センゴク 宮下英樹 158番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-12巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>950が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと。
※前スレ
センゴク 宮下英樹 156番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1536987514/
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センゴク 宮下英樹 157番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1538651014/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 秀忠「ゴンベよく来たの」
ゴンベ「へへぇ」
部下や家族の前では決して見せぬ表情。
歴戦の勇士がたどり着いた秀忠への処世術だった
https://i.imgur.com/MQ120Ni.jpg >>745
仙石家譜と武功夜話だかには
秀忠失態の取り成しで
「内府様も三方原で失態して大きくなられました。失態しない者などこの世にいるでしょうか?」
「中納言殿は初陣にございます。初陣では失態がつきものでございます」
「中納言殿を処罰するのであれば榊原殿、本多佐渡殿、某など年寄を罰っせなければなりません」 光秀なんかは友達の吉田兼見の土地を信長に進言して
信長の京都の根拠地にしようと本人に言わずに話を進めていて
それを勝家も秀吉も出て来てあそこは向いていないととりやめになったと
正しいことなら人の情も無視して遠そうとして周りからは総すかん食らうが
上司には気に入られるタイプで
信忠への政権移譲で最終的に限界を感じたのか
政権構想で光秀なりの大義があったのか知らないが
それまで仲良くやってても細川藤孝が見捨てるような奴だったのはわかる
どんだけ普段は友好的でもいざという時はついていけない切り捨てられるタイプ
権兵衛は初陣の武将の失敗なんだから大目に見てやれは正論なんだが
なかなか失敗した武将の弁護なんかしづらいところをぬけぬけとやって愛される
その逸話自体が真実か否かわからないけどそういうことできる奴じゃないと
秀吉家康秀忠で生き残り出世するとか無理なのはわかる >>745
まあ人に気に入られるって凄いことだけどね。
無能じゃ気に入られないし。 神子田に関しては主君が秀吉でなくとも確実に失脚してただろうなという悪い意味での信頼感がある 石田三成が福島正則や黒田長政とか秀吉子飼いの有力どころに残らず恨まれ敵に回したけど
権兵衛が九州で失敗せず家康への恩もできず
粛清もされず豊臣政権下の有力大名として秀頼を担いで分裂を防ぐ
重石になってたら歴史はどうなってたんだろう >>754
失敗しなくても秀吉が死んだら家康に接近するだろう
佐吉達をまとめて家康を抑えるような性格じゃない クリスタル・ボーイのコラよろしく
改易までは「知るかバカ!そんなことより突撃だ!」
復活後は「知るかバカ!そんなことより労役だ!」
っていう後先考えずに邁進するのが史実権兵衛の特徴だから
そこを改善して妙な分別つけてたら、大きな出世はできないまま埋もれてたかも >>752
光秀は単なるごますりではなくて正論を押し通して上司には気に入られるが同僚には憎まれ裏切られるタイプ
権兵衛は人の失敗もぬけぬけと許したり口に出すのが許されて潤滑油としては必要なタイプ >>754
>権兵衛が九州で失敗せず
てのがよくわからん 島津滅亡ってこと? >>757
リロードしてなかったです ありがとうございました >>755
ただ三成を敵にしてあそこまでまとまらず
家康警戒する武将が二、三人いたら大分状況は変わってないか
権兵衛が中心である必要はなく二、三人でいいから >>100
お そ .い ヽ 
か の や | 
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い .く / /⌒ i'⌒iヽ、 
つ / ,.-'ゝ__,.・・_ノ-、ヽ 
は i ‐'''ナ''ー-- ● =''''''リ _,....:-‐‐‐-.、 
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``''''''``'''''´ 家康が秀吉死後に実権握れたのって「家康以外に大阪に常駐できる大物がいなかった」っのもあるから。(本領は世子の秀忠が固めてる) 仙石、中村、堀尾あたりは家康が挙兵したら止め役一番手として
期待されていたと思われるが…。関ヶ原ではみんな東軍に。
居城が江戸に近い分真っ先に潰されるのが怖かったということか。 皆小分けに領地持っててまとめて家康に当たれるような人物もいなかった以上敵対しても各個撃破で終わりだろうからな 結果論で家康が危険人物扱いされるけどむしろ逆で家康は豊臣政権内では1番信頼出来る人物だっだでしょ >>754
性格的に石田とうまくやってけるわけないじゃん。大阪城の官僚組に反発して弟分の福島加藤黒田を引き連れて、秀頼の側近グループに対抗できる親分を探してるうちに実戦経験豊富な家康に近づいて(以下略) 秀長があと十年生きてたら
秀吉に成人した子供がいたら関ヶ原は無理で家康の天下はあり得なかったように
大久保長安事件や本田正純みたいに統制派の文治派とそれまでの功労者が暗闘始めるのは当たり前で
問題はほどほどのところで治められる重石があるかないかで
秀吉の子飼いの武将にそういうのが二、三人いたら関ヶ原はなかったろう 会社で上手くやるのは、何でもできる有能ではなく無能だが、自分がバカと知ってる人当たりがよい賢い無能って辺りが、明智光秀と仙石権兵衛の明暗かな 秀長が病死しなくてもなんやかんやあって粛清されそう 秀吉に子供生まれなきゃ全て丸く収まったんだよなあ・・・ >>771
上司の言うことにいちいち意見を挟まず、ペコペコ頭を下げながら実行する奴な。なお実行時には部下をこき使う。 >>771
喩えで有能との対比とはいえそこは無能って言わずに凡才ぐらいにしとかないと流石にそいつ無能じゃなくねって話になんね?
>>774
それは上手くやる無能じゃなく糞野郎じゃないすか 秀吉の豊臣政権は突き詰めたら秀吉という異常な能力があるワンマントップの存在が前提のスタッフの集まりだから
秀吉の代役が出来るような人間は部下にいらないしいたら秀吉に粛清食らうでしょ そういう意味では三成は、野心を警戒されるような人柄ではなかったんだろうなあ。単に器が小さかっただけかも知れんが >>766
大名達は豊臣配下になったとはいえど、同時に一国一城の主でもあったからね。
秀吉という一大権威が失われた後のトップ同士の話となったら、やっぱ互いの顔を潰さないで
調停できる顔の持ち主が必要になってくるわけで、その点じゃあくまで「秀吉の部下」であった
奉行達ではお前らはそんな顔じゃねえだろ、って話になってしまうわけだよね。
で、そんな状況をとりなせる人物がいて、そしてそういう状況が続くと天下の主が豊臣である
必要ある?ってことになってしまう。 そもそも秀次粛清した時点で政権の正当性が弱くなってたからな。 >>777
そこ三成を家康に置き換えても意味が通じるから困る まあ、伊奈や高力とかの文官三河武士は
西軍についた豊臣の吏僚を片っ端から助命嘆願しまくってたんだから
やっぱり優秀よ >>777
器が小さければ島左近は下に付かないだろ
野心ゼロの官僚だったんだと思うわ そういや最近、島左近の直筆の手紙が見つかったとかニュースになってたね
なにか新発見でもあるといいね >>785
まあ後世からすると具体的な実績見えんもんねえ
筒井家臣時代のことは殆ど伝わってないし、三成に仕えてからは、関ヶ原敗死、だけだからw
結局評価の尺度は、三成が出した待遇だけ、みたいなw
まあ三成が家のことほったらかして奉行職やってて家のことに齟齬が出ていないあたり、
武将としてはともかく実務家としては確実に有能だったんだろうけど
三成の場合、兄弟の助けも大きかっただろうけどねえ 三成の兄の正澄って創作じゃ凡庸か無能のどちらかだよね >>788
そうなん?三成をよく支えたイメージのほうが強ない? >>788-789
常に三成を心配している
弟思いの優しいお兄ちゃんというイメージ。
俺が読んだ範囲では。 「花の慶次」では弟の威を借りる小物
「へうげ」では弟思いの好人物って感じだったな
他の作品ではどんな描き方されてるんだろう>正澄 兄貴の正澄はへうげものが面白い描き方してたな。実直だけどユーモアのセンスもあり数寄者としても織部が関心するレベル。
なお弟はテンプレ通りのキャラ
(末期に数寄に目覚めるけど) 三成も光秀も同僚には死ぬほど恨まれるが話が速いから上司には好かれる
上司にすれば嫌がられることでも公のためよくやってくれる、うい奴じゃ
光秀はまあ、上司を裏切る選択肢もあった
三成が自分で天下を取る気があったならそもそもあんな振る舞いをして
周りからあそこまで憎まれてはいない
組織の中のことしか頭にない、近視眼
光秀は織田信澄(信長の甥で信行の子で信長からは重用された)
細川に筒井、荒木村重まで娘を嫁にやったりして縁戚関係で
畿内の大名に勢力を広げた、手駒にしようとしてた
秀吉が信長の子を養子にしてたのは光秀の真似
光秀は信長に何かありいざとなったら取って変わる気まんまん
実際は信長を裏切った村重や本能寺直後に光秀派として信孝に粛清された信澄はともかく
細川や筒井にも裏切られて意味なかったんだが
普段は仲良くしてても命のかかった場面でついていこうと思わせられる器じゃなかった
藤孝なんか元々は上司で顔は立ててたにしろ本当の絆はなくて
微妙に馬鹿にしてたのが透けて見えたんだろ 秀忠って関ヶ原が初陣なん?
あれだけ戦ってた徳川家にいて? >>796
小田原攻めの時でもまだ10歳かそこらやで。 >>798
忠興ってヤンデレの癖に そこは冷静になれるんだよな
つーかミッチ〜って宣教師からも坊主からも嫌われる無神論なのに娘が宗教に凝るとか皮肉 ふと思ったが関ヶ原以前に秀頼が死んでたら豊臣って終わり?引き継ぐ人間いないよね >>800
まだスーパースペック親父殿が名実ともに決定権握ってた時代なので。
ほとぼり冷めた後にしっかり正妻に戻してるだけでも当時としては異常 金吾以外にも豊臣さんだらけだし争いにはなっても絶えることは無いと思われる 榊原・井伊・大久保「俺たちも豊臣姓貰っちゃけど困ったな」 小早川秀秋を推す西の毛利派と、結城秀康を推す東の徳川派が天下分け目の決戦を!
無難にいくなら八条宮後継で宮将軍みたいにお飾りにするか >>806
そこに、前田家と旧織田派閥が推す宇喜多秀家が加わって三つ巴の抗争だな 細川幽斎の暗躍
この期に及んでも復活の芽があった室町幕府驚異の生命力… >>800
> >>798
> 忠興ってヤンデレの癖に そこは冷静になれるんだよな
> つーかミッチ〜って宣教師からも坊主からも嫌われる無神論なのに娘が宗教に凝るとか皮肉
世間一般に流布している無宗教な信長像って
明智光秀や松永久秀に近いよな
彼らにしても敵対する宗教勢力に容赦がなかった躊躇がなかっただけで
本当に信仰心がなかったかは謎だが 信長は最終的には自分を御神体の賽銭上げる対象にしてたし
それは大明神の秀吉も権現様の家康も同じで
安土修論とか
家康による儒教の支配イデオロギーへの採用とか
宗教が実際に武力も権力も持ってた時代とは言え、当事者の意識はどうだったんだろう
宗教が権力持つし権力者が宗教的権威でもある時代に生身の自分と神の関係をどう捉えてたか
後の時代に家光が御所と会うときは会場作ってまん中で会って
どちらが権威か隠蔽するのを小堀遠州が演出した
馬揃がどういう儀式か議論があるが
それこそ本能寺とも絡む面倒な話だが 剣で何でも出来るが人はその上に立つことは出来ない
人は市場で功利計算で全ては処理できてもプロテスタントと資本主義の精神じゃないが
いかなる権力も権威なしには成立しない存続しえない
権力なき権威も無力だが全くの権威なき権威の裏付けなき権威も人はそこに依らずその権力は成立しない
神に仏にキリスト教に天皇に室町幕府
秀吉みたいに自分は関白で貴族と武士の上に立つが天皇に取って変わる気はなく利用する気まんまんとか分かりやすいし
徳川幕府みたいに自分たちは関東で独立して天皇や貴族はがんじがらめに規制するとか理解できる
信長や光秀や久秀あたりは最終的にどう考えてたのかわからない 織田信長は法華宗だった
熱心な信徒だったかどうかは別にして、旗印に「南無妙法蓮華経」の流しを付けていた 信長の場合は法華経を信仰するような一面もあるしキリスト教を受け入れる一面もあるってイメージ戦略にも思えてしまうw 信長さんは利用出来るものは利用するタイプだったんじゃないかな? ちな息子の信孝は入信一歩手前までキリスト教に心を寄せていた模様
本能寺がなかったら日本人の精神世界地図はどうなっていたことやら… キリストが愛の神様になって、死者の神様になった仏様といっしょに毎年10月に出雲に行く羽目になる >>781
福島なんかが家康を押し立てたのは豊臣に取って代われるような奴とは思ってなかったからというのもありそう そりゃ福島や加藤が直に知ってる時期の家康は秀吉の下でひたすら大人しくしていた頃だし
昔は凄かったが今は温厚なオッサンくらいの意識なんじゃないか その二人が残したかったのは豊臣家そのものであって豊臣家の天下ではなかったのではなかろか あくまで三成に対抗するための家康支持であってまさか本当に天下を取れたという意外はあったかも
蒲生なんかあんなケチで天下が取れるもんかとか公言していたわけだし そら対抗馬を潰したら、残った方が天下様よ
正に恋も戦も最後は消去法 >>823
王翦「世の中、臆病そうに見える奴が一番食えないんやぞ」 日本映画専門チャンネルで映画の関ヶ原を初めて見たが家康の描き方も凄かったな
大人しそうに見せながら憤怒を隠し部下を切り捨てるかと思えば供養の心もあるし 堀久が狂太郎って呼ばれた理由ってなんなの?
全然危険な橋を渡りそうも無いけど 秀吉に子供おらんかったらなあ・・・
てか
秀次さえ殺さんかったらなあ・・・ >>825
金の亡者のふりして取るに足らない小物を演じて生き延びた真の大物来たな……
こいつとか張良とか上手く身を引いて生き延びた奴は中国じゃ何人か浮かぶのに日本じゃ浮かばないな。誰かいたかね 何度かやらかしたが信雄とか
立場的に殺されても不思議じゃないのにバカであるが故に危険視されず生き残ったというのはある意味最強の保身術だと思う >>830−832
家が滅んだり世間から馬鹿と呼ばれず地位や名声保ったまま身を引けた人はおらんかね >>829
てかむしろ、中国みたいな王権成立後の凄惨な粛清劇を日本じゃやってないってだけだろ
鎌倉幕府 将軍の一族のほうが亡ぼされたでござる
室町幕府 全然粛清せずに大勢力盤踞して、しかも事実上東国分割までしちゃったもんだから一度も安定しなかったでござる
江戸幕府 大勢力は遠方に追っ払い、譜代は大領与えなかったらおとなしくなったでござる
明治政府 みんな足利尊氏って言われるのは嫌だったでござる
そりゃ政権内部での対立とか抗争とかはあったけど、それが組織的粛清に行くまでのことはなかった 秀次ほか豊臣家の皆さん「辛いです」
伊達政宗に関しては、江戸城で見せてた愉快なめんどくさいおじいさんキャラは、警戒されないための演技だったと言う説もあるな クロカンと細川幽斎は当てはまるな
特に幽斎は足利から徳川まで生き延びて権力者たちから敬意を払われた完璧超人
政宗は最後の最後まで現役当主で隠遁生活とは無縁 もし関ヶ原戦記をやるならやはり終わりの始まりな秀次事件から始まるかな
あるいは秀頼誕生か
最近は速攻決着説が主流となりつつある関ヶ原戦だがここではどう描くか 幽斎が本能寺後にすぐ隠居したのは、主君として秀吉に頭を下げなきゃいかんのが我慢ならなかったんだろうなあ。
それでもどこに味方するかは好き嫌いによって判断を狂わせない 幽斎は光秀にすら臣従したくないってほどのプライドマンだしな
それでいて足利義昭を見捨てて、追放側のノブは気に入るし
なかなか不思議な美意識やな 謀反に加わりたくないだけやぞ
隠居状態の大名なんて何人もいるし 英次って割と家臣たちには好かれてたんやっけか?
だから秀吉も処断したんだろうけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています