【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part10
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>518
元が敵対的な南宋人を大幅に減らすために、
わざと送り出したのかしら…… >>520
日本に弘安の役以上の大軍送り出して
その間に国内の反乱やベトナムとの戦争で
複数の戦線抱える破目になるからやばいのは元の方かも クビライの家臣の劉宣は「南方の新附の旧軍(江南軍)
は、十余年の間に老い病んで逃亡し出征で傷つき、そ
れまでの精鋭軍は海東の日本で敗北し、(弘安の役の後に)新たに招集された軍兵はみな武芸や戦争に慣れていないものばかり、これでは敵(日本)を制圧しようとしてもきっと失敗に帰すだろう」って述べている。
第三次日本侵攻しても、海に慣れた軍勢は壊滅し
もう勝てないってのが向こうの判断。 なんつーか
教科書で習った神風ってなんだったんだろw
史実を知ると敵が哀れだわ >>520
そこは日本軍が攻めたので。実際計画してたんでしょ? >>523
でもクビライはやる気だったんだよな
反対遭っても反乱やベトナムとの戦争で無理になるまではやる気だった 学校で習った元寇って圧倒的な軍事力と最先端の火薬兵器に圧倒され
その上日本は古来からの一騎打ちに慣れてたからボロ負けしてたけど
運良く台風で追い返す事が出来たと習った
いざこうやってクローズアップされたり、ネットで詳しい情報が載ってたり
研究が進んでたりして、日本も結構戦いで善戦してるのが分かって意外だったわ
教育機関のアレな人たちは、日本が善戦してると都合が悪いのかしら 代表的なの絵詞ね
本来撤退してるのは元なのに
切り取ってやられてる風に教科書に載ってる
本来の絵見たのネットだわ、ちょっと衝撃だった 今は一騎打ちにすらしてないって言われてるからな
まあよく考えたら絵詞で武士密集して戦ってるしな 仏教の某宗派なんて、
繰り返し「聖人様が元寇を予言した!」
「聖人様のおかげでそんな前代未聞の国難を脱することができた!」
って説き続けてるやん
武士が自力でなんとかできました〜、
じゃ困る人たちが結構いるんでしょう >>526
ベトナムの戦争の文字みて
アメリカのこと?と一瞬思った >>519
沈没船から人を寝かせる為の板が見つかってるんだよね
奴隷船よろしく船底に詰め込まれて運ばれてた可能性が
主な目的が棄民だったのは間違いないかと >>509
強さも違うけど、引き始めからある程度の強さがあるって事。
引き始めの重さが引ききった重さにたいして重ければ重い程良い弓という事になる。 >>526
第三次は最強たる中央軍を編成し差し向ける予定だったようで
実現していたら面白かったろうね
流石に大宰府だけじゃ防ぎきるのは無理
六波羅の主力軍とのガチの戦いが見られたかもしれない >>537
そんな消耗戦やったら勝っても日本もボロボロ
戦国時代が早まってたろうね >>535
人を寝かせる板が見つかってるって
寝かせるのは当たり前の話。
大軍なら尚更、人を寝かせる工夫は
するのは当然。
全く棄民かどうかとは関係ない。 >>540
いやあのねえ・・・
批判するのは結構だけど
当り前、当然、全く関係ない
ここまで言うならせめて理由を述べようぜ
ただ噛みつかれても気分悪いわ
当時の普通の軍船に当たり前に設置されてたの?
人を寝かせる工夫って例えばどんなの?
