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俺は神だ
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0052名無しさん@純邦楽
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2017/05/19(金) 05:24:22.88ID:czJ7+FTP
「ジョイスは映画には関心をもっていなかった。それでも、サイレント映画はジョイスと
同じくらい遠くまで行っていたんだ。われわれはサイレント映画が獲得したものの
大部分を失ってしまった」──ゴダール
0053名無しさん@純邦楽
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2017/05/27(土) 05:37:44.99ID:G4YukjuG
ハリウッド30〜40年代の映画をめぐる刺激的なエピソードを語りつつ、従来の映画史を斬新に読みかえる幻の映画対談集を遂に文庫化。
目次
1 傷だらけのハリウッド―ウォルター・ウェンジャーの映画史
2 傷だらけの亡命―フリッツ・ラングと『暗黒街の弾痕』
3 傷だらけの映画術―アルフレッド・ヒッチコックと『海外特派員』
4 傷だらけの捜索者―ジョン・フォードと『果てなき船路』
5 傷だらけの巨匠―ヘンリー・ハサウェイと『砂丘の敵』
6 傷だらけの爆笑―エルンスト・ルビッチと『生きるべきか死ぬべきか』
7 傷だらけの諷刺―ルネ・クレールと『奥様は魔女』
8 傷だらけのメロドラマ―デトレフ・ジールクとダグラス・サークあるいはウーファからハリウッドへ
0054名無しさん@純邦楽
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2017/05/27(土) 15:38:24.29ID:G4YukjuG
最大の文学的影響はフロベールであった。
美辞麗句をつらねた散文を憎悪したフロベールは、カフカの方法を賞賛したことだろう。
カフカは、法律や科学の言語から、自分の言葉を引き出し、作者の個人的な感情を入れることなく、一種の皮肉な正確さを付与した。
(ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』)
0055名無しさん@純邦楽
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2017/05/28(日) 03:40:52.95ID:+zhyPYLQ
……天才の作品がただちに賞賛をえることの困難なのは、それを書いた天才その人が異例であり、ほとんどすべての人々が彼に似ていないからである。
天才を理解することができるまれな精神を受胎させ、やがてその数をふやし、倍加させてゆくのは、天才の作品それ自身である。
ベートーヴェンの四重奏曲(第12、第 13、第14および第15番の四重奏曲)は、それを理解する公衆を生み、その公衆をふくれあがらせるのに五十年を要したが、
そのようにして、あらゆる傑作の例にもれず、芸術家の価値にではなくとも、すくなくとも精神の社会に―――最初この傑作が世に問われたときには存在せず、
こんにちそれを愛することができる人々によってひろく構成されている精神の社会―――一つの進歩を実現したのは、ベートーヴェンの四重奏曲なのである。
人々がいう後世とは作品の後世で ある。作品自身が(……)その後世を創造しなくてはならないのだ。
したがって、作品が長くとっておかれ、後世によってしか知れれなかったとしたら、
その後世とは、その作品にとっては、後世ではなくて、単に五十年経ってから生きた同時代人のあつまりであるだろう。
だから、芸術家は自分の作品にその独自の道を たどらせようと思えば(……)その作品を十分に深いところ、
沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。
(プルースト「花咲く乙女たちのかげにT」より)
0056名無しさん@純邦楽
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2017/05/30(火) 21:51:30.00ID:LF+o9KPk
(ウェス・アンダーソン『ムーンライズ・キングダム』について)
彼はただ撮りたいものを撮ったにすぎず、
ここで讃嘆すべきは、
それを可能たらしめたアメリカ合衆国は高度な文化的水準にあるといわざるをえない。
0057名無しさん@純邦楽
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2017/06/01(木) 03:00:24.73ID:o1JJDr8x
王の帰還 3時間21分 (特別版 4時間15分)

七人の侍 3時間28分

生きる   2時間 23分


あるサイトの選んだ長時間映画ランキング
http://top.tsite.jp/news/buzz/o/24682186/

『Resan』  873分(14時間33分)
『アウト・ワン:ノリ・ム・タンジェル』  773分(12時間53分)
『How Yukong Moved the Mountains』  763分(12時間43分)
『Ebolusyon ng isang pamilyang Pilipino』  593分(9時間53分)
『ショア』  (米版503分〜仏版613分)
『鉄西区』551分  (9時間11分)
『創造の写真劇』  (8時間)
『ヒトラー、あるいはドイツ映画』  422分(7時間22分)
『サタンタンゴ』  432分(7時間12分)
0058名無しさん@純邦楽
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2017/06/04(日) 12:47:07.32ID:3KEmF2ZM
2016年世界国別興行収入ランキング
1、北米114億ドル (人口3.23億人)
2、中国66億ドル (人口13.83億人
3、日本20億ドル (人口1.27億人
4、インド19億ドル (人口13.09億人
5、イギリス17億ドル (人口0.66億人)
6、フランス16億ドル (人口0.65億人)
7、韓国15億ドル (人口0.51億人)
8、ドイツ11億ドル (人口0.83億人)
0059名無しさん@純邦楽
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2017/06/05(月) 10:28:59.56ID:+xQDFAZ7
こないだやってた台湾ニューシネマのドキュメンタリーで黒沢が「やっぱりエドワード・ヤンということになってしまうんです」とか言ってた
0060名無しさん@純邦楽
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2017/06/05(月) 10:47:54.19ID:+xQDFAZ7
一方、黒沢清監督『散歩する侵略者』は好評だった。
ルモンドは「黒沢清は最も文明化した世界で、常にえたいの知れない恐怖を呼び起こし、大災害と混沌が迫ってくる感情を描き、
社会全体に根ざした隠然たる死への願望を浮かび上がらせることに成功した」と称賛。
リベラシオンは「賢明で残酷な黒沢にとって、人間になることは『仕事』『所有』『自己』を学ぶことではない。
それらの本質的な根拠の不在、抽象的概念、つまりそれらをより上手に追い払い、全てを取り戻すためにそれらを理解することである」と評した。
0061名無しさん@純邦楽
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2017/06/06(火) 19:34:38.70ID:cTi37pEY
本当の青春映画はこの世に1本しかないと思っています。
62年、J・ロジェの『さよならフィリピン』ですけど。
後に出た作品は皆そのヴァリエーションだと思うんです。
0062名無しさん@純邦楽
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2017/06/08(木) 19:24:08.01ID:sycy2p85
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170608-00161900-rorock-musi
フライング・ロータスが映画『Kuso(原題)』を製作、
7月21日からニューヨークとロサンゼルスで劇場公開されるという。
(中略)
また、フライング・ロータスのツイッター上には他にも、ジャパニーズ・ホラーに関する投稿もある。
『ブレア・ウィッチ』などで知られるアダム・ウィンガード監督の、
「僕のお気に入りのジャパニーズ・ホラーの監督は黒沢清。『回路』と『CURE』が好き。
その次に好きなのは(三池崇史監督の)『オーディション』と
(1964年の新藤兼人監督作品)『鬼婆』だね」とのツイートに対し、
「(黒沢清監督なら)『クリーピー 偽りの隣人』もなかなかだよ」と返信している。
0063名無しさん@純邦楽
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2017/06/12(月) 16:06:56.99ID:bblFsfjm
時代劇として撮られた『大いなる幻影』に続く『ゲームの規則』はまぎれもなく現代的な喜劇である。
ここではあらゆる登場人物が自分にふさわしい環境を見失い、見せかけの世界を頼りなげに漂っている。
0064名無しさん@純邦楽
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2017/06/14(水) 22:20:51.66ID:5B33pkIY
無声映画が、大衆消費社会が成立しつつある都会を、世界でも日本でも、男女の帽子で表象していたのは、きわめて興味深い事実です。
0065名無しさん@純邦楽
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2017/06/22(木) 03:33:04.35ID:+zOVSGHZ
たとえば野性の犀とそれを生獲ろうとするジープとの迫力にみちた追跡シーンで始まる『ハタリ!』の最も感動的な場面とは何であったか。
ホークス的捕獲装置という視点からするなら、それはもちろん猿の群を一網打尽にするシーンであろう。
0066名無しさん@純邦楽
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2017/07/01(土) 23:13:24.02ID:U+mHuNkm
蓮實重彦の外国映画ベスト10

1974
1,2,3,位なし4位突破口5位続・激突!カージャック6位最後の晩餐7位私のように美しい娘8位デリンジャー9位燃えよドラゴン
1975
1位スパイクギャング2位ドラブル3位ロンゲスト・ヤード4位暗黒街の顔役5位私のように美しい娘6位マンティゴ7位ザ・ファミリー8位ガルシアの首9位ザ・ヤクザ10位人形の家
1976
1位素晴らしき放浪者2位新学期・操行ゼロ3位バルカン超特急4位オールザキングスメン5位青い鳥6位アデルの恋の物語7位バリー・リンドン8位ビッグバッドママ9位さすらいの二人10位アウトロー
1977
1位小さな赤いビー玉2位素晴らしき放浪者3位ギデオン4位アウトローブルース5位王子と乞食6位合衆国最後の日7位ドラム8位戦争のはらわた9位アンディーウォーホルのBAD10位自由の幻想
1978
1位ワンプラスワン2位白夜3位オーソンウェルズのフェイク4位ヒア&ゼア5位恋愛日記6位未知との遭遇7位テレフォン8位クワイヤボーイズ9位チェイサー10位家族の肖像
1979
1位奇跡2位旅芸人の記録3位暗殺のオペラ4位木靴の樹5位ウエディング6位郵便配達は二度ベルを鳴らす7位イノセント8位アルカトラズからの脱出9位今のままでいて10位超高層プロフェッショナル
1980
1位カサノバ2位ジャグラーニューヨーク25時3位アメリカン・ジゴロ4位ブロンコビリー5位ルナ6位緑色の部屋7位テス8位ウォーターパワーアブノーマルスペシャル9位掘った奪った逃げた10位地獄の黙示録
1981
1位最前線物語2位ポパイ3位ジャズシンガー4位ラフカット5位グロリア6位ホテル7位シャイニング8位恐るべき訪問者9位ダーティーファイター燃えよ鉄拳10位天国の門
1982
1位ゲームの規則2位アレクサンダー大王3位ベストフレンズ4位ラパロマ5位カリフォルニアドールズ6位1900年7位父パードレ・パドローネ8位ファイヤーフォックス9位底抜け再就職も楽じゃない10位シャー・キーズマシーン
1983
1位パッション2位ポケットの中の握り拳3位ことの次第4位隣の女5位へカテ6位アニー7位熊座の淡き星影8位センチメンタルアドベンチャー9位サーカス10位ラブINニューヨーク
0067名無しさん@純邦楽
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2017/07/03(月) 20:12:04.93ID:uuHV+IWn
蓮實重彦
夜が映画から奪われてゆく。この現象は、とりわけ色彩映画において顕著な傾向である。
0068名無しさん@純邦楽
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2017/07/15(土) 23:27:51.16ID:aZS+zlNY
フライシャーは「環境」ではない。それは「時間」である。
しかも、あまりにとうとつにながれ、流れたことがほとんど嘘としか思えない「時間」である。
だが、迅速に流れるフライシャー的「時間」もまた、説話的時間の経済学から途方もなく逸脱している。
0069名無しさん@純邦楽
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2017/07/17(月) 04:44:17.06ID:qtSEJb65
いま、世界の映画はポルトガルを中心に回転する。マノエル・デ・オリヴェイラ監督は世界最大の映画作家である。
0070名無しさん@純邦楽
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2017/07/19(水) 08:56:20.86ID:CIrt5nqf
ヴェンダースにあって、窓と鏡はほとんど液体的とも呼びうるしなやかさで融合しあう。
0071名無しさん@純邦楽
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2017/07/24(月) 01:57:57.93ID:YOyGmgXY
複数であることはたえず素晴らしい。だが、単数であること素晴らしい映画が存在しないわけではない。
たとえばマキノ雅弘、ラオール・ウォルシュ、フリッツ・ラング、山中貞雄、ジャン=マリ・ストローブ。
0072名無しさん@純邦楽
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2017/07/24(月) 02:32:25.68ID:YOyGmgXY
感動的な白さを、人は、ごく最近、加藤泰の『炎のごとく』で見ることができる。
0073名無しさん@純邦楽
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2017/08/02(水) 07:47:54.83ID:DvyBopdQ
自動車がその無償の走行をやめたとき、ゴダールにおける迷路が出現する。
0074名無しさん@純邦楽
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2017/08/07(月) 12:07:12.90ID:6PXAxK7n
(クリント・イーストウッド『許されざる者』について)
「許されざる者」の孤高の美しさを前にすると、傑作の一語さえ色あせてみえる。
0075名無しさん@純邦楽
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2017/08/07(月) 12:18:32.13ID:6PXAxK7n
本当の青春映画はこの世に1本しかないと思っています。
62年、J・ロジェの『さよならフィリピン』ですけど。
後に出た作品は皆そのヴァリエーションだと思うんです。
0076名無しさん@純邦楽
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2017/08/07(月) 12:30:46.12ID:6PXAxK7n
黒沢清には、「説明責任」という概念がこれっぽっちも存在していない。
彼が若くして映画作家という身分を選び、いまもなおそうあり続け、世界的にもそうと認知されているのは、
被写体にキャメラを向ければそれが映ってしまうという映画が、「説明責任」なしに成立する数少ない表現ジャンルだからである
0077名無しさん@純邦楽
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2017/08/13(日) 12:36:27.18ID:86uBNl8G
夜が映画から奪われてゆく。この現象は、とりわけ色彩映画において顕著な傾向である。
0078名無しさん@純邦楽
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2017/08/14(月) 05:25:35.35ID:QCSqwmO6
映画は、ドライヤーの『奇跡』とともに未知の動揺を体験する。
0079名無しさん@純邦楽
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2017/08/16(水) 19:17:34.09ID:ffQ9MELz
(ゴダールについて)
そう、国籍性が非常に希薄なのです。かと言ってヨーロッパ性が濃厚かと言ったらそうでもなく、不思議な中性的な感じがする。あれはなんだろう。
0081名無しさん@純邦楽
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2017/08/26(土) 21:51:17.05ID:mK+dBq1P
フライシャーは「環境」ではない。それは「時間」である。しかも、あまりにとうとつにながれ、流れたことがほとんど嘘としか思えない「時間」である。
だが、迅速に流れるフライシャー的「時間」もまた、説話的時間の経済学から途方もなく逸脱している。
0082名無しさん@純邦楽
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2017/09/04(月) 03:49:57.52ID:3hqrlIGB
ジョン・ウェインは二重の意味で映画的記憶喪失を証拠だてる特権的な記号だ。
0083名無しさん@純邦楽
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2017/09/04(月) 03:54:12.57ID:3hqrlIGB
複数であることはたえず素晴らしい。
だが、単数であること素晴らしい映画が存在しないわけではない。
たとえばマキノ雅弘、ラオール・ウォルシュ、フリッツ・ラング、山中貞雄、ジャン=マリ・ストローブ。
0084名無しさん@純邦楽
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2017/09/04(月) 04:08:23.36ID:3hqrlIGB
感動的な白さを、人は、ごく最近、加藤泰の『炎のごとく』で見ることができる。
0085名無しさん@純邦楽
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2017/09/07(木) 07:23:20.34ID:OZ50xfR4
(ウェス・アンダーソン『ムーンライズ・キングダム』について)
彼はただ撮りたいものを撮ったにすぎず、ここで讃嘆すべきは、それを可能たらしめたアメリカ合衆国は高度な文化的水準にあるといわざるをえない。
0086名無しさん@純邦楽
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2017/09/09(土) 14:06:32.15ID:3FqFOgih
例えば溝口健二と今井正の映画とどっちが凄いかということはその画面の動きを見れば一瞬でわかる。
しかし日本の五〇年代にあっては、時代は今井正と共に流れているといった評価がされていた。
これは、単に映画を見ていないから起きる現象なのです。
0087名無しさん@純邦楽
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2017/09/15(金) 01:15:01.59ID:PRYUSUC8
ところが、ウェス・アンダーソンにはそのブレッソン的な原理主義のようなものもまったくない。
そのような原理主義を持たずして、形式主義ができてしまうのがすごいところですね。
0088名無しさん@純邦楽
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2017/09/15(金) 01:36:58.71ID:S1eq4eU2
フォー・シーズンズを描いた『ジャージー・ボーイズ』は、皆さんかなり誉めておられましたが、私は全く駄目だった。
ミュージカル映画として、例えば『シカゴ』(二〇〇二)のロブ・マーシャルなんかよりは巧いっていうのは分かるんだけど、本格的に巧くはない。
0090名無しさん@純邦楽
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2017/09/15(金) 02:22:54.05ID:S1eq4eU2
蓮實重彦
そう、ペッキンパー的世界にはいかにも自由が欠如している。
だが、その不自由を、いささか時代に遅れてやって来た英雄たちの環境への不適合ぶりと、そこから生じる徒労の意識とを介して理解しようとするのは本質的に間違っている。
0091名無しさん@純邦楽
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2017/09/15(金) 02:32:17.71ID:S1eq4eU2
自動車がその無償の走行をやめたとき、ゴダールにおける迷路が出現する。
0092名無しさん@純邦楽
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2017/09/15(金) 03:00:47.53ID:S1eq4eU2
ハワード・ホークス的「作品」とは、透明なあまり視界に影すら落そうとはしない不可視の装置である。
どこまでも澄みわたって視線をさえぎることもなく、また尋常な瞳にはとうてい捉ええないほどに巨大な空間を占有する精密な玩具である。
0093名無しさん@純邦楽
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2017/09/15(金) 03:12:28.30ID:S1eq4eU2
ゴダールにおける自動車は、偽りの運動感覚を運転者にもたらしながらも、実は運動を運動の否定へと変貌せしめる裏切りの空間なのだ。
0094名無しさん@純邦楽
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2017/09/16(土) 08:38:13.20ID:tdbWtlYu
蓮實重彦
(伊藤武郎『映画少年』の帯文)
日本の戦後史と映画史とが、幼い視線の中で至福の透明感とともに残酷に交錯する。
すでに終わった時代ではなく、いま改めて注ぐべき二〇世紀への視点を、ここに登場するいくつもの名前とともに鍛えなおそうではないか。
とりわけ、伊藤武郎のそれとともに。
0095名無しさん@純邦楽
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2017/09/16(土) 09:35:32.00ID:tdbWtlYu
フォードは美しい。
ジョン・フォードとは、不幸にも美しさのみで映画たりえてしまった例外的な作家が、なお映画を生き続けんとして身にまとった世をしのぶ仮の名前にほかならない。
0096名無しさん@純邦楽
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2017/09/17(日) 09:33:30.81ID:clcS5GDq
失礼しました。でも、こんな形でぼくたちがコーヒーを飲むなんて初めてですね。これも何かロード・ムーヴィーふうだといえます。
たとえばロード・ムーヴィーだったら一つのカップを回し飲みするとか、いろいろと工夫が出てきます。
0097名無しさん@純邦楽
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2017/09/17(日) 10:05:48.41ID:clcS5GDq
フライシャーは「環境」ではない。それは「時間」である。
しかも、あまりにとうとつにながれ、流れたことがほとんど嘘としか思えない「時間」である。
だが、迅速に流れるフライシャー的「時間」もまた、説話的時間の経済学から途方もなく逸脱している。
0098名無しさん@純邦楽
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2017/09/17(日) 10:19:40.17ID:clcS5GDq
蓮實重彦
自らも動くことで、運動する映画を見せること。
それができたとき、映画評論家はかろうじて「笑う」ことができる。
いうまでもなく、「最後に笑う」のは映画評論家ではなく、映画そのものでなければなりません。
0099名無しさん@純邦楽
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2017/09/18(月) 19:41:10.76ID:Lwd7TgMB
本当の青春映画はこの世に1本しかないと思っています。
62年、J・ロジェの『さよならフィリピン』ですけど。
後に出た作品は皆そのヴァリエーションだと思うんです。
0100名無しさん@純邦楽
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2017/09/22(金) 00:56:01.91ID:yDNdf1oS
ぼくはマキノが映画を撮らなくなった時点が重要だと思う。
あの時点で、あらゆる作家が特権化されてしまった。
0101名無しさん@純邦楽
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2017/09/22(金) 01:12:53.17ID:yDNdf1oS
蓮實重彦?
本当は、ぼくも、山田さんの『美女と犯罪』みたいな本を書きたいんです。その才能はないけれど。
0102名無しさん@純邦楽
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2017/09/22(金) 01:15:38.83ID:yDNdf1oS
いまや、ヴェンダースの映画的世界に、いかに多くのガラスが意義深い出現ぶりを示しているかは明らかだと思う。
0103名無しさん@純邦楽
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2017/09/22(金) 01:17:33.72ID:yDNdf1oS
だが、われわれはまだ、ヴェンダースにおける特権的なガラスについていまだ語らずにいる。
それは、いうまでもなく、キャメラであり、写真機であり、双眼鏡であり、望遠鏡でもあるレンズである。
0104名無しさん@純邦楽
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2017/09/22(金) 20:51:39.60ID:yDNdf1oS
蓮實重彦
@香りも高きケンタッキー
A青年たちは許さない(アブラム・ローム)
Bオールド・ジョッキー(ボリス・バルネット)
C渇き(グル・ダッド)
D禁じられた帰郷(ニコラス・レイ)
次点 のらくら兵
0105名無しさん@純邦楽
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2017/09/26(火) 02:24:17.66ID:tByZat0X
夜が映画から奪われてゆく。この現象は、とりわけ色彩映画において顕著な傾向である。
0106名無しさん@純邦楽
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2017/09/27(水) 22:43:28.16ID:/1KjEXac
北野武が自分自身をみずからの活劇に登場させるとき、彼はクリント・イーストウッドのように、自分の肉体にしたたかな傷をおわせてみせる。
0107名無しさん@純邦楽
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2017/09/27(水) 22:50:15.19ID:/1KjEXac
海が北野武にとって真の救いの場所でないことは、その後の作品が示している通りである。
『あの夏、いちばん静かな海』の聾唖の青年サーファーを無造作にのみこんだことからもわかるように、海そのものの不吉さを北野武は熟知している。
0108名無しさん@純邦楽
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2017/09/28(木) 18:43:28.43ID:FJ0kMWzE
ゴダールは撮るときにすでに編集しているような、ある種の画面のつなぎを本能的に知っている人で、だから敢えて壊すというようなところがあって、
むしろトリュフォーの方が一生懸命どう繋げようかって考えている監督だと思います。
0109名無しさん@純邦楽
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2017/09/29(金) 01:04:31.37ID:NoE9byFg
(ゴダールについて)
そう、国籍性が非常に希薄なのです。かと言ってヨーロッパ性が濃厚かと言ったらそうでもなく、不思議な中性的な感じがする。あれはなんだろう。
0110名無しさん@純邦楽
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2017/09/30(土) 03:20:02.64ID:1/McsKYf
フェルディナンを始めとするゴダール的疾走者たちは、
その存在にまといつくおびただしい数の媒介物を、
遂には世界そのものと錯覚しながら困難な歩みを重ねていったことで行為の一貫性を保っている。
0111名無しさん@純邦楽
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2017/10/01(日) 20:00:28.60ID:Svj+J8vJ
例えば溝口健二と今井正の映画とどっちが凄いかということはその画面の動きを見れば一瞬でわかる。
しかし日本の五〇年代にあっては、時代は今井正と共に流れているといった評価がされていた。これは、単に映画を見ていないから起きる現象なのです。
0112名無しさん@純邦楽
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2017/10/02(月) 04:24:58.25ID:tAMWdtXp
映画の歴史で何かが決定的に変わろうとするとき、その変化をあたりに波及させるのは、必ずしも形式的な冒険ではなく、むしろ、通俗的とさえいえるありきたりな物語に対する卓抜な距離のとりかたにある。
0113名無しさん@純邦楽
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2017/10/09(月) 15:44:51.06ID:QMV/shpa
蓮實重彦さん『神々のたそがれ』についてのコメント!
これを見ずに映画など語ってはならない。
傑作の概念を遥かに超えたこの途方もない作品を前に、久方ぶりにそう断言しうる僥倖を、彼岸のゲルマン監督に感謝しよう。
ー蓮實重彦(映画評論家)
0114名無しさん@純邦楽
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2017/10/09(月) 23:51:09.12ID:QMV/shpa
中島貞夫は、傷の一つや二つは負っても、決して死ぬことのない鉄砲玉だ。
0115名無しさん@純邦楽
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2017/10/11(水) 14:40:55.31ID:AQslPC1G
どうやら、誰も本気で映画を畏れてはいないようだ。これでは、畏怖の念があまりに不足しすぎてはいまいか。
0116名無しさん@純邦楽
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2017/11/01(水) 03:58:46.07ID:aDpijEkf
自らも動くことで、運動する映画を見せること。
それができたとき、映画評論家はかろうじて「笑う」ことができる。
いうまでもなく、「最後に笑う」のは映画評論家ではなく、映画そのものでなければなりません。
0117名無しさん@純邦楽
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2017/11/16(木) 23:27:01.26ID:YTJJtjkU
映画の歴史で何かが決定的に変わろうとするとき、その変化をあたりに波及させるのは、必ずしも形式的な冒険ではなく、むしろ、通俗的とさえいえるありきたりな物語に対する卓抜な距離のとりかたにある。
0118名無しさん@純邦楽
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2017/11/23(木) 15:49:32.15ID:fSZFEBAV
「ゴダールに熱い興奮を禁じえない一つの魂が同時にマキノ雅弘にも涙してしまうという現実、
それは何も理性と情念の不本意な隔離を嘆くべき問題ではなく、まさに映像の記号学的論理の、意味されるものを越えた普遍性を証拠だてるものでしかない。」
0119名無しさん@純邦楽
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2017/11/26(日) 17:19:33.64ID:sLkaYtiB
《ロバート・アルドリッチにとって、処女作から遺作まで、そのことごとくが映画とは戦いなのだ。
/だが、何のための闘いなのか。いうまでもなくて、アメリカ合衆国に対して映画を擁護する闘いにほかならない。》
(蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』
0120名無しさん@純邦楽
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2017/12/07(木) 06:47:32.77ID:ZfytW47j
(ウェス・アンダーソン『ムーンライズ・キングダム』について)
彼はただ撮りたいものを撮ったにすぎず、ここで讃嘆すべきは、それを可能たらしめたアメリカ合衆国は高度な文化的水準にあるといわざるをえない。
0121名無しさん@純邦楽
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2017/12/13(水) 09:46:03.06ID:7nCyTMNR
たとえば野性の犀とそれを生獲ろうとするジープとの迫力にみちた追跡シーンで始まる『ハタリ!』の最も感動的な場面とは何であったか。
ホークス的捕獲装置という視点からするなら、それはもちろん猿の群を一網打尽にするシーンであろう。
0122名無しさん@純邦楽
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2018/01/09(火) 22:47:38.72ID:1FOVCx7J
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0123名無しさん@純邦楽
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2018/01/09(火) 22:48:23.50ID:7IxoUhFU
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0124名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:18:17.07ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0125名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:18:50.30ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0126名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:18:54.32ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0127名無しさん@純邦楽
垢版 |
2018/01/10(水) 22:19:15.98ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0128名無しさん@純邦楽
垢版 |
2018/01/10(水) 22:19:21.91ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0129名無しさん@純邦楽
垢版 |
2018/01/10(水) 22:19:40.61ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0130名無しさん@純邦楽
垢版 |
2018/01/10(水) 22:19:55.09ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

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その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
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すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0131名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:20:03.14ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0132名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:20:10.60ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0133名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:20:23.82ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0134名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:20:29.02ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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2018/01/10(水) 22:20:41.42ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
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2018/01/10(水) 22:20:51.39ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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2018/01/10(水) 22:21:03.08ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0138名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:21:11.00ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
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この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
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デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
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2018/01/10(水) 22:21:20.52ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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0140名無しさん@純邦楽
垢版 |
2018/01/10(水) 22:21:27.62ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0141名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:21:37.56ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0142名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:21:53.45ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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2018/01/10(水) 22:21:57.48ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0144名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:22:13.72ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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2018/01/10(水) 22:22:17.33ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
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ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
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2018/01/10(水) 22:23:16.07ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
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2018/01/10(水) 22:23:19.85ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
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デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0148名無しさん@純邦楽
垢版 |
2018/01/10(水) 22:23:36.79ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
0149名無しさん@純邦楽
垢版 |
2018/01/10(水) 22:23:39.08ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
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文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
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マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

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デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0150名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:23:57.85ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
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2018/01/10(水) 22:24:02.59ID:oW1ONGOQ
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
0152名無しさん@純邦楽
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2018/01/10(水) 22:24:15.73ID:6TX4mj1x
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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