>>756
でもO村が玉さんをそういう環境に追い詰めたからこそ
90年代から2000年代初頭にかけて、唯一無二の作風の日記漫画家
桜玉吉(チェリーたまき)が誕生したわけで

そうしていなかったら、80年代後半のしあわせの作風のまま、
90年代以降を頑張らなくてはいけなかったんじゃ
それだと、私生活は安定し、べるの萌えの読者も幸せと
一見、良いことづくめだったかもしれないが
あの作風で多様化した業界で90年代以降、漫画家として生き残れたか分からん
漫玉の三倍だった部数(15万部)だって、2000年代を超えるまでずっとキープできたとは
とても思えん