そうじゃないから注視されたわけなんでない? 江南軍は7昼夜の船旅だから寝床はいるだろ
ベッドがあったんなら雑魚寝じゃなかったことが分かる
どっかに船内図面もあったな
ぎしっと詰め込んで疫病待ったなしの船内環境を彷彿とさせるような船内図面
棄民とは関係ないね >>532
鎌倉時代:
武士団「恩賞マダー?チンチン」
鎌倉殿「(防衛戦争に勝っても領地増えないんだよなぁ...)」
寺社勢「我らが調伏の霊験こそあらたかなり!」
鎌倉殿「(それもらった!)うーん、神風w」
武士団「...えぇ...」
大戦末期:
大本営「...だいじょうぶだ...神風なら...神風ならきっと何とかしてくれる...ブツブツ」
天神地祇「いや、吹かしとくけどさぁ..負け戦確定っしょ。吹かしとくけど....」
コブラ「よろしくニキーwww」
ハルゼー「あぁぁぁぁぁぁ」
翌年のお盆
国民「....お空きれい...」
戦後:
日教組「ニポンジンみたいな未開の土人が、大陸の最新兵器に勝てる訳無いニダ!」
「運悪く台風に遭っただけニダ!ただの悪運ニダ!」
「てつはうバーンニダ!」「史料もあるニダ!つ【八幡愚童訓】」
「...こっちの史料は美味しいトコだけトリミングするニダ...【蒙古襲来絵詞】」
消防厨房「日本だっさ!」 >>542
いるだろじゃねえよw
お前ホント中身のないレスしか出来ないんだな
詰まらないからもうええわ >>543
一時逆侵攻計画あったのも、恩賞のための土地確保の意図があったのかな >>545
それはもちろんでしょ
一所懸命の時代だから、
土地を得られるかどうかってのは重要だわね 歴史漫画読んでて時宗が北条の土地?切って恩賞にしてる場面あったけどこれは史実なのかな 作中でも出て来た名越さんの土地の事かな
北条家(得宗家とは言っていない)の土地 名越さんの土地だったのか
あれ、名越さんって確か元寇の前に… >>537
三回目をやって失敗したらモンゴル帝国が衰えるわけで、
日本の武士団が朝鮮や中国で好きなだけ略奪できるぞ。
その方が日本にとっては都合が良いのでは?
多分、和寇の登場が半世紀早くなる。
そしたら恩賞なんていらんわな。奪えばいい。 >>550
倭寇は御朱印貿易との絡みで教科書に登場するけど倭寇自体ははるか昔からあった
元寇の一因として、高麗がフビライを焚きつけて倭寇退治で元寇を企画したというものがある。前世紀ではそれが通説だった。
鎌倉時代の倭寇のために半島の海岸部には人が住めなくなってる。
現代では日教組その他が朝鮮人の好戦性を隠すためにこの説を闇に葬ったものだ。代わって出たのが硫黄説。
倭寇説に比べればインパクトがない。
そんなわけで元寇も倭寇もお互いさまではある >>551
>>そんなわけで元寇も倭寇もお互いさまではある
...い、いや
中央政権(笑)の統治機能がガバガバだった状況での
氏族部族単位の海賊行為と
中央政権の勅命による、動員兵力数万単位の侵攻は
さすがに「お互い様」ではないだろ.... 和寇は元寇の復讐の側面があったのでは?
対馬、壱岐の生き残りが多数参加してたと聞く 高麗は日本に援軍頼んでたくらいなのに倭寇退治で元寇唆したのか?
それが20世紀には通説だったと?
知らないな
日本ではなく中国や朝鮮での通説なのか? 日本に援軍頼んでたのって高麗の反乱勢力?的なやつじゃなかったっけ あと元寇唆したというか元寇するなら協力します的なことは
高麗の王子がフビライに言ってたらしい
この頃、王子は人質?で元にいたから 倭寇って1350年からだろ
どういう前世紀から転移してきたんだ >>557
>>551が
>倭寇は御朱印貿易との絡みで教科書に登場するけど倭寇自体ははるか昔からあった
と語ってるところから、
この話題が続いてるんだが >>556
それは知ってる
理由が倭寇退治にあると言うのを知らない 「倭寇」の言葉の成立は元寇以降
それ以前は「倭が寇す」と主語+動詞の形で記述される。
平安末期から元寇までの「倭が寇す」は通商で折り合わないと強盗に変身するという体のものでこれに高麗は手を焼いていた
「倭が寇す」の主犯は対馬壱岐平戸の海商。
この3地は文永の役で絶滅寸前まで攻め立てられたのだから憎悪も極限まで高かったのだろう。
ともかく元朝鮮軍は留飲を下げて博多に向かった 博多炎上してない説もあるんだよね
武士の防戦成功してたんじゃないかって 倭寇○○と言う記述が昔から散見されたとかはどうでもいいんだよな
刀伊の入寇とかそんなのは互いにある
国境を接した隣国なんだから当然だ
「元寇は倭寇の意趣返しとして朝鮮太子が奏上した」と言うのが定説だったの?
20世紀に習った社会科では鎌倉武士を笑い物にする文脈ではあったがそんな話はなかった >>551
>倭寇退治で元寇を企画したというものがある。前世紀ではそれが通説だった。
>鎌倉時代の倭寇のために半島の海岸部には人が住めなくなってる。
>現代では日教組その他が朝鮮人の好戦性を隠すためにこの説を闇に葬ったものだ。
>代わって出たのが硫黄説。
なんだこれはw
本当にどこの異世界の前世紀なのか・・
とりあえずここらへんのを一度読んでみようぜ、損はしないよ。
村井は個人的にあんま好きじゃないけど。
田中健夫『倭寇と勘合貿易』
村井章介『中世倭人伝』
武田幸男『高麗史日本伝 (上下)』 とりあえずは、倭寇が先にあったから元寇をそそのかしたってのをどこで読んで目にしたか
鎌倉時代にすでに高麗沿岸が無人地帯となっていて、それが蒙古じゃなくて日本のせいというのを
どこで読んで目にしたか
日教組云々はどうでもいいけど硫黄の話はどうつなげるのかどこで読んで目にしたか
(高麗が独自に火薬兵器入手したののいつか知ってるよね)
それぞれ教えてほしいよ 田中健夫は読んだ。
和寇海の歴史ってタイトルやつ。
時系列で分かりやすく書いてあった。
たしか和寇が本格化したのは1340年代からって書いてあった。
元寇以前にも日本の海賊行為はあったようだが、多分記録が残ってないから詳しく分からないんだと思う。
元寇以前の海賊行為がどの程度なのか気になる。 そういえば、元のてつはうとかの火薬の硫黄の供給元はどこなんだろう だとすると、日本→南宋→元で硫黄がもとは日本のだったりするのかなw 上で挙げられてるうちの『倭寇と勘合貿易』には倭寇の年毎の回数一覧があって
初出の1223年からの100年間で12回しかないのよ
『高麗史日本伝 (上下)』という本は、歴史書の高麗史において日本を特筆した章があったということではなく
日本関連の記述を抜き出したものなんだけど
海賊が暴れてもせいぜい1、2艘だけ
1230〜50年代には海賊行為の具体的記述がない
まあ1259年に海賊禁止のお願いで日本に使者を送ったとあるがね >>551はどうした?
なにか答えてくれはしないのか? 551じゃないけどそういや名前思い出せない子ども用の学習漫画にちょろってそんな記述があったような記憶があるな
最近のものじゃなくずっと昔のやつで絵柄もかなり古いものだった
まあ学習漫画って正確性どうなのかわからんけど
どっかで見たけど子ども用の学習本には元寇の前から日本が使者斬ったように書いてるものもあるらしいし >>567
恐らく神話の時代からやってたかと思う
白兎の皮剥いでるしw
そもそも倭人って海洋民≒海賊にルーツを持つのかと ゴーストオブ対馬プレイしながらバックで元寇合戦記のオープニングとエンディング流すは >>571
結局さ、元寇以前って、
記録が多く残ってないだけで海賊行為は沢山あったのか、
記録が多く残ってないし海賊行為は実際に少なかったのか、
どっちなん? それまでは特筆するほどの被害がなかった
あった場合は書かれている
それが100年間で十数回ってこと
1350年以降は回数も被害も甚大で詳細に書かれている >>577
復讐どうとか言う以前に
全体で見れば北半球の気候が寒冷化していく時代
不作と飢饉が頻発し、中央の統治がグダグダになっていく中
自力救済、生きるために殺して奪う
そんな風潮がどんどん強まっていったって事じゃまいか
まあ対馬と壱岐の民には、別な想いもあったかも知れんが
あと、渡海の技術が地味に進歩したのかも知れんね >>571
古くは新羅の入寇もあったから、海賊行為にしても一方的じゃないよね 『戦国の軍隊』の著者の西股総生って人が最新号の『歴史群像』で、
「戦国大名の軍隊は兵種別編成だったのか?」って記事を書いてる
>室町時代までの軍隊は、たしかに「領主別編成」の原理で成り立っていた。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/img2011/%E5%B9%B3%E6%B2%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E%E7%B5%B5%E5%B7%BB.jpg
>薙刀を持った歩兵や馬の口取りが弓騎兵を囲む「輪形陣」は、
>領主別編成による戦闘単位の典型的な姿を示している。
つまり、御恩と奉公の時代は仕える主君と家臣が決まっている以上、
騎兵だけ、歩兵だけという兵種を揃えた部隊を作るのは困難で、
兵種混合であるのが当然であったと
(○○という武士とその一族的な単位)
それが、戦国時代には足軽・雑兵などの臨時雇い兵が大幅に増えたので、
兵種別編成を行えるようになったというのが著者の主張ね
対して、学会では戦国時代になっても、
兵種別編成はできてなかったのというのが通説とのこと
一方、室町時代よりさらに以前の鎌倉時代に、
>元朝の官吏・王ツは、元寇の際の武士の様子を
>騎兵は結束す。
>武士が騎兵を結束させて集団で戦っていたことを指摘している。
元寇の際に武士団が兵種を揃えて戦うという、
近代的な戦術を実現できていたってことに、
どういう経緯があったのか気になるね
物凄く指導力がある人がいてそれをさせたのか、
はたまた、強力な元軍に対抗する必要性に迫られたから実行できたのか…… >>581
例えば、一つの家の兵力が90人として、
重騎兵30、軽騎兵30、歩兵30みたいに、
家単位での兵種別編成は可能だったというのはどうよ?
絵巻に描かれた白石勢の重騎兵を見るとそう思うわ。
家単位を越えた兵種別編成は無理じゃないかな。
数百、数千、数万単位で兵種別編成を可能とした大陸の軍隊とは違うと思うし、
八幡愚童訓の一騎討ちと集団戦法という対比は誇張があるにせよ、当たらずしも遠からずといった所かな。 >>578
いやあ、大陸の衰えに乗じたと俺は思うよ。
だからこそ、もし三回目の元寇があって失敗したら元は衰えるし、
和寇の本格的な活動が半世紀早い1300年あたりから始まったと俺は思うね。 >>581
誰かに命令されるのはやっぱり駄目だと思うから、元から自主的に結束して戦う習慣はあったんじゃないか?
鎌倉武士の騎馬兵はただの騎兵じゃ無く領主(と一族)であり戦場の主役
お互いに競って別々に動く場合もあれば団結して競う場合もあるかもしれない
もちろん誰もが認めるリーダー役がいないと難しいだろうが……それが誰だったかは気になる Wikipediaの「日本の陣形史」から
多くを乃至政彦の 『戦国の陣形』から引いている
>中世前期、南北朝期では、武士は領主別編成であり、
>兵種別に編成することは難しく、
>ゆえに「軍隊」ではなく、「軍勢」であり、
>定形の陣形を行うことも難しかった。
>足利時代に至り、中世型の兵種別編成が芽生え、
>盾兵・弓兵・騎兵の順であり、
>この編成が戦術を多様化させることとなる。
>これは騎兵主体の時代ゆえ、その機能を十分働かせるために、
>盾・弓兵といった歩兵を前列にし、
>騎兵対騎兵を行わせるための、
>いわば「騎兵のための隊形」として登場した。
この人も西股総生氏と同様に、
日本でも兵種別編成が早くからできていた説の人みたいだけど、
それでも早くても室町時代からって主張みたいね 徒の従者つれて進むと遅いし他の連中に遅れをとる
ならば騎馬だけで突撃じゃ遅れるなって各々で突撃して先手争いしてたのが一斉突撃に見えたってオチとかかね 連レス申し訳ない
>>582
確かに家全体の大勢で出陣する機会は早々無いわけで、
逆にそういう重要な機会だからこそ、
家長が家単位の中で騎兵・歩兵に分けた兵種別編成を実行させたってのなら、
説得力あるね
>>585
>もちろん誰もが認めるリーダー役がいないと難しいだろうが……
東大史学部教授で有名な本郷和人氏は通説の兵種別編成ができなかった説寄りで、
できていた説に反論してる
>戦国大名は戦いに参加した報酬を小領主たちに支払う必要がある。
>すると、小領主の小部隊はバラせないはず。
>けれど、何らかの工夫があって、小部隊をバラしても文句の出ないような
>恩賞授与のシステムができているとしたら、
>ぼくの疑念は全て雲散霧消。
だから、戦国時代であっても大名の権力はそこまで強くなく、
>織田・豊臣・徳川といった強大な中央政権
戦国時代末期の、この三者が出てくるまでは無理だったと言ってるね >>587
でも、敵の元朝側で騎馬部隊なんか見慣れてる高官が、
わざわざ書き残すぐらい脅威に感じたってことだからねえ……
どんな状況だったんだろう? いや本郷はやめとけよw
何事も全否定はよろしくないがあれはやめとけ 日本の武士は修道が男同士の純愛として、
江戸時代まで持て囃されたぐらいに、
主従の絆とか大事に見ていた
今のヤクザでも兄弟の杯とか仁義とか形の上ではこだわるよな
だから、騎乗した武士が槍持ちとか小姓とか引き連れて、
1ユニットの部隊だったってのは当然というか
だって、主人から離されていくさ場でお守りできないんじゃ、
なんのために仕えているのかって話しになるし >>589
そもそも騎兵しか戦闘には参加しないんだからまあ当然
始終訓練に明け暮れている武士のみで突撃するのだからそりゃ強い
数は少ないけどね 最前線の戦況は重要だから、
この作品での描写に不満はない
ただ、欲を言えばその戦闘が行われている同時期、
「鎌倉幕府の北条時宗は評定を繰り返していた」
「遠征を行わせた元のクビライは国内においても、
同族のチャガタイ家・オゴタイ家との権力闘争が続いていた」
的な、「国としてこうだった」という大きな視点での場面も見たいなと思う クビライって割と足元不安定よな
重用してた部下暗殺されて激怒したけど
よく調べたらそいつ不正に蓄財してたとかもあったな 内乱・内戦の少ない帝国は安定してるイメージ
古代ローマ、大英、アメリカ 好い加減インペラトールを皇帝に訳すのはやめろよ
間違いだろ そういうのはふさわしい訳語創案してから言え
「いい加減○○やめませんか」ちっていう言論ですまともなの聞いたことない
嫌ならお前は使うなよレベルの話ばっかり 元寇以外はファンタジーなんでしょ?
対馬版FARCRYとして楽しむわ >>601
インペラトールそのままでいいじゃん
皇帝をインペラトールと訳したのは江戸後期から明治位だろ、間違いをそのままやってんのがアホだよ
訳すのが間違いなんだよ 元老院からインペラトールを任命された人はあちこちにいたらしいじゃない
ローマにもガリアにもエジプトにもその他あちこち >>587
『蒙古襲来絵詞』によれば、蒙古軍の博多湾上陸を
受けて、日本側の大将・少弐景資が「博多に攻め寄せ
る蒙古軍を騎射で一気に殲滅する」作戦を考えていた
ことがわかる。
つまり、日本側としては騎馬の有効性を理解しており
当初から騎馬主体で戦おうとしていたことがわかる。
そのような日本側の陣容を見て、蒙古側は日本側の
様子を「騎兵は結束す」と記したのだろう。 >>606
蒙古の戦術は事前に分かってる
それに対して騎兵結束のほかになんか別の手があったか 和寇とか日本の海賊の歴史を読むと大体パターンが決まってる。
日本の海賊が朝鮮半島で暴れる
↓
朝鮮が日本の有力者や中央に泣きつき、貿易で便宜をはかる一方で海賊の取り締まりを求める
↓
日本の有力者や中央が海賊を取り締まる
読んでて思うのだが、そこは国をあげて略奪に勤しまないのだろうか。
例えばイギリスなどは国ぐるみで海賊行為を行っていたわけで、
困窮した御家人を救うなら徳政令より私掠免許(海賊行為を認める)だったんじゃないのかと。 イングランド王国を形作っているアングロ・サクソンも、
先祖は渡ってきた海賊なわけで そのイングランドは文明国じゃない
まだ鎌倉時代のほうが進んでる >>606
博多って炎上したという確かな史料はないんだっけ 漫画的には日本軍劣勢にならんといかんので博多は焼かれるだろ >>612
アングロ・サクソンは海賊というより傭兵。
ちなみに、現在のイングランド人は英語を話しているが、DNA的には
(男系を含めて)征服されたブリトン人(ウェールズ人)の系統が多い。 イギリスって17世紀18世紀になっても国家公認の海賊が居ただろ。
まあ、野蛮といえば野蛮だし、文明国じゃないとも言えるかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています