https://blog.goo.ne.jp/tekedon638/e/2bd0aac3b6a9a5a2a747340903f7231c
個人のブログなんだけど、
・元軍には蒙古騎兵がいた
・多数ではなかったのと武士が苦戦させられたから、
 それは後世に意図的に伝えていない
・流鏑馬の三被り物のうち「綾桧笠(あやひがさ)」は異例で、
 蒙古人が被っていたものに似てるから、
 流鏑馬自体が蒙古騎兵のパルティアンショットなどの射法の影響を受けて、
 始められたのでは?
・しかし、戦場で使われるほど根付くことはなかった

こういう仮説を立ててるんだよね
確かに元の最主力である騎兵はぜひとも連れてきたいだろうけど、
実際に航海で馬などをそれなりの頭数運んで来れただろうか?
そして、運べて蒙古騎兵が武士と交戦できたとして、
日本でその事実が「まったく伝わらない」ことなんてあるのかな?