http://toyokeizai.net/articles/-/204297?display=b

2018年01月14日
高松 平藏 : ドイツ在住ジャーナリスト

年末に話題になったのが、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の漫才。12月17日のフジテレビ系番組「THE MANZAI」に出演し、沖縄米軍基地、原発、震災、北朝鮮問題などを風刺した漫才を披露した。さらに同コンビの一人、村本大輔さんは元日にテレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」に出演。尖閣諸島に関する発言などが物議を醸している。

一方、欧米のコメディにはもともと政治や社会、宗教といったものを風刺するお笑いが多い。ここにきて「こういう形で日本でも風刺はできる」ということを見せてくれたのがウーマンラッシュアワーではないだろうか。これまでも時事ネタ、政治ネタを得意とする「爆笑問題」や劇団「ザ・ニュースペーパー」の存在は知られたところだ。また日本の芸能史を遡ると権威を皮肉るようなネタを扱っていた者もいる。

ドイツにはご当地風刺芸人が存在する

しかし、全体的にいえば、そういう性質のお笑いはどうも日本には馴染みにくい。ウーマンラッシュアワーの風刺漫才に対する反応を見ても、賛同者が多い一方で、「アレルギー反応」と言ってもよいようなものさえ散見される。筆者が住む、ドイツの様子と比べながら、なぜ日本で風刺が馴染みにくいのか考えてみよう。

ドイツのお笑いといえば、「カバレット」と呼ばれるものが健在だ。話芸や歌、寸劇などを行うもので多分に風刺を含む。テレビでも政治や社会を皮肉るカバレット番組が放送されているが、同時にドイツ各地にカバレティストがおり、地方色を出している。私が住むドイツ中南部のエアランゲン市(人口約11万人)にもカール・クラウス=カールというご当地カバレティストがいて、町の書店では同氏のCDが売られ、市内のカバレット専用劇場にもよく出演している。

ところで風刺は社会においてどのような意味があるのだろうか。

原点としてよく紹介されるのが、中世の王家では道化師を召し抱えていたという話だ。道化師は主人を楽しませるだけではなく、風刺も行った。王侯貴族にとっては、風刺を通して自らの「まつりごと」について、本当の状態を知ろうとしたというものだ。

いいかえれば、道化師は権威者の状態や社会の真実を映す鏡とでもいえようか。カバレティストにもそんな面があるし、毎年2月にドイツで行われる伝統的なカーニバルでも、街の通りを練り歩く山車には政治や社会に対する皮肉や風刺を造形したものが多い。また「アリはなぜよく働くのか、それは労働組合がないからだ」といった類の風刺演説も行われる。

風刺はジャーナリズムの役割に似ている

社会を映す役割という点では、ジャーナリズムにも似ている。ジャーナリズムの定義は様々あるが、まず社会の事実を切り取る。さらにそれに対して解釈や価値付けを行う側面がある。

日本では記者の主観や意見を入れない「客観報道」が重視されるが、取材で得た事実をどう伝えるかは、程度の差こそあれ、記者や媒体のバイアスはかかる。むしろ事実はきちんとおさえつつ、それを多様な立場から解釈や価値付けがなされることに値打ちがある。そこには社会における問題や課題の提示があり、議論喚起につながる。いわば社会の「ツッコミ役」である。民主主義社会ではきわめて重要だ。

欧米の芸術家たちもジャーナリズムに似たものを持っていることが多い。彼らは記事ではなく、作品化を通じて問題提起にまで及ぶ。彼らもまた社会の「ツッコミ役」といえる。コメディによる風刺もそういう芸術の一分野と見ると説得力が増す。「地域のトレンドを映しだし、世界中の問題を地元の方言でお客さんに伝えることが仕事」(カール・クラウスさん)。
(リンク先に続きあり)