センゴク 宮下英樹 165番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-14巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと。
※前スレ
センゴク 宮下英樹 164番槍
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1550228972/
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 秀次が間違えて秀吉の前で鼎の軽重を口走らないか心配だ 秀吉の本音「親戚や養子じゃなくて、我が子に全てを継がせたい」
になってるだろうから
どう転んでも秀次は…
もう隠居するしかない 豊臣家は親戚の数自体が少ないから数少ない成年男子の秀次は跡継ぎに使えなくても一門としては必要なんで
隠居しようにも多分逃げられないよ 隠居させても秀吉が死んだ後に還俗する可能性あるから、結局殺される センゴク秀吉は要領が悪くて空気が読めないバカは嫌いなのは若い頃から一貫してるからなあ…
ゴンベは行動で頑張ってくれたのとギリギリのところで勘があるから気に入られたが >>38
無印の頃からは画力も定説もだいぶ変わってきてるしね・・・こういう時代物を史実に即して長編で画くのは大変w
そういや家康の人質新説って今どうなったんだろう?
あれが本当なら、戸田氏の復権がかなうw 北条が勝つには、戦場で秀吉その人を討ち取るか
よっぽどの大打撃を侵攻軍に与えないといけないのに
ほとんどが小田原に篭りっきりってどういう戦略だったの… 松永さん→最近忠義者という認識が強まってきた
仙石さん→最近有能者という認識が強まってきた
よし!二人は共通点の多い再評価仲間だな! >>45
防衛の要山中城が落ちたから計算狂ってやむなくってのが大きいのかなと
小田原城は総構えだし、秀吉は大軍だから兵糧切れて帰るやろって打算もあったんちゃうかな 松永って明智対秀吉のとき「この悦もいわれぬ空気の中で死にたい」的なこと言って部下逃した人? >>48
松永さんは長慶に対しては忠誠敬意があったんだっけ
なお子孫への忠義 うううう・・裏切り大好き♪松永さん
松永と仙石の共通点でたくさんの部下を不用意な戦で殺しまくってきたみたいな?共通点もあるよな >>22
そもそも秀吉がその歳の時にそんな視点で戦が出来たのかと
この時点の秀次なんて若造もいいとこだろ 人間歳とったら自分だって若いころは未熟だったことなんて忘れちゃうからね、しょうがないよ
秀吉に実子への執着と若者の若さゆえの未熟さへの寛容さがあれば秀次もあそこまで悲惨な末路を迎えなかったのかもね 人生経験なんてもんはあてにならないけど、年を食うほど身につく物の一つが「人に会う」事だからなぁ
天下人になる過程で敵味方問わず英傑と会って来た事、封建社会の下層から上層まで様々な人間を見て来た事
言わば人を見る目が肥えちゃった秀吉からすれば秀次は何もかも物足りなかったのかも知れない
それが目に入れても痛くない後継ぎを得て晩年は目が曇ったか、愛は盲目というか、何というか >>48
これで奈良県と岐阜県は心置きなくご当地戦国武将としてプッシュしていけるようになるな 秀次個人をアレするのはしょうがなかったとしても、妻子や家臣まで連座させちゃったのはなぁ ただ秀吉が今の秀次と同じくらいの年の頃は一軍の大将を任せてもらえるどころか
織田家に仕えていたかも怪しいペーペーもいいとこという立場の差もあるから
求められるものが異なるのは仕方ない面はある 「ヒデキチレンコ」「ヒトコトバトウ」と様々なネット高野原人を輩出してきたセンゴクスレだが
最近「ヒトコトアオリw」も出てきたな
一言の後ろに、必ず草を生やすキモイ煽り
他所の歴史漫画スレもそいつに荒らされて過疎ったから注意されたし このスレで3行以上書いてたらほぼ間違いなくヒデキチくんだからなw
おっとぉー!思わず草を生やしてしまったぜwww >>45
少し前のスレでも書いた記憶があるが、
北條の基本戦略は山中城で持久して、小田原に一旦集めた兵力で後詰めさせて、山中城に誘引拘束した豊臣軍主力と挟撃の体勢で決戦するというものだったんじゃないかとの説がある
でもその戦略構想は、はっちゃけた鼎さんの無理攻めであっけなく瓦解、と
小田原に大軍集めて小田原評定じゃああまりにお粗末すぎるし、蓋然性のある説とはおもう
ただ一方で、正念場の決戦場なのに一門衆事前に脱出させてるし配置した兵力が不足にも思えるし、全面的に首肯もしきれないが >>54
大政所からお前はできるけど他は無理だよってちょい前に出てきてたじゃん 新説(珍説)は、ヘンなこといわないと本が売れない、論文が見てもらえない、という
つましい事情があったりして
結局、消えていくのがほとんどなんだよな… 箱根は局所的には険しいけど大軍を受け止めるには
厚みが足りなかったんだな
南北朝時代の竹之下の合戦では足柄峠ルートで
迂回してきた足利軍が麓で撃破したが、このように
駿東、三島で挟撃に持ち込めないともう後が無い 北条側の見込みが甘かったんだろう
箱根の険を過大評価した、というか
すぐ後詰に入れる位置に戦力を置いてすらいなかったし… そういや押城攻めとかあるし、作者がどう画くかいろいろ楽しみだな >>76
推しキャラは、やはり前田ですかね
県の軽重 >>49
実際後数ヶ月で豊臣の兵糧切れてたんでしょ >>45
引き篭もり戦略で軍神の10万の軍勢追い返した実例あるからな。
それに、釣り出して押し潰して戦力削る作戦を当然攻撃側が取るから
迂闊に出撃させないのは悪い手じゃない。迂闊に出撃した結果…が関ヶ原なんだし。
上田城だって真田親子じゃなきゃ城外部隊各個撃破されて終了だったかも知れないから
縦横無尽に出撃させて翻弄ってのはそうそう使える手じゃないと思う。
こっちに有能な将がいて、敵がマヌケで、かつ敵はこっちの有能さを知らず、
こっちは敵のマヌケさを知ってる、と4つ揃ってなきゃいけない訳だし。 てか普通に多勢を相手にするのに籠城は基本戦略でしょ
失敗と言えば戦端が開かれた時点で失敗
ヒデが上手だったんだけど 上杉や武田の侵攻を防いだときは
支城群が健在で、そこから出撃もできて
敵の補給線を脅かしたから、という側面もあったらしいな
でも、対秀吉戦では小田原に指揮官と兵力を集めすぎて、支城ネットワークは機能不全だったし
秀吉軍の飢えが、致命傷になる前に北条側の心が折れたからな セニョーレス 鼎の軽重 他にも(どちらかといえば)ボンクラ世継ぎで特徴的な発言する人居たかな 秀吉なら力攻めでも落とせるでしょ
全軍に山中城攻めみたいな事させられる立場なんだから 大阪の陣では攻城戦のノウハウある世代が大半隠居かお亡くなりになっていたのもあった 力攻めせず、射撃戦でじわじわ締め付けろ、と命じられてたんだよなぁ>大坂冬の陣
確か、大坂城内で起こった火薬爆発の事故を、内応を約束した相手が暴れはじめたんだ、と勘違いして突っ込んで
そこを待ち構えていた真田丸の皆様に釣瓶撃ちにされたんだっけ >>39
割と秀吉も鼎の軽重言ってるからへーきへーき ドラマなんかだと時間経過が判り難いけど関ヶ原から大坂の陣まで14年も開いてるからなあ
緻密な補給は秀吉が得意としていたのに大坂の陣の頃にはそういうノウハウも失われていてグダグダ
対して家康は大坂方の兵糧について把握に努めていたし自軍の兵糧支給について自ら細かく指示している
鯛の干物を配ったなんてのはどこまで本当か判らないけど 秀吉が穀物買い集めても、肝心の前線将兵に分配するのが追いつかない!
状態 そういえばセンゴクに「ござる」って語尾使うキャラいないね >>104
むしろ大坂の陣ではその東軍がろくに兵糧集められなくて
1日で何十万両と食い潰すのに内心悲鳴上げてたろ、
史料でもろくに食えてない有様残ってたり
ノウハウ話も家康公凄いがベースの徳川実紀で、
最近の若いもんは竹束の作り方も知らねえ(プンスコ
って大坂の陣で世代間断絶を嘆いてる 現代の日本でもいざという時そうなりそうで怖いな
もちろん信用してはいるけどね 司馬遼太郎の城塞では家康が今時の若い奴らは使い物にならないと度々愚痴っていたな 基本的に強兵を保つってのが無理あるからね。
それこそ同時期の大陸でも清王朝の正規軍である満州八旗(かつては東アジア最強クラス)が弱体化して緑営って漢人の傭兵団を使ってたから。
なおその緑営もすぐに弱体化した模様 14年のブランクで兵の練度も兵站システムも忘れ去られてボロボロになるって大阪の陣の徳川方のエピソード
初めて知った時は衝撃だったな
関ヶ原の余波が残ってても空いちゃうとダメになるもんなんだな 攻め手が落とせず帰るなんてよくある話だし
勝った側がギリギリでしたってなってもだから何?って感じが 大坂方の矢が届かず大量に掘に落ちているのを見た老兵が
関ヶ原から時がたって武士が不覚悟になった…と嘆いた話があるね
塀の狭間から水平に射るから届かない、矢玉を恐れず塀の上から大仰角で射れば人馬へ届くのに、って事らしいけど
そんな事も指揮できなくなってた 若い兵「今時弓矢とかチョーウケるんですけどwもう火縄の時代でしょw」 そのおかげか、井伊のとこにいたビシッとした赤備え侍が
武田以来の武士だったことに感心する家康公の話もあったり
大坂の陣では家康公は
「小田原征伐や朝鮮出兵の太閤殿下すごかったんやなあ、
今始めて実感したわ」
「ワイが20万動員したらこの体たらくは落ち込むわ、
茶会やる余裕なんかあらへんぞ」
「つか三成他奉行衆優秀だったわ、
わが家にそんぐらいのおるか?」
って悶々としてたと思う >>114
そのレベルの思考だったら特に談義する事もないと思う 東日本大震災の福島が人災の一面があるといわれてる理由だよね >>121
アメが強いのは一部。イラクじゃストレスに耐えられなくなり兵士を本国に帰すから数が足りなくなり、練度の低い州兵まで動員する羽目に。 まあイラクは早めに手を引いたことでベトナムみたいな醜態を晒さずに済んだのは賢明だと思う。もっとも当のイラク人はたまったもんじゃないし、後にISが台頭したことを考えると微妙ではあるな。 センゴク高野山から出てきたんだからお前らもちっとは進歩しろや 今の若いものは、ってのはそれこそパピルスの時代からのじいさまの口癖ですけどw
>>113
徳川限定で言えば、戦闘集団としては関ヶ原の段階でもう形骸化してるんだわ
朝鮮には出兵せず小田原以降まともに戦争してないから
関が原が短期決戦だったし、本格的な戦争ってそれこそ二十年以上ぶりで、ほんとに親の世代の話w 訓練が常態化されてないと戦闘技術の継承もできんしな 若武者「鍔の透かしは無い方が良い。人を斬った時に血が垂れて来る」
若武者の親「人いっぱい斬って来たけどそんな事なかったし、そもそも刀なんて戦場じゃ役に立たねーよ」
本当こんなやり取りがあったとか。無印センゴク一話に逆戻りしてる…… >>127
息子は息子で、辻斬りでそれなりに経験値積んでるかもしれんぞw
親にとってはそれこそ首切り包丁だったろうが 戦国脳だと島原の乱みたいなのが時々あった方がいいよねとか言い出しちゃうんでしょ まぁ、武士なんて
「無縁の者がきたら、斬り殺して練習台にしろ」
ってやっちゃうのが昔から当たり前で
江戸時代からだからな、法度でがんじがらめにされて、殺人なんてとんでもない!
ってなったのは 三代将軍家光の時代には軍学と称して土埃の立ち方で徒の雑兵か騎馬か見分けるなんて講義をしていて
大坂の陣に参加していた老臣達はそんなの軍学以前の常識だろうと呆れかえっていたとか
戦いのノウハウって平和になるとたちまち廃れちゃうね 江戸時代初期の殺伐感は「あずみ」がうまく描写してたな
なお作者はただエログロを描きたかっただけの模様 ところでなんで勝頼って長篠の戦いで、長篠城の包囲に失敗した時点で
撤退せずに、圧倒的不利なまま
1.5万で信長家康4.5万に立ち向かったんだろうな?自殺行為じゃないかな? 時間をかける程銭の流れの桁が違う近畿の経済圏押さえている織田・徳川連合と国力の差が広がる上に
信長・家康両人が戦場に顔を揃えてるという博打を打つならもうここしかない状況だったから 相手方の布陣や数の読み違えってけっこう起きていて
忍者どころか物見すら機能していなかったのかって場面がけっこうあるね
武田、徳川、毛利は最も忍者を活用した大名というけど武田は大事な場面での情報収集の失敗が多い感じ そりゃ相手の戦力や配置を正確に探るのは至難の技だしねえ。情報戦が要。後から史料見てなんでこんなアホな戦い挑んだとか言われても当事者は知らんがなと言うしかない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています