【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part 11
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
太子がひとりでふんじばったとでも思ってるのか
どこをどう読んだらそうなるのか
漫画も読めねーのか
とんだお笑い草じゃねーか、おい? 3巻読んだ
八万愚童訓がくると一気に嘘っぽくなるなあ
なるほどこう来るわけね
一日で終わった鳥飼干潟の戦いの午前は負け戦で援軍もなく絶望
午後になって我らが朽井迅三郎の参戦で大勝利と 八幡愚童訓だと初日は負け戦で引いて夜に八幡様の御使いが追い払った事になってるから
出て来るなら夜襲からかもね >>71
古日本語だ
このスレにいるなら鎌倉日本語も知ったほうがいい 都市伝説証拠はないよ
誰がそんなほら吹いたんだろね
バカみたい 3巻ってComic Walker最新話より先まで載ってる? 毎度のことだが何故なんだろう?
連載媒体より単行本の内容が先行してる漫画って他に見たことないわ >>74
そこを掘り下げようとしてやっぱり止めたんじゃないかなー 義経ジンギスカン説は話としては面白いよな。
矛盾点、否定する証拠がないし。
あと武士とモンゴル人ってスキルが似てるよな。 >>79
他にないくらい細切れにしてWEB掲載してるから
作者が書き上げて編集に届けた話の最新掲載話という意味では揃ってるんじゃないかな? 後でいいから壱岐の事は描いて欲しい。
あと文永の役 、つまり博多編は6巻くらいでまとめて欲しい。
対馬編はフィクションだから除くとして、文永の役と弘安の役で合わせて13巻くらいでまとめて欲しいね。 >>81
日本人て、馬鹿だよな…白人にしても歴史の偉人にしてもさ、もし日本人だったらとか言ってさ、憧れかな?そんなもんがあるよね……しかも、日本に攻めてきた蒙古何かを義経だのとさ………
ナチスドイツと短期だけど、同盟だったとか言ってありがたく言う馬鹿な日本人もいるし…… >>81
話としては面白いんだろうが
矛盾点はあるぞ
当時から当たり前のように否定されてる「お話」でしかない 義経は小柄でジンギスカンは大柄ってのは遺品とか伝承とかではっきりしてるんだが
三浦建太郎作画のジャパンでは、大柄な弁慶が同行してたからってことにしてたな >>81
普通に出てきた当時から学者から論破されまくってる 新刊読んだぜ
>>73も言ってるが、朽井はかなり有名人なんだな
主人公らしさが高まってきたな ちゃんと古式泳法で泳いでいるな朽井くん。意外と細かい。
鎌倉だから海で水連もしていたのかねえ、弓馬に加えて >>86
チンギス・ハンは文字の無かったモンゴル人の出ながら、
幼少時から兄弟や古くから仕えた部下(四駿四狗等)のエピソードもかなり伝えられているからな
たとえ姿格好が似てたんだとしても、
義経が成り代わる余地などなかった
>>88
土地を大事に守った「一所懸命」の武士と、
領有地に拘らず異国へ平気で踏み出して行ったモンゴル人じゃ、
(どちらが良い悪い関係なく)メンタルが違いすぎるわな 小便漏らして「あぁ〜」ってなってる豪傑を見ると、
はだしのゲンを思い出すな
全裸で「わしが大将じゃ〜」って言ってるオッサンがいたからのう
チンギス霊「元、麦になるんじゃ!」
フビライ「おじい様、狼の間違いでは?」 しかし義経流がむこうにもあるのならなんぞ関わりはある
チンギスの参謀ならいいじゃろ
それか、だれだったかモンゴル軍のあの指揮官は義経の子供とか >>95
>それか、だれだったかモンゴル軍のあの指揮官は義経の子供とか
そういう設定なら有りなのかも >>95
壇ノ浦の戦い(1185)のとき
義経26歳、あんとく様5歳
文永の役(1274)のとき、あの義経流のあいつが
25歳だったとしたら、1249年の生まれ
義経公、御年90歳の御子かよwww
そりゃ頼朝にも警戒されるわwww >>97
90歳でも立つし女も濡れる
なんも知らんのな シュトヘル読んでるとチンギス・ハンに良い印象ないので
=義経は勘弁してくれ
大陸に渡った説は採用でいいから >>105
チンギスのすごいところは、
度々負け戦があってもしっかり生き残り、優秀な部下をうまく使って盛り返したことだからね
人としては稀代の戦術家・義経より、
戦略家な兄貴の頼朝のほうが近い しかも単行本の表紙で主人公が叫んでる感じの絵に「ハーン」って >>91
俺は船頭が操る艪が気になった。
櫂に比べると推進効率が良いらしい。
水泳は弓馬相撲の次くらいに重要だったのかな。
戦国時代の水泳は特殊部隊の軍事訓練みたいで泥臭いが、
鎌倉時代の水泳はもうちょっと違ったんだろうか。 >>113
日本の武士は甲冑着たまま泳げるように訓練してたんでしょ?。
蒙古の船に乗り込んだときに武士が船から落とされても、甲冑着たまま泳いできてまた乗り込んだって聞いたよ。 >>116
日本には甲冑着たまま泳ぐ伝統泳法てのが、あるからね。
その当時の武士は泳げたんだよ。
でも、蒙古側からしたら本当脅威だよね……落としてもまた乗り込んで来るんだから……恐ろしい鎌倉武士……… スパルタ、ローマ帝国兵士、鎌倉武士
俺の中の3大バーサーカー狂戦士 >>119
ローマ軍団はパルティアに騎射でボコボコにされたイメージがある。 >>119
アララララララーーイ!
のマケドニアも アンゴルモアの島津は麿呂系で余り強くなさそうなんだよな… というか島津兵と鎌倉武士は択一ではなく両立できる条件だろう まあ両立できるが島津は鎌倉から幕末まで頭おかしいからな
元にイギリスに当時世界最強国相手に戦争して勝ってるし >>127
あの戦争、イギリスは本気じゃないから。
なんだよ、スイカ売を船に寄せるとか。ピクニック気分じゃねーか バーサーカーはマムルークだろ。
モンゴル軍の正規軍を破り、十字軍をタコ殴りにするし。 >>119も言ってるスパルタが一番狂ってると思う
下はWikipediaから抜粋
>多数の被抑圧民を抱えたことから市民皆兵主義が導入され、
>日頃から厳しく訓練して反乱に備えた。
>ヘイロタイに反乱の兆しが見られると、
>クリュプテイア(英語版)(κρυπτεία)と呼ばれる処刑部隊が
>夜陰に紛れて彼らの集落を襲い、未然に防いだ。
>新生児は部族長老の面接を受け、虚弱者は山奥の洞穴に遺棄された。
>男性は7歳で家庭を離れ共同生活を送り、
> 12歳から本格的な肉体的訓練と
>スパルタ人としての教育(アゴベ)を受けた。
>軍事訓練の一つとして、
>ヘイロタイから物を盗み殺害することも奨励された。
多数の奴隷を恐怖で支配するためとはいえ、
訓練の一環として自国民への強盗殺人まで奨励するって…… >>113
現代日本の感覚では想像つかないくらい
時代を遡るほど水運の重要性は高い
政権の歴史が長い西日本は特に
壇ノ浦の合戦も水戦だったし
基本的なサバイバル技術の一つだったのでは >>135
その時代はそれが強かった
所詮あんたの脳みそ >>122
戦国期〜江戸時代の薩摩人が本当にひえもん取りをやっていたんだったら、
相当に狂ってるとは思うが……
http://i.imgur.com/xR4QXm0.jpg >>136
その時代って合成弓あったのかな。
騎兵が合成弓使ってきたらやばくね?
手持ちの盾なんて役にたたないよ。 和弓て長いのに、よく騎馬しながら撃ってたもんだな
騎馬の機動力と和弓の射程と威力と集団戦が合わさってたんたなら、もしかしたら世界征服できたんじゃないのか?鎌倉武士は。 合成弓を防ぐためには固定式の盾か、専属の兵が両手で持つような盾ではないと防げないだろう。
ローマ軍は生半可な盾で挑んで、合成弓にやられた。 三國志(魏志倭人伝)にも倭人の弓があの形と書いてあるわけなんだが
そのころはまだ馬はいなかったと考察されてるよ 和弓の弓は性能高くても、矢の方が貧弱で竹で作ってるから弓の張力に耐えられず、目標にあたった時に竹が割れて刃が食い込んで威力が半減してたな……フライパンでさえ貫通してなかった…ロングボウは確か、貫通してような 矢はシンプルにみえて作る工程多くて大変だから高いんだよ >>149
俺が見た記事ではどっちも貫通した上で和弓の方が深く刺さってるという内容だったが
1.6mmのフライパン >>149
それyoutubeの動画のやつだろ。
動画を載せた人が矢じりの形状と取り付け方に問題があると言ってる。
>>151
それは別の実験。森なんとかって人が行った実験で、
22キロの弓で1.6ミリのフライパンを貫通してる。
50キロの弓でも矢じりの取り付け方やその他に問題があれば鉄板を貫通できないし、
22キロの弓でも矢じりの取り付け方やその他が適切ならば鉄板を貫通できるのだろう。 ん〜?
日本武士が劣勢の描写ってそんなにあったかなぁ
チグハグだな 個々の戦場の記録だと絵巻くらいのもんで、結果は伝聞やら多すぎで蒙古が撤退くらいしか確定してないんじゃないか
八幡愚童訓に従うなら押されて戦々恐々のまま一夜を明かすのであってる
高麗の記録だと高麗軍は無双してたけど漢人軍が苦戦して難しそうだから撤退しようって、こっちはこっちで怪しげ >>高麗軍は無双
チョンw
無抵抗な相手から略奪してただけだろw
鎌倉武士には敵わないから逃げまくってただけなのに
昔から性根は変わらんなw >>155
白江村の戦いだっけか?……半島の東シナ海辺りで戦ったのがあったような……
んで、高麗と組んだ武士が負けたんだったような……
高麗て、本当現代でも貧乏神だと認識した…… 別にいいけど高麗って将軍様マンセーの地域じゃなかったか >>155
高麗の将軍の言い方って背水の陣になったらわが軍の兵士も奮起するからやりましょうってだけじゃね そもそも文永の役の目的や動機がどこにあったかが未だにはっきりわからんのよな
征服目的だったのか、それとも威力偵察だの脅しだののだったのか >>160
高麗人が大多数ってことは、
敵対した朝鮮半島の者達への懲罰目的で、
屯田目的で派兵したのかなって気がしないでもない
そういうやり方をモンゴルは好んだらしいしね 朝鮮半島が高麗時代は新羅って言ってたし、李朝時代は高麗って呼んでたしな
日本の認識はそんなもん >>161
色々間違えてたかも……
でも、高麗のせいで日本側が負けたのは本当だったような……… 本来の高麗(高句麗)とも王氏の高麗とも日本が手を組んだことはないよな
白村江では百済の残党だし、その後は渤海だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています