絵里「はじまるまえに」
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夕食後、自室に戻ってからのこと。
しばらく我慢していた蒸し暑さに耐えきれなくなって、ベランダに繋がる大きな窓を開けた。
ふわりとカーテンをなびかせて、ひんやりとした空気が入り込んでくる。
カーテンを開けて、ベッドに仰向けに寝転んだ。
絵里「…」
火照った肌の温度が風に奪われていく。
心地良くて、ぼーっとそのままベランダの外を見つめていた。 亜里沙「おねーちゃーん、入っていー?」
廊下から声が聞こえてきた。
漫画でも借りに来たのかな。
絵里「んー」
亜里沙「お邪魔しまーす」
絵里「ん」
外を向いたまま適当に返事をする。 亜里沙「あれ、なにしてるの?夜にお昼寝?」
絵里「ただ横になってただけ。亜里沙は?」
亜里沙「暇してた。具体的にいうとスマホいじってた」
似たようなものか。
やっぱり暇つぶしアイテムでも発掘しに来たんだろう。
亜里沙「だからおねえちゃんに構ってもらいにきたよ」
絵里「…」
構えってお願いされても、ねえ。
むしろ構えちゃう。 亜里沙「めっちゃ暇そうだね。というかこの部屋涼しくない?」
絵里「窓開けただけ」
亜里沙「へえ、昼間は暑いくらいだったのに。亜里沙も当たるー」
ちょこちょこと歩いてくると、ベットの窓際側に腰掛けた。
風遮られるんですけど。 亜里沙「きもちいー」
亜里沙のサラサラの髪一本一本がカーテンのように広がってなびく。
綺麗なストレートヘア。何度見ても羨ましい。
亜里沙「最近超気温高いよね。ついこの前まで分厚いコート着てたのに」
絵里「ええ。桜も大分散ってた」
亜里沙「あ、お昼桜見に行ってたんだ?誘ってくれれば一緒に行ったのに」
絵里「…」
時期を逃した花見に誘うのも、ねえ。 絵里「まだ涼しい時期じゃない。昼間はコンクリートに触れれば火傷して、夜は窓を開ると熱風が吹き込んでくる季節に比べれば」
亜里沙「熱帯夜はこりごりだよー。丁度いい時期は短いね」
絵里「ええ」
ほんとに。
四季があるということには多くのメリットもあるけどデメリットもある。
特に日本のように夏と冬が丁度半分に分かれるような環境では、それが顕著だ。
それぞれを味わえる分、慣れてきたと感じる頃には季節が変わってしまう。
慣れてしまえばさほど辛さも感じないのだけど、こうも順繰りにこられると結構難しい。 亜里沙「きもちいな」
しばらく、亜里沙も外を見つめていた。
どこまでも澄んだ純粋な目が、家や街灯の街の光を反射していた。
私も風を感じながら夜闇を眺めた。
吸い込まれそうな感覚に、不思議と、落ち着きのような安らぎのようなものを感じた。
亜里沙「ねえ」
涼しく、けれどあたたかい沈黙の中、亜里沙が私を呼んだ。 亜里沙「寂しい?」
同情でも慈愛でも非難でもなく、純粋にそう尋ねてくる。
彼女の目は、何を映しているのだろう。
知りたくて、分からないふりをする。
絵里「何が?」
亜里沙「これまでのこと、これからのこと」
横顔から伺える瞳は、遠く一点を見つめている。 絵里「どうしたの、急に」
亜里沙「ううん、ただなんとなく、おねえちゃん寂しそうだなって気がして」
そんなふうに思わせる仕草をしたか。
無意識の自分を振り返ってみても、思い当たる節は見つからない。
絵里「そう見える?」 亜里沙「ほとんど直感だけどね。こう、説明しようとすると難しいんだけどさ、雰囲気とか、ぼおっとして考え事してるな、とか。
最近、ちょっとした時に陰ってるなって感じるの。憂い、は言い過ぎだけど、ビミョーにせつなそう的な」
絵里「…どうかな」
亜里沙は抜けているようで、時々鋭いところを突いてくる。
それが彼女の洞察力が成せる技なのか、姉妹として共有しているものが共感してるのかは判然としないところだけど。
私にはない、真っ直ぐな心が一つの真実を見せているのかも知れない。
まるで髪のようだ、と思った。 亜里沙「私はさ、寂しいんだ。中学校卒業したこともそうだし、μ'sが解散したことも。自分なりに乗り切ったつもりでも、心のどこがでは引きずっちゃってるんだ」
絵里「…」
μ's、という単語に息を呑む。
亜里沙「なんかもやもやーってしてて、なんか集中できなくて、なんか気力が沸かなくて、どこかで気になってる。
最近のおねえちゃんを見てて、私も一緒だって共感したら、自分のこれもおねえちゃんのそれも寂しさじゃないかって気が付いたんだ」
穏やかな横顔には寂しさだとかいったほの暗い色は見受けられない。
むしろ憑き物が落ちたような朗らかさを感じるその表情は、彼女なりに向き合い、出した答えなのかもしれない。 大抵動物好きって抜かす奴は哺乳類が好きなだけ
きっしょいきっしょい毛球オタクは保健所で殺処分されろ 私も、向き合わなくちゃいけないんだろう。
姉としても。
絵里「その通り、だと思う。言われて初めて…いや、言われてようやく、認めようとしてる」
起き上がって、亜里沙の横に並ぶように座った。
遮られていた風が抜けて、春入りたての夜の空気が二人を包み込んだ。
リリホワに同じ星が見たいって曲あったな、って思った。
絵里「私もあれからずっと寂しかったの。つい数日前の話だけどね。卒業して、μ'sを解散してから」
μ'sって単語を認識する度に、走馬灯かと思う程たくさんの思い出が頭の中を駆け巡る。
思い出すと微笑んじゃうくらいに鮮明に。 絵里「まさかもう一度ライブすることになるとは思ってもみなかったから、再び何かしらの奇跡が起こるんじゃないかって、どこかで期待してるのかも。みんなで決めたことなのに」
亜里沙「それでいいんだよ。だからこそ、みんなの心の中で、スクールアイドルとして生きてくんだ。熱烈なファンとして言うんだから間違いないね」
絵里「…ええ」
その通りじゃないか。
目頭が熱くなるのを感じて、ちょっと間をおいてから、話し始めた。
絵里「今日はね、昼間、スーパーのハナマサと神田明神に行ってきたの」
亜里沙「ふうん。どーして?」 絵里「にこと希が、バイトしてた場所だから」
亜里沙「…うん」
絵里「まだ居るかなって見に行ったんだけど、居なかった。二人とも印象的だったの。巫女服姿の希については亜里沙も知ってると思うけど、にこの生肉の販売も面白かったのよ。お肉が二個でにこにこにーって。
…休日だったのか時間外だったのか、これからの新生活のために辞めちゃったのかはわからないけど、会いたかった。誰かに」
亜里沙「そっか。やっぱり今度は、二人で行こうよ。ハナマサに夜ご飯の買い物と、完全に桜散っちゃってるだろうけど、神田明神にお散歩。亜里沙も見たいんだ」 桜といえば、誰もが薄いピンク色の花びらをイメージする。花であれど、木であれど、あのかわいらしい花びらを想像しない人は基本的にいないだろう。
けれども、桜、つまり桜の木にはシーズンがある。年にたった一回、春の始まりに、ほんの数日だけ華を咲かせて散ってゆく。
シーズンとはそういうもので、一瞬だけ精一杯に輝いて、山を越えると何事もなかったかのように忘れ去られていく。
四季のデメリットもまた同じようなものなんじゃないかと思う。
春夏秋冬、それぞれの文化があって、一つの文化を感じようにも、目まぐるしくシーズンが変化していく。 のんびりと、満足行くまで満喫するにはいくらなんでも短すぎるんだ。
たった一年じゃ、何もできないじゃないか。
ちょっとした記録は残せたかもしれない。
けれども、全然足りない、やりたいことの10%、いや1%だってやっていないんじゃないか。
どれだけあったって足りないのに、解散して、それぞれの道を進んで、離れ離れになって、会わなくなって、忘れられて、私たちはもう、散ってしまっただけの──。 亜里沙「なーに泣いてんのさ」
亜里沙に優しく抱き寄せられて、亜里沙の顔が自分の顔に来ていた。
いつの間にか、頬まで伝ってしまっていたみたいだ。
亜里沙「やっぱり、寂しい?」
絵里「…寂しい」
亜里沙「にこさん、希さんにμ'sのみんなと会う機会が減るのが辛い?μ'sは心で生きてくーとか格好付けても、段々と薄れていっちゃうことが怖い?」
絵里「…どっちも嫌」
思わず声が震えてしまう。
前を向かなきゃいけないのに。
新しい道に歩み出さなくちゃ駄目なのに。 亜里沙「けど、どうしようもなかったんだよね。何よりそうしたくてそう選んだんだから、それが正しい」
絵里「…うん」
亜里沙「だから、受け入れていくしかない。けどね、ゆっくりでいいよ。長くてあっという間すぎた一年に区切りをつけるのくらい、時間をかけたってさ、バチは当たんないよ」
前を向かないと私は亜里沙に顔を見せられない。
スクールアイドルにこだわったのは、スクールアイドルが好きだからで、知って、興味を持ってほしかったからなのだから。
絵里「…でも、それじゃ、μ'sを引きずってるみたいじゃない。スクールアイドルに興味持ってくれてる亜里沙や雪穂を否定してるみたいで、そんなんじゃ」 亜里沙「違うよ、そんなの。μ'sのみんなや、ファンのみんなだって、解散した次の日にはキレイさっぱり忘れられてると思う?そんなことできるはずない。他の何かに
移るように思えてもね、ずっと、ずーっと、心の中に寂しさを持ってるんだよ?亜里沙だって、寂しくて、寂しくて、寂しくて、寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて」
絵里「亜里沙…」
私を抱き寄せたまま、亜里沙は、力なく背中を叩いた。
亜里沙「バカ…」
それから何度も。
亜里沙「バカ…バカ、バカ、バカバカバカバカバカ!何で解散しちゃったのさ!」
涙を流して。 亜里沙「おねえちゃんにだけじゃないよ!亜里沙だって、もっともっと、おねえちゃんたちの踊ってる姿見たかった、ただのアイドルで構わないから、またμ'sのステージで盛り上がりたかった!何で…どうしておしまいにしちゃったのさ、バカ、バカ、バカ!」
絵里「…っ」
力の入っていないはずの小さな拳のパンチは、強く響いた。
心に直接したたに響いて、痛かった。
亜里沙「たったの一年足らずだよ!その一年は、おねえちゃんにとってもたった一年?私たちに教えてくれた一年は一日や二日で忘れられるようなどうってこともない時間だったの?」 絵里「そんなことない!」
あるはずがない。
どうしようもなく引きずって、でも今までのこととこの先のことが怖くて、そのおもりに名前をつけるのを避けてただけだ。
終わるものが大きなものであればあるほど後遺症だって大きくなる。
最高に輝いていたから、寂しくないわけないじゃないか。
絵里「また全員で学校に通いたい!一緒に部活やって、練習して、体育館で歌いたい!放課後に寄り道したり、休日みんなで出かけたい!寂しい、寂しいよ、こんなの嫌だよ、離れ離れになって一人で大学にいくなんて嫌よ」 亜里沙「だったらもっと、踊ってよ…また新曲出して、私達の感動する曲、聞かせてよ…」
絵里「でもっ…!」
亜里沙のいう通り、受け止めるしかないんだと思う。
けど、私は勘違いをしてた。
決めたことなのに、引きずってちゃいけないんだと。
寂しさをひたすら溜め込み悩む私に、彼女は当たり前のことだと言ってくれた。
焦る必要なんてないから、ゆっくりと受け止めていけばいい。
あっさりと受け止めてしまったら、ファンとしては逆に悲しい。
だから、時間をかけても、きっとバチは当たらない。 解散しても思い出として残っていくことの美しさは、この大きな寂しさに裏打ちされているものなのかもしれない。
今は、その寂しさを噛み締めたい。
μ'sと思い出とを思い返して、逸していた目を少しは向けよう。
泣いている亜里沙に縋るように、私は大泣きした。 絵里「亜里沙、ありがとう」
亜里沙「大したことはしてないよー。私が愚痴っただけ」
間もなく始まる新生活の前に、もとより私のもやもやした悩みを解消するために部屋まで来てくれたに違いない。
あるいは、多少、本当に亜里沙も不満をぶちまけたかったのかもね。 また、風が吹く。
春を運ぶ風は、新緑のようなみずみずしさとしっとりとした土のかおりを感じさせた。
涙跡が冷たく感じて、こっ恥ずかしくなって見上げれば、涙のせいか暗さが深まったせいか、星や月が輝きを増した気がした。
亜里沙「じゃ、こちらこそ構ってくれてありがと。戻るねー」
絵里「ん」
ひょいと立ち上がる亜里沙に適当に返事をして、部屋を出ていったあと、またベッドに仰向けに寝転がった。
ふうと溜息を吐いた。 おかげで、かなり楽になった。
区切りがついたわけじゃないから、言うとおりそこは時間をかけていこうと思う。
桜の木は一年に一度きりでも、年を越して何度だって咲く。
夏を越し秋を越し冬を越して、また春が来る。
私の人生これから、なんて言ったらおっさん臭いな。
新しい生活に期待して、密かに九人間の繋がりに期待して、明日からやっていこう。
ああ、そうだ。
他の八人も気持ちが落ち着かないのか、なかなかくれないの。
意地張らないで私から連絡してみようか。
はじまるまえに。
おわり やっぱり絵里ちゃんの事一番見てて理解してるのは亜里沙ちゃんなんだなぁ
字の文のどこか切ない感じと立場の真逆な寂しさを共感して支え合う姉妹愛が素敵だった
おつおつでした ソロ3聴きながら読んでたらSENTIMENTAL StepS流れてきてもうダメだった、泣いた
乙ハラショー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています