、見るといいんでないのってこと。
表面上の見るんでなくて、全体もしくは一元、透明、といったようなところで、どう動いてるのか見てみてってこと。 そんな人いっぱいいるのかなぁ。
無自覚にそういう経験した人はまあいると思うけど。
ぼくがここに書いてるのは、こんな経験したんだぞすごいだろ?って自慢で書いてるわけじゃなくて、
スピリチュアル探求者や瞑想で悟りを求める人に、少しでも参考になればと思い、
特殊な自我消滅体験したので、なるべく明確に具体的にわかりやすく、
自身に起こったことや、悟り前と後のことを比較したりして書いてるだけで。
たしかにこんな長文をずーっと書いてるから、側から見たらそんな神秘体験して自慢したいんですね、
って思うだろうけど、
そもそも最近ではもう自分が悟り体験したことすら忘れるほど、精神世界に興味無くなってたし、
自慢したくなるような自我ももうすでに存在しないので、
ほんとはここに書く必要なんかないんだけど、
自我消滅の悟り体験を具体的に詳しく説明してくれる人なんていないでしょ。
だからじゃあ自分がその役目をしてみようと勝手に思い、勝手に長文を書きまくってるだけなので、
あまり気にしないでください。 >>274
それもすごいわかる。すごく役に立つし、参考になる。為になる。
だから、マウントとかじゃなくて、意外と、もっともっと世界は広いかもよ?ってことを言いたかっただけ。 ぉい 空に雲に乗る人たちがいる…( ゜д゜)、;'.・ >>274
最初からあなたの書き込み読んだけどとても興味深かったです。
どうもありがとう。
私も一暼体験っぽいのを一度経験したけど、ハッキリ言って恐怖だったな。
ほんの一瞬で直ぐ自我の状態に戻ったからだと思うんだけど、めっっちゃくちゃ焦った。
それからというもの、一ヶ月くらいはスピからは完全に離れてしまったほど恐怖だった。。。
まぁ、そんなのはどうでも良いとして、私が疑問なのは
いわゆる願望実現について、悟り体験を通して感じていることはありませんか?
世界も自分もすべて等価、ってことで、世界も私みたいな感覚になっているんだと思うんだけど
周囲がどのように振る舞うようになったのか?悟る前と後で変わったことはなかったか是非聞いてみたい。 >>274
貴重な体験とお話しをありがとうございました。
繰り返して読んでみたいと思います。
あくせくと、目の前の、つかのまの充足を追い求めている自分・・水に溺れているのと同じじゃないか・・・と情けなくなります。
自我に振り回されるということは充分に学んだように思うので、次に進むしかないです。
瞑想しなければ・・と思い勉強になりました。
あなたのようにエネルギーレベルが変化した人は、”他人の霊視をして相談に乗る”みたいな仕事をするのではなく、存在するだけで価値があるのだと思う。
おそらく、存在自体で、存在するだけでエネルギーレベルで、安定や進化の影響を与えていくのだと思う。
この世の宝になる。もちろん過大評価は危険だけど、過小評価もほどほどに。
自分は、
追い詰められた人生のなかで、
明晰夢、異世界・・と体験してきました。
火山性微震の続く山の近くに住んでいます。
深夜熟睡している時に、大きな地震がくると目が覚めるけど、
微震だと、身体は眠ったままで意識だけが目覚めます。
きっと、最初は、そんなことがきっかけで体験したのだと思います。
しっかりとした世界でした。
で、そこまで解っても、この世が大変で、辛くて、泣きながら生きている。
自我か・・・そこだったのか・・・・・と。 笑うしかないところだけど一応書き込んでおく
誰かさんは悟りどころかどうしようもない森を彷徨ってる
そのままでいるのは危険だけど望むのなら答えは向こうからやってくる
形はいろいろあるし、幻覚として見えることもあるかもしれない
大事なのはしっかり受けとること
あと、自分みたいな人は希少だとかそんな驕りは捨てること
というか本当に悟りにあるならそんな考え浮かぶはずがないんだが
入り口だけ知ってテレビ業界に殴り込んだ誰かさんみたいにならないよう気をつけてね >>277
悟りを開くと知恵が湧き出てきて、すべての真理がわかるようになって、
宇宙法則みたいなのも使いこなせるようになった。
ということは一切なかった。
なので、願望実現についての考え方も悟り前とは変化ないとおもう。
ただ、霊能力が出始めたときは、妙に思ったことが具現化するので
気持ち悪く感じたほど。
今でもそうだけど、その日の気分がネガティブだったりすると、
会社の機械が壊れたりとか、まさにその心境が具現化したように思うけど、
もしかすると逆かもしれない。と思うことがある。
その機械が壊れる未来を予知で無意識に感じ取って、ネガティブな気分になってしまってるのかも。
願望実現も、願えば叶うというより、その叶った未来を深層意識で感じ取っていて、
そういう未来になるような願望を抱くように必然的に仕向けられてるのかもしれない。
例えば、社長になりたいという願望を抱く人がいたとする。
彼は数年後、社長になった。彼は自分の願望が実現したと感じるだろう。
でもほんとは、数年後の未来はすでに存在しており、彼は社長になる未来が存在していた。
その未来を無意識下で予知的に直感で感じ取った彼は、
必然的に、おれは社長になりたい、という願望を抱くようになる、ということ。
この説がなぜ正しいと思うのかと感じるかというと、霊能者や占い師がよく言うでしょ。
あなたは何年後に結婚して、何人のお子さんを授かります、とか、
あなたの将来の結婚相手の姿が見えます、こういう容姿の人です、とか。
なぜ存在しない未来の姿がみえるのか。それは未来というのはすでに存在していて、
霊能力や占い師は、そのすでに決まっている未来を覗き見てるにすぎない、ということなんじゃないかと。
ということなので、願望実現の法則とか、潜在意識に焼き付ければ実現するとか、
思ったことは現実化するとか、それは単に未来を予知してるに過ぎないんじゃないかなぁ。
社長になる人は必然的に、というか守護霊の意識によって本人に社長になりたい願望を持つように
導かれるんだよ。 >>277
悟りを開いてから周りの人の変化は、そんなに変わらない。
というかほとんど変化ない。
なぜなら、彼らは悟りを開く以前のぼくのイメージのまま今現在もそのイメージで見てるから。
だからぼくとしては生まれ変わったような別人みたいな気分がするんだけど、
相手からすると、変化はあまり感じられないんじゃないかなぁ。
でも相手の我を刺激してしまうことでギクシャクすることはなくなったかも。
自分のエゴやプライドが相手の癇に障って、相手をイラつかせたりするの、
そういうのはまったくなくなったかも。
だから人間関係は穏やかになったかもしれない。言われてみれば。 >>278
ありがとう。
そんなもったいないお言葉。嬉しいです。
でも客観的に自分を見てみると、そんな素晴らしい存在ではないかなぁ。
でもそういう存在になれるようになりたいな。
自分も予知夢だったり明晰夢だったり不思議な夢を見たときは、
必ず浅い眠りの昼寝の時だったような。
寝起きで貞子みたいな幽霊が足元に立ってたときも、昼寝の時だった >>282
信じる信じないじゃなくて、いるかいないか。
ぼくは体験からいると確信してる。
予知夢や神秘的な夢を見たとき、守護霊の声を聞いた。
守護霊を意識すると、ゾロ目を頻繁に見るようになる。
そもそもスピリチュアル探求者なので、守護霊の存在は肯定的。
ノンデュアリティーの人たちは守護霊とか霊界とか信じないのかな。
じゃあぼくとちょっと違うね。 >>284
回答ありがとう。
ノンデュアリティの人達はどうなんだろうね? 今ここ、今この瞬間に意識があるということについて。
ぼくは悟りを開いてからというもの、24時間四六時中毎日ずーっと今この瞬間に意識がある状態になってる。
なのでかっこいい言い方をすれば目覚めてる状態。
意識がずっと目覚めてる状態なので、寝るとき以外はボーッとする瞬間がない。
テレビ見ながらボーっと、コーヒー飲みながらボーっと、考え事しながらふとボーっとしてしまうことが
1秒もない。一瞬もない。ずっと何かに意識が向かっていて、何かに気づいてる状態。
瞑想中のときのような、ある対象をずーっと意識し続けてる状態がずっと続いてるようなもの。
なので過去のこととか未来のことも考えられなくなった。
そのため時間の感覚を感じなくなり、時間が存在しないような感覚になってくる。
今ここに100パーセント目覚めてる状態は、とても安心感があり、
瞑想中に感じられるような安らぎや静けさや穏やかさを、ずーっと感じられる。
今ここに意識がある状態では空間の感覚もすこし変に感じる。
例えば、家から職場まで行くとする。その間ぼくは一歩も動いてないように感じられる。
これは感覚の話なので実際には動いてるんだけど、
自分がどこに行こうが動こうが、目隠しされて飛行機に乗せられて日本からアメリカに行くような、
本人はまったく動いてないような、動いてることに気づいてないような感覚になる。
なので空間というのは存在しないのではないか、という気もしなくもない。
つまり時間も空間も、あまり実態を感じなくなったような気がする。
時間も空間も存在しない、それはつまりこの世は実在しない。一切皆空色即是空ということか。 ぼくは悟りを開いてから、
まるで自分が空気のようで価値ないもののように感じられると言ってきた。
その理由を考えてみた。
自己像というのは、過去の記憶によって生まれる。
過去の記憶から、自分はこういう人間だと認識する。
今この瞬間に意識がある状態では過去のことを思い出せないので、その自分像が消えてしまう。
自分像が消えてしまう瞬間は誰にでも感じられる。テレビゲームに熱中してるときとか、
趣味に没頭してるとき、意識が100パーセント今この瞬間に集中してるとき、
自分という存在は消えてしまって感じないはず。
それが24時間ずっと続いてるような状態なので、自分というものがなんか存在しないような感覚になってくる。
そのため、まるで自分が空気のような価値を感じられないもののように思えてしまうのかと思う。
まとめると、時間も存在しない、空間も存在しない、自分も存在しない、
ように、感覚として感じられる。
その感覚を信じるなら、この世界は実在しない!と言うこともできる?
世界も存在しないし、自分も存在しない。
じゃあ何が存在するように感じられるか。
なにが実感を伴って感じられるか。それは 世界も自分も存在しないように感じられる。
じゃあ何が実感をともなって感じられるかというと、
それは、このぼくの意識。
このいっけん存在してるように見える世界を認識してるぼくの意識。
存在しないように思える自分という存在を認識してるこの意識。
この意識だけは、かすんだ平面の絵のような世界にあって、唯一とても鮮明にリアリティーをもって感じられる。
なので世界も自分も存在しないような感覚でも、
ちゃんとリアリティーをもった意識の明瞭さ鮮明さは誰よりもあると思う。
夢の中であっても、ちゃんと意識はあるので
自分の感覚からすると現実と夢はほぼ変わらないような感覚で感じる。
逆に夢のほうがリアリティーがあったりするので困る。
この意識こそ唯一実在するもので、この意識の中にすべてが存在している。
霊視で人の内面や未来や色々なものがみえる現象も、この意識の中にすべてが存在してるからだと思う。
この意識の中に世界が存在し、自分が存在している。
今は肉体に入ってるので3次元のかすんだ世界しか認識できないけど、
肉体を脱ぎ捨てたとき、新たな世界がこの意識の中に存在するようになると思う。 この意識のことを、神という。
神という用語を使うと宗教くさくなるけど、まあ神なんだ。仏でもいいよ。
人は神の子というのは、この神のものである意識が人間にも存在してるから。
ぼくの意識は神のものであるし、神の意識はぼくのものでもある。
つまり、神の意識とぼくの意識は同じものなんだ。共通したものなんだ。
意識は1つしかない。なのであなたの意識とぼくの意識は、実は同じ意識なんだ。
人は別々の存在のように思えるけど、意識だけみればみな同じ意識を共有してるんだ。
同じ意識なので、霊視で誰かの心境を感じ取ることもできる。
意識の中にはアカシックレコードがあって宇宙すべての情報がそこに存在しているので、
意識がある者は誰でもそこから情報を引き出すことができる。 神とは意識のことなので、
意識のあるものすべて神自身であるといえる。
凶暴な肉食動物や極悪な殺人鬼、それらにも意識は存在するので、神なんだ。
万物は神であって、神のものじゃないものなど1つも存在しないんだ。
それはあなたにも置きかえることができて、
すべてはあなた自身であって、あなたじゃないものなど1つも存在しないんだ。
だからもしあなたが誰かを傷つけると、それは自分を傷つけるようなもの。
そこから因果の法則、カルマの法則が生まれたんだ。
すべては自分ゆえ、自分のように隣人を愛しなさいと、キリストは言ったんだ。
意識には宗教や人種、性別含め、種族の差も存在しない。 悟りを開いたぼくの意識と、普通の人の意識と何が違う?
何も違わない。まったく同じ。
ただ違うのは、悟りを開いたことで気づいてしまった人と、まだ気づいてない人。というだけ。
何に気づいてしまったかというと、この世がなんか実在しないんじゃないか?
自分って存在しないんじゃないか?っていうこの世はまやかしってことに気づいちゃった、ということ。
そして気づいた人は、はいもうゲーム終わりー、手品のタネが暴かれました、ということで、
もうこの世に生まれてくる必要ないよ、ということで、輪廻転生を解脱する、ということになるんじゃないかな。
だから、悟りを開くと輪廻転生を解脱するっていうふうに言われてるのかもね。
知識で知っちゃった人はどうなんだろうね。それでも解脱できるのかな。
それともやっぱり実感が伴わないと卒業させてもらえないのかな。 >>291
さらに、植物も意識があると気付くとさらに広がる気がする。
植物の場合、いわゆる人間的な意識なのかどうなのか、少し探るとおもしろい。 >>283
レスありがとうございます。
多くの人が、明晰夢や、異世界体験を、幻覚だとか、妄想だとか、単なる生理現象でしかない、と笑って片づけているのが現状です。
捏造物語も多いので、そうとしか思えない人は、それは、それでいいのでしょう。
私は明晰夢を見るタイプでしたが、夫も明晰夢を見ることができ、
私たちは明晰夢で、現実と同じように出会い、声を聞くことができました。
それは、一人の夢を共有したのではなく、もう一つの別の現実でした。
私たちは朝食を食べながら、明晰夢での出来事を話し合うことができました。
決して、あなたは森を彷徨っているのではない。
少なくとも、今までの自分には、埋められなかった部分だし、力尽きていた自分のこれからの指標となるお話です。
なぜ瞬間移動などの超能力が可能なのか、その核心だとも思います。
納得がいく内容です。
お話しに感謝するとともに、
まだお若いようなので、この世的な幸せも願っております。
生身の身体は無理できません。
どうか無理せずお身体も大切になさってお過ごしください。 >>292
これ書いたのはあなた?
霊的覚醒について考えるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1496921471/481
481 名無しヒーリング[] 2017/11/21(火) 21:07:13.99 ID:JU3XyCZ4
ラマナマハルシの真我瞑想をしていたら瞑想中に起こった感覚なんだけど。
初めて行った瞑想法で、私の意識が発生する根源を感じる方法で瞑想してみたら、
しばらくして目の前がグルングルン強烈なめまいがして
身体中が不思議なエネルギーに包まれる感じがして、意識が肉体から離れていく感覚になった。
うわなんだこれ?と思い冷静さをたもち、とにかく身をゆだねようとその感覚がおさまるまでいたら、
その感覚がおさまって目を開けると、今までハートにあった自我の部分が消えて無くなっていた。
24時間ずっと瞑想中のような今ここにいる感覚が一週間たった今でも続いているし、全身が肩の力が抜けたようなリラックス状態で内面は穏やかで安らぎに満ちている。
この一ヶ月自我の消滅と真我と悟りを開くことを目標に瞑想してきたけど、
これが悟りの経験か?と思った。でも神との一体感や神の叡智みたいなものはまったくない。あるのは自我エゴが消滅した感覚。
この体験わかる人いますか?そしてこれから自分はどこを目標に瞑想していけばいいでしょうか? これについてはどう思う?
483 枯枝[] 2017/11/23(木) 11:46:18.98 ID:exeLFOk2
>>481
無心の段階で、仏教で言うところのアラハンと言われていた段階ですが、
無心は、アラハンの前段階と思われます。
無心の心境から出あう方への思いやりが持てると、アラハンの登竜門に
入ると思われます。 >>295
よく見つけてきたね。
そう、それぼくが書いた。
悟り体験をして1週間後くらい。
どうしてもこの神秘体験の意味を知りたくて、ほかにも同じ経験をした人がいるか、
何か知ってる人がいるか知りたくて聞いてみたけど、
やはりというか誰も知らなかったみたい。
この神秘体験した1週間目の書き込みにも、
これから自分はどこを目標に瞑想していけばいいのか?って聞いてるので、
この体験で、ああ終わったんだ、すべて終わった、という気持ちからこのような質問が生まれたんだと思う。
あれから1年経った今じゃ、もうスピリチュアルや瞑想への興味も無くなって、
無目的に生きてるよー。
1年経った今も、次の目標が見つからないでいる。
それはもうすべて終わってしまったからなのか?
もう学ぶべきことがすでになく、卒業してしまったからなのか? >>297
やっぱり同じ人だったか…
同じような経験してる人見つけたと思ったんだけど、言ってることが同じすぎた 笑
あれからずっとさまよい続けてるんだね
そう考えると、悟りってのもなんだかなあって思う >>295
よく見つけてきたね。
そう、それぼくが書いた。
悟り体験をして1週間後くらい。
どうしてもこの神秘体験の意味を知りたくて、ほかにも同じ経験をした人がいるか、
何か知ってる人がいるか知りたくて聞いてみたけど、
やはりというか誰も知らなかったみたい。
この神秘体験した1週間目の書き込みにも、
これから自分はどこを目標に瞑想していけばいいのか?って聞いてるので、
この体験で、ああ終わったんだ、すべて終わった、という気持ちからこのような質問が生まれたんだと思う。
あれから1年経った今じゃ、もうスピリチュアルや瞑想への興味も無くなって、
無目的に生きてるよー。
1年経った今も、次の目標が見つからないでいる。
それはもうすべて終わってしまったからなのか?
もう学ぶべきことがすでになく、卒業してしまったからなのか? >>280
なるほど。感情(フィール)が将来を予見してるってことね。
エイブラハムもとにかく感情に注目してなるべく「快」を目指せといってるよね。
良い気分居続けて居ることによって、その予見した未来を早送りできたりするんだろうね。
願望実現について、よくわかりました。興味深い洞察どうもありがとう。
ちなみに、覚醒してからも気分が良いとか悪いとかあるの?
それって二元の世界のような気がするし良い気分を目指してしまいそうなものだけど。
例えば体調を悪くした時とか、覚醒前と後でどう変化したのか聞かせて貰いたいです。 >>301
感情や気分について悟り体験で変わったのは、
自我が刺激されることによって生じる感情の変化というのは無くなった。
例えば、君って何々だよね、って言われて喜んだり怒ったりするような。
自分の物を壊されて腹が立ったり、悲しんだり。
自尊心を傷つけられてへこんだり、プライドを触発されてカッとなったり、
そういう、自我が存在することで生じる喜怒哀楽は無くなったように思う。
一切感じなくなった。
だから内面はとてもシンプルで静かで安らいでいる。なのでとても生きやすい。
気分については、悟る前はたまに漠然とした不安みたいなのが襲ってきて、
強い孤独感に襲われたりしてたんだけど、それがなくなったように思う。
いつも基本1人なんだけど、寂しいとか孤独という感覚がしない。
すべてが満たされてるような感じがする。
基本あまり病気にならないから、体調の変化によって気分の変化はよくわからないけど、
前に歯が痛くなったときあったけど、でも気分は安らかで穏やかでいられたような。 >>305
バイトしてる。とても気楽で自由な時間も多いしいいよ。
正社員で働いてたときもあったけど、働くために生きてるような気持ちになってきて辛かった。
この歳で母親にすぐ報告するし、社会的にはフリーターだし、
社会的な人間的には未完成な気もするけど、まあ最後の地上人生だし
そんなにあくせくと頑張らなくてもいいかなぁ。 解脱した人からは「最後の地上人生」というフレーズは出ないよ。
自分が解脱したかどうかもその場で瞬時に自分でわかるから、人に聞いて「あれはやっぱり解脱だったんだ」なんてものでもないよ。
それと、それまでの生前の行いによってその場で行き先が分かれるのだろうね。 真理を知るためには難しい本を読む必要はない。
難解な仏典や難しい哲学書を読む必要なんかない。
それらに興味が出て探求する時期もあるけど、
その先には、それらの知識を捨てる時がくる。
自分が真理そのものであると気づくようになる。
そのとき、一切の探求は終わる。
かっこいいこと言ったなぼく。 本来の修業なら続けて続けて修練を重ねて編み出して未知を味わい行くものであって
自我がなくなったで止まるんじゃなくて
そこから色々と切磋琢磨していくもんだろうからね
自分の食べてる何一つさえ創造できず生きてるのに涅槃や仏陀になれたらそりゃ勘違いだ >>310
だから、悟り(?)って終わりじゃなくて、始まりだよね、って気がするんよね。
一休宗純、鈴木大拙、市井の人々、etc...
悟り後の行いがね、いろいろあるよね。と思うよね。 でもって、瞑想、座禅、弓道、修験道…なんでもいいんだけど、そういうことをしなくってもね、ポンッと一元に触れていて、一緒くたになってる人もね、市井の人々の中にもそこそこいるんだな、と思うんだよね。
言ってる言葉が、いわゆるそういう知識を知らないゆえに、不十分な表現であっても、行動がね一元との一体感で動いてる人っているんだよね。
例えば、ある種の野菜とか果実園とか、そういうものを営んでる人とかね。
逆に、迷子になってるな〜って人もね、いるんだけど。そういう人は、一元ではなく、ちょっと強引な言葉だけど、人工物に取り込まれて一元を忘れてるというかね。 まあ、なんかスピ系のスレだから、俺が書き込んだことすんごいスルーされちゃうんだけどww
虚無主義ではなく、彩の話でね。
しかし、そこに留まり続けるのもある種の彩りでもあるから、それはそれで、そうだなとも思うんだけど。 >>308
なんで解脱した人のことを知ってるの?
あなた自身が解脱した体験があるとか?
>>310
なんでその先のことを知ってるの?
みんな想像で語ってない? 何ピキピキきてるんだこの人?
自分が悟ったというなら他人が何言おうと関係ないのに
ただ平坦に安らかに生ける屍として余生を暮らしていればいいと思うの >>307
フリーターって言ってもいろいろあるけど、35にもなって親の臑齧りじゃあ悟りとか以前に
「まず、自立した方が……」になっちゃう。
覚醒しても自立して、社会と調和しながら両立できてる人だったら、おぉ!ってなるけど。
覚醒した人って欲がなくなってしまうから、上の人も言うとおり「穏やかに生ける屍」みたいになっちゃうのかもね。
でもみんな、それを目指してるのか?と言われればそうじゃ無い気がする。 >>317
そこは、いいんじゃないかな?
出家してる坊さんなんかはフリーターですらないわけだし。
フリーターでMステ出てるミュージシャンもいるわけだし。
時代的にいろいろだから、そゆところは、置いとこかない?と思っちゃうかな〜。 そういう偏見ってあるでしょ。
こうあるべきっていう固定観念。
社会に植え付けられたのか、親に植え付けられたのか、そういう先入観というやつ。
そういう基準で他者を裁くのもいいけど、
それで自分の首を締めてることに気づいたほうがいい。
そういう思考で心を縛られて苦しんでるんだよ。
その偏見や固定観念から自由になる。その時初めて心の安らぎを感じる。
悟りを開いてからそういう偏見が一切消えた。
社会的弱者も強者もぼくの目からみたら一切変わりない。
真実の姿をみてください。妄想で真実の姿が見えなくなっています。 一度生まれてからの刷り込みが全部洗脳されると本当に驚くよね。 >>321
あぁ、ホントだ。私はいつの間にかこう在るべきってのにがんじがらめになってたわ。
悟るとそういう感じなるんだね。ホントに甲乙が無いというか。深く納得した。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
元宇宙人が教える ノーザンコペルニクス
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死の恐怖は克服できた?
肉親や大事な人が死ぬことはあってももう悲しむことはない?
肉体に激痛が走っても重病になっても穏やかな気持ちになれる? >>321
うわー、素敵です。
でも現世的に他者に何もよい影響を及ぼせない薄っぺらさって、
命が尽きたときに本当に本人が望んだ結末になるのかな?
似非スピリチュアリストの誰かさんの話を持ち出していた時点で怪しいと思ってしまうのだけど。 仏陀や聖人が正しいと証明した話なんて現世で奇跡を起こしたくらいしかないからな。
奇跡を起こせない、それもフリーターで現世で何も影響力を持たないのに何か語る人って正直信じられない。
思考の転換的なものは頭の病気だといくらでもおこるしね。
精神の衛生にはいいんだよね。
スーハッハーって心の深呼吸だな。
価値観のちがいだねw >>325
自分が死ぬことに恐怖は感じない。
むしろ死が待ち遠しいと感じる。あの世に行くということは幸せなことだとわかってるので。
肉親の死については、悟りを開いてからまだ起こってないのでわからない。
悲しむかもしれないし、何も思わないかもしれない。
悟りを開く前はドキュメンタリー番組とか見たり暗いニュースを見ると悲しい気持ちになっていたけど、
今はそこまでの悲しみを感じなくなったように思う。
なんというか、そういう現実がその人の身の上に起こっているんだな、というだけで
それが良いとか悪いとか思わない。そういう現象が存在するだけで、それが幸不幸とは考えなくなった。
なので、ありのままの現実をそのまま直視するような感覚で認識してる。
だから悲しまなくなったのかも。
肉体に激痛だったり重病になったことが悟り体験以降ないので、わからない。
穏やかな気持ちでいられるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、仕事でトラブルとか焦るような場面があっても、以前みたいに焦ったり動転したりしなくなったような。
いつも穏やな気持ちの落ち着いた状態でいられてるような。 >>328
興味深いレスありがとう
仕事はしてるようだけど人間関係に変化は起きたかな?
周囲の人とより親密になったとかあるいはその逆だとか
今まで出会ったことのない人との出会いが起こり始めたとか
それから古代文明遺跡に何か特別な見識が芽生えたとか
縄文土器の渦巻きに時間を超えたシンクロを感じるとか >>329
人間関係の変化は少しあったように感じる。
職場には沢山の人がいるんだけど、自分の好きなタイプの人もいれば、
苦手なタイプの人もいる。
そのなかで無意識に、好きなタイプには親切に、苦手なタイプには嫌悪感を出してたきがする。
そのため相手もそれを感じとって、鏡のように自分に対して好意悪意を返してきたように感じるけど、
悟りを開いてからは、好きなタイプの人や苦手なタイプという偏見が消えて無くなったような感じがする。
なので誰に対しても同じような平等な目で見るようになったので、
自分の苦手なタイプの人との関係がよくなった気がする。
あとぼくはバイトなんだけど、責任者とか社員とかの人に対して、前までは上下の位置関係を強く感じてたけど、
そういうのも感じなくなったというか。
なんかすべての人がみんな平等で、どんな悪人面の人も善人みたいな人も、同程度の親近感を感じられるというか。
なので、極端に言えば、家族とそこらに歩いてる赤の他人が、同じような親近感で感じられる、というような。
それは悟りを開いてから変わった所だと思う。
古代文明とか縄文土器をみて、何かインスピレーションが沸き起こってくるみたいなことはないかなぁ。 私なら
まるっきり鵜呑みにしてみるなら
悟ったという人を悟ったとして
その人の言うことなすこと見て聞いて
そんな人になりたいか
なりたくないか考えて
自分がこの世界に産まれて生きて
何をなしてどう生きて死ぬか
どんな望みがあるのか
ハッキリさせたいと思うだろうな >>330
どうやら好き嫌いの選別機能の縛りがなくなったという感じのようだね
好き嫌いの判断をつかさどる脳の扁桃核に何らかの変化が生じた
ということかもしれない >>332
私も同じような体験後、脳の中が変わったとしか思えなくて。
扁桃核調べてみよう。 やっぱり脳(特に左脳)の状態が変化してるってことかな。前々から出てきてた意見だよね。
ジルボルトテイラー氏の動画によると、彼女は左脳の機能不全で悟りのような状態になったそうです。 >>334
それは教えてもらって見たことあります。 マインドフルネスに戻ってほしいのは俺だけ?
このスレ、117、118あたりまではすごい参考になったんだけど。
この流れが続くのならブックマーク外すわ。 確かに。
悟った悟ってないの話よりもよほど現実的で役に立つ。 話題なんかは構わず話せば良いだけで
それじゃ嫌だみたいに言う人はこうじゃなきゃダメみたいな観念に縛られてるわけでしょ
他に話たいなら話せば良いだけなんだから(・∀・)♪
自分が欲しい話題が得られないのとスレのあり方はイコールじゃないと思うんだけどな 参考になる事はほぼ前半で出尽くしてるんじゃないかな?
後は実践した人の報告になっていく感じじゃない?
しかしマインドフルネスなかなか上手くいかない
如何に意識がアチコチに飛んでるのかを痛感するわ
もう少しイマココが増えてきたり変化があれば書き込みにきます マインドフルネスにしろ坐禅にしろ準備が最重要たよ
眠くならないようにしておくのはもちろんだけど座って足組んで背伸ばす動作とか物が見える聞こえるといった自分が問題なくやれてる事を実感してもう何もする必要が無いなって納得できたらそのままにしておけばいい
何もしないでいようとして坐るのではなくこれ以上何もする必要が無いと納得してから坐るってのがミソ マインドフルネスとか瞑想って無心になればいいんですか?
でも人間工学的に無心になるって不可能だと思うんですけど... 無心って、思考が止まってる状態のこと。
思考を止めるためにマインドフルネスや瞑想をする。
思考が止まれば実はどんな方法でもかまわないんだけど、
思考が止まる方法は1つしかない。
それは、今ここ、今この瞬間に起こってるある1つの対象を意識し続ける。
今している呼吸、今聞こえている音、今感じる身体の感覚、
どれでもいい、どれか1つ選んで感じ続ける。
すると思考がだんだん止まっていく。
思考が止まると感情も止まる。なぜなら感情は思考から生まれるから。
感情が止まれば、心は静かで安らかで穏やかになる。それがリラックス状態。
それが目的でマインドフルネスは行われる。そこまでがマインドフルネスの到達地点。
でもその先にいくと、その状態は真我の状態と言える。思考や感情の自我が消えた真我の状態。
真我の意識状態が生活の中で増えていくと、次第に自分の中の真我の割合が増えてくる。
そして最終的に100パーセント真我の状態となるとき、覚醒体験が起こり、
自我の消滅が起こる。それは悟り体験という。
その悟り体験によって輪廻転生を解脱し、仏陀となる。
それが仏教の根本の目的。そのために様々な修行や勤行が行われる。
でもそれでも悟りを開くことのできる人はごくわずか。
でもぼくはふかふかのソファーに座りながら、リラックス曲流しながら悟り開いちゃった。 歩き瞑想ってあるでしょ。
最初不思議だった。瞑想って半意識状態になることなのに、
なんで歩きながら瞑想状態に入れるのか?って。
それは自分が誤解してた。
瞑想というのは半意識状態になることじゃなくて、
1つの対象を観察し続ける集中状態のことなんだということ。
それを誤解してた。
瞑想って、目をつむってするイメージがあるから、どうしても半分寝てるような感じに思えるけど、
じつは逆で、目をつむりながら、全神経をある一点に集中し続けてる状態のこと。
だからボーっとするのとは逆で、超神経が研ぎ澄まされてるような覚醒状態のことを瞑想状態というんだ。
それを誤解すると、座禅組んでロウソクつけて見た目は本格的なんだけど、
半意識状態、変性意識状態に入ろうとしてしまう。そういう状態になることが目的になってしまう。
それは間違った瞑想。全然瞑想じゃない。瞑想とは真逆なので、瞑想を終えるとダルくなったり疲れを感じたりする。
本当の瞑想状態は、刀のように神経が集中して1キロ先の音も聞こえるくらい意識が目覚めてる感覚なので、
瞑想を終えると、なんとも清々しい目覚めのような気分になる。
それを意識して瞑想やマインドフルネスやってみるといいよ 瞑想やマインドフルネスはリラックスするものだから、
肩の力を抜いていリラックス状態で行うと思ってるけどそれ間違い。
瞑想やマインドフルネスの結果リラックス状態になるのであって、
行う前は適度な意思と集中力が必要だよ。
だから座禅は足を組んで背筋伸ばして、わざわざ緊張状態の体勢を作るの。
だから、瞑想すると眠くなるってことは本当はないんだよ。
眠くなんかならないよ。超集中状態が続いてるんだから。
ぎゃくに普段の状態よりも、目覚めてる状態なんだよ。
なので眠くなる瞑想してるっていうのは、さっき言った間違った瞑想しちゃってるんじゃないかな。
それか、肩の力抜きすぎてリラックスしすぎてるか。
ある程度の緊張感は必要なんだよ。精神統一状態だからね、瞑想というのは。 子供がゲームしてるとき、何か趣味に熱中してるとき、
登山家が山に登ってる時、洞窟探検家が洞窟を探検してるとき、
爬虫類研究家が爬虫類を追いかけ回してるとき、
その瞬間すべて、瞑想状態と同じ状態。
今この瞬間に集中して、思考が止まってる状態。
なので人は、自分のやりたいことしてるとき無意識に瞑想状態になってるわけ。
みんな様々な道で、違うやり方で同じものを目指すようになってる。それは悟り。
ボクサーはボクシングで、オリンピック選手は競技で、
ピアニストはピアノで、瞑想状態に入り、真我の状態でいる時間を長くしようとする。
その真我の状態が多くなるほど悟りに近づく。
みんな自分のやりたいことをやった結果、悟りに向かっていくシステム。誰かが作った。
その最短で合理的な方法が、瞑想。
仏教にも宗派によって色々方法あるけど、そんなのいらない。
家のソファに座って、聞こえてくる音を聞き続けてればいいだけ。 >>347
極限まで自分を追い込まないとゾーンに入れない印象があるんだけど、
ゾーンに入るには努力が必要と思いますか? >>342
チガウチガウ(-д- 三 -д-)ソウジャナイ
ソウダソウダ(o・ω・o)ソウナンダ
どちらもok(・∀・)♪
雨が降れば傘をひろげて歩く人がいる
傘ではなくてカッパを着る人もいる
まして何もなく雨にうたれて遊ぶ子供もいる
人の心は人それぞれその時に無為自然になるものだよ( ´∀`)σ)∀`)コーヒークチクセェョ 仏陀は苦行したけど悟れなかったと言ってるよね。
けど、欲に身を任せた生活もダメだと言っている。
両極端にならず中道である事を説いたのが仏陀です。
二元論は避けましょう。
ここからは私の理解ですが、中道を実践するにはそもそも中道とは何かを知るための智慧が必要で、智慧を得るには瞑想が必要。
瞑想によって自身を理解し、世の中の因縁を理解する。
それには苦行とはまた違う努力が必要なんだと思います。 私は中道は実践するものではなく到達するものだと思ってる。 >>351
ゾーンに入るための努力とは、変性意識に入るための努力といえる。
そもそもそれ自体が間違ってる。
瞑想の到達点は、今この瞬間を感じることであって、
変性意識状態になることは瞑想じゃない。
今ここを感じ続けてるとそういう状態になることもあるが、
それが到達点ではないし、目的でもない。
そこを勘違いしてしまうと、変性意識状態ゾーンに入ることが目的になってしまい、
そのための努力という自我から生じる考えが起こる。
そもそも瞑想に努力など必要ない。
今その状態でその体制で、今聞こえてくる音を意識してみる。身体の感覚を感じてみる。
それがすでに瞑想状態なんです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています