ゆうきまさみ総合25【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合24【新九郎 奔る!】
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>282
「蝸牛考」、言葉は知ってたけど意味はいまググってみた。
ミンミンゼミの件と言い、このスレは勉強になるな・・ >>283
変な密談されないように監視するって感じか >>282
方言周圏論だっけ?柳田國男だったか?
松本清張がネタにしてたような >>286
「全国アホバカ分布考」って本が20年以上前に出てたな 花の乱見てて応仁の乱の内容さっぱり分からなかったけどこの漫画で何となく分かりました >>288
中公新書の応仁の乱と合わせて読むと互いに良く分かる >>290
古典的な話で言うと道灌が今川の争いに介入してきてかちあうんでしょうが 新九郎が1432年生まれなら、ツヤツヤむっしゅうと同い年なんでいい勝負ができそうだけど、
1456年生まれの新説を採用してるし、キャラ設定を比べてもちょっと勝負にならなさそう
直接の接触は無いか、申し訳程度のサービスエピソードになるんじゃないかなぁ
景春アニキ(思いっきり暴れまわってもらいたい)や定正クン(ちょっとしっかりしろよ……)とは
ガッツリ絡むはずだから(竜若くんには無闇に敵を増やす趣味があるw)、
それは楽しみだけどね つやつやむっしゅう♪
>>279
それもあるんだけどどうやって小説書いているのか気になって >>293
最近は知らんけど、以前の北方謙三の歴史物は男の生きざまみたいなのに筆を費やして、
時代背景とか細かい歴史考証とかは二の次だった気が。
面白くて読んじゃうんで、筆力は大したもんだと思うけど。 聡明丸受けだと男性向け
弥次郎受けだと女性向け
なのかね、やはり
昔の少女漫画なら聡明丸受けなんだろうが >>295
下剋上主君受
タカビー受
が女性向け
しょたしょたしい従順受
が男性向け
独断と偏見だけどね >>300
セオリーならそっちかとも考えたが
弥次郎くんが成長して男性向けの基準をクリアできるルックスになれるのだろうか >>299
秋天ボロ負けまではライスシャワー
そっからはいろいろ混ぜてる(ラストの有馬はテンポイントだし)
ただハッピーエンドで終わらすのはほんとに競馬ファンらしくて嬉しくなる
優駿の門とかシルフィードの作者ならモデル通り殺してたな 最終話は良かったねー
あれと白クロな。
ウマ娘にライスシャワー出てるんだっけ
アレは辛かったなぁ >>302
ラストの有馬もテイオーでは?騎手考えると
終始先頭2頭以外別次元のマッチレースって感じでもないし
2着続きの距離を問わないいまいちぶりはカミノクレッセ状態だね 何で宗全に会いに行ったかな和睦勧めるのかなと思ったけど
もしかして義視に会おうとしてるのかな新九郎は この漫画だと貞宗の従兄弟で亜々子聡明丸と面識あるってポジションだから
伊勢家一族で宗全と接触する最適任者になるね
中世は今よりもっと人脈=利権だったりするから
ここで成功したら物凄く美味しい。 >>306
だいぶ前に「あの方には直接言いたいことがある(死んだ兄の八郎の件で)」、
みたいなセリフを大道寺太郎にこぼしてたから、そうかも。 形式上は、那須氏って備中伊勢氏の被官ではないのかな?荏原荘の地頭は東西いずれにしても伊勢氏なんでしょ?
那須氏のご先祖が何かしくじって地頭職を改替されて、堪忍分だけは安堵されて山奥に引きこもったという構図なのかな >>310
作中だと土豪扱いみたいね。
荏原の北方の土地は間違いなく那須家支配で、土地を持っている地侍、もしくは土豪。
中央の幕府が任じた直臣である伊勢家の下知に従う立場ではあるんだろうが、室町幕府成立前の鎌倉の時代から支配してきた以上、いくら幕府といえども理由もなく土地を取り上げるわけにはいかないので、そのままだったんだろう
だが荏原郷の城代衆のような被官=給料を土地持ちの領主からもらう立場でもなく、
幕府から見れば陪臣ではあるが領主。あまり無碍にもできない。
領主の下に領主がついてる格好だから、カモンの助もなあなあにしてなんとかうまくやり合ってきたんだろうしそうしたいという気持ちもわかる
戦国時代になっても地侍や土豪の与力なしには戦国大名は成り立たなかったとか言われてるし、決して侮れない地元勢力だわ 備中那須氏は後醍醐天皇が隠岐を脱出した時庄氏らと共に真っ先に参内したり、足利尊氏が京を追われて九州 に没落する途上で参陣してたりするので往時はけっこうな勢いだったみたい
(井原市南部に居館跡が残ってる)
その後荏原に伊勢氏が来るといいところはとられたようだけど
現在岡山県には伊勢姓はほとんどいないけど那須姓はかなりいるので一族は多かったんだろう そういや荏原荘には伊達氏の分流もいて小田川の南側に居館があったそうで、いくつも所領が入り交じってたみたい もしかして備中が守護不入の地ってのは、そういった幕府直参とかの小領主がいっぱいいたからそうなってるのかなあ >>311
>>315
土豪・地侍と国人をごっちゃにしてないか?那須氏は国人だろ。国史用語として両者は全く別の概念。
土豪・地侍が室町殿の直臣というのもありえない話だし。 伊勢氏が知行する荏原荘が守護不入ということで細川氏の備中守護家が代々備中の守護を務めてる
ただ他の守護大名関連の所領もあって統治が面倒な国だったようだけど おそらく伊勢氏と那須氏の関係は、荘園制における地頭と有力名主の関係だったんだろう。本所に対する貢納義務を遂行するのに必要な限りにおいては一定の支配関係があるけれども、それは封建的主従関係ではない。
荘園制的な土地重層支配が解体して武家一円知行へと向かう趨勢の中で、両家の支配関係も形骸化しつつあったというところかな。 そういえばこれまでの連載では荏原荘における領家や本家の存在感が全くなかったな。ストーリー上の都合で省略したのか、それとも早くから武家一円知行が進んでたのか
この時代の西国の荘園だと、本所の影響力が皆無というのも珍しいような気もするんだが。 >>317
新九郎が仲裁を頼んだ庄氏も細川京兆家の内衆って立場だけど
備中では相当でかい影響力を持ってたらしいねー 地元民としては、井原市の土豪(でいいのかな?)だとまず藤井氏が有名なんだが、
まあ、この時期にはもう荏原にいたらしいけど、まあ出てこないだろうなあ。
藤井、難波、妹尾の次くらいが那須かな。 基本的に土豪・地侍というのは、百姓身分の上層で年貢を賦課される側ではあるけど、国人領主と主従関係を結ぶ(被官化)ことによって貢納を免除されて軍事奉仕を行う階級のこと。
支配領域で言えば村単位(明治以降の行政村ではなくてそれ以前の藩制村、自然村)、軍事奉仕の規模でいうと自身騎乗で数人の下人を伴う程度かな。作中で「地侍の三男なんて百姓と変わりません」と言ってるのは、地侍としては結構有力なレベル。
この地域の郷土史はよく知らないんだけど、作中の那須氏なんかは国人とはっきり形容されてるし、土豪より一段上の身分じゃないかな。 そもそも名字が鎌倉幕府の御家人として知られる那須で、一族が細川京兆家に仕えてるんだしな
基本、地頭クラスの先祖代々の地方武士が国人でしょ
それが次第に武力持ちの農民である土豪でも有力な連中と区別されなくなって国衆と呼ばれるようになっていく
守護や有力国人などから上手く国衆の上に乗っかることが出来た者が戦国大名だ
平安時代にも同様のことはあって、朝廷の政策で古墳時代の地方豪族の子孫である郡司の力が削られていくと、
税を取られる側から相対的に有力者となるものが現れて、富豪とか呼ばれるようになっていく
受領による地方支配が確立してくると、郡司も生き残りのために富豪と一緒くたになって、
土着した王臣の下に付いて武士団を形成していくことになる >>322
「土豪」ってのはそういう人たちなのね。新九郎作中では那須は国人だけど、
地元だと、那須は大昔(ここらへん曖昧)は武士だったけど、帰農して百姓のボスになった、
昔から続く地主さんっていうイメージかな。妹尾もそんな感じ。
その点、藤井氏なんかは城持ちだったし明らかに国人になるのかなあ。
いずれにせよこのマンガで、郷土史に興味が出てきた。
「中庄」ってところも庄氏の領地だったんだろうな。 どの階層の人がどんな階層の人かいまいちイメージが湧きづらいが、
守護>地頭=国人>地侍>>土地持ち農民や庄屋>小作人>流浪人や足軽
くらいの位置付けかな? 新九郎の場合、父の受領名が備前守だったから、本来は守護職の次くらいの位置付けだったのが無位無冠になって、良くて地頭か国人クラスに落ちたと言うことでいいんだろうか 無位無冠とは言え政所執事の身内と言う境遇は変わらないし、細川京兆家やその内衆の庄氏ともコネがある
公的にはただの国人領主だけど何かあればコネを活かせると言うのは有利
その分良いように使われかねないけど 領主というか地権持ってる人が誰かによって階層も異なるんじゃないの
まだ荘園というのが残ってて武士による支配や管理が及ばない土地もそこそこ残ってる時代だろ 興福寺なんて、事実上、大和国の守護だもんね。
それが江戸幕府になったら、一万石大名程度に領地を召し上げられるんだから、
江戸期に火災で焼失した伽藍は、再建に相当苦労したり、未だ再建できてなかったりする。 九条家領荘園群の研究によると、近畿や西国など近国の所領まで完全に不知行になったのは天文年間というから、もうそろそろ信長が上洛してくる時代。
それより100年ほど昔の新九郎の時代なら、備中のような都に近い地方では貴族領寺社領はまだかなり残ってたんじゃないかな 貴族がまだまだ実権を握れてた時代だから荘園もあったのかもね。
寺社地に関しては荏原郷に関しては父ちゃんが寄進してるくらいだからむしろ増えてる 話の具合から察するに、寺の土地は伊勢氏と那須氏の土地の間っぽいので、盛定が那須と揉めることを嫌って寺領にしてしまったんじゃ無いかと思ってる 将軍が朝廷内部にいるからな
貴族たちがへつらう価値のある権力を将軍が持っている限りは、荘園も維持されてるだろう
少なくとも建前としては、室町体制は関白と将軍がそれぞれ文武で天皇を支える体制で、
実際的な力を持ってる限りにおいて、将軍のほうが関白より立場が上だ 室町時代は貴族の力も大分落ちてきていて、実質支配できていない領地も多い
室町幕府が丸抱えで貴族を養っているのに近くなってきている 高越山城の話が出てたけど
当時の城は戦国時代の城と一緒にしちゃいけないよね
まず動員できる人数が全く違う 今劇中で、山名宗全、細川勝元が死にそうってことは
文明4年1472年の年末辺りか文明5年1473年の始めあたりなのか? 寺で思い出したけど、珠厳さんはどこの寺の僧なんだろう?所領を継がない庶子は一族の菩提寺や檀那寺の住職として送り込む(そうして菩提寺に寄進した寺領も間接的にコントロールする)のが通常だと思うんだけど、法泉寺の住職さんは別人だったし・・・
まあこの時代は形だけ出家しても入寺せずに娑婆で活動続けることも多いけど >>337
法泉寺はそもそも盛定が建てた備前守家独自の寺らしいから
それ以前からあった盛景というかその父ちゃんの盛綱の系統(肥前守)が建てた寺があるんだろうね 父ちゃんの建てた寺は曹洞宗なのか。
てっきり「備前法華」のフレーズ通り、法華宗かと思ってた。
なお備前の法華宗拡大に力を注いだのは、国人の松田氏。
(新九郎が初めて荏原入りするときに途中まで同行させてくれた、奉公衆のひとり) ゆうきまさみのロングインタビューを買ったが
LAST STEPというグルーミンのその後のエピソード(ひびきの出産)があったのね
どこに収録されてるんだろ >>341
最終話の事だよ >LAST STEP
最終話前半でダービー後、帰道してダービー中に出産したひびきと新生児(響平)と初対面。
後半で15年後(だっけ?)のダービー当日の響平中心の府中(渡会家)の様子
最終ページが牧場の駿平とひびきで幕 >>340
新九郎が駿河下向後に関わる長谷川氏が建てた林叟院(焼津)や伊豆の修禅寺(修善寺)は曹洞宗 司馬遼太郎的には臨済宗じゃなかったっけ?
曖昧な記憶だけど >>343
自己補足
その2ヶ寺に入った坊さんが伊勢氏の縁者らしい >>348
そもそも修禅寺の住職は、新九郎の叔父さんじゃなかったかな? >>349
あー、宴会の時1人だけ蚊帳の外でのんびり新九郎と話してたあのおじさん、坊主だったな
あの人かな
京に遊びに行った時?盛定に京都観光案内してもらったと言ってたな。
あけられよあけられよ 叔父か伯父かわからんが、盛定の5人兄弟のうち、
長男と、かもんのすけ、盛定が領地をそれぞれ継承してるからあと2人が出家してるとすれば計算が合うな 一応番外編で兄弟が顔並んでたっけ?
盛定の若い頃の番外編 >>348
なるほど、足利幕府的・将軍家家宰の伊勢本家的には臨済宗なんだろうけど、
新九郎は父方の実家の宗派を採用してるんですね。 まあ武家は臨済宗っていう一般的な認識があるんだろうしな。
ちなみにうちは(過去帳に残ってるのは江戸末期から)代々
農民だったみたいだけど臨済宗だな。多分、名字を貰ったお城の
お殿様が臨済宗だったと見た。親戚は法華ばっかりみたいだが。 >>340
その備中松田氏と、後に関東で後北条氏重臣になった松田氏は、かなり遠い流れだけど同じ一族なんだね。
「オレオレ、オレだけど、備中で一緒だった松田(の遠い親戚)だけど」と言って仕官した、かどうかは定かではないが。 >>356
いまウィキみたけど、もともと関東にいた遠い一族なのね。
てっきり備中松田氏の誰かが関東まで新九郎にくっついていったのかと。 >>354
地方の国人、土豪レベルだと地方によっては曹洞宗
遠州守護が斯波氏だった時代に越前から招かれた僧侶が森の大洞院を開いて
その弟子が荏原の隣・矢掛の庄氏に招かれて洞松院を再興し
その弟子が遠州の国人・勝間田氏に招かれて石雲院を開山し
勝間田氏が今川義忠に滅ぼされるのに前後して、石雲院の弟子が静岡県各地の寺(前述の林叟院や修禅寺など)を開山したり中興した
ちなみに勝間田氏の残党は御殿場に流れており、タレントの勝俣州和はその末裔と思われる >>356
庄氏や那須氏みたいに、むちゃむちゃ発祥の地から縁遠くなっても同族意識ってあったのかな
あったとしたらそれをとっかかりにして当時飛ぶ鳥落とす勢いで拡大していった北条氏に接近してたってのは自然だね
オレオレ士官もあり得たかもw
大道寺とか存竹とかの備前以来の譜代で固めた御由来衆とか作ってたくらいだから、系譜は大切にしてたのかも 在竹氏は大道寺氏や笠原氏と比べると中堅どころの家臣という感じでそれほど目立たない
北条氏滅亡後会津藩に仕えた一族もいたようだ
ちなみに神田竹橋は江戸城が北条氏の城だった頃、この近辺に在竹四郎という人物が住んでいたことにちなんでいるという説がある 松田氏の名字の地は小田原から15キロほど北に入った丹沢の山裾、足柄上郡松田町。松田惣領と松田庶子という、いかにも中世武家っぽい地名が残っている。
>>359
関東の名族宇都宮氏の庶流豊前宇都宮氏(城井氏とも)なんかは、豊前土着の200年くらい後の南北朝期に本家から後継ぎを迎えてるし、400年たった戦国時代になっても本家のお家騒動の仲介とかしてたみたい。
中世武家の庶流の分立というのは織豊政権以降の国替えとは違って、本家は父祖の地からは動かないものだし、氏寺の維持や先祖祭祀とかでなんだかんだ交流があったんじゃないかな。 もうどっかの店で入手したか。電子版は0時まで待ちだ >>361
大河ドラマ「軍師官兵衛」で村田雅浩が当主の宇都宮鎮房を演じて岡田准一の黒田孝高(官兵衛)に誅殺されてたな。 多目権兵衛初登場だな。
この時点では横井の家人なのね、だから西軍の貞藤の屋敷にいたのか。 父親も母親も違うし、家も違うのなら義兄ではないのでは
貞宗と同じく血の繋がりのない従兄が本当のところだと思うが 新九郎の実父盛定は貞親とは義兄弟なので、貞親の実弟の貞藤も義兄弟。新九郎と貞職はそれぞれその子なので、義従兄弟だろ。貞宗も同様。 この漫画荏原以降本当に面白くなってきたと感じる
序盤色々描いてきた事が実ってきたというか
先は長いだろうけどこのペースで描き切って欲しい 同じ武闘派でも見るからに狂犬な畠山義就と表情一つ変えずに相手殺しそうな大内政弘という描き分けしてるのが面白いな
実際大内は和歌を嗜む文化人でもあったわけだし 大内政弘と細川勝元は、奥さんが姉妹なので義兄弟なんだな。 いやー最初から最後までいろいろと凄まじい回だったなあ
どのページも緊張したわ
>>377
そっかあ! >>375
大内政弘の母と、細川勝元の妻が山名煕貴の実娘、山名宗全養女で姉妹ね。
大内政弘と細川勝元はそれだけ歳が離れてるってことだ。実際20代と40代だし。 20代なのに新右衛門さんコラムでおっさん当主と言われてしまった政弘さん 宗全が聡明丸(政元)のことを気にしていたのは、彼が細川京兆家の惣領になれば自分の死後も山名氏が管領に対する影響力を維持できると期待してのことなんだろうな
多分そこが宗全と勝元の講和の重要な条件ということなんだろう
実際には政元の後細川氏の結束がガタガタになるわけだけど >>382
というか政元の時点で既に菅領職よりも守護大名としての方に軸足を移している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています