ゆうきまさみ総合25【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合24【新九郎 奔る!】
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 今日のが10号だったからやはり11号掲載が正しかったか ギャバンは判るが、その前後のレス、元ネタあるんかいな? 今週号の著者コメントページには13号からって書いてあったような 巻末の目次&作者コメントページには13号からと書いてあったよ 来週月曜の11号だよ。
スピリッツ紙上の予告は一度も間違えてないし。
ゆうき先生が自分の締切は掲載のひと月前なのと正月休みで
再開号を間違えてTwitterにつぶやいちゃっただけだろ。
今はTwitterにも訂正のつぶやき出てるよ。 なお13号には聡明丸が登場だそうな。
駿河いく前に数年分の京での話ってことかな。
でもまだ1471年なんだけどな。
ネームが大変だったとツイートしてるが
ストーリー作りが難しかったってことだよね? そもそもが、
畿内の情勢と坂東の情勢とが相互作用のカオス状態な時代で、
それにガッツリ関わった一個人が主人公だからなぁ 荏原に行きたいけど無理なので
大井町線の荏原町でがまんする
静嘉堂文庫美術館は赤坂に移るけど
あの建物は今まで通り維持するそうです
でも内部公開とかはしないのかな? >大井町線の荏原町でがまんする
新九郎も言ってたけど、本当に岡山以外にも「荏原」ってあるのね。 品川から南の大森蒲田池上目黒あたりは荏原郡といって多分一番有名な荏原じゃないかな
焼肉のタレのエバラもここが本拠地 ポンプやタービンの荏原製作所はエバラ食品と同じ東京都の荏原が名の由来だが、三管領の畠山一門で能登守護の家系の末裔が創業。 自分はむしろ「へー岡山にも荏原ってあるんだー」でしたね
東京の荏原は江戸時代までは目地の続く限り田んぼや畑で
水車小屋がたくさんあったそうです。
そのために幕末には住民の反対を押し切って
水車小屋を利用した火薬の生産工場が作られ
その工場で爆発事故があり大勢の人が亡くなったとか 目黒や池上が水車小屋ばかりだったって池波正太郎で読んだ気がする
藤枝梅安か剣客商売か鬼平犯科帳かは忘れたが
あれ?
もしかしたら半七捕物帳かも >>43
へー、エバラはそこから来てるのか。
漢和辞典によると「荏」は名詞だと「青じそ」、形容詞だと「弱い」「大きい」の意味らしいけど、
要は「荏原」は「青草が生えてる野原」のことなのかな。これだとどこにでもありそう。 荏胡麻の荏っていう認識だったが
単体だと青紫蘇なのか
荏胡麻は大きいゴマ?
かと思って国語辞典調べたらシソの香りがするゴマなんだなあ、納得 ゆうき氏のツイッターによれば、応仁の乱の東軍総大将今出川殿足利義視が伊勢に出奔した際に落武者狩りに遭った近江国田上庄は伊勢駿河守の所領だったらしいとのことだけど、駿河守家が良く分からないな。ググると貞が当主の通字らしいので伊勢宗家に近く伊勢守の指令で動く家なのかな?とりあえず新九郎奔るには出てきてない家、人物だが誰か知ってたら教えてくれ。 半端な事をするからあんな事になるんだ
素通しするか皆殺しにするか
まあ思い切り笑い者に出来たんだから逆に皆殺しにされても悔いなんか無かっただろうが 伊勢駿河守で検索したらこんなん出てきた。
https://iidakoendo.com/2053/
伊勢貞雅という人物の手の物になる鞍だが、製作が
1449年ということは足利義政が将軍になった年。
貞の字がつくということ伊勢伊勢守家の庶流なのだ
ろう。 伊勢貞親の祖父、貞行の弟に貞長という人物が
いるのだが、その子に貞家という人物がいて、
駿河守を名乗っていたらしい。たぶんその子孫
なのだろうな。 田上って書いて「たのがみ」だったら今、立命館あるあたりか? 田上城というのが石山寺の南のあたりだから、
あのあたりを総称して田上荘というんだろう。 将軍様とか京都の有力者登場時にいつも画面に1人なのが不満
従者とか山ほど居たはずでもっと偉そう感を演出してほしい 何十畳もある大広間なんてこの時代は寺の講堂くらいだし、将軍の住む花の御所も敷地は広いけど建物自体はそんなに大きくない
例えば盛定が義政に釈明するシーンで表現されてるけど盛定は「内」の畳の間にいるが新九郎は「外」の廊下、そして義政と富子は盛定のいる間と続いてるけど一段高い間にいる
このように立ち位置ではっきりと身分や待遇の違いがわかるようになっている
ちなみに畳はこの頃は身分のある人が座る座という扱い なので、畳を敷き詰めた部屋というのは大変な贅沢だしそこに上がれる人もそれにふさわしい身分ということになる >>61
わりとそういう場面少ないんだよ
私的に貞親を訪れたり、内輪の宴席だったり
例えば、新九郎が元服後義政にお目見えしたあとの義視は供を大勢引き連れてるけど、あの後義政と対話するにあたって席があるのは義視本人くらいだと思われる
義政が貞親に引導渡すときも先触れの小坊主とかはちゃんと描かれてるしね
将軍家のこういう行動には嘉吉の変(供回りの数連れてたって本気で殺しに来たら殺されるぜ)関係あるかも >>64
あの場面では帝は冠を着けていない顱頂姿なので私的な場所での非公式な会見であることがわかる 一休さんの将軍様は一段高い繧繝縁の畳に座ってたとおもうが、ただその床は板間ではなく、緑色だったので普通の畳が敷いてあったのかな? >>66
40年以上前だから和室=畳敷きなんだろう
江戸時代には街中の一般庶民の家まで安畳が入ってたんだから 今残っている江戸期の建築物だと畳敷の広間が多いから、どうしても畳敷が普通って感覚になっちゃうのは仕方ないのかな。 基本は板間で、身分の高い者は厚畳に座し、低い者は板間に直座りと解釈してよろしいでしょうか。 円座使ってたんちゃうかな?
板敷にずらっと流れて迎える側やもてなされる側の連中も 太平記は板敷きが基本で畳や床几出して座ってたな。
真田太平記は畳敷きだった。 >>65
非公式とはいえ相手、帝なのがやはり気になるw
家、某藩の典医の家系。じいさまのじいさまが幕末の人で、
「殿さまとは直接口もきけなかった」そうな。さすがに糸脈は使ってなかったみたいだけど。 江戸時代の話なら、将軍の碁打ち将棋指しは
身分は町人のままだけど、苗字帯刀と将軍お目見えを許されてたとか >>75
まあ、言われるほど身分制度ってのも画一的なものじゃなかったってことかね。
>>70
甲冑の着脱が日常的だった時代は、腰を下ろすと畳がしょっちゅう傷んでしまうから、
武家の家の板敷→畳の移行は、江戸以降だという話を聞いたことがある。
もちろん、貴人の家なんかは畳敷きの応接室もあったんだろうけど。 新九郎、春王のお気に入りになったか
義尚、結構家臣の好き嫌いが強そうな人物だが 「うわー困った」じゃないだろうに。欲のないのが新九郎の美点だが。
福寿丸は亡くなったんだね。春王は余計に淋しいんだろう。 こうしてみると義尚の存在も新九郎を京へつなぎとめてたということなのかな 明応の政変の後かぁ
1話のあのセリフは貞宗を念頭においたセリフだったのかな 福寿丸は伊勢貞陸の伝えられる生年と同じみたいだから亡くなってるとは思えないが春王と会えない理由があるのかな
今回聡明丸出てこなかったがやはり次回掲載の13号に登場するのか >>78
なんか兄と同じで面倒になりそう
親父は自分の兄貴と会いたくないしで 春王様「福寿丸はよく訪ねて……」の後は下痢をこらえてるんじゃないの? 細川勝元やべー顔になってるな、西軍総帥山名宗全は
出番無いがどうなってんだろ 春王(後の義尚)は美男子で知られてたんだけど、この時点ではそうでもないのが
多分聡明丸(政元)との対比なんだろうけど
あと、新九郎に作ってもらった木馬への愛着や遊び相手の福寿丸に会えない寂しさに涙するところは子どもらしくて可愛いけど、のちに様々な弊害を引き起こすお気に入りの文物や人物への執着がもうほの見えているような
将軍になってからは絵巻物を見るのを好んであちこちから借りまくったけど、借りパクされるのを恐れて持ってないと偽ったり早期返却を条件にする持ち主が多かったとか 流石ゆうきまさみ、充電明けで読みごたえタップリだったわ
後の将軍にここまで懐かれたら内心大喜びだけどな
貞宗ら大人達にもそのこと誉められてたしチョイ不自然
福寿丸って誰だっけ? >>88
翌年に勝元が東西陣営で停戦しようと画策するけど宗全が首を縦に振らず決裂、その翌年に両者とも死去。
なので、残り時間は僅かだね。 義尚の死因はアルコール中毒っぽいし、先行きが曇る展開多いんだろうな >>84
挨拶できなくてすんません、隔離されてたしええんやでというやりとりもあったし、本当に限られた出入りしかなかったんだろう。
特に、弥次郎が麻疹にかかっちゃったし、遊び相手の福寿丸との接触は避けていたんじゃなかろうかと。 義尚は義尚で癇癖が強そうだからなぁ
まあ義政が実権握り続けてたせいもあるけど 運が悪ければ東に行くこともなく義尚と一緒に出陣コースだったかもね
姉が行ってなきゃ確実だったかもしれん 新九郎の二度目の駿河下りの直後に義尚の六角征伐が始まってるんだな 本人に自覚は無いが都より地元って所に戦国大名への胎動が始まっている感じ >>92
宗全入道、勝元、そして景信じーさんとバタバタ死んでくんだな
で、義就アニキと景春アニキが暴れだす、と
楽しみ楽しみ 聡明丸の再登場が楽しみだな。
日出る処の天子の厩戸王子を
彷彿とさせたりして。 そういや弥次郎は聡明丸の
遊び相手に推挙されたんだっけ。 >>100
次世代に最悪の種を蒔いて知らん顔だった点は共通してるなw 右京大夫は死相が出てるな…
貞宗が表紙なのはびっくり
聡明丸の口から春王についてどのような言葉が発せられるか
楽しみのような怖いような >>103
私、未来の政変の主役です、って感じかな >>104
来週は誰が表紙だろうか
>>102
どっちも美少年 >>105
そしてどっちも女嫌い
漫画のキャラとして押しポイントなのは確か 今回の大河で「これなら盛定スクリーンもOKだ!」
ってシーンがあったそうだけどそうなの?
>>106
皇子は母親に拒絶されたのが原因だけど
聡明丸は生来だからなあ 筋金入り 結局時代考証にこだわればこだわるほど
なんらかの形で解説せざるを得ない
エンタメは特にね
そして文字情報で伝えるのが一番手っ取り早いわけで 時代考証っつーても、重要なのは
登場人物が持ってる世界観とか、直面している社会的問題とかであって、
それ以外の枝葉末節は、雰囲気の表現にプラスするか、
分かりやすさにマイナスになるかって程度の要素でしかないと思う
結局、我々とは異なる時代と、我々と同じ人間によるドラマを
面白く成立させられるかどうかってだけの話
そう思うからこそ、スクリーンが出てこようが、カタカナ言葉が出てこようが、この漫画を高く評価してるわけで 新九郎原作の大河が実現しても、
官途や受領名じゃなく、「貞宗さま」「勝光さま」とか呼ばれそうだな。
「真田丸」とかではがんばって、メインキャラ以外にもできるだけ採用してたけど。 現代劇では上司は役職呼びが普通なのにね
ただ時代劇ではその役職が無数に多いというだけで
テロップ出しっぱなしで処理してもええんやないやろか 時代劇で役職名が一般に浸透しているのは浅野内匠頭、吉良上野介といったごく一部だしね 仮名や通称や輩行名、法名に雅号なんかも含めるならもう少し増えるよ
半兵衛、官兵衛に慶次郎、鹿之助、謙信、信玄…
如水、幽斎、有楽斎に三楽斎…
官途名がデフォなのはほかに大谷刑部、古田織部、大岡越前、上泉伊勢守、柳生但馬守
講談やドラマで人気があった人が多い感じだね
信長の野望なんかでも昔は通りのいい名前だったのが、覇王伝あたりから諱一辺倒になったのもそんなの影響してるのかね
女性はすごく雑に名前つけたり非実在のキャラ出したりするくせに 画像情報と文字情報が揃ってる漫画、ゲームならまだしも、
文字情報が増えると集中して視聴しづらい映像作品の場合は、名前の呼び方は分かりやすさ重視でいいと思うがな
画像情報を基本的には欠いている小説の場合も、登場人物の呼び名の変化への対応は、慎重に行かざるを得ないわけだし
そんなことより、登場人物が何を大切にしているのか、どんな問題を抱えているのか、どんな束縛の中にいるのか、
どんな行動原理で動いているのかを分からせる力量が、しばしば脚本家に欠けているのがな
挙げ句、現代人でも共感しやすいような描き方に逃げて、現代劇でやれよ、歴史劇でやる必要がどこにある?ってなことになる こういうのが結局難しいからじゃあ三英傑でいいか?ってなる
来年の北条義時も厳しいだろうな
前半は源平で有名なのも多いけど中盤以降はキツい
後鳥羽上皇に頑張ってもらうしか無い 13人もキャラ付けできるか
三谷の手腕がミモノやね
個人的には御先祖讚が出てくるかどうか
ナレ死でもいいけど 13人って合議制の13人?
北条親子に三浦・和田、比企と梶原と安達&足立、
あとは常陸守護に文官4名か
どうでもいいやつ多いなw 足立なんて出番あるのか?
問題は結局、後鳥羽院や御家人たちよりも、政子をどう描くかじゃねーか? 時政、政子、義時に牧の方
それに頼朝、頼家、実朝、公暁に頼経
梶原景時、比企能員、畠山重忠、和田義盛
それから朝廷側と大江広元、安達景盛あたり? 景盛は親父のオマケってイメージしか無いが、クローズアップされるんだろうか?
義時にしてからが、何をやったのかよく分からん人物だし
政子をお飾りに過ぎなかったとするんなら、たいてい義時がやったことにできるんだろうけど
景時、能員、重忠、義盛あたりがワチャワチャやってて、
義村が裏で怪しい動きをしてるってぐらいが見てて面白そうではある 宝治合戦も宮騒動も義時の死後だから三浦家はわりとモブ寄りでもいいかなと思った
でもそれを言えば安達景盛もそうか… >>115
一番の注目は後の一門体制につながる息子たちの描き分けかな
特に泰時と朝時の嫡庶問題とか 表紙の人物名鑑は続けるようなことをゆうき先生は言ってるね
そういえば「じゃじゃ馬」の調教師列伝続けてほしかったなあ >>90
何十年ぶりだかに、将軍が具足つけて騎馬で出陣したってんで
洛中お祭り騒ぎだったそうだな
落ちる所まで落ちてた足利将軍の権威を一気に建て戻したとか 江川酒って、新九郎と何か絡めてくるんだろうか?そもそも伊豆攻め後の話だから、そこまで連載が続くのかという話かもしれないけど。 >>120
三浦は承久の乱で勝敗を分かつキーマンだし >>90
義尚も政元も朝廷権威を当てにしない実力主義では共通なんだよな 義尚を戦狂にしたのは新九郎が渡した馬が原因だったのかも 今の所の新九郎自身はどっちかというと「ここだ!突っ込め!」ってアクセル踏むよりは
「これはまずい!しっかり状況を把握しないと」ってブレーキ踏むタイプのキャラだと思うし
義尚の傍に居た新九郎が駿河に下ってブレーキ役がいなくなった結果が鈎の陣につながるって展開もあるかもな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています