【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part10
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援軍が来なかったことで敵方に寝返った姫を蒙古軍大将とする元寇 というか孫だしな
摂関家に嫁いだ内親王の子供達だって皇族扱いなんてされない 流鏑馬の謎〈執権北条時宗を怖れさせた騎射戦術〉
ttps://blog.goo.ne.jp/tekedon638/e/2bd0aac3b6a9a5a2a747340903f7231c
この説は面白いな >>386
この爺さんの妄想の域を出ないな
騎射に関しては平安時代に成立してるし、押し捻りという、パルティアンショットに似た技法も存在してる
後モンゴル人の捕虜は全員斬首されたし この漫画で、もののけ姫みたいな疾走感のある騎射戦やらないかな。 後ろから槍持ちがついて走ってるから突撃は槍に持ち替えてからだろ? >>386
面白くもなんともない
読む気も失せるただの妄想 「先祖みたいに過酷な遊牧生活に戻るのは嫌」と言って
明に降伏して中原に残ったモンゴル人も多かったようだ >>393
人口密度
狩猟採集民<遊牧民<<農耕民
だからなぁ
どれ程頑張っても、農耕以外では大人口を養えない
イロイロ差し障るのであまり語られないが、狩猟採集社会では
多くの場合、子捨て子殺し、姥捨て(あるいは老人の自死)は、
文化習俗の中にきちんと位置づけられてる
もっとも、長時間重労働に耐えて農耕すればするほど、
人口もどんどん増えるので
結局飢えからは逃れられない模様 元は150年間かな?
いまさら戻っても遊牧地の空きがないだろ 肖像画を見ると、明の皇帝はデブだらけだが、清の皇帝はスリムな人が多い
満州族は普段から乗馬で鍛えているからかな? 中国は国が出来たり消えたりとはいえ元は早いな
まあもっと短期間で滅亡した国もあるけど >>395
スウェーデンの老人放棄に等しいノーガード戦法とかだな >>397
太子密建という後継者をあえて決めないシステムによって候補者を競わせるから清の時代は質のいい皇帝が多い
字や教養レベルも明代皇帝に比べて高い >>398
モンゴルは民族関係なく能力主義で人を使ったと思われがちだが、
その一方でチンギスに貢献した四駿四狗を始めとして貴族化した一族などは、
無能な者でも血筋で優遇されたという
その弊害はかなり大きかったはず
>>400
雍正帝は過労死するほど朝から晩まで働いたって話だしな >>402
ひどい無能はともかく忠義な臣下がいないと王朝はもたないよ
政権からすればそれは弊害じゃない 北条時宗も過労だがストレスだかのせいって言われてたな
得宗家は何人もそういわれる人いたような気もするが >>403
そういえば元の衰退についての話で、皇帝が高麗の貢女に産ませた子を皇太子にしたことで
元国内の有力者一族との外戚関係を持てなかったのが一因じゃないか、
みたいな説みかけたなあ 博多編の第3巻の発売はいつかなー
対馬編は短い時に3ヶ月、長い時に半年ぐらいのペースで
発刊してたようなので、と思ったら博多編は
第一巻 2019年7月
第二巻 2020年3月
なので、11月ごろか。
待て待て、1週間ごとにWeb公開している無料コミックが
5ページずつなので、190ページは約40週なので
来年になるかも。 まあ別に良い
月刊連載のはずなのに全く連載しない漫画家よりは・・・ >408
強殖装甲ガイバーの高屋良樹のおかげで抗体ができていて、
多少の休載には慣れている。 >>407
高田馬場のサイン会出来るようになってるといいなあ… >>408
週間連載なのに今年2回しか載せてない作者もいるしな…
ちなみに病気怪我等の理由ではない >>405
それ時宗だっけ?
その先祖じゃなかったっけ >>407
大抵コミックの方が話先行してないか?
web連載が単行本前半くらいまでしか載ってないタイミングで
単行本が出てるパターンが多いと思う 朝鮮王子編はなんだったんだろう
なぜ笑うんだいネタやってきたフビライは好き >鎌倉時代前後の日本の武士も弓騎兵が主力であった。
鎌倉時代以降鉄砲が伝来するよりも早く、
武士の弓騎兵色が弱まった理由ってなんだっけ?
江戸時代でも、「弓馬の道」「天下一の弓取り」という言葉が言われるなど、
弓道に対する意識はずっと高いままだったと思うんだが 訓練なんぞ十分にしてない騎乗もろくにできない足軽身分が合戦の主役になったからとか
そうなると前線の騎乗身分も一人一人悠長に矢を射る時間は無いし ・足軽35人で騎兵を殺せる戦法が確立した
・騎兵一騎のコストは足軽10人以上
・農業改革で人口増えた+武士が金持ちになったで足軽を大量動員できる
・騎兵殺すとボーナスでるので足軽がハッスル
みたいな学者の考察をどっかで見た記憶が… 南北朝初期に槍が発明されて弓馬より兵数に傾いていくんだよ
対馬編3巻12話では鎌倉時代の終わり頃とあるがな みんなありがとう
色んな説を見れて勉強になった
>>417
>足軽身分が合戦の主役
>>418
>・足軽3�5人で騎兵を殺せる戦法が確立した
山国の日本では、騎兵優位が覆り易いってもあったのかな……
>>419
弓って訓練の必要性が高いからねえ
>>420
>南北朝初期に槍が発明されて弓馬より兵数に傾いていくんだよ
それも不思議だよね
長柄武器なんて、昔から矛や薙刀があったのに、
どの辺に槍の優位性があったんだろうね? 薙ぐや払うにはコントロール可能な長さの制限があるけど
突くのはかなり長くても大丈夫だとか? 薙いだり払ったりすると隣の味方の邪魔になるし戦列組みにくいからじゃないか?
あと弓ほどじゃ無いけど振り回すには扱いに熟練と技能がいる
足軽槍は並べて槍衾作ればあとは上から叩くか突くだけでシンプル なんでもできるハルバードが流行らなかった
方天画戟にしてもそうだし腕力ある達人限定の武器
一本のコストもお高いし戦争向きではないでしょう
薙刀は刀相手に試合なら強いけど保持するだけできつそうだし怪我もしそう >>421
槍は突きに特化した矛の完成形、先が鋭い
あとは説明めんどくさいからウィキペディアの槍でも読んで >>424
>なんでもできるハルバードが流行らなかった
いや、ヨーロッパでは、
銃器が発達するまでは相当使われていたらしいよ
> 14世紀の後期に歩兵が使うようになり、
> 16世紀の初頭までにはヨーロッパで広く用いられるようになっていた。
>ハルバードは重量と長さのおかげで
>敵の歩兵や重装甲の騎兵にも有効な武器であり、
>屈強な男が使えば板金鎧を粉砕できた。
下もWikipediaから
>戦場でのハルバード兵の役割は部隊旗や楽隊、士官の護衛の他に、
>敵のパイク兵の戦列を打ち抜いて、
>密集陣内部に斬り込んできた敵を排除する事や、
>パイク兵の密集陣を斬り裂く事だった。
>パイク兵にとって斬り込み隊のハルバード兵や両手剣兵は天敵であったが、
>斬り込むハルバード兵や両手剣兵の死亡率も高かった。
もちろん万能ってわけじゃなくて、
下はパイクのほうのページからだけど、
>その後の同盟会議においてハルバードを中心とする戦術の見直しと、
>パイク中心戦術への転換が決定された。
中世以降のヨーロッパの歩兵は、
ハルバードとパイクが使い分けられていたってことなんだろうね >>425
おお、ウィキペ面白いね
>南北朝時代までの槍はむしろ貧乏人の薙刀がわりとして使われ、
>それほど有効な武器ではなかった。
> 14世紀以前は兵が密集隊形をとらず戦っていたためでもある。
槍は密集して使わないと意味ないってことなのね
>騎兵を密集させて集団で突撃する日本軍。
>クビライに仕えた王ツも武士の様子を「騎兵は結束す」と記している。
>『蒙古襲来絵詞』前巻・絵5・第17紙
そんな歩兵ですら密集させてない鎌倉時代に、
異例な騎兵集団突撃が可能だった理由は、
相手のモンゴルが少数ながらも騎馬部隊を編成してきてたから、
その対抗のためということなのかな?
モンゴル側の騎兵の記録が伝わってないのが残念だけど…… >>427
蒙古人として一番槍的に出てきてるんだから、
やっぱあの兄弟は強いのかねえ 戦闘してない時がほとんどだから持ち運びとか大事だろうな
戦場で走るときは刀は担いで刃を斜め上に向けとかないと転んだ時に大怪我するし他人に迷惑とか聞いた
傘でも分かるけど前の人に引っさげて持たれると危ないもんな ポンコツに持たせて戦わせるなら、槍がいいからだろ。
戦国時代になっても弓が主力だよ。 戦国時代は組織化された弓部隊が一斉に矢を射掛けるスタイルへと変化してるから、ポンコツも使っただろ https://blog.goo.ne.jp/tekedon638/e/2bd0aac3b6a9a5a2a747340903f7231c
個人のブログなんだけど、
・元軍には蒙古騎兵がいた
・多数ではなかったのと武士が苦戦させられたから、
それは後世に意図的に伝えていない
・流鏑馬の三被り物のうち「綾桧笠(あやひがさ)」は異例で、
蒙古人が被っていたものに似てるから、
流鏑馬自体が蒙古騎兵のパルティアンショットなどの射法の影響を受けて、
始められたのでは?
・しかし、戦場で使われるほど根付くことはなかった
こういう仮説を立ててるんだよね
確かに元の最主力である騎兵はぜひとも連れてきたいだろうけど、
実際に航海で馬などをそれなりの頭数運んで来れただろうか?
そして、運べて蒙古騎兵が武士と交戦できたとして、
日本でその事実が「まったく伝わらない」ことなんてあるのかな? 人間だけでも命懸けの航海してんのに暴れまわる馬なんか運べるかい! だいたい、わざと伝えなかったのなら笠と技術だけが伝わったってのもおかしいだろ 後世に伝えていないんだから記録も無いし、残さなかったのが意図的かどうかすら分からない訳だ
仮説としては面白いと思うけれど検証すら出来ない場合は妄想で終わっちゃうよ
まずは鷹島で沈没船あさって馬具か馬の骨でも見つけないと みんな苦戦してたが「おれが」活躍したから押し返すことができた
ってみんな竹崎季長みたいなこと言うだろ
実際撃退できてるんだから、あいつらは強かったというのはまさに伝え残すべきだろう
我が名誉もいや増すし、子孫に舐めるなというのも大切 十字軍で騎士が使うために中東まで軍馬を船で運んだこともあっただろうけど、
あっちは波も気象も穏やかな地中海だから、
参考にはならないな
大航海時代に南北アメリカ大陸へ馬を持ち込んだってのは当然船を使ってだけど、
時代も違うからこっちも参考にはならんか >>436
上でも書いたがそれ爺さんの妄想だから
騎射は平安時代に成立してるし、
パルティアンショットに似た技法は以前から存在していた
この爺さんには鎌倉武士を舐めるなと言いたい トンデモに多いが「伝えようとしなかった(不都合な勢力に抹消された)から伝わらなかった」って馬鹿にしすぎ
陰謀論で史学語る前にちゃんと裏付け調査しろと >>437
蒙古襲来絵詞の文永の役では30人位の中で馬4頭描かれているし
この漫画の対馬編でも1巻の佐須から将軍達は馬に乗ってるし
八幡愚童記の「宗助国と弥次郎に射られて逆さまに落ちる者数十人」の記載を載せてるし >>445
さすがに司令官クラスが乗れただけで、
日本の武士みたいな騎兵突撃ができるほど数は揃わなかったかな? 漫画スレなんだから漫画読んでから書き込めよ
次から次へと面倒臭いな >>449
漫画の話題だけだと書き込みが少なくて、前スレみたいにスレが落ちるからじゃね?
多少無理にでも元寇とかで話題を膨らませないとスレが続かない
漫画板は超人気作品とそうでないのとで、
スレの書き込み量に差がありすぎてキツい
漫画板と懐かし漫画板の中間の板が欲しいな
他作品だと「軍靴のバルツァー」が頻繁に連載を休んでるせいで、
スレが15まで続いたのに落ちたままだわ…… >>434
弓は足軽用でも50キロある。
ポンコツにゃ無理だ。
ここが弓と槍の違い。 >>451
そっ、そんな重いのかよ……
世界史的に長い弓が日本とイギリスぐらいってのも、
それ聞くと納得だわ 50kgくらいはあるよ
うちの嫁さんがそれを軽々と引いておれを射止めたんだ 日本の足軽の弓が50キロ。
イングランドのロングボウが45キロ。
弓が槍より強いのは明白だが、射手が死んでしまうと替えがきかないのが欠点。 弓はマッチョのアイテム。
体が左右非対称になるまで鍛えまくるのだ。 古式の型に弓でぶん殴ったり
矢を接近戦で刺突武器に使ったりするのがいい >>458
>矢を接近戦で刺突武器に使ったりするのがいい
少し前のモンハンかw 弭槍のことか
打根を弓にくくり付けて槍として使ったんだよね 昔、歴史群像の戦国記事で読んだんだけど
その古式の名がわからん 最近アニメから知ったんだけど土人の国へヒャッハアーしに来たら相手はスーパーサイヤ人でしたとか絶望しかないな はずやり をアタッチメントする間に敵が殺到してくるから、この手のお得武器って大体廃れるよね。 >>436
流鏑馬って元寇より前から行われてるから
少なくとも元寇の時の蒙古兵の影響ではないはず
元寇以前に日本が騎馬のモンゴル人と接触することなんかあったのかな 蝦夷が騎馬軍団でも持ってたのかい?江上波夫胸熱だな
そういえば武士は蝦夷起源と言ってたのが5ちゃんの昔にいたな。 かつて騎士たちは弩を”あまりに無慈悲な武器”であるとして
教皇に訴え禁止令を出させたことがあった
弩は鍛錬を積まずども引き金を引きさえすれば誰にでも矢を射ることができる武器!
すなわちそれは…
たとえ平民であっても騎士の命を奪うことができるということ…!
特権的な騎士が平民などに敗れることがあってはならぬ…
特権的な騎士が平民などに敗れることがあってはならぬ…
禁止令を出させたのは弩が騎士の優位を脅かすものであると真に恐れていたことの証左でもある!
この光景を見るがいい騎士たちよ
騎馬が最強との思い込みはすでに幻想に過ぎぬ!
https://twitter.com/gryphonjapan/status/677116497089531904
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>465
北方貿易がずっと行われてた
女真はもとよりモンゴル人も来ていたらしく、義経は彼らに兵法を学んだという説もある
まあ流鏑馬以前に日本の馬はモンゴル馬だし、馬がもたらされた際に遊牧民と接している可能性は高いね ヤマト王権が蝦夷から馬を買ってたらしいので蝦夷は大陸と交流あったんだろな
記録が残ってないだけで
騎射を蝦夷から学んだというのはそういう経緯なんだろ まあ北海道アイヌは馬を知らなかったから
古代蝦夷とはまた別扱いだけど >>462
>土人の国へヒャッハアーしに来たら相手はスーパーサイヤ人でしたとか
そりゃ大陸で長い戦乱を経験してきた大国だったら、
ちっちゃい島の中で小競り合いだけしてきた小国なんかナメて当然だよな
しかし、その元も、そもそもは、
一部族に過ぎなかったモンゴルが祖なわけで
かつての軍事大帝国ローマだって、
弱小の一市国から出発してる いや高麗がかの地は衆多く勇敢だと警告してるやん
情報はあったろ 「強いつったってそりゃお前らから見ればだろ?」ってな
正しい情報であっても発信者や受信者によっては歪むものだ 発信者には元の使者(女真族)も
でもこの人、文官だしな
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… 火薬の原料の硫黄が採れる
これを輸出して南宋に支援してたのよ
南宋攻めは力攻めでは不可能なほどに苦戦していたわけで、日本からの火薬の供給はかなり目障りだったのかと 日本には硝石がなくて火薬の国産化は難しかったのに
便所掘ったりして ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています