【人文科学】なんJ哲学・現代思想部
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プラトンからポスト・モダン、現代思想まで
なんJ民で哲学をしよう
東洋哲学、仏教哲学、宗教、倫理、日本哲学、マルクスはもちろん
言語、歴史、文学、地理、心理、芸術、人類文化、などいわゆる人文系のものを幅広く、深く語るスレです。
読書部と重なる部分もあるが、内容が高度に抽象的、専門的になるものはこちらでやりましょう 歴史好きな人も多いからここでやってもいいかもしれない @masayachiba
わかりにくく書くのが悪い、という批判は、最終的に、解釈の余地のない一意的な表現をせよ、ということになる。それは数理化である。
https://twitter.com/masayachiba/status/1544665004875874305
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 解釈の余地のない表現をしたほうがよくねえか?
それこそ意図せぬ読み方されてごちゃごちゃぬかすくらいなら明晰判明に文章を書くべきというか
それともツイッターの反応は解釈ではなく誤読であるとか言うんかな?そこまでくると暴論だと思うけど そういうとこあるから大陸思想は嫌いなんよな
分析哲学的には解釈が一意に確定するところまで明晰に分析するのはむしろ哲学の本望やとされるんやが
controversial な主題を扱う哲学にとってはそれが最善やと思うんだけどな 文学とかテキストとしてみるなら解釈の余地がある方がよしとされるが、学問的には一意的な方がいい、ということやろか
いずれにせよ、Twitterという短いプラットフォームで一意的な文章はほとんど不可能に思える >>14
Twitterで綿密な文章を書けないのは仕方ないことやがそれはそれとして
いかんせん大陸思想方面のユーザーの知的態度が気に食わんのよな
「物象化の話だってわかってないのかな」とか「もっと読書したまえ」とか抜かしてるの
そら引用RT等々で流れてきた側の一般市民からしたらわからんやろうて >>20
まあそれは同意
マウントというか高飛車なやつが多いよな >>19
いやほんとこれやで
フーコーやドゥルーズなんかは自分の著作を正しく理解できるひとは一握りだろうと思って書いてるみたいなこと言ってて
そんなこと抜かす前にまず論理的な文章の書き方を覚えようやというのが分析系の立場や フーコーの文章試しに読んだ時のこいつは結局何がいいたいんだ感はやばかったな
同じ部分3回くらい読んでようやくなんとなく見えるような見えないような感じ 「科学を語るとはどういうことか」って本で、文章の種類として「クリシン型」と「思考触発型」があると述べられている
前者は分析哲学のように明晰に書くスタイルで、後者は読者を考えさせることに重きをおく この本は物理学者(須藤)と科学哲学者(伊勢田)がバトルするっていうコンセプトなんやけど、例えばソーカル事件の話も出てくる
須藤はポストモダンはデタラメだというありがちな立場だけど、伊勢田は「ソーカルらが批判するような人たちとも上手につきあっていき、得られるものは得る」という微妙な立場をとっている >>24
伊勢田さんの概念やな
ただ分析哲学にしても明示された議論が本当に正しいものなのかを批判的に考えることはする(というかそこが肝)なわけで
その点でどちらも考えさせる思考法なことには変わりないわけやが
大陸思想に思考"触発"型と名付けたくなるのはわかるっちゃわかるというか
本当に感覚的な話やが大陸思想には読み手を精神的にハイにさせるとこはあるやろな 本当に頭のいい人こそ誰にでもわかりやすい文章を書く云々はミルだかベーコンか丸山か誰かの本にも書いてあった気がする
あるいはショーペンハウアーかな
多かれ少なかれみんな感じてる真実だよな
サイードのオリエンタリズム読んでてまさに感じてるわ >>25
まあ本人ががっつり哲学界隈に腰を据えてるぶん配慮するところも多いんやろな
ワイは読んでて同じ哲学者として迷惑被ってる部分もあるんちゃうかなあと感じたわ 対談の本読み直してるけどほんとに名著やなこれは
須藤さんの辛辣なツッコミも哲学業界内のひとがなかなか言ってくれないことまで突っ込んでくれていてそこが普通の哲学書とは違う刺激を与えてくれる
ただ須藤さんは哲学をもっぱら自然学だと思っているようで実際の哲学研究が経験的な世界の真理のみならず法や倫理ほか社会制度等の営みについても関心を寄せているということにあまり気付いていないように思う
前書きにあった通り哲学については門外漢らしいのでそれを知らないのは仕方のないことやが伊勢田さんとの対談を通してもあんまり得心がいっていないのかなという印象がある 前時代の科学と哲学との至近な関係が昨今では疎遠になりつつあることを憂いているんだと思うけど
物理学との関係が深い哲学者ってスタンダードな哲学者というよりはもともと物理畑の学者だったりするわけで
あんまり経験科学と別個に併置されてる哲学分野の研究者に物理学への貢献を求めても仕方ない気がするが
というかそのような貢献がなされたところでその貢献は哲学者としての手柄というよりは物理学者としての手柄ということになりそうやし 千葉のツイートに対しては以下の引用を投げ返してやりたい
須藤 科学においては、主張が明確に伝わるような文章を書くことが徹底的に求められます。もしも、複数の解釈があり得るのならば、それらを曖昧にするのではなく、具体的に並列し列挙する。私は大学院の学生が論文を書くときにはそのように繰り返し指導しています。無意味に難解な言い回しも認めません。真に科学的な内容があるのなら、修辞的な文章で内容の無さを補う必要はありませんし、単にマイナスになるだけです。そのような教育を受け、またそのような指導をしている立場からは、多くの哲学書はそもそも文章として受け入れられません。 典型的な理系って感じだな
ネトウヨになるのもこういう層だろ スレの趣旨とはズレるけど千葉の件に関連して「これだから人文系は」「これだから哲学者は」「これだから現代思想は」ってツイを次々に見つけてなんか空しい気持ちになったわ
固定観念を強化したくなるのって何でなんやろワイもやけど >>31のって科学哲学批判じゃなかったっけ?
科学以外については須田さんは無関心でご自由にってスタンスだったと思う >>35
いちおうソーカル事件の話題を通して哲学論文の査読とか評価方法に関して話してる箇所からの引用で、他の場所でも次のように書いてる
およそ科学の教育を受けたものにとっては、[『知の欺瞞』に書かれている明瞭さなどを重視する学術的態度について]いずれも至極当たり前でしかなく、そのようなことをあえて繰り返し注意されなければならないような業界が学問分野として成立していること自体、信じられないはずです。科学では、研究成果はできるだけ明確に平易に書くようにと繰り返し教育されますし、私も学生に対して毎年そのような指導を繰り返しています。それに反して、多くの哲学的文章は、無意味に難解に書くことをもって良しとする、明らかに間違った風習が定着しているようです。
不明瞭で難解な書き方をする態度がいかがわしい間違った風習であると結構強い論調で述べているから全く無関心というわけではないと思う 哲学に数式を用いて意味あるの?
というか意味を持たせてるの?
哲学者は既存の数式から何らかの解釈を捻りだせるの?
数式の意味や解釈は数学者や物理学者の方が圧倒的に優れてると思う。 >>37
論理式を用いることについていえば意味を確定させるのに十分な意義がある
ただ哲学がやるのはほとんどの場合が日常言語から論理式への解釈で論理式からなにかを解釈するということはあんまりない
あるとすれば様相論理の到達可能性や直観主義論理における様相演算子の意味合いの解釈とかになってきて哲学の本域に関わるような内容からは少し外れてくる 数学基礎論とか哲学だし数学、論理学、哲学は根本的な部分では繋がってるよな 科学哲学って講義教養科目でとってたけど
ニュートン力学に対する相対論とか量子力学で認識論が変わったとかを哲学的に考えてたな これも伊勢田先生の分類ではあるが、哲学は論理学、倫理学、認識論、形而上学に大きく分かれるわけだから論理学は哲学の範疇でしょ
それに分析哲学では論理式を使うのは当たり前
クワインの存在論的コミットメント、ラッセルの記述の理論、様相論理学、など分析哲学の主要なテーマを論じるのに論理式は当たり前のように使われている 安倍の事件から実感したのは
国家も民主主義も上級が下級を飼い慣らすためのただの虚構にすぎないってことだな
たった1人の行動でひっくり返るような脆い信仰 国家も民主主義も実質的にも信仰としても全く揺らいでないやろ 犯人が政治思想犯て感じが全然しないんやけど、なんで民主主義への挑戦とか言論封殺の蛮行とか言われてるん?
政治家への暴力って特に思想なくても自動的にそうなるん?
今まで検察の独立を侵そうとしたり公文書改竄したり民主主義を軽視してたのって主に自民党さんサイドな気がするんやけど 本当どの口が言うんやって感じだよな
こんな凶行に走る人間が出てくるようなアノミー状態の世の中にしたのもアベさんやしな むしろ信仰を守るための理屈をこねてるって感じなのかな
小沢一郎も言ってたように自民の今までやってきたことを考えれば殺されても全然不思議ではないと思うのだけども
日本でこんな事件が起こることを信じたくない気持ちが働いているのか?
だとすると相当な自己欺瞞だな
一発の銃で首相を殺せるという事実を忘れることで民主主義は成り立っているのか? 権力者側からしたら今の権力構造・制度・不平等を国民全員で合意したことにしたい
だから暴力行為に出ると民主主義を犯すものは許さないという発言をすることになるが
氷河期で人生失敗した人間からすると合意なんてしてない
成功者ほど政治や世の中がうまく機能していると思いがちだが、単に底辺を見なかったことにするか努力不足ということにして不平等を正当化し、多数決で黙らせてるだけだもんな 三島由紀夫「暗殺される緊張感がないと腐敗が進んで民主主義は機能しません」
「私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。
共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける」
深いな >>53
ぱっと反論が思いつかないけど、三島由紀夫が飲み友達なら膝詰めで論じたいテーマやね
そもそも政治屋のこと信用してないやろ自分以外は不誠実やと思ってないか?って論法で酒飲みたいな 民主主義を守るために戦う、というのはカール・シュミットの友敵理論を彷彿とさせる 権力はまず言葉を奪うって現代思想で散々論じられて来たことだよな 哲学ってどこからみんな入ったん?
ワイも興味あるけどどうすればいいのかわからんわ 哲学といっても分野が広すぎるからな
分析哲学系(誤魔化さず明晰に語る)か現代思想系(文学っぽい)か
テーマ別(自由意志、心の哲学など)か哲学者別(ハイデガー、ニーチェなど)か 最近、ワイは未読やけどちくまプリマー新書から金杉武司「哲学するってどんなこと? 」って本が出てるから読んでみたら? >>57
ワイは高校倫理からや
入門書読むよりぶっちゃけ黄色本読んだ方がいいんじゃないかとワイは思ってる
意外と侮れんのよねあれ >>58
そんなに色々あるんか、どうしようか
>>59
サンガツ、それも見てみるわ 結局自分が何を知りたいかやないか?
哲学の歴史的な流れが知りたいのか、特定の観念や価値観、哲学者、時代に興味があるのか、何か自分の中にある問いの答えを見つけたいのか
ワイは高校で倫理の授業なかったけど自由課題みたいなやつで西洋で古代の多神教&哲学な時代からキリスト教化がどんな風に引き起こされたか、みたいなんをテーマにしてたからそこでギリシャ哲学、ローマの哲学とキリスト教神学について調べたのが最初や ワイも高校倫理からやで
高校生の頃に読んだチャート倫理が面白すぎて興味もった
ぶっちゃけ右も左もわからないがち素人には教科書的な本をとりあえず何冊か読んでみろとしか言えんかな
哲学にも色々あってそれぞれの分野に応じてオススメしたい本はあるんやがいかんせんどの方面に興味があるのかはっきりせんうちから特定の本を勧めるということはできんのや 何か新しい分野を学ぶときはその分野の歴史からって旅のラゴスで読んだ気がするから哲学史から入ってみるのはどうか
そこから興味持った哲学者とかテーマを掘り下げるとか 「自分が何を知りたいか何を欲しているか」をそもそも分かってないこともあるしな
何を求めているのかを知るためにいろいろと読んでみるのや >>61
げっワイが現役のときは色んな意味で有名な参考書やったのに…
年はとりたくないンゴねぇ…
面白いほど点数がとれる本とか言うビミョーな萌えキャラが大きく配置された黄色い表紙の参考書シリーズや
会話形式の文で読みやすいし要点が毎回図でまとめられてて覚えやすいんや
内容も極限まで最低限で過不足なく十分に思想史をカバーしていると思う と言いつつワイが持ってるのセンターの時代のやつや
今の共通テスト対応の改訂版がどうなってるかは知らん
著者が村中和之なのは変わってないみたいやが そうかもうとっくにセンター試験の時代は終わっとるんやな
共通テストがどんなもんなのかよく知らないが 哲学史というより考えることそのものに興味があるなら分析哲学から入るのもありだと思ってるんやけど初学者にはハードル高すぎか?
分析哲学なら八木沢「分析哲学入門」、青山「分析哲学講義」、「ワードマップ現代形而上学」あたりがおすすめやで 1つ言っておきたいのは哲学に対して固定観念は抱くべきじゃないってことやな
「哲学とは物事の本質を追求することだ」「哲学とは常識を疑うことだ」「哲学とは答えのない問いをじっくり考えて見ることだ」「哲学とは人生に深い洞察を与えるものだ」とか、色々と哲学の特徴付けとしてあげられるものは数多くあるけど
たとえ教科書の著者がそれらの特徴付けを支持していたとしても鵜呑みにはせずに君は君なりの考えを持つべきや
哲学の種類によっては上に挙げたような特徴付けは微塵も当てはまらないものはあるしワイもうえの特徴付けは大概クソやと思っとる(せいぜい1つ目の特徴付けが少しだけ理解できるくらいや) 黄色本は今も現役やで
ワイも倫理は独学やったからこれで学んだわ 高校倫理は哲学というより哲学史だからワイのイメージしてる哲学とはかけ離れてるわ
それどころか各哲学者の思想を理解した上でそれを比較することに哲学史の意味があるのに
中身を理解せずに人名とキーワードだけ暗記しても意味ないやろ >>70
ワイも専門がこの辺やから八木沢さんや青山さんほか形而上学系の書籍はおおいにオススメしたいとこなんやが
初学者にこの辺のアプローチの意義がどれほど理解してもらえるかがわからないから勧めづらさもある
この辺は哲学史ほか既存の哲学研究を(現代フランス思想まで)じっくり舐めてからそれがいかに出来の悪いクソなのかを身に染みて感じてもらってからの方がよく理解できるんやないかと思う
逆に現代思想におおいに共感できたならむしろうえの本は進められんしな >>73
高校倫理はたしかにワイのイメージする哲学ともブラジルくらいかけ離れとるが
初学者に勧めるならこの本がええのかなとも
とりあえず人名とか用語とか頭に叩き込んでもらった方が
キーワードも知らんと調べることもままならんやろし どんな学問でも具体的な個々の成果自体と俯瞰的なソレの立ち位置を知る歴史意識は両方交互に学ぶものやと思う あと英語できるならSEPはめちゃくちゃオススメやで
日本の本屋に並んどる哲学書にはびっくりするぐらい偏りがあるんやがそれとバランス取るにもSEPは大きく役立つ
SEPには幅広いトピックのエントリーがあがっとるし日々チェックしとけば哲学にはこういう研究もあるんやなと見聞を広められる >>74
ワイ>>59やけど「哲学するってどんなこと?」立ち読みしてきたが、初めて哲学を学ぶ人向けと言ってるにも関わらず中身はバリバリ分析哲学やったぞ >>67
あーそれ知ってるわ、黄色本って呼称を知らなかったんや
サンガツ >>78
目次見るに結構密度ある内容やな
でも言語や論理にがっつり焦点当ててるわけでもないからまだ初学者向けとしてはありかも
ワイもKindle版でたら買ってみるわ 新興宗教やカルトにはまらないように対策するには、伝統宗教に頼るしかないのだろうか?
それともやはり科学や哲学的思考の訓練が必要だろうか? 伝統宗教のメリットは、時間の試練に耐え多くの苦難を乗り越えてきたこと、複数の民族・人種に受け入れられていることでナショナリズムを克服していること、やな
デメリットは現代社会において、機能的でなくなってきてること、社会的影響力が弱まってること、有効な物語を提示できなくなってること、
現代は意外にもいろんなとこにいろんな形で宗教的なものが蔓延ってると思う、既存の宗教がこれらに対抗できなくなってきている 宗教じゃなくてもカルト的なものは色々ある
スピリチュアル、オンラインサロン、アムウェイ
ネトウヨ、マルクス主義、MMT
推し活、仮想通貨、資格試験すらそうかもしれん
そういうものに縋りたくなる心理を整理した本とか無いやろか? 山上の件も元凶は20-30年前の話だし
カルト宗教の流行り自体はピーク過ぎてると思うけどな
大学でカルト宗教入るやつが多かったとか言うけど自分の世代じゃ全然見ないし
陰謀論とか別の形になってるとは言えるかもしれんが 釈徹宗って著作の多いお坊さんが、カルトかどうかの判断基準に「その教団が訴訟をたくさん抱えていないか」「脱会が困難か」「情報を隠蔽した勧誘をしていないか」「仮想敵集団をつくっていないか」「家族との隔離や閉鎖的生活を強要していないか」「常識外れな金品や行為、伝導ノルマを課していないか」を挙げてて、具体的で分かりやすかった
この人の『現代霊性論』(単著ではないけど)は、現代のポスト新宗教やスピリチュアルの位置付けや役割についても話してて、それに傾倒する心理なんかも分かりやすかった
ここの人たちはもっと本格的な本を読むんやろうけど… 菊池聡『超常現象をなぜ信じるのか 思い込みを生む「体験」のあやうさ』
ニーチェ『道徳の系譜』
あたりがヒントになると思ってる 仲正昌樹先生が統一教会の解説でモーニングショーに出てたらしい >>87
そういえばこの人若い頃に統一教会にのめり込んじゃったらしくてそれに関する本もいくつか出してたな
結構意外だった >>85
100分で名著に時々出てる人やね
あの人分かりやすいよな
内田樹とのやつか、読んでみるわ
個人的にはこれくらいのレベルの方がありがたい サンガ新書にも出してるよね
このレーベルなかなかいい気がする
デカい本屋じゃないとあんま見ないけど なんjやってるとときたま哲学科生に出会すんやがここにも哲学専攻してる/してたひと結構おるんやろか
ちなワイは形而上学とメタ哲学を最近やってるで ワイは理系やけど哲学勉強してるわ
自然主義とか科学哲学とか理系にこそ面白いと思うんやが >>93
どうなんやろな
生物やってるひとにはウケるんやが物理やってるひとにはあんまウケよくなかったりするから
理系でも人は選ぶんちゃうかな 読書部の方で長文の哲学議論をするのは流石に場違いやってなって分裂した >>94
物理学やってる人は物理学こそが至上の学問であって特権的な立場にいると思っていることが多い 投票率、50%くらいなんやな
まあ、自由市民が50%残り半分が奴隷って考えるとそんなもんか >>97
まあ実際そうやしな
科学哲学者も最初は物理を科学のお手本として他の生物やら心理やらにはあんまり目を向けなかった
21世紀後半に入ってからこそ生物やら心理やらを扱い始めて最近の自然主義があると思うんやが
ワイはこのアプローチにどれだけ意義があるのか掴めずにいるわ >>99
やっぱり進化論が物事を説明する能力が高いというのはあると思う
道徳、言語、感情など、多くのものの起源が進化論を使うと説明できる
また神経科学も重要
神経科学の実験で自由意志の存在が疑われたり心身二元論を否定する根拠になるし 進化論とか利己的遺伝子論を前提に書いてる本が多いな最近
いろんな分野で研究が進んでる >>100
ワイも進化論の説明力の高さは素晴らしいと思うしあんまり自然科学的に扱いづらいトピックについても自然史にのせてうまく説得的に理解できるのは強みやと思う
ただ起源の説明がどれだけ哲学的価値をもつのかという点が釈然としないと思うんや
自然史的な説明は言語や道徳の記述的 descriptive な説明を与えることはできても言語や道徳をいかに考えるべきかという規範的 prescriptive な思考にどう関わってくるかは明らかじゃない
有名なヒュームの法則然り哲学界隈には事実と規範とを峻別する伝統があるからこれに対して何か言えない限り自然史的言及がほんとうに哲学的な研究であるのかは広くは認められないんじゃないかと思う
自然史の研究成果の部分は単に生物言語学や進化生物学の研究と呼べばよく自然主義的哲学と呼ばれるべきは事実と価値とのジョイントに関わる部分じゃないのかなと 神経科学の実験結果が自由意志とどう関わるかは議論の必要なとこやがいずれにせよ自由意志概念の理解を深めることは間違いないな
心身二元論についてはクリプキーやチャルマーズの仕事の影響もあって今世紀に入ってからはやや復権的やけど
ワイ自身も神経科学の研究が心身二元論の否定根拠になることはついぞないと思うが >>103
例えば動物が痛みを感じるかどうかという事実は、ヴィーガンが正しいかどうかという規範的な問題を考える上で不可欠
経験的事実から独立に規範的問題について考えるのは多くの場合困難だと思われる 今日の名言
光が多いところでは、影も強くなる
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(1749 年 - 1832 年) >>106
もちろん数学の話をしてるわけではないから経験的な事実抜きに何かを言えることはほぼないとワイも思うが
同様に経験的な事実だけにすべてを落とし込めるわけでもないのは明らかで
世間には経験的な事実をどう扱うかに関わる理論的な枠組みが必要とされる
「しかじかの動物は痛みを感じる」が経験的な事実として倫理の議論に有益である一方
哲学者が長年憂慮してきたのは「なぜ痛みを与えるのが悪いのか」とか事実にどのような価値を付与するかに関わる議論の方であるように思えるし
これに科学がどんな答えを与えうるのかは不明やなと思う とかいいながらワイ自身は事実と価値とが必ず峻別されるべきって考えにはそんなに納得はしとらんのやけどな
一部自然主義者の安易な真相解明論法 debunking argument には注意すべきやってくらいなもんか ドーキンスやデネットの本に感化されて”真実“に目覚めてしまうのは安易な発想だというのはワイも同意するわ
まあ『利己的な遺伝子』を読んで人間は遺伝子の乗り物だから生きてる意味なんて無いんやと言うのはそもそも誤読でしかないんやけども ちなみにニキらは意識 consciousness についてはどういう見解を持ってるんや?
単なる進化の産物?本当は存在しない幻覚的なもの? 哲学って「知恵に対する愛」なんだよ。
哲学は真理を探究するのに観察では無く、主に憶測という方法を用いている。
それで統一のとれた宇宙観を人々に示す事が出来るだろうか。
哲学は物事を常に批判的に考えさせる癖をつけてしまう。 ドーキンスもヒュームも全然読んでないけど、ヒュームも道徳的判断は感情に起因すると結局言っとるわけやろ?
人間の意識も感情も人間繁栄のために進化の中でできたものなら、人間が他者を愛したり助けたり何かを達成することに喜びを覚えたとして、そこに客観的で絶対的な価値を置いてしまうのはまちがいだとワイはもろ思うけどな
ただそこに絶対的価値が何一つないとしても、結局自分は人間という動物なのは変わらんし、わざわざ死んだり不快感を味わって生きたくないから人間という枠の中で幸福を求めることは主観的には止められないことだろうけれど 真理というのは永遠不変でしょう。
人間と動物との隔たり。 進化の過程で動物も人間も発生したというのは誤りです。
科学的な考え方なら、観察、そして原因と結果が有ります。
人間が何かを作りだす時、研究者は自然の中の被造物にアイデアを求める事が多いそうです。
宇宙空間を行ったり来たりするのに使われたスペースシャトルの外装タイルを本機に強く剥がれない様にするのにはどうしたら良いか。
お手本となったのは船舶に張り付き航行速度を邪魔するフジツボの様な " 貝 " でした。
貝の接着力は恐ろしく強いので成分を真似てタイル用の接着剤を開発したそうです。
それでも、本物の貝の持つ接着力には及ばなかったといいます。
只の貝ですが、デザイナーや化学の知識が無い偶然の産物でしょうか。子孫も残せるんですよ。 意味がわからん進化も原因と結果があったもので偶然的な産物ではなく、より高次のデザイナー的な存在による何らかの恣意があったと言いたいのか? >>114
人生の目的、人類の将来、には哲学は [人間も動物の一つ」としか 答えてはくれないでしょう。 >>111
存在はするけど昔の人の思い描いていた形とは違っていたというだけのことやんか
ゾウの上の世界から闇に浮かぶ球体の群れという世界へとイメージが変わったみたいに
「意識」というものを原子のように何かそれ以上分解できないものと昔は捉えていたけど
それが細かいものの群からなるシステムの上に築き上げられていたものだとわかったというだけで >>114
基本的にワイもその常識的な見立てに賛同するで
ただ客観的な価値の存在は否定しないが少なくとも感情の有無は直接的には規範に関係しないという点では少し違うんかな
一応ワイの考えを明示しておくと
「〜してはいけない」のような規範命題は人間が与えるような価値から切り離して「〜すると社会的に罰せられる」という事実命題として事実と至近的に翻訳されるべきやと思っとる
そうでないとワイは永遠に規範命題を理解できない気がするからな >>118
「意識」自我、は魂でしょうか。 霊魂不滅説が有りますから。
しかし、確認のしようが有りません。
聖書には人間は生きた魂となったと有り、魂が死ぬと書かれています。
「風」は目に見えなくても物が動かされる事で存在がはっきりします。
「電気」もそうです。 作用する時存在がはっきりとわかります。 >>118
ちなみにどの意識を念頭においてる?
意識といっても思考やったり自覚やったりメタ認知やったりクオリアやったりワーキングスペースやったり雑多な用法で使われとると思うけど >>120
認知、記憶、推論、感情、現代に脳で機序があるていど解明されている機能をすべて削ぎ落としたらその魂とやらの機能に何が残るんや
それが残ってたとして何の意味があるんや >>118
存在しないことは確認のしようがないけど不要なことは確認できるな
認知、感情、記憶といった機能が脳のシステムの機能であり、それが自由に調整できると発見されてきているなら
それらを全て削ぎ落とした魂とやらに何が残るのか
それが残ったとしてそこにいかほどの意味があるのか >>121
哲学的にどんな議論が専門的にされてるのか知らんけど念頭に置いたのは自覚や思考かな >>123
>認知、感情、記憶
人間には生まれつき、何かを崇拝したいという気持ちが組み込まれています。 例外はありません。
そして、永遠を想う心も搭載されているので「死」は幾つになってもとても抵抗感の有る嫌なものです。 >>125
それなら穏当な立場やし何も言うことはないわ
意識は錯覚派の登場を待ちたいところや >>119
ホッブズに近い立場に見える
永井均先生の『倫理とは何か』は読んだ? >>111
特に立場というものは無いんやけど、一人称的な見方と三人称的な見方を統合するような理論が未だに現れてないのは残念やなとは思う
単なるニューロンの発火が、一人称的な意識として現れるのは何故か?という問いに対して
世界がそのように出来てるから、ではどうしても満足できんのよな >>128
アインジヒトのやつか?
ちょっと読んで対話編やったからやめたわ
生徒と教師の対話方式で進む本苦手なんや >>129
なんや本当に哲学勉強しとるんやな
ワイも疑問なのはまさにそこでじゃあ意識をファンダメンタルなものに数え上げて脳の振る舞いと原則的に対応付けることにしましょうと言われても問題提起のわりには解決の洞察力が皆無やしなんか面白い発見でも出て来んかなと思っとる 意識と脳の話はこれ面白かったな
https://www.youtube.com/watch?v=Ox8gJEIe5Ac
というか今思えばバイオ系行ったのこういう話のことやりたいためが半分くらいやったけどそういう意味では期待はずれやったな 「自然科学には語りえない」というけれど現実には「哲学にも語りえていない」ことではないのか 途中で送信してもうた
現代哲学の抱える問題は知らないけれど
もともとアリストテレスの時代から自然科学と哲学は同根であった以上その二つを全く区別して水と油にしてしまう必要はないと思うな >>132
それこそ自然主義的に、意識が生まれるのは脳がどういう物理的条件のときか?ということをまず解明するのが先決だと思ってるで
例えば統合情報理論というのを使うと「意識の量」を測定できるらしい
そのメカニズムが解明すれば哲学的にもアプローチしやすくなるだろうし
もちろん一人称と三人称の統合は原理的に解決不可能、あるいは疑似問題だったと後で判明する可能性の方が高いとは思ってるんやけど、もし自然主義的アプローチで解決不可能性が分かるならそれはそれで進歩やろ
まず意識が生成する仕組みが分からないと哲学的にもどうアプローチすればいいのかも分からん >>135
哲学と科学の連続性は否定せんで
ただ世の中には哲学の問題はすべて科学で解決できる!哲学は不要だ!みたいなこという人もいて
それがワイには問題の誤認にしか見えないところがある
それから科学で解決できない話は哲学でさえ無理なんじゃないかという話については
トピックによると思うが自明な規範命題の存在に関してはワイも哲学でも明かせないんじゃないかと思う >>136
確かにそう考えると自然主義的アプローチの意義も理解できるわ
ただ意識に関しては個人的にもともと自然科学的な対象やろと思っとるのもあってあんまり自然主義的哲学の代表トピックとしては考えてなかった
どっちかというと進化倫理学とかあるいは宗教や認識論と科学とを繋げる趣旨のものを念頭に置いていて倫理や認識論の伝統的な主題と自然科学のアプローチとは噛み合わんのちゃうかと >>138
倫理学の規範的問題に対して人間がどういう生物なのかを調べることで答えるというのが的外れな考えというのはそうかもしれん
少なくともまっとうなアプローチではないと思うわ やっぱ数学って暗記科目だよなー
一般相対性理論のテンソルのとこちょっと見て思ったけど
受験数学なんて解法覚えるだけじゃね??
受験したことないけど
ラジオで暗記科目ではないみたいに言ってたけど
学生時代は偏微分方程式とか解いてたのに
いくらなんでも数学力落ちすぎだけどもうダメだわ諦めます
哲学関係ないかもしれないけどソーカル事件に関係するということで(むりやり) 理論物理でソーカル事件と全く同じこと起きてて草なんだ ローゼンハン実験といい
そういうことする奴多いよなぁ
間違え犯したから非科学とかアホやろ
間違えをどこまで修正しても完璧にならんのが科学やぞ
間違え犯さんのは宗教だけや 数学だけじゃ哲学関係なくてアレだし
数学のことわからんクセにw
典礼論争はのちに中国の習俗を認めるようになったから
間違いを認めないわけじゃないんじゃね
知らんけど >>144
カントールの集合論のパラドックスををラッセルが指摘してたり根幹に関わってるやろ
それ批判してる奴の論調がそうってだけで
批判的合理主義側の主張は誤りを認めるものが科学の扱い
それから外れるものは非科学として扱ってる
ラトカッシュとかはもっと緩いけど 数学のこと何も知らないのにレスバしてる
科学哲学さんと批判合理哲学さん…w ファイヤアーベントとかいうクソガイジ生きしてりゅ…?w 誤りは受け入れるか入れないかじゃなくて絶対受け入れなければいけないって立場な 本家の哲学板がそもそもid🍐やのに連レスに文句って😅 >>142
ソーカル事件て査読のいい加減さ以前の問題やと思ってたけど
そういう味方する奴もおるんやな 【近刊】9月28日(水)発売予定『増補改訂版 言語哲学大全Ⅰ』(飯田隆)近刊情報を公開しました。
分析哲学が何を問題にしてきたかを論じて日本での受容の素地を作ったロングセラーの大河入門書第Ⅰ巻、35年を経て遂に増補改訂!
https://twitter.com/keisoshobo/status/1557554897561821184?s=21&t=87xqpu6L5FpbibpSmcO4KA
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >第Ⅰ巻では現代の言語哲学の始祖とされるフレーゲとラッセルについて、その仕事が登場した文脈を示し、それがなぜ重要なのかを積極的に評価して位置づける。本文はほぼ初版そのままとし、註にて文献を多数アップデートするほか、1987年の初版以降現在までの研究の進展を踏まえた書き下ろしの論考を収録。哲学の変遷と展望を示す。
本文そのままなら買うか悩むな
電子化されるなら買っちゃうかも というか本文ほぼそのままで註だけ変えられるのは凄いな
本文は今でも古びてないってことでしょ
分析哲学って進歩してないのか? 飯田さんはクワインの訳書と日本語の論理について語ってるやつ手に取ったけどどっちも肌に合わんくて置いてまったな
シラバスであげられること多いけど読んだほうがええんやろか >>156
増補版てだいたいそういうもんやろ
それと分析哲学の進歩とはまた別や 分析哲学で入門書の次に読むのはこれ以外選択肢無くないか? こういうタイプの言語哲学自体がもうかなり古くなってしまったイメージはあるな 哲学興味あるだけで詳しくないんだけど角川ソフィア文庫の哲学思想史ってのはどうなん? 良い本かどうか判断する前に読書の目的をはっきりさせたらどうや?
目的によって本も良さは変わるし、目的によって別の本が最適ということもあるし よくわからんな
日本人は、日本はイザナギイザナミの国造りによって生まれたという古事記的世界観を持ってるでしょ
統一教会的世界観が多くの人に受け入れられるとは思えんししかも非常に父権的で拒否感の方が強いと思うが・・ 今更プラトンの対話編(ゴルギアス)を読んでいるが思ったより分かりやすいし面白い ゴルギアスに加えてパイドンも読み終えたが、もう少し早く読んでおけばよかった
二千年以上前にこんな優れた作品を書けるのは驚愕に値する
西洋哲学はプラトンへの注釈というのもよくわかる 光文社古典新訳文庫って中山元の翻訳が多いけど質はどうなんやろ
専門家でもないのに色々手を出しすぎじゃないか クリプキさん死んでそうそうよくない噂が囁かれとるな
どっかの中国部屋おじさんみたいに 哲学者の人格と思想は切り分けて考えるべきなのか?
ハイデガーはナチスに肩入れしたしアリストテレスは奴隷制を肯定してたし 場合によるのではないのかな
ハイデガーは思想的に社会改革が先で人が付いてくるのは後っていう感じだろうし
ナチスその他威勢のいい改革派を応援しちゃうような思想になってると思うけど 日本ってやたらウィトゲンシュタイン研究者多いよな。なぜ? >>182
ほんと謎に多いよな
アイドル性があるのはわかるがあの性格の哲学が流行るのは澄ましてる感じがあって好きじゃないわ >>179
哲学者なんだから善悪の彼岸に立てよ
ナチスを応援してたからそれがなんなんだ 大森荘蔵の弟子が強いからな
それに青色本とか面白いし大衆にも読める
ユニコーンは存在するかどうかなんてクソどうでもいい話をネチネチ読まされるより1万倍面白い ウィトゲンシュタインはニートで社不適だから信用できる
あとがきで妻の支えとか子供がどうとか惚気てる哲学者の本が読むに値するわけがないでしょ ウィトゲンシュタインだって日記には好きな女の子からハンカチもらったとかキスしたとか書いてるんだぞ 偉大な哲学者は独身男性多いよな
プラトン、スピノザ、ヒューム、カント、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン ヴィトゲンシュタインってホモじゃなかったけ
違う人か
知能高いやつってゲイおおい気がする 同性愛が強調されるけど女の子も好きだから両性愛者だよ
私の頭はとても興奮しやすい。
今日マルガリートから誕生日にハンカチをもらった。
どんな言葉であっても、そのほうが私にはもっとうれしかっただろうし、
そしてキスだったらさらにもっとうれしかっただろうけど、それでも私は喜んだ。
これ百合じゃないよ
ルートヴィヒくん41歳誕生日の日の日記だよ 好きな子にハンカチを貰って舞い上がりエロい妄想をする発達メンヘラ独身男性(41) 永井均ってツイッターで深そうなこと言ってるけど哲学者としてどうなん? >>194
伝統的な路線で突き進めてる一匹狼の哲学者っていうイメージや
独我論とか由緒正しき哲学のテーマをアプリオリに思索してむつかしいこと言ってる
多くの人々にとっては関心の及ばない哲学の研究者 永井均のツイートさーっと眺めてみたんだけどこの人反ワクチンなのか? 最近出た「独在性~」の新刊立ち読みして普通に面白そうと思ったし扱っている問題も普遍的で、ニッチだとは思わなかったけどな お前らは外国語できるんか?
哲学だとフラ語とかドイツ語のイメージなんだけど フェミニズムってぶっちゃけどうなん?
まじめに検討する価値のある学説なのか? >>201
ワイも詳しくは知らんけど
男女の機会平等の実現とか女性をモノとして扱うポルノに対する批判とかは倫理学の中心的なコンセプトを共有しているから
女性に関する問題の解決に向けた倫理学の現代的な実践としては価値のあるものだと思う フェミニズムの実践を通じて倫理的概念が広く学ばれるのはいいことだと思うし
フェミニズムの矛盾点から従来の倫理学説に対する見直しが図られるようになるならなおのことええなと思う あるいは女性の虐げられてきた歴史に関する社会学的研究という観点から見るなら
フェミニズムの研究をメタ的に取り上げて社会学や史学の研究に関する方法論的な正当性を考えるのも面白いんじゃないかと思う 社会を変えたいなら本当は功利主義の立場から自分たちの理論を正当化するべきなんやろうけど、ツイッターとか見てるとフェミニズムはもはや宗教化してるわな
差別がタブー視されてフェミニズムを疑問視する発言すら論外として棄却され袋叩きにされる そもそもフェミニズムが一つの学問だと思ってて倫理学の例題のように扱われることは拒否してそうやけどな
でも問題の構造上、倫理学や差別の哲学の観点から考えざるを得ないはず 「どうして差別しちゃいけないのか」に答えられる本ありますか フェミニズムという語自体が一つの矛盾をはらんでるよね 功利主義的にフェミニズムをアピールした結果ネオリベラリズムを推進してしまったっていうような反省もあるんだよ 高校倫理の授業以上の知識無いけど
道徳上の善ってアリストテレスの「中庸」の思想で
ほぼ論破のしようもなく完成してるような印象を受けたんやが
「何事も程々が一番」っていう庶民の感覚にも合致するし アリストテレス倫理学は功利主義やカントと違って、人を殺してはいけないみたいな道徳だけでなくどう生きるべきかという意味での倫理に近いから
中庸はそういう文脈で捉えられるべきもの 中庸は奴隷道徳味も感じるまあ庶民に甘んじるならそれでいいんだろうけど それは全然違うやろ
中庸は例えば地位や権力はほどほどでいいとかそういう話ではなくて
最も徳の高い状態が中間にある、例えば勇敢さは臆病と無謀の間にあるという話
そもそもアリストテレスは賢者と愚者ははっきりと区別できると考えていて、奴隷が徳を持つことはありえないとすら主張するエリート主義者だから、アリストテレス倫理学は奴隷道徳とはほど遠い 児玉聡「オックスフォード哲学者奇行」
ゴシップからはじめる不真面目な英国哲学入門。
アンスコム、ストローソン、パーフィット、ケンブリッジのウィトゲンシュタイン……明晰で分析的な文章の裏にある、哲人たちの一風変わった人生とは。
好評を博したウェブ連載の紀行エッセイを3万字増量して書籍化。
◎ ウェブ連載時に省略した小ネタや新規エピソードを「こぼればなし」として23本書き下ろし。ニッチながらどなたかに役立つことを願って「英国にサバティカルに行く人のために」も収録。
◎ エアの『言語・真理・論理』やウィリアムズの『生き方について哲学は何が言えるか』の翻訳文庫化、アンスコムの『インテンション』新訳刊行、パーフィットの『重要なことについて』翻訳刊行……日本の出版界でも注目を集め続けるオックスフォード哲学への導きの書。
面白そう フェミニズムは難しくなったね
むかしは男相手に喧嘩してれば良かったけど
性別はグラデーションなんですっていう
LGBTQの侵略が始まったから時代はさながら戦国時代よ 「そうしないことはありえたか?: 自由論入門」読了
自由意志のおそらく国内初の体系的な入門書 ペレブームの楽観的懐疑論は面白い
決定論が正しいから自由意志は存在せず責任は消滅するが、責任がなくても社会秩序は維持できる
刑事罰ではなく犯罪者を(ウイルス感染者と同様に)隔離することで社会への損害を防ぐ
ペレブームは確か戸田山「哲学入門」にも登場してたと思うけど英語読みたくないから翻訳出てほしい 脳科学的にも自由意志というのは存在しないらしいな
にも関わらず責任を主体的に引き受けるという態度が重要やと思うけど
そうでなければ東京裁判やアイヒマンのようなことが繰り返される 自由意志を否定するのはいいんだけど責任とか他の色々なことまで否定する必要はないと思うんやがな
なんかいつも余計な話がくっついてる気がするよ
で彼らの話に疑義を唱えると、自由意志を崇拝している人扱いで嘲笑されるか
幼稚園児に噛んで含めるような語り方で自由意志は存在しないんだよとわざわざ解説してくれる リベットの実験は過度に一般化されて広まってるから引用には気をつけた方がいい ワイは中国語の部屋おじさんの理論がおおむね正しいとなんとなく思ってる
どこぞの精神科医Youtuberが「予測する脳」ってロールモデルを説明してたんやけど割とそのまんまやったな サールは自由意志論の印象ないけど行為論と自由意志論は繋がってるから論じててもおかしくないか >>229
>>230
正直ワイはnoobやから詳細は分からんけどこの二つに近い
サールの主張は脳を神経基盤に分解しても意味ないから、システム全体として捉える必要がある やったと思うねん
行為論の欲求や信念はこの予測とめちゃ似てるんよ 自由エネルギー原理は初耳やけど、「脳は現実世界と脳内の世界のモデルの予測誤差を最小化している」という原理なんやな(深層学習がデータとの予測誤差を最小化するように訓練されててそれが今うまく行ってるからすんなり受け入れられる主張ではあるが)
これは戸田山「哲学入門」で紹介されてたデネットの自由意志論に通ずるところがある
デネットの主張する自由は「過去の経験から学んで未来のために行動を修正する能力」とされている
あのときあのようにもできた、と反省することで将来的により良い選択をすることが自由意志の正体
ラプラスの悪魔の立場からは自由は存在し得ないが間違いうる我々人間にとっては自由が存在する(永遠の相のもとに世界を認識できれば、自由も責任も今もここも私も消滅してしまうとはよく言われている話ではある)
選択するためのモデルが脳内にあって、過去の失敗をデータとして誤差を修正していくと考えれば、自由エネルギー原理で自由意志も説明できることにはなる 行為論は普通アンスコムとデイヴィドソンじゃないか? 自由意志論、行為論、心の哲学、倫理学って繋がってるんよな
勉強することは多いけど関連性が見えてくると楽しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています