俺は神だ

1名無しさん@純邦楽2014/07/05(土) 12:51:07.45ID:FEiPOP+2
ひれ伏せ雑魚

68名無しさん@純邦楽2017/07/15(土) 23:27:51.16ID:aZS+zlNY
フライシャーは「環境」ではない。それは「時間」である。
しかも、あまりにとうとつにながれ、流れたことがほとんど嘘としか思えない「時間」である。
だが、迅速に流れるフライシャー的「時間」もまた、説話的時間の経済学から途方もなく逸脱している。

69名無しさん@純邦楽2017/07/17(月) 04:44:17.06ID:qtSEJb65
いま、世界の映画はポルトガルを中心に回転する。マノエル・デ・オリヴェイラ監督は世界最大の映画作家である。

70名無しさん@純邦楽2017/07/19(水) 08:56:20.86ID:CIrt5nqf
ヴェンダースにあって、窓と鏡はほとんど液体的とも呼びうるしなやかさで融合しあう。

71名無しさん@純邦楽2017/07/24(月) 01:57:57.93ID:YOyGmgXY
複数であることはたえず素晴らしい。だが、単数であること素晴らしい映画が存在しないわけではない。
たとえばマキノ雅弘、ラオール・ウォルシュ、フリッツ・ラング、山中貞雄、ジャン=マリ・ストローブ。

72名無しさん@純邦楽2017/07/24(月) 02:32:25.68ID:YOyGmgXY
感動的な白さを、人は、ごく最近、加藤泰の『炎のごとく』で見ることができる。

73名無しさん@純邦楽2017/08/02(水) 07:47:54.83ID:DvyBopdQ
自動車がその無償の走行をやめたとき、ゴダールにおける迷路が出現する。

74名無しさん@純邦楽2017/08/07(月) 12:07:12.90ID:6PXAxK7n
(クリント・イーストウッド『許されざる者』について)
「許されざる者」の孤高の美しさを前にすると、傑作の一語さえ色あせてみえる。

75名無しさん@純邦楽2017/08/07(月) 12:18:32.13ID:6PXAxK7n
本当の青春映画はこの世に1本しかないと思っています。
62年、J・ロジェの『さよならフィリピン』ですけど。
後に出た作品は皆そのヴァリエーションだと思うんです。

76名無しさん@純邦楽2017/08/07(月) 12:30:46.12ID:6PXAxK7n
黒沢清には、「説明責任」という概念がこれっぽっちも存在していない。
彼が若くして映画作家という身分を選び、いまもなおそうあり続け、世界的にもそうと認知されているのは、
被写体にキャメラを向ければそれが映ってしまうという映画が、「説明責任」なしに成立する数少ない表現ジャンルだからである

77名無しさん@純邦楽2017/08/13(日) 12:36:27.18ID:86uBNl8G
夜が映画から奪われてゆく。この現象は、とりわけ色彩映画において顕著な傾向である。

78名無しさん@純邦楽2017/08/14(月) 05:25:35.35ID:QCSqwmO6
映画は、ドライヤーの『奇跡』とともに未知の動揺を体験する。

79名無しさん@純邦楽2017/08/16(水) 19:17:34.09ID:ffQ9MELz
(ゴダールについて)
そう、国籍性が非常に希薄なのです。かと言ってヨーロッパ性が濃厚かと言ったらそうでもなく、不思議な中性的な感じがする。あれはなんだろう。

80名無しさん@純邦楽2017/08/23(水) 20:48:54.94ID:uMtQq+da
スティーヴン・スピルバーグは、馬を撮らねばならない。

81名無しさん@純邦楽2017/08/26(土) 21:51:17.05ID:mK+dBq1P
フライシャーは「環境」ではない。それは「時間」である。しかも、あまりにとうとつにながれ、流れたことがほとんど嘘としか思えない「時間」である。
だが、迅速に流れるフライシャー的「時間」もまた、説話的時間の経済学から途方もなく逸脱している。

82名無しさん@純邦楽2017/09/04(月) 03:49:57.52ID:3hqrlIGB
ジョン・ウェインは二重の意味で映画的記憶喪失を証拠だてる特権的な記号だ。

83名無しさん@純邦楽2017/09/04(月) 03:54:12.57ID:3hqrlIGB
複数であることはたえず素晴らしい。
だが、単数であること素晴らしい映画が存在しないわけではない。
たとえばマキノ雅弘、ラオール・ウォルシュ、フリッツ・ラング、山中貞雄、ジャン=マリ・ストローブ。

84名無しさん@純邦楽2017/09/04(月) 04:08:23.36ID:3hqrlIGB
感動的な白さを、人は、ごく最近、加藤泰の『炎のごとく』で見ることができる。

85名無しさん@純邦楽2017/09/07(木) 07:23:20.34ID:OZ50xfR4
(ウェス・アンダーソン『ムーンライズ・キングダム』について)
彼はただ撮りたいものを撮ったにすぎず、ここで讃嘆すべきは、それを可能たらしめたアメリカ合衆国は高度な文化的水準にあるといわざるをえない。

86名無しさん@純邦楽2017/09/09(土) 14:06:32.15ID:3FqFOgih
例えば溝口健二と今井正の映画とどっちが凄いかということはその画面の動きを見れば一瞬でわかる。
しかし日本の五〇年代にあっては、時代は今井正と共に流れているといった評価がされていた。
これは、単に映画を見ていないから起きる現象なのです。

87名無しさん@純邦楽2017/09/15(金) 01:15:01.59ID:PRYUSUC8
ところが、ウェス・アンダーソンにはそのブレッソン的な原理主義のようなものもまったくない。
そのような原理主義を持たずして、形式主義ができてしまうのがすごいところですね。

88名無しさん@純邦楽2017/09/15(金) 01:36:58.71ID:S1eq4eU2
フォー・シーズンズを描いた『ジャージー・ボーイズ』は、皆さんかなり誉めておられましたが、私は全く駄目だった。
ミュージカル映画として、例えば『シカゴ』(二〇〇二)のロブ・マーシャルなんかよりは巧いっていうのは分かるんだけど、本格的に巧くはない。

89名無しさん@純邦楽2017/09/15(金) 01:53:07.07ID:S1eq4eU2
スティーヴン・スピルバーグは、馬を撮らねばならない。

90名無しさん@純邦楽2017/09/15(金) 02:22:54.05ID:S1eq4eU2
蓮實重彦
そう、ペッキンパー的世界にはいかにも自由が欠如している。
だが、その不自由を、いささか時代に遅れてやって来た英雄たちの環境への不適合ぶりと、そこから生じる徒労の意識とを介して理解しようとするのは本質的に間違っている。

91名無しさん@純邦楽2017/09/15(金) 02:32:17.71ID:S1eq4eU2
自動車がその無償の走行をやめたとき、ゴダールにおける迷路が出現する。

92名無しさん@純邦楽2017/09/15(金) 03:00:47.53ID:S1eq4eU2
ハワード・ホークス的「作品」とは、透明なあまり視界に影すら落そうとはしない不可視の装置である。
どこまでも澄みわたって視線をさえぎることもなく、また尋常な瞳にはとうてい捉ええないほどに巨大な空間を占有する精密な玩具である。

93名無しさん@純邦楽2017/09/15(金) 03:12:28.30ID:S1eq4eU2
ゴダールにおける自動車は、偽りの運動感覚を運転者にもたらしながらも、実は運動を運動の否定へと変貌せしめる裏切りの空間なのだ。

94名無しさん@純邦楽2017/09/16(土) 08:38:13.20ID:tdbWtlYu
蓮實重彦
(伊藤武郎『映画少年』の帯文)
日本の戦後史と映画史とが、幼い視線の中で至福の透明感とともに残酷に交錯する。
すでに終わった時代ではなく、いま改めて注ぐべき二〇世紀への視点を、ここに登場するいくつもの名前とともに鍛えなおそうではないか。
とりわけ、伊藤武郎のそれとともに。

95名無しさん@純邦楽2017/09/16(土) 09:35:32.00ID:tdbWtlYu
フォードは美しい。
ジョン・フォードとは、不幸にも美しさのみで映画たりえてしまった例外的な作家が、なお映画を生き続けんとして身にまとった世をしのぶ仮の名前にほかならない。

96名無しさん@純邦楽2017/09/17(日) 09:33:30.81ID:clcS5GDq
失礼しました。でも、こんな形でぼくたちがコーヒーを飲むなんて初めてですね。これも何かロード・ムーヴィーふうだといえます。
たとえばロード・ムーヴィーだったら一つのカップを回し飲みするとか、いろいろと工夫が出てきます。

97名無しさん@純邦楽2017/09/17(日) 10:05:48.41ID:clcS5GDq
フライシャーは「環境」ではない。それは「時間」である。
しかも、あまりにとうとつにながれ、流れたことがほとんど嘘としか思えない「時間」である。
だが、迅速に流れるフライシャー的「時間」もまた、説話的時間の経済学から途方もなく逸脱している。

98名無しさん@純邦楽2017/09/17(日) 10:19:40.17ID:clcS5GDq
蓮實重彦
自らも動くことで、運動する映画を見せること。
それができたとき、映画評論家はかろうじて「笑う」ことができる。
いうまでもなく、「最後に笑う」のは映画評論家ではなく、映画そのものでなければなりません。

99名無しさん@純邦楽2017/09/18(月) 19:41:10.76ID:Lwd7TgMB
本当の青春映画はこの世に1本しかないと思っています。
62年、J・ロジェの『さよならフィリピン』ですけど。
後に出た作品は皆そのヴァリエーションだと思うんです。

100名無しさん@純邦楽2017/09/22(金) 00:56:01.91ID:yDNdf1oS
ぼくはマキノが映画を撮らなくなった時点が重要だと思う。
あの時点で、あらゆる作家が特権化されてしまった。

101名無しさん@純邦楽2017/09/22(金) 01:12:53.17ID:yDNdf1oS
蓮實重彦?
本当は、ぼくも、山田さんの『美女と犯罪』みたいな本を書きたいんです。その才能はないけれど。

102名無しさん@純邦楽2017/09/22(金) 01:15:38.83ID:yDNdf1oS
いまや、ヴェンダースの映画的世界に、いかに多くのガラスが意義深い出現ぶりを示しているかは明らかだと思う。

103名無しさん@純邦楽2017/09/22(金) 01:17:33.72ID:yDNdf1oS
だが、われわれはまだ、ヴェンダースにおける特権的なガラスについていまだ語らずにいる。
それは、いうまでもなく、キャメラであり、写真機であり、双眼鏡であり、望遠鏡でもあるレンズである。

104名無しさん@純邦楽2017/09/22(金) 20:51:39.60ID:yDNdf1oS
蓮實重彦
@香りも高きケンタッキー
A青年たちは許さない(アブラム・ローム)
Bオールド・ジョッキー(ボリス・バルネット)
C渇き(グル・ダッド)
D禁じられた帰郷(ニコラス・レイ)
次点 のらくら兵

105名無しさん@純邦楽2017/09/26(火) 02:24:17.66ID:tByZat0X
夜が映画から奪われてゆく。この現象は、とりわけ色彩映画において顕著な傾向である。

106名無しさん@純邦楽2017/09/27(水) 22:43:28.16ID:/1KjEXac
北野武が自分自身をみずからの活劇に登場させるとき、彼はクリント・イーストウッドのように、自分の肉体にしたたかな傷をおわせてみせる。

107名無しさん@純邦楽2017/09/27(水) 22:50:15.19ID:/1KjEXac
海が北野武にとって真の救いの場所でないことは、その後の作品が示している通りである。
『あの夏、いちばん静かな海』の聾唖の青年サーファーを無造作にのみこんだことからもわかるように、海そのものの不吉さを北野武は熟知している。

108名無しさん@純邦楽2017/09/28(木) 18:43:28.43ID:FJ0kMWzE
ゴダールは撮るときにすでに編集しているような、ある種の画面のつなぎを本能的に知っている人で、だから敢えて壊すというようなところがあって、
むしろトリュフォーの方が一生懸命どう繋げようかって考えている監督だと思います。

109名無しさん@純邦楽2017/09/29(金) 01:04:31.37ID:NoE9byFg
(ゴダールについて)
そう、国籍性が非常に希薄なのです。かと言ってヨーロッパ性が濃厚かと言ったらそうでもなく、不思議な中性的な感じがする。あれはなんだろう。

110名無しさん@純邦楽2017/09/30(土) 03:20:02.64ID:1/McsKYf
フェルディナンを始めとするゴダール的疾走者たちは、
その存在にまといつくおびただしい数の媒介物を、
遂には世界そのものと錯覚しながら困難な歩みを重ねていったことで行為の一貫性を保っている。

111名無しさん@純邦楽2017/10/01(日) 20:00:28.60ID:Svj+J8vJ
例えば溝口健二と今井正の映画とどっちが凄いかということはその画面の動きを見れば一瞬でわかる。
しかし日本の五〇年代にあっては、時代は今井正と共に流れているといった評価がされていた。これは、単に映画を見ていないから起きる現象なのです。

112名無しさん@純邦楽2017/10/02(月) 04:24:58.25ID:tAMWdtXp
映画の歴史で何かが決定的に変わろうとするとき、その変化をあたりに波及させるのは、必ずしも形式的な冒険ではなく、むしろ、通俗的とさえいえるありきたりな物語に対する卓抜な距離のとりかたにある。

113名無しさん@純邦楽2017/10/09(月) 15:44:51.06ID:QMV/shpa
蓮實重彦さん『神々のたそがれ』についてのコメント!
これを見ずに映画など語ってはならない。
傑作の概念を遥かに超えたこの途方もない作品を前に、久方ぶりにそう断言しうる僥倖を、彼岸のゲルマン監督に感謝しよう。
ー蓮實重彦(映画評論家)

114名無しさん@純邦楽2017/10/09(月) 23:51:09.12ID:QMV/shpa
中島貞夫は、傷の一つや二つは負っても、決して死ぬことのない鉄砲玉だ。

115名無しさん@純邦楽2017/10/11(水) 14:40:55.31ID:AQslPC1G
どうやら、誰も本気で映画を畏れてはいないようだ。これでは、畏怖の念があまりに不足しすぎてはいまいか。

116名無しさん@純邦楽2017/11/01(水) 03:58:46.07ID:aDpijEkf
自らも動くことで、運動する映画を見せること。
それができたとき、映画評論家はかろうじて「笑う」ことができる。
いうまでもなく、「最後に笑う」のは映画評論家ではなく、映画そのものでなければなりません。

117名無しさん@純邦楽2017/11/16(木) 23:27:01.26ID:YTJJtjkU
映画の歴史で何かが決定的に変わろうとするとき、その変化をあたりに波及させるのは、必ずしも形式的な冒険ではなく、むしろ、通俗的とさえいえるありきたりな物語に対する卓抜な距離のとりかたにある。

118名無しさん@純邦楽2017/11/23(木) 15:49:32.15ID:fSZFEBAV
「ゴダールに熱い興奮を禁じえない一つの魂が同時にマキノ雅弘にも涙してしまうという現実、
それは何も理性と情念の不本意な隔離を嘆くべき問題ではなく、まさに映像の記号学的論理の、意味されるものを越えた普遍性を証拠だてるものでしかない。」

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