【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part10
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
かつて騎士たちは弩を”あまりに無慈悲な武器”であるとして
教皇に訴え禁止令を出させたことがあった
弩は鍛錬を積まずども引き金を引きさえすれば誰にでも矢を射ることができる武器!
すなわちそれは…
たとえ平民であっても騎士の命を奪うことができるということ…!
特権的な騎士が平民などに敗れることがあってはならぬ…
特権的な騎士が平民などに敗れることがあってはならぬ…
禁止令を出させたのは弩が騎士の優位を脅かすものであると真に恐れていたことの証左でもある!
この光景を見るがいい騎士たちよ
騎馬が最強との思い込みはすでに幻想に過ぎぬ!
https://twitter.com/gryphonjapan/status/677116497089531904
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>465
北方貿易がずっと行われてた
女真はもとよりモンゴル人も来ていたらしく、義経は彼らに兵法を学んだという説もある
まあ流鏑馬以前に日本の馬はモンゴル馬だし、馬がもたらされた際に遊牧民と接している可能性は高いね ヤマト王権が蝦夷から馬を買ってたらしいので蝦夷は大陸と交流あったんだろな
記録が残ってないだけで
騎射を蝦夷から学んだというのはそういう経緯なんだろ まあ北海道アイヌは馬を知らなかったから
古代蝦夷とはまた別扱いだけど >>462
>土人の国へヒャッハアーしに来たら相手はスーパーサイヤ人でしたとか
そりゃ大陸で長い戦乱を経験してきた大国だったら、
ちっちゃい島の中で小競り合いだけしてきた小国なんかナメて当然だよな
しかし、その元も、そもそもは、
一部族に過ぎなかったモンゴルが祖なわけで
かつての軍事大帝国ローマだって、
弱小の一市国から出発してる いや高麗がかの地は衆多く勇敢だと警告してるやん
情報はあったろ 「強いつったってそりゃお前らから見ればだろ?」ってな
正しい情報であっても発信者や受信者によっては歪むものだ 発信者には元の使者(女真族)も
でもこの人、文官だしな
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… 火薬の原料の硫黄が採れる
これを輸出して南宋に支援してたのよ
南宋攻めは力攻めでは不可能なほどに苦戦していたわけで、日本からの火薬の供給はかなり目障りだったのかと 日本には硝石がなくて火薬の国産化は難しかったのに
便所掘ったりして 大砲とか撃ってくるかな?
と思って戦車を用意してウキウキして攻め込んでみたら、
向こうにも高性能な戦車が大量に並んでてビックリ!
みたいなカルチャーギャップか >>479
とはいえ結局日本落とさなくても南宋落とせたから、
それが目的なら無駄だったんじゃw >二度にわたって、
>日本に遠征したモンゴル軍は日本軍の弓の威力だけではなく、
>日本刀の威力も見せつけられ、
>後に日本刀を大量に買い占めたという記録が残っている。
>鎌倉時代初期には既に海外の刀剣愛好家に認められ、
>輸出品になったとも言われている。
攻め込んだ側が感心して買い集めるぐらい、
日本刀もいい造りだったそうで
武士の世の鎌倉時代になってたってことが、
本当に幸いしたな この頃にできた九州北部の神社も多いね
戦勝祈願と拠点の意味合いが大きい 騎馬150騎の大パノラマ圧巻
くらい感心しろよ
こういう地道な応援が作者のモチベを上げに上げて太子さんを脱がしたりするのだぜ 確かに。
こういうアングルの大俯瞰の絵柄なんてそうそう拝めんわ! 最初のワールシュタットだかで王様が首になったのと展開がダブるな 日本刀は宋との交易品にもあったな
実戦用なのか美術品なのかは知らんけど >>493
史実で言えば、千葉頼胤が負傷してその影響で数ヶ月後に死ぬが、
少弐景資を始め、宇都宮、小代、福原、都甲とかは弘安の役以降
も生き残っているはず。
なので、史実通りに描くならば激戦にはなるが、ワールシュタット
みたいに大将含めた全滅エンドにはならない。 史実は福田文書や都甲文書から鳥飼潟でボコられる
のはモンゴル軍の方だが、ちゃんと史実通りにして
くれるかな?
てつはうで日本軍混乱とかやめて欲しいなぁ。
いくら火薬兵器とはいえ、戦局を変えるほどの
物でもないし。 クビライに仕えた王ツという人が武士のことを
「人は即ち勇敢にして、死を視ることを恐れず」
と日本人に勇猛な印象を受けているわけだけど
情けないようには描いて欲しくないな。 足場が悪いから勢いで押し切るのも手早く撤退するのもやりにくそう
最初押すが押しきれず乱戦に、そこで鎌倉武士が奮戦するが元軍に劉復亨率いる援軍が到着
数の差に押され崩されかけた所で景資が矢で劉復亨を負傷させそのすきに撤退
こんな所だろうか
そして双方の陣中でこんな激戦続いたらヤバイぞと戦々恐々の軍議になると >>487
そう言えばウリやんの部下が迅の字と撃ち合って
剣を折られてたな
古代から大文明が栄え、治乱興亡を経てきた中国大陸では
中世以降森林資源が枯渇しかかっていて、製鉄用の上質な木炭が
十分に確保できなかった
日本刀は、刀剣として以上に「質の良い鋼材」としての需要があった
...って話を聞いたことがある
そう言えば石炭の利用が普及したのも北宋からだっけ >>499
迅の字の出番が無い...
そう言えば、むしろ被ってた乞食っぽいあいつは
何の伏線だったんだろう >>485
南宋は平和憲法大好きで軍人軽視の国
中央政府が軍に対して手厚いバックアップを行っていれば負けなかったろうな
そもそも最初はモンゴル支援して育ててるしw
謂わば自滅とも言える 春日大社と藤森神社に甲冑見に行ってきたわ。
藤森神社は刀剣より弓矢・鏃・火縄銃・大筒といった飛び道具重視で良かったわ。 >>503
モンゴルと戦ってた金への北宋時代の恨みあるしなあ
北宋の滅亡の仕方も特に惨かったし >>503
>そもそも最初はモンゴル支援して育ててるしw
金国側もまた、南宋と同じように、
モンゴルを支援してたこともあったんだよね
>北方モンゴル高原では部族勢力の動きが活発化して
>タタル部や契丹の反乱が激しくなり、
>金は鎮圧に際してケレイトやモンゴルの助けを借りたため
>彼らの勢力が増大し、
> 1206年にモンゴルのチンギス・カンによる高原の統一を
>間接的に助ける結果となった。
しかし、コントロールに失敗してモンゴル一強になり、
金国そのものも滅亡させられることに……
でも、元だっていずれ勢力が衰えて後元になり、
そのあと滅亡と金や宋(南宋)と同じ歴史を辿る
いっぽう金の女真族はずっと後年に後金→清を建ててモンゴル高原まで支配して、
清朝の皇帝がモンゴルのハーンまで兼ねることになるんだからねえ……
歴史はずっと巡り続ける感じ 昔の合戦で使う弓を見ると、今の弓道の弓と違って、弦を外すと反対側に大きく湾曲してるんだよ。
同じ張力で威力が増すように作られてる。
モンゴルやトルコの複合弓と同じ仕組み。 >>508
(´・∀・`)ヘー
つまり、弓道の弓より史上の合戦弓のほうが強く張られてたってことなのね なんか盛り上がってきたね
一週間のページ数が物足りない 史実ベースで話が進むほど、主人公が空気に。
対馬では歴史に影響を与えず、割と好き勝手に活躍させられたけど。 劉復亨に矢傷を負わすのは景資であってほしい
このままじゃいいところなしだし >>512
でも、この後の日本のターンなら、
いくらでも奴の手柄を作れるんでは?
そうでもしないと主人公的に不憫ってのもあるw まだまだ先だけど弘安の役までやって欲しい
けど弘安の役って10万人くらいは文永の役に参加してない南宋人だっけw >>518
元が敵対的な南宋人を大幅に減らすために、
わざと送り出したのかしら…… >>520
日本に弘安の役以上の大軍送り出して
その間に国内の反乱やベトナムとの戦争で
複数の戦線抱える破目になるからやばいのは元の方かも クビライの家臣の劉宣は「南方の新附の旧軍(江南軍)
は、十余年の間に老い病んで逃亡し出征で傷つき、そ
れまでの精鋭軍は海東の日本で敗北し、(弘安の役の後に)新たに招集された軍兵はみな武芸や戦争に慣れていないものばかり、これでは敵(日本)を制圧しようとしてもきっと失敗に帰すだろう」って述べている。
第三次日本侵攻しても、海に慣れた軍勢は壊滅し
もう勝てないってのが向こうの判断。 なんつーか
教科書で習った神風ってなんだったんだろw
史実を知ると敵が哀れだわ >>520
そこは日本軍が攻めたので。実際計画してたんでしょ? >>523
でもクビライはやる気だったんだよな
反対遭っても反乱やベトナムとの戦争で無理になるまではやる気だった 学校で習った元寇って圧倒的な軍事力と最先端の火薬兵器に圧倒され
その上日本は古来からの一騎打ちに慣れてたからボロ負けしてたけど
運良く台風で追い返す事が出来たと習った
いざこうやってクローズアップされたり、ネットで詳しい情報が載ってたり
研究が進んでたりして、日本も結構戦いで善戦してるのが分かって意外だったわ
教育機関のアレな人たちは、日本が善戦してると都合が悪いのかしら 代表的なの絵詞ね
本来撤退してるのは元なのに
切り取ってやられてる風に教科書に載ってる
本来の絵見たのネットだわ、ちょっと衝撃だった 今は一騎打ちにすらしてないって言われてるからな
まあよく考えたら絵詞で武士密集して戦ってるしな 仏教の某宗派なんて、
繰り返し「聖人様が元寇を予言した!」
「聖人様のおかげでそんな前代未聞の国難を脱することができた!」
って説き続けてるやん
武士が自力でなんとかできました〜、
じゃ困る人たちが結構いるんでしょう >>526
ベトナムの戦争の文字みて
アメリカのこと?と一瞬思った >>519
沈没船から人を寝かせる為の板が見つかってるんだよね
奴隷船よろしく船底に詰め込まれて運ばれてた可能性が
主な目的が棄民だったのは間違いないかと >>509
強さも違うけど、引き始めからある程度の強さがあるって事。
引き始めの重さが引ききった重さにたいして重ければ重い程良い弓という事になる。 >>526
第三次は最強たる中央軍を編成し差し向ける予定だったようで
実現していたら面白かったろうね
流石に大宰府だけじゃ防ぎきるのは無理
六波羅の主力軍とのガチの戦いが見られたかもしれない >>537
そんな消耗戦やったら勝っても日本もボロボロ
戦国時代が早まってたろうね >>535
人を寝かせる板が見つかってるって
寝かせるのは当たり前の話。
大軍なら尚更、人を寝かせる工夫は
するのは当然。
全く棄民かどうかとは関係ない。 >>540
いやあのねえ・・・
批判するのは結構だけど
当り前、当然、全く関係ない
ここまで言うならせめて理由を述べようぜ
ただ噛みつかれても気分悪いわ
当時の普通の軍船に当たり前に設置されてたの?
人を寝かせる工夫って例えばどんなの?
そうじゃないから注視されたわけなんでない? 江南軍は7昼夜の船旅だから寝床はいるだろ
ベッドがあったんなら雑魚寝じゃなかったことが分かる
どっかに船内図面もあったな
ぎしっと詰め込んで疫病待ったなしの船内環境を彷彿とさせるような船内図面
棄民とは関係ないね >>532
鎌倉時代:
武士団「恩賞マダー?チンチン」
鎌倉殿「(防衛戦争に勝っても領地増えないんだよなぁ...)」
寺社勢「我らが調伏の霊験こそあらたかなり!」
鎌倉殿「(それもらった!)うーん、神風w」
武士団「...えぇ...」
大戦末期:
大本営「...だいじょうぶだ...神風なら...神風ならきっと何とかしてくれる...ブツブツ」
天神地祇「いや、吹かしとくけどさぁ..負け戦確定っしょ。吹かしとくけど....」
コブラ「よろしくニキーwww」
ハルゼー「あぁぁぁぁぁぁ」
翌年のお盆
国民「....お空きれい...」
戦後:
日教組「ニポンジンみたいな未開の土人が、大陸の最新兵器に勝てる訳無いニダ!」
「運悪く台風に遭っただけニダ!ただの悪運ニダ!」
「てつはうバーンニダ!」「史料もあるニダ!つ【八幡愚童訓】」
「...こっちの史料は美味しいトコだけトリミングするニダ...【蒙古襲来絵詞】」
消防厨房「日本だっさ!」 >>542
いるだろじゃねえよw
お前ホント中身のないレスしか出来ないんだな
詰まらないからもうええわ >>543
一時逆侵攻計画あったのも、恩賞のための土地確保の意図があったのかな >>545
それはもちろんでしょ
一所懸命の時代だから、
土地を得られるかどうかってのは重要だわね 歴史漫画読んでて時宗が北条の土地?切って恩賞にしてる場面あったけどこれは史実なのかな 作中でも出て来た名越さんの土地の事かな
北条家(得宗家とは言っていない)の土地 名越さんの土地だったのか
あれ、名越さんって確か元寇の前に… >>537
三回目をやって失敗したらモンゴル帝国が衰えるわけで、
日本の武士団が朝鮮や中国で好きなだけ略奪できるぞ。
その方が日本にとっては都合が良いのでは?
多分、和寇の登場が半世紀早くなる。
そしたら恩賞なんていらんわな。奪えばいい。 >>550
倭寇は御朱印貿易との絡みで教科書に登場するけど倭寇自体ははるか昔からあった
元寇の一因として、高麗がフビライを焚きつけて倭寇退治で元寇を企画したというものがある。前世紀ではそれが通説だった。
鎌倉時代の倭寇のために半島の海岸部には人が住めなくなってる。
現代では日教組その他が朝鮮人の好戦性を隠すためにこの説を闇に葬ったものだ。代わって出たのが硫黄説。
倭寇説に比べればインパクトがない。
そんなわけで元寇も倭寇もお互いさまではある >>551
>>そんなわけで元寇も倭寇もお互いさまではある
...い、いや
中央政権(笑)の統治機能がガバガバだった状況での
氏族部族単位の海賊行為と
中央政権の勅命による、動員兵力数万単位の侵攻は
さすがに「お互い様」ではないだろ.... 和寇は元寇の復讐の側面があったのでは?
対馬、壱岐の生き残りが多数参加してたと聞く 高麗は日本に援軍頼んでたくらいなのに倭寇退治で元寇唆したのか?
それが20世紀には通説だったと?
知らないな
日本ではなく中国や朝鮮での通説なのか? 日本に援軍頼んでたのって高麗の反乱勢力?的なやつじゃなかったっけ あと元寇唆したというか元寇するなら協力します的なことは
高麗の王子がフビライに言ってたらしい
この頃、王子は人質?で元にいたから 倭寇って1350年からだろ
どういう前世紀から転移してきたんだ >>557
>>551が
>倭寇は御朱印貿易との絡みで教科書に登場するけど倭寇自体ははるか昔からあった
と語ってるところから、
この話題が続いてるんだが >>556
それは知ってる
理由が倭寇退治にあると言うのを知らない 「倭寇」の言葉の成立は元寇以降
それ以前は「倭が寇す」と主語+動詞の形で記述される。
平安末期から元寇までの「倭が寇す」は通商で折り合わないと強盗に変身するという体のものでこれに高麗は手を焼いていた
「倭が寇す」の主犯は対馬壱岐平戸の海商。
この3地は文永の役で絶滅寸前まで攻め立てられたのだから憎悪も極限まで高かったのだろう。
ともかく元朝鮮軍は留飲を下げて博多に向かった 博多炎上してない説もあるんだよね
武士の防戦成功してたんじゃないかって 倭寇○○と言う記述が昔から散見されたとかはどうでもいいんだよな
刀伊の入寇とかそんなのは互いにある
国境を接した隣国なんだから当然だ
「元寇は倭寇の意趣返しとして朝鮮太子が奏上した」と言うのが定説だったの?
20世紀に習った社会科では鎌倉武士を笑い物にする文脈ではあったがそんな話はなかった >>551
>倭寇退治で元寇を企画したというものがある。前世紀ではそれが通説だった。
>鎌倉時代の倭寇のために半島の海岸部には人が住めなくなってる。
>現代では日教組その他が朝鮮人の好戦性を隠すためにこの説を闇に葬ったものだ。
>代わって出たのが硫黄説。
なんだこれはw
本当にどこの異世界の前世紀なのか・・
とりあえずここらへんのを一度読んでみようぜ、損はしないよ。
村井は個人的にあんま好きじゃないけど。
田中健夫『倭寇と勘合貿易』
村井章介『中世倭人伝』
武田幸男『高麗史日本伝 (上下)』 とりあえずは、倭寇が先にあったから元寇をそそのかしたってのをどこで読んで目にしたか
鎌倉時代にすでに高麗沿岸が無人地帯となっていて、それが蒙古じゃなくて日本のせいというのを
どこで読んで目にしたか
日教組云々はどうでもいいけど硫黄の話はどうつなげるのかどこで読んで目にしたか
(高麗が独自に火薬兵器入手したののいつか知ってるよね)
それぞれ教えてほしいよ 田中健夫は読んだ。
和寇海の歴史ってタイトルやつ。
時系列で分かりやすく書いてあった。
たしか和寇が本格化したのは1340年代からって書いてあった。
元寇以前にも日本の海賊行為はあったようだが、多分記録が残ってないから詳しく分からないんだと思う。
元寇以前の海賊行為がどの程度なのか気になる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています