センゴク 宮下英樹 165番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-14巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと。
※前スレ
センゴク 宮下英樹 164番槍
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1550228972/
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 秀吉が穀物買い集めても、肝心の前線将兵に分配するのが追いつかない!
状態 そういえばセンゴクに「ござる」って語尾使うキャラいないね >>104
むしろ大坂の陣ではその東軍がろくに兵糧集められなくて
1日で何十万両と食い潰すのに内心悲鳴上げてたろ、
史料でもろくに食えてない有様残ってたり
ノウハウ話も家康公凄いがベースの徳川実紀で、
最近の若いもんは竹束の作り方も知らねえ(プンスコ
って大坂の陣で世代間断絶を嘆いてる 現代の日本でもいざという時そうなりそうで怖いな
もちろん信用してはいるけどね 司馬遼太郎の城塞では家康が今時の若い奴らは使い物にならないと度々愚痴っていたな 基本的に強兵を保つってのが無理あるからね。
それこそ同時期の大陸でも清王朝の正規軍である満州八旗(かつては東アジア最強クラス)が弱体化して緑営って漢人の傭兵団を使ってたから。
なおその緑営もすぐに弱体化した模様 14年のブランクで兵の練度も兵站システムも忘れ去られてボロボロになるって大阪の陣の徳川方のエピソード
初めて知った時は衝撃だったな
関ヶ原の余波が残ってても空いちゃうとダメになるもんなんだな 攻め手が落とせず帰るなんてよくある話だし
勝った側がギリギリでしたってなってもだから何?って感じが 大坂方の矢が届かず大量に掘に落ちているのを見た老兵が
関ヶ原から時がたって武士が不覚悟になった…と嘆いた話があるね
塀の狭間から水平に射るから届かない、矢玉を恐れず塀の上から大仰角で射れば人馬へ届くのに、って事らしいけど
そんな事も指揮できなくなってた 若い兵「今時弓矢とかチョーウケるんですけどwもう火縄の時代でしょw」 そのおかげか、井伊のとこにいたビシッとした赤備え侍が
武田以来の武士だったことに感心する家康公の話もあったり
大坂の陣では家康公は
「小田原征伐や朝鮮出兵の太閤殿下すごかったんやなあ、
今始めて実感したわ」
「ワイが20万動員したらこの体たらくは落ち込むわ、
茶会やる余裕なんかあらへんぞ」
「つか三成他奉行衆優秀だったわ、
わが家にそんぐらいのおるか?」
って悶々としてたと思う >>114
そのレベルの思考だったら特に談義する事もないと思う 東日本大震災の福島が人災の一面があるといわれてる理由だよね >>121
アメが強いのは一部。イラクじゃストレスに耐えられなくなり兵士を本国に帰すから数が足りなくなり、練度の低い州兵まで動員する羽目に。 まあイラクは早めに手を引いたことでベトナムみたいな醜態を晒さずに済んだのは賢明だと思う。もっとも当のイラク人はたまったもんじゃないし、後にISが台頭したことを考えると微妙ではあるな。 センゴク高野山から出てきたんだからお前らもちっとは進歩しろや 今の若いものは、ってのはそれこそパピルスの時代からのじいさまの口癖ですけどw
>>113
徳川限定で言えば、戦闘集団としては関ヶ原の段階でもう形骸化してるんだわ
朝鮮には出兵せず小田原以降まともに戦争してないから
関が原が短期決戦だったし、本格的な戦争ってそれこそ二十年以上ぶりで、ほんとに親の世代の話w 訓練が常態化されてないと戦闘技術の継承もできんしな 若武者「鍔の透かしは無い方が良い。人を斬った時に血が垂れて来る」
若武者の親「人いっぱい斬って来たけどそんな事なかったし、そもそも刀なんて戦場じゃ役に立たねーよ」
本当こんなやり取りがあったとか。無印センゴク一話に逆戻りしてる…… >>127
息子は息子で、辻斬りでそれなりに経験値積んでるかもしれんぞw
親にとってはそれこそ首切り包丁だったろうが 戦国脳だと島原の乱みたいなのが時々あった方がいいよねとか言い出しちゃうんでしょ まぁ、武士なんて
「無縁の者がきたら、斬り殺して練習台にしろ」
ってやっちゃうのが昔から当たり前で
江戸時代からだからな、法度でがんじがらめにされて、殺人なんてとんでもない!
ってなったのは 三代将軍家光の時代には軍学と称して土埃の立ち方で徒の雑兵か騎馬か見分けるなんて講義をしていて
大坂の陣に参加していた老臣達はそんなの軍学以前の常識だろうと呆れかえっていたとか
戦いのノウハウって平和になるとたちまち廃れちゃうね 江戸時代初期の殺伐感は「あずみ」がうまく描写してたな
なお作者はただエログロを描きたかっただけの模様 ところでなんで勝頼って長篠の戦いで、長篠城の包囲に失敗した時点で
撤退せずに、圧倒的不利なまま
1.5万で信長家康4.5万に立ち向かったんだろうな?自殺行為じゃないかな? 時間をかける程銭の流れの桁が違う近畿の経済圏押さえている織田・徳川連合と国力の差が広がる上に
信長・家康両人が戦場に顔を揃えてるという博打を打つならもうここしかない状況だったから 相手方の布陣や数の読み違えってけっこう起きていて
忍者どころか物見すら機能していなかったのかって場面がけっこうあるね
武田、徳川、毛利は最も忍者を活用した大名というけど武田は大事な場面での情報収集の失敗が多い感じ そりゃ相手の戦力や配置を正確に探るのは至難の技だしねえ。情報戦が要。後から史料見てなんでこんなアホな戦い挑んだとか言われても当事者は知らんがなと言うしかない >>134
いや不利だと全然思ってないんだよ
それまでの小競り合いで織田に連勝してるから、相当の勢力差でも総力で当たれば快勝できるって判断だったから
戦闘前に出した手紙では、織田主力をおびき出すことに成功した、絶好の機会だ、決戦して殲滅してみせる(意訳)、なんて書いてるし
長篠城を包囲したまま落とさずねぶるようにしながら攻めていたのも、それによる政治的効果も期待しながら織田の後詰めを引っ張り出すための策って説もあるぐらい
流石に鳶ガ巣砦落とされて挟撃される態勢になったときは慌てたろうが、それでも判断変わらずと 武田勝頼「徳川は弱い、織田はすぐ逃げる」
織田信長「今までは、西のほうが手一杯で、後詰に全力投入できなかった。今回は違う」
勝頼「聞いてねぇよ!」 長篠の展開で一番史実に忠実と思われるのが「信長のシェフ」なあたり本当に学者先生は情けない >>141
ちなみに「信長のシェフ」の何巻辺りが長篠合戦なんだ?
全巻読むの面倒臭いからそこだけ読みたい >>134
つーか武田の兵は相手が倍でも勝つ気満々だったし
織田徳川連合の兵は3倍でも武田には勝てないんじゃねーかってビビってただろ
俯瞰で見てたの信長だけだし勝頼が突っ込むのも無理はない おれはセンゴクの長篠合戦好きだけどな
一々説明してないけど随所に通説否定な描写もあるし 日本史上では超有名ないくさが
実は詳しいことはよく分かってないというケースが多いのは
当時の軍事上の機密とかがあったのだろうか
やっぱ他国に戦術バレするのはイヤだったのかな 個々人の活躍を記録することはあっても全体の流れをキチンとのこす習慣がなかったから、とか
各々の功績は盛りまくっていてつなぎ合わせたら実際とはかけ離れた感じになる上に、後々の講談的なあれでさらに演出はいって似て非なる物語に >>141
あの漫画タイトルからしてネタ漫画だと思ってたが見てみたらガチに考証されててびっくりした 長篠の流れなんて信長公記に書いてあるのに軍記とかに毒されたアホが無視してきただけだよ
過去の長篠関連の本大量に読み漁って本当に驚いたから
信長が兵を隠してた事も砦に別働隊送って落としてたことも完全無視してる本ばっかりだからね 日本軍の戦史編纂が、大体の誤解の大元
なんで、軍が真面目に戦史研究したのに、史料を無視するような話を作ったのかは知らない 戦史編纂は後の教訓になるようまとめるもんだけど時代が時代だけに国威発揚を優先したっぽいね
そして学校で教わった、本に書いてあった、偉い先生がTVで言ってたという権威で刷り込まれると疑問も持たなくなる… 武田と徳川の対立で結局徳川は織田に頼るようになっていって
最初の対等な同盟関係が従属的なものに変わっていった
それでもいい、武田コロスというのが家康たちイケイケの浜松閥で、
不満を持ってたのが岡崎閥
だから信康事件が起こった、というのが今の学説だっけか 不満どころか、思い切り武田と通じて家康に謀反起こそうとしてなかったっけ、信康派 元々三河ものって頭オカシイ連中ばかりだからな。
ヤッスが駿府に引きこもるのも残当 >>151
そりゃ信長公記をどこまで信じるかだからね。
一応あれも軍記ものだし
あれを信じると桶狭間は45000の今川軍に2000で突っ込んだら総大将討ち取ったリー
になったと書かれてるんだもん >>158
信長公記は軍記物じゃなくて、信長の弓衆だった太田牛一が著した当事者の残した史料だよ
当時の人が書いたものだから、織田軍の勝因になった天候の急変を
熱田明神の御力だ、とか書いてはあるが >>100
その真田丸も守っていた大将も北条征伐と第二次上田合戦での小競り合いしか実戦経験していない実質ペーペーみたいなもんなんだよなぁ 大河で「うわ本格的に指揮したの初めてなんだけどめっちゃハマっちゃったわー」と信繁のセリフになってた >>153
今の教科書って長篠の戦いで三段撃ちやったっていまだに書いてるのかな? >>162
少なくとも囲んでタコ殴りとは書いてないな 信長の野望の新作のチュートリアルでゴンベが軽くあしらわれる役やらされてて笑った 岐阜県の皆さん…仙石秀久の大河ドラマをプッシュするのです… 宮下センセですら、サイキッカー家久を出さないとまとめられないゴンベさんの醜態を
大河でやれと…?
いや、サイキッカー自体は、シエとかいうのでやった気もするがw >>158
信長公記って桶狭間の記載されてる首巻は牛ちゃんの自筆が残存してないんだよね
二巻以降は複数残存していて比較照合できたりするんだけど
んで、桶狭間の兵力差は写本作成される際に信長記その他講談本から数字が改変されてる可能性がある
実際に、残存してる牛一筆の信長公記でも、他の部分であとから他人の手で数字が書き足されてる例があるし
この辺の改変の危惧はちまちま手書きで写本作成していた時代にはどうしても付きまとうんだが 岐阜県にとって信長や光秀や道三がプッシュ対象の武将であって
ゴンベや姉小路頼綱は岐阜の戦国武将として認識されてないのだろうな >>169
ゴンチャン一応大名だろ
しかも超短期間とはいえ国持大名だよ
しかも島一つまるっと支配 岐阜県民「ならそこの島でプッシュしておけ 俺は知らん」 やめてください長期間統治したのに地元民にすらプッシュされない山内さんや細川さんもいるんですよ! 嫁がなw
細川さんちは子孫が県知事に当選するぐらいには地元民に支持されてはいるんじゃね? 細川さんち江戸時代には不埒なる御家柄とかディスられまくりだもんな
魔法使いの半将軍から借金踏み倒し常習犯へクラスチェンジ ゴンベ同様一騎駆けから叩き上げた人だけど
主人公にしても秀吉の話の中の脇役になってしまうから単独で大河にするには難しいわな
生涯偉大な人物の部下であった人にしてもトラキチくらいにエピソードや見せ場の引き出しが豊富ならまだやりようはあるんだが >>177
一豊も有能な部類なのにネットじゃ嫁のオプションパーツとかネタにされて悲しい 熊本城行ったら長年統治した細川家ではなく加藤清正の大河ドラマ化を推進しててワロタ 千葉県大多喜市が本多忠勝の大河を押してたのはわかるけど納得はしない >>184
大多喜にいたのは10年弱だし
最期は桑名だしな >>182
でも基本地味で他になんか特徴とか大活躍逸話とかあったっけ? >>183
何故か観光客は徳川系より豊臣系でないと大名巡りをしてくれないの 酒井家が最終庄内 榊原は館林
本多は・・んん?
井伊は言わずもがな >>184
里見は南総里見八犬伝という超ビッグネームに被るから仕方ない >>183
清正公とかいう熊本で英雄以上でほぼ神に近い存在 >>192
まるでゴンべが主役みたいじゃないか!? 清正は菅原道真とか平将門みたいな祟り神の系譜なんかねえ。細川氏が黙って信仰認めてるのも不思議な話ではある >>192
よりによって主人公の挽回劇の餌食にされる相手役なのにいいのかw >>196
地元にしたら外様だし
迂闊な事して領民から恨まれるよりはましなんでね? 「風と雲と虹と」に主演した加藤剛が語る“極悪人”平将門の魅力とは?
「NHKのプロデューサーの方が加藤清正の役を提案されたのですがそれがダメになったとき、私が『将門はどうですか』と言ってみたら決まったんです。
https://dot.asahi.com/dot/2017102700064.html?page=2 >>192
本郷先生は出ないんだな
たしか監修ポイ事してたんでは?
違ったっけ 今加藤剛の石田三成を見てる
関係ないけど豊臣7不思議
伴天連弾圧した秀吉の豊臣に準じる切支丹勢力の謎 細川家の度量。
今でも熊本城の運営にタッチしてますよ。
県知事もやってたしね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています