【大乱 関ヶ原】宮下英樹 241番槍【神聖ローマ帝国】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
!extend:checked:vvvvv:1000:512
次スレ作成時は本文頭に〈〉内を2行記述してください。立てると1行消えます。
〈!extend:checked:vvvvv:1000:512〉
戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載してました
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号~2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号~2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号~2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号~ ) コミックは1-25巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年~2010年)
次スレは>>970が宣言して建てること、無理なら代行を指名すること
【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 239番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1650483420/
センゴク 宮下英樹 1番槍
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1655106579/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured コミック乱で連載が再開したので
よくわかんないけど取り敢えずコッチで勃ててみました
あとはよろシコ >>1の中身を直し忘れた・・・
次スレ勃てる時に直してください・・・(´;ω;`) >>1
乙に候
新スレ立ってないのに埋められてたのか
まだ関ヶ原なのに 神聖ローマ帝国の方は歴史群像で連載中の三十年戦争が題材のもの、と一応
こっちは単行本で追いかけるつもりだけど何ヶ月先になるだろう 関ヶ原の第一話はなんか葵三代の説教シーンを思い出したわ >>1
立て乙
漫画板の保守書き込みは20必用らしい らんらん♪ \ (´・ω・`) / らんらん♪
(´・ω・`) \∧∧∧∧/∀`)=◯<´・ω・`>◯=(・
( つ旦O < ら ら > ( ) ビヨーン
と_)_) < ん ん > ∪∪
──────────< ら ら >───────────
| |/( ´_ゝ`)\< ん ん > ( ´・ω・`)らんらん♪
| |. ∩∩ < ♪ ♪ > / 人
| らんらん♪  ̄/∨∨∨∨\ / \ \⌒i
(´・ω・`) / らんらん♪ \ | /\  ̄))
(∩∩)─── /(´・ω・`)人(´・ω・`\/ /| ̄|
/| ̄ ̄| カタカタ / ( ∩∩) (∩∩ )\/ ゝ__) 懐かし板スレ終盤に一人で40近く埋め立ててたのは何だったんだ… 次スレが立ってるものと勘違いした粗忽者
あるいはただの馬鹿者 いちおつ、遂に漫画板に帰ってきたぞー
20レスまで保守する必要あるんだっけ 今更連載知ってコミック乱買おうとしたけど10月号って電子書籍無いのね… >>25
自分も電子書籍で買ったが今見たら本当に雑誌しか無いな
11月号も雑誌だけになってる
新刊の間でしか電子の取り扱いはないのかもね 風雲児たちでたまに買ってたけど乱はバックナンバー消えてくタイプだね
ヤンマガとかと一緒 連載で読むより単行本になって纏めて読んだほうが良いぞ どっちでもいいだろ
毎月早く読みたい人間もいるんだよ センゴクはコミック派だったけど(というか刊行ペース早くて気付いたらコミック出てたし)今は月1が楽しみなのも先生を応援する意味でも毎月乱買ってる 電子版は期間限定で販売とかそういうシステムだったのか…
単行本どれくらいのペースで出してくれるかわからないし素直に買えなかった号は紙の方買って追いつくかぁ センゴク しばらく遠ざかってる間に終わってた
戦国時代で「仙石権兵衛」を見出して「センゴク」ってネームにしたのが秀逸だったな
関ケ原前後を描いてほしかったので、大乱 関ケ原には期待
また「この通説には疑問がある」を見れるかな センゴクのそのまんまのキャラで大乱描いてるな
単行本出るまで待てなかった 大乱関ヶ原は緊迫状況なのに毎回家康の顔芸で笑う いいキャラやな
センゴク後期の表情変えない家康も、内心ではこんな顔芸してたのかなと思うとw
あと増田が案外チョロくて心配
佐吉は見事差配やり切ったけど普通に浅野無視してるし 前田利家死去までは割と徳川方が浮いてたのかもしれんな。。 今月面白いなw
確かにこれは三成応援するし内府軽蔑の流れだわ。
ここから三成が巻き返されるのか・・・ >>38
利家退場Before/Afterの家康ムーブ見たらそりゃねぇ
その時歴史は動いた、だわ又左どん・・・ 今のところ毛利輝が有能
そして島津が戦シーンがないけど地味に無双しとる 今月の家康を見ると織田信長や豊臣秀吉と比べて「徳川家康」というキャラクターが大衆に人気ない理由が何となく分かるな
言ってる事もやってる事も政治家気質過ぎる 年取ったらあれでええやろ
若いころは最前線に立たざるを得なかった境遇よ 玄人好みではあるのかもしれないが大衆人気出ないよな 今の大衆に人気ないってそんなの印象操作の結果でしかないだろ
当時で言えば家康の統治のほうがいいというくらい人気はあったわけだし 家康の方がいいって言うのは江戸時代の印象操作でしょ
歴史はそういうもんだね 身共さん、結構耄碌しかかってんのね
狸爺みたいな描き方するかと思ったらやる事なす事ガバガバだし 本編じゃ鬱憤を晴らすのは勿体ないとか言ってたのに佐渡にはしっかり鬱憤吐いてるんだよなw 旧作のほぼ同じ時期の家康とは違って
かなり無能寄りな描き方にしてるのはなんでだろうな 仙石の視点などを中心にした外野、下位の物からしたら
冷静沈着鉄面皮の巨人に見えたけど内実はこうだったのではって解釈や表現の作品って事では?
無能だからこうなってる、何も出来ないわけじゃなくて有能ゆえに苦心苦慮してるんだし >>49
この時点では家康って職務権限とかないし具体的に権限(事務方トップ)もってる五奉行と比較するとガバガバなのはしゃーない 主人公ぽくするためかセンゴクよりもちょっとコミカルなキャラになってるな 宮下先生のツイッターよりコピペ
:センゴクの家康は「よそいきの姿」という設定で、近親から見た姿が今の家康です。社外の人が見たら立派な社長も秘書が見たらこんな感じと。: >>54
真に政の事考えてるのはわし1人!
周りは目先の事しか見てないの!ってブチギレてる時ワロタ
いやアンタは終始己の立ち位置の事しか考えとらんやんけと 思った以上に家康が周章狼狽してて面白いわw
秀吉逝去から計画的に天下取りまで動く古典的な家康像とはぜんぜん違うな、俺の勝手なイメージかもしれんけど
結局天下取る人は大なり小なり天運に恵まれるということになるのかねえ まあでもセンゴク本編の秀吉の時から天下はままならないものというのをやってきた訳だし
ここで家康の計画通りに事が進んだらどんだけ超人なのかって話になる
実際関ヶ原までに大小様々な出来事が起こっててほぼ全部に家康が関わって火消ししとるのな
あの時期の家康と家臣団には苦労人ってイメージがある でもこのとき増田長盛に唾つけといたから後にスパイとして働くんだな 個人的なイメージだとヤッスは7将襲撃(最近じゃ民事訴訟の縺れ)庄内の乱、宇喜多騒動などを経て「強権とか専横とか言われてもオレが仕切らないとやべぇ」的な状況に追い込まれたイメージ 現段階だとミッツ優勢な書き方してるがそこから
巻き返すのは皆知ってるからな 正信さんが途中で説得諦めてるのが新鮮
まあ裏で対策練ってるのかもしれんが センゴクで秀久と合流した時のヤスの憔悴っぷりの原因が、ここから明らかになっていくの楽しみw
すでに始まってる感が。 基本的には三成優勢のターンと家康優勢のターンを繰り返すような流れになるんかな 政権中枢で三成の人望が高まっても、渡海勢はまた別って感じなのかな。 事務方が完璧な仕事やっても現場はそんなの当たり前でしょ?程度な評価しかしないのはよく聞く話
三成としては現場も後方も共に頑張ったからこその成功だけど、万一失敗したら死んでた側からするとね
一緒にすんなと 今1598年12月か。
1599年1月には家康息子と政宗娘の婚約があったり、私婚外交ラッシュ。2月に前田利家ら大阪派と家康ら伏見派で一触即発。3月に利家死去、三成襲撃&失脚って考えると、三成優勢も短いな。 >>71
七将襲撃をどう描くか
あれ襲撃じゃなく訴訟らしいし >>57
ぶっちゃけ三成は政権の安定こそが最大の保身だからね
三成本人にはおそらくその意識がないだろうが、周囲の望むところと三成の意識が合致してるからこそ
実務に対する三成の私心のなさが評価されてるのが今
その点でこの自身への疑いのなさがちょっと危うい感あり
家康もまた安定に依存している立場には違いないけど三成と違って安定のために何かできる立場ではない
だから何かあった時にはそこから離れて生きる準備も必要
その点で家康の直感も主張も間違ってないんだけどそれ故に正信の危惧も当たっちゃう
いくら正しかろうがそれを口にしたら一番アカン立場だからである 佐吉にないものは槍働きだからね
忍城攻略に失敗して浅弾にケツ拭いてもらった話は
前にも描かれてたけど >>72
訴訟説を提唱してるのは関ヶ原研究でも有名な白峰氏と水野氏だね
七将が家康に三成の切腹を訴えたもので襲撃ではなかったという主張
ここ5、6年くらいの間に出てきた説でいまだ結論は出てないがかなり有力な説ではある
宮下さん前に英雄たちの選択かなんかで「新説が好きなんでつい新説に惹かれる」って言ってたから恐らく訴訟説を採用しそう ぶっちゃけふすまの裏貼りから日記の原本出てきたり古井戸から竹簡出てきて旧説あぼ~んとかあるある案件 >>71
やっぱり利家死去がターニングポイントか・・・ >>73
世が荒れる時は中枢から遠い方が有利になるよね。
家康も中枢っちゃ中枢なんだけど、地方の有力者な面も持ってるからな。 家康秀忠を有能無能って論ずるワケじゃないが
もし世代が変わってたら徳川の天下は無かったな 無理矢理現代政治に例えると地方自治体の首長で息子(秀忠)に実務任せて中央政府に出向して政権中枢にいるのが家康 >>80
家康ってセンゴクの本編で政権中枢から外れた場所に居たせいで
時流に乗り遅れた武将という描き方されてなかったっけ 今更センゴク読んだけど神降臨してるときの島津軍の馬立ち乗りとか両サイドにわかれて2人乗りとか可能なん? >>84
馬 曲乗り でググると沢山実例が出てくるよ >>86
たしかその頃、マッドマックス怒りのデスロードも見たって先生言ってた >>90
そういえばハカみたいなのやってたな作中でw 島津凄すぎて草
敵国地の撤退戦なんか難易度MAXだろうに >>89
あー、こいつらだけノリがおかしいだろと思ったら 島津の兵児が角隈石宗とか敵武将に襲いかかる所は
防衛大学の棒倒しを連想した 神降りすると全軍馬の乗り方おかしいバーサーカーになって全ての敵将の位置と状態が把握できるて強すぎる .r ̄丶 ∧,.∧
|`、_ノ)^・ω・`)つ
ヽL_Lノ、__ノ
お前だ! イカンのイの時とかにちょっと漏れ出てはいたよなw
懸命に隙や弱みを見せず大物実力者像を維持しなければならない苦労が偲ばれる 権兵衛視点だと「あの二郎三郎様が今や日の下で最も辛抱強い御仁」だった訳だが、
実際は根っこの部分は余り変わらず取り繕う術を覚えたということなんだろうね 権兵衛が強い方に付くって言って徳川に付いた時も
良し!良し!良し!勝てるぞい!って一人でやってたから最後の最後までギリギリだったのかな
その内情が読めると思うと楽しみや 世の中自分を押し殺した処世も30代~40代くらいまでがピークで
その後はタガが弛んだり感情を制御出来なくなってくる人も多いと考えると
今の家康の情緒揺り戻しも、掲載誌移転リニューアルで~とか主題や作風が変わって~とかメタ的事情抜きで
さもありなん、と言えるかもしれない 三つ子の魂百までとも言うし人間の本質なぞそうそう変わらないと考えると
博打打ちにもかかわらず我慢に我慢を重ねて辛抱強く勝負どころまで待って、更になお後世には腹黒狸と思われる内府殿の心中いかばかりか
余人では想像すらつかない程のストレスかかってそう サドのいう事聞いて丸投げしてればストレス軽減できてそうだから
半分自業自得な気もする センゴク権兵衛の235話で家康派閥に輝元も入ってるし、三成失脚後の「家康を兄、輝元を弟とし」の誓詞もやるのかな 佐吉失脚後に家康と関係修復(前田討伐や大阪城入城に強力したり人質に出した息子が家康のお気に入りに)すんのどう描くのかね 秀忠はセンゴク時代とあんまし変わらん描き方になるのかな >>97
親父譲りの神降りして伯父上を逃がすけど本人は異世界へ… 豊久はあの漫画のお陰で持ち上げられる傾向にあるけど
正直関ケ原の中じゃ端役も良いとこだしな。義弘ですら
中枢の思惑に絡めていないし島津家はちょちょいと触れるくらいでね お豊は島津豊久異世界転移というより薩摩隼人の擬人化だからな
史実とはだいぶ別だろう ドリフ豊久だって穏健やろ。わざわざ大将かどうか尋ねるんだぞ。普通の薩摩隼人は殺してから大将かどうか確認する 誤チェストとか異世界転生とか馬曲乗りバーサーカー部隊とかこの人達おかしいよ… そういやクロカン無双が見れるんだったな
あとバカ息子大友義統の顛末も センゴク権兵衛の最後の方でちょろっとだけ関ヶ原のクロカンも出てたね 宇喜多のぼっちゃんに期待やわ
あのお坊ちゃんがどこまで成長してるのか 冷めたセンゴク大谷も顔布になれば凄味がでるかねえ
てか大谷は戦上手な描写よくされるけど、センゴクではただの事務方で戦下手なイメージやわ 一時は秀吉の後継者候補だったのが外されて改易くらいかけたりしてるから向こうからしたら先に裏切ったのはどっちだくらい吐き捨てたいかもね こっちの大谷は100万の軍を預けたいて言われなさそうなダンディな事務職おっちゃんよね 信長の野望の吉継の能力値(戦闘、采配)は過大評価だといつも思う 西軍は秀秋のに秀頼成人まで関白職に就かせるとか約束したとかいうけど、切腹されて粛正された秀次みててなりたいと思ったんかねw
三成は交渉も下手よのう そもそも三成が秀秋への交渉に切れるカード自体が多くないがその中で関白という
秀次事件を身内として目の当たりにした数少ない人間の秀秋からみたら最大の地雷踏むあたりがもうアウト過ぎる >>138
関白殺しちゃう人はもういないから大丈夫
センゴクじゃ殺されたわけじゃないけど 秀秋の北九州59万石の方が、岡山55万石よりいい気がするがな。 >>143
実際多少石高が低くてもいいから京の近くがいいって大名もおったらしいよ >>145
じゃあ越前で良かったじゃねーかという気がする ガチ戦犯は小早川でなく吉川やわ
てかこいつら総大将が大阪城にいて、何で勝手に主君に背いて謀反してるの 岐阜城陥落で輝元自体がヒヨって、家康に秘密裡に講和を申し出てるからな
戦犯は秀信 三法師様が織田乗っ取られたのに西軍に味方するのはアツいわ
まあ戦は弱弱というか、元城主が敵側にいるのではどーしようもないけどw >>151
当時の地政学的に天下を取るのにどうしても必要な地だからな >>148
TERU「日和ではない!これは知略だ!」
https://i.imgur.com/77PjPD4.png
実際、岐阜城陥落したあたりから士気激減して逃亡兵も出てきたらしく(佐吉の手紙など)おまけに京極造反で大阪城と分断されて鎮圧のために大兵力動員するはめになり負けフラグがバンバン立ってる状態よ >>154
佐吉「島津に掣肘しなきゃ調子に乗られるであろうが」 岐阜城がまさかあんなあっさり落ちるとは思わなかったんやろなあ
岐阜城で足止めしてる間にと思ってたんやろ 島津は佐吉に奇襲を却下されて結果的に助かったよな
やってたら絶対許してくれなかったと思う 奇襲却下は本当にあったのかどうか定かではないようだよ 乱で関ヶ原連載してるの知らなかったから、今月初めて読んだ
憔悴しきるくらいに疲れはててる三成、これで渡海派武将から
つるしあげられるんじゃ、やってられないよなぁ
五大老がチクチク家康いじめてるの見てワロタw
実際、その後の関ヶ原にいたる過程で五大老の
中に家康派っていなかったもんなぁ。恫喝され
屈服した前田利長も心中複雑だったろうし 創作だろうけど帰国した清正らにKYな石田がお茶でも飲んでけとか言うんだっけ?
食い物も困ってだ奴らにお茶とかバカにしてるよな 多分
労いの言葉だったら、は?口先だけで終わりか?馬鹿にしてると言われ
そっと金子でも渡したら、は?金で魂も買えるってか?馬鹿にしてると言われ
食い物もてなしたら、は?今更こんな贅沢か?馬鹿にしてると言われ
何やっても悪い流れを後世で作られるパターン 秀吉が死んだ直後の領土の差配権って誰が持ってたんだろ? そもそもセンゴク本編で熊谷ら石田の目付け?みたいな無能そうな奴らのせいで渡海組の不満が石田に集中したみたいなこと書いてあったな そもそも冷静に考えればクラスの個々の問題児や教師の差配がまず悪いのに
クラス委員何やってんだよぉ何とかしろよぉってなっちゃうやつ 清洲19万石の福島正則は信長時代からの商業収入で、実質50万石とかあったのかな 確かに学級委員って頭はいいけどヤンキーややんちゃな奴らには凄い嫌われてたなw
ましてや自分より石高低い三成委員長は校長(秀吉)のお気に入りだから面白くないわw >>164
そこで頭下げ続けるなり口だけにしろ苦労を労り続けるなりすりゃまだ失点少なかったろうに
わざわざ書き残されたあたりよっぽどカチンとくる言い方をしたんだろうなというのは想像つく 秀吉に足りんかったのは天下を取ったあとの家中の統制
佐吉を中心に文官を積極的に起用するのはしょうがないが武官たちは単に領地をあてがい放置したまんまだったからね
秀次事件でそれが表面化したけどすでに対立は生まれ始めてた >>171
だから嘘か真かどうやってもそういう話になっちゃうじゃーんっていう負け戦よ >>171
そこで頭を下げ続けるのも後々の政権運営考えたら悪手なんだわ
もっと身軽な立場だったら良かったんだけどねぇ この前の関ヶ原の書状が全てよな
ぐだぐだ長いくせに自分都合しか言わない三成
短く相手のことを考えて感謝の気持ちを伝える家康 銀行との交渉とかの創作外の経営面全部請け負っていたウォルト・ディズニーの兄貴が
弟に先立たれたあと色々と後始末をこなしながら
よくこんな面倒なこと残してくれたもんだなあと亡き弟にぼやいてたって話を思い出した >>175
そもそもそこは三成が出ていい場じゃないものな
大老奉行の合議が最高権力としても総出で迎えてなんとか恰好がつくところ 信長が死んだ時と一緒
戦で新たなリーダーを決めるしかない >>178
三成がそこらへんわからないとも思えないのになんであそこで出張ったんだろうね >>182
元々は家康・輝元・秀家が博多まで行って撤兵に関する指示を出す予定だったが、
毛利秀元・浅野長政・石田三成を遣わすように変更された(慶長3年9月5日付四大老(家康・輝元・秀家・輝元)連署状)
その理由として「人数不入之由被申止候間、先遠慮候」
(家康等大老の人数は不要とのことで、博多行きを止めるよう言うので遠慮した)とある
受け身の「被」があるので秀頼が止めたという表現にはなってるが、この時わずか5歳だし長束や増田等奉行衆による提案だったのは間違いない
三成が帰朝した諸将に対して無礼な物言いをして清正等を怒らせたってのは確たる史料にはない話だが、
恐らく秀吉亡き後奉行衆も大老に匹敵する権威を持っていることを諸将に示すため、撤兵の処理を奉行衆主導でやろうとしたんだと思うよ
秀吉の死後直ぐに奉行衆と家康が不和になったと述べてる毛利家臣の書状
(慶長3年9月2日付内藤周竹書状)もあるので奉行衆が主導権を握るためだろうね >>184
コミック乱は置いてあるコンビニ少ないんじゃね?
うちの近所のローソンはたまたま置いてたが >>185
モーニングの購買止めて乱を買うようにした どうせ月1やしなと思って買ってるわ
意外と別の漫画も面白い 三成も家康みたいに嘘泣きでもしてよくぞ無事帰ってきくれたと手を取り合って労うくらいできればねえ
まあ三成がやったら嘘くさくなり余計にウザいかw >>183
まあ何を言ったかでなくてそういう姿勢だったこと自体があかんかったという気はする
本人に義務のつもりだったかも知らんが端から見れば「俺が豊臣だ」と宣言したように映ったかもだ へうげものの小田原攻めのあたり読み直してるけどセンゴクの小田原攻めといい感じに同じ時期の違う局面を描いてて補完関係みたいで面白いわ
徳川勢が古織に当たりキツイ理由がセンゴクで描かれたように辛い持ち場任されてるからとかすんなり想像できていい >>190
?
1月号には載ってるやろ
2月号の間違い? >>188
白々しいわッ!!ってなる罠
今までの積み重ねがね……
根っこから律義者の利家が出迎えてたら、渡海衆も色々な思いを飲み込んで耐えただろうな 出迎えは浅野と家康と利家でやるべきだったね
この3人が頭下げてお礼言えばまだ渡海衆の不満も和らいだろうに 家康だったら偽涙を流して苦労を分かち合うフリをしたろうな。これで武断派のハートをゲット みんな家臣や兵を抱えていてそれらに報いないといけないわけだから
頭下げられた位で飲み込むなんて出来ないと思う 頭下げる人間にも格がいるわけで
国内の現状トップが揃って不満はあるだろうがこらえてくれと頼めば下げられた側もまだメンツは立つ
治部だとなんでお前が代表ヅラしてんの?となる上に当人がそこを取り繕えるコミュ力がマイナスだから逆効果にしかならん 前田利家が矢面に立つ形で渡海勢に頭下げたらな
加藤清正辺りは心底煮え繰り返る気持ちを何とか
豊家を代表し、又左が謝罪してるからと冷静になれたかもだが それはそれで前田家中に不満溜まりそうな気もする
豊臣政権の重鎮ではあるがそれより先に前田家の当主であるのだからそう簡単に下げられる頭でも無いと思う
結果、代表して頭下げやすいのが佐吉だったりもするのだけどお前が代表面すんなと思われてしまうという >>199
利家さん、もうちょっとで死んじゃうし、あんまり無理は
できない状況じゃないかねぇ。漫画では健康そうだけどw
秀吉に続いて利家も死んじゃったのは豊家にとっては不幸 よく知らないんだけど渡海衆に銭をたんまり渡すくらいの事はしたの? もう腐るほど言われてきたけど
小六どんいない秀長いない利休いない秀次いない、そして又左どん
秀頼に目途が立つまで盤石で支えろったって無理だーよね・・・ 猪武者抑えられるやつ居らんしな
前田さんなんか若い猪武者達からしたら憧れの存在だろうなあ >>200
そもそも当時軍監扱いの五奉行ら(石田三成、増田長盛、大谷吉継)と軍令違反云々で揉めてるから(このときの遺恨が最後まてま響く)のこのこ来られてものう >>201
利家生きてた頃は政庁が大阪城に移転して家康と奉行数名だけ伏見に居残りさせられとったから、利家が長く生きてたら家康は秀吉の遺言の「家康は3年在京せよ」を逆手にとって「3年たったから関東に帰るわ」とか言ってたかも知れん 利家の遺言の大阪城が離れるなを破った利長がうつけなんだよなあ 利長の場合、領国に帰らないと反乱起きてた可能性あったからな
そら豊臣のために領国潰す理由なんぞないわな 現代で言うなら代替わりしたのに全然地元に帰って来やがらねえ2世議員ってところ?
うんまあそりゃ反乱も起きるわ >>192
間違えてコミック乱twinsってのを買ってたわ >>176
長文で有名なのは毛利元就、毛利隆元、加藤清正、伊達政宗、吉川広家辺りかな
三成は家康と比べれば冗長だけど上記の中でも特に長文な毛利元就、加藤清正と比べればまだマシなレベル
加藤清正の家臣宛の書状での口癖は「沙汰之限」、「曲事」(どちらも言語道断の意)で長文の上にいつも怒ってる
一々細かく指示するから長文になるんだけど、優秀な家臣が育たず加藤家が続かなかった一因になったという研究者もいるくらいだ 佐吉ももうちょい柔軟性あったらなあ
でも柔軟な佐吉は佐吉じゃないよな
>>211
そのへんは別の作品になるけど新九郎が詳しいよな >>212
あるある、自分も風雲児たちでよく勘違いした >>214
でも逆に柔軟に立ち回ってたらそれはそれで狡猾な奸賊扱いで危険視されて
別の方向で誅殺、抹殺の動きになる気がしないでもない >>208
作品によって、三成は結構幅のあるキャラだけど
宮下作品の三成はボケ老人秀吉の介護や後始末で
過労死しそうなキャラだもんな…
武断派が思ってるほどいい思いも好き勝手もしてない >>217
でも佐和山攻め落としてみたら質素堅実そのものだった・・・なんて話だし
嫌な奴扱いや政権私物化してるって評価で、排除されたけど
蓋を開けてみたら借金して私財投入してまで政権運営してたっていう
大久保利通とかぶるんだよな。その時の情勢の不満の矛先になっちゃったクソ真面目って感じで 暗黒JKや小西やミッツに詰め腹切らせただけだもんな
輝元が 一言で言えば晩年の秀吉がやったことの責任を引き受けたのが三成だからな
秀吉がさっさと後継へ引き継いでいれば話は変わっただろうけど
秀吉死後は誰がどう頑張っても豊臣家のお家騒動になって分裂しただろう センゴクで明の冊封受け入れて貿易権を豊臣家独自で握るって最後の豊臣家存続のチャンス蹴ったのは他ならぬ秀吉だからな 三成であるがためにセンゴク佐吉も処刑される運命なの悲しい
他作品の三成より思い入れ深いし常に激務で苦労人キャラに描かれてるし
秀吉側だから天正記からとはいえ登場頻度は体感的に身共より高いな >>222
あれ嫌がったのもよくわかんないよな
足利義満(明での通名は源道義)だって明の使者に紅葉狩りに行ったときに自分の輿担がせても大した問題にならんくらい形式上のものなのに
明がきっつい対応してんの朝鮮(明が認めた政権を軍事クーデターで簒奪)くらい 慶長3年8月28日付四奉行(玄以・長束・石田・増田)宛毛利輝元起請文(毛利家文書)
・原文
「万一どんな動乱が起きようとも、秀頼様がお取立した衆と力を合わせて、表裏なく秀頼様へ馳走申し上げる」
・修正後の文(※三成により加筆修正されるとの注釈あり)
「この度秀吉様が決められた五大老の内、秀頼様へ逆心を企てるということでなくとも、
増田・石田・徳善院(玄以)・長束と心を異にする輩があれば、輝元はこの四人の衆と相談して秀頼様へご奉公する」
秀吉の遺言の一つに「どんな事でも家康と利家の意見を聞き、その意見次第で決めるように」(浅野家文書)とあるが、
上記起請文は家康と利家の二大巨頭による政権運営に危機感を持った輝元と奉行衆が家康の権勢を削るため画策したこと
秀吉が死んでからわずか10日で秀吉の遺命に背いてこんなことやってるんだから救いようがない >>225
そこら辺は教養不足が祟って、自分の中では感覚的に強い抵抗感あったんじゃないかと考えた事がある
あと形式上だから大丈夫って言えるだけの形(伝統格式)が豊臣家に無いのも痛いところ >>225
戦い続け勝ち続けることしか知らずに頂点までのし上がる人生でそれがないと生きていけないから
受け入れて平和になった日本に自分の満足できるものはないって絶望してたじゃん 秀吉耄碌の2回目出兵の不満を豊臣家にぶつけられないから石田にぶつけるしかなかったんや…
利家さん健康そうだけどあと何年くらいで逝くの? 又左どんはそもそも五大老五奉行制定前に体調悪くて隠居したのを秀吉が無理矢理政権復帰させてるんよ
すぐ死んじゃった扱いされるけど秀吉死後も家康と二人でかなり仕事してるし、姻戚問題解決しただけでもよくやったと思う だとしたら自邸に派閥の奴ら集まられたら迷惑だったろうな >>233
なんか想像したらワロタw
家康に唯一対抗できると勝手に崇められてさぞ迷惑だったろうな 前田さんって過大評価なんかね
まあ元信長の母衣衆の武辺者で馬鹿正直さと律儀さと実直さはあるから猪武者どもからは人気ありそうやけどw 愛妻家で当時の常識でもロリコンで元傾奇者と、キャラは濃い。なお戦争はそこそこ 信長政権の初期から活躍。秀吉政権でキャスティングボードを握りお家は幕末まで大大名として存続
信長、秀吉、家康政権をサバイバルしてるからな。若い頃は一武将として戦場で大活躍してるし
花の慶次のしょぼキャラとロリコンのイメージが強くなってしまったけど
戦国武将としてはトップクラスの実績だな >>232
秀吉が死ぬ3ヶ月前の慶長3年5月の上杉景勝宛の利家書状でも
「この度御暇をいただき草生津(草津)で湯治していた」と言ってるし、この頃既に体調は悪化してたんだよな
秀吉の遺言(浅野家文書)でも利家も歳をとり病気を患っているので利長も利家同様に秀頼の世話を頼むと言って、
利長の官位を中納言にしてるし秀吉も利家がそんなに長くないであろうことは分かってただろうな
まあこの頃は秀吉も人の心配してる場合じゃなかっただろうが 旧織田系の大身が大半早死するか秀吉との争いで死ぬかしてるので繰り上がりして大物になった感はある 三成が大老制が政権の中で定着するのを避けるべく奉行、特に自分にタスクを集中させたってのは違いないんよな >>239
でもセンゴクでもちゃんと算盤叩いて守銭奴感出してたのは好き
よく秀吉の友人枠というけどそんな仲良かったか? 元々親柴田寄りだった事が災いして
秀吉とは結構距離置いてたのもあるよな
某作品だと完全に主従扱いにされてたし >>243
まつとねねが若い頃から仲良かったからその流れで昔から交流があった てか、まつは一度も登場してないんだっけか
関ヶ原では前田家屈服の際人質になるから流石に登場するよな 秀吉の遺言でも利家殿は幼友達の頃から律儀者だと言ってるくらいだし仲は良かったんだろう 秀長が生きてれば、ってよく言われるけど晩年は秀吉と関係悪化してるんだよな。如水も遠ざけられてるし 忠恒良い顔してる。
やっぱ開き直って派閥まっしぐらか そういえば前田利家の死の翌日に三成襲撃事件があったという。その日は利家の遺体が大阪から金沢に出発した日。7将の落ち着きのなさがすごいな。彼らにとって利家は頼れる兄貴であり、目の上のたんこぶでもあったのかな じろーさぶろーさま
新タイトルになってからカッコええとこなくないか…?
焦る、怒る、腹芸の3択しか表情見かけてねえぞw >>246
センゴク無印のおねさん初登場時に、隣のおまつちゃんに酒もらった、
みたいなこと言ってるぐらいしか存在は確認できないな >>251
ただ、他の五大老の能天気さ見ると、ワシだけが日の本の
将来を考えとるんじゃーと思うのも無理はない気もするw 権力握ってる状況からの私婚事件ならまあわかるけど、この状況からだとかなりヤバそうとしか思えん 検討ばかりの内府様の無能小者演出が酷いね
天下取れたのはただ運がよかっただけなんじゃ・・・ どの作品でも家康は最後勝つの分かってるからか
相手方を引き立てるために馬鹿にされがち まあセンゴクの信様も内心ほとんど描かれないが武田やべーよ眠れねーよしてたり
秀吉はワシに任せろという裏でいつも焦りや不安に悩まされていたわけだからあまり差はないのかもしれない
家康はそもそも戦国エンジョイ勢でもなくイヤイヤやってる側だから特に目立つだけで 数日前に長宗我部邸にも行ってるはずだし、老いた元親も見たかったな もうこの頃の元親って耄碌ジジイになってんじゃないの
まさかあの前田さんがここまで頼りになるとは…
バカ真面目さが役に立ったねw >>262
むしろ全部計算ずくで天下取りまで進んだってのが従来多かった描写のような
具体例と言われると山岡荘八ぐらいしか出せないけど >>263
家康がああなったのは前半生が原因
雪斎禅師の教えがあったからこそまだ全うに生きてるだけ 利家が是非お頼み致しますると頼られてる横の家康のなんとも言えない酸っぱそうな顔w 確かに今までの作品だと秀吉死後の家康って無双してやりたい放題なイメージで誰も逆らえない感じだったから、この全てが裏目に出てて抜けてる家康は新鮮やわw
嫌味な狸ジジイ感がなくていいね そらこの時点じゃ地方自治しか知らない奴が中央政界に出てきて戸惑ってる状態やから この頃の家康は葵徳川三代とかのイメージが強いな
全て家康の計算通りで三成たちはその手の上で踊らされてるみたいな ここから家康が泣きながら良し・・・良し・・・勝つ・・・勝つぞ・・・
って言うシーンの所までずっと綱渡りが続くんだろうか てか加藤如きに威圧されてる五大老弱過ぎね
あんなの抑え込んで終わりやろ 小説徳川家康では意図的に秀忠主力を温存して正則らを使って関ヶ原圧勝した風に書かれてるから >>276
でもそれやると奉行派は粛清できても豊臣よりの武断派が
のさばってしまって、家康が下克上狙ってたのなら旨味が
あまりないんだよな
岐阜城おとしたのが福島や池田、関ヶ原で圧勝できたのも
小早川のおかげってなったら、家康殿は神輿のようなもので
いてもいなくてもどーでもいいってことに へうげものみたく「岐阜城陥落?やべぇ戦功を福島たちに独占されて徳川の出る幕なくなる!」とか言って慌てて出陣したとかの方が史実に近いんだろうな 江戸で濃尾の東方を遠隔采配してたなら神業だけど、実際は幸運もかなりあったろうな。
ただ山岡小説徳川家康の、主力温存の圧勝でないと再び乱世に逆戻り、は事実だと思う 小西派が多いのが以外
石田や寺沢なら分かるが
島津、立花、小早川まで小西派とは思わなんだ
確かにこいつら刺激したくないなw スタジオセンゴク 宮下英樹
@studio_sengoku
大乱5話、派閥抗争始まる。歴史モノは派閥を友情や仁義の関係にしがち。そうした方が面白くかつ説明も不要で合理的。が、現実的には「権益や地政の繋がり」の方が重要と思われる。諸大名は地方の国王である。九州情勢次第では清正と小西の連携すらあり得る、そういうシビアな関係と思って描いてます
という事だそうなので あそこに描かれてるのは(日本にいた三成を除いて)撤退に窮していた小西勢を助けに行った面々
自分たちですら無事に撤退出来るか不明瞭な状況で(おそらくは)ほとんどが撤退用の輸送船で助けに行くくらいには関係は悪くないと見ていい コニドン外交担当だしつまり一番の事情通ってことだし
結果としては無かったけど3回目の遠征があったら
死なせるのまずいって思う罠 コニドンと対馬宗義智さん(コニドンの娘婿)は明朝鮮との数少ない外交ルートだからのう
宗さんは一万石加増されとる(おそらく迷惑料と必要経費) 対外チャンネル出来る人材がそうそう替え効かんのは変わらんからね 鬼上官も惟政って朝鮮人の高僧兼ゲリラ兵の指揮官と独自の交渉ルート作ってたからコニドンの苦労わからん訳じゃないんだろうけどやはり頭越しに沈惟敬と交渉したのが納得いかんかったのか >>279
> 主力温存の圧勝でないと再び乱世に逆戻り、は事実だと思う
朝鮮半島撤退で領土もとれず、心身ともにズタボロで戦費も
自己負担つーのに、懲りないなぁ戦国大名のみなさんw それこそ秀吉がそうだったように戦って奪うしか生き方を知らない人間がウジャウジャいるからね
家康が天下取ってからもそいつらの処分に下手したら綱吉の時代までかかった >>271
逆に、三成はちょっと贔屓されすぎな気もしなくはない
今回の対島津外交は正直泣ける
義弘どんも察しのいい方で
でも利家死亡、七将襲撃でどんどん追い込まれていくんだろうな 派閥争い、権力争いだからなあ、頑張って評価されるからこそ反発や敵も増える もうコミック乱発売されてたのか、なかなか慣れないなぁ発売間隔
>>289
センゴク権兵衛だと謹慎させられてやつれてたもんね三成 何だか双方裏目裏目のやらかしを繰り返した挙句
ぐだぐだなまま関ヶ原に行き着きそうな気がして来た 今のところ三成憎しというよりか小西憎しという描き方なんだよね 旧作含め対明・朝鮮交渉の取次はコニドンしか
取り上げてないから仕方ないが宗も大概な事やってっぞ コニドンだけでなく誰もが出来っこない交渉を断らずに実情を隠蔽してきたんでしょ。無理っすとか秀吉に話してたら改易なんじゃない? コニドンや宗さんからすりゃ「じゃああんたら代わりにやってくださいよ」って居直るだけだろうしね
そもそもまともに国同士の外交やったの義満以来じゃないの センゴクじゃやらんが戦国時代には勝手に日本大使を名乗り朝鮮からボッてた倭寇の亜種みたいなのがいたから
宗やコニドンの行動も現代の価値観からだけではなくそういう連中がいたのを下敷きにしたらわかりやすい おまけに飛び石外交のせいでクソみたいに進まないという
その間小西の胃にスリップダメージ入り続けですわ
宗?あいつケロっとしてそう こんときな宗はただのコニドンの女婿で巻き込まれただけだけど、
自身が朝鮮でやらかした件が後の柳川一件に繋がるからね 異様に面子を重んじる面倒臭い連中の間に入って
どうにか話を纏めなきゃならないんだから
こうもなろうというものだよなぁ 病院内のローソンで乱売ってたわ
書籍とコミックの品揃えをみると歴史物がわりと多いね >>275
この点は作品リセットさせて正解かな
センゴクの清正と正則は (秀吉存命とは言え)
三成に文句言うなんてトンデモないってキャラで
五大老に文句いえるキャラじゃなかったからなぁ >>302
…入院患者にジジイが多いと言う事なんでは? >>303
福島だけの描写だけど割と途中から出世したのか増長してたぞ
権兵衛のことも石高低いから侮ってたし、もう敬語やめてタメ口になってた あんなかわいかった市松と虎之助がうざくなったもんよ
でも加藤の気持ちもわからんでもないわ
殿下もいないし誰かに責任押し付けたいわな センゴク読者でも新連載始まったこと気付いてない人結構居るっぽいし
第一巻が出てからスレに来る人も多いんだろうな みやもと太郎の風雲児たちを掲載していた雑誌だから
知ってる人は知ってる感じの雑誌
時代劇漫画雑誌としては大手ではある >>311
関ヶ原→大阪の陣迄描いてセンゴク完結やろ
その後は不定期で外伝有るかどうか 前田利家死去から西軍挙兵まで家康のピンチ少ないから、苦境シーンは今ぐらいかな ピンチこそないけど庄内の乱や宇喜多騒動みたいなヤッスが頭を抱える案件は結構あるよ センゴク本編では三成謀反挙兵されて顔死んでたけどな家康さんw 家康本人はギリギリまで増田と交渉して決戦は避けるつもりだったのに
市松たちが空気読まずに頑張った所為で尾張美濃での城砦戦があっさり終わり
ああいう結果に終わったみたいな展開なのかも 史料上では7月17日に内府ちかひの条々が発せられて以降、
7月21日付家臣宛細川忠興書状
「三成と輝元が申し合わせて家康に敵対したとのことで、上方より家康へ続々と注進がある」
※細川忠興は7月20日に宇都宮着、家康は7月21日に会津方面へ向け江戸を出発
7月23日付最上義光宛徳川家康書状
「石田と大谷があちこちに触状を回して雑説を申している」
この時点では石田・大谷による上方での騒動だと家康も思っていたことが分かる
それが7月29日付黒田長政宛徳川家康書状で
「大坂奉行衆が謀反したと報告があった」と述べているので、家康が上方の実態を掴んだのは7月下旬だった
7月27日付秋田実季宛榊原康政書状では
「上方で石田・大谷が謀反したことについて、大坂の淀殿や三奉行(前田・増田・長束)、前田利長より、
一刻も早く家康が上洛して石田・大谷を成敗してほしいと連絡があった」
と述べていてるので、まさか三奉行も謀反に絡んでいたとは家康も思わなかっただろうな 増田は徳川方に情報流してたって言われてるけど
その割に戦後の処置が改易と厳し目だし
実際はどういう動きをしてたんだろうね? >>321
それは板坂卜斎覚書に収められてる7月12日付永井直勝宛増田長盛書状写が根拠になってる
「この度樽井(垂井)において大谷は両目を患い同地に2日程留まり、石田が出陣するとの風聞がある」
と、増田は徳川家臣・永井直勝に伝えている
ただ白峰旬氏は当該書状は偽文書の可能性もあり、これを以て増田が家康方へ情報の漏洩又は内通していたとするのは早計だと言ってるな 光成准治先生も「この時代は偽文書多いから迂闊に信じるのは危険」的な事書いてたな
最近は筆跡鑑定が正確になってきたから偽文書の判定がしやすくなってきたけど 小説とかでは、三成は上杉と通じて壮大な東西挟撃を計画していた、みたいな話が好まれるけど
実際には……とかだし
歴史なんて実際はアクシデントの集積体だっただろうからなぁ、双方にとって >>323
あと、敗者である西軍とやりとりした文書は露見したら
取り潰しになるかもしれんから、処分して後世に残らない
ってこともあるしな 真田だっけ、津軽だっけ?
専門の番人おいて、三成との書状を江戸時代中保管し続けてたところって >>326
津軽じゃなかったかな?
三成の娘を匿ってその血が藩主一族に入っている
真田は普通に親父と弟が西軍に付いてるから隠すまでもないし >>322
息子が出奔して大阪の陣で豊臣方について長盛は切腹させられてるし
津軽も秀吉の木像を隠してたり心情的には豊臣方の人がかなりいたんだろうね >>326
真田だな
家康から拝領した吉光の長持に西軍諸将からの書状を入れてた
そのお陰で大谷や石田、宇喜多や毛利の書状の原本が残った
早い段階で上杉と三成の間で挟撃作戦が話し合われてたなんてことも真田が残した三成の書状からは読み取れない
7月30日の三成書状で三成は真田に上杉への使者の道案内&護衛を依頼したり、
8月5日の書状では真田も上杉と昵懇の間柄となって、真田からも上杉が関東方面へ出馬するよう口添えを頼んでる
関ヶ原の戦いの一ヶ月半前になってようやく上杉へ関東へ出馬するよう求めていることが分かる
これら真田が残した西軍の書状群のお陰で関ヶ原研究に多大な貢献を果たしたことになるな >>330
50年前の大河をいきなり出すな
どういう例えなんだよ センゴクエピローグで政治以外の面でトップを理解して相談できる人間が必要と判断して
ゴンベを秀忠の相談相手にした理由がよくわかる流れではある >>329
なるほど
親父達が西軍に付いてたのは公然の事実としても
主導的に動いてたのがバレるのは不味かったという事か
しかし、そんなもんをちゃんと取っておく辺りお兄ちゃんは真面目だな ただでさえ真田の父弟は死罪相当のところを、兄と本多忠勝のお願いで蟄居で許してもらうレベルだからな >>334
池波正太郎の真田太平記7巻の見せ場だよな
忠勝さんの助命願いと駄目なら敵に廻るわ >>333
どういう意図があって真田がこれら西軍の書状群を残したのか真意は不明だな
単にバレたくないだけなら黙って破棄すればいいだけだし
実際どこの家も徳川を憚って西軍首脳から受け取ったであろう書状は戦後破棄していてあまり残ってない
先に紹介した8月5日付三成書状の宛先は「真田昌幸・信幸・信繁」になっていて、
三成はこの時点で信幸が既に東軍についていたことを知らない
そして5日後の8月10日付三成書状の宛先では「真田昌幸・信繁」になっているので、
三成は8月5日~10日の間に信幸が東軍についたことを知ったことが分かる
※8月10日付三成書状は真田家ではなく浅野家文書に伝来するもので、三成の使者が
途中で浅野の手の者に捕まり当該書状は真田には届いていないと思われる
8月10日を最後に三成と真田の間での書状のやり取りは完全に途絶えてる
こういうことが分かるのも非常に興味深いよね
ほんとお兄ちゃんには感謝しかない 単行本出てから読もうと思ってるんですが今のペースだといつごろ1巻出ると思います? センゴクの真田兄も見たかったです
にいちゃん長生きして最後まで仕事してた苦労人なんだよなあ >>338
最新号見たら1話で32ページあって、既に4話連載
センゴクのときは1巻で200~220ページぐらいだからあと2ヶ月から3ヶ月ぐらい? >>328
勝つことが本・強い側につくとは言ってもにんげんだもの
不合理に思えても優先したいことはあるのだろう 戦国大名は犬とも畜生とも言われても勝つのが候
だからね仕方ないね >>142
なんだろう光武帝劉秀しか思い付かない
仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華 >>147
そらおまえ主君が間違ってる(と思った)なら身を呈して止めるのよ
戦前の皇道派理論
もし動かなかったらどうなったかは知らん 半端に実力あるから、目をつけられずにはいられない毛利の微妙な立場
かといって、天下とって維持する力はない
そりゃ、家中も混乱しますわ 戦局がはかばかしくないんで、吉川経由でこっそりごめんなさいしてたんだろ >>346
関ヶ原の裏側で、四国その他で領土拡張してた毛利がなんだって ? よく「手紙をとっておいたのは信之もまた反徳川の気骨を持った真田だった」とかいうライターもいるけど
別に西軍関係の手紙だけじゃなく実際に家康から拝領した短刀も入ってたり西軍以外の手紙も入ってるから
単に信之が物を大事にとっておく性格だっただけだと思う >>347
まあ単純にどさくさに紛れて好き勝手やりつつ都合が悪くなったら
有利な方に付けるようにテルが二股膏薬掛けてただけなんだと思う タラレバ遊びだけど毛利は隆景おじがもうちょい若くて長生きしてたら
どんな動きしてたかなぁ・・・あんまり変わんなそうかな?w >>348
実は適当に放り込んでおいただけだったら笑うなw >>349
都合の悪い事は忘れよ
戦国大名には記憶力の欠如が必要なんだよ センゴクでも秀吉の介護で忙しい佐吉がさいつ(信之)と鷹狩にでも行きたいと愚痴ってたな
真田なんて面倒な家の人間であの佐吉と友達付き合いできるとかどんな神経してんだろ
親父は表裏比興らしくゴンベをハメていたが 中野等先生の「石田三成伝」によると鷹を貰ってお礼の手紙をお兄ちゃんに送ったのが残ってるらしいぞ
本多忠勝とも仲良くて「今度一緒に鷹狩りにいこうね」って内容の手紙も残ってるとか >>352
例の密約のメンバー達が蓋を開けてみれば
真面目にやってたのが佐吉と長束だけだった
ったというオチはなかなか酷かったな 真田家文書には三成から信之に宛てられた書状が15通伝来してる
本来はもう少しあったけどいくつかは早い時期に真田家から流出してるみたいだな
織田秀信が草津へ湯治に行くが、信之から草津留守居衆に秀信の接待を指示するよう依頼したり、
三成が伏見城の御番勤めが明けたので信之に面会を求めたものや、三成が病気の時に信之が何度か訪れたが病気で会えず
やっと回復したので積もる話をしたいとか、仕事関連のものではなくほぼ私信なのが信之と三成の関係の深さをよく表してる >>355
そもそも日本東西分かれて戦うんだからどっちが勝ったとしても大丈夫なように根回ししとくのは戦国大名なら当たり前なんだよなあ
真心(笑) >>340
ありがとうございます!1年に2冊出るか出ないかっていうペースなんですね、、単行本勢としては待ち時間が長くなりそうですなー、、 先生ってインテリだからSNSでも下手にリプつけるの躊躇してしまう
興味深く見るけどいいねしか出来ん
SNS発信する作家は沢山いるけど変に親しみやすいとクソリプ溢れるからこのくらいでちょうどいいのか >>352
最近は輝元メインの関ヶ原、誰か小説でもいいから出して
くれんかなぁと思うようになった
ひと昔前は三成に担がれた世間知らずのぼっちゃんが
大失敗みたいなイメージだったけど、結構腹黒なところ
も今は知られてきてるから、輝元の野望と裏切りメイン
にしても面白そうなんだよなぁ 毛利家存続のため、家康と通じた広家らが頭抱える状態だからなぁ…
うちの輝元がおろかなのは、周知のことでしょう、が言い訳として使われるのではちょっとイメージ的にフィクションにもしづらかろう 最近これやってるの気付いた
なんでヤンマガで続けてくれなかったんだろう 吉川こそ真の忠臣だよな
普通に考えたら本戦場で三成側に付くメリットないやん >>363
でも徳川側に付いても好き勝手出来ない
だから表向きは三成側に付いて火事場泥棒をしつつ、
保険として吉川を徳川側の窓口にして
後で言い訳が利くように本戦では消極的な動きに終始する >>363
つーても、西軍総大将だし (毛利が大将にならなかったら
反徳川勢も関ヶ原起こせないだろう)、大津城攻めで別働隊
大暴れだし、四国・中国地方で領土拡大に走ってるし
土壇場で降参しますって言ってもなぁ…
上杉もそうだがなんだかんだで 100万石超えてる地域大国は
力づくで潰そうとするとこちらの犠牲も馬鹿にならんから
生き残りはしたが 太閤殿下は御自身の影響力を過小評価しておられる
殿下がおられてこそ回ったものを周囲の人間が真心だけで同じように出来る訳が無かろう >>365
あんだけ好き放題暴れまくった後じゃ輝の首を落とさんと筋が通らん感じはするんだよな
奉行衆の三成達に全て責任押し付けてんのはやっぱ後味が悪い >>369
TERUの代わりに暗黒JKの首を落として手打ちにしたんだろうな
東西両方に落とすための首を用意する辺り嫌な方向に抜け目ない
大坂の陣でも家康方に毛利秀元、大坂方に内藤元盛送り込んだ上で
本体は消極相撲してたらしいし 史料上では8月17日付吉川広家宛黒田長政書状で
「この度の騒動は輝元のあずかり知らぬところで、安国寺一人によるものだと内府も思われています」
とあり、吉川も安国寺一人のせいにして家康との交渉を進めていたことが分かる
当然家康も輝元が関与してたことは百も承知だったが、安国寺一人のせいだろう
が何だろうが毛利が楯突かなきゃいいよというスタンスだったってことだな センゴクからヤンマガで音沙汰無いと思ったら、別の雑誌で新連載始めてたんだね
しかも関ヶ原とか最高かよ 案外気づいてない人いるんだね、やっぱ
実質待望されてた関ヶ原戦記だもんな 長期連載完結で暫く休むのかと思ってた
センゴクでのキャラデザ続投は嬉しいな 乱はコンビニにもよく置いてある雑誌だけど
表紙は基本さいとうたかをの鬼平だから
時代劇漫画に興味がない層だとなかなか気付かないよね 正月のセブンイレブンで巨乳純情剣 紗希に釣られて手に取ったらセンゴクと同じ絵柄があって驚いたな
こっちに移ったんですね >>370
>>371
「関ヶ原前夜」で指摘されてるTERUが恵瓊に白紙の委任状(TERUの右筆を大阪に派遣して貰った)ってエピソードも恵瓊に責任おっかぶせるための捏造臭い。その後のTERUの行動(大坂の陣でも二股かけてた)みてても相当な野心家 野心家だけど最後の最後で勝負できない人って印象
鎌倉時代の三浦義村みたいな 野心家だけどやる事なす事セコいって印象
何をやるにも保険かけまくるし
その野心も天下を制するとかじゃなくて
保身+領土拡大とかそういうレベルだし 流れで総大将になったけど戦が長引いてる間に領土拡大したかっただけなんだよなあテルさんは
ほんと関ヶ原で一日で終わるっておかしいやろ すでに現場の西軍は寝返り等で崩壊状態らしかったからな
ただの追撃戦だった説すらいわれるぐらいだし >>383
岐阜城陥落で大勢が決したとも言われてるな 司馬遼太郎の関ヶ原も最初は三成優勢で鹿賀演じる三成イキってたからなあ
ところで松潤のほうはやはりアレか
間違えた骨格の家康になりそうか
宮下の家康は幼少から山岡荘八ベースな感じで風貌も滝田栄似だから安定感はあったんだけどな 小早川はぜひ最初から東軍についてた説で頼むやでーと思ったけどこの家康なら秀秋裏切らないでイライラして馬鹿者!とキレるシーンみたいわ >>386
実際、岐阜城陥落までは「家康の領地誰に配分しようか?」ってイキリまくった手紙が残ってるからのう >>389
秀秋は関ヶ原の本戦前に東軍の伏見城を落としちゃってるからなあ 伏見城は落とされることが前提の、囮城説にも疑問が湧いてきた >>393
鳥居の意向とは関係なく敵前逃亡してただけの長嘯子か ふじみ城は粘ったのにね
織田の末裔のせいやね負けたの >>395
まあ、もともと多勢に無勢だった上
敵方に元城主とか構造知ってる人がいたからね 伏見城が2千対4万で10日、岐阜城が6千対3万5千で1日で陥落
寡兵の大津城や田辺城ももっと粘ったし。岐阜城もっと粘れば戦局もまた変わったか
竹中半兵衛の稲葉山城の時もそうだけどあっという間に落とされてるんだよな。山城で落ちにくそうに見えて構造上守りが脆いのか >>397
手の内知られてると弱いタイプの山城なのかも そもそも道三とか信長のおかけでなんか名城っぽいイメージ先行なだけで
全然戦ガチ山城じゃないでしょ岐阜。それにしたって1日は・・・って言いたくはなるが 後詰がない篭城だから多少粘っても誤差
その間に裏で飛び交っていた調略戦のほうが重要よ >>400
刑部が越前から加賀南部にかけての諸大名を
軒並み西軍に引き入れたり頑張ってはいたんだけどね
あと戦の事前準備とか戦力の合流も考えると
城攻めでの時間稼ぎも割と重要だと思う それじゃあ大津城で粘られて間に合わなかった立花宗茂の立場が無いじゃないですか
周囲に日和見でどっちに転ぶか分からない勢力がウジャウジャいたから特に両軍の端境の岐阜城当たりは
岐阜城が善戦してたり大損害与えてたら迷ってる勢力がどちらに傾くかに影響あったと思うんだよね >>390
三成の書状で恩賞について触れてるのって小諸・深志・川中島・諏訪の仕置
を真田に任せるって言ってるもの(8月5日付三成書状)くらいじゃね 空手形ばかりだしたら、かえって求心力がなくなるからなぁ
なお、欲張りすぎたために百万石を自らフイにした伊達さん >>404
誤解されてるがあれってあくまでその範囲の切り取り次第を認められただけなんだよな >>407
忠勝と直政もかなり手紙出してたらしいな 石田はクロカンに言われてた根回しが出来なかったんやなあ
ほんと頭は良いけど融通きかない馬鹿だなあ >>407
関ヶ原前の家康書状は171通が確認されてるな
>>408
この時期本多忠勝と井伊直政の二人の連署状が多いな
禁制や有名な関ヶ原の前日に吉川に宛てた毛利の領地安堵に関する起請文など7通ある
直政単独で発給した書状は6通だな >>397
岐阜城の戦い自体が独立した籠城戦ではなくて、渡河の迎撃に失敗して
城に追い込まれた後の詰めの一手だったと聞いたことはある >>412
何人も窓から投げ出される事件に絡んだ人だっけ 西軍の戦力分散っぷりをみると、東軍が西に来るのをかなり先に見積もってた感じがする >>415
まあ普通に考えれば上杉の追撃を警戒してすぐには西上はしにくいだろうし
大坂の秀頼も押さえてるから上杉討伐軍の中でも
どちらに付くか揉める可能性は高そうだしな やっと2月号読んだ。
ヤッス大ピンチじゃん!
現場で株上げた三成に加藤福島らに顔のきく利家、浅野も日和出してるし、これ関ヶ原勝てねぇんじゃねぇの? てか、上杉軍がモタモタしてるから悪いんやろ
元々挟撃作戦じゃなかったんでないの?
伊達と最上にしてやられてるんじゃあな >>418
自分の領内に引き込んで迎え撃つならともかく
わざわざ徳川領内に攻め込んで大軍に挑むのは無謀だよな
上杉は最初から時間稼ぎの囮役だったような気がする 上杉もいきなり旧領から引き剥がされ120万石の土地渡されて内政整っていたかも怪しい状態ではあるし
関東に移されて数年で胃痛抱えながらも中央勤めこなせてる家康がおかしいんだ >>172
各問題に1つ、2つ選べのどちらかの言葉が必ずあるから毎回レ点や○をつけるなどする
2つだけ必ずつけてもいいが忘れる可能性がやはりあるので心配なら1つも2つも必ず毎回マークをつける >>418
挟撃どころか、実際には上杉と三成らは打ち合わせすらしてなかった
上杉からすれば、売られた喧嘩を買おうとしたら相手が後退して、???状態だったんじゃなかろうか センゴクでは三成挙兵は予想外みたいな展開だったけど実際には挙兵するのは確信してて、ゆっくり進軍してたんやっけ家康 >>418
どう見ても逆方向いってんだから挟撃作戦のはずがなかろう >>425
単に余裕かましてた(あと上杉の出方探るため)だけだよ
この時点では書状も発行してないし上杉征伐の事のことしか頭になかったろうよ まあいくらテルがボンクラでも勝てると確信していなければあんな大博打には出なかったろうから
関ヶ原前のヤッスにはそれなりにつけ込めそうな隙があったんじゃなかろうか 関ケ原直前のヤッスはTERU、利長、秀家、島津は屈服し、佐吉も息子を人質に出し自分の屋敷も宿舎に提供してる状態で上杉さえ潰せばもう敵が存在しない状態やったから >>413
あれ三法師殿が悪い意味で信長リスペクトしちゃったんじゃなかったか
兵力的に籠城するのがセオリーだったのに、祖父信長は籠城なんて
しなかった、敵に打って出るぞーと迎撃して失敗、城に戻るも
兵力差はさらに悪化してあっさり落城
そういや、信長に籠城戦の印象ってあんまりないな
周辺勢力に信長包囲網形成されても各個撃破していったからか >>427
やっぱり、岐阜落城がターニングポイントだったのでは
美濃に集まった東軍、福島あたりはいつになったら家康殿
は前線に来られるのか、とキレそうになってたし >>430
それ失敗したからあれこれ言われるだけでかつて信長が籠城の策をとらなかったこと自体が
岐阜城が籠城策に向いてないことの証明なんじゃないかという気がせんでもない 当時の岐阜城にとっての最強の防衛線が木曽川であった事は異論を差し挟む余地は無いと思う
次善で金華山一帯での篭城だろうけど水源不足のほかに要塞化も必要で準備に時間が必要
美濃方面に主戦力向けて無かった西軍側の戦略的失態な気がする 岐阜城、金華山への水の手確保は信忠時代に手入れて、武田の美濃侵攻への備えはやってたような 「城の構造に詳しい奴が敵方にも沢山いる」ってのが
籠城する上で色々とキツかったんだろうな 考えてみりゃ戦乱期の、特に織田の拡張過程の籠城戦って余り詳しくない土地に行って、
内部構造知らない城郭攻略するのが前提だったしね
だから権兵衛が間者働きしたり土地勘のある現地民に金払ったり ゴンベが挽回した小田原城の虎口なんて城の構造がよく分からんまま戦う典型だしな 岐阜城への増援はあったが、東軍の別働隊にあっさり撃破されてたし
まぁ、持久できる要素はないわな そもそも三成は福島が味方になると本気で信じていたらしいので岐阜を落とされたのは完全な想定外だったとか >>439
それよく言われるけど、大河や小説で三成と正則がそこそこ
親しい間柄って見たことないなw
渡海組と言っても後方や水軍で、慶長の役には参加して
なかったから、最前線で戦ってた清正よりは関係マシ
だったんだろうか ? 家康「すぐに断らないで三成の勧誘できる限り時間稼ぎしてくれ」
正則「了解っす」
で見事に術中にハマったんだよな三成 >>439
8月5日付の真田宛三成書状では福島が確実に味方になるとは三成も思ってないな
調略が失敗した場合のことも想定してる
「福島への調略はまだ途中です。成功すれば三河方面に兵を出すつもりです。
もし調略が失敗すれば、伊勢方面の軍勢と合流して清須を攻めるつもりです」 酒が入らなければ有能だし話せる人なんだがいつも酒が入ってるのが福島正則なんだ 豊臣恩顧で手柄もあるけど酒で問題もよく起こすから江戸初期の外様取り潰しの嵐の中では生き残れないわな
あの本多正純ですら吊り天井とか嫌疑かけられて取り潰しだしスキの多い正則では
正則の改修難癖とかあれは歴史番組や本とかでもよく取り上げられてるけど完全に無理ゲーなんだよな >>444
あぁ、酔っ払って際どいこと言って清正さんに怒られる感じだよな >>447
酒の勢いで家臣を切腹させたりして、ついに「オレが酔っ払ってる時にいった事には従うな」
って言うレベルだったっけか…
あと奥さんが怖い >>447
日本号や黒田節でググってくれ
こんな失敗やってるからゲームだとやたら脳筋扱いされるという >>448
>>449
そんなの大したことないやろ
酒の失敗ってのは泥酔して皇帝を殴るとか皇帝が泥酔して辻斬りを繰り返すので死刑囚を皇帝のそばに置いておいたとかのレベル 関ヶ原で終わって、大阪の陣はヤンマガに帰ってやってほしい 三成さんは自分の人望の無さ分かってなかったんかいな あまりの自分の人望の無さに愕然としたのか子飼い連中の政治的判断力や真心の無さに驚愕したかどっちだろうな 人望ない、という忠告を受け入れたから毛利さんに大将頼んだんじゃなかったか、佐吉
まぁその毛利の輝元さんも人望や掌握術があったか、といえば…? 三成、人望がないってよりは他人に好かれるか嫌われるか
両極端だっただけじゃないかな
本当に人望がカケラもなかったら関ヶ原なんて起こせんよ 大将の器では確実にないだろうけどあのポジションとしては充分人望というか信用あったような気がする
じゃなきゃあの関ケ原にすらならなかったろうし直系の血を津軽で残せてないだろうし 正則は秀次のこと嫌いだろ
秀吉から見て甥と従兄弟で武功や苦労は正則が遥かに上なのに
待遇は関白と今治11万石と歴然の差
まぁ大政所の血を引いてるかの差が全てなんだけど 五大老のうち毛利、宇喜多、上杉がつき真田、立花、大谷、島津らがつく
単純に反家康、東西陣営という構図もあるけど。落ち目の三成と圧倒的実力者の家康が勢力五分に持っていってる。兄弟や親子で東西に分かれる家も多かったし
三成総大将説は疑問が残るけど、それでも対家康でかなりの人数集めてるから人望が無いと言われる割にはよく集めたと思う
三成は嫌われるか好かれるかが結構極端でもある。家康派でありながら三成の書状を長らく保管した真田とか >>457
まあ、子孫残せたのは人望以上に担ぐ奴が皆無だからなのが大きそうだし… そう思うと猪武者達の人望あった前田さんって凄かったのな
人望だけはある男 >>454
三成にとっての真心ってのは豊臣家に対する滅私奉公だろう 秀吉死後の豊臣子飼の分裂についてはそもそも秀吉自身の分断統治の後遺症
秀吉は生前の自身の権力を守るのが精一杯で後に何か遺せる余裕は無かった印象 >>459
小説にあるような全てが三成の発案によるものってのは違うし、三成は輝元や三奉行に巻き込まれただけ
なんて言う人もいるが、7月15日付上杉景勝宛島津義弘書状で挙げられているメンバーが西軍首脳って認識でいいと思う
勿論三成も首脳メンバーの一人
「輝元・秀家を始、大坂御老衆・小西・大刑少・治部少被仰談、秀頼様御為ニ候条」
輝元・秀家をはじめとして、大坂三奉行(玄以・増田・長束)・小西・大谷・石田が相談をして、秀頼様の御為なので 秀吉末期の混乱もあり、幼君の秀頼が天下を治めるなんて無理
そう誰もがわかってただろうから、事実上、次の天下人を決める競争だったわけだけど
家康一強は明白でもあったからなぁ。西軍参加面子の思惑は、かなり甘かった感じが まあ長束が通せんぼした所為で無理矢理西軍に入れられた人もいたらしいし… >>464
失脚して謹慎中の身だったのもあるが、その書状の連名の順番だと
西軍首脳の末席みたいな感じだな >>465
幼君を立てても問題無いくらい組織が出来てなかったからな
あくまで秀吉の個人商店でしかなく秀吉がいなくなればただの形骸なカス 幼君ばっかってネタにされる後漢でさえ二代目の明帝は確か29歳で三代目の章帝は18歳で即位しとるから(幼君ばっかになるのは十歳で即位した和帝から)2代目で幼君立てるのはいくらなんでも無茶よ 結局秀次事件が全部悪いということになるな、誰が原因か分からんけど
そもそも武家の強みは血統にそれほど固執しなかったことで
だからこそ組織として公家社会を凌駕できたのに 鎌倉幕府だって得宗家が北条一族の嫡流としての正統性を確立するには泰時の執権としての長期政権が不可欠だった 北条家は弟の時房含む義時の子供世代が全員有能だったのがデカい 秀次の後に代わりの豊臣関白を繋で置くなら誰にすべきだったかな?
家康か秀秋呼び戻すか猶子の秀家か
他に誰かいたっけ? 逆にもしねねとの間に嫡男出来ていたら
スムーズに政権交代できて豊臣政権は続いていたのだろうか その場合織田家時代の立ち回りや位置からまず変わるだろうし想定するならそこからじゃないかな 仮定の話は難しいよねぇ。戦国時代では親子で対立する
のは珍しくないし、兄弟・親族間も同様
親子関係悪くなくても跡継ぎが無能で人望なしってことも
あるからなぁ >>472
センゴクでの描写も、秀吉、秀次の個人的な問題と描きすぎな気がしてて
豊臣政権内部での派閥争いの末だとしか言いようがないと思うわ
じゃなきゃ、他の大名の子女まで含めて関係者皆殺しにするわけがない そもそも武家である以上嫡男はもちろん有力な一門が多数居ないと話にならんだろ 大和大納言家は、秀吉自身が跡取り出すの打ち切って潰しちゃったしね
秀秋は豊臣一門の別家を立てないで養子いきだし まあ秀次生きてたとしても、秀次派と秀頼派で争うだけなんですけどね
家康は秀頼派について秀次潰して秀頼から政権奪取し結局江戸幕府の完成 >>475
結城秀康にしても家康を臣従させる為だけの猶子だったしなあ >>482
いや、無理だろ秀次派のほうが単純に数が多いだろうし
なんなら家康さんもそっちに廻りそうだ てか奉行達見てると戦なんかできそうに見えんわなあ
何で同じ奉行なのに大谷だけ戦上手みたいな風潮なの?
部下優秀だっただけか >>485
もともと馬廻衆出身で最期は関ヶ原で奮戦して死んだからかな? >>479
でも佐吉が豊臣政権(秀次)よりも秀吉個人を選ぶのは彼の最大の見せ場だったと思う訳で趣き深いですよ。理屈の人かと思ったら人情で動いた的な。 秀吉のお墨付きがあって関ヶ原で盲目ながら奮戦して死んだっていうのがでかいと思う
まあ子飼いの若手組に武功がある奴がいないから七本槍みたいに売り出そうとしたのかもしれないが ざっくりした流れしか知らないんだけど今の状態からどうなれば諸大名が家康に靡くことになるんだ
このあと佐吉も何かやらかしたりする? >>487
秀吉個人を選んだ以上は秀吉死後はもう殉死するしかないんだよな
未来の芽を摘む共犯になってしまったわけだし >>484
家康として御家が安泰ならば誰の下にも付きそう 家康が死ぬまで待てばワンチャン
でも、稀に見る健康老人なんだよなぁ >>485
当初は権兵衛らと並んで馬廻衆、紀州征伐では増田と兵を率いる
でもその後は基本奉行仕事しかしてないように見えるな。兵站とか船の手配とか
とりあえず100万の軍勢発言はこのスレでも貼ったけどソースらしいソースがないらしい>>140 関ヶ原でも調略と偽報で前田を封じ込めたり
基本知謀寄りの人だよね刑部 そういやせっかく仕切り直しで関ヶ原始めたのに
島左近はまだ出番ないのか 家康には政略結婚の弾はまだまだあるから秀次に嫁に行かせて一門の位置強化する手段が取れるからな 家康にとって天下取りは目的じゃなくて手段の一つだからな
自分の家を守るのがあくまで目的 大乱になってから家康がすっごく小物で安っぽい爺さんに見えるんだが
権兵衛の時はもんげえ威厳あったのに
影武者と島左近くらいキャラ変わりすぎ
森繁久彌とか津川雅彦の雰囲気で来るとばかり踏んでたんだが
宮下的に最初落として上げてく感じなのか?
還暦近くになって小物扱いもしんどいところじゃろうて、のう家康さん >>500
宮下先生のTwitterより
>センゴクの家康は「よそいきの姿」という設定で、近親から見た姿が今の家康です。社外の人が見たら立派な社長も秘書が見たらこんな感じと。
とのこと よそいきの姿と近親から見た姿が矛盾してる感じが
むつかしい 他のメインと違ってセンゴク通して見てきても家康の思想とか目的見えないし
結果ありきの舞台装置感が強い
野望ありきでイベントこなす為に小物にして隙き作った感じだな >>503
秀吉と側近たちがみた家康像と本多正信視点での家康像だな 佐渡から見たらやらかしまくってるポンコツだけど
佐吉や市松から見たら謎の大物感を出してたりするのか センゴク最後の方は割とこれに近かったよね
勝てる、勝てるぞ…って泣いてたし センゴクシリーズでも、一統記以降の身共さんはそれなりに俗物化してるけどね
高転びの話を聞く時とか センゴクだと
博打ジャンキーお兄さん→
三方ヶ原で糞漏らして反省、激情の血統と必死に決別しようとする→
巨大化した織田に忖度しまくり、傀儡宰相にされかけて光秀に感謝→
信玄の境地に到達するも小牧長久手で秀吉にしてやられて大荒れ→
腸に糞一粒の野心だけ残し、豊臣政権で必死に生き残る政治家→
関ヶ原でようやく恥辱の日々が終わると号泣
こんな感じで変遷してる。なんだかんだ根本は変わってない気もする 野心はあったんだろうけど状況に流されたってのが大きい人だしな
ゴンベの言う通り 今川、織田、豊臣と錚々たる家に臣従しつつも徐々に領土拡大していってるの考えると外と内の顔の使い分けだったり心配性な感じと描くのもわかる気がするな センゴクでも秀吉は表面上は全て上手くいって余裕綽々な感じだったけど裏では悩みまくりで焦ってたやん
センゴク家康も裏では今みたいな感じやろ >>510
むしろ野心の一つも無いとやってられないって感じ
どれだけ本気だったかも分からないし 小者家康といえばやる夫関ヶ原が面白かったな
さして野心もなく自分の役割を果たそうと頑張るんだけどことごとく裏目に出る
という意味では今作に似てる >>512
秀次事件だって秀吉の小心が大きかったからな
未来どころか現在の自分の立場にも自身が持てなかったって なんのために武家関白って制度作ったのか自分でも忘れてるのは見ててキツかったわなぁ
秀次処刑したあとは今のロシアみたいな暴力しか裏付けのないただの軍閥と化したし まあ所詮成り上がりの猿やし
由緒正しい武家様には勝てんよ 武家の由緒もよくわからんとこ多いけどな
徳川とかも。由緒確実な名家は戦国時代以前に滅んでいたり >>514
あっちの家康は配役が博打狂いで土壇場の強運、勝負強さのカイジだったなw >>516
制度や組織を作ったら自分もその一部でしかなくなってしまうんだよな
そうなったら自分という個人は蔑ろにされてしまうってのが嫌になった その点徳川幕府は将軍がボンクラでも老中大老が支える、危ない身内は排除して牙を抜きながら後継問題に備えて御三家を残す
家康だけでなく秀忠とその側近が整えて家光の代で完成。鎌倉、室町と武家政権は短期だったが織田豊臣や過去の失敗を踏まえての安定政権だったんだろう むしろ武家こそ東夷からちゃんと制度整備していった鎌倉幕府が偉かったんだし
スタートアップの個人の才覚が由緒や伝統なんかより大事
ただ家康は組織づくりを吾妻鏡に学んだからその点は教養の差が出たのかもしれんねえ 鎌倉幕府は頼朝が京都にコネがあって京都で上がり目がない文官呼べたのがデカい >>512
神がかってるように見えるのは他人から見た姿であって
誰でもふつうに悩み苦しみ…ってことだわな >>521
そもそもそも三河以来の組織性があったからな
その意味では組織との親和性が家康にはあった >>525
幕府の職制も三河以来のものを拡大発展させたものだということだしな
庄屋仕立てと言うんだったか >>524
家康と信雄が反旗翻してきたとき汗ダラダラで死にそうになってたけど
誰にもその姿見られないようにしながら全部自分ひとりでシミュレーションしてたね >>528
ぜんぜんわからない
儂等は雰囲気で幽玄の知をやってる まずは私婚問題をどう切り抜けるかだよな
通史としては三成のやり過ぎが家康を利したとされるがここではどうなるか 今気づいたけどヤンマガ時代のツイッター消えてるの勿体ないな
アーカイブ取っときゃよかった。画像付きで解説とか歴史の四方山話してくれてたのに >>530
私婚問題なんてスルーしちゃえばよかったんだよな
くつがえせる方策がないのに政治問題化しちゃったから
逆に餌に釣られて身動きが取れなくなった 家康「秀吉公が朝令暮改を繰り返してたから、それ禁止してたの忘れとった。ごめん!」
あたりで切り抜けたんじゃなかったっけ あの2人恋仲なんだわ
秀吉公も恋愛結婚は禁止しとらん 私婚問題の時に家康が9人(四大老・五奉行)に差し出した誓紙
慶長4年2月12日付徳川家康起請文前書案
一、今回の婚姻問題について、あなた方のご意見を承りました。
今後は遺恨を残さず、以前と変わらずあなた方と万事において懇意に交流します。
一、太閤様の定められた置目は、十人(五大老・五奉行)連判の誓紙の通り相違ありません。
もし失念して置目に違うことがあれば、この十人の中で間違いに気付いた者がすぐにそれを指摘し、
他の者の意見を聞き相談すること。そこで同意を得られなければ、残りの者の意見も聞くようにすること。
一、今回双方(家康と四大老・五奉行)に懇意にしていた者がいても、その者に対して恨みを抱くことがあってはならない。
但し太閤様の法度・置目に背くことがあれば、この十人が詳細を調べ相応の罰を与えるものとする。 >>524
ゴンベが周り(小西)からみたら秀吉に気に入られる天才に見えていたけど、
ゴンベ本人からしたら、「知るか!」つうか「わかるかボケ、むしろ最近関わるの恐いわ!」だったのと同じよの。 へうげものでは感情の読めない俊英だったのに…
俊英らしいエピソードは特に無かったけど >>537
そりゃ、改易から復帰だもん
そう見られても仕方がないのかもしれん、
司馬遼太郎の描写なんてアレだしw
宮下先生の描写も極端だとは思う 大谷は家康とも親しかったんだよな?
創作だろうけど会津征伐で失脚中の石田のとこ寄って息子とか従軍させて家康殿に復帰願い出そうやって声かけて寄ったのに西軍起こしてたたかうで!とか急に言い始めたから何故相談しないのかとキレた話 宇喜多騒動で面子を潰されてから反家康になったという説も 秀頼は成長してもクソガキとして描くのか
俺のイメージはイキってるけどいざとなるとビビる中学生 センゴク権兵衛最終回で1コマだけ成長した姿出てたけど
目がでかかったね。淀は太った熟女になってた 逆に正義感あふれる世間知らずのガキ大将って感じになってくれや
熟女茶々様すこ
大阪の陣までやってほしいが無理やろなあ そこまでやると風雲児たちみたいに宮下先生にお迎えきて未完になりそうだ ヒストリエは岩明先生がライフワークのつもりで臨んでるからもう完結は無理だろう… センゴク真田幸村はサイコパス顔で強者感あったから見たかったわw 強者だけどこいつ平和な時代に適応できないだろという信之の寿命削り要員としての説得力もあって良かったな >>549
ヒストリエは無理だと思うけど、新九郎はそこそこのペースで進んでるよ
10歳くらいからはじめて、もう30になりそうな所
伊豆討ち入りは38歳だったか?遅くとも2,3年中には到達するんじゃないかね? Twitter更新されてたね
秀頼はボンクラっぽいな >>554
利家そろそろ死ぬのかぁ
そしてスクロールしていったら中井村の均介さんツイッター始めてて笑った >>554
ボンクラだろうとなんだろうと秀吉の息子というだけで権力の絶対的不可侵が約束されてるはずだというのが太閤贔屓 >>558
秀頼の傅役として大坂城入ってるからそうだろうね 秀頼は「武士として必要なことは何ひとつ学んでこなかった」お坊ちゃまだからなぁ
教育係は何してたんだろう… 再評価しようにも何の業績もないから評価しようもないのがね
大阪の陣やらかしたのが本人の意志ならマジもんの馬鹿だし一昔前の俗説みたいに茶々の意志なら成人しても母親の言いなりという別方向に馬鹿という救いのなさ 秀頼が18,9の頃に家康から鷹二羽を送られたことに対する礼状を自筆で書いてるがかなり達筆だな
悪く言えばかちっとしていてあんまり武将っぽくない筆跡
まあ家康宛の手紙だし殊更丁寧に書いたからかもしれんが それでも秀吉の息子というだけで何かと擁護弁護されるんだよな
秀吉の涙の遺言に従わなかった家康の方がとにかく悪いって 大蔵と大野のせいや
まあ秀忠ですら似たようなお坊ちゃんやし秀頼の生まれの呪いやね >>566
体制ゆるがす存在を創業主存命なうちに始末できたかどうかじゃないの
家康が史実より早死にし、家康亡き後に、秀忠が大坂の陣起こせたかと
言うと怪しいんじゃないか 家康は秀吉個人の権力としては不可欠だったから
そもそも家康は第一人者であっても天下人になるとまでは思われていなかったから ヤッスにとってはクソウザい三河者との関係を強制的にリセットして主従関係を再構築する機会をくれた秀吉には内心感謝してんじゃね。しかも三河者のヘイトも秀吉が引き受けてくれる。これは恩義に感じますわ 領地が広がる都度本拠地を三河から離していき隠居先は駿河なのが家康の三河に対する感情を現してる >>567
「体制を揺るがす存在」自体の認識が違ってて
秀忠の御代にもそんな存在はゴロゴロいたわけよ
全くスキをみせずに動乱が起こらなかったから、全部始末出来たなんて認識されてるのかもしれんけど
身内の忠輝まで粛清し、忠隣みたいな側近も粛清し、改易だのを散々繰り返した結果がそれ
大阪が唯一の例外だけど、家康がいたから始末できたっていうか
家康が先に死んでたら、あんな大きな戦にしないで絡め手で解決してたんじゃないかとすら思うが
結果論だから言っても仕方がない話だけど 5歳から駿府暮らしなんだから、三河なんて勤務地ぐらいのイメージなんじゃない 一向一揆に妻と息子殺しと考えたらろくな思い出ねえな 親父の広忠も三河でよくわからん早死してるし、三河一向一揆、岡崎城では家臣が武田と通じて乱起こそうとしたり、築山殿と信康が今川派の家臣と浜松城の武断派と対立したり
ろくなことが無いな >>581
忠勝は槍働きだけで政務には関われんかったからな
戦国武将時代は頼れる家臣で済んだのだろうけど、
信長横死以後の激動の時代には付いていけなかった印象 >>583
何でや!
関ヶ原では調略頑張ってたやろ! >>583
忠勝は秀吉もべた褒めしていたから存在するだけで価値があったろう
関ヶ原以降は田舎の良い大名止まりだけど >>586
東海道の要衝である桑名を任されてるから
田舎大名でも無いと思う 小牧長久手で500騎で秀吉本隊を足止めしたという話あったな
後は伊賀越の活躍 >>583
関ヶ原の時は槍働きだけじゃなく犬山城の加藤貞泰を福島や井伊と共に調略したり、
関ヶ原合戦前日に吉川と交わした毛利との和睦の起請文も井伊と本多の連署によるもの
戦後は大坂城の引き渡しや毛利への戦後処理の指示なんかもしてるけどね
あと筒井定次が改易された時は伊賀上野城の収公を忠勝がやってる 関ヶ原の時はもう重鎮というか最後の槍働きの場だし戦馬鹿ってだけではなくなってるわな >>589
訂正
伊賀上野城の収公は井伊直継や木俣守勝によるもので忠勝は関係ない
無事城の収公が済んだ後に木俣守勝に宛てた労いを述べた忠勝の書状があるってだけだ
適当なこと言ってしまい申し訳ない >>590
それゆえに真田父と弟のアクションは噴飯ものだろうな。 >>592
なんの実績もない弟はともかく親父のほうは前科がありありすぎて
こんな戦乱になったらこいつ絶対やらかすだろってもう半ば覚悟してたんじゃねえかな・・・ 池波正太郎さんの関ヶ原編後だと忠勝さんは真田のためにメチャクチャ働いてるけどな 忠勝「真田親子はわが娘婿の家族、処刑するなら殿とも戦う覚悟やで」
家康「おま…」 本多重次 「人質に来た秀吉の母と妹の家にいつでも火をつけられるように薪を山のように積んでおきました」
家康「ちょ…」 そのあたり、井伊さんは違った
「人質と親しくして顔をしっかり覚えておいて、いざとなったら確実にやろう。
もしそんな事態に陥らなければ、親切にしてやったと思ってくれるし」 >>592
真田の親父は石田と姻戚(妻が姉妹)だから別におかしくないわな >>569
昨日の大河で忠次と数正が自分の命を盾に独断で今川からの離反を事実化してたな
後の信康事件も疑われた時点でアウトで、徳川を守るために忠次がやらかすのかも 三話の時点でそりゃ三河から離れたくなるわという説得力たっぷりな上にまだ三河一向一揆と妻子殺しが控えてるという (作中の)家康自身は義元によくしてもらって恩があるけど、岡崎衆からしたら城を奪われ収穫を中抜きされた挙げ句、戦働きは最前線でしかも援軍無しとやってられないよなぁ 今川が岡崎衆を被官化しようとしなかった謎
…あんな連中、手なづけられるか、と投げたのかな? 絞り上げてから織田との戦争で使い潰すつもりだったんだろうな 無能麻呂なイメージな今川をあんなイケメン有能に描いたセンゴク桶狭間は神やね >>605
児童用の歴史マンガの内容なんかに影響及ぼしてないかな >>605
谷原義元の風林火山が同じ年だからその流れのような気も… ほぼ同時期の大河ドラマ風林火山で出てきた義元も似た感じなので関連性知りたいところ 無能ならあのド畜生の信玄が同盟相手として対等に付き合うはずもないしそもそも後継者レース勝ち抜けるわけもないんだ >>605
あの時代に総勢3万の軍勢動員したのは神懸かった有能だぞ
川中島ですら両軍合わせて1万ちょいだ 今川義元再評価じたいは戦国考察界隈ではいつから始まってたのけ? >>607-608
適当に検索したけど野望でも天道PKからグラがガラッとイケメンに変わったらしく
やはり時期的に桶狭間戦記と風林火山の影響ではないかと言われてた 漫画作品で壮絶にデブってか醜悪なデザインにされてたのは
だいぶ古いけど池上遼一の「信長」かな 考察というだけなら麻呂顔の頃からも逐次反論はなされていた
ただやっぱりビジュアルが伴うと説得力は段違いなんだよね
いい方にも悪い方にも デブの戦国武将ってそれ程無能は居ない気がする
当時の栄養的にそこまで太れるだけでも才能だし >>619
義元同様に戦死した大名の代名詞、龍造寺隆信もまれにみる巨漢
フロイスの書状でも六人担ぎの輿に乗らないとマトモに移動できないほど 最近の大河ドラマとか戦国創作界隈では氏真も再評価というか扱い良くなってきてる気がする
昔だったら家康をいじめる親の七光りで無能なドラ息子ってテンプレだった 義元さん最期もふたり相手に大立ち回りやってるし
普通に武将よな NHKの歴史ヒストリエの今川義元の回は義元が太原雪斎の事を師匠と呼んでたりで桶狭間戦記そのまんまだな
と思ってたら最後の参考文献の所にセンゴク桶狭間戦記って出てた
想像以上にこの漫画の影響力はあったぽい センゴクは負けた側が主人公式の話づくりだった
NHKそういうの好きなんかな 昔小学校の図書室にあった漫画日本の歴史みたいなやつで今川義元がデブ麻呂だったから自分も桶狭間戦記読むまでダメ武将のイメージだったわ。
桶狭間戦記読んで確かにあの時代大きい国と軍隊維持してるだけでも有能だよなーと思い直した。
でも無印の斉藤龍興有能説は今でもどうかと思ってるw あの戦国の世でヤッスに寄生しながら余生を過ごした氏真
ヤッスもなんだかんだお詫びの気持ちとかあったのかしら >>630
ないだろう、仕える主を変えるのは当時としては至極当たり前でよくあったこと
出ていって、出戻りして、また出ていってとかも普通にある
それが変わるのは江戸時代になってから
石川数正なんかも、当時はごちゃごちゃ言われなかったんじゃないかねえ
(二君に仕えず、みたいなのは儒教の影響って話もあるけど、三河武士の特質なんて話もあるからわからんが) 氏真が遊びに来すぎてうぜぇと物理的に距離を置いたりはしたが
遊びに来てもらうこと自体は嫌ではなかったらしいから個人としては仲が良かったんじゃないか
駿府時代の友人で生き残ってるの氏真くらいだし てか足利将軍家の連枝を無下には出来にくい側面もあったからね
高家品川家として長らく家名が続いたのも氏真のおかげ >>598
昌幸の妻が宇田氏だという説ってもうほとんど否定されてない? >>635
なので、三河武士って連中は独特だったんじゃなかろうかと
ある地方の独特の風習や器質って、そいつらが天下取っちゃうと日本中に広まるよね
坂東武者なんていうキチガイが、鎌倉幕府作ったらそれが日本中の武家に伝染しちゃったりとか
三河武士の陰湿な風習(生真面目で頑固一徹ともいえるが)も、同じように日本中に広まっていったんじゃないかね >>636
譜代大名も旗本も三河武士の割合てそんなでもないんじゃないの?
全体では相当な家数になるでしょう? 豊臣家は武断派が生き残って徳川家は武断派は中央政治から遠ざかってるの皮肉よな
まあ平和な時代に武力なんかいらんからね >>634
武田や真田研究で有名な柴辻氏や丸島氏は否定してるね
8月6日付真田昌幸宛石田三成書状で三成は人質として預かった山手殿が大坂に入ったことや無事に過ごしいていること
更に宇多頼忠・頼重父子が佐和山城の留守居として佐和山に到着したことや、
伏見城の戦いで宇多父子が無事だったことをわざわざ昌幸に報告してる
そういうのもあって宇多氏出身説が出てきたのかもしれんね
昌幸の娘が宇多頼次に嫁いでいるので真田も宇多氏とは関係が深かったのは間違いないが 二君に仕えずが浸透した結果めんどくささは消えたが
幕府が崩壊したときに新政府になんか仕えられるか!と意地を張るやつが続出して
また別の問題が発生したがそこまでは神君の責任じゃねーしな >>639
そういう最近の新説的なとこで言うと三河三奉行なるものは最初からいなかったとか
本多重次という作左的な人物は実在してると思うが
山岡荘八作品にも登場してくるし、宮下は省いてたな >>641
実娘か養女かは不明だけどそうだね
その縁で関ヶ原の戦いで西軍が諸将の人質をとった際も、昌幸の正室と信繁の正室(大谷の娘)は
大谷が預かって世話していると昌幸に報告してるな(7月30日付真田昌幸・信繁宛大谷吉継書状) てか三成東軍の大名の家族人質にしたんだよな
屑やん
細川に恨まれるわそりゃ だって本拠地に家臣の家族を住まわせるのって元々人質の意味合いがあるもの
なのでその人質の身柄を押えてますってのは、脅迫だけでなく自分が政権の正統にいるという傍証にも使える
何故か酷く抵抗された上に自死までされて頓挫したようだけど センゴク読んでて今更それ言うかね
武田家なんか滅亡するのに人質粛清してたぞ >>645
ガラシャネキ、大義だとか西軍への政治的意思というより
実父と旦那の影響でああいう劇場型に死ぬ方にハジケてしまった気がするのよね
多分西軍側も東軍側も、悼みつつも心のどこかで「いやちょっ、なんあれ、引くわ・・・」だったんじゃないかなぁ 松平忠輝、とくになんの理由もなくただ伊達政宗対策で改易なんだから気の毒すぎるな ガラシャの一件があって黒田如水・長政父子や加藤清正の正室なんかは
大坂から無事脱出できてるからこの三人は感謝してそうだな
他の諸将がどう思ってたかは知る由もないが、三成を捕縛した時家康は真っ先に忠興に書状で知らせており
「定而可為御満足候(さぞやあなたもご満足でしょう)」と慰めている そういや忠興が家康のへそくり借りた、とかあれ史実なんかな 秀次や利家も結構貸してたみたいだし
へそくりかはともかく非渡海組の大身大名だとだいたい貸してたんじゃないの よく西軍が正義みたいなイメージ描写あるけど、反乱軍の謀反者だよな
謀反企ててる上杉軍討とうとしている正規軍の東軍にはむかうとかさー 朝鮮出兵なんて金かかる軍役を続けるんだから苦労しただろうな
加藤清正とかは、ルソンとかの交易で資金調達しようとしたが
秀吉が、以前にルソンとかに喧嘩売る書状出してたから、相手が応じなかったりとかあったし またTwitter更新か
家康と話してるの誰や?
伊達かな >>653
へそくりではないが秀次事件の時、忠興が秀次から借金してた金子を家康に
用立ててもらったことは細川家記や松井家譜に書かれてるな
一次史料だと兼見卿記に家康から借りたとは書かれてないが、
「忠興が先年秀次から借用した金子百枚を揃えて秀吉に返したところ、
秀吉の機嫌がよくその金子を忠興にくだされた。何かしらの処罰があるものと
恐怖していたが本当にめでたいことだ。幽斎もこの度の処置に満足し安堵している」と書かれてる 関ヶ原の時点の年じゃ分別も定かじゃないし無能云々以前じゃないの あそこで
「分かったぞ、爺」じゃなく
「甘やかしてくれる家康が好き」と答えてる時点で
無能路線になりそう 島左近きた
イメージ通りのイケオジだ
誰かモデルの俳優いるのかな 家臣に頭はたかれて「それほどの一大事なのか!?」となるのすげーな
ってそういや天正記でも頭叩かせてたな ただのおぼっちゃまくんだなお拾様
家康は自分の息子をスパルタ教育してたんだっけか 今回面白いシーン多かったわ
直政と家康のやり取りとか伊達と徳川の間でアタフタする宗薫とか 茶々が秀吉死後に躾け直すとか言ってたのはどうなったんだ 貿易対立論、センゴク権兵衛終盤からちゃんと話繋がってんのね
あっちでも秀吉晩年に家康が既にイスパニア貿易画策してたとちょっと触れてたし
伊達との誼は地理的な互恵関係もあったという解釈か
>>662
村井さん前出たときから白髪髭になってきっちり老けてたね、たぶんあの顔は肖像画かなんかあるんだろうけど 私婚問題で一触即発になりかけてて面白くなってきたわ
しかし前田さんここまで色々察した上で寿命迎えるってなかなか嫌な最期だな しかしけっこう経過が早いのでそんなに長い連載にはならなさそうね しかし私婚問題で奉行衆どころか大老衆にまでそっぽ向かれてたんだな
この後どうやって挽回したんだ家康 戦国大名的に
「朝鮮で加増がないなら徳川を皆で潰せば250万石山分けじゃね」
みたいな考えなんだろうか >>674
実際、あまり親家康派な大老っていなかったのでは
関ヶ原前後で上杉、毛利、宇喜多とは対立、
利家は反家康の神輿にされて死去、息子の利長は
恫喝され屈服、関ヶ原ではなんとなくサボタージュ
みたいな感じだもん
個人的な関係はともあれ、徳川が巨大になりすぎるのは
大老みんな嫌だったんじゃない ? >>671
あくまで結果を知ってる読者の視点だから利家が全て察したように見えるだけで
実際は家康本人が言ってるようにマジで可哀想だからつい甘やかしてるかもしれないのが本音かもしれないのがなんとも言えん 佞臣サンダーライガーというネタが浮かんだ
それはともかく三国志の黄皓だって宋の秦檜だって
仕事してただけなのに責任全部おっ被せられたんだよな
すぐ講談に乗せられる 今回の利家はあれだな
秀長が「あれ?家康なんかヤバくね」って思いながら死んだ時と同じだな
死を前にして何かに気がついた >>678
それぞれが独立した戦国大名だからね
飛び抜けた勢力ができて、それに頭を押さえつけられる状況は避けられるなら避けたいだろう >>678
秀吉さんが甘かったんだろうな
神社がとか寺の鐘がどうしたって難癖つけて東北にでも逼塞させるべきだったな だが、徳川が天下をとらなければ、戦国時代への逆戻りの懸念すらあった、という…
豊臣政権じゃ、とても日本を安定させられそうもない >>685
戦国時代が続いてたらギリギリ産業革命あったかも >>678
私婚問題のすぐ後、関係改善のため家康と輝元の間で互いに起請文を交わしてるが、
その起請文の中で家康は輝元のことを今後弟と思い交流する、輝元は家康のことを父とも兄とも思うなんて言ってるが何の役にも立たなかったな
宇喜多はお家騒動の時に家康が調停したが、結局岡や戸川等重臣が出奔して家康の家臣になってるし色々含むところはあっただろう この時点で既に家康支持を表明している高虎の先見の明が凄い 一応伊達も旗幟鮮明のはずなのに
何故かいまいち信用できない 直政貫禄出たなー
小牧長久手の頃はめっちゃ青かった >>688
高虎と上に出てくる秀長って紀州の材木をめぐる一件で
秀長が秀吉に叱責されるとき上手に詮議を?い潜ってんだよね
家康と接近するのもちょうどこのころだったような 藤堂高虎って先見の明が忠義が情がとかじゃなくて(別にそれらが無いという事ではないけど)
本当に合理的に当たり前の判断をフラットにフェアにする人だったんだろうなって感じ
逆にそれ故の誠実さとか信頼って生まれるよね 伊達さんカッコよすぎる
後この時点で家康側につく高虎の有能さよ >>685
あくまで秀吉あっての政権だし
その秀吉ですら末期にはあのザマ 前田さん気苦労で更に寿命が縮むなw
この騒動の時前田派と家康派に別れるんやろうけど、
家康邸に集まったの織田有楽斎、京極高次・伊達政宗・池田輝政・福島正則・細川幽斎・黒田如水・黒田長政・藤堂高虎・最上義光という以外な面子もおるな
高虎や黒田親子は先見の明あるから分かるが、福島や最上は家康派なの
加藤は前田邸にいってるけど >>697
最上は九戸政実の乱の時に次男の家親を家康に預けてるから
割と早い段階で家康派だったのかもね
市松はよく分からない >>695
史記を素直に読んでるとあんたは秦に恨みがあってわざと崩壊させようとしたようにみえるな >>698
最上さんはそら家康につくしか選択肢ないじゃん >>700
しかも娘の件で怨みがあるから豊臣家に感情的な遠慮も無いし >684
家康の場合は秀吉の前では完全に忠臣として働いていたから難しかったんだろうね
毛利輝元も西軍大将になったくらい野心があった訳で立地的には毛利の方がヤバかった気がする >>698
清正と二人で
「俺は利家殿の所で内情確認するから
市松は家康殿の内情確認頼む」とか
示し合わせた、とか 内心はさておき表向きは完璧な降伏→ 臣従ムーブとってからそれ以上の何かを要求できなかったんやろね
センゴクで書かれてた「戦国に最も忠実だから恐ろしい」ってやつ 最上と佐竹勘違いしてたすまぬ…
そりゃ最上は娘の件あるから家康側につくメリットしかないよね
大谷ってだいぶ親家康派だよな
西軍についた時もヤッスもマジかよって驚いたんやろ 家康は付き合いがある大名には割りと情かける人だから驚いたろうな 最上も関ヶ原後に厚遇したけど代替わりで取り潰し
大久保長安も死去で財産没収
外様から身内までたくさん潰したけど最後は潰しきれなかった毛利と島津に倒幕される >>706
調べたら市松自身も家康と私婚を計画してた側だからっぽいな >>704
家康としても御し難い家臣団を統率するのに秀吉の後ろ盾が重要だったから積極的に反抗する理由が無い
むしろそういうのがいなくなったから自分で天下を取らなきゃならなくなったって感じ >>712
なんとか騒動って内紛はたくさんあるけど功績ある家や面倒くさい所はなんだかんだで取り潰しまではいかないんだよね
裏で内紛を煽ったり工作したり
最上の場合は関ヶ原の功績や義光の忠誠の割にあっさり潰した感がある
最上に加増しすぎて伊達と組まれたら厄介だからマッチポンプで消したか >>712
お家騒動の一因になった四男は水戸家に拾われて
息子が水戸黄門に出てたりするんだよな お家騒動起こしたら、将軍の兄弟縁戚筋すら容赦なく潰す
そういう体制で、引き締めを行っていったわけで
そんな武断統治を文治に転換するには、まだまだ時間が必要だったしね ほぼ難癖のような無理ゲーで潰された福島、加藤
功績ありながら潰された本多正純、大久保長安
お家騒動を起こしながら潰されなかった伊達、仙石、黒田
なんだかんだで生き残り幕末に倒幕した毛利、島津
どうして差がついたのかの。慢心、環境の違い 本多正純は自業自得のような…幕府直属の根来衆を勝手に使ったりとか越権があったし
親父から、十万石以上は頂戴するなよ、と釘さしてもらってたのに… 親父に三成みたいに空気が読めない奴にはなるなと諭された正純
なお まあ市松の場合本人が死ぬまでは取り潰しじゃなくて減封だし
子孫も旗本として残っているからまだマシな方か 福島の改易は自業自得かな
よく改修の届出を何度も幕府にしてたのに本多正純に握り潰されたなんて言われるが、
実際はそんなことはなく正則は幕府には何も言わず無断で実施してみたいだし
それでも幕府は本丸以外の破却をすれば許すと言ってるのに、正則は幕府の
命令と違うこと(本丸の石垣と櫓の破却)をやってるからなあ 家康の養女(満天姫)が嫁いでる養子を実子が出来て邪魔になったので
おかしくなった事にして幽閉して餓死に追い込み
満天姫はそのまま実子に嫁がせるような事したのも
拙かったかもしれない
遊牧民のレビレト婚かよ 手続きや仕組みを複雑にしておけば叩けばホコリでいくらでも恣意的に取り潰せる
脳筋の福島はもちろんキレ者の正純でも
上が潰そうと思った時点でチェックアウト
目をつけられないように立ち回るしかない 本多正純の場合大久保忠隣にやったことへの意趣返しって感じで
上というより派閥抗争の結果って認識だったわ つっこみどころが二つ
福島は思われてるほど脳筋じゃないし
チェックメイトとチェックアウトじゃ偉い違いだ 土井利勝やらの秀忠の側近たちとの抗争の末ってのが通説だわな
豊臣政権下で、秀次派閥と三成ら文治派が、あるいはその後に文治派と武断派が抗争したのと同じ話 脳筋かつアル中
これはもうテイクアウトするしかない >>727
醒めれば有能なんです
ほとんど酔ってるけど 自衛隊駐屯地の酒場では休みの日に酔い潰れて打ち上げられたマグロみたいに伸びた隊員を
駐屯地からきたリヤカーに積み上げテイクアウトしていく光景がよく見られるという話を思い出した >>694
家康すら、婚姻話に責任転嫁しっぱなしなのに
伊達だけが腹括れやってヤクザモードなのにワロた >>726
ちょうど前田さんと村井さん出てきたから前田家周辺の話検索して色々読んでたけど
村井長頼と並んで家老だった奥村永福、センゴク終盤でもちょろっと登場してたけど
あんな顔して藩の派閥争いで政敵にエグいことやってて笑ったわ。人間集まると徒党を組むもんだね >>734
政敵に策略を仕掛けて共倒れを狙ったのは
永福じゃなくて息子の栄頼じゃないか? 村井長頼は関ヶ原の時は既に隠居していて芳春院に同行して江戸に居たけど、
家康は珍しく直筆で村井に手紙書いてるんだよな
この時期家康の自筆書状ってこの一通しかないと思う
利長も変わらず頼りにしてて9月5日に村井に宛てた書状で堀秀治の援軍要請に応じて越後に出兵したいが、
弟の利政が動かないので中々上手く事が運ばないし、こんなことは家康には報告できないと愚痴を言ってる >>737
伊達家の宿業だからしょうがない
直接的には曾祖父、左京稙宗の代からだから政宗も被害者ではあるがね >>721
そもそも正純の改易の表向きの理由の一つに
市松の改易に反対した事が挙げられてるしな 忠輝と政宗が完全に組んでいたら江戸幕府もホームメイトだったかもしれない 家康は可愛がった子と、そうじゃない子への対応の落差が激しい
自分の幼少期がアレだったせいか こんだけ謀反企ててるくせに生き残ったのやっぱり凄いわ伊達さん 利家の邸に加藤清正と小西行長来てるのか。そりゃ寿命削るわ。 >>734
花の慶次ではめっちゃイケメンだったのになw つうか、切った張った全くないのに面白いな。
伊達は浅野を指南役から外させたりもそうだけど、とにかく自分本意にやりたいってのを隠さねぇな。 >>739
それをやらせたら取次の自分の面子も丸潰れになるし >>745
でも利家さんは
一回り下の池田輝政に「又佐うるさい」とかいわれちゃうんだぜ 信者脳と言われそうだがレジェバタの光秀はセンゴクの影響だと思った 今回だと秀頼を厳しく躾ける又佐と、それを嫌がり甘やかすヤッスになつく秀頼にヤッスの野心を感じる又佐って展開だけど、ヤッスも上杉討伐直前に貞観政要(印刷版)を秀頼に献上してるんでこの時代はともかく後には「アカン……ちゃんと勉強させなきゃ(使命感)」って意識はあったんじゃ……
ちなみに貞観政要ってなんとなく唐王朝美化のイメージで語られがちだけど皇帝のセックス・スキャンダル(家臣の妻NTR事件)や異民族を後ろからぶん殴った話(突厥と講和結んだ次の瞬間に奇襲かけた)とかも書いてて単なるプロパガンダ本とは別物
なお、貞観政要の李世民はセンゴクのヤッスに近くて家臣からツッコミくらいまくるキャラ マタザどんに野心があれば、関東征伐が起きてそうやな 作中だと大老奉行がわりと差異ないけど
この頃の家康と利家は他の大老・奉行とは権威権限が別格なんである程度正当性担保出来ればやろうと思ったらやれちゃうね >>748
原哲夫先生は原作有り無しで複数の歴史物描いてるけど、三英傑だと信長が別格の大英雄扱いで、関ヶ原については西軍贔屓な印象 北陸は北陸で治めにくい地だったかもしれないが、前田をもっと重要地に転封とかさせる予定はなかったのかな? センゴクで秀吉が又左に言った
「ワシのつくる世はおみゃあさんが
高い地位であらにゃあならんのだがね」
ってセリフはなかなか刺さるね 五体老五奉行で唯一真心を実践してるの前田さんくらいだし 戦国エンジョイ勢ではない人間が高い地位で動かしていく世に肝心の秀吉自身が耐えられなかったというのを含めてな 前田利家を最大限持ち上げた作品はダイナミックプロの戦国武将シリーズだからね >>758
そもそも原作の「一夢庵風流記」自体が利家sageで成立してるから……
隆慶センセイの小説って秀忠とやぎうが悪役やつてないとたいてい詰まらん(死ぬことと見つけたりの光茂も劣化秀忠だし) あの反論のために大河利家をやったと言っても過言でない あれはあれで元々いくさ人で若いころは破天荒だったけど
慶次と違って家を背負って真面目に生きていかなきゃいけなかった大人の悲哀があって好きではあるんだけどな
隆慶一郎先生自身エッセイで出奔してから出戻る若いころの利家は好きだけどそこからは好きじゃないって言ってるくらいだし 隆慶一郎は信長にも楯突いて茶坊主切っちゃう破天荒な若い頃の利家に
晩年のまともでつまらなくなった政治家利家を叱らせる対比構図作りたくて慶次郎に若利家を反映させただけなのに
原哲夫が花の慶次でそれをさらに誇張して慶次郎=若利家、利家=慶次郎に嫉妬する糞じじいで広まってしまったというw 影武者の秀忠も懲りずにボコられる悪役の反面だんだん成長していく裏主人公でもあったし
いくさ人に代表されるフリーダムな人間主人公にしてるけどそういう普通の人も好きだったんじゃないかって気はするわ
家光と忠長が同じバカ息子ポジションになってる時代の話では秀忠がため息つきながら息子のやらかしを尻拭いしてやる親父になってるのがまた皮肉 >>763
セキガハラは終盤打ち切りのように終わって残念だったね… >>765
原哲夫の影武者徳川家康が打ち切られずに続いてたら、最後は秀忠とお互いを認め合ってたのかな? >>767
原作も終盤で二郎三郎があの男もあの男なりに成長したのだと自分との長い戦いで成長した秀忠を認めてはいた
秀忠のほうはブレずにあいつ殺してえ一筋だったけど 秀忠を殊更に無能扱いする風潮、
原が一連の著作物やった事の最大の悪影響だからな
家光忠長は昔からあることで家光は現在進行形で無能を晒してる他社作品まであるというw >>767
原作だと大久保忠隣失脚のあたりから秀忠が政治的に二郎三郎をやり込める場面が増えてきて二郎三郎も「あの男もあの男なりに成長したのか」って感慨にふける場面とかあるよ。
秀忠は終始一貫して「あの影武者は殺す」だけど
>>769
家光は「柳枝の剣」でも親父(秀忠)の目の前で左門とさかろうとしたりしてて絵に描いたようなホモの暗君w
「傾いて候」でもバカ殿ぶりをさらけ出して秀忠が呆れながらも尻ぬぐい
忠長は「花と火の帝」でやらかしてやはり秀忠が尻ぬぐいさせられる
こんな役回りだけど隆慶作品世界では息子に駄目だしか冷笑しか対応しなかった家康や息子の嫁をNTRした石舟斎よりは秀忠の方が親としてはまっとうな振る舞い >>755
戦国の世は、優勝劣敗で優れたものが上に立つってある意味効率的で真っ当なんだけど
人は理不尽に死ぬし、弱いものは不当に虐げられる地獄
でも、太平の世は、優れたモノが認められず、汚い手段で上にいるやつが弱いものを不当にこき使う理不尽な世界
でも、戦国の世のように、バカな人の死に方はしない
どちらがいいとかって問題ではないんだよね、どちらも行き過ぎればもう一方に劣る社会
日本の南北朝から戦国時代にかけての乱世で人口は何倍にも増えてるけど、
平和な江戸時代ではほぼ横ばい、
戦国末期に日本は世界でもベスト5には入る大国だったけど、江戸末期には見るも無惨な後進国
とてもじゃないけど、江戸時代が極楽だったとは思えないわ 家光云々は「颯太の国」の話じゃね
あれは稀に見る暗君描写な家光 >>772
汚い手段で上にいる奴が弱い者を不当にこき使う理不尽な世なのは
戦国もあまり変わらないような…当時は汚い手段が叩かれなかっただけで
才能にしても戦国で評価されるのは戦闘力や政治力オンリーで
芸術とかその辺の才はあまり認められないし
あと人口で言えば江戸初期が一番伸びてたんじゃなかった? 人口が増加したのは秀吉の統一以降だろ
戦国時代は増える要素がないからほとんど増えてない
江戸後期は当時の技術じゃ限界ってだけだろう
あとは江戸の一極集中も要因だけど
産業革命がなければ爆発的に増える要素がなかった ちょっと調べたけど
1450年日本の総人口・・・約1000万人
1600年日本の総人口・・・約1600万人
サイトによって数字は多少幅があったけど戦国時代の人口は増えていたのは確からしい
合戦で人が減るだけだと領国は衰退する訳で全国で経済振興、技術革新、富国強兵路線を取った結果増えてたんじゃないかな? こういうのって把握できるかそうでないかが一番大きいし
戸籍の整備が全国規模で出来るようになれば「増える」よ
実際は一人か二人減ってたとしても >>776
1450年〜1500年ぐらいまでは減ってるデータもあるから
各地の有力大名の勢力が確立してその庇護の元の安定が
享受出来るようになったのもあるのかも この時代はシンプルに食糧の影響がでかい
経済とも言えるけど家族が食えるかどうか
作中にも度々出てるけど検地やって土地と権利者の整理と不正にちょろまかすの無くして一気に人口増えてる
農民が安心して作物作っていけるようになったのが秀吉統一頃からで影響がでかいと言われる
当然農業の進歩とかもあるだろうけど
江戸時代は色んな構造の問題で飽和してた 元々創始者としてキャラが濃かった上、後世神君として
さらにキャラを盛られた父とサンマ辻斬りホモ尼さんフェチ
と属性特盛な生まれながらの天下人な息子に挟まれ
一般に知られているエピソードがヒーローのかませ犬に
されて関ヶ原遅参ぐらいとなると地味扱いされるのも仕方無しか >>769
今年34歳だけど、俺がガキの頃は家光は名君扱いだったような?
図書館に置いてあった偉人伝に家康と家光があった
秀忠は無かった >>782
急速に老けたよね
先月号は清正の怒りを治めるのはワシにまかせとけ ! って
感じだったのに やっぱり健康バカが1番や
家康は肥えて肥えて仕方ない >>769
平成世代では原哲夫作品や隆慶一郎作品の影響デカいだろうけど
関ヶ原遅参の印象が強いのか、ずっと昔から秀忠 = 無能扱いでは
あったと思う。みなもと太郎の風雲児たちでもそうだったもの
今の研究では遅参は洪水で不可抗力、上田攻めも当初の予定通り
ということが明らかになって、統治面で再評価されてるのかな 家光は保科正之がクローズアップされたせいか評価ダダ下がりって感じだけどね 親父と弟と部下の功績を合算してる感じだよね
昔の家光の評価 スレがホモ臭い流れになった時の我慢ッ!辛抱ッ!忍耐心ッ!はめちゃくちゃ笑った 前田さん長生きさえしてればなあ
前田対家康の関ヶ原は起きてたのかな
流石に前田相手はきついか 天下が乱れ、日本に太平の世は訪れずひっちゃかめっちゃかに… 権力が欲しいかケモノどもなんて三成が言ってるが
家康にすればあくまで保身が第一で権力は手段に過ぎない キャラデザ同じってことはセンゴクと世界観は同じなのかね? >>787
遺骨調査したら、銃傷のあとがあったりと
戦ベタなボンボンではなく、実戦経験を持ち重傷も負ってる指揮官だったことが判明
イメージよね、家臣に任せっきりのバカ殿ではないことが判明したら
それまでわかってた政治家としての功績を見る目も変わってくる
実戦でも前にでて銃弾くらうような男が、土井利勝とかに任せっきりな政治家なわけないやんと >>801
なぜ銃創があったら戦下手なボンボンを否定できるんだ? 指揮官が前に出過ぎて撃たれるのは
勇猛ではあるが戦下手は否定出来ないような… 骨に残る銃創から判る事は、鉄砲の射程距離内に出た事がある事であって、戦の上手下手は判断出来ないでしょう。
崩れる味方を踏みとどまって督戦したのかも知れないし、ノコノコ不用意に飛び出してしまったお間抜けかもしれない。
人物や指揮官能力の良し悪し特定することは出来ないのだが、それでも銃創一つから人となりを想像するのは楽しいな。 小早川秀秋「前線に出て戦う指揮官が無能なわけがないのです」 撃たれるとしたら宗矩が珍しく剣を振るった事で有名な
夏の陣で大野治房の決死隊に襲われた時だろうか? 直政が家康はたく意味あったんか?
センゴク初期の忠勝が家康殴ったのは熱いシーンで不自然ではなかったけど
なーんか関ヶ原になってから家康を安物に扱おうとする宮下の描き方が引っかかるわ 665とかが言ってるのはその殴ったシーンじゃなくて、ワシが平常心を失ってたら頭叩けって忠勝にやらせてたシーンのことだろう
むしろ徳川家臣団の関係性の描き方で天正記からのファンへのサービスに近いと思う あとセンゴクの家康は前からヘタれるシーンも意外とある
怒りを腹に溜め込むのだって泣きながら飯食ったりとか、権兵衛が讃岐くれって言い出した時も汗ダラダラ流して焦ってる
その手の描写が主役になったことで内面描く機会が増えて多くなってるのでは >>806
その話も創作の可能性が濃厚やぞ
宗矩が感状や恩賞を貰った形跡ないし >>795
下手したら関ヶ原にならず
第二次小田原征伐にしかならないかも… 大阪夏の陣、毛利や真田らの突進で壊乱しかける徳川軍の中を
秀忠が叱咤して回ったって話があるから、そのときかな?
で、秀忠側近達はみんな混乱してて、土井利勝らは戯れ歌で愚弄された てか前田さん存命中に戦なんか起こす気にならんわな
味方になるのが少なすぎる 三成にとって今回の事件が家康どうにかできる最後のチャンスだったの? だね
本件においては討伐における正当性、戦力、利家という旗頭まで全部揃ってた ここらへんまでの家康失策ばっかしてて
素直に読むと割と情けなく描くしかなくなるんだよな 家康が天下おさえられたのはひとえに長生きだったからとも言われる 家康はこの騒動で頭下げて許されたからな
まあ前田さんもガチ戦争したらまた天下荒れてこっちも無傷では済まんから家康の謝罪で手打ちにするしかないけどね
土下座はタダや! 利家と当時の奉行たちに大乱を起こしてまで
家康を潰す覚悟はなかったからな 元々家康と利家は個人的な関係は悪くなかったのも大きい この騒動史料によって内容が違うしそもそも何が問題にされたのかさえはっきりとしないんだよな
家康も謝罪したとも逆に奉行衆を押さえ込んだとも言われるし あれって形はどうであれあそこで家康を仕留められなかったのが肝心なんだよな
そして次はいよいよ第二ラウンドの三成失脚 >>536にもあるけど決して書類上では謝罪してないんだよな身共 権現様の恥ずかしい部分、別に歴史から抹消されずきっちり残っている件
地名でも愚弄され続けている。銭取とか その通説は疑問どころかもう否定されてるらしい
しかみ像が三方ヶ原の敗戦を戒めて家康が描かせたってのは後世の創作 むしろ家康派ははいはいすいませんでしたー気をつけまーすwって感じ反省してなかったやろ
前田しぬまでは大人しくしとくか程度 神君史観なんか神を助けた家臣のオレsugeeeでしかないし
脱糞腹黒狸なんか明治政府の薩長史観でしかないからな 三河一向一揆の家康が程よくピンチかつ程よく畜生で
この辺が本性なんだろなと想ったりする 「左様に一大事なのか」コマの身共の顔がゴンそっくりでわろた
ゴンもはよ出てこい ゴンの姿は出さずに、関ヶ原本戦に向かう秀忠軍の紹介で仙石って名前だけ出てくるんじゃね?
関ヶ原本戦だけじゃなくて各地の戦も扱ってほしいな >>840
>関ヶ原本戦だけじゃなくて各地の戦も扱ってほしいな
同感だけどこの後大阪の陣も有るわけだし流石にそこまではセンセが保たないでしょw 大坂の陣って真面目に描いたら結局「豊臣家がバカでした」オチにしからんのでは ゴンが一切出ないのもそれはそれで変だし、
秀忠隊の中に半モブ的な感じで出てくるぐらいがええかもね 大坂の陣までやったら
この間にゴンベもの凄い勢いで老けて死んでんだよなってなるのか エピローグで秀忠とゴンベが仲良くなってるのにげんなりする家康で終わるとか >>842
あのサイコパス顔信繁に決死隊で追われたら、クソ漏らして逃げるわ 権兵衛はセンゴクにおける織部さんくらいの登場程度かもね。 底辺大名扱いだしなあ
出番があっても秀忠のオマケだろ 一応真田一族との因縁がテーマでもあるから上田城の戦いはやるんじゃない
そして秀忠の遅参を権兵衛がかばったから後々幕府の信任が厚くなった
失敗を重ねた権兵衛が秀忠を助けそれが後に太平の世に云々でセンゴク完になると思ってた 30年戦争第2話見逃してた…
関ヶ原もコミックスまだまだ先なのかな 当時陸奥から太平洋渡ってメキシコ経由でスペインと貿易してたのか。ゲームの大航海時代だと、新大陸が遠すぎてイマイチ利益が上がらなかった印象がある。 >>856
東南アジアはフィリピン以外はポルトガルのシマだろうからね
北太平洋環流でフィリピンからメキシコに戻る航路だったんだろうね >>856
当時はパナマ運河無いし、ゲームだとアメリカ大陸の太平洋側に港無いから、太平洋横断はプレイヤーの自己満でしかないんだよね 桶狭間戦記の最終話読んだけど、ワンカット出たゴンが若くて笑ってしまった。リアルタイム掲載時は10年以上前かな? >>858
大航海時代2だとパナマとグァテマラだけは
太平洋岸じゃなかったっけ?
探検目的でもなきゃあまり行かないってのは同意だが 秀頼を甘やかす家康は割と打算じゃなくて本当に同情してたかも 相当古い作品で悪いが横山光輝のどの作品か忘れたけど
今川義元は駿府人質時代の元康を甘やかして
成人しても凡将に仕立て上げろ、それが今川家の為であるとかって描写があった事を思い出したわ
家康も駿府時代の事を踏まえてわざと甘やかして
側面からでも豊家を弱体化させようとしてるんだろうね
その後秀頼は寺社仏閣に散財していくわけだが 山岡荘八原作の家康っぽいけどあれは史実からかなり誇張されてるから
史実だと家康は今川家でかなり厚遇されていた >>862
酒食に嵌らせるならともかく今の段階では
子供甘やかしているレベルだしなぁ >>863
今川が三河を支配する大義名分だしな
だから今川一族の娘を与えて身内に取り込もうとしてたわけだし >>863
そりゃもう隠居の場所が三河じゃなく駿河だもんw
今川時代にひどい目にあって、いい思い出なかったら
そんなところで隠居せんよな 狡兎死して走狗烹らる。王朝成立と粛清はセットみたいなもんで
鎌倉も室町もたくさん粛清したけど三河武士は幕府成立後にほとんど死人出なくて平和だったな
露骨だったのは外様の大久保長安一族くらいで >>857
>>858
アメリカ西海岸は全部村でパナマ運河が無いから南米チリのホーン岬を回らないと交易できなくて、19世紀まで西部開拓が遅れた理由が実感できた思い出。 >>869
江戸転封時についていかずにそのまま帰農して残りましたってのも結構いたぽいし >>855
計算だと関ヶ原は来月で1巻分溜まると思う。色々作業あるだろうから
どれぐらいに出るかは分からんけど ここで家康に集まって来る大名達は賢いね
前田に今ついても未来ないわ 遠州とったらすぐ浜松だし、駿河とったらすぐ駿府。
岡崎に残された面々はそりゃ面白くないだろうな >>876
岡崎から離れたくない連中だっていただろうし 藤堂高虎が出てきたから懐かしくてウィキを読んでたら渡辺了が部下だったとあり、渡辺了って確かセンゴクの小田原編に出てたなと思いだして小田原編を読みだしたら全然止まらず小一郎往生まで来た。やっぱりセンゴク面白いな。 小田原征伐で中村一氏の配下だったのに高虎のとこ行ったんだ?ってwikipe見たら
まさにあのときの褒美が少なかったので不満で浪人したって書いてて笑った
なんか元ネタあるっぽい変な腕の動きしてたよね、渡辺了 >>879
大坂の陣で昔槍を教えた増田長盛の次男と交戦して完膚なきまでに叩きのめしてて草。追撃しすぎて藤堂高虎に親子2代の奉公構喰らってて更に草。 漫画としての完成度はセンゴクのほうが上なのに、売上はキングダムが圧倒的ってのが理解できない
漫画を読む読者が馬鹿ばっかりなんだろうな >>881
李信だって本来やられ役だし、ゴンベとそんなに差はないはずだよね。 漫画は結局エンターテイメントだもの
小難しい頭の良さを求められるよりも馬鹿になって読める方が受けはいい >>881
日本の戦国時代のモブっぽい武将と
チャイナの春秋戦国時代の始皇帝とその配下じゃ差が有りすぎるだろww ぶっちゃけセンゴクも天正記あたりまではキングダムと変わらんレベルでガバガバだつたけどな >>881
どうだろうなあ
「漫画」としてのセンゴクはねえ
小田原とかは漫画としても抜群に面白いんだけど
後半はもう絵物語みたいになっちゃって、史実を追うだけみたいになってたやろ
作者が勉強しすぎちゃって、通説から離れられなくなったっていうか
桶狭間も本能寺も、秀吉の晩年も、おおむね一般に言われてる話とそうかけ離れてないよね
「歴史モノ」としては抜群に面白いかもしれないけど、漫画としては・・ 秦自体が元は西方の戎で異民族って説もある
漢王朝ができる前だから漢民族になるかもしれないが >>889
後半の淡々振りは戦国という時代の終わりを描きたかった部分もあるだろうなと思う
五右衛門の述懐とか秀忠の決意とかはそういうところで生きるもんだろし >>891
「後半」って、一統記くらいからを指すのでw
「センゴク」は漫画っぽい展開も多いんだけど、「ノブナガ」とか「ヒデヨシ」になるとさあ・・
姉川とか長篠は、有名な合戦でも漫画的にダイナミックな描かれ方だと思うんだけど
後半の合戦は全体にどうも煮え切らないというか・・
肝心な所を、「天正○年、ここで驚天動地の出来事が起こる」(一枚絵が描かれてる)
とかで済ませてばかりでは、漫画にしてる意味って?って感じがどうしても 紀元前の大陸の話ならファンタジーで面白くしても違和感ないけど日本の戦国時代じゃそんなのおかしいにしかならんからなぁ
一般的な漫画的な面白さは難しいよね 無印は正にヤンマガって感じの実質ヤンキー漫画だしな >>893
多分、宮下先生も自覚的だったんだろうとは思う
小田原で、秀吉がゴンベの戦をみて、
懐かしい戦やってやがる・・・って述懐してるのは
きっと、自分(の作品)についても言ってるのよ
俺なんかが文句言ってる内容なんか全部わかってて
「絵物語」の方が作品として上だと思って描いてるんだろうなって 四国攻めあたりは結構局地戦も描かれてた感想
ただここらへんで既に中央のでっかい動きがあるのを知ってるから所詮は…って気持ちもくっついてくるしそれが作品テーマでもあったな >>895
大乱関ヶ原についても後期のセンゴクについてこれた読者なら楽しめる、
そうでない方には地味かも、みたいにツイッターで書いてたしね 逆に今のセンゴクに慣れた一読者としては無印はあんま読み返さないな
精々終盤、基本天正記からじゃないと違和感凄くて 桶狭間戦記で当主ノブのイメージがそれなりに冷静で固まったせいもある
でも三方ヶ原は好き 今無印を読み返すと台詞回しとか結構荒いなって思っちゃったよ
桶狭間戦記は最高 桶狭間はほんと名作だよなぁ
義元が幼少の時代から桶狭間を書くというのが素晴らしい 桶狭間戦記の三国同盟の時の氏康はヒトラー顔なんだよな
本編の自信なさげな氏康と見比べると笑えてくる そもそも戦国時代自体が終盤からワンサイドゲームに移行しちゃうからな >>903
桶狭間戦記は最終ページの語りがロマンあふれた美しいナレーションなんだけど、作者も若いからこそ勢いで書けたよねあれ。今だと恥ずかしくて怯んじゃうでしょ。 桶狭間戦記だっけ?
竹千代が義元公の方が明るくて(信長より)好きって言うの
あれは面白かった
単行本は無印とセンゴク権兵衛の最終巻だけ持っていない >>881
エンターテイメント性はキングダムなんだろうな。
センゴクも無印のノリを続ければキングダムだったかもしれんが俺もその後のセンゴクで良かったと思う。 ナレーションというかト書きというかアレ限定で意図的に横文字入れるのめっちゃ好きだわ
聖域(アジール)とか
>>906のレス見て思い出した >>912
茶々→大阪城でTERUへのヘイトMAX
初→大津所で旦那の義理ワンにつきあわされる
シエ→たぶん江戸城在住 >>913
戦国時代とはなにか
それは天候による飢饉の世を
人智にて克服しようとした
天と人との問答(ダイアローグ)であり
英雄と民衆の命の戦記(ダイアリー)である タリバン兵「戦争してた頃はよかった…、会社員はつらいよぉ…、苦しいよぉ…」
https://togetter.com/li/2071602
現代社会だと戦好き(と言う社会不適合者)をまとめて殺処分できないからしつこく啓蒙するしかないよね 今回の話読んで思ったがこれがドラマなら今井宗薫が罰せられて手打ちになるよね 仲介ってのは場合によってはスケープゴードのリスクも負うんだよな
それを知らずに引き受けたのかって政宗の怒りは正当 政治劇しかやってないけどボロボロの秀吉見てたセンゴク末期ほど重くなくて気楽に読めていいね >>919
おいしいとこだけ下さい
ダメなんですか? >>925
雑誌のカラー的にそっちのが合ってたからとか?
リイド社的には風雲児たちに代わる通史漫画枠として請われたのかも 中世日本研究者の清水克行の本でも争いの仲裁は両者から恨まれて最悪殺される危険もあるからなるべく止めとけって話があったが
その意味では伊達は歴史ある家の人らしくそのあたりの感覚を忘れてないし同時に室町期のそういう気風はこの頃には大分薄れてはいたんだな そら伊達ってご先祖様が「枕争論(仮眠場所で揉める)」で殺人事件起こした事あるとこやし >>928
それこそセンゴク権兵衛でもやってたけど取次って上手くやれば権力握れるからね
去年の大河でも面倒事を押し付けられる仲介人は全方面にコネ持てるので
野心持てば一気に権力者になれる様を描いてたけど 取次のシステムが、豊臣政権の最大のウイークポイントだったんだよね
結局、秀吉の才覚頼みで、大名達を統制する手段が他になかった
全てが、秀吉-取次-各大名
で決まってたんだから、そりゃ秀吉が死んだら破綻するわと
関ケ原も、豊臣政権下で最大の取次だった三成が、それを家康に分捕られた事から始まった
(三成本人には権力があるわけでないので必然)
五大老、五奉行がもっと前からあるものなら何とかなったんだろうけどねえ、遅すぎた
家康はその辺を反省したらしく、取次自体は模倣せざるをえなかったけど
家康-取次-秀忠-取次-大名と、1クッション置くことで、自分の死後の体制崩壊を防いだ
秀忠は、家康の取次だった本多正純を粛清して、取次制度自体は時間をかけて、幕府のシステム(老中による合議制)を作って、なくしていったわけ
時間があったとはいえ、秀吉にも家康にも出来なかった、統治機構の確立をやってのけたんだから、
江戸幕府は二代目の有能さが本当に大きかった てか五大老五奉行制自体ガバガバやん
お互い監視させるってw
各々豊臣家の事なんか知らんわってなったらもうおわりやん 秀吉は自分自身の権力を確立維持するだけで精一杯だった印象だからな
とても将来の事を考える余裕なんか無かった >>933
相互に牽制させるシステムに過ぎないわけだからな
家康を立ててるように見せて実は伏見に孤立させるのが見え見えだし それも前田さんの人望あっての制度やしな
めちゃ外様の上杉、毛利に若輩者のお坊ちゃん宇喜多ではいう事なんかきかんわ 隆景に死なれていたのも大きかった
また利家は家康との関係が悪くなかったので利長にも家康との協調を遺言してるし >>932
秀吉は死ぬまで権力をシステムに移譲しなかったからな
流石に支離滅裂になって来て自然に移行して行った印象 信長にしても秀吉にしても急激に勢力拡大したから制度設計する暇もなく亡くなったからのう
(秀吉はする気もあったか怪しいけど) 返々秀より事たのミ申候、五人のしゆたのミ申候たのミ申候、
いさい五人の物ニ申わたし候、なこりおしく候、以上、
秀より事なりたち候やうに、此かきつけ候しゆとして、たのミ申候、
なに事も此ほかにわおもひのこす事なく候、かしく、
八月五日 (秀吉御判)
いへやす
ちくせん
てるもと
かけかつ
秀いへ
まいる センゴクだと九州攻めのあたりから既に拡大する組織や戦線を回すのに追いつかなくなり秀吉個人の能力でなんとかしてたな
秀吉はついてこれない回りに苛立ちと不信を募らせ部下は段々何も言えなくなるというワンマン組織が陥る典型的な悪循環の流れがなんとも生々しいものがあった >>941
利家だけ官名なのは何か理由あるんだろうか?
ただの好み? ダイエーの中内は外部から社長呼んで業績回復させたけどそのうちやっぱり自分が経営やるって追い出しちゃったし
秀吉の失敗を知る現代でも叩き上げの創業者が社長に固執して年老いても次世代に引き継げない
秀吉の時代より前でも漢の劉邦なんかは上手いこと狡兎死して走狗煮るをやったけど >>943
諱で呼ぶのは通常は失礼にあたるらしいので
他4人にはあえて使ったが利家にはそうする必要が無い(ほど信頼している)
あるいは利家には失礼な事は出来ない(くらいに敬意を持っている)
あたりかもしれないけれど、極めて政治的な文書なので真意は様々に取れてしまう
彼だけ別に扱っている一点だけで凄い意味を持つはずなので 三傑の若い頃を描く大河では嫁を孕ませた年代がアウトという理由で夫婦関係が描かれない又左どん >>943
特別な理由はないかと
この遺言は秀吉自筆書状の写しとして毛利家文書に伝来したものだが、この秀吉自筆遺言と同日付(8月5日)に書かれた
早稲田大学図書館所蔵の秀吉遺言覚書(こちらは秀吉自筆ではない)の方は「内府・利家・輝元・景勝・秀家」という表記になってる >>946
21歳で11歳の芳春院(まつ)
30歳で13歳の聚福院
36歳で14歳の隆興院
38歳で12歳の金張院
50歳で13歳の明混院
56歳で15歳の逞正院
どう見ても真性… >>939
秀頼の誕生も将来や後継というより自分自身のために必要だった感じだからな >>948
後家(経産婦)が一人もいないの草
普通一人くらいは経産婦いそうなのに >>948
ああ秀吉と親友だったのはそういう意味で馬があったからか… >>952
秀吉はどんな年齢層でもイケるだけなような… >>948
レオナルド・ディカプリオ「気持ちはわかる」 利家の女絡みだと素でやばい感じのロリおじ出てくるよな 大乱関ヶ原第一巻の商品ページが各サイトに出来てるね
4月27日発売 コミック乱のバックナンバーが漫画喫茶にも置いてないから1話目のとりあえず目の前の事を何とかしたい家康と野心バリバリの家康が繋がらなくて困る 一昨日の大河での平八郎と小平太を見てセンゴクでのコンビも思い出した 古沢良太は漫画家志望だったらしいが
センゴクは読んでるかもしれん 四天王の中でも榊原がエピソード的に今一つ落ちる感じだけに今回のハチャメチャぶりは嬉しい >>957
(SPコミックス)になんか感じ入ってしまった >>964
やはり上田攻めに回されてしまったのが不運か NHKの明鏡止水って武術番組で甲冑兵法の回やってるけど
センゴクでもお馴染みの槍で叩く話してたな 集団戦法では叩くだな
一対一なら突くほうが早いだろう
どっちもセンゴクで出てきたな
集団戦法の説明と姫若子や某への指導で 叩いても人体にはそれなりにダメージ与えられるからね
相手を怯ませる効果だけでも十分 >>962
信長に挨拶に行く時のシミュレーションがこっちっぽかった >>962
何となくアルスラーン戦記を連想するわ
家康→アルスラーン
忠勝→ダリューン
正信→ナルサス 本多正信は戦場の軍師というより政治面での謀略担当という
イメージなんで、田中芳樹キャラならオーベルシュタインと
いう感じだわ >>974
オーベルシュタインさんじゃなくてマリーンドルフさんじゃないか
オーベルシュタインさんは主人に嫌われてるしなw 銀英伝は三国志
アルスラーンは水滸伝
がそれぞれのフレームワークだったと思う。
まあ色々な物語に使われてる鉄板構成だよね、カリスマの君主、深謀遠慮の参謀、無双の忠臣。 三河一向一揆の展開は大河スタッフから一言あったのだろうか ほぼセンゴクの顕如はんだったね。一応法話自体は元ネタあるらしいが
あのストーリーラインは影響はされてそう センゴク以外だとやる夫徳川家康の影響受けてそう
大乱関ヶ原は何巻くらいの予定なんだろ
宮下先生の体力と気力が持つなら東北戦線や九州戦線も扱ってほしい >>982
この後大阪の陣が冬夏と控えてるのにそんなん書けるわけねーだろ
月刊ペースなら関ヶ原で10年
大阪の陣が夏冬5年づつで間に休養期間2年ってとこだろ 大河うんぬんでいうと、大乱の小物な家康は逆にどうする家康のヘタレに引っ張られすぎてやしないか?
両方おんなじような人物像見ててもどっちらけだし
せめて宮下のほうだけは関ヶ原近づくにつれ威厳と風格を取り戻した家康を見たいものだ たまたまだぞ
何でもかんでも因果関係見つけようとすると陰毛論の元 >>984
センゴクでの関ケ原直前の良し・・・良し・・・勝てるぞ!の家康に向かうんだから
そうはならんやろ 秀吉はもちろん信長でも、天下を獲る過程、獲った後の
凄くない弱い人間な部分も描いて来た作家、作風なのに何を言っているんだ というかどうする家康が始まる半年近く前から連載始まってるだろ >>984
何度も同じこと書いてない?前は山岡荘八がどうとか。元々センゴクの家康像なんて
そんな立派な人物じゃなかったと思うよ。上にもあるけどどの人物も強みと弱みを併せ持ってるって認識 >>984
そもそもそう言う講談風のキャラ作りはしてないってセンセイもTwitterでも言っとるやんけ 第一話冒頭で、三成と家康は最初から豊臣への忠孝と天下簒奪を意図していたわけではないと書いているからね 前田、上杉と各個撃破しようとしてたのに石田の馬鹿が急に謀反なんか起こすからいきなり総力戦になったからな
焦るわ >>993
三成以上に、上杉の喧嘩売るなら買ってやるって態度の方が
不思議なんだが (勝算あったのか ?)、そのあたりちゃんと
描いてくれるかな…
後、この間の NHK 歴史探偵でやってたけど、三成からの
書状で上杉-伊達の連合軍構想なんかも 上杉は単に戦国脳だろう
豊臣政権の混乱につけ込んで短期的利益を追い求めただけに見える >>994
その番組は見てないけどそんな構想あったのかね
三成書状でそのような構想が述べられているものはないが、景勝書状に関東攻めのことが書かれてる
景勝が輝元や秀家、三成等に宛てた書状(8月25日付)では
・伊達と最上が申し合わせて上杉に敵対した
・すぐにでも関東へ攻め込みたいのは山々だが、伊達最上を放置しておくことはできず対処するよう家臣たちに命じた
・しかし家康が上洛すれば全てをなげうち佐竹と申し合わせて関東へ乱入する
・9月中には佐竹と相談して関東へ攻め込むつもり
景勝は伊達と最上のことが解決すれば関東へ攻め込むと言っている
また「佐竹と申し合わせて」とは言ってるが、伊達や最上と連合してとは言ってない
まあ伊達最上を下してそれを自軍に組み込んで関東へと読み取ることもできなくはないが
景勝は家康が上洛すれば全てをなげうってなんて威勢のいいこと言ってるが、伊達最上と敵対しつつ
宇都宮にいる結城秀康にも対応するとか非現実的でリップサービスの類だろう >>994
一応、上杉は白河辺りにガッチガチの野戦築城しててそれで徳川を迎え撃つつもりだったぞ >>998乙
伊達も上杉攻めを積極的に行わず、佐竹も微妙。マジで戦ったのは最上だけ
戦後の論功行賞で最上厚遇、伊達佐竹は冷遇されてるけど伊達も場合によってはどっちに転ぶか日和見してたんじゃない このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 100日 11時間 35分 20秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